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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~Warmonger編~
72/256

18、激突

 合議の間で、すでに知見者は四阿あずまやに腰掛けていた。

 その周囲にたむろする神々は、一定の距離を置いてそれを見つめていたが、やがてこちらへと顔を向けた。

 それぞれに複雑な顔を浮かべ、サリアと竜神へ無言の問いかけを放っていた。

「あれだけの抗弁をしておきながら、結局はこのざまか」

 嘲りが耳をなぶるが、一切を無視してそのまま四阿に歩み寄る。竜神は軽やかに宙をすべり、音も無く草地に降り立った。

「魔物に加担し、勇者の軍を破らんとする貴様は、すでに我らの側ではない。この上は、我が勇者の力にひれ伏し、惨めに敗れて魔界に堕ち行くがよい」

「先ほど、我が勇者は魔将と盟を結びました」

 対面して座り、悠々と細面の優男を眺めやる。その口元に、皮肉な歪みが生まれるのを見越し、話を続けた。

「貴殿の軍を打ち破りし後、決闘を行うという盟です」

「牛の首を手土産に、魔王の前にひれ伏すとでも?」

「土産と言っても、死出の旅に送り出す魔王へのですがね。冥府への道を一人辿るは、魔王とて物憂いことでしょうから」

 敵意むき出しの応酬に、背後に座っていた竜神は、つくづくとため息をついた。

「まったく、そんな物騒な物言いで、よくぞ"平和の女神"などと名乗れるものだ。いっそのこと"争乱の女神"にでもなってしまえ」

「婉曲な蔑称が、直裁的なものに変わっただけではありませんか。まぁ、今の有様では否定も出来ませんが」

「そのような愚かな女神の後援にまわったこと、存分に後悔なさるといい」

 言葉から滴り落ちそうなほどに、たっぷりとした侮蔑を溢れさせ、フルカムトは黄金の竜をあざける。

 同時に、四阿が音を立ててその姿を変え始めた。

 石の卓が真っ二つに割れ、互いが後ろに下がっていく。その開いた空間に大量の水が溢れ出し、大地に透明な水鏡を張り巡らせて行く。

 サリアの座った椅子が革張りの玉座に変わり、座卓に果物や酒器が整えられると、知見者は満足して頷いた。

「どうやら、連中も駒を揃えたようだな」

 水面に映る光景は、今しも陣を組み上げつつある魔王軍と、それを迎え撃つ、微動だにしない勇者軍だ。

「薄い軍を更に薄くし、我らの全てを抑えようと言うのか。騎兵に対して機動力と打撃力を持ったリザードマンと"牙乗り"で対応。寡兵で持久戦でもおやりになられるつもりか」

「対するそちらは相も変らぬ密集方陣。槍兵を八列に整え、魔法兵を前面に二列配置。右翼左翼に騎兵を配して、教科書どおりの陣形か。テルシオを騙るなら、野戦砲台の十や二十は欲しいところよな?」

 巧手同士が盤上の遊戯に検分するように、互いの陣に感想を向け合う。周囲に集まった神々からも、この壮大な戦場の光景にさまざまな声が上がった。

「しかし、これほど見事な戦列は、ついぞ目にしたことがないぞ」

「そも、神の名において人共が集い、槍働きをするなど、何百年ぶりであろう」

「神の威光、旧に復するか……すばらしきかな……」

「感心するのはまだ早い。これを見ていただこう」

 賞賛と羨望の声に、知見者は満足げな笑みを浮かべ、上機嫌で新たな水鏡を虚空に浮かべた。

 その向こう側に映し出されたのは、各地の迷宮が陥落し、魔物の集落が焼け落ちる光景だった。この時点で、魔将の軍に対する支援は、完全に断たれたことになる。

「魔王軍の主力を抑えている間に、各地の勢力まで殺いでみせるとは……」

「やはり多勢はなににも勝る武器よのぉ」

 神々の感嘆を、サリアは複雑な表情で聞いていた。こうなるであろう事は竜神に聞かされていた。それでも、ベルガンダの進攻を捉えながら、完璧に逃げ道を断ってくる手腕には驚きを隠せない。

「我が軍が、貴様らの霍乱戦法に、漫然と守りでも敷き続けると思ったか? 散々こちらの動きに横槍を入れてくれたようだが、かえって己の首を絞めたようだな」

「ああ、ご苦労さん。予想通りの展開で安心したぞ」

 いつの間にか、サリアの傍らに首を突っ込んでいた竜は、ぶどうの房を口の中に放り込み、適当な相槌を打った。

「むしろ、漫然と防衛体制なんぞ敷いていたら、馬鹿にしてやろうと思っておったのに。存外抜け目無いな? 感心感心」

「では、この盤面の薄い陣は、外部からの援軍を当てにしたものではないと? それこそ馬鹿馬鹿しい話だな」

「酒を用意するのは構わんが、もっと濃口にしてくれぬか? ぶどうでも大麦でも構わんが二十年物以上の蒸留酒を頼む」

 大きな舌へ無造作に酒を垂らし、不満そうに鼻を鳴らす竜。不愉快を貼り付けた知見者は、それでも律儀に、異世界の酒らしい大樽をいくつも取り出してみせた。

「"命の水"とはありがたい。最近、神座にこもりきりで醸造所めぐりもご無沙汰でなぁ」

「存分にめされるがよかろう。末期の水ぐらいはいくらでも」

「勝利の女神が傍らにあるのだ。儂が飲むのは、常に勝利の美酒以外にありえんがな」

 早速、樽に爪を引っ掛け、器用に片側の板だけを外すと、即席のジョッキのようにして竜神が中身をあおり始める。その姿は完全な傍観者、酒を片手に座興を眺める、雲上人のそれだった。

「なるほど。俗悪にして怠惰の風情、まさしく欲まみれの竜の長にふさわしい振る舞いと言ったところか」

「天に座し、我執をむき出しに、下界を差配する神たる我らが、俗悪でなかったことなどあるのか? 己のみが崇高にして穢れ無く、素行も卑しからぬ貴種でございと言い募る、どこぞのなにがしの方が、よほど嫌ったらしいと思うが」

「勘違いしてもらっては困る。私は自ら進んで穢れようと言うのだ。この混乱しきった遊戯を変えるためにでな」

 知見者は水鏡の上に歩み出で、足下の自軍を両の手で差し示した。

「神々も、とくとご覧じ候らえよ。我が軍勢の威力を、その成果を」

 ひとたび、水鏡はモラニア全土の光景を映し出した。

「神とは導くもの、人を安らげるもの。遊戯の本道は魔手から世界を守り、繁栄と安寧を与えるものであったはず。そして、我が配下にはそれを可也かなりとする力がある」

 整えられた街道を人々が行き来していく。与えられた技術によって産業が隆盛する。

 その全てをきらめく宝石のように映し出し、知見者は高らかに成果を誇った。

「崇める者に等しき幸福と繁栄を! これこそが、正しき神威のありようである!」

 場面は唐突に戦場に戻り、動き始めた魔物の軍を大写しにする。

 その先頭、牛頭の魔将の下にある、コボルトがくっきりと映った。

「だが、力なき者にそれを成せる道理はない。己の権勢を守らんがため、小神は遊戯にいじましくすがりつき、果てにはこのような背信を平然と行わんとする!」

 神々の視線が、穏やかな非難を伴ってこちらに集まる。

 サリアは黙ってそれを受け止め、シェートの姿を見つめた。

 知見者の言葉に、異議の唱えようは無い。遊戯の勝利を目指し、手に出来る現実的な手法を取った末に、自分は世界の繁栄の一角を崩そうとしているのだから。

 それでも交わした約束を、小さな魔物が誓った思いを、否定する気も無かったが。

「大義は誰にあるか、もはや明白である。私は神威で以って、彼の邪知暴虐なるものを、微塵に粉砕せしめよう」

 こちらの沈黙に気を良くしたのか、"知見者"フルカムトは会衆を見回し、決定的な一言を放った。

「そしてここに宣言する。この遊戯に勝利し、現状の制度を根底から改革せんことを。地上に神の威光を知らしめることができうる者のみ、参加を許すようにとな」

 野次馬達が、声にならないうめきを上げた。

 こちらに向けられた非難の視線が、戸惑いと不安に揺れて、知見者に向かう。その全てを冷淡に黙殺し、知恵の神は揚々とサリアを見た。

「これは聖戦、正しき神の成せる業である。愚かな魔物共々、粛々と破滅を受け入れるがいい」

 あらゆるものを自らの威光で打倒せんとする、傲岸な顔。

 その自信を下支えする、正当性。

「――ふっ」

 その全てに、サリアは嗤った。

 あらゆるものに叛くが如き、微笑を浮かべて。

「我が友、カニラ・ファラーダが告げてくれました。我が星の封を破り、世界喰いの秘密を利用して、魔物との間に戦端を開かんとした者があったと」

 ざわめきが、静寂に塗り替えられた。

 神々の顔に、驚愕と、かすかな怯えが走るのが見える。眼前の知見者でさえ、平静の仮面を取り繕い損ねていた。

「その内の一柱に、不肖の兄、ゼーファレスも名を連ねていたと聞き及んでおります。さすがに謀略の首魁までは、たどることは出来ませんでしたが。その者らは、自らの利益のために、全てを画策したのです」

 周囲の反応から、サリアは確信していた。

 この中に、その首魁を知る者がいる。

「神と魔の争乱を引き起こし、その果てに神々の遊戯という"妥協案"を、己にとって都合のよい理をく。そのために穢されたのだ! 我が星とその民は!」

 これまで、決して言い募ることの出来なかった怒りを、吐き出すことの出来なかった全ての憤りを込めて、女神サリアーシェは鉄槌の如き叱責を降らせた。

「その悪徳から目を背けながら、何が聖戦、正しき神の業か! 罪も無い民草を苗床にした謀略の巨木から、不当不易な果実を貪っただけの、賢しらな小神風情がさえずるな!」

 知見者はすぐさま口を開き、それでも、反論を述べることはなかった。

 侮蔑された怒りかのためか、あるいはこちらの言葉を跳ね除けるだけの正当性を、とっさに捻出できなかったか。

「そういきり立つな、サリアよ」

 我関せず、と言った顔で火酒を舐めていた竜は、そっけない調子で口を挟んだ。

「彼奴の軍を見れば、そんなこと言うに及ばぬだろう。戦争という弱みにかこつけ、力無き民から搾り取り、己の権勢を誇る。発展だ、安寧だと麗らかな口上を述べようが、一皮剥けばごらんの通りと言うわけさ」

「"戦争が戦争を養う"という訳ですか。まさしく遊戯の縮図と言ったところですね」

「ならば、貴様はなんだというのだ!」

 動き出そうとする魔王軍を指し示し、怒気もあらわにフルカムトが叫ぶ。

「敵に加担し、勇者を潰さんとする! 自らの星を穢された腹いせに、全てに災禍でももたらそうという腹か!?」

「我が願いは、全てを旧に復すること」

 口にした途端、サリアは自分の胆が決まったことを感じていた。

 遊戯に対する立場を明らかにするために、言葉を重ねる。

「権勢を振るう大神の暴虐を正し、立身に振り回される天界の仕組みを、神々の遊戯という欺瞞を、打ち砕く」

 うめきが漏れていく。

 サリアの一言は、すでに大神の重みがある。この女神が遊戯に勝利することがあれば、今の体勢が完全に崩壊することを、誰もが明確に意識していた。

「我が協力者、コボルトのシェートと、我が名に掛けて宣しよう。全ての勇者、魔王を狩り尽くし、この遊戯に勝利すると。そして、神々の遊戯を終わらせる!」

 見物客であった神々は、完全に色を失っていた。

 知見者が勝てば自分達は永久に蚊帳の外に置かれ、平和の女神が勝てば、栄達の道自体が消え去ってしまう。

 そんな小さき神の懊悩など知らぬ顔で、知見者はサリアに問いかけた。

「あらゆるものに叛く、それが貴様のやり方だというのか」

「神の勇者を狩り、魔王とその将も狩り込める。その先に勝利が在るというだけだ」

「人の栄達に難癖をつけておきながら、自分勝手に民を蔑ろにするのは貴様も同じではないか。恥を知るがいい」

「戦う前から自軍が負ける心配か?」

 即席のジョッキに新しい酒を注ぎ、ほろ酔いの竜が失笑する。芳醇なモルトと泥炭の香り漂う旨酒をじっくりと舐めながら、不機嫌を通り越して不快な顔になった神へ、酒臭い返事を吐き掛けた。

「モラニアに関して言えば、そなたの軍が今すぐ消えうせても何の問題もあるまい。己がさっき言ったであろうが。ベルガンダの勢力は、今やあの場にあるのが最後だと」

「……!」

「中央大陸の方は魔王軍が勢力を盛り返しているようだが、各地に残った守備兵はそなたの加護を受けた者ではない。つまりだ」

 竜眼が酔いと策謀に細められ、悪竜然とした笑顔が、厳つい顔を歪めていた。

「中央大陸エファレア、東の大陸モラニア、そのいずれにも文明を授け、民を脅かす魔を退けた立役者、知見者フルカムトよ、大儀であった。そなたはもう用済みだ。とっとと袖に引っ込むがよい」

 フルカムトは言葉も無く、竜神に挑むようなまなざしを向けた。その烈火を避けるように首をそらし、手元の酒を樽の中でゆすぶる。

「言ったであろうが、予想通りの展開ご苦労と。魔物の脅威を減らすのも、民を安らげるのも、自身の勇者である必要は無いのだ。そなたの行動の中で望外であったのは、この旨酒くらいだな」

「無き物を在るが如く見せる、詐術手妻さじゅつてづまの要諦だが、私に通じると思ってか」

「ほう?」

「忘れるな。貴様らの思い描く未来とは、我が勇者軍に魔物どもが勝利する前提で語られているということを」

 自席に戻り、玉座に腰掛けると、蒼い瞳を冷たく冴え渡らせた知見者は、巨大な水鏡に映った戦場を見下ろした。

「貴様らに確たる勝利の手筋など無い。楽しい座興であったが、全ては魔王軍と共に、かのコボルトが踏みにじられる未来で終わるのだ。"斯界の彷徨者"よ」

「これまで何度も繰り返してきたが、物分りの悪いそなたにもう一度だけ言ってやろう」

 酒の肴に干しイチジクをねぶりながら付け加えようとするのを、サリアは片手を挙げて押しとどめる。

 そして、告げた。

「あなたの相手は私達だ。私と我が狩りの先導者、シェートがお相手つかまつる」

「たかが一兵卒に過ぎぬ勇者と、加護も満足に使えぬ神に何が出来る、と言いたいが」

 言葉の区切りと共に、知見者が足下の水鏡を眺める。

 長大な人の壁の背後、村の跡地に立てられた天幕から、護衛に守られた少年が進み出てくる。片手に英知を収めた板を持ち、差しかけられた天蓋の下、席に腰掛ける。

「小細工など弄する間もなく、全力でひねり潰してくれよう」

 勇者の少年が、一言も無く透明な板の表面に指を、二度叩く。

 その途端、黙していた軍団の全てが武器を掲げ、天に向かって音を張り上げた。

『我ら、神智の旗の下、全ての敵を打ち砕く者なり! この戦を我らの神と勇者と、天下万民に捧げん!』

 芝居がかった宣誓を示すと、勇者軍は前進を開始した。



 シェートの目の前で、地平線が沸いた。

 叫びと共に槍列が身じろぎし、こちらへと近づいてくる。彼我の距離はまだあるはずだが、足元の草を踏みつけ、潅木をものともせずに歩み来る軍靴の音が、すぐ側で聞こえるような錯覚を覚えた。

「一気に押しつぶす気か。どうあっても、手間を掛けずにさっさと終わらせたいらしい」

 ベルガンダの声は戦の熱気に酔いしれ、どこまでも嬉しげだ。その声に当てられた周囲の兵士達も、微塵も恐怖を感じさせない顔で敵を睨みすえる。

「だが、そうは行かんぞ。オーガ隊! "トッパ"構え!」

 ベルガンダ率いる第一軍の左手、列中央に位置したオーガたちが、一斉に巨大な兵器を構える。

 尖らせた丸太の中途に、大きな板をかぶせたそれが、"トッパ"と呼ばれる装備。

 前面に矢弾や魔法を遮る壁を作り、オーガの強烈な膂力で体ごとぶつかっていく。攻城兵器としても利用可能で、リンドル村を襲ったときも、即席で作ったこれが威力を発揮していた。

「全員! まじないを掛けろ!」

 オーガたちはそれぞれの武装に手をあてがい、表面に施された紋様に怒鳴りつけるように魔力を注ぐ。シェートの周囲にいたゴブリンたちも、鎧や剣に威力を与え始めた。

「お前、まじない、使わないか?」

「生来不調法でな。俺が使えるのは、魔王様に頂いたのがたった一つあるきりだ。大軍に使うものだが、身の丈に合わぬものは使わぬ主義でな」

 身につけた武具に一切の魔法が掛かっていないのも、本人がそういうものに頼りたくないと思っているからだと聞いていた。生涯を武術に捧げ、その力一つで軍を率いていく魔将の姿に、一瞬感傷めいた思いが湧く。

「呆けるなシェート! お前の役目を忘れたか!?」

「わ、分かってる!」

 すばやく鎧の背中にしがみつくと、ベルガンダが負い紐で互いをつなぐ。赤ん坊を背負うときの負い紐を改良して作ったものだが、正直気恥ずかしいことこの上ない。

「お、俺、やっぱり、下降りたい」

「ここからは乱戦になる。味方の戦列に踏み潰されでもしたらかなわん。それに、連中の魔法を打ち消す役目もしてもらわねばな」

「まじない頼る、好きじゃない、言ったろ!」

 こちらの文句に、魔将は腹を抱えて笑い、それから周囲を見回す。

 全ての準備が整った陣列に頷くと、牛頭魔人はゆうゆうと斧を肩に担ぎ、迫りつつある敵陣に向かって吼えた。

「オーガ隊、前進っ! 他のものも後に続け!」

『おおおおおおおおおおおおおっ!』

 耳が痛くなりそうな叫びが沸き起こり、魔物たちが行軍を開始した。

「いいか! 決して突出するな! 一人でも浮いたものがあれば即座に狩られるぞ! 隣の槍を支える気で、決して仲間とはぐれるな!」

 ベルガンダの指示が、別々の声になって部隊に広がっていく。

 駆け出しかけた何人かが仲間に引っ張り戻され、たわみながらもまっすぐな槍の壁が形成されていく。

 地鳴り、無数の魔物が地を踏み鳴らし、土ぼこりを上げて進む。

「おおおおおおおおおっ!」

「全員、大将につづけぇっ!」

「遅れるな! 列を乱すな!」

 声が飛び交い、お互いを鼓舞しあう。

 前を向き、槍を押したて、列を生み出して掛けていく。

「シェート! お前も周囲の警戒を! 女神の方にも援護を頼んでよいか!」

「あ、ああっ、この戦い、力貸す、言ってた!」

「それは心強い! 特に両翼の連中を頼む!」

 叫ぶように答え、ベルガンダの体が力強く前進する。

 鎧越しに息遣いを、戦に興奮する肌の熱さを感じ、その熱情がこちらの体に染み込んでくるようだ。

「どうだ! 戦は! 体が震えてこようが!?」

「わ……分からない! それに今、そんなこと、言うとき違う!」

 こちらの心を見透かしたような一言。釣り込まれないよう、前方に意識を飛ばす。

「ゆ、勇者軍、近づいてる! 前、魔法使いだ!」

「やはりきたか! 全員、盾準備!」

 魔物たちの武具が鳴る音に混じって、規則正しい足音が響き始める。勇者軍の最前列は儀仗を掲げた魔法使いたち。目に見えるだけで百を越える人間が、整った一列を作ってこちらを迎え撃つ構えを取った。

『"霜月より来たれ怜悧"』

 歌うように、誇るように、一人も遅れることなく詠唱を紡ぎだす。

 杖の先に銀光が宿っていく。それぞれの頭上に輝く星が宿り、その顔を照らしていく。

 魔法への集中によって、完全に個性が消し去られた無表情。数千の無貌の魔術師達が、一斉に杖を振り上げる。

「全員、盾構え!」

 魔物たちが一斉に板を掲げ、同時に光が尾を引いて襲い掛かる。

 腹に響く破裂音が立て続けに鳴り渡り、それでもほとんどの者が、怪我一つ負わず進み続ける。最も魔法の直撃を食らったベルガンダも、シェートの破術が完璧に守った。

「どうした! 貴様らの魔法はそんなものか!? これなら鳥の糞のほうが、まだ体に堪えるぞ!」

 所詮、凍月箭は下位の魔法でしかない。絶対命中という性質は確かに恐ろしいが、来る方向さえわかっていれば遮る物一つで対策できる。

 しかし、魔法使い達は臆することなく、新たな光を生み出していく。

 一つの杖に宿る輝きが、以前追撃された時よりも増している。術士の力量が上がり、生み出せる魔法弾の数が増えているのだ。

「全員怯むな! そのまま進め!」

 魔法の輝きが目の前で弾け、それでも魔物たちがじりじりと前進を続ける。破術で完全に守りきっているこちらはともかく、板が砕け、守るものがなくなったものから、魔法の威力にさらされていく。

「盾を失ったものは仲間と共に進め! 歩調を合わせろ!」

 木の盾を砕かれた魔物が、無数の光に貫かれて無残な死体をさらす。それを踏み越え、新たなゴブリンが前に進み出て、戦列の穴を埋めていく。

「シェート! 他の戦列に遅れはあるか!?」

「サリア!」

『今のところ問題はない。全員、良く支えている。右翼左翼の騎馬隊が、リザードマンや牙乗りの部隊と接触するところだ』

 こちらの報告を聞き、魔将は小さく頷いた。知見者ほどでないにしろ、女神の俯瞰図は指揮を執る者にとって値千金の情報となる。

 そして、シェートの視界の端に、最前列のオーガたちがトッパを押し立て、最前列の兵士に向かっていくのが見えた。

「オーガ! 奴らとぶつかる!」

「ウディク! 決して深追いするな!」

 返事代わりに一声咆哮を上げ、トッパを抱えた連中が槍兵連中に襲い掛かった。

 筋肉と巨大な木材の圧倒的な重さと突進に、前面の兵士達が押しつぶされる。

 全てをへし折り、踏み砕き、前進する姿に何もかもが飲み込まれていくように見えた。

 だが、それまでだった。

「"意気は弧峰の如くそびええ、堅牢なるは巌の如し! 遮り、支え、我らが護りは輝きと共に!"」

 石突を地面に、穂先を斜めに立て、両足を踏ん張って槍兵が猛攻に耐える。その上、背後に控えた魔法兵たちが、防御の呪文を必死に重ねがけていく。

「ぬがああああああっ! このチビ共がぁああああっ!」

 立て続けにオーガが、トロールがトッパで激突を繰り返す。そのたびに前面の槍が揺らいでいくが、それでも壁は崩れない。

「よし! 連中の動きはとまった! こっちも行くぞ!」

 ベルガンダの指示で両翼のゴブリンたちも一斉に距離をつめる。

 走り出せば手の届きそうなところまで最前列が近づき、魔法兵たちが焦り一つ見せず、槍兵たちの後ろへ下がった。

 入れ替わりに、鈍色の穂先が突き出され、魔法の輝きの代わりに冷たい鋼の光が、敵意の先鋭となって襲い掛かる。

「穂先を見極めろ! 突き合うのではなく叩き落せ!」

 勇者軍の兵士達が槍を突き出し、魔物たちが槍を振るって穂先を弾く。こちらの短い槍に比べ、敵のそれは長く、取り回しも難しい代物に見えた。

 それを一切の乱れも遅滞もなく、規則正しい動作で突き出し、無慈悲に目の前の魔物を貫き通そうとする。

「っくそ……う、がぁっ!」

 穂先が受け損なったゴブリンの喉を切り裂き、ためらい無く引き戻される。

「このっ、ちくしょうっ! ちっとはこっちに近づいてきやがれっ!」

 叫び、罵倒し、必死に槍を使い続ける魔物に対し、ほとんど声も上げず、鋭い呼気を発して、冷徹な表情で槍を繰り出す。

「無理に攻めるな! 押し返されなければそれでいい!」

 あえて前線に出ることはせず、魔将はその背丈を生かして戦場に指示を飛ばす。

 それでも、自体をこの手で変える事が出来ない苛立ちに、きつく斧を握り締めている。

「焦るな! まだ戦、始まったばかり!」

 思わず口にしていた激に、牛の顔が満面の喜色に歪む。

「ああ。その通りだ」

 そして魔将は、嵐を切り裂く雷鳴にも思える大音声で、吼えた。

「まだ戦は始まったばかりだ! 進め! 勇者の奴腹に、目に物見せてやれ!」



 戦場から離れた天蓋の中にさえ、その声は届いた。

 一瞬、康晴の視線が液晶から離れる。

『心を乱すな。所詮、戦場でわめき騒ぐしか能の無い連中だ』 

 知見者の声に、そのまま手元に目を落とす。横一列に広がった陣形は、今にもこちらの槍に押しつぶされそうになりながら、それでも微動だにしてない。

 特に、中央のオーガ隊が良く持ちこたえている。本来なら、前面のパイク兵を護りに徹させ、背後の魔法兵の援護射撃で削り取るはずが、完全に防御魔法一辺倒にさせられていた。

「……防御力と攻撃力が、微妙に上がってる。そうか、両脇の呪術師か」

 顎に手をあて、戦況を見つめる。こうしていると、まるで棋譜を見つめて次の一手を考えているような気分になる。

 両翼に配置した騎馬隊が、敵の差し向けた機動部隊と距離をつめていく。

 敵の右翼には猪に乗ったオークたちが、左翼には剣と手槍をぶら下げたリザードマンがそれれぞれ展開している。

 まず最初に、猪部隊が突撃を開始した。

 勢いに押され、数名の騎兵が猪に体当たりを喰らい、馬ごとその群れに押しつぶされていく。瞬く間にHPゲージが尽き果て、三騎ほどの犠牲が出た。

 まだレベルの低い、徴募された村人上がりの連中。歩兵に比べて騎兵は経験値を取らせにくいため、ある程度の損耗は承知の上だ。

「右翼軽騎兵、敵との距離を保ちながら散開、個別に動いて的を絞らせないようにしてください。交戦するのではなく、進路をふさぎ、歩兵に近づけないように」

『う、右翼了解!』

 牙乗りと呼ばれる連中は、猪に乗るという性質上、一旦突進すると引き返すのが容易ではない。その代わり、勢いに任せて歩兵のわき腹に突っ込まれる可能性がある。

 固まって列を成していた騎兵が、一気に散開する。目標を失った猪の群れが必死に急ブレーキを掛けるが、馬の機動性に追いつけずに無防備な横腹をさらした。

 巣を荒らした熊に襲い掛かる蜂のように、騎馬が猪に襲い掛かり、敵のHPゲージが急激に減り始めた。

 その間に、軽やかな足取りでリザードマンたちが距離をつめていた。

 画面をスライドし、拡大。

『くそっ、こいつらちょろちょろ動いて、あぐっ!?』

 軽騎兵のわき腹を短槍で無造作に刺し貫き、凶手のトカゲはわき目も振らず別の獲物へ殺到する。

『畜生! 来るな! うわぁあっ』

 先端を尖らせただけの粗末な木槍が、騎兵のみぞおち深くに吸い込まれて、その命をあっけなく奪い取った。

 必死に抵抗をする軽騎兵と、敵の剣をすり抜けて殺戮を続けるリザードマンたち。屈曲した両足が生み出す速度と機動性を生かし、騎馬には到底不可能な動きで、縦横無尽に駆け巡っていく。

「左翼軽騎兵。交戦を避け、一旦距離を取ってください。退避後に円陣を形成し、リザードマンを包囲。陣形完成後は二騎以上で列を作り、一撃離脱で攻撃を」

『左翼了解っ!』

 左翼方面に出張っているリザードマン部隊はわずかに千五百、対する左翼の騎馬隊は四千の数がある。頭上から剣を振るう騎士に対して、不利なのは変わらないはずだ。

 乱れきった隊列が整い始め、走り回る騎馬の壁がリザードマンたちを封じ込めていく。

 被害総数は十名程度。予定よりも少し増えたが、この程度は誤差の範囲にすぎない。

 これで、戦場の戦力は互いを抑えるためにぶつかり合い、拮抗となった。

『さて、ここから連中は別働隊を動かすつもりだろう。貴様ならどう見る』

 戦場から少し離れた森の中、ちょうどこちらの軍の両翼を攻められる位置に、二つの部隊が伏兵として配置されていた。

 右翼には弓兵、左翼には魔獣の混成部隊。それぞれの遊撃部隊が苦戦することを見越して、増援として伏せておいたのだろう。遥か上空から全ての情報を掌握したこちらにとって、奇襲も伏兵も意味は無いが。

「魔獣は問題ありませんが、弓兵は早めにしとめておきたいです。姿を現したところで"竜騎兵"を二部隊投入します」

『いいだろう。陣中央に、足下の奇襲に気をつけるように伝令をしておけ』

 頷いて、部隊中央、鎧を纏ったエクバートのアイコンをタップする。

「エクバートさん。魔物の別働隊が動き始めました。魔香のワームによる足下からの攻撃に注意してください。こちらでも確認して、警告を出します」

『魔獣使いか。了解、指示通りに動くぜ』

 もう一度画面を全景に戻し、それぞれの部隊の損耗率を確かめる。六万の軍勢のうち、死者は三百名ほど、一パーセント以下の被害に過ぎない。

 中央のオーガは善戦しているが、それを両翼で支えているゴブリンたちの数が、少しずつではあるが減少している。

「魔法科の全員に通達。精神の疲労を覚えたものは、直ちに衛生兵へコールを。無理な攻撃は控え、前線の歩兵隊を障壁で支えるのに専念してください」

 たとえ相手が持久戦に持ち込んできたとしても、魔法兵の精神力は随伴している衛生兵が回復させている。もちろん、その力にも限りはあるが、この調子で削っていけば、先に崩れ去るのは向こうだ。

 康晴は静かに、敵の数の減っていく盤面を見つめ続けた。

 


「無理に当たろうとするな! 脇をかすめるようにしてかき回してやれ!」 

 手綱を引き、逸ろうとする馬の足をいましめつつ、ウィルが号令を怒鳴る。

 その周囲で土ぼこりが上がり、馬のいななきとは別の異様な鳴き声が横溢していた。

 乳牛ほどの大きさにまで膨れ上がった、巨大な猪。鼻を鳴らし、きしる様な声をあげて辺りを走り回る。

「くそぉっ! 貴様ら! 逃げてないで掛かって来い!」

 その上にまたがるのは、普通に見るオークたちよりも遥かに引き締まった体躯の、獣面の魔物たち。先に鉄の鉤爪かぎづめをつけた武器を持ち、こちらに追いすがろうと、必死に乗騎を操っている。

「挑発に乗るな! ブタどもの鼻面を引っぱたいて、引きずり回してやれ!」

 筋肉と重量で全てを蹂躙する牙乗りは、モラニアで魔物を相手にする者にとって、魔獣と等しい脅威として知られていた。一度暴れだしたら、小さな村の一つや二つ、一日で地図から消し去ってしまうほどの。

「乗り手でなく猪を攻めろ! 斬らずともいい! 視界を塞ぎ、じらし、激昂させろ!」

 号令と共にウィルが曲刀を振り下ろし、岩のような猪の鼻面に血の筋が走る。

 途端に泡を吐きながら獣が暴れ狂い、上に乗ったオークが手綱捌きで手一杯になった。

「今だ! かかれ!」

 浮き足立ったオークに無数の剣が閃き、血まみれのかばねになって大地に転がる。痛みと血に狂った猪の蹄が、主人であったものをめちゃくちゃに踏みしだいてしまう。

「深追いするな! それぞれの進路を確認しろ! 目や耳だけでなく《タグ》の指示に従うんだ!」

 猪たちがでたらめに動き回る中、こちらの騎馬は鉢合わせて衝突するものも、すれ違いざまに接触するものさえない。

 《ドッグタグ》の導きによって、それぞれに適切な距離が指示される。乗り手たちはひたすら、剣を振るうことに集中しているだけでいいのだ。

 すでに牙乗りたちは戦闘する意欲さえ失われ、己の猪を立て直すことで手一杯。その隙を突いて、味方が次々と乗り手を落としていく。

「……全く、牙乗りをここまで翻弄できる日がこようとはな」

 突然、戦場に空白地が生まれる。敵が追い散らされ、部下達が猪たちを追討する姿を見つめられる中心に立ち、ウィルの心が僅かに過去に立ち返る。

 リミリスの辺境伯として領土を治めながら、牙乗りに領土を蹂躙された記憶。こちらの騎馬を苦もなく打ち破り、馬防柵を踏みにじって城下を荒らしていた連中が、悲鳴を上げて逃げ回っている。

 だが、

「全員深追いするな! 《タグ》の指示に従い、適宜な距離を保て! 攻勢に浮き足立てば足をすくわれるぞ!」

 戦場に感傷も思い上がりも必要はない。そも、前回の部隊移送の失敗を雪ぐために、自分達はこの場にいるのだ。

『右翼、ウィル隊。森に伏せていた魔物が動き始めました。投擲武器を使う一団です。攻撃を一時停止して回避に専念してください。竜騎兵を援護に回します』

「了解しました。『全員、回避専念、竜騎兵が来るまで持ちこたえろ!』

 最後の一言は《タグ》を通して命令する。普段の指示は口頭で行い、重要な指示は外部に漏らさない。こちらは正確な情報を把握し、敵には欺瞞を与える。

 徹底された戦術を駆使しながら、ウィルは新たに襲い掛かろうとする魔物の投擲部隊を睨みすえた。

「全員気を抜くな! 矢弾を避けることに集中しろ!」



 まるで曲馬師にでもなったようだ、ラザブは手綱を握りながら苦笑する。

 部下達が共に円を描いてリザードマンの周囲をめぐる。相手は時折手槍を投げつけてくるが、遠巻きにして走り回っている以上、そうそう当たるものではない。

『まさか、このまま私たちは敵の周囲を走り回るだけですか?』

 後方で隊列をまとめている部下が、不安そうな声を上げる。中央のトカゲ達は武器を剣に持ち替え、その機動力を生かして切り込んでくる体勢をとりつつある。

「まだ待て、勇者殿の指示が」

『円陣の敷設を確認しました。相手に覚られないよう、こちらで選出した騎馬を縦列四名の攻撃部隊として編成します。一撃離脱を行ってください』

「了解しました。『聞こえたな! 勇者殿に選出されたものから切り込め!』

 《ドッグタグ》が光り、輪の中から唐突に一列になった騎馬が中央のリザードマンに襲い掛かる。曲刀を振り下ろし、すれ違いざまに斬りつける。

 だが、敵はその一撃を弾き飛ばし、油断なくこちらの一撃に備え始める。

『攻撃を防がれるのは想定内です。次の部隊、攻撃を開始してください』

「怯むな! そのまま攻撃を続行しろ!」

 円陣から外れた攻撃隊が再びリザードマンに殺到。攻撃は苦もなく弾き返される。

 だが、休む間もなく次の一団が襲い掛かり、更にその後を継いで別の一団が襲う。

 次第にトカゲたちの動きに余裕がなくなり、その場に踏みとどまり、こちらの攻撃に備える形になる。

『敵中央に突撃。攻撃ではなく、相手を分断するこが目的です』

「了解」

 自分の胸元に光が灯り、ラザブは拍車を掛けて、手にした槍を脇構えにする。

「全員、つづけぇっ!」

 号令と共に、トカゲの群れに一気に突っ込んでいく。同じく突撃槍を手に、部下達が一丸となって群れへ殺到した。

「散れっ!」

 トカゲ達は見事な動きで身を翻し、こちらの進路から逃れる。だが、自分達が突撃した後を、曲刀の軽騎兵たちが襲い、逃げ遅れたリザードマンの何人かを斬り屠った。

『そのまま円陣の分割を続けてください。ラザブ隊長は敵への突進を続行お願いします』

「了解です!」

 すばやく反転すると、そのまま敵の群れを再び分断する。大きな円の中にいくつもの小さな仕切りが出来上がり、リザードマンたちが人垣の中に孤立していく。

『全員速度を維持したまま、攻撃隊と包囲隊に分かれて行動してください。個々の能力は高いですが、多勢で当たれば問題はありません』

 勇者の冷静な采配によって、本当に曲馬師がするような芸当が完成してしまう。

 まるで魔法、いや、これが神の力なのか。

『後はお任せします。相手に動きを読まれないよう、なるべく同じ攻撃隊を突進させないようにしてください』

「はい」

『森に伏せた敵の魔獣が、包囲を破るために手を出してくると予想されます。その場合は無理をせず離脱し、こちらの指示に従ってください』

 指示も端的で分かりやすく、まさに天啓とも言うべきものだ。大陸の魔獣相手に常勝無敗を誇っていたというが、これならば納得も行く。

「壁役のものは隊列を乱さず速度を維持! 森から魔獣が攻撃してくるおそれがあると注意があった、警戒を怠るな!」

 もちろん、勇者にばかり頼っているつもりはない。前回、村の倉庫に火をつけたのは魔物側に組した邪神の手によるものだと聞いた。

 神同士の戦いを、自分達が下で支える。そうした協力が大事だと、軍師も言っていた。

「攻撃隊! タグの指示に従い前へ!」

 ラザブの指がタグの上で踊り、壁役の中から騎士たちがリザードマンへ襲い掛かる。

 切り裂かれていく鱗の肌を冷静に見つめ、ラザブは会心の笑みを浮かべた。



『両翼の状況はこんなところだ、他に聞きたいことは』

 女神の切迫した口調に、ベルガンダは逆に肝が据わるのを感じていた。

 不利は最初から承知、シェートから聞いた策も、限りなく無謀という他はない。

 それでも、胸を張って全てを見据えた。

「ゼビネの投擲隊が動いたそうだが、左翼方面のパロクトは?」

『お前の命令を待って魔獣たちを控えさせている。だが良いのか? 合図もなし飛び込んだ連中は』

「ゼビネはああ見えて血の気が多い。普段はすかしているが、仲間の危機には黙っておられん奴だ」

 だからこそ、牙乗りの援護に連中を回したのだ。血の気は多いが、判断力も優れているゼビネなら、ファゴウたちが体勢を整えるきっかけを与えてくれるだろう。

 クナ・ナクラたちは言うには及ばない。追い詰められてはいるが、それでも必ず何とかしてくれるという確証がある。

「ベルガンダ様! 敵が!」

 こちらと槍を交わしていた連中が、ずしりと、一歩を踏み出した。

 その足に力を込め、槍を突き出してくる。

「うぐぅっ!」

「あぎいいっ!」

 穂先を避けそこなった連中が突き崩される。血まみれになった者達が大地に崩れ落ち、その死体を足で押し出すようにして、敵が迫る。

「大将っ! あいつら、どんどんこっちに!」

「うろたえるな! 俺が良いというまで、何としても押し負けるな!」

 そう言いながらも、斧を持つ手に力がこもる。今すぐあの穂先に躍り出て、連中を蹴散らしたい。

 だが、全軍を預かる将となった今、ただの武人ではいられない。

 この場にいる全員を信じ、そして好機を待つしかない。

 だが、それがいつ来るのか。

「進め! 魔物どもを押しつぶし、奴らの血を神に捧げるのだ!」

 どうっと、すさまじい地鳴りが起こり、穂先が一斉にこちらの戦列を突く。

 味方からすさまじい悲鳴が上がり、前面に立っていた者が倒れ伏す。

「畜生っ! 押せっ! 何としても押し返せ!」

 先頭に立ったウディクたちオーガが苦しげな声を上げる。手にしたトッパはすでに砕けて、両腕を血まみれにしながら、敵の盾と障壁を殴り続けている。

 まだなのか。

 牛頭が苦悩にゆがみ、敵の前に飛び出すべく、筋肉を怒張させた。

 その瞬間。

「親分!」

 誰かの呼び声と、蒼空に二本の鏑矢が打ち上げられたのがほぼ同時。

 長い吼え声と、獲物を見つけた叫び。

 右翼の端、その音色に込められた意味を読み取り、魔将は号を放った。

「よおし! 今が潮だ! 全軍、後退せよ!」


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