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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~Warmonger編~
71/256

17、開戦

 辺りに、白く濃い霧が立ち込めている。

 夜も明け、山の端から朝日が差す直前のこの時間に、周囲の山々が山気と共に吐き出す濃密なそれが、鎧の表面で水玉を作っている。

「……村の連中は、もう全員避難したか?」

 ポローは誰に言うとも無く、声に出していた。

 白一色の世界のあちこちに、ぼんやりとかすんで見えるのは、小さな家や納屋の輪郭。

 この時間になれば、納屋の中から鶏や豚が餌をせがむ鳴き声や、釜場へ向かう女達のそぞろ歩く気配もあるはずだった。

「安心しなよ、隊長」

 その代わり、軍靴の硬い響きと共に、メシェが霧の中から姿を現した。

「もう一度見回りしてみたけど、誰も戻ってきちゃいなかったよ。それに、あたしらがケツをひっぱたいて追い出したんじゃないか、死にたくなかったら村を捨てろってさ」

「ああ」

 古王国カイタルの国境線近く、セダス山脈北部の村、カイトラ。

 両脇に山脈をはさみ、背後にガイ・ストラウムを臨む小さな村、だった場所に、自分達は立っている。

 いくつかある北上の進路の内、カイトラを通るのが最も近いために選択されたのだが、そのことが、この長閑のどかな村を、事実上殺すことになった。

 魔物たちの進攻は思ったより早かった。

 ペルレイ村にこだわらず、こちらの本隊を追うべく、山の中をほとんど休息も取らずの行軍で、こちらを一日までの距離に詰めて来ている。

 結果として、その途上にあるカイトラ村は、勇者の命によって接収され、その全てを放棄させられた。迎撃するにしろ、無視して進むにしろ、防壁もない小さな村は、こちらの足かせにしかならない。

「晴れてきたね」

 朝凪の時間が終わり、急激に霧が消えていく。森と山に囲まれた地形が生み出す、気象の変化だ。そして、視界が取り戻されると同時に、状況が分かってきた。

 そこが村であったと思えないほどに、全ては更地になっていた。

 畑の麦や野菜はきれいに刈り取られ、あるいはつぶされて、踏み固められている。

 いくつかの家屋は宿舎代わりに残されているが、ほとんどは叩き壊され、残った石や材木は即席の防壁として使われてる。

 中央の広場には数百を越える幕屋が群れ生え、その中心にひときわ巨大な勇者の陣屋が建てられていた。

 巨大な幕屋からはかすかに香の煙が流れ、周囲に僧服を纏った連中が額づいて祈りを捧げてている。

「必勝祈願の祈りだってさ。これ以上何を祈ろうってんだろうね」

「念入りなのは良いことさ。こっちが死ぬ目に合わないようにってんなら、尚更だ」

 すでに、勇者が何をしようとも、気にするつもりはなかった。人間らしい感情を交わす余地など最初から無かったのだ。


『全軍に通達。直ちに戦闘準備。各員は部隊長の命に従い、戦闘配置に就くよう。迅速かつ正確な行動を厳守せよ』


 胸の《ドッグタグ》が輝き、命令が流れ過ぎる。すでに起床し、朝食をしたため終えていた友軍が、鎧の音共に天幕を抜け出てきた。

 鉄兜に鎖帷子の歩兵達が、外に掛けてあったパイクと盾を手に、部隊長に習って村を出て行く。その後を追うように、槍に似た儀仗を手にした魔法兵たちが、きびきびとした動きで進んでいく。

 その誰もが、ほんの数ヶ月前まで、ただの農民や町の職人の息子、流民の類であったのを覚えている。厳しい訓練と、勇者の加護によって、今や魔物を苦も無く討ち滅ぼす大軍の一員となっていた。

「もしかすると、あたしらもあそこにいたのかもね」

 同じ感慨を感じたのか、メシェが不思議な表情でつぶやいていた。

「お行儀良く槍をしごくなんてまっぴら、とは今でも思うけどさ。でも、あれも一つの力なんだよね」

「……そうだな。いくら俺達が強くなったとはいえ、あの群れと正面切って戦えるとは思えない」

 それが素直な感想だ。

 確かに、巨獣討伐隊の連中は、異世界の勇者と同じ性能を与えられている。それぞれに特殊な能力があり、ただの歩兵よりは確実に強い。

 だが、あの歩兵の群れ百人を相手取り、その陰に隠れた魔法兵の攻撃を捌き切ることはないだろう。

「戦争において、数は力だからね。兵士の多さが勝敗を別つのさ」

 いつの間にか背後に立っていたディトレが注釈を加える。遅れてレアドルとファルナンも行軍を開始した自軍を眺め始めた。

「斥候の話じゃ、魔物側は四万ってところだそうだ。うちは六万越え、数の上じゃ、確実に有利だな」

「そうかい? 例の魔将、騎士様を皆殺しにする勢いだったそうじゃねえか。あんまり楽観も出来ないかもなぁ」

 巨漢と痩せの二人組が陰気に笑い、ポローはそれを聞き流しながら、次第に形成されていく陣容を見つめた。

 村の前に広がる平野向かって、防壁の間から二列に並んだ人間達が進んでいく。地を踏みしだく、軍靴の音も高らかに、整然と進む無敵の軍隊。

 胸元のタグの輝きにしたがって、列を作っていた連中が左右に分かれ、特定の場所で止まる。その隣に、その目の前に、新たな兵士が整然と進み出ては止まっていく。

 瞬く間に、人々の列が巨大な砦に変化していた。

 天に突き出された長大な槍が、林を作り上げる。その内側に隠れて見えないが、魔法兵たちも同じように、杖を掲げていることだろう。

 人間の壁は、村の防壁よりも遥かに横に長く、そして分厚かった。

 歩兵が整列し、待機していた騎馬が、その後を追う。

 鎧に突撃用の槍を構えた騎士達が最初に現れ、面頬を下ろして左右に散っていく。

「あいつらの格好、どうしたんだい?」

「さっき言ったろ、魔将の攻撃で全滅しかけた部隊の連中だよ。勇者様に言って、あれだけは押し通したらしいぜ」

外様とざまの騎士どもか。ご苦労なこったね」

 メシェとファルナンの揶揄は聞こえなかったろうが、面を下ろす前の彼らの顔はどこか不満そうだった。この軍では旧来の方式はいらない、そのことに納得できない騎士の矜持があんな形で表に出たのだろう。

 その次に現れたのは、軽い皮鎧に長い曲刀を下げた軽騎兵たち。勇者軍で、騎兵と言えば彼らのことを差す。

 鎧と槍で身を固め、速度と重さで相手を押しつぶすのではなく、剣ですり抜けざまに斬りつけ、薄皮をはぐように敵の数を殺ぐことを目的としていた。

「鎧が薄いのは恐ろしいが、その場から逃げてしまえば、攻撃されることも無いしな」

「それに、あの騎兵だって時代遅れになるって話だよ。ほら、あれ」

 最後に、騎乗用に使える杖を携えた竜騎兵が現れる。

 数こそ少ないが、大魔法を敵前線に叩き込める彼らの存在は、戦争などは無縁だった自分達にも、革新的なものと理解できた。

「『三兵戦術』だっけか。本当に、ガキの陣取り遊びみたいな話だな」

 兵士を駒のように扱い、役割を分担し、お互いの性能を生かしあう。

 それを操る勇者は、闘争の怒号も末期の悲鳴も、血と汗と死にまみれた戦場も知らぬまま、淡々と指示を降らせていくのだ。

「それでも成果が出ちまう。神様の力の程、いかばかりか。ってところだな」

「欲を言えば、世界がこんな風になる前に、ご自慢の力で魔物を滅ぼしてくれれば良かったんだけどね」

 ディトレの指摘に、それぞれが皮肉な笑みを浮かべた。

 勇者と神の力を目にしたものが、誰でも抱く疑問。そして批判。

 もちろん、軍師や神の自身の言葉によって、神と魔の戦いの理由は聞かされている。

 だが、誰しもがうすうす感づいているのだ、それが欺瞞であることも。

「それも今更だろ? こうして俺達は勝ち馬に乗ってんだ。迷惑掛けられた分、たっぷり返してもらえばいいのさ」

「……そうだな」

 勝ち馬、という一言に、ポローはふと思い出していた。


『俺、力欲しい、思わない。俺欲しいの、違う』


 整列し、全てに立ちふさがる勇者の軍。

 その向こうに、あのコボルトはいるのだろう。

「くだらねぇんだよ。無くなったものを、思い続けるなんて」

 結び合わせた口元から、もれ出た声の苦さに、我知らず驚く。

 それでもポローは、きっぱりと言い放った。

「俺は、力を手に入れる。失ったものの代わりにだ」

 整列は終わった。

 平原に広がり、自らの武力を誇示する軍は、侵されざる不壊の防壁となって、微塵も揺らぐ気配を見せなかかった。

 まるで、ポローの思いを支えるように。



「なんという、規模だ」

 ベルガンダは、自分の喉が、思わず弱音を漏らすのを聞いていた。

 小高い丘の上から見下ろした勇者の軍に、本能が素直な感想を告げさせる。傍らに立ったコモスが苦笑し、自分を挟んで反対に立つシェートが、ぎょっとした顔になった。

「あれを見て怯えを感じない方がどうかしているぞ? まさかお前、俺を恐れ知らずの狂戦士か何かと勘違いしているのか?」

「……違う。ただ、お前、そんな顔する、初めて。すこし、驚いた」

「それはともかく、見れば見るほど嫌になる布陣だな」

 シェートを連れての逃避行のとき、槍と盾とで作られた"テルシオ"の威容は、自分の中に脅威の念を呼び起こした。

 だが、眼前に広がるそれは、あれとは比べ物にならない。

 人が多すぎる。

 視界の端までどこまでも人壁が続き、楕円を描くように囲んだ盆地の山々の、端まで届きそうだ。

 六万という数字の威力を、まざまざと見せ付けられる思いがする。その上、盾壁の前には騎士たちが一塊になり、いつでもこちらに飛び出してこれる形を作っていた。

「真っ向から迎え撃つ、という形ですな」

「会戦のための布陣。どこからでもかかってこい、というわけだ」

「その隙に連中を迂回し、一気にガイ・ストラウムに進発するというのも手ですな」

 コモスの言葉は、どこまでも厭戦に満ちていた。勇者軍と違い、一度損耗した兵を補充するのには時間が掛かる、副官として当然の判断だろう。

「分かっていて言っているんだろう? 連中が村一つをつぶしてあそこに陣取ったのは、俺達の迂回よりもすばやく、王都へ向かうことが出来るからだ」

「ええ。十分承知しております。だからこそ腹立たしいのですよ。こうなってしまったことがね」

 目をすがめ、強烈な怒気を込めてコモスがシェートを睨む。さすがのコボルトも、その視線にさらされて、全身の毛を緊張でぶわっと逆立てた。

「だが、コモスよ。ああして会戦に訴えた、ということは、俺達にとっても絶好の機会と言えるのではないか? 勇者が野戦に顔を出すことは、これを逃せば決して無いだろう」

「ここまでの間、我々が大きな戦をほとんどしてこなかった故ですよ。中央大陸で鳴らしたといえ、ここでの勇者軍には、はかばかしい戦果が無い。ここで我らを一気に叩き、その武名で以って三国を臣従させる腹積もりでしょう」

 つまり、お互いの利益を心算した結果、この会戦は成ったというわけだ。

 外的な要因があったにせよ、いずれはこうした戦いがどこかで起こっただろう。

「とはいえ、闇雲に戦ったところで、あの盾の壁に押しつぶされるだけでしょうな」

「力押しで勝てぬことなど、最初からわかっていたことだ。コモス、皆を集めろ。シェート、その身に蓄えた策、余すところなく吐き出してもらうぞ」

 二人の部下は思い思いに頷き、その視線がわずかに絡み合った。

 シェートは強く警戒し、コモスは、何も言わずに背を向ける。

 程なく、牛頭魔人の将の前に、身支度を整えた部下達が勢ぞろいした。

「シェート、ここにいるのが俺の部下たち、あるいは共に戦うものたちだ。すでに知っているかもしれんが、細かく説明しておこう」

 もちろん、シェートにではなく、今も固唾を呑んで見守っている神々に対しての言葉だが、あえて修正は加えない。

「まず、お前も知っているコモス。俺の第一部隊についで兵力の多い、第二部隊を受け持つ。両軍とも正規兵はゴブリンが中心だが、オークとホブゴブリンも含めた混成部隊だ」

「……私の軍には呪術や魔法を習得しているものも多い。勇者軍ほどではないが、魔法による援護が可能だ」

 すでにコモスの顔に迷いは無い。シェートを出来る限り利用し、その上で勝つべき策を巡らせているのだろう。

「次に、クナ・ナクラ。ここに来る前、一度手合わせしたようだったが?」

「俺、ぜんぜん敵わない。やっぱり剣、苦手」

「とはいえ、コボルトにしてはよくやった方だ。その点は誇ってもいいだろう。クナの男に二度、渾身の剣を振らせたのだから」

「クナ・ナクラは第三軍、クナ族五百と、新たに参入したラーガン・カーのラーガン族千を加えた千五百で動く」

 緑のリザードマンの後ろに控えた、赤い鱗の男は、不満の顔一つ見せずにこちらの命に頷く。クナとラーガンの一族は敵対関係にあったらしいが、勇者という外患によって結束を果たしたと聞いた。

「ゼビネ、投擲と弓の部隊はどうだ?」

「ああ、大分ましになったぜ。弓の質が良くなったのは、確実にその犬コロのおかげだ」

 短剣や投石、弓の腕では右に出るものがいないとされるホブゴブリンは、素直にシェートの業績を褒めていた。

 砦にシェートを招き入れてから、剣の指導と平行して聞き出していた複合弓の製法。本人は不満そうだったが、そのおかげで魔物たちのシェートに対する印象は、かなり良くなっている。

「第四部隊、ゼビネは投擲部隊を率いる。幸い、敵の歩兵は防御より機動を優先しているようだ。こいつらの石投げや弓もかなり有効だろう」

「期待してくれていいぜ。ばっちり連中に風穴を開けてやる」

「風穴と言えばウディク、部下達はどうしてる?」

「ついさっきおとなしくさせた。とはいえ俺も、今すぐ敵陣向けて飛び出していきたいのだがな」

 獣の頭骨と毒々しい刺青で装飾を施した、オーガの呪術師は、その巨椀で軽々と丸太を持ち上げて見せた。

「第五部隊、オーガは三千ほど今回の戦に同道している。トロールと並ぶ、我が軍の打撃力の要だ」

「うちの連中は、ほとんどがまじないを得手にしている。ただの腕力自慢と思うな?」

「お、おれたち、じゅんび、できてる。いつでもいける」

 青い肌に禿頭のトロールも、オーガに張り合うように言い募る。その腕や足には鉄の小手とすね当てを身に着けていた。

「お前達、何か着る、嫌がる、違うか?」

「たいしょう、めいれいだ。かたいのつける、おれたち、もっとつよくなる」

「俺が厳命しているのだ。トロールの再生力は防具をつけることで更に厄介になる。その上でまじないを掛けておけばどうなる?」

 感心したようにシェートが頷き、トロールの足元でくつろぐゴブリンに声を掛けた。

「ボルンゾのお守りは任せたぞ、ラミブ」

「お任せを! 俺達さえしっかりしてりゃ、このでくの坊どもも、ちっとはお役に立ちますよ!」

「らみぶ、うるさい。だまらないと、とってくう」

 にわかに騒がしくなった部隊長の集まり、その隅にフードを被った姿を認めて、ベルガンダはそちらに向き直る。

「パロクト、今回初めて従軍させる。蟲使いにして魔獣使いだ」

「……ああ」

 しわがれた声がもれ、わずかにローブが頷く。その途端、周囲にかすかな腐敗臭が漏れ出した。

「以前、離反した部下に毒を盛られて以来、体が腐る病にかかったままでな。後方で待機せよと言ったのだが」

「私、の、魔獣……蟲、達、お役に立てる、またと、ない、機会」

 ここまで生き長らえたのが不思議なほどのゴブリンの術師は、おそらく己の命の終をこの戦に見出したのだろう。それ以上何も言わず、楽にするように命じる。

「これで後は、ファゴウの率いるオーク隊を残すだけだか」

「"牙乗り"たちは乗騎をなだめるので手一杯だそうです。戦となればすぐに駆けつけると言っておりました」

 野生の大イノシシを乗りこなす力を持つ、"牙乗り"の一族は、オークの中でも特異な部族だ。独特な吼え声を使い、気性の荒いイノシシたちを手足のように扱い、魔物の中でも排他的な性質を持つ。

「どいつもこいつも癖は強いが、勇者の兵士どもに引けは取らんと自負している。後は、こいつらを勝利に導く策のみだ」

 むき出しの笑みのまま、コボルトに顔を近づける。

 その向こう側にいるだろう、取り澄ました神々に挑みかかるように。

「魔将ベルガンダ以下、四万二千の魔物を手足の如く使い、あの鉄壁を貫く策を授けてみせよ!」



 牛頭の威圧を真っ向から受けて、シェートは必死に顔を繕うしかなかった。

 気がつけば周囲の部隊長達も、期待を込めてこちらを見つめている。

『まったく気楽に言ってくれるものだな。なぁ? シェートよ』

 とても楽しそうな声音の竜神に恨み言の一つも投げたくなるが、ここでうろたえてしまうわけにはいかない。

『それにしてもまぁ、雑多な連中だ。精強ではあるが、それはあくまで常識の範囲内でのこと。古今の軍事知識をこれでもかとぶち込み、神規と魔法で補強を施した、チートオブチートに対しては無力も同然よ』

 とてもベルガンダたちに聞かせられないようなことを、悪知恵の神はべらべらとしゃべくっている。

「どうした、この期に及んで無策で吶喊とっかんせよとでも言うつもりか?」

「ち、違う! ちょっと待ってろ!」

 周囲の圧力が、期待から苛立ちに変わり始める。ベルガンダさえ、その瞳にうっすらと怒りの気配をにじませ始めた。

『まぁ、じらすのは止めておくか。シェートよ、儂の説明するとおりに言ってやれ』

 紛糾する魔物の様子を楽しんだ竜は、喉で笑いながら、ようやく知略を降らせ始めた。

「今回、魔物軍、絶対崩れないこと、一番大事」

「いきなり要点だけを言われても分からんぞ? 順を追って説明してくれ」

「"テルシオ"、守る力、すごい。でも、動く、遅い。それと、一度に戦える奴、すごく少ない」

 シェートは地面に小枝を使って巨大な四角形を描く。その角に小さな四角を書き、さらに小さな丸を側面に添えた。

「これは、連中の陣容か」

「よく見ろ。テルシオ、戦う兵士、一番外だけ。あと、後ろ、二人分ぐらい」

「なるほど。言われてみれば、六万を全て相手にするわけではない、ということだな」

『馬鹿者、そこで説明を止めるな。最後までちゃんと言わんか』

 魔物たちの安心を見て取ったのか、竜神は厳しい叱責を含めて注釈を降らせた。

『テルシオの兵士は、全てが待機状態だ。前の兵士が倒れれば、後ろの兵士がその穴を埋めべく進み出る。倒しても倒しても現れる人の壁、それこそがあの陣形の真の力だ』

「……一回に相手する、少ない。でも、それ、何十回、何百回繰り返す、どうなる?」

「まさか、絶対に崩れるな、というのは……」

「進む、"テルシオ"、押し返す、誰も下がらない、そういう部隊、まず欲しい」

 あの巨大な物量に対して、怯まず押し返せる部隊。魔将の視線はオーガとトロールに向けられた。

「そいつら、真ん中すえる。その脇、回り込む敵、止める役、いる」

「それは私の部隊で何とかしましょう。それに、あの壁の向こうから放たれる魔法にも対抗する方法が必要でしょうから」

「むしろ俺の部隊も含め、出来うる限り、連中の圧力を均等に抑えられるようにしたほうが良かろう」

 ベルガンダも手に小枝を取り、テルシオに相対する形で布陣図を書き始めた。中央をオーガとトロールの混成部隊が受け持ち、その両脇をコモスとベルガンダのゴブリンたちが横に連なって支えていく。

『"牙乗り"とリザードマンの剣士たちは遊撃部隊として戦ってもらう。目的は騎兵の霍乱と抑止、それに両翼の側面攻撃だ。特に"竜騎兵"は見つけ次第倒しておくのだ』

「敵の騎士、"竜騎兵"、倒す役、リザードマン、"牙乗り"、頼む。できるか?」

「騎兵相手にクナの剣を揮えと言うのか……中々粋な真似をしてくれる」

 テルシオの四隅に書かれた、騎兵を示す小さな四角に、リザードマンたちの部隊が配置されていく。

「だがよぉ、これじゃ五分と五分には持っていけても、数が少ない俺らじゃ、あっという間に押しつぶされるぜ?」

『シェートよ、魔獣と蟲の種類について詳しく聞け。それと、そのはしっこい投げナイフ使いと、部下の足の速さもな』

 コボルトの問いかけに、蟲使いとナイフのホブゴブリンは、それぞれの答えを返す。

「さすがにクナ族やイノシシには負けるが、それなりに早いつもりだぜ。心臓が三十打つ間くらいなら、全速の馬と並んで走れるな」

「魔香のワーム、炎魔犬、ストークス、だいた、い、四、五十、づつ。蟲ども、鎧鱗蟲、山海栗、錆喰い、吊り蜘蛛、百、くらい。あと、将軍の、乗騎に、ワイバーン」

『これなら奇襲と罠の両面作戦で活躍させられよう。では、次の指示だが』

 地上の配置図に新たな策が加えられ、着々と布陣が進んでいく。役割を与えられた隊長たちは部下や相棒に図面を書き取らせ、あるいは頭に叩き込んでいく。

 だが、まとまり掛けた軍議に、コモスはおもむろに大岩を投げ込んだ。

「ところで、ベルガンダ様。シェートはどこに配置されるおつもりですか」

 思わず陣形図から顔を上げ、副官の顔を見つめてしまった。

 平静そのもでありながら、両目に強い意志を宿して、コモスはこちらを睨む。

「確かに、提案された軍略は見事なものです。ですが、口は出しても手を出さない、などという柔弱な者は、我が軍に必要ありません」

 コモスの思いは痛いほど分かっている。これ以上、女神の勇者を自由にさせまいと、何らかの枷を掛けるつもりなのだ。

「案ずるな。そいつのいるべき場所は、もう決めてある」

「足の速さを生かして、ゼビネの投擲部隊にでも組み込みますか?」

「お前は俺の側だ、シェート」

 途端に、コモスの顔色が変わった。周囲の連中も、異様な空気を察して、成り行きを見守る構えになる。

「勇者の軍から、俺をしとめるための奇襲部隊を送ってくる可能性もある。こいつの破術と女神の目で、それを防いでもらおうというのだ」

「……それが、どういう事態を招くか、分かっておいでなのでしょうな」

 今回の戦争に、勝者はいらない。

 竜神の出した結論を聞いたとき、シェートは震えた。

 どちらの軍も壊滅させ、なし崩しに力をそぎ落とす策は、非道のようにも思えた。


『だが、こんな巨大な軍が暴れまわる事態が続けば、疲弊するのは民だ。戦争ごっこがしたい将軍を狩ってしまえば、あとは三国の騎士や傭兵どもでも何とかなるだろう』


 勇者軍の勇者は、圭太がしとめるという。そして、自分の役目は、目の前の牛頭魔人を倒すことだと言われていた。

 その機会を、魔将は自らの意思で、こちらに与えてきたのだ。

「二度言わせるな。シェートは俺の側に置く」

「では、せめて私もお側に」

「コモス」

 太く重々しい息を吐いて、ミノタウロスは副官を片手で制した。

 そして、こちらに向き直る。

「シェートよ。頼みがある」

「……なんだ?」

「この戦の間、俺と共に在ってくれぬか」

 それは囁きに近い声だった。

 優しく、哀願するような響きさえこもっていた。

「神々の策、確かにかの軍にも通用しよう。なれど、敵もやはり神。互いの力が拮抗すれば、俺の軍はおろか、俺自身も木っ端の如く、消し飛ぶやもしれん」

「そ……」

 口を開きかけ、シェートはその後に続くはずの言葉に、めまいを感じていた。

 そんなことはない、相手の弱気を諌める一言が、自然と湧き上がってくる。

「だからこそ、この戦、全身全霊で挑みたい。先の敗北を雪ぐためだけではない、俺の力を、思う存分揮ってみたいのだ。俺の育てた部下と共に」

 声は平明なままだった。

 強めたわけでも、大げさな身振りを入れたわけでもない。

 それでも、ベルガンダの声は、胸のずっと奥まで響いていた。

「お前達が、この戦で何をしようとしているのかは知っている。それを承知で頼む。この戦が終わるまでよい。シェートよ、俺と共に在ってくれ」

 頷く謂れは無い。

 魔将の命がこの戦で消し飛ぶなら、それでもいいのだ。そうすれば、暗殺などという陰惨な手段を取らずに済むのだから。

 わずかにためらい、シェートは、口を開いた。

「分かった」

 誰かの深い安堵が、見守る集団から漏れる。

 魔将は、ゆっくりと頷いた。

「感謝する」

 真正面から、シェートはベルガンダを見つめた。

 体の内側を、じりと焦がす何かが、湧き上がっているのを感じる。

 あの時酌み交わした火酒のような、芯を熱くする感情を。

「その代わり、俺も、頼む」

「なんだ」

「この戦い、終わる、その後、お前、俺と戦え」

 言葉が疼きを呼ぶ。胸の奥にこだまする、敵であるはずの男への、親愛の情に。

 それでもシェートは、自分が何であるのかを忘れることは出来なかった。

「魔将、ベルガンダ。俺、狩る」

「よかろう」

 そこで初めて、牛頭の魔人は笑った。屈託の無い、心からの笑顔を浮かべて。

 その全てを受けて、シェートも笑った。

 あらゆる物に、挑みかかるように。



 水鏡の前で一部始終を見ながら、サリアは微笑していた。

 シェートの心が、魔将に傾きつつあるのは知っていた。それでもなお、何も言うつもりもなかった。狩りの仲間は一心同体、口には出さずとも、ガナリの言葉一つに従うのがナガユビの役目なのだから。

 ただ、傍らにいる竜神には、その思いは伝わらなかったらしい。厳つい顔を更にしかめて、つくづくと嘆息してみせる。

「もうね……バカかと、アホかと」

「申し訳ありません。せっかくの策を台無しにしてしまいました」

 とはいえ、この展開を予想していないわけでもなかったらしい。口調の軽さからも、彼が思いのほか不機嫌でないことを感じ取っていた。

「知らんぞ、儂は。言っておくが、たかだか二ヶ月弱の修練程度で、ベルガンダとの実力の差は埋まらぬからな。あんな衆人環視の中、大見得を切りおって……あれでは、罠にかけてはめ殺す手も使えんえではないか」

「二つの軍の激突は、もう避けられません。ならばせめて、今後の戦いを、謀略によるものではなく、私達の納得の行く形で終わらせたいのです」

「欺瞞だな。これからおびただしい血が流れようとするときに、己の心の在り様を第一にするのか?」

 そんなことは分かっている。だが、自分もシェートも、最後にはそうした思惑を跳ね除けて、勝つ道を探してきたはずだ。

「それでも、その矜持を守らねば、我らの道理が立ち行かなくなります」

「矜持だけで自らの部下を危機にさらす、その愚かしさはあいも変わらずか?」

「意地や感情だけで成したことではありません。目算もあります」

 理想を語るだけに留まらず、実現するための手を打ち続ける。シェートの心の動きを踏まえて、サリアは更に推し進めた。

「ベルガンダとの一騎打ち、無事討ち果たせれば、暗殺よりもはるかに穏便に魔物の弱体化が行われるはず。あの場で決闘を宣誓することが、部下達への牽制になりましょう」


『俺、暗殺、そういうの、やりたくない』


 竜神の策を聞いた後、シェートは心情を漏らしていた。

 魔将の側にあって、自分の心が飲まれつつあることも、全て語ってくれた。その上で、サリアは提案していた。


『もし、お前にその気があるなら、奴に決闘を申し込め』

『……あいつ、受けるか?』

『分からない。だが、お前が真っ向から挑んで、逃げるようなものではあるまい』


 これからも勇者として、女神サリアの協力者であり続けるなら、ベルガンダはいつか討たねばならない相手だ。

 それが適うか、適わないかではなく、やるか、やらないか、それだけだ。

 シェートは結論を出した。

 自分と共に生きる道を選んだ。それ以上に何も望むことはない。

「なるほど……いつかの時よりは、少しはましになったか」

 揶揄してくる竜神の顔は、先ほどよりもぐっと柔らかくなっている。こちらの一騎打ちに裏打ちがあることを評価しているのは明らかだ。

 その時、サリアはふと、この場に現れていない、もう一つの存在を思い出した。

「そういえば、ケイタ殿の動きについて、まだ聞いていませんでしたね」

「……言うつもりは無いぞ。またぞろ策を台無しにされては敵わんからな」

 ぷんとむくれて、黄金の竜が顔をそらす。子供のようなその仕草に、サリアは失笑すると同時に全てを悟った。

「では、そちらはお任せしますが、こちらも動かせていただきます。知見者の陣を脅かせば、それだけ策をお助けできるでしょうから」

「小癪な物言いを。だが、事はそう簡単にはいかぬようだがな」

 それまでの和やかさは影をひそめ、竜の声が厳しさを含んで警戒を放つ。

『"斯界の彷徨者"ならびに"平和の女神"よ』

 そして、神座の扉の向こうから、"知見者"の呼び声が届いた。

『広間へ参られよ、我らの戦を始めようではないか』


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