10、捨てられし者
心地よい音を立てて、荷馬車が街道を進んでいく。
以前は荒れ果て、窪みや水溜りばかりで、まともに進むのさえ難しかった道は、石と材木で見事に舗装されていた。道幅も荷馬車が並んで通り過ぎられるほどで、リミリス方面に行く商人たちに重宝がられている。
馬蹄が石畳と響きあい、車輪がわずかな起伏を受けて軽く飛び跳ねる。周囲は人の手が入っていない丘陵で、まばらに木が生えているのみだ。
「しかし、まぁず、この道も綺麗になったらすなぁ」
手綱を握りながら、誰に言うとなく言葉を解き放つ。後ろの荷台に座る同乗者から、芳しい反応を引き出すのは、とうに諦めていた。
歳の頃は十四、五といったところだろうか、マントに長い杖、足元を固めた見事な意匠のブーツを見れば、どこぞの魔法使いに師事した、貴族の子弟と言っても通用する。
だが、自分は彼がどんな存在であるのかを、少し前から知っていた。
リンドル村を守った村の勇者、ケイタという名前の少年だ。
その顔には、以前見せたような優しげな笑顔は無い。黙然としたまま、ほとんどの時間を過ごしていた。
「おらぁ、そろそろ腹空いたらすけ、メシ食おうと思うんでらすが?」
「はい」
馬車をその場で止め、馬のくびきを解いてやると、少年は言われるよりも先に小さな鍋を下ろして食事の準備を始めている。道連れとなってから一週間、勇者の少年は半ば自分の召使のように働いてくれていた。
近くの草地に馬を放つと、彼はつくづくとため息をついた。
「ああ、気が重めぇらすなぁ」
いくら街道整備と一緒に、勇者軍が危険な魔物や動物を追い散らしたとはいえ、護衛の一人も連れて行った方が安全なのは分かる。彼が有能な魔法使いであることは知っているし、宿代と食費だけで働いてくれるというなら望外の人材だ。
だが、何を話しかけても胡乱な答えかそっけない返事で、気が滅入ることこの上ない。
「でもまぁ、しかたねぇらすか。自分の村さ、騙し取られたんでらすからなぁ」
それは、商人たちの間で、当たり前のように囁かれている"噂"だ。
リンドル村への魔物の進攻と、勇者軍の遠征の時期はあまりに合いすぎている。おまけに、移動を始める前に大量の木材や物資の購入を行っていた。これで彼らを疑わない商人はよほどのぼんくらだろう。
とはいえ、商人たちにとって、事実などはどうでもいいことだ。勇者軍は道を整備し、魔物を狩りこめ、駐留した村や町の治安を守っている。
リンドル村の連中でさえ、後に明らかになった事実を苦々しく思いながら、結局は受け入れたようだった。
鮮やかな手つきで掠め取られ、後に残ったのは、身包みをはがれた一人の少年だけ。
村を出て二月近くの間、あの子供は一体何をして過ごしていたのだろう。確かに、事実などはどうでもいいが、ひどいやり口に、素朴な憐憫と義憤が湧いてくるのは止められなかった。
「ああ、もう煮えてらすな。あんたが飯炊きしてくれるもんで、ようけ助かってらす」
「あ……はい」
鍋の中には干し肉と、その辺りで取ったらしい野草と、朝の宿で貰ってきたチーズがいくらか入っているようだった。火の側にはパンが置かれていて、程よく温められている。
「出先さ、中々あったけぇメシ作るのも、苦労するけ、まず、ありたがく」
「や……やめてください。こんなの……そんな風に言われるようなことじゃ、ないです」
感謝の言葉で火傷でもしたように、子供は真っ青な顔で俯いてしまう。
姿形こそ五体満足だが、その内側は傷つき血を流している、そんなことを思った。
それ以上、何も言わないまま椀を受け取ると、中身を味わう。自分に習って、少年も黙々と食べることに専念した。
「もう少し進めば、リミリスの国境でらすな。オラはそのまま南さ行って、干し魚、買うてくるつもりでらす」
「はい」
「アンタは、どうする?」
言ってしまってから、ひどく後悔した。こちらの問いかけを聞いた途端、少年の顔はおびえと、それを必死に押さえつける気持ちでこわばっていた。
捨てられたくない、その目が語っていた。
「……決まってねえなら、もうしばらく、オラの手伝いしてくんろ。行きたいところさ見つかったら、何時でも言ってくれらす」
「はい……」
「オラとしちゃ、できるだけ、手伝ってほしいと思ってらすよ。ただ、安ぅこき使うとるみてぇで、すまねぇと、思っただけらすけ」
半分嘘で、半分事実の言葉を口にすると、ようやく少年は食事に戻っていく。
次はもう少し、気さくな傭兵を雇うことにしよう。
済まないと思いながらも、彼はそんなことを考えていた。
ごとごとと揺れる荷馬車の上で、圭太は呆然と景色を眺めていた。
気のいい行商人の彼と町で出会い、なし崩し的にその護衛についたのは、どうしてだったろうか。多分、こちらの事情を、一切聞いてこなかったからだろう。
村を出た自分に、行く当てなどはなかった。いっそのこと海に出て、エファレアまで行ってしまおうかとも思ったが、結局実行しなかった。
その理由は、"知見者"の影響力が北に行けば行くほど強くなっていくからだ。この舗装道路も、ほんの一月前までは影も形も無かったはず。それが、我が物顔で自分の存在を主張している。
リンドルに居たせいで、何人かの傭兵や行商人たちとは顔見知りになっている。そんな彼らと顔を合わせるのも嫌でたまらなくて、定宿を決めることさえなかった。
何より嫌なのは、彼らがリンドルの"噂"をしていることだ。"知見者"の軍が魔王軍の進攻を口実に、村を丸ごと買い取ったことなど、みんな承知していた。
あの時、"知見者"が自分と直接顔を合わせた本当の理由。それは、こちらを追い詰め、弁護してくれるものがないと『思い込ませる』ことだったのだ。
「ちくしょう……」
もう少し、自分が粘っていれば、他所の商人たちが村にやってきて、連中のしたことをみんなに教えてくれただろう。そうなれば自分だって、もう少し強気で交渉が出来ていたかもしれない。
何もかも、やることなすこと悪い方へ転がっていく。
「誰か、助けてよ……」
その言葉のむなしさが胸のうちに染み入って、体が震えた。
一体誰が、自分なんか助けてくれるというのか。もう何日も、まともにカニラと話していない。少し口を開けば、互いの言葉はすれ違い、喧嘩になるか黙り込むだけだ。
この苦痛でしかない日々を、今すぐ終わりにする方法は知っていた。
勇者をやめる、一言告げれば、その瞬間に悪夢は覚める。
「そろそろ森の中に入るけ、ちっと気をつけてくれらすか?」
「は、はいっ!」
気がつけば草原は終わりを告げ、木立の中へと道が続いている。自分が商人の護衛をしていることを思い出し、圭太は杖を握り締めた。
「"光韻の理法により、開け正眼。我が双瞳は茂み穿つ狼の如く、其の一瞥は無窮の空往く鷹の目の如く"」
呪の完成と共に、圭太の閉じた両目に森の中の景色が飛び込んでくる。自分を中心にドーム型の視界が確保された。魔法使いの目は障害物をすり抜け、範囲内にいる存在全てを感知することが出来る。
「大丈夫です。近くには危険な存在はいないみたいです」
「そうけぇ。助かるらすな。山賊連中さ、入り口近くに伏せること、多いらすけ」
来た道を塞ぎ、逃げ出しにくい森の奥へと追い込むのが、街道を根城にする賊の作戦だと聞いた。もちろん、大魔法を使えば一発だろうが、"烈火繚乱"では自分たちまで火に巻かれるだろう。
こちらが魔法を解くと、馬車が再び動き出す。森の中も道路の周囲は綺麗に伐採され、両脇を小さな石垣で囲ってあった。植物の侵食によって道路が壊れるのを防ぐためだろうが、左右からの不意打ちを備えるのにも使えるようにしているらしい。
軍事のために作られた道が、そのまま生活のために使われる。自分のやった村の開発など足元にも及ばない、巨大な公共事業だ。
何もかもが空しく感じて、気持ちが沈んでいく。森はどこまでも薄暗く、周囲には低い茂みや草が生い茂る。
"知見者"の言うとおり、非力なものができることなど、巨大な力の前では何の意味もないんだ。自分の知識なんて、ちょっとネットや本でかじったのを、カニラの存在で補填しただけの付け焼刃で。
「ちょ、ちょっとあんた、気づいてるらか?」
「……な、なにがですか?」
商人の言葉に、ようやく圭太の意識が周囲に向いた。何かが森の奥から、茂みを掻き分けてやってくる音がする。
「な、なんだかえらい数が来ている気が」
「とにかく馬車を」
お互いに最後まで言い切ることが出来なかった。森の奥から、石垣を飛び越えるようにして、魔物が飛び出してきた。
「うわぁあああっ!」
「ひいいいいいいいっ!」
だが、魔物の方もこちらを見て明らかに驚いている。体中に小さくない傷を負ったゴブリンたちが、破れかぶれに叫ぶ。
「やいお前ら! 殺されたくなかったら言うとおりに」
出てきたときと同じ唐突さで、魔物の体が吹き飛ばされて視界から消える。無数の銀光に貫かれた死体は、石畳に血をぶちまけてぼろくずのように転がった。
「ち、ちくしょうっ、奴らもう追いついてきやがった!」
残った四匹ほどが、石垣の向こうへ怯えた顔を向ける。視線の先にある茂みから現れたのは、意外な顔だった。
「あ……あれは」
プレートメイルに身を包み、先頭を走ってくるのは、間違いなくリンドルに避難して来たポローという男だ。背後に数人の仲間を引き連れた姿は、いっぱしの冒険者に見えた。
「隊長、どっかの商人が巻き込まれてるぞ。どうする?」
「ファルナン、メシェ、合図と同時に一斉に掛かるぞ。ディトレは保護を頼む」
「くそっ! お前らこいつらが」
結局、ゴブリンたちは満足に抵抗をすることも出来なかった。
黒い疾風になった三人の戦士が敵を切り飛ばし、背後に控えていた魔法使いの障壁が、飛び散った返り血さえも、完璧に跳ね除けてしまう。
「あんたら無事か? すまなかったな、少し離れたところで迷宮を潰していたんだが、こいつらを取り逃がしちまって……」
そこまで言ったところで、ポローの顔に皮肉げな笑みが浮かんだ。
「おやおや、こいつは失敬。元村の勇者殿ではありませんか。ご助勢は、必要ありませんでしたか?」
「い、いえ……助かりました」
それだけ言うのが精一杯だった。ポローの顔は、明らかにこちらを馬鹿にしきって、それを隠しもしていない。
「しかし、奇遇ですな。こんなところでお会いするとは」
「な……なんの、ことですか」
「あなたも迷宮の攻略にいらしたのではないのですか? 修行中、だったはずでは?」
「そ、それは……」
こちらの風体を見て、全てを察したらしい男は、慇懃にこちらの弱みを突くことに喜びを見出したようだった。
「ああ、これは失礼。勇者殿は私よりも先に神に選ばれた方でしたからね。あの程度の迷宮では一レベルも上がらないというわけだ」
「う……」
「参考までにお聞かせ願いたいのですが、勇者殿の修行とは、一体どのようなものを指すのですかね?」
「ちょっとあんた」
それまで御者台で呆然と成り行きを見守っていた商人が、いくらか怒りを込めた口調で割り込んでくる。
「あんたぁ、オラと一緒にリンドルに来た人だったらすな?」
「おお、アンタだったのか。あの時は世話になったな」
「そげなこた、どうでもええらす。ちょっと、口が過ぎるんと違うか?」
「なんだって?」
物怖じもせずに鎧姿のポローに近づき、こちらをかばう様に立ちはだかる。
「リンドルの村さ来たとき、あんたぁ、どんな面ぁしてたか、覚えとるらすか」
「それが……どうしたってんだよ」
「人さ、星の巡り悪りぃ時、どうしたって、なんもならん時があるでらす。こん子も、あん時のあんたと同じら。それをいい歳した大人が、恩人に泥さひっかけるようなまね」
「……知ったような口利くな!」
その怒声は、人一人を隔ててなお、圭太の鼓膜を痺れさせた。
「じゃあ聞くが、そいつは一体なんだ!? 人々を救う勇者なんてほざきやがって! まともに俺たちを救えたためしがあるのかよ!? 大体、俺が村を捨てたのだって、この連中が自分勝手に、中途半端な救いとやらを振りかざした結果だ!」
ポローの叱責が、侮蔑よりも深く、胸に突き刺さる。
「自分の面倒さえまともに見られない、クソガキの分際で、何が神に選ばれし勇者だ! そんなに何でもお出来になられるなら、今すぐ俺の村を、家族を返してみせろよ!」
「その辺にしときな」
背後に控えていた女剣士が、鉄の肩当を叩いた。それを合図にしたように、ポローの顔は怒りの表情を内にしまいこんでいく。
「まぁ、そんなことは、もうどうでもいいさ。俺はお前とは違う、力を得ることにためらいもないし、目的を果たすためなら、神だって利用してやる」
それでも、漏れ出る言葉は、怨嗟と赫怒に満ち溢れていた。
「もく、てき?」
「決まってるだろう。魔物と魔王をぶち殺す。皆殺しにするんだ」
「隊長、そろそろ行こうぜ。早くしないと、日が暮れるまでに宿営地に戻れなくなる」
それきり、ポローはこちらに興味を失ったように街道の死体を森の中に始末し、短い打ち合わせの後に、街道を歩き出す。
「おい、勇者ケイタ殿よ」
背中越しに投げつけられた言葉は、怒りではなく哀れみを含んでいた。
「アンタもう、終わってるぜ。これ以上惨めにならんうちに、おうちに帰んな」
軍靴の音が遠ざかり、やがて鎧の鳴る音さえ聞こえなくなると、商人はそろそろと息を吐き出した。
「気にせん方がええらす。あんたが守った村があったればこそ、あん男も、あんな吹き上がったことが言えるんらすけ」
「そんなの……関係ないですよ!」
思わず叫んでいた。その叫びで、自分が一層惨めになると分かっているのに。
「リンドルは、僕が守ってたから魔王軍に目をつけられてた! だからあんなことになったんだ! 僕のやったことなんて、中途半端に人を苦しめただけだ!」
「そげなことはねぇよ。村は、あんたが来てちゃんと良くなって」
「僕のしたことなんて! 何もかも子供だましだ!」
商人は驚きに目を見張り、それからゆっくりと首を振った。何かを言おうと考えているようだったが、そのまま言葉を飲み込んで、御者台へと向かう。
「オラたちも行くべ。大分、時間取られたらす」
いっそのこと、ここで別れてしまいたかったが、そんなことができるわけも無かった。
まだ、彼を護衛する仕事が残っている。
それが終わったら。
「カニラ」
荷台に乗り込みながら、圭太は吐き出した。
「次の町に着いたら、勇者を辞めるよ」
惨めな気持ちで、カニラは水鏡を眺めていた。心が完全にこわばり、意味のある言葉を作り出す機能さえ失われている気がする。
荷台に揺られて、今にも消えてしまいそうな圭太を目の前にしてさえ、カニラは何も言うことはできなかった。
一体自分に、何が言えるというのか。
まだ希望はあるとでも口にする? 全ては自分の責任だと謝る? 今までありがとうと労う?
どれもこれも空々しくて、圭太を傷つけるだけだ。
全部、悪いのは自分なのだ。リンドルがあんなことになったのも、圭太が苦しむのも、何よりサリアが永きに渡って悲嘆に暮れることになったのも。
何もかもの始まりは自分、愚かな女神の浅慮が始まりだった。
『これは、今後の天界を左右する、重大なことなのだ』
月明かりの照らす、朽ちかけた石造りの神殿は、全てが輝いて見えた。眼前には銀の燐光が照り返す暗い海があり、その光景を背にして彼は甘く囁く。
『何より、我が妹への嫌疑を晴らすためでもある。協力してくれ"病葉を摘む指"……いや……カニラよ』
『でも、そんなこと、いくらゼーファレス様のお願いでも、お教えすることは』
『そうか……そうだな』
憂いを湛えた瞳を伏せると、美男の神はそっと傍らに腰を降ろす。それまで、無数の女神たちの輪の中から見つめるしかなかった存在が、手の届く距離にあった。
『愚かなことを聞いた、忘れてくれ。私はどうかしていたのだ』
『はい……』
サリアーシェの治める星に、魔族の手のものが入り込んでいる。そして、その魔物は星の力を吸い上げて、魔族へと還元しようとしているのだと、彼は言った。
確かに、彼女のところへは、弱小な魔物がいくらか入り込んでいたが、そんな危険があるとは思えなかった。
神々の持つ主星は、いわば神座と同じ扱いだ。強固な結界が施され、招かれぬままに立ち入ることは厳しく戒められている。その守りを抜く方法を教えるなど、あってはならないことだ。
『しかし、私は良いとしても、他の神を納得させるのは難しかろうな。私はあやつの兄、抗弁をしたところで、聞き入れられまい』
『わ、わたくしも、及ばずながら口ぞえを』
『すまない。だが……もう時間は無かろう。その魔物を奪還するために、サリアの星へ魔族どもが向かっていると聞いた』
苦悩に満ちた言葉が体に伝わってくる。合議の間で見せる、女神たちとあまやかに語らう時とは違い、真剣で高貴な存在にさえ思えた。
『その前に、例の魔物を殺し、連中の進攻を止めなければ、サリアの星は蹂躙されることとになるやもしれん』
『そんな……"闘神"や、あなた様もいらっしゃいますのに』
『無論、戦えば勝つだろう。だが、神魔の力を思う様揮えば、あやつの星も無事にはすむまい』
ゼーファレスの告白に、カニラは沈黙した。
サリアの星には、幾度も招かれている。規模こそ小さいが、世界は心地よく脈動をしていた。彼女が丹精し、守り抜いたあの世界を踏みにじられると思うと、やるせない気持ちになった。
『もし』
今でも、後悔と共に思い返す。
どうして、自分はあんなことを言ったのだろうかと。
『もし、わたくしが"抜け道"をお教えして、その危険な魔物を未然に取り除けたなら、どうなりましょうか』
『サリアの星は安堵され、戦は回避されよう。連中にとっても、我らと正面切って戦う旨みがなくなるわけだからな』
叶うことなら、全てをやり直したかった。
でも、それは無理。
『お約束くださいますか。知りえた抜け道を、決して他の神に伝えぬと』
不安を胸に告げた言葉に、"審美の断剣"は真摯さを込めた笑顔で頷いた。
『もちろんだとも』
恋情があったのだろう。憧れもしていた。例えその瞳が、自らの妹にのみ注がれていると知っていても、勝手に焦がれることくらいは自由だと。
そんな自分の選択と、淡い恋心は最悪の形で裏切られた。
示し合わせたように、神と魔はサリアの星の上で争いを繰り広げ、泥沼化する戦の果てに、神々の遊戯の約定が結ばれた。
何もかもが終わった後、抗議に向かった自分にゼーファレスはこう言ってのけた。
『此度はそなたの働きで、ずいぶんと助けられた。褒美に、新しい星でもくれてやろう』
たった一言で、カニラは思い知らされた。
自分は親友を裏切る企てに加担させられたのだと。
そして、ゼーファレスは選択を迫った。裏切りを肯定し栄達を極めるか、その手を振り払って彼の罪を言い募るか。
『好きなようにするがいい。だが、この秘密をあやつに漏らすようなことがあれば、分かっていような』
結局、自分はしたのは、沈黙することだった。
遊戯肯定派が天界を席巻し、権力の全てが彼らに集約された以上、小さな神の自分に出来ることは、保身しかなかった。
天界の謀の一切を知らされないまま、滅び去った自らの星の上で、ただ慟哭するサリアを目の前にしても、何も言えなかった。
それ以来、勤めて自らの存在を消すように行動してきた。遊戯では野心を持たず、なるべく穏便にその役割を果たすだけに留める。それでも、遊戯のありように自分なりの抵抗をしよう、そう思ってきたのに。
『僕たちが弱いのが、罪なんだってさ』
神との会談から帰ってきた圭太は、ぽつりと漏らした。
"知見者"の策謀で、思いは踏みにじられた。結局自分は、また何も出来なかった。あの時のサリアと同じように、守るべきものを奪い去られた。
「いえ、そんなこと、思う事さえおこがましいわね」
苦難に合っていた友人に手を差し伸べるどころか、事の真相を伏せたまま目と耳を塞いで過ぎ去るのに任せた挙句、自分の危機には助けを求める浅ましい女神が。
陰鬱な笑いが口元を掠める。水鏡の向こうの景色は暗く、森を抜けた小さな空き地で、野営の準備が始まっていた。
「圭太さん」
鍋に火をかけながら、無言で食事の準備をしている少年に、女神は告げた。
「次の宿場町には、明日には着くはずよ。今のうちに、私に言っておくことはある?」
最後の最後までひどい台詞だ。相手の心を汲むどころか、全てを投げっぱなしにしてしまうなんて。
『無いよ。何も』
「そう」
『これで終わりなら、文句なんて言ったって、嫌な気持ちになるだけじゃないか。ホントに、駄女神だよね』
「そうね。竜神様に言われたとおりだわ」
竜神のことを口にすると同時に、あの仔竜から幾度か連絡があったのを思い出す。"知見者"の脅迫があったせいで、一切つなぐことは無かったが。
「ねえ、これで終わりなら、最後に彼と話をしない?」
『フィーのこと?』
「私と話すより、あなたもそのほうがいいでしょ」
『……そうだね。シェート君がどうなったのかも、知りたいし』
旅先の食事はそれほど大したものは出ない。朝と変わらない献立をしたためると、同行者の商人は、見張りを圭太に任せて眠ってしまった。
「少し待ってね」
水鏡に手を触れると、そこに残った仔竜の意識をたどる。
『あ、もしもし!? やっと繋がった! おい、圭太!』
「ご……ごめんなさい。今受けているのは私よ」
『俺、何回も電話入れたよな? なんで連絡くれなかったんだよ!』
「その……いろいろあったのよ。あれから」
『ったく……でも、ようやくそっちと繋がったおかげで……』
不自然に通話が途切れ、
『こうして顔をつき合わせられるんだけどな』
『フィー!?』
水鏡の向こうで、狼にまたがった青い仔竜が、笑顔で片手を上げた。
『久しぶりだな。元気だったか』
『生きてたんだ……いや、それより、どうしてここが』
『こっちも色々あったんだよ。その前に、ちょっと電話かけるな』
仔竜は手元の端末を操作して、連絡を掛け始める。
『ああ、おっさん? 繋がったぞ。圭太も見つけた……うん、分かった。じゃあ、すぐによろしく』
短いやり取りの後、仔竜はひょいとこちらを見上げた。
『あのさ、今からうちのおっさんがそっちに行くから、入れてやってくれよ』
「……え? うちの、おっさん?」
突然、神座が揺れた。
封印されているはずの扉が荒々しく叩かれ、すさまじい騒音を上げる。
「えっ!? な、な、何!?」
驚いたカニラに、間延びした声が降り注ぐ。
「かーにーらーちゃーん、あーそーびーまーしょー」
それは紛れも無く、竜神の呼び声だった。