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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~Warmonger編~
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6、自由への縛鎖

 冷たい鉄の牙のように、知見者の言葉が魂に突き立てられる。

 その一撃の鋭さと押し寄せる威圧に対し、サリアはあえて、物柔らかに言葉を返した。

「その前に、こちらからもお聞かせ願いたい」

「なぜ貴様と魔将の密談を、私が記録しえたのか、か?」

 密談という言い回しに、露骨な悪意を感じる。自分に掛けられた言葉の全てを思えば、知見者の真意は聞くまでも無いことだ。

「我が神規の力、とだけ申し述べておこう」

「他者を自在に見ることができる、というわけですか」

 驚くほどの広範囲に広げられた神規に、内心寒気が走る。今こうしている間にも、シェートの身は危険にさらされているも同然だ。

「ところで、御身は私の成した事になにやら異議があるご様子。何が問題であるのか、まずはそれを明らかにしていただきたく」

「悪びれもせずそのようなことを……まあいい」

 知見者はあくまで冷静に、こちらの言葉を受け止めている。その背後の水鏡では、今も静かに何者かの『目』が、静かにシェートとベルガンダを写し続けていた。

「本来、この遊戯は神と魔の約定により、互いの覇を競うために設けえられたものだ。神は人の安らぎを得るべく勇者を使い、魔王は配下を以って人の世を滅する」

「とはいえ、このような悪趣味な遊戯で世界のやり取りをすること自体、私は元より反対を唱えていたのですがね」

 口にしながら、サリアは苦い笑いが浮かぶのを止められなかった。そう言っていたはずの自分が、遊戯の渦中に巻き込まれているのは、なんと皮肉なことか。

「ならば今すぐ遊戯を辞退し、昔のように不戦と遊戯の停止を訴えればよかろう」

「残念なことに、今の天界でそれをなすことは叶わぬでしょう。遊戯が全てを動かす今となっては、遊戯の勝利こそが真ですゆえ」

「嘲られ、貶められた末の変節か。まぁ、無力なものがさえずる甘やかな夢想よりは、まだ聞くに堪える言ではあるが」

 フルカムトの追求が一瞬緩み、サリアはようやく周囲に気を配る隙を見出した。

 自分がやってくるまで、彼がどんな発言をしたにせよ、どうやら神々の反応は完全な敵対と言うわけでもないらしい。

 それでも、瞳にある不信や不安の色は明白だった。その理由が分かるまで下手な弁明は逆効果だろう。

「とはいえその変節が、神の世界への裏切りにまで発展するとなれば、話は別だ」

 裏切り、その一言で辺りの気配が剣呑なものをはらんだ。同時に、知恵の神の狙いと、それを推し進める『根拠』も想像がついた。

「これは異なことを。私がいつそのようなことを?」

「……先ほどの映像に映った貴様の発言、忘れたとは言わせぬぞ」

「さて? 先ほどの映像と言われましても、残念ながら楽しい幻燈の上演会に招待されておりませぬので、皆目見当もつかぬのですよ」

 口角をひねり上げ、サリアは皮肉たっぷりに反論をたたきつけた。

「一体どのような映像が流され……どのような映像が"流されなかった"のかをね」

「その口ぶり、貴様を悪し様に糾弾するべく、私が事実を捻じ曲げたとでも?」

「智恵の神たる御身がそのような、浅薄愚劣極まりない策を弄するなどとは思いませぬ。ですが、神規とて万能ではないでしょう」

「ああ、もう止めよ」

 鷹揚に片手を振ると、こちらの意見を羽虫程度の煩わしさをこめて払いのける。

「痛くも無い腹の探り合いで、時間をつぶすのは本意ではない。では、貴様にも見せてやろうか、ここにおわす神々に、何を見せたのかをな」

 言い切ると、知見者は改めて映像を流し始めた。

 それはベルガンダが囲みを破り、森の中を走っていくところから始まっていた。

「……こんなところから、見ておられたのですね」

「我が目はどこにでも存在する。逃げおおせられるとは思わないことだ」

 情報戦における不利を自覚させられながら、サリアは勤めて冷静に映像を見続けた。水鏡の中の映像には何の手も加えられておらず、こちらの発言も問題なく記録されている。

「これが皆に見てもらった映像の全てだ」

「なるほど……私としても異論はありませぬ。ゆえに、なぜこれが問題といわれるのかが分からない」

「ほう? 自ら魔将と言葉を交わし、盟約の端緒を締結したこと。これは明らかに裏切りを意図したものでは?」

 まずは軽い打ち合いといった一言。舌鋒をいなすべく口火を切る。

「魔物の性は野蛮にして反骨。一月の間、動きを押しとどめておくなど不可能でしょう。無理難題を吹っかけ、我が配下の身の安全を図ったまでのこと」

「その割には、魔将を救うことに執心したようだが? コボルトにしてみれば、傷ついた仲間を見捨てては置けぬといったところであろう。無論貴様もな」

「それこそおろかな話です。今あそこで魔将を討つは容易い。されど、それを知った魔物に追われるはめになりましょうな。その上貴殿の勇者の軍は、今もこうして目を光らせているではありませぬか」

 ここまで具体的に全てを見られていたとは思わなかったが、知見者の目があることは発言の重石付けになる。

「もしや"知見者"よ。この場で無意味に敵を増やし、目先の功を得ることが良策だなどといわれるつもりではありますまいな」

「小ざかしい物言いを。だが、貴様の配下は、魔将と協力関係を結ぶことに同意していたように見えたがな?」

「勇者はあくまで神と対等であるのが遊戯の本意であったはず。シェートがそう選ぶならば、私はそれを受け入れるまで」

「それはつまり、貴様も魔物に参画する、ということか?」

 サリアはすっと胸を張り、なぶるような笑みで問いかける知見者を睨み返す。

「もしそうならば、私はシェートと袂を別ち、遊戯を去るでしょう。魔王側に与することなどありえぬことです」

「つまりそれは、今後も魔将と共闘することはない、と考えてよいのだな?」

 知見者の笑みが、心持ち深くなった気がした。 

 自分はあくまで『シェートが魔王軍に加わるならば』と言ったつもりだった。だが、知見者はそれをわざと捻じ曲げ、今後一切の関係を封じてきている。

 魔物に肩入れをするつもりは無い。だが、勇者軍の力にシェート一人では対応しきれないこともまた事実だ。

 それ以外の手を捜そうにも、知見者の監視が驚くべき精度を誇っている以上、出し抜くのは不可能に近いだろう。

「どうした? なぜすぐに首肯せぬ」

「……自明のことでありましょう。これ以上、御身に利するような真似をするつもりはありませぬゆえ」

 とにかくこの場を切り抜ける一言を出す必要がある。迷いを振り捨て、勘を頼りに口を開く。

「その水鏡にシェートと魔将が映っている以上、貴方の軍は今しもあの場に踊りこんでくることが出来るということ。この場で貴方の言葉を肯定すれば、"偶然"起こってしまった干渉も、叛意と取られましょう。それを足枷にシェートの動きも制限されることになる」

「下らぬ。そのような言い逃れをするなど、いよいよ底が知れたな」

「第一、私と魔将はあの場で初めて言葉を交わしただけの仲。それを殊更大げさに騒ぎ立てるそちらの言こそ、底浅い勘繰りでは?」

「初めて言葉を交わしただけ、か」

 なぜか満足そうに頷いたフルカムトは、水鏡を振り返り、新たな画像を投影した。

 二つの紅蓮の花が、魔物の群れに咲き誇る。

 そして、その中心で火傷一つ負うことなく、真紅の破術に包まれて立ったミノタウロスの姿を。

「残念ながら、遠すぎて音までは拾えなかったが、貴様の配下はどう見ても魔将を守っているように見えるのだがな」

「あ……あれはあくまで、我が身を守っただけのこと」

「それにしては、魔物の群れの動きに魔法を避けるそぶりが見えるな。ならば、これはどう説明する?」

 続いて竜騎兵への突進の映像が映し出される。その中で、ベルガンダは詠唱を開始した魔法使い目掛け、的確に大岩を投げつけていた。

「馬蹄の響き、魔物どもの突進、鎧や帷子の鳴り渡る戦場……しかも、魔将からはそれなりに距離がある状態で、どうして詠唱を開始した魔法使いを的確に狙えたのだろうな?」

「そ……それは……」

「残念ながら、この場の音声も取れなかったのだ。残念ながらな?」

 フルカムトの瞳が冴え冴えと輝く。あの瞬間、確かに自分はベルガンダに声を掛けてしまった。もし、それを聞いたのなら、彼は嬉々としてその事実を公開したろう。

 だが、こちらが助言を行ったことは、証拠など無くても確証しているという顔だ。

「そうそう。サリアーシェよ。貴様にはもう一つ、聞きたいことがある」

 水鏡の光景は先ほどの映像よりも更に前、夜明けの行軍を俯瞰したものに切り替わる。

「今朝方、我が軍は行軍を開始。その時、魔王軍は己の斥候によってこちらの進攻を察知して動き始めた……ここで一つ、妙なことがある」

 映像がじりじりと動いていく中、魔物の行軍が突然止まってしまう。同時に、少し距離を置いた丘の上で騎士たちが集まり始めていた。

「魔物たちの斥候は、騎士たちが詰めいるこの場所を探索していない。……にもかかわらず、奴らは奇襲を察知して陣形を変え、騎士に対して最も効果のあるオーガの一部隊さえ差し向けてきた」

 フルカムトは、薄く切れ込みの入ったような笑顔で、こちらに問いかけた。

「魔物が軍をこのように動かしえたのは、一体いかなる力によるものであろうな?」

 奇襲を教えたのも、竜騎兵への対抗法を伝えたのも、全て自分だ。

 あの場ではそれが最良だと思ったし、実際そうしなければ生き残れなかっただろう。

 だが、こんな形で事実を列挙されてしまっては――。

「さて? 貴様は再三言ってきたな。魔の者に加担する気は無い、と」

 水鏡を消し、知見者が真正面からこちらを見据える。

 そして、おもむろに指を突きつけ、断じた。

「このような振る舞いをした貴様の、どこを信じればいいというのだ!」

「く……っ」 

 積み重ねられた証拠と発言が、いつの間にか自分の首を絞めている。その上こんな風に口ごもってしまえば、己の過失を認めたようなものだ。

「貴様がいかなる考えでこのような行動に至ったにせよ、隙あらば魔物に利する行動を行ってきたのは明白だ」

「それは違う! 私はただ、シェートを守ろうとしたまで!」

「そうだ。シェートと言う"コボルト"を、な」

 フルカムトは容赦なく、シェートの存在を責めた。

 コボルトは『魔物』であるという事実を。

「そもそも、貴様の動きには、疑惑があったと言わざるを得ないのだ」

「疑惑……?」

「確かにゼーファレスの勇者を打ち破った手並み、あれは貴様とコボルトが必死に勝ち取った勝利、のように見える。だが、あのコボルトが最初から魔王によって用意されたものであったなら、どうだ?」

「とんでもない言いがかりだ! 私がシェートと会ったのはあれが最初で――」

 反射的に繰り返してしまった言葉。ついさっき、自分はその隙を突かれたばかりだというのに。

「おや? どこかで聞いた台詞だな? "平和の女神"よ」

「違う! 私には魔王との盟約など無い!」

「いよいよ化けの皮がはがれてきたな。ではもう一つ質問させてもらおう。コボルトがあの土地で有利に戦い得たのは? 山を丸ごと一つ、ゼーファレスの勇者を殺すための罠に変えられたのは、誰の知識のおかげであったかな?」

 あの勝利は、シェートの狩人の知恵と、自分があの世界の地勢に詳しかったからで、それも特に意図したことではなかったはずだ。

「あの星は、私が遍歴していた場所のひとつに過ぎない! そもそもシェートと知り合うまで、遊戯に参加する気など無かったのだぞ!?」

「その一切が全くの繰言であったならどうだ? そも、あの時点で遊戯への参加は締め切りであったはず……それが突然、コボルトを救うためと名乗りを上げてきた。実に妙な話ではないか」

 周囲の視線が、少しずつ不信に変わっていく。間違いなく、自分は自分の意思のみで、シェートを救い上げたはずだ。

 だが、知見者の悪意ある歪曲が、自分を裏切り者に仕立て上げていく。

「能力的にははるかに劣るが、狩人の知識に長けた魔物と、加護的には見劣りはするが、最低限戦える力を与えられる女神。しかも貴様は、遊戯には一方ならぬ恨みもある。魔物と手を組んで、天をかき回すぐらいは画策しよう」

「でたらめだ! そのようなことは……」

 だが、自分の中に遊戯への恨みが無いといえば嘘になる。たった一つの擦過が、自分の全てを黒く染め上げてしまう。

「さて、ここで神々には思い出していただきたいのだ。サリアーシェの勇者が先の百人の勇者を殺した折……かの簒奪者イヴーカスは、どの神と盟を結んだと放言したのかを」

 知見者の一言に、サリアは目の前が黒くなるほどの絶望を感じた。自分がイヴーカスと出会ったのも、あの戦いの間に交誼を結び、そして袂を分かったのも、全てはただの偶然に過ぎない、そのはずなのだ。

「疫神の役割に甘んじていたはずの小心な神を、全ての神を己の中に飲み込むという大胆な謀へと駆り立てたのは、いかなる後押しがあったのであろうな?」

「魔物の力を背景に、私がけしかけたとでも言うのか!?」

「ミスリルゴーレムにワイバーン」

 不吉な言葉が端正な口からほとばしる。その後に続く指摘は、予想された酷さだった。

「あのような希少な魔物を、イヴーカスの勇者はどこで手に入れたのだろうな?」

「そんなことは知らない! そもそも私は、あんな魔物がいる迷宮のことなど」

「貴様がイヴーカスと再三洞で語らっていたことは、神々も承知の上だ。その時に貴様が情報を伝えたのではないと、証明するすべはあるのか?」 

 全ては妄想に近い憶測でしかない。それでも、自分たちのたどった軌跡は"知見者"が指摘したとおりの事実。それが曲解され、自分が裏切り者であるかのように仕立て上げられていく。

「どうやら、何も言えないようだな」

 証明は終わったとでも言いたげに、フルカムトは優雅な会釈を披露した。

「裏切りの証拠が出揃ったわけではないが、サリアーシェの行動に不信な点が多すぎることは、分かっていただけたと思う。この極めて憂慮すべき事態に、私はサリアーシェの遊戯参加権の失効を求めたい」

「言いがかりだ! 私は魔物と通じてなどいない!」

「そんなことはもう、重要なことではないのだ。嫌疑がある以上、貴様の参加を認める神など、一柱も無い」

 その指摘に、サリアは周囲に視線をさまよわせた。その顔にあるのは嫌悪と不信、あるいは不安感ばかりだ。限りなく言いがかりに近いフルカムトの言葉を、最後の最後で否定できない現状が、全ての神の口を封じてしまっていた。

「案ずるな。不正を働いたとはいえ、即座に処断するつもりは無い。罪を悔い、行いを改めれば、我らにも慈悲はある」

 一方的な物言いに、何とか抗弁を試みようと口を開く。それでも、思考には白く霞が掛かって何もいい考えが浮かばない。

「や……やめろ……」

 苦しいうめきが漏れてしまう。

 これでは、あの時とまるで同じだ。反論を許されることも無く、自らの星を荒らされ、砕かれたときと同じように。

「こんなことが……こんなことが許されると思っているのか! 疑惑で以って相手をやりこめ、捏造で反論を殺し、衆を頼みに潔白を汚す様な真似を!」

「抗弁の場は与えた。そこで無罪を証明できなかった、己の非才を恥じるがいい」

 そっけなくこちらの発言を払い散らし、"知見者"は虚空へ声を掛ける。

「出でよ、イェスタ」

「御前に」

 時計杖を手にした黒衣の神が進み出、自分と"知見者"を別つように立った。

「時の神にして遊戯の審判者に命ずる。万神の賛同に基づき、"平和の女神"サリアーシェ・シュス・スーイーラの遊戯参加の権利を、失効せしめよ!」

「かしこまりました」

 異形の杖が高々と差し上げられ、無数の歯車とぜんまいが、約定を刻むべく軋みを上げる。

「万神の賛同に基づき、ここに、サリアーシェ様の権利を――」

 そして、時の神の宣言が広間に響き渡ろうとした、その時。


『異議あり!』


 重く、深みのある声が、凍りついた場の空気を打ち砕いた。

 見上げた空に、影を帯びて黒く染まった巨体。羽ばたき一つで広間の草地に降り、優美な黄金の肢体をその場に据えると、竜神は目を細めてサリアに頷いた。

「大分手ひどくやられたようだな、サリアよ」

「あ……」

 安堵と共に見上げるこちらの顔を見て、太い首の奥から笑いが漏れる。

「馬鹿者。こんなときにそのような顔をする奴があるか」

 それまでの余裕を消し去り、敵対者の顔になったフルカムトがこちらを睨む。その敵意を受け流すように、黄金のドラゴンは鋭い牙を剥き出しにして笑んで見せた。

「追い詰められたときこそ、ふてぶてしく笑うのだ。それが万難を排し、勝利するものの鉄則だぞ」

「はい…… 箴言しんげん痛み入ります」

「気にするな。そもそもこれ、儂の好きなゲームから引っ張った言葉だし」

「今更、何をしに出てこられたのだ」

 "知見者"はいつも通りの不機嫌な表情を浮かべていた。明らかな対応の変化、それは自分の策が中断されたこと以上に、対手となった竜神への苛立ちを感じさせた。

「今更、とはご挨拶な。そなたの宣言に異議があったからこうして出向いたというに」

「サリアーシェの弁護に来られたようだが、すでに審議は済んだも同然。速やかにお帰りいただければ、お手を煩わせることもないというもの」

「んん? それでは先ほどの宣言は儂の聞き違いかな? そなたが言ったのだぞ……"万神の賛同"に基づいて、サリアの権利を失効させよとな」

 問いかけの形を取った、矛盾の指摘。

 そして竜神は威厳を込めて、"知見者"の呪縛を打ち払った。 

「我が二つ名に掛けて宣言しよう、"万涯の瞥見者"エルム・オゥドはその決議に異議を申し立てる。さて"知見者"よ、これでそなた言う"万神の賛同"という前提は、崩れ去ったというわけだ」

「あなたはサリアーシェの盟友。身内びいきの言葉など、認めるに値しない」

「異議あり」

 ドラゴンの喉から迸る強い言霊が、反証となって全てをさえぎる。

「ならば再び問おう。"万神の賛同"と言うなら、この決は最初から無効であろうが。これまでの遊戯によって、主だった神々は己の意見を口にすることさえ出来ぬ状態。こんな片手どころか、諸手落ちの状態で"万神"などと、よくもほざいたものよ」

「敗者に何を言えることがあろうか! そもそもゼーファレスがもう少し地歩を固めていれば、このような下らぬ事態にはならなかったはず!」

「その意見には賛同しよう。だが、そなたはもう一つ、大事なことを忘れておるのではないか?」

 完全に形勢を逆転させて、竜神は表情も朗らかに告げた。

「遊戯の趨勢を左右するこの座において、なぜ"万神"の一柱である四柱神が、そなた以外誰一人、この場におらぬのかということをな」

「……っ!」

 四柱神のを出された途端、"知見者"の顔にかすかな曇りが生じる。その表情にサリアは全てを察した。

「あなたは……かの神々がこの場に来ることを嫌った。ご自身の言葉が私を蹴落とすための強弁であり、必ず反証を唱えてくるであろうことも知っていたから……」

「享楽を好む"愛乱の君"、戦を楽しみとする"闘神"、至誠を旨とする"英傑神"、誰一人としてこんな茶番は認めぬだろうな」

「だが、かの神たちも異論は挟んでも異議は唱えまい! 彼らには彼らの遊戯がある! このような瑣末ごと、巻き込むべきではないと配慮したまで!」

「それならば、最初から"万神の賛同"などと言わなければ良かったのだ、"知見者"よ。場の雰囲気を醸成し、サリアを追い落とすための機運を盛り上げるためとはいえな」

 竜神の一言に、論拠を失った発言が熱を失っていく。

 "知見者"が掛けた話術の霧と共に、嫌悪と不安の気配が薄らぎ始めた。

「だが、サリアーシェの疑惑が消えたわけではない! かのコボルトの存在、イヴーカスの用いた強力な魔物、そしてゼーファレスに勝利しえたあの戦い、その全てが魔の関与を示唆している!」

「待った!」

 力を込めて、サリアはその発言を封じた。

 自分に掛けられた言葉の枷は緩んでいる、これならば思い切った反撃が可能だ。

「遊戯の裁定者、"刻を揺蕩う者"よ。証明してもらおう」

「何事を、でございましょう」

 だが、ただの反証では届かない。

 自分がシェートという魔物を使っていることは明白で、その行動を証明したところで、魔王の関与を疑われてしまえば同じことだ。

 ここで成すべきことは、我が身の潔白を証明することではない。

「私と、イヴーカス殿が洞で語り合ったときのことについてだ」

「……何を言い出すのかと思えば」

 こちらの発言に、フルカムトの顔はあからさまな侮蔑を浮かべた。

「貴様自身の手で、疑惑を証明してくれるとはな。逃げられぬと観念したか?」

「確かに、私は証明をしようとしています。ですが、それは我が身のことではない」

 お返しとばかりに、サリアは勝ち誇る神に指を突きつけた。

「貴方の行動についてだ! "知見者"フルカムト!」 

「私の……だと?」

「イェスタ、私の思い浮かべた過去へと遡り、その場で起きた全ての事を、時の神の権能において、嘘偽り無く再現せしめよ!」

 時計杖がこちらの頭に触れ、思い描いた情景が水鏡に映し出されていく。


『では、その盟を結ぶにあたり、神々がいかなる動きをなさっているのか、お教えいただきたいものですね』

『そうそう。交渉は相手が欲しいと言った時に札を切るのです。言わなければ言わせるように仕向けるのも一つの手でございますよ』


 ある意味懐かしいとさえ言える光景だ。イヴーカスは仔細らしく表情を整えると、こちらに向き直って言葉を継いだ。

 逆転に繋がる重要な一言を。


『近々、"知見者"の御印が東征を行う由。それを受け、"覇者の威風"並びに"波濤の織り手"の二つ柱を頭目に頂き、遊戯に参じたる神々が邪神討伐に乗り出す機運が盛り上がっております。御注進までに』


「止めよ、イェスタ」

 映像が動きを止め、辺りに静寂が訪れる。

 相対した"知見者"の顔はどこか強ばって見えた。

「"知見者"殿、貴方は以前にイヴーカス殿の加護を評し、こう仰られておられましたな。『賎しい疫神風情が編んだ浅薄な神規』と」

「それがどうした。あやつの神規など、勇者の周囲に子供だましの理を敷衍ふえんする程度のものでしかない。そのお粗末さを指摘して何の問題がある」

「では、その神規の内容を一体いつ、ご理解なされたのでしょうか?」

 こちらの問いかけに、神はかすかな安堵と大いなる侮りで答えた。

「そんなもの、あの遊戯の様子を見ていたときに決まっている。貴様らの戦いは、それなりに遊戯への影響が出ると思われたのでな。他の四柱神も同席の下でだ」

「なるほど。ではイェスタ、映像を進めよ」

 こちらの指示に、時の神はなぜか嬉しそうに、映像を流し始める。


『"知見者"の動きまでご存知とは……貴方は、一体』

『さて、ネズミというものはどこでも入り込むものですゆえ。それでは』


「な……っ!」

 今度こそ、"知見者"の表情があからさまに変化した。同時に、映像を眺めていた神々の間から、空ろなしわぶきが漏れ始める。

 イヴーカスの漏らした最後の一言、その中に隠された真実に気が付いて。

「ここで神々に思い出していただきたい。かの百人の勇者が、なぜ我が配下であるシェートを誅しようという行動に至ったかを」

「そんなもの、貴様の持つ、分不相応な所領を奪おうと画策したまでのこと!」

「その通り。ですが、それに踏み切らせたのは、御身の操る勇者の軍の東征が原因です」

 こちらの指摘を聞いて、傍らに座った竜神が満足げに目を閉じる。

「そうなれば話は違ってきます。イヴーカス殿はいずこからか、御身の軍の動きを知り、神々を扇動して見せた。小心にして狡猾な彼の神の性分は、私も存じ上げております。その彼を大胆な謀へと駆り立てたのは、いかなる後押しがあったものでありましょうな?」

 全ては明白なことだ。

 フルカムトは謀略を以って自分を貶めようとした。逆に言えば、この場の全てに"知見者"の関与があったという証明でもある。

 彼はそれをひた隠しにして、自分に都合の悪い事実を伏せた。

 この場で証明すべきは、我が身の潔白ではない。

 相手の疑惑を証明することだったのだ。

「"知見者"殿、お聞かせ願えますか」

 強い確信を持って、サリアは昂然と顔を上げ、知見者を追求した。

「征服半ばであった中央大陸の戦場を放棄し、わざわざ辺境の大陸に軍を進めんとした、その根拠を!」

「む……っ」

「知に働き、一切を論理で推し量られる貴方だ。よもや気まぐれに、ということはありますまいな」

 その時、初めて"知見者"フルカムトは、サリアを睨みすえた。

 己の心を隠し、欺くための仮面ではなく、怒りと苛立ちを露にした激昂の素顔で。

「これは……貴方の入れ知恵か、"斯界の彷徨者"よ」

「見て分からぬのか? 儂はあくまできっかけを作ったに過ぎん。見誤るな、"知見者"フルカムトよ。対手が一体誰であるのかをな」

 竜神の言葉に、神の顔は一瞬で冷えた。

 代わりに、いてつく炎が瞳の中で燃え盛り始める。

「……此度のことは、いささか性急であった。神々におかれては、我が振る舞いを無様と見られる方もおられよう」

 先ほどまでの勢いが嘘のように、"知見者"は淡々とした様子で語り始める。

「だが、考えていただきたい。此度の遊戯で、成果を上げた二柱の神に共通する点を」

 再び水鏡を浮かび上がらせ、シェートとイヴーカスの勇者との戦いの様子を映し出す。

「最も弱きはずの魔物と、魔物使いの神規を用いて戦った勇者……いずれも魔の者が関わっている」

「今更そのような強弁が!」

「強弁ではない。これ以上、あのような魔物の跳梁ちょうりょうを許せば、魔王に付け入られる隙を生みかねない。そう言っているのだ」

 おそらく、"知見者"自身も己の言葉が強引過ぎることは感じているはずだ。しかし、これ以上シェートが魔物であることをごねられれば、また事態が悪いほうへ傾きかねない。

 その困窮を払うように、竜が言葉を発した。 

「"知見者"殿よ。その言い分も分かるが、一つ勘違いしてはおらぬか?」

「どういうことだ?」

「儂と、儂に連なる眷属のことよ」

 瞳が開かれると、そこには金色に輝く竜眼が、怒りの色を湛えて燃えていた。

「イヴーカスの勇者が使っていたワイバーンは、知性こそ低いが我が眷属の末席に名を連ねるものだ。貴様の発言は、その血と、我が一族の誇りを穢すものとして、受け取ってよいのであろうな?」

「――っ!」

「そもそも、この場に在る神々には、貴様のようなヒト由来の者ばかりではない。その神々全てに対して、魔の者がいかなるものであるか、得々と説いて見せるか?」

 神と魔とは性質と陣営の違いに過ぎず、姿形の異形で決まるものではない。竜神の指摘に獣由来の神や機械神たちも、"知見者"にはっきりとした嫌悪を向けた。

「そのようなつもりで言ったわけではないが、不快に思われたのなら謝罪しよう。だが、貴様らとて感じているはずだ、あのコボルトの異様さを」

 水鏡の中に映し出されるのは、ミスリルゴーレムを断ち割るシェートの姿。弁護をしようとして口を開きかけ、サリアはあえて沈黙を選んだ。

「これが最弱の魔物の姿か? 神の加護を得たとして、あれほどの蛮勇を奮えるなど、魔王の関与を疑わざるを得まい!」

 乏しい論拠だが、否定をすることは出来なかった。

 シェートがどうしようもなくコボルトであることは、戦場での振舞いでも明らかだ

 勇者を狩るという理由付けが無ければ、恐ろしさで逃げ出してしまうほどに、臆病な生き物に過ぎない。

 それでも、戦い続けられる不思議を、誰もが異常と思うだろう。

 必要なのは潔白を証明することではなく、こちらが背かないという態度を示すこと。

 そこまで考えて、サリアは思わず笑顔を浮かべていた。

「……何がおかしいのだ、女神よ」

「申し訳ありません。たった今、皆様の懸念を、晴らして差し上げる方法を思いつきましたので」

 イェスタに向き直ると、サリアは告げた。

「此度の遊戯が終わるまで、私は一切、星の加護を使うことを禁じ、また、所領への干渉と立ち入りを不能にしよう思う」

「よろしいので?」

「考えてみれば、何の関係も無い民草に遊戯の責を負わせるなど、あってはならぬこと。折もちょうど良いしな。ただし、対価もつけさせてもらおう」

 ざわめく神々、あっけに取られた"知見者"を見回し、サリアは宣言した。

「今後一切、私と我が配下の行動に対する誹謗中傷、魔物であることへの譴責の発言と、罰則、拘束の類の一切を禁じてもらう!」

「馬鹿な! それでは貴様が魔王と通じていたならば、こちらに何をすることも」

「それでどうなります? 私はたった今、全ての星と、それを贄と捧げる力を失ったのです。後は残された我が身と、もし可能ならば、我が所領を治める盟を結んでくださった神々の、芳情にすがるばかり」

 財産の全てを差し出し、誰にも文句を言わせない権利を買う。

 こちらの出した結論に、神々は半ば納得し、呆れもした。

「こうすれば、もし私が魔王と通じていたとしても、持ち出せるのはこの身一つ。"知見者"殿の懸念も、これで少しは晴れようものかと」

「と、申されておりますが、ご返答は?」

 こちらの言葉を受けて、時の女神が水を向ける。

 それまでのやり取りを胸に収める様にまぶたを閉じると、"知見者"は頷いた。

「よかろう。好きにするがいい」

 それが、この集会の締めの言葉となった。



「誰があそこまでやれと言った」

 神座に入った途端、竜神は呆れと共に言葉を吐き出した。

「もう少し、制限をゆるくすることも出来たであろうに……いくらなんでも思い切りが良すぎるわ」

「申し訳ありません。ですが、これで私たちの行動に、誰も文句をつけることが出来なくなったわけですから、良しとしましょう」

「そなたにしてみれば、星の加護など元より掛けるつもりも無い金のようなもの。合法的に厄介払いが出来たというところか」

「結果として至誠を示すことになりました。神々の覚えも、存外良かったようですし」

 結果を見届けた"知見者"が己の神座に去った後、その場に在った小神たちは、少なからずサリアの下に集まってきた。

 さすがにその場で盟を結ぶ事は出来なかったものの、こちらの態度を賞賛し、変わらない関係を約束してくれるものもあった。

「儂としても、あの条件はかなり破格であったとは思うがな。これで大手を振って、シェートを魔王軍に参画させることができよう」

「……お、お待ちください! 私は何もそんなつもりで」

「そなたがどんな気持ちであの制約を掛けたにせよ、残された盟は極わずかで、大きく掛けられるのはそなたの命のみだ。その状態で魔王軍と袂を分かち、単身"知見者"殿の軍と戦うつもりか?」

 舌戦には辛くも勝利したももの、その先にあるフルカムトとの戦いには、以前として闇に包まれたままだ。

「単身と言うわけではありません。まだフィーやグートもおります」

「仔竜に狼を頭数に入れてなんとする。まぁ、あやつらを合流させるという点では、儂も賛成だがな。フィーには儂から連絡しておこう」

「頭数、と言えば、カニラと圭太殿は?」

 早速パソコンに向かいメールを打っていた竜神は、尻尾を曖昧に振って困惑を示した。

「フィーから連絡をさせているのだが、どうやら着信拒否をされているらしい。カニラ自身、神座から出てこんので一切何も分からん状態だ」

「そうですか……せめてカニラや圭太殿と共に行くことができれば、無理に魔王軍に付き合わずとも良い気がしますが」

「ともあれ、向こうが勝手に招き寄せてくれるのだ。魔王軍の内情を知り尽くしてから出奔しても構うまい?」

「複雑な気分ですね。仲間と思う者を裏切り、己の勝利にのみ邁進するというのは……」

 天界を裏切らないと必死に弁を振るった直後に、魔王軍を出し抜き、裏切る算段を口にすることの矛盾を、サリアは苦い笑みで噛み締める。

「そんな感傷に浸っている暇があるのか? そなたも見たはずだ、魔将の侮れぬ武力を」

「分かっています。今の私たちに、美しく英雄的な手段を選ぶ余裕などないことも」

「シェートには、手合わせと言う形で魔将の腕前を探らせておくがいい。真っ当な武力を肌身に感じることは、今後の戦いにおいても役立つだろう」

 大軍の攻撃を切り抜け、謀略をかわしてなお、道行は暗いままだ。

 それでも進んでいる、そう信じるほかは無い。

「シェートに場所を移すように命じます。策を破られた腹いせに、"知見者"殿が軍を差し向けるやも知れませんし」

「その指示ならここで出せばよかろう。何かあるたびに顔を突き合わせるのも面倒だ、しばらく我が岩屋に留まるがいい」

 その発言に小竜たちが一斉に渋面を作り、神座の主は知らん振りを決め込む。

 サリアは無言で、その全てに深く頭を下げた。

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