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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~Warmonger編~
69/256

15、評定

 宿舎代わりに立てられた天幕の中で、ポローはじっと座り込んでいた。

 勇者から下された命令、敵対者としてのコボルトの排除は失敗した。正確な位置を教えられ、どのような対処をすればいいのかを教えられていながら、取り逃がしてしまった。

 突然の爆炎さえなければ、確実に殺せていたはずだ。

「くそっ!」

 コボルトを運び去った星狼は、どうやらあいつの仲間らしい。なぜそのことが作戦指示になかったのか。教えられていれば警戒のしようもあったというのに。

「ポロー隊長」

 気がつくと、入り口から衛兵の一人が顔を出していた。

「お休みのところ申し訳ありませんが、勇者殿がお呼びです」

「……分かった」

《ドッグタグ》越しに状況は報告しておいたはずだが、改めての呼び出しは珍しい。

 どうやら作戦失敗のお小言でも頂戴することになるんだろう。口元に皮肉な笑みを浮かべたまま天幕を出ると、連れ立って歩く仲間達に出くわした。

「おお、隊長も呼び出しか。ご愁傷様」

「当然だろ? こういうのは下っ端じゃなくて、作戦を指示してたやつが責められるもんだよ」

 不満げなメシェとファルナンの後ろに、愚痴を聞かされ続けたレアドルとディトレの苦笑があった。

 その全てをあえて取り上げず、町の中を歩き出す。

 ルハナンの町。盆地のほぼ中心に作られたどうということのない宿場町は、いまや勇者軍一向が投宿しているおかげで、まるでお祭りのような騒ぎだった。

 勇者の姿を一目見ようと集まった見物人や、軍に入隊を希望する傭兵、物売りの類が、すっかり日の暮れた現在も、往来一杯に溢れていた。

「すっかり見世物だねぇ。とはいえ、当の勇者様は馬車から出るなり宿舎におこもりだけどさ」

「そういえば、俺達も勇者と直に会うのはこれが初めてか」

 レアドルの一言に、皆は一様眉をひそめた。

「おかしな話だよね。声は聞いたことがあっても、どんな顔なのかさえ知らなかったんだもの」

「それが、気がつけば大層な部隊名付けられて、直属の部下として動いてるんだよなぁ」

「あんたら、あたし達より先輩なのに会ったことなかったの?」

「そう言わないでよ。訓練の連続でそんなこと気にする余地も無かったんだから」

 檻の中での告解の後、ポローはすぐに仲間達と引き合わされた。巨獣討伐隊の計画は以前から進んでいたらしく、自分とメシェは新参という形で隊に組み入れられた。

 それから二ヶ月ほどの間に、一人、また一人とさまざまな理由で隊員が脱落し、残った人間で正式な隊として発足させられた。

「全員そろっているようですね」

 勇者の陣屋として提供された町長の屋敷の前に、ヴェングラスが待っていた。

「中で勇者殿がお待ちです。案内しますので、こちらへ」

 軍師はにこりともせずに先に立っていく。巨獣討伐隊に選ばれたとき、自分は軍師ヴェングラス、将軍エクバートと同格の地位を与えられている。

 この間まで上司だった人間と同輩になるというのも、軍というものの不思議さだった。

 玄関を抜け、長い廊下の突き当たりに、磨き上げられた扉があった。

 本来なら町長が執務を行う部屋、その中に、勇者がいる。

「失礼します。巨獣討伐隊隊員、隊長以下五名、連れてまいりました」

「ありがとうございます。中へどうぞ」

 板切れ越しに聞いていたのと変わらない、年若な声。雰囲気からすれば、村の勇者をやっていたケイタとかいう少年と同じぐらいの歳だろう。

 促され、中に入る。

 魔法の光で明かりが取られた部屋の奥に、彼は座っていた。

「お疲れ様です。任務ご苦労様でした」

 手にしていた板切れから顔を上げると、冷めた目でこちらを見据える。

 全体的にほっそりとしていて、どこか頼りなげだ。顔色も白く、あまり日に当たっていないのだろう。指も女のように細くて、剣どころか食器すら自分で持ったことがないとさえ思えた。

 黒髪に薄い茶色の瞳に、ケイタと同じ郷の生まれを感じるが、浮世離れした、というより、人間らしい感情をどこかに置き去りにしたという印象を受ける。

「ポローさん。今回の任務について、詳細な報告をお願いします」

「え? あ、その、報告って言っても……さっきドッグタグ越しにやったので全部だ……ですが」

 その時初めて、勇者の視線に感情がわずかににじんだ。

 苛立ちと、失望。

「今回の任務は勇者の能力を持ったコボルトの討伐です。あなたは上空の目のナビゲーションにしたがって対象を追跡、ディトレさんの魔法による隠蔽で戦闘直前まで隠密を続けていた、間違いありませんか」

「あ……ああ。言われたとおり、ちゃんと姿も音も消して動いてたぜ。間違いない」

「上空からの監視だと、襲撃に入る直前、コボルトがあなた方の行動に気づいた様子がありますが、その理由について何か思い当たることは?」

 勇者の質問に、ポローはほうけたように口を開けた。思い返してみても、目の前のコボルトが自分達の動きに気づいた様子は無かった。むしろ、気づかなかったからこそ、あそこまで追い詰めることが出来た。

「河原での戦闘時、ディトレさんの魔法のけん制と、レアドルさん、メシェさん、ファルナンさんの連携によりコボルトを包囲、退路を塞いで討伐を試みましたね」

「あそこでおかしな横槍が入ってなきゃ、絶対に殺せてたんだ! 大体アンタ! なんで星狼のことを黙ってた!? もし知ってたら」

「ディトレさん。発動した魔法の種類と、術者のいたであろう場所はどの辺りか、類推は可能ですか?」

 こちらの抗議など気にも留めず、淡々と勇者は質問を続ける。名指しされたディトレは視線をさまよわせながら、それでも答えを口にした。

「"烈火繚乱"か"天昇炎陣"のどちらかだと思います。多分、川岸の向こうにあった茂みから撃ったのかと」

「コボルトの救援に入ったというドラゴンの仔に、それらを使ったと思える形跡は?」

「……なんとも言えないですけど、可能性は低いと思います。狼が来た時と魔法が使われた時がほぼ同時でしたから」

「分かりました。ありがとうございます」

 聞き取りを終え、淡々と手元の板切れをたたき続ける勇者。すでにこちらのことなど、一切気にかけず、執務を続けていく。

「勇者様、他に何か指示はございますか」

 顔色一つ変えず、ヴェングラスがたずねる。手元の仕事を終えた少年は、言うべき言葉を思い出したように口を開いた。

「今後、巨獣討伐隊は、僕の陣中で待機をお願いします」

「待機って……どういうつもりだ? 俺達の任務は」

「ですから、今後の任務は陣中での待機です」

 全くかみ合わない会話、というよりも、勇者自身はそれ以上の説明をする気が無いらしい。ポローは思い切り息を吐き出し、そのまま勇者に近づいた。

「おい、アンタ。勇者だかなんだかしらねぇが、いい加減にしろよ」

「ちょ……ちょっとポロー!」

 それまで不機嫌に黙り込んでいた仲間達が、あわてて背後に集まってくる。それでも、言うべきことを言うまでは引き下がるつもりも無かった。

「指示にもなってない指示を飛ばして現場を混乱させるわ、こっちの話はまともに聞かないわ、どんだけ偉いんだかしらねぇが、人に対する礼儀ってもんが無いのかてめえは!」

「よしなよ! ここで騒ぎを起こしたらタグを取り上げられるよ!?」

「構うこたねぇ! 俺をここで首にしたら、このガキの計画も作戦も、何もかも台無しになるんだろ? できるもんならやってみろ!」

 軍に入ってこれまで、さまざまな理不尽に耐えてきた。そうして授かった力が、今の自分を支えているのも知っている。

 それでも、初めて顔を合わせた人間に、こんな態度を取る相手に黙って従う気も無い。

 だが、ポローは即座に後悔した。

 目の前の勇者が自分に向ける、ぞっとするほどの無感動な視線に。

「部隊から抜けたいのであれば言ってください。その方向で作戦を修正します」

「な、なに言ってんだよ、だって俺は……」

「この軍は、世界を守りたいという意思を持つ人間で成り立っています。その意志を尊重するために、確実に成果の上がる作戦を立案しています。そして、その作戦通りに動いてくれる人間を必要としています」

 胸の奥に、むかつきがこみ上げていた。

 言っていることの一つ一つは正しい、そのはずなんだ。それなのに、どうしてコイツが言うと、こんなにも苛立って、不安な気持ちになる。

「ポローさんがそれに納得がいかないのであれば、あなたを組み込まない作戦を立てるだけです」

「そんなことが本当に」

「できます」

 まるで、真冬の湖の中にぶち込まれたような、ひどい寒気が背中を伝った。

 目の前の勇者は自分を必要としていない。人間を駒として見る、たとえ話ではなく、こいつの目は、本当に相手を駒としてしか見ていないんだ。

「それでも、説明不足であったことは謝ります。ここで話を聞かせていただいたのも、皆さんの資質を直に確かめる必要があったからです」

 資質を見極める。人間としてのではなく、牛や豚の上等さを見極める程度の判断をするために、自分達は呼ばれたのだ。

「コボルトの仲間がやってくる可能性は考慮していましたが、いくつかの不確定要素があったので、伝えない方がいいと考え、伝達をしませんでした。結果として、コボルトと元村の勇者が結託した事実が判明したので、問題はありません」

「つ、つまり、あたし達の作戦は失敗しても良かったってことかい?」

「作戦が成功するのが最良、コボルトの協力者が判明するのが次善、あなた方の誰かが欠けて戻ってくるのが悪手と考えていました」

 恐ろしいぐらいに計算づくの一言に、胃の中の不快が強まっていく。

 こいつには人間に期待するとか、相手の心情を量るとか、そういった感情が抜け落ちてしまっている。

「皆さんを僕の陣屋に入れるのは、奇襲を考慮に入れてのことです。敵の魔将が本陣に来たときの迎撃任務をお願いします」

「そ……それなら最初からそう言えばいいだろうが! なんで一言も無いんだ!」

「作戦の内容を知ってしまえば、何らかの形で漏洩する危険が増します。それを防ぐために伝達を控えました」

 なんだこれは。

 いつの間にか、ポローは自分のつま先を見つめていた。うな垂れるしかない、まともに相手の顔を見るのも嫌になっていた。

「……皆、作戦の後で疲れが出ています。下がってもよろしいですか」

「はい。お疲れ様でした」

 ヴェングラスと勇者のやり取りを聞き流しながら、挨拶など捨て去って外に出る。仲間達の追いすがってくる気配を、手を振って払いのけた。

「一人にしてくれ! 頼むから……」

 幕屋に帰ると、ぐったりと座り込んだ。

 復讐のために勇者も神も利用する、今までそう考えてきた。だが、心のどこかで、思っていたのかもしれない。

 本当に、相手を道具や駒としてしか見ないなどということは、ありえないと。

「なんなんだ……あれは」

 利用し、利用される関係。自分も望んでいたはずだ。

 だが、それを体現した少年の目は、どこまでも酷薄だった。

「……バケモノめ」

 その呻きは、ただ静かに、薄暗い空間に染み渡っていった。



 静かになった室内で、康晴はタブレットから視線を外し、深く息をついた。

『……バケモノめ』

 ポローの声は、聞こえていた。深く深く沈めていた自我に、わずかに言葉の棘が突き刺さる。

 全身が、重くだるい。人に会って指示を出すときはいつもこうなる。作戦のために必要だと言われていたことだったが、それでも無表情を維持し続けるのには、とてつもない労力が要った。

『度し難いクズだ』

 一部始終を見ていた"知見者"は無下に切り捨てる。

『自分の立場もわきまえず、ごろつきじみた恫喝で浅薄なプライドを誇示しようなど、見ているだけで怖気が走る』

「彼らの処遇は、どうしますか」

 思わず喉の奥から嘆願が漏れていた。今後の確認のためではなく、彼らにどう対処すればいいのかを、教えて欲しい一心で。

『基本的な指示は魔法使いの男に伝えろ。あのポローという男、自分の過去に折り合いをつけられぬまま行動しているのは明白だ。そのうち、自身の精神に押しつぶされ、致命的なミスを犯す。その時に処断してしまえばいい』

「……はい」

『連中は駒だ。"角変わり"の度に取られる駒の痛みを思うか? 詰めろの手で一枚の歩が倒されることを気に病むか?』

 全ての人間は駒、繰り返し言われていたことだ。

 リアルタイムストラテジーを模した神規。これを使う際に、"知見者"は言った。


『全てを画面越しで眺めろ。余計な関係を持ち込めば、重要な一手に迷いが生じる』


 自分にとっては願っても無いことだ。これまでの人生も似たようなものだったから。


『お前にとって、この世界は所詮他人事なのだ』


 そうだ、自分にとって、いつだって世界は他人事だった。

 たった一つのものを除いて。

『今後の動きだが、ここからは読みあいになるだろう』

 すでに"知見者"は次の策に思いを巡らせている。こちらの心情に踏み込んでこないドライさも、康晴にとってはありがたかった。

『こちらの"目"が、コボルトどもに補足された。まぁ、いずれは知れるであろうと思っていたが、予想の範囲内だ』

「魔物たちの監視は止めさせますか?」

『いや、適度に続けろ。"目"からの情報漏えいを恐れるあまり、連中は必ず監視役を置くはず。見られているというプレッシャーを適度に与えるのだ』

 タブレットには現在も、魔物の砦やダンジョンの様子が映し出されている。魔将の滞在している砦の動きも、逐一確認していた。

『お前がこうしてザネジから出てきたおかげで、魔物たちの動きも活発になっている。連中が我らに対抗する隙があるとすれば、この時を以って他にないからな』

「首都ガイ・ストラウム到着は二週間後の予定です。その間に、いくつか交戦が予測出来る地点を挙げておきました」

『ああ。上出来だ。おそらく連中も、山岳の狭隘きょうあいな地形を使って奇襲をかけるだろう。だが……少々、厄介な問題もある』

 珍しく"知見者"の声が苦味を帯びた。侮蔑や苛立ちではなく、面倒ごとにどう対処するかという思案がにじんでいる。

『あの忌々しい竜神が参謀についている限り、定石通りの対応では足元をすくわれる。最善手を鬼手で返してくるような奴だ』

 最善手を鬼手で、その言葉に康晴は眉間にしわを寄せた。

 いや、あれはそんなものではない。

 ただの悪手、自分の読み違えが起こしただけの――。

『聞いているのか?』

「あ……すみません」

 ふっと肩の力を抜き、思い浮かんだ妄想を振り払う。今は目の前の盤面に集中するときだ。それ以上のことは考えなくていい。

『今後の目的は、各地の兵力をガイ・ストラウムに集結させ、正式にカイタルとの同盟を締結することだ。それさえ成れば、もうお前を脅かすものは無い』

「直接的な交戦は避ける、ということでいいですか?」

『そこは状況判断だ。山岳からの奇襲なら逃げを打てばいいが』

 "知見者"は何かを思い定めるように言葉を継いだ。

『平野での戦を挑まれたら、全力で叩き潰せ』



 シェートが砦に戻ったのは、襲撃から一夜明けた昼頃だった。

 こちらの姿を見た途端、城門に取り付いていた見張りがあわただしく開門し、中庭で訓練や仕事をしていた連中が集まってくる。

「おお、生きて帰ってきやがったな!」

「連中の動きはどうだった? 勇者は見たか?」

 馴れ馴れしい連中をなんとか押しのけると、ミノタウロスの巨体が城館からいそいそと出てくるのが見えた。

「ご苦労だった! 大事は無いか?」

「帰り、敵襲われた。でも、問題ない」

 見るからにほっとした表情に、思わずシェートはため息を漏らす。

「俺、魔王贈るもの、偵察行かせる、見殺しにする同じ」

「だから、そんなことは分かっていると言っただろう。それでも、あの任務をこなせるのはお前しか居なかったのだ」

 勇者の本隊を確認に行った斥候は、ことごとくその任務を全うできずに死んでいたらしい。結局、神の目と加護を持つ自分に行かせる、ということになった。

「疲れているだろうが、詳しい話を聞かせてくれ。皆を集める」

「ああ」

「誰か、こいつに水と何か食えるものを持ってきてやれ!」

 こちらの歩幅に合わせて、ベルガンダは隣を歩いていく。大人と子供ほどの差の体格があるのだから仕方ないが、妙に小またになって歩く姿に思わず口元が緩んだ。

「こうでもせねば、お前が早足になるだろうが。笑うな」

「お前、一番偉い奴。俺、下っ端。気遣うのおかしい」

「そうか? 俺は身分を嵩に着て、威張り散らす奴が嫌いでな」

 魔王軍の将軍、というには余りに気さく過ぎる、どこか憎めない男。

「皆集まったな! 早速だが軍議を始めるぞ」

 それでも、会議場に入った顔は、すっかり厳しい魔将のそれに変わっていた。

 机に並んだ顔ぶれに変化がある。ホブゴブリンやオーガだけでなく、リザードマンやオーク、フードを被って正体が分からないものまで、十数名に及んでいた。

「まずはシェートの斥候の成果からだ。では、頼む」

「最初、言っとくことある」

 シェートは背中の袋の中から、それを机の上に放り出した。

 銀色の鳥の屍骸。魔法で頭が潰されているが、裂けた首から血の一滴も流れていない。

「これ、勇者軍使ってる、遠く見る奴。今も、この城、上から見てる」

「な……なんだと!?」

 突然の暴露に会議場が紛糾する。その騒ぎを破るように、ベルガンダが声を上げた。

「この程度のことでうろたえるな! ……で、それはどうすればいい?」

「何もしない、今は」

 シェートの言葉で再び会議は沸いたが、すぐさま魔将の一喝でおとなしくなる。それを見計らって、竜神からの指示を、そのまま口にする。

「あいつら、追い払う、無駄。数たくさん、俺達警戒する、疲れる。だから、生かす」

「なるほど。こちらの情報をある程度流し、策を講じる段になったら、一斉に狩って情報を制限するということだな」

 謀略の匂いを嗅いだせいか、コモスの顔は心持ち上機嫌に見えた。場の魔物たちも異論は無い風情で席に戻る。

「それで? 連中の数と動きは?」

「数、多い。今動いてる奴、見せるため集めた。でも、合わせて三万くらい」

「ただの行幸で三万を動員するか……」

「それだけ違う。他の村、兵士育ててるとこ、どんどん集まる」

 最後の情報は、フィーと圭太が集めてきたものだ。そのことはあえて魔将たちには伏せるように言われていた。

「その報告は他の迷宮からも来ています。付き合わせれば、おそらく八万、いいえ、十万には届くかと」

 十万の軍勢、その言葉を魔物たちは沈黙で迎えた。

 意気は衰えてはいないが、それでも数を自分達の暴力で覆せると、単純に考える者も居なかった。

「やはり、山道で横腹をつくのが良いだろうな」

 新顔のリザードマンが勇者の進む街道のいくつかを指でつつく。どれも両側を山で挟まれ、道なりにしか進めない場所だ。

「大軍を寡兵で潰すには、奇襲で当たるしかない。特に、精強な軍であるならば尚更だ」

「そうなれば、ダオカの峡谷が良いだろうな。二つの町の中途にあるし、おそらく連中もここを通る」

「そして、奇襲を読まれて返り討ちか? そこまで安い相手でもねえだろうが」

 思ったとおり、魔物たちは山道での奇襲に傾いている。この状況で自分の意見など聞き入れられるだろうか。それでも、言うだけ言うしかない。

「俺、広い場所、戦う、いい思う」

「……何寝ぼけたこと言ってんだ?」

 以前ナイフを投げつけてきたホブゴブリンが、すっと目つきを鋭くする。他の者の視線も少なからず険しくなった。

「勇者軍、奇襲、きっと考える。山の中通る、その前、山狩りする」

「そんなことは分かってんだよ。そこは相手の動きを見て、手薄になったところを襲うんだろうが」

「お前、忘れてる。勇者、高いところ、自分の目、持ってる」

 その指摘で、一同はすっと顔色を変えた。奇襲が読まれる可能性、その事を考え、それでも何とか反論を口にした。

「とはいえ、こうして奴らの目を潰すことは可能なのだ。奇襲の前にあらかた潰してしまえば」

「鳥、いつも低いとこ、飛ばない。弓、魔法、届かないとこ飛ぶ。どうやって、潰す?」

「一旦舞い上がられたら、手も足も出ないってか……」

 竜神が目を潰すなと言ったのも、この理由からだ。こちらが索敵を妨害する前提で動けば、情報の精度を犠牲に、安全な高度からの監視に切り替えるだろう。

「しかも、奇襲をする前に目を潰せば、いかにもこちらが動きますと言っているようなものだ。読まれている奇襲は、もはや策とは呼べまい」

「だからって、このワン公の言うとおり、バカ正直に平地で槍を押したてろってか?」

 しぶしぶながら、ベルガンダも奇襲の策が無いことを認め、他の者もこちらに何かを期待するような眼を向ける。

 部屋の中の空気が、こちらの意見を聞く体勢になりつつあった。奇襲の可能性が限りなく下がったことで、魔物たちが新たな策を模索し始めていた。


『そうなれば、後はこちらのものよ。儂の戦術をとくと聞かせてやるが良い』


 本当に竜神の言う通りになっていた。そういえば敵の神は知恵を司る存在らしいが、こっちの神は悪知恵を司っているに違いない。

「勇者軍、数多い。でも、俺、教えられた。あいつら半分、する方法、ある」

「はぁ!? 十万を半分にするだと!?」

「面白い。聞かせてみろ」

 ミノタウロスの口元が、勇猛な笑みに歪む。教えられたことは多い、シェートは少しずつ整理しながら、説明を始めた。

「あいつら、数、すごく多い。でも、軍隊、飯食う、宿泊まる、剣買う、金要る。そういうの、どうする、分かるか?」

「そんなもん、例の神規とやらでどうとでもなるんじゃないのか?」

「違う。神規、金、食料、絶対出せない。そういうズル、出来ない決まり」

 無限の食料や資金を、神規で作り出すことは出来ない。加護の多い神と少ない神との間に差ができてしまうのを防ぐためだ。


『ゆえに、知見者の軍は普通の軍隊と同じように、糧秣りょうまつを必要とし、補給線を確保せねばならん。だからこそ、ローマ軍式に兵士を作り上げているのだ』


 道を作って食料や武器、金の流れを作り、決して軍を飢えさせない様にする。それが知見者の戦略の要だ。

「軍隊、飯たくさん、金たくさん、いる。でも、軍隊、畑作らない、物売らない、金、どうやって作る?」

「俺らなら、そこらへんの村やコボルトどもから……おっと、すまねぇ、へへっ」

 その発言にむっとしながらも、シェートは思い出していた。"知見者"のやり口のえげつなさを。


『現在、この世界は常に魔物の脅威にさらされている。傭兵を雇い入れ、防壁を築ける村はまだ良い方で、大抵は何の戦力も無く、略奪に怯えている。そこへ、精強な勇者の軍が現れたら、どうなる?』


 リンドル村の顛末は、圭太から聞いた。村を守ってやる代わりに、村全体が勇者軍の前線基地に変えられたことも。

 そして、駐留した勇者軍は、こう言うのだ。

「勇者軍、村、町、守る。その代わり、金、食料よこせ言う」

「な、なんだそりゃ、押しかけてって金をせびりに行くのかよ?」

「でも、魔物、怖い。みんなちょっとづつ、金出す。魔物、怖くなくなる」

 その上、勇者軍は道を整備し、新しい産業を伝え、場合によっては村の若者を軍の一部に加えて守備隊を編成していくのだ。


『確かに、勇者軍に払う金は決して安くは無い。だが、安全な道が確保でき、金になる商売の方法が無料で手に入るとなれば、損失を差し引いても釣りが来よう』

 

 押しかけた集落が増えれば増えるほど、勇者軍の規模は膨れ上がり、資金も食料も潤沢になっていくのだ。


「おそろしいほどの奸智ですね……うちでも採用したいぐらいだ」

「そうだな。連中の合法的な略奪が成立しているのは、俺達のおかげだからな。ちょっとぐらいはおこぼれが欲しいものだ」


『軍税制度、というやつだ。まったくあのパクリ魔め、ローマ式軍隊にヴァレンシュタインの資金調達法を組み合わせるとか、えげつないにもほどがある』


 苦笑いで応じる主従を眺めつつ、竜神の失笑を思い出す。

 だが、その後に告げられた一言に、自分はもとより、サリアやカニラ、フィーに圭太も絶句したのだ。

「……でも、それ、あいつらの弱み」

「聞いた限りじゃいいこと尽くめだけどな。こっちにしてみりゃ悪夢だけどよ」

「あいつら、村守る、それで金貰う。でも、もし……」

 続きを言いたくない、サリアやカニラも、最後までこの策に抵抗を示していたのだ。

 だが、迷うシェートの言葉を、魔将が引き取った。

「もし、村を守りきれなかったら、連中の存在意義は無くなる。そうだな?」

 全てを承知で、ベルガンダは問いかけていた。

 頷き、献策を続ける。

「軍隊、何も作らない。売るの、兵士。兵士守る、人間だけ、違う。畑、家畜、井戸、食料貯める倉」

「ああ。なんだ、そんな簡単なことかよ」

 シェートの言葉に、場内の空気が一変する。

 生粋の略奪者である彼らは、すぐにそれを理解した。自分達が何をすれば良いのか、骨身にしみて分かっている、凶悪な笑みを浮かべていた。

「せいぜい大暴れして、勇者様にたっぷり恥をかいてもらおうぜ」

「問題は時間だな。部下どもにすぐにやらせねぇと」

「各集落を襲えば、相手は守備に戦力を割かざるを得ない。おまけに、監視の目も分散させられるか。実にいい作戦だ」

 正直、シェート自身もこれが最良とは思えない。なぜなら、この作戦で傷つくのは、結局弱い立場の人間、村人達だからだ。


『いずれにせよ、この作戦には魔物たちも気がついたはず。それに、この策は早いうちに出さねばならんのだ、戦線がこう着する前にな』


 戦が長引き、村への焼き討ちが続けば、集落の食料や資金は枯渇し、餓死者や暴動による死者も出るだろう。だからこそ、早期に勇者軍を締め上げ、最後の仕上げに持っていかなければならない。


『作戦が通ったら、次が正念場。儂らの策を通さねばならん。しっかりな』


「まだだ。まだ、足りない」

「何だと? 村を焼き討ちして戦力をあちこちに分散させる、それでも十分連中を弱体化させられるのではないか?」

「それ、目先のこと。しらみつぶしされる、負けるの、こっち」

 こちらの反論に半信半疑の連中に、シェートはダメ押しの一言を告げた。

「お前ら、忘れるな。追い詰められた村、丸ごと兵士なる」

「村人の……勇者化、か」

 普通の軍隊相手なら、兵糧攻めで五分に持ち込めるだろう。だが、"知見者"が総動員をかけてきた場合、最終的に負けるのはこちらだ。


『とはいえ、その可能性は無いだろうがな。兵農分離の重要性を分からぬあやつでもあるまい。おそらく別の手を打ってくるだろう。そなたを襲った特別部隊などを使ってな。おっと、これは連中には知らせなくてもよいぞ』


「勇者軍、少なくする。半分なる時、一気に叩く」

「半分となれば、敵は四、五万ほど。各集落を叩かせる方に手勢は取られるが、こちらには集結させた兵が三万強……やれぬ数ではない、が」

 ベルガンダの顔にある懸念は、例の陣形を破る方法を考えあぐねているせいだろう。

「平野での戦いを勧めるということは、奴らの攻撃をしのぐ方法も聞いている、と見てよいのだろうな?」

「ああ。大丈夫だ」

 頷きながらも、シェートは強い緊張を感じていた。

 こちらの献策に、ほとんどの者が納得顔で頷いている。ただ一人を除いて。

「ですが、畑を耕すものが居なくなっては、兵糧の入手も立ち行かぬはず。そこまでの総動員を掛けるでしょうか?」

 コモスの鋭い指摘に、それでもシェートは必死に冷静を装った。

「……"知見者"、この大陸、すぐ落とす、考えてる。中央大陸の魔物、強い。モラニアの魔物、皆弱い、時間掛ける、くだらない思ってる」

「それは、神からの情報か?」

「そうだ。それにベルガンダ、勇者軍、敵わなかった。弱い思う、仕方ない。違うか?」

 自分達が弱い、そう言われて誇りが傷つかない魔物はいない。

 思った通り、魔将をはじめ並み居る連中は、眼に凶暴な光を宿し始めた。

「この前の戦で、したたかに負けたのを忘れていたわ。兵糧攻めでうやむやに勝つなどという選択肢は、初めから無かったな」

「無抵抗の者を斬っても、亡き主の手向けにはならぬ。戦働きの場こそ望むところよ」

 ベルガンダと、その傍らに立つリザードマンが武辺者らしい一言で結ぶと、魔物たちは大いに湧いた。その中で、コモスだけは、無言でこちらを睨みつけていた。


『一度戦に頭を向けさせてしまえば、問題ない。そもそも、勇者軍相手に消極策をとり続けてきた連中だ。攻勢の可能性を与えれば、一気にそちらへなだれようさ』

 

 全ては竜神の思惑通りに進んでいる。問題はこの後だ、勇者軍と魔王軍が激しくぶつかり合う、その瞬間に勝機がある。

 ベルガンダでも、知見者の勇者でもない、シェートの勝機が。

「では、皆のもの、各迷宮に通達だ。足の速いものを選び、畑と倉庫を中心に焼き討ちさせよ。それと、決して人間は殺すな」

「……寝ぼけてるんすか、大将? まさか、そのコボルトに張り付いてる女神に気兼ねでもしてるんで?」

「死体は飯を食わんし、文句も言わんだろう。作戦の肝を忘れるな」

 ほんの一瞬、シェートはベルガンダの言葉の意味を掴みそこね、それから慄然とした。

 慈悲からではなく、徹底的に村人という弱点を突くために、殺すなと命じる姿勢に。

 作戦の遂行のため、あわただしく出て行く部下達を見送ったベルガンダは、こちらの顔を見つめて、口を開いた。

「気に食わぬなら、この場で俺を殺せ。そう言ったはずだ」

「……分かってる」

「俺は魔将、人間に仇為すものだ。そして魔物もな」

 分厚い掌が、シェートの肩に置かれる。

「お前は魔物なのだ、それを忘れるな」

 ベルガンダの言葉が、ずしりと腹の奥に響く。それだけ告げると、魔将はそのまま外へと出て行ってしまった。

 誰も居なくなった部屋の中で、そっと机の端に座る。

「サリア」

『ああ』

 会議の間、サリアは一言も口を出さなかった。全て自分に任せてくれると言って。

「もし、俺、ベルガンダ、一緒に行く、言ったら、どうする?」

 魔王ではなく、魔将の下へ。優しさと苛烈さを間近で見せ付けられた男。親しみというには、複雑な感情が胸に行きすぎる。

『私にとって、お前は協力者だ』

 サリアの言葉は、どこまでも落ち着いていた。周囲に漂う香りは、初夏の森を思わせる清冽さがあった。

『お前が居たから、私はここまでこれた。空から知恵を降らすぐらいしか能の無い、最近は竜神殿にその役目まで奪われつつある、無能な女神が、ここまでな』

 自虐を含みながら、それでも女神はゆるぎなく答えた。

『全て、お前に任せる。私が言えるのは、それだけだ』

「魔王、仲間なったら、俺、人間殺す、それでも、いいか?」

『それも含めてだ』

 コボルトは深くため息をつき、笑った。

「お前、ほんとずるい。そういうこと言う、俺、勇者やめる、言えない」

『ならば、今しばらく、私とお前は共に戦う仲間でいられよう』

 シェートは黙って頷いた。

 戦うべき相手が変わり、戦場が変わり、敵味方が入り乱れ続ける世界で、この女神だけはずっと、自分の側にいた。

 そのことだけは、きっとこれからも信じられるだろう。

「俺、仕事終わり。次、そっちだ」

『任せろ。こちらもすでに始めている。とはいえ、主役は私ではないがな』

 竜神と、その策を授けられたフィーや圭太たちが何をしているのかは、何も聞かされていない。

 不安がない訳ではないが、全てが動き出した今、あれこれ悩むのも意味は無い。

 どこに居るかも知れない仲間に、シェートはそっと語りかけた。

「頼んだぞ、フィー、ケイタ」



『サリアから報告があった、仕込みは完了だ』

 竜神の仕込みという言葉に、フィーはふっとため息をついた。

「ほんとに通ったのかよ……なんかもう、なんか……なぁ」

 人里から離れた山奥、その山腹にある洞窟に一行は隠れていた。"知見者"の目に見つからないよう、昼の間はなるべく出歩かないようにしている。

『戦というものはそういうものさ。動かぬときはてこでも動かぬが、一度転がりだせば誰にも止められぬ』

「また、いろんな村で被害が出るんでしょうか」

 小ぶりのミスリル板に、何かを刻んでいた圭太が、苦い一言を漏らす。今回の作戦には強硬に否定意見を出していたし、未だに納得が行っていないのだろう。

『だとすれば、知見者が無能だとあざ笑ってやればよい。この程度の手、予想して然るべきだからな』

「……おっさんの言い方だと、まるで焼き討ちが失敗するみたいに聞こえるんだけど?」

『みたいに、ではない、失敗するのだ』

 一体、どういうことだ。この作戦は魔物側に有利な提案をして、勇者側と五分の戦いをさせるためのものではなかったんだろうか。

『卑しくも知恵の神を名乗っているのだぞ? 自軍の弱点など、最初からお見通しに決まっておる。おそらく、焼き討ちの成果は微々たるものだろう』

「じゃあ、何のためにやらせたんだよ?」

『焼き討ちに失敗する、とは言ったが、兵力の分散には成功するだろう。なぜなら、勇者軍にとって、どの戦も負けるわけにはいかんからだ』

 各都市の防衛に当たった勇者軍は、その力を当てにされて資金や食料の提供を受けている。その力が至らないとなれば、途端に基盤が揺らぐことになる。

『その上、軍税はモラニア三国に伺いを立てずに徴収しているはずだ。国に黙って勝手に税金を取り立て、その上集落を守れませんでした、では確実に軋轢が生じるだろう』

「そうか。勇者軍はただ守るだけじゃない、被害を出さずに守らないといけないんだ」

『その通りだ。それに、人的被害はほとんど出んはずだ。ベルガンダも部下に、人間を殺さぬよう厳命したと聞いた』

「なんで魔将がそんなこと?」

『死人に口無し、ということを、あの魔将殿も分かっているということだろうよ』

 死んだ人間は食事をしないし、恐怖に怯えて兵士達に食って掛かることも無い。その事を知り尽くした魔将の判断を、竜神は評価しているらしい。

 だが、フィーはさっきよりも深いため息をつくしかなかった。

「なんかさ、最低だな、戦争って」

『そうか? むしろ此度の戦に関して言えば、相当にきれいなものだがな』

「そりゃ、おっさんのねじくれた感性ならそうだろうさ。でも、なぁ?」

「う……うん。そうだね。なんだか、お互いの思惑って言うか、ドロドロしたものが見えてくるっていうか」

 こちらの言葉に圭太も苦笑で相槌を打つ。

 策の上に策を重ね、徹底的にお互いの利害を読み切って、その上で己の有利な形に相手をはめていく。正直、ただの高校生だった自分たちには、想像もつかない人外魔境だ。

『だが、これでようやく理想的な形に持ってくることができたと言える。各地に分散した勇者軍は魔物たちとにらみ合い、数を減らした本陣のみが、カイタルの首都、ガイ・ストラウムへと向かうだろう』

「それのどこが理想的なんだ?」

『分からんか? 魔物側が奇襲するにせよ、平野での戦いを選ぶにせよ、付近の町に被害は出ないということだ。そして、戦うのは自ら選んで兵士になった者だけとなる』

「あ……」

 各集落への被害を抑え、戦争に加わる人間を極限まで減らす。全ての作戦がその目的のために動いていた。

 ばらばらだったパズルのピースがぴたりとはまり、竜神の考えていた全体像が浮かび上がって、フィーのため息は感嘆のそれに変わった。

「そんなことまで考えて、やってたのか」

『儂を誰だと思っておるのだ。これでもRTSは延べ百万時間は遊んでおるのだぞ?』

「いや、そこは仕事しとけよ」

「どうして、最初からそれを説明してくれなかったんですか?」

 手元の作業を中断して、圭太が問いかけた。不服というより、当惑が先に立った顔で。

「そう言うことなら、僕だって」

『だが、これは戦争だ。確実に人は死ぬ。それを承知で儂は策を出した』

 竜神の言葉は、どこまでも厳しかった。その厳しさのいくばくかは、きっと自分に向けてのものだろう。

『兵家軍師は、口先三寸で人を殺す職業だ。戦場の悲惨を見ず、兵の命を駒と見る。ゆえに、簡単に口にしてはならんのだ。被害が少ないから安心せよ、などとはな』

「ほんと、おっさんは真面目なんだか、いい加減なんだか、わかんなくなるよ」

『まじめにふまじめが儂の竜生訓でな』

 くつくつと竜が笑い、安心した顔の圭太が自分の作業に戻る。シェートの鏃に手を加えた彫刻刀で刻むのは、見たことも無い紋様だ。

「で、今はなに彫ってるんだ?」

「透明化の魔法だよ。文法が複雑で、ほんとめんどくさいよ」

『ケイタ殿、三行目の右から四番目が間違っている。そこは下に一本棒を足すのだ』

 板状になったミスリルびっしりと、目がちかちかしそうな文字が刻まれていく。硬い金属に魔法の力を加えて削るため、本人にも相当負担が掛かっているようだ。

「いろいろ突っ込みたいところがあるんだけど、なんでこんなに長いんだ? 詠唱ってこんなにだらだらやってないよな?」

「ああ。この世界ではね、魔法の杖に本来の呪文が刻んであるんだよ。普段唱えてるのは発動のためのコマンドワードなんだ」

『ちなみに、そこに書いてある文字を、正確な発音で読みさえすれば、透明化を発動させることが出来るぞ』

「マジで!?」

 魔法を使っているところは散々見てきたが、こういうものを見るのは初めてだ。ただの紋様に過ぎないものに神秘の力が宿るというのは、いかにもファンタジーっぽい。

「でもさ、その杖にこんなもん彫る場所無いだろ?」

「杖の方はもっと汎用性が高いんだよ。例えば"凍月箭"は光のエネルギーを矢の形にしてぶつけるわけだけど、この杖には大雑把に《光》《集める》《飛ばす》みたいな命令語がばらばらになって入ってるんだ」

『呪文の詠唱とは、そういう大雑把な単語を特定し、検索するためのロード時間なのだ。それを省略する方法もいくつかあるがな』

 フィーは圭太の杖と手元のプレートを見比べ、期待を込めてたずねた。

「なぁ、俺もその杖とか持ったら、魔法が使えるかな?」

「フィーってドラゴンでしょ? そういうのが無くても使えるんじゃ?」

『そやつはまだ仔竜でな。鳴唱を使うまでには至っておらんのだ。ちなみに、鳴唱を使えるようにならねば、光韻律法、つまりケイタ殿の使っている魔法も使えんからな』

 半ば予想はしていたが、魔法を使うことは望み薄らしい。がっくりと肩を落としたこちらとは反対に、圭太のほうは興味の湧いた顔で問いかけた。

「鳴唱、って言うのは、ドラゴンの魔法ですか?」

『万物の素因に呼びかける、声ならざるこえよ。精霊達や高位の竜族、獣神などが得手にしているな。無論、儂も操ることができるぞ』

「それは……僕にも使えますか?」

『可能だろう。ただし、高位の謳い手にはなることは、決してないがな。人間の喉の構造では、鳴唱の正しい韻律を整えることができぬからだ』

 残念そうに肩を落とす圭太を眺めながら、フィーはそっと自分の喉に手を当てた。

 この肉体は、中身以外、竜として作り変えられている。ということは、もしかすると、いつか鳴唱を使うことが出来るようになるかもしれない。

 思い出してみれば、『自分に魔法は使えない』ではなく『鳴唱が使えるようにならない限り無理だ』と言われたはずだ。

「おっさん、鳴唱ってどうやれば使えるんだ?」

『竜の鳴唱は教えられるものではない。己の肉体が自然に悟るものだ。時が来れば、いずれ使えるようになろう』

「やっぱな。なんかそんな風に言われると思ってたよ、くそっ」

 こちらのぼやきに圭太が笑う。その屈託の無さに、フィーもつられて笑っていた。

『ただいまもどりました……って、なにか楽しそうね』

 用事を済ませてきたらしいカニラの声が届き、圭太は手の中のミスリル板を掲げた。

「こっちの準備は終わったよ。神器化をお願い」

『ええ。分かったわ』

 わずかな間をおいて、手にしたプレートが銀色から薄い金色へと変化する。端に開いた穴に細い鎖を通すと、それは大き目のネックレスになった。

『使った加護はわずかだから、命令を掛けて五分が効果の限度よ。それと、破術とは被らないようにしてあるわ』

「まさか、お手製の神器とはなぁ……」

『素材さえ揃えておけば、それに加護を加えてやるだけで神器ができるのだ。ちょっとした裏技だな。節約できる分、それなりのものしか出来んが』

 自分の持ってきたミスリルの塊が、こうして新しい神器を生んでいる。こういう展開があることを見越して、竜神は指示を出したのだろう。

『さて、フィーよ、ちょっとその神器のためしをして来い。ついでに晩飯の獲物でも取ってくるがよかろう』

「使うときは"透解"で発動するからね」

「分かった。行くぞ、グート!」

 出来上がったばかりの神器を身に付けると、フィーはグートと共に洞窟の外へと飛び出した。



 仔竜たちが森へ姿を消すと、圭太は細かい作業でこった肩をぐるぐると回した。

『お疲れ様。慣れない作業で疲れたでしょう?』

「うん。でも、面白かったよ。まさか魔法の道具を自分で作れるなんてね。これならエンチャンターにでも転職してみようかな」

『初めてにしては筋が良いしな。その手先の器用さがあれば、割と名うての職人になるかも知れんぞ?』

 褒められて少し気恥ずかしいが、まんざらでもないという気持ちもある。魔法の道具を作って誰かに役に立つなんて、少し前は考えもしなかった。

『本当にありがとうございます。おかげで、少しはサリアたちの役に立てそうです』

『儂も感謝しているよ。無から神器を作るのは加護を食う、そなた達の協力のおかげだ』

「それで、これからどうするんですか?」

 今後のことを思いながら、質問を口にする。

 確かに魔法の道具があれば、多少の助けにはなるだろう。だが、これから行うのは戦争をする二つの陣営、どちらにもに勝つというとんでもないミッション。どう切り抜けるつもりなのかは知っておきたかった。

『そなた達には、遊撃部隊として動いてもらう。勇者軍でも、魔王軍でもない、シェートのためのな』

「分かりました」

『具体的にはどうすれば?』

『……それは、まだ言えぬ』

 珍しく、竜神は重い口調で言いよどむ。

 何かをためらうような、そんな沈黙が続いた。

「捨て駒に作戦は漏らせない、ってことですか?」

『圭太さん!』

『そうではない。もしそなた達を捨て駒にするなら、最初からそのように言う。一応、勝ちに行くための作戦は、考えてあるのだ。だが』

 おそらく、彼の目には今後の展開もある程度見えているのだろう。その中で、三枝圭太が命を落とす可能性も。

 それでも、竜神は極めて冷徹に、己の見解を述べた。

『儂の最悪の予想が当たった場合、そなたらは遊戯から脱落する』

『避ける方法は、無いのですか?』

『ある。今すぐシェートへの協力をやめ、戦場を去ることだ』

「……もし、僕らが、協力をやめたらどうなりますか?」

『シェートは負けるだろう。ベルガンダもろとも、勇者軍に飲まれてな』

 今度は、圭太が沈黙する番だった。

 自分の力が少しでも役に立てば、そんな気持ちで協力を始めたのに、気がつけば自分の決断が、全てを左右する事態になっている。

『圭太さんが生き残って、シェートさんが勝つ可能性は、無いのですか?』

『無論ある。だからこそ、最悪の事態が起こったら、と言っているのだ』

『竜神様は、それがかなりの確立で起こりうる、と考えておられるのですね』

 人生は決断の連続、竜神はそう言っていた。

 そして、自分はもう逃げないと決めたはずだ。

「やります」

 自分でも驚くほどに、きっぱりと返事ができていた。そのことが、嬉しく思えた。

『その決断に感謝を。儂も知恵の及ぶ限り、そなたらが生きられる道を模索しよう』

「ありがとうございます」

『だが、儂は知略を練る側だ。兵家は常にあらゆる事態に備えねばならん』

 こちらの決意に応えるように、竜神は声を引き締めて、言葉を継いだ。

『そなたらに、策を授けよう。万が一のためのな』


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