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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~Warmonger編~
65/256

11、恩讐の果てに

 尋常ではない振動が、神座を震わせる。その源は、肉厚な何かが、扉に向けて叩きつけられたものだ。

「で、でも、ここは私の世界で、そんなことっ」

 合議の間にある東西南北の扉は、あくまで便宜上の目印に過ぎない。扉そのものを叩いたところで、門衛のドライアドが迷惑する程度でしかないはずなのに。

「おーい、カニラよー、いつまで締め出しを食わせる気だー、開けろというのにー」

 無遠慮に叩きつけられているのは、間違いなくあの巨体に備わった尻尾だろう。余りある竜神の強大な神威で時空を捻じ曲げ、扉に干渉しているのだ。おまけに、本来断絶した空間にあるはずのこの場所に、直接声まで飛ばしている。

「や、止めてください! こんな無体な真似、どういうつもりで!」

「そなたがいつまでも、しょうも無いニート生活を続けとるからだろうが。せっかく出て気安いように、童心に返って呼びかけてやったというのに。おかげで周囲の視線が痛くてかなわんわ」

 どう考えても大喜びでやっていただろう、そう言いたいのをぐっと堪え、必死に扉の封じを強める。

「お、お願いですから、お引取りを! 私はもう、誰に会うつもりもありません!」

「そっちの都合など知るか。あんまり抵抗すると押し通ってしまうぞ?」

「なんと言われても、絶対にダメです!」

「フィーは良くて、儂はいかんのか?」

「お願いですから、もう私を、そっとしておいてください!」

 扉の向こうで、つくづくとため息が吐き出される。どうやら諦めてくれたのか、そんなこちらの思いを、竜神はいともたやすく裏切った。


『r――――――――z――――――――m――――――s――r――w――――』


 世界そのものを磨き上げるような音律が、神座の中に満ち渡る。その音に触れた途端、扉に掛けた神威の一切が、抵抗をやめて追い散らされてしまう。

「し、"神竜鳴唱"っ!? そんな、神威で他者の神座に押し入るなど、神々の約定に抵触する行為ですよ!」

『そんなもの、後でどうとでも言い訳が立つ。余った星でも、何らかの盟でも結べば済むことよ』

 生木が裂けるような音を立てて結界が破られ、竜の巨躯が神座に押し入ってきた。

「一体、どういうつもりなのですか! こんなところまで来て!」

 鳴唱を止めると、竜神は厳つい顔を不機嫌に歪めていた。

「それはこちらの台詞だ。うちの若いのやフィーからの着信を拒否しまくっておいて、どういうつもりだ。おまけにこっちが出向いてきてみれば、理由もいわずに門前払いか?」

「わ、私にも事情や都合というものがあります!」

「何度も言わせるな」

 鼻から硫黄臭い蒸気を漏らすと、竜はその顔を意地悪く歪め、吐き捨てた。

「そなたのような小神の、下らん都合など、知ったことか」

「あ……あなたたちは……っ」

 我慢の限界。

 カニラは、湧き上がる白熱の怒りを爆発させた。

「あなたたちはいつだってそう! 力があるから! その力を嵩に着て、なんでも好き勝手に自分の都合を押し付ける! そうやって力ないものを踏みにじって、さぞ気持ちがいいことでしょうね!」

「な……なんだと?」

「そうやって、何でも好きにすればいい! 私の心も、私の思いも、塵芥のようにはき捨てればいいんだわ! さあ、次はなに!? 何でも好きなように、私から毟り取っていきなさい!」

 まるで、指先に小さな虫でも噛み付いたかのような顔をして、竜神の顔がのけぞる。

 彼らにしてみれば、自分なんて虫だ。それでも、これ以上良いようにされてたまるか。

「湿りとカビと硫黄臭い、老いぼれの下膨れた古長虫! 永久に呪われろ!」

「……なんか千年ぶりに聞いた気がするぞ、その手の罵倒。古長虫とか、今時ないわー、超ウケるんですけどー」

 長い口吻を両手で押さえ、小ばかにしたようにぷすーっと息を漏らす。怒りが先に立ち、何を言ったらいいのか分からない。

 そんなこちらを眺めていた竜は、満足したように頷いた。

「そのぐらいでよかろう。どうだ、溜まった物を吐き出して、少しは気が晴れたか?」

「え……?」

「"知見者"から言われたのであろう? シェートと合流すればケイタを殺す、とな」

 そこでようやく、全てに気がついた。

 こちらが鬱屈したままではまともな会話にならない。だからこそ、無礼な態度でこちらに怒りを吐き出させて、発奮させた。

「あ……そ、その……お、お心の内も量りかね、ご無礼を」

「そこで恐縮するな、めんどくさい。せっかく一芝居打ったのが台無しであろうが……さてと、フィーよ、さっきの会話は聞いておったな?」

『ああ。カニラちゃーんのところから、ばっちりな!』

「そこは忘れとけ。ま、こちらの予想通りではあったが、聞かせてもらおうか。儂らと別れてから、何があったのかをな」

 問われるままに、カニラは全てを語った。圭太も自分の体験したことを、少しずつ言葉にしていく。村を奪われてから、誰に打ち明けることも出来なかった事実を。

『なんだよそれ! っざけんな! それがカミサマのやることか! ただの詐欺師じゃねーか!』

 いとも簡単に、仔竜は一部始終を端的に罵倒してみせた。頷き、竜神も皮肉な形に長いマズルの端を歪める。

「あやつめ、サリアだけでなく、そなたらも引っ掛けておったか。今度から詐欺師の神でもやるように薦めておこう」

「サリアも……とは?」

「ああ、シェートが魔物であることを言い募って、あろうことか魔王や魔界と通じているのだと嫌疑を掛けたのよ」

 冷えかけた怒りが、どっと胸の内から湧き上がる。拳を握り固め、声を押し殺して問いかけた。

「それで、サリアは?」

「きっぱり否定しておったよ。さすがに同じ容疑を二度も掛けられれば、追求を避けるのも上手くなると言ったところか」

「やめてください! あれは……あの一件は、全てゼーファレス様たちの企てです!」

 瞠目する竜神や、水鏡の向こうで驚いた顔をする子供たちにも構わず、カニラは意を決して語り始めた。

「ゼーファレス様は、いいえ、彼の背後にいらっしゃった方々は、神々の遊戯を提唱し、その有用性を示すために、サリアの世界を、そこに住む魔族の存在を利用して、泥沼の戦場に変えたのです」

「そう抗弁したのはサリアだけであったな。何者かが星の結界に入り込み、"世界喰い"の一族を殺したと。魔族は神の仕業といい、神々は魔の者がサリアの星を穢したと言い合ったが、ついに首謀者が誰かは分からなかった」

「その手引きをしたのは、私です」

『カニラ……?』

 言ってしまってから、自然と胸のつかえが取れていくような気がした。飲み込んだまま消えずに残っていた、悔悟が解けていく。

「サリアの星の守りは、そなたと共に作り上げたもの。ならば、それを崩す方法も知りうるということか」

『何で……そんなことしたんだよ』

 呆然としたフィーの問いかけに、自嘲にまみれた答えを返す。

「魔族が狙う"世界喰い"を排除して、神と魔の争いを未然に防ぎ、サリアの世界を守るため。笑ってしまうぐらい、美しい御旗でしょう? それにまんまと騙されたの」

「儂らと顔を突き合わせるのを嫌がった理由は、知見者からの脅迫だけではなかったということか」

 苦い笑みがこぼれるまま、頭を下げる。その場で話を聞いている全てのものに。

「圭太さん、本当にごめんなさい。私が全て悪いのよ。"知見者"に対して強く出られなかったのも、フィーさんや竜神様に協力を申し出なかったのも、私が自分の罪を認められなかったせい」

『カニラ……』

「そもそも、私があんなことをしなければ、サリアも傷つかなくてすんだのよ。悪いのは……全て私なの」

『あの……ちょっと、いいかな』

 青い仔竜は、不思議なほどに落ち着いた瞳で、こちらを見上げた。

『あんたの騙されたのって、サリアを苦しめようとか、カミサマの陰謀に加わりたくてやったわけじゃないんだよな』

「少し考えれば分かりそうなものなのにね。盗人の甘い言葉を信じて、大切な人を助けるどころか、傷つける企みに力を貸してしまったの」

『えっと、それって……その、あんたが悪いって訳じゃないっていうか、その……善悪とかって、簡単に決められるもんじゃないわけで……えーっと、その……』

「ありがとう、そう言ってくれるだけで十分よ」

 精一杯の同情を示してくれるフィーを、優しく制する。その気持ちは嬉しいが、自分に赦しは必要ない。

「本当は、このことを漏らせば命は無い、と言われていたんです。ですが、今は竜神様も同じ秘密を分かち合われましたね?」

「開き直った途端に儂を脅迫か? そういうところはサリアに良く似ておるわ。類は友を呼ぶ……というよりは、女のしたかさ、というやつか」

「いえ、同じ討たれるなら、討たれるべきものに、そう思っただけです」

 こちらの告白を受けて重々しく頷くと、竜神は虚空に呼ばわった。

「おい、サリアよ。ちょっとカニラの神座まで来い。話があるそうだ」



 こうべを垂れたまま、訥々(とつとつ)と語るカニラを、奇妙に冷えた心で見つめていた。

 竜神は黙して語らず、水鏡の向こうでは緊張した面持ちの仔竜と少年が、ただ事態の成り行きを待っている。

 それにしても、なんと頼りない神座だろうか。サリアはそんなことを感じていた。

 小神の神威で作られたから、というわけではない。おそらく、自らの星に掛ける熱情を失いつつあるのだ。

 己が友に成した所業を思うにつけ、自らの星を健やかにしようという心に歯止めが掛かり、その歯止めが星を荒れさせる。神の威光が薄れれば、信心は途絶え、一層神威は弱まっていく。

 緩やかな自殺。口では遊戯の活躍で信仰を伸ばすとうそぶきながら、その全てが自らの絶望に気づかないふりをするための欺瞞なのだ。

「私の話は、これで終わりよ」

 顔を上げると、カニラはさっぱりというには程遠い、悲しげな顔で笑った。

「こんな簡単なことを成すために、一体どれだけの時を費やしたのかしら。結局私は、我が身がかわいかっただけなんだわ」

 告白を沈黙で受け止めると、カニラの笑顔は諦めの混じった物になった。

「あなたのためにと理由をつけ、ゼーファレス様と交誼を結ぶ、よすがが欲しかった。私は小さな神だからと、己の存在を失わないように縮こまった。その挙句、大神となったあなたにすがり付いて慈悲を請うた」

 罪業の列挙。己の矮小化。自虐の大鉈を揮いながら、カニラは絶望の行き着く先を、こちらに求めていた。

「あなたの探していた、あなたの世界を穢した敵は、目の前にいるわ」

 こみ上げる、思いの形を表す言葉を、サリアは探した。

「カニラ」

 ああ、なんて。

「なんてお前は、卑怯なんだ」

 その顔が絶望を含んだ笑いに落ちる前に、言葉を突きつける。

「今、この時になって、お前は出てきた。私の前に。もし己の罪業を償うというなら、なぜ私が怒りに震えるとき、悲嘆に暮れた時に来なかった」

「それは……」

「私を助けたいと言うなら、狡猾な神の教えを受ける前、まだ世界の無邪気さを信じられる時に、真意を隠して共に歩もうとしてくれなかった」

 温い自虐を許さず、容赦なく言葉を叩きつける。

 許すわけには行かなかった、彼女の心に残る甘えた心を。

「そして今、少しでも味方が欲しいとき、実利を求める卑しい気持ちが沸き起こっているこの時に、なぜ罪を名乗り出た!」

「あ……」

「お前は、最低の卑怯者だ! 自ら病み衰えた病葉、カニラ・ファラーダ!」

 カニラは震えていた。

 怯え、すくんでいた。

 自虐の底にあった本当の気持ち、あるいは、本人さえ意識できなかった感情に。

「その上、私の手に掛かって消滅を望むのか? どこまでお前は、卑怯なんだ」

 本当は、気がついていた。

 あの結界が破られた理由など、知るまでも無かった。二人で丹精したあれを自分に気づかせずに抜けるには、カニラの助力をもってするしかない。

 それを探るのが、怖くて仕方が無かった。

 もし、カニラが裏切っていたとしたら、今度こそ世界から消えてしまう、そう思った。

「私は、お前を罰さない。手にも掛けない。お前の罪を、決して裁かない」

 荒れ狂う感情が命ずるままに、言葉が放たれる。

「消えたいと願うなら、勝手にするがいい。だが忘れるな」

 カニラと自分の過去の全て、恩讐の一切を、混濁させながら。

「自裁し、勝手にこの世界から消えたとき、お前の罪業は、時の流れの果てまでも、永久に刻み付けられるのだ! 裏切りの罪から逃れ去った、最低の卑怯者としてな!」

 言葉が、完全に目の前の女神を打ち据えていた。弁解の一言もなく、青ざめ、凍りついていく。

 そして、うなだれたカニラの向こう、水鏡に浮かんだ景色にサリアは喉を詰まらせた。

 少年に支えられながら、仔竜が涙を流していた。

「すまない。身内の不始末を見せて、嫌な気持ちにさせた」

「なあ……ほんとに、悪いことしたら、ゆるされないんかなぁ」

「フィー?」

「わるいことしたら、ずっと、わるい、ままなのかなぁ……」

 そこでようやく、サリアは自分のしたことの意味に気がついた。

 常命なら死んで終わるが、神には自裁以外の終わりが無い。死ぬことも許さず、臓腑をえぐる後悔の果てに、終わりを見つけることも出来ない。 

 償いも、赦しも、罰さえ無い。

 それこそが、真に償いたいと願うものへの、最大の業罰。

 吐き出した言葉はもう戻せない。カニラはその場に縛り付けられ、仔竜と少年は、沈黙の重さに耐えるように立ちすくんでいた。

「そうだな」

 黙って成り行きを見守っていた竜神が、おもむろに口を開いた。

「確かに、赦される事は無いさ。この世界は無情だ」

 重々しく、その場にいる全ての者に事実を突きつけた彼は、その声音を柔らかいものに改める。

「とはいえ、赦される事は無くとも、赦す事だけは、誰にでもできる」

『赦す?』

「死んだものには無理ではあるがな。少なくとも、生きて、存続したものは、誰かの過ちを赦すことができる」

 居住まいを正し、目を閉じて、静かに物語る竜。寂れかけた神域の、石畳に座るその姿は、神の竜の銘を得るにふさわしい、荘厳を放っていた。

「間違いやすく、過ちを犯してしまう身であるからこそ、他者の罪を責めず、赦そうとする。それこそが、我々に与えられた救いの形、なのだろうな」

「誰かの罪を赦す……」

「赦しは与えられるものであり、与えるものだ。望んで願っても得られず、与えたからと言って、見返りにされるものでもないがな」

 きっと、本当の意味で、赦し赦されることはないのだろう。感情は売り物のようにやり取りは出来ない。口で赦すと言ったところで、心で納得しなければ、赦しは成立しない。

 それでも。

「カニラ」

 おかしな話だが、サリアは祈りたくなった。

「私はお前に、消えてほしくなかった」

 何にではなく、何かに、祈りたかった。

「怒りも憎しみも、私の心にある。それでも、過ごした時間を、思い出を、葬り去るのは嫌だった。自裁を許さないと言ったのは、そんな自分勝手な思いからだ」

「サリア……」

 そして、思い出す。

 信義を取り交わすときは、至誠を持ってせよと教えられたことを。

「本当は、お前のことを疑っていた。あの結界を破りうるお前を。でも、真実を聞くことが、恐ろしかった。そして、罪を裁かないといって、お前を断じてしまった」

 誰も誰かを責めることは出来ない。過ちは誰でも犯しうることだからだ。

 そして、この世には卑劣な悪がある。過ちを知りながら利己に走り、己の身を安んじることだけを考える者が。

 そんな世界で赦しなど、結局はまやかしごとなのかも知れない。

 それでも、なお。

「私は、お前を赦したいと思う」

 祈りを込めて、口にする。

「そして、私のしたことを、赦してほしい。もしお前が、認めてくれるなら」

 強制も、哀願も、譲歩も無い。

 かくのごとくあれかしと、願うほかない思い。

「本当に……あなたは勝手だわ」

 カニラは、泣きながら笑っていた。

「そうだ。だから、受け取っても、受け取らなくてもいいんだ」

「ええ。分かっているわ。だから、私のお願いも聞いて」

 立ち上がり、真正面からこちらを見つめると、カニラは晴れやかに笑った。

「私を、決して赦さないで。そして、あなたを赦させて」

「なんて、自分勝手な奴なんだ、お前は」 

「お互い様よ」

 サリアは、そっとカニラを抱きとめた。

 友人を傷つけ、自らの意思を踏みにじられて、ただ耐えるばかりで過ごした年月。

 その痛みの全てを、腕の中で震える魂から感じながら。


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