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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~最も弱き反逆者~
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6、過ち

 扉を抜けると、周囲の視線がまず突き刺さってくる。すでに慣れっこになったものの、サリアとしてはうんざりする状況だ。

 それでも、以前はこちらに話しかけてくるものや、過去の交誼を確かめるようなそぶりぐらいはしたものだが、今は腫れ物にでも触るような空気しか送ってこない。


「おお、サリアーシェ殿。今日はどんな見世物を見せていただけるのですかな」

「申し訳ない。こちらの種は付きましたゆえ、此度はそちらが、甘ったるいだけの恋情詩歌ミンネザンクでも唸っておられればよろしかろう」


 すっぱりと切り捨てて先へ急ぐと、残された方は、これだから廃神はとかなんとか、ぶつぶつこぼしているのが聞こえた。


「余り邪険にしてやるな。あの伊達男、お前に袖にされて、痛くプライドを傷つけられたと見えてな。何かとお前のことをあげつらっておるぞ」


 心地よい芝生の上で寝そべり、日向ぼっこを決め込んでいる竜神に近づくと、開口一番にそんな揶揄やゆを受けた。


「悪いことをしたとは思っております。見た目と浮ついた恋歌ぐらいしかとりえの無い、日陰育ちのちしゃ男などと、本当のことを言ってしまいましたから」

「はっはっは、苣か。それはいい。ドレッシングでも掛けて食うと美味かろうな」

「やめておかれたほうが賢明でしょう。袖にした女の陰口など叩く性根の男です、湿ったくさびらだらけで、食べられたものではありますまい」


 聞こえよがしの嫌味に青筋を立てている男に笑いかけると、サリアは顔を引き締めて竜神に向き直る。


「少し、お願いしたき儀がございます」

「改めて言うておくが、儂は遊戯には参加しておらぬ。そなたも参加者となった以上、儂の助力は一切受けられぬと心得よ」

「存じております。ですので、此度は御身が蓄えている宝物の一端を、垣間見させていただければと愚考した次第」


 周囲の視線が次第にこちらに集まってくる。どうやら兄はこの場に居ないようだが、見つかれば何を言われるか分ったものではない。


「……ここではなにかと障りがあろう。儂の神座へ行こうか」


 こちらの思いを察したのか、思う以上の軽やかな動きで竜の巨体が宙に舞い、西の扉に降り立つ。少し遅れて彼に寄り添ったサリアは、彼の住まう座にたどり着いた。

 そこは、巨大な洞窟。

 壁一面には小さな穴が開き、その向こうにはさらに枝分かれした穴が見えている。

 だが、その穴は空間ではなく、みっしりとあるもので充実していた。

 本、あらゆる世界、あらゆる時代、あらゆる装丁、大きさ、文字、で構成された知識の集大成が所狭しと置かれている。


「相変わらず、すごいものですね」

「うむ。最近はあんなものも導入した」


 といいつつ、竜の長い爪が、奥まった洞窟の一部を指す。竜の住まう洞窟にはいささか不釣合いな、四角い金属の箱たち。

 見るものが見れば、それはコンピュータのサーバマシンだと分ったはずだ。サリア自身もそれほど詳しくは無いが、科学技術先行の世界では当たり前に使われている、テクノロジーの一端。


「適当に見繕ってな、情報整理に使っている。最近はああして」


 そのパソコンルームに小さな竜たちが、真剣な表情でパソコンに向かい、冊子を妙な機械にあてがっている。


「記録を取り、増えすぎた情報を圧縮しているのだ。紙は味わいがあっていいのだが、場所をとるし、お気に入りの物を手にするまでに洞窟を駆けずり回るはめになる」

「ははは。神となった今でも、収集癖は治まりませぬか」

「竜種の貪婪さは、死んでも変わらぬよ」


 世界の果てを見てきたと噂される竜の神。その意欲が金銀財宝や魔法の道具から知識というものに移ったいきさつは知らない。

 ただ、彼は天の神々の中でも高位の知恵者であり、汎世界の情報で知らぬことはないと噂されていた。


「それで、今日はいかなる用事で、我が知恵の洞を訪ねたかな?」

「今回の遊戯の行われている世界に入り込んだ、魔物についての情報を」

「見せろというか」

「違反にはなりますまい。遊戯に参加する神々にはすでに開示されている事柄に過ぎませんし、大抵の勇者達は下っ端の魔物など、情報すら必要とせず倒せるはず」


 竜は、長い鼻面からため息を搾り出した。


「サリアよ。なぜこんな愚かなまねをした」

「申し訳ありませぬが、いさめごとなれば、後ほど拝聴させていただきますゆえ」

「儂の申し出は、不服であったか」

「いえ、廃神の身に余る光栄でした」

「それでも……あのような魔物と組んでまで、遊戯に出る気になったのは、なぜだ」


 度重なる問いかけに、それでもサリアは唇をかみ締め、黙して質問を封じた。


「やれやれ、まぁよい」


 こちらの態度にため息をつきつつ、彼はサリアに一枚の板を手渡してきた。


「遊戯の攻略法というには少々頼りないが、適当に見ておけ。終わったらそこら辺に居る者に渡しておけばよい」

「あ、ありがとう、ございます?」


 透明な板にはすでに画像が投影されている。やや遅れて、これが画面を操作して情報を得る端末だと悟った。


「なるほど。これが竜神の"タブラ・スラマグディーナ"というわけですか」

「まぁ、そんなところだ」


 そういいつつ、彼もかなり大きな――とはいえ、そのごつい指にはいささか小さすぎる――端末を手に、真剣な表情で向かい合い始める。

 サリアもまた端末を叩き、魔物一覧と書かれたページを表示する。そこには、数値化された魔物たちのデータが並び、姿形や簡単な性質の情報が書かれていた。

 その中に、コボルトという項目を見つけて、表示する。


【コボルト】

 ・獣人族に位置づけられる最弱の魔物。世界によって容姿はまちまちだが、

  犬のような顔でデザインされることが多い。

  力、知能も弱く、大抵上位の魔物の奉仕種族として使われる。

  とても臆病で人間だけでなく、魔物からも隠れ住む。

  魔法を使うものは極まれ。平均寿命は30年ほどだが、天命を全うするものはほとんどない。


 数値化された大まかなデータを見たが、正直他の魔物よりも秀でているところは逃げ足の速さ、素早さ程度で、生命力も低い。

 それから、サリアは丁寧に魔物たちのデータを追った。上位を省いているとはいえ、中々お目当ての魔物は見つからない。

 眉間に皺を寄せて端末に向き合うサリアとは裏腹に、少し上の方から嬉しそうな声が振ってくる。


「おおー、レアドロップぞ! これでようやく全種類コンプリートできたわ!」

「……なにやら分かりませんが、おめでとうございます」

「ところで、そちらはどうだ? 探し物は見つかったか?」

「やはり、私は機械というのは苦手なようです」


 目を細めると、見かねた竜神が自分の端末を操作してデータを表示する。


「要するに、そなたはあのコボルトにも退治できる魔物を検索したいのだろう? そういう時は漠然と見るのではなく【コボルト】という単語と【レベル】とか【弱点属性】というデータを一緒に検索するのだ」

「ふむふむ、なるほど」


 小さな画面に竜神の手ほどきでデータが表示されていく。そして、二人は一匹の魔物に目を留めた。


「これならどうだ。危険性も低いし、そなたの配下でも何とかなろう」

「……なるほど」


 まるで宝の山でも見つけたような気分で、サリアはがっしりと端末を握る。

 早速、サリアはコボルトを導くための道順を調べることにした。


「いやいや、そのページではなく、そちらのアプリを使うといい」

「いえ、私は」

「遠慮をすることは無い。それ、ここを押して」

「あ……ありがとう、ございます」

 意外と世話好きな竜の指南に、サリアは苦笑しつつ従うことにした。


「錆喰い?」


 故郷の土地を離れて数日、シェートの旅は一旦の終わりを告げた。自分にも倒せる魔物を探し、心当たりがあるとの言葉を受けて、いくつもの山を越えてきたのだ。

 その間にも幾度か魔獣の類と接触した。そう、あくまでも接触。

 なんとか数匹の山海栗を倒すことが出来たものの、危うく毒で死にそうになった。


 広葉樹の立ち並ぶ森は、すでに自分の知っている匂いは無い。人間やその他の人魔にとっては大差無く思えるだろうが、森で生活する自分にとっては重要な要素だ。

 どれが危険でどれが安全かの判別をつけるのは匂いであり、その存在が何であるかを雄弁に語ってくれる証拠なのだから。


『そうだ。この近くに廃棄された鉱山があってな、そこに湧いているのだ』

「錆喰い、聞いたことある。でも見たことない」

『お前の使っている武器は全て木製だ。やつらと当たっても問題はあるまい』

「でもあいつら、俺の山刀食うぞ?」


 山刀は自分の生命線であり、形見の品だ。胸元の輝石がルーを思い出すよすがなら、腰の刀は死んだ父から受け取ったもの、そう簡単に手放したくは無い。


『どこかに隠しておくより無いだろうな。宿営地になりそうな場所に埋めておこう。それに弓も置いていくがいい』

「なんで!? これないと戦えない!」

『お前は遠距離は得意だろうが、近づいての戦いが苦手だ。適当な木槍を作って慣れておくのが良かろう』


 抵抗はしたかったが、しぶしぶ納得する。それからすぐに宿営地に出来そうな場所を探しつつ、辺りの匂いを嗅いでいく。

 生い茂ったブナの木立ちからは、芳しいしい水気が臭ってくる。梢には最近雛がかえったばかりの巣が掛かっているようだ。下生えの低木のいくつかには、赤や紫のかわいらしい実がついていた。

 魔物の影響が低く、普通の生き物たちの住む生態系が残っているようだ。もう少しうろつけば鹿やウサギ、キツネなどの獲物の足跡も辿れるだろう。


「ここ、いい森。でも、あんまりいたくない」

『なぜだ? 鉱山は廃棄されたのだぞ? 人間が来ることは』

「多分、たまに来る。取りこぼした鉱石、拾いにくる、結構いる」

『なるほど、物の解った山師なら来ることは無いが、何か拾えればもうけもの、と言う連中か』

「それと……」


 斜面に生えて、なおかつ岩や溜まった土砂によって、小高い部分ができたような木を探していく。


「鉱山、魔物、来る」

『なるほどな。そういえば暗く湿ったところは奴らの住処になりやすいか。とはいえ安心せよ、連中も錆喰いと事を構える愚かさは知っていよう』

「俺、その錆喰い、戦う」

『ははは……』


 こちらの皮肉に女神の苦笑いが見えるようだ。

 少し前に水面を通して見た女神の顔は、思ったとおり人間的なものだった。それが美しいかどうかは判断する気は無いし、人間に欲情するような変態趣味も持ち合わせていなかった。 

 少し探った後、シェートは苔で覆われた岩を破るように生えた木の根方に、自分の装備を置くことにした。自分が入り込めるくらいの小さな洞があり、茂みと土で偽装すればいざと言うときの隠れ家にもなりそうだ。


『しかし、ほとんど土地勘も無かろうに、良くそんなものを見つけられるものだ』

「そんなことない。ここ一番良かっただけ。無ければ二本前の木の下にした」

『ああ。あれで決めるのか思っていたぞ』

「あれ、洞大きすぎ。外から見つかる。それより少し前、倒れた木、あれも空洞」

『アレには虫がおったではないか……』


 気味悪そうに呟く女神に、コボルトは槍にする木の枝払いをしつつ笑った。


「お前達、みんなそうか」

『私は大抵のものは大丈夫だが、虫はその……苦手だ』

「お前そうなら人間もそう。俺、うまい飯と隠れ家手に入る。最高」


 汁気たっぷりの地虫のいたあの手の倒木は、実際隠れるのにいい。よほどのことが無い限り、人間は気味悪がってあの中を覗こうとはしないからだ。


「サリア、お前、好きな食べ物あるか?」

『神はお前達と違って、常に食物をとる必要は無い。飲食は存続する上でのアクセントにすぎんのだ』

「ふーん?」

『とはいえ、地のものを食べることはやぶさかではない。山葡萄や苔桃などは好きだぞ』

「後でおそなえするか?」

『それはありがたい。この戦いが終わったら、お前に廟でも建立してもらおうか』


 そう言って、サリアは笑う。

 正直役立たずな女神だし、この先が不安になることも多い。

 でも、この笑いを聞くのは好きだった。

 自然と会話を交わす機会が増え、サリアに色々と聞かせるのが日課になっていた。


「できた」


 小さな木を削って作っただけの粗末な代物だ。本当は材木から削り出し、切っ先の根元に返しの一つもつけたいところだが、贅沢は言っていられない。


『ではいこうか』

「うん」


 女神の導きよりも自分の鼻に従って行くと、斜面をかなり降りたところで、大気の感触が変わった。

 どこかでどうどうと流れ落ちる滝の音。茂みを抜けた先にあったのは、一本の河と、それによって出来た峡谷だった。


「うん。鉄臭い匂い、する」

『この辺りは鉄鉱石の産地でな。元々下流で砂鉄を使った鍛冶が主流だったのだが、ちょうどその崖の部分に』


 言われるままに岸の岸壁に目をやると、木組みで補強された入り口があった。


『ああして鉱山が作られたのだ。とはいえ、水辺の近くでな、地下に掘れば水が染み出すし、上に掘ってもそれほど鉄鉱が出なかった。結局この鉱山は閉鎖された』

「そうか」

『だが、この世界の人間も、いつかあの下に眠る大鉱脈を掘る技術を手に入れるだろう』

「鉱石、掘りつくした、違うか?」

『テクノロジーレベルの限界と言うやつだ。この世界の魔法文明は科学的な使い方をされることはなかろうから、いずれ来る蒸気機関時代、石油時代を経て、やっとだろうな』


 不思議な言葉を並べられ、内容はまったく理解できない。ただ、その言葉の端々に寂しさのようなものが臭う気がしていた。

「それで、俺の敵、どこだ?」

『ああ、すまん。洞窟の中は明かりは無いが、問題ないな?』

「見えるから平気。……中で戦うか?」


 話に聞く錆喰いの姿というのは、あまりぞっとしないものだ。粘着質の体に触手を使って周囲を嗅ぐという。


『怖気づいたか?』

「へ、平気! 行くぞ!」


 大股で洞窟に近づくと、そっと中を覗きこむ。奥まで続く湿った暗がり、思わず鼻筋にしわが寄る。


「カビと、苔と、錆臭い」

『そういえば、お前はこういう暗がりはどうだ?』

「好き違う、嫌い違う、どうでもいい」


 魔物は暗がりを好み光を嫌うなどと言われているようだが、別に自分にそんなものは無い。暗いところは身を隠すにはいいが、待ち伏せされたら危険、ぐらいだ。

 自分にとっては広い空間を奥に進んで行くと、足元に跳ねる水の量が増えていく。足首が濡れて冷たく、脳が痺れるようだ。


「足、拵えすればよかった。ここ水多い」

『すまん。どうやら何度か大水があったようだ、無理なようなら引き返』


 ぬるりと、錆臭い何かが鼻面を撫でた。


「うわあっ!」

『足元だシェート!』


 飛び退った目の前に、ざぶりと立ち上がるそれ。くぼ地に溜まった水の中から、ゆらゆらと触手を揺らして出てくるのは、魚の卵を覆ったあれような半透明な代物だ。自分の肩ぐらいまであるそれが、こちらに迫ってくる。


「で、でかい!」

『怯むな! 図体はでかいがお前の害になる攻撃はほとんどせん!』

「ほとんど!?」

『触手が時々熱くなるのだ。奴らは酸化によって対象となる鉄の』


 ひゅうっ、と触手が唸り自分の体を掠める。その刺激は思っていた以上に強い、女神の護りと毛皮を抜けて衝撃が伝わる。


『……意外とやるな!』

「もうお前黙ってろ!」


 駄女神を一喝すると、そのまま槍を構えた。先端に加護が宿り、シェートは勢い良くそれを突き出そうとした。


「あっ!?」


 透明な体がうねり、激しい破裂音と共に木の槍が叩き落された。


『いかん、早く槍を!』

「そ、そんなこと、むり!」


 槍を体に飲み込みながら近づく体、中に生物を丸ごと取り込み、金属だけを溶かすこともあるという。猛然と触手を振り回し、威嚇をしながらこちらに近づいてくる。


「ど、どうする!」

『仕方ない、一時退却だ!』


 サリアの声に、コボルトの体がさっと退却を始める。


『なんだその足の速さは! さては最初から逃げるつもりだったな!?』

「悪いか! 俺弱い! 無茶絶対しない!」


 あっという間に洞窟を抜け、元来た道を通り過ぎて、さらに上流へと走る。


『ま、まて! お前の野営地は』

「普通に戻るしない! 足跡つく! 匂い残る! べたべた枝につく!」

『……ほんっとうにお前は、逃げることに関しては天才的だな』


 多分嫌味なんだろうが、自分にしてみれば勝つことよりも、逃げて生き残る方が大事だと散々教わってきた。女神に見込まれようが、それを直すつもりは無い。


『とはいえ、その性根は直してもらわないとならんな』


 体を洗い、山を半周りくらいして夕暮れ頃に宿営地に戻ると、それまで無言だった女神は早速お説教を開始した。


『確かに、危を見て難を避ける勘は重要だ。しかし、そのままではいつまでもレベルは上がらんぞ』

「……俺、コボルト。無茶言うな」


 洞の近くに茂った枝を、取ってきた蔓で括って引き寄せる。出来上がった即席のひさしの下で、シェートは小さな炉を組んだ。


『明日からはもう少し積極的に……って、そんなことをしたら枝が燃えるぞ?』

「火、小さく起すから平気。物焼いた煙、葉っぱ通ってすぐ消える。見えないよう、火使うやりかた」

『それが狩人のやり方か』

「俺たちのやり方。追われてるとき、雨降ってるとき、色々役立つ」


 沢蟹や小魚を焼いた石の上に載せると、途中で取ってきた木の実を口にする。辺りに香ばしい匂いが漂い、カリカリとしたカニの殻を、そのまま噛み砕く。


『ともかく、多少は気持ち悪かろうが、しばらくあれを相手にしてもらうぞ』

「やだ、臭い。足冷たい」

『文句を言える立場か! 毒性も無く凶暴な性質も無い、打撃を喰らっても一大事にならない、そういう相手なのだぞ!』

「……なら、お前来て戦え」


 ほんの軽い気持ちだった。水は冷たいし、体はべとべとする。おまけに女神は役に立たない、そんな愚痴をこぼすつもりで。 


『出来るなら……最初からそうしている!』


 思いがけない語気に世界の大気が濃く重くなり、コボルトに圧し掛かった。


『私だって! 私だって……適うなら自分の手で……っ!』

「サ……サリア……」

『あ……』


 自分の声の強さに気が付いたのか、女神は決まり悪そうに口をつぐんだ。


『……すまん。お前が戦うのだものな、あんなものを相手にするのは気持ち悪かろう。だが、少し我慢してもらえぬか……な?』

「……わかった」


 辺りの空気が普通に戻った代わりに、気まずい雰囲気が流れていく。土を掛けて火を始末すると、シェートは洞で横になる。


「明日、蔓で足、拵えるか」


 冷たい水とぬるぬるする敵のことを考えて、シェートは眠りに沈み込んでいった。


 水鏡に寄り添いながら、ふっとサリアはため息をついた。

 さっきの言葉の余りの強さに、我ながら驚きながら。


「私は……無力だな」


 神座は夜の藍色に沈み、星々の輝きが周囲を彩っている。

 水鏡の向こうでは、小さく丸まって寝息を立てるコボルトが見えた。

 復讐という重いものを背負って生きるには、小さすぎる背中だ。その体に自分は、己の怨讐を重ね積みしている。


『サリアよ。なぜこんな愚かなまねをした』


 竜神の言葉が蘇る。確かに、自分は愚かなのだろう。

 彼にはもう何度も言われている。最初にその言葉を掛けられたのは――


 そこでは、絶えず風が鳴っていた。

 どこまでも広がる荒涼とした赤い砂漠、砂塵が渦巻き、幾度も大地を研磨して行く。

 空の青もくすみ、太陽も鈍い黄鉄鉱の色となって天空に掛かっていた。


 生きるものとて無い広漠とした土地。そこに一人、足跡を刻んでいくものがいた。金色の髪と衣服を嵐のような風になぶらせるのは、白い素足も顕にしたサリアーシェ。

 やがて彼女は小高い岩山の前にたどり着き、そこに腰を下ろした。

 目の前に広がるのは、やはり砂漠。赤錆びた大地が止むことの無い風に、ひたすら削られていくだけの光景に過ぎない。


 それでも彼女は、ただ黙ってそこに座り続ける。衣服を土埃が汚し、髪もその輝きを失っていく。その一切に頓着せず、過ぎ行くままに任せる姿は、どこか苦行者のようにも見えた。


「サリア」


 風の向こうから声がする。光を失った目が、虚空に何かを探してさまよう。


「サリア」


 呼びかけが耳朶を打ち、彼女は立ち上がった。


「どこだ?」


 辺りを見回す顔には、どこか哀切な色。


「誰だ!? どこにいる!?」

「儂だ」


 砂塵の中から、顔を突き出したのは巨竜のいかめしい顔。ほっとため息をつくと、サリアは何とか笑顔を向けた。


「このようなところまで散策ですか? "斯界の彷徨者"よ」

「……そなたは、ここで己の身を削っているのか」

「ここは、私の世界です。そこに戻ることに、なんの不思議がありましょうや」

「悔悟に身を晒すだけの存続など、愚かなことだぞ」


 それが限界だった。笑顔が崩れ、思わず彼我の大きさを考えず、叫んでいた。


「今更我が愚かさを笑いにきたか! 己の世界を守れなかった廃神よと! この地に眠るあまたの民草の前で!」

「そのような下らぬことに、時を浪費する趣味は無い」


 竜は、こちらの昂ぶりが落ち着くのを待って、切り出した。


「この地を、我が血に連なるものに与えてくれんか」

「……どういう、ことでしょう」

「知っての通り、竜種はそれほど繁殖の力も強くなく、その巨体を生かす場所も多くは無い。さりとて、若く生命力に溢れた種族に混じり、遊戯に参加しようという竜を見出すにも一苦労でな」

「残った資源を、骨までしゃぶろうというわけですか」


 自虐的な返答に、竜は嵐の音に負けないほどのため息を見せた。


「そなたはすでに治める民の無い王のようなものだ。だが、この地に住まう竜種の守護者となれば、その力をいかばかりか取り戻し、いずれはそなたの望む世界を産む足がかりとすることも出来よう」

「……こんな廃神の私に、なぜ、そこまで?」

「己がさっき言ったであろう。残った資源を骨までしゃぶるか、と」


 荒涼とした世界の中、竜の声は、驚くほど穏やかに響いた。


「儂はただ、同じしゃぶるなら、少しでもうまみが増すほうが良いと思っただけだ。そなたに恩を売れば、いずれはそなたの創る世界に、竜種を受け入れる余地を作ることも出来ようとな。違うかな? "平和の女神"よ」

「あ……」 


 欲得、損益の感情、だがそれだけではない言葉。そして、竜は不器用に笑った。


「過去ばかりを見て過ごすのは愚かなことだ。そろそろそなたも、先を見ることをはじめてはどうだ? まぁ、古を溜め込むばかりの竜が、言えた事ではないがな」

「……ありがとう、ございます」



 ――だが、自分はこうして自分の小さな配下を見つめている。


『それでも……あのような魔物と組んでまで、遊戯に出る気になったのは、なぜだ』


 彼の問いかけが、心の中で木霊する。


『復讐を望むのか、小さな魔物よ』


 あれは本当にシェートにのみ掛けた言葉だったか。

 サリアは苦笑し、膝を抱えた。自分の小さな魔物が目覚めるその時まで。


 重く鈍い衝撃と共に、じゅうっと肉の焼ける音。女神の加護が魔性と反発した効果。


『効いているぞ! 一気に畳み掛けろ!』

「うんっ!」


 洞窟に来てから三日、何度も繰り返し戦ったおかげで、錆喰いの動きにもすっかり慣れたし、近距離の戦いにも及び腰にならなくなりつつあった。

 槍などまともに使ったことは無いが、イノシシや熊を狩るときの要領で、腰だめにして体ごとぶつかる。そのたび、肉の焼ける音がして、熱と錆び臭さが辺りに漂う。

 苦しそうに体を蠢かせた錆喰いが、体を振り回して周囲をなぎ払う。


「おっと!」


 鞭のように風を切る触手、だが動きは緩慢でなんとでも対処できる。


『そこだ! やれシェート!』

「うがあああああっ!」


 何度か身を翻して逃げようとした錆喰いに回り込みを掛け、何度も滅多刺しに槍を突き出す。そして、錆喰いはその体を崩れさせた。


「はぁ……はぁ……や、やった……ぞ……」

『とうとうやったな! どうやら、レベルも上がったようだぞ』


 うれしそうな女神の声だが、別段自分に変わったところは無い。せいぜい足が冷たい水で凍えそうで、べたべたの粘液塗れの毛皮が気持ち悪い程度だ。


「で、レベル上がる、どうなる?」

『新たな加護をつけられるようになるのだが……まぁ、それは外に出てから話そう。お前が凍えてしまうからな』

「槍、ぼろぼろ。今日ここまで、いいか?」

『うむ……まぁ、あせっても仕方ないからな』


 残念そうな声に、こちらまですまない気持ちになる。それでもこれ以上の無茶はできそうも無い。すこしづつ明るくなる先に目を細めながら、シェートは鼻をふんふんいわせて鼻腔に溜まった悪臭を外に出そうとした。


「それにしても、こいつら臭い。鼻、バカになる」

『ははは。では次に来るときは鼻に覆いでも……シェートっ!』


 耳に痛い絶叫、闇の中から光の中に出るときの一瞬の切り替わり、そして効かなくなった鼻。

 その全てがコボルトから危機を覆い隠してしまった。

 ずんっ、と衝撃が肩を射抜き、後ろに吹き飛ばす。


「あぐううっ!」

「あたりー! あたりあたりあたりー!」

「うるさいちょっとだまれ」

「いぬっころしんだ、しんだか?」


 冷たい地面に体が投げ出され、痛烈に打ち付けた背中と左肩が猛烈に痛む。


「あ、あっ、ぐあっ」

「コボルトコボルト、あたらしいおもちゃ」


 耳障りでたどたどしい言葉、軽い足音、そして鼻の曲がりそうな獣めいた悪臭。

 その全てにシェートの毛皮が逆立った。


『バカな、ゴブリンだと!?』

「う……」

「ひひひ、こいつ、からだべちゃべちゃ」

「こうせきひろいか、さびくいたべにきたか」

「こいつらばか、さびくい、くえないのきっとしらない」


 牙がぞろりとはえそろった不恰好な口、尖った耳、毛の一切無い灰色の皮膚。やせぎすの体に汚い毛皮を身につけ、片手には錆びた手槍や小剣、弓を手にしている。


「う、ぐ……」

『逃げよシェート!』


 何とか体を動かそうとするが、矢から伝わる痛みがさらに不愉快な刺激に変化して、全身の動きを奪っていく。


『ええい、毒か! このままでは!』

「サ……リ……ア」


 必死に助けを求めるが、天からの助力は無い。さっき上がったレベルの分でどうにかなる程度では無いのか。


「お、こいつ! いいものもってる!」


 そう言っていやらしい手が、胸元の石を毟り取る。


「か、え、せ!」


 毒に蝕まれ、それでも片手は奪われたものに手を伸ばした。


「こいつまだうごける、しぶとい」

「おまえ、なまいき」


 手槍の石突が手を払い飛ばし、地面に転がった体につきこまれる。


「がふっ! がっ、あっ、ああっ」

「コボルトのくせに、なまいき」

「ころす? ここでころす?」

「だめ、こいつおれたちのどれいにする」


 次第に視界が暗くなる。嗜虐心に顔を歪めた小鬼達が笑い、転がった自分をどこかに連れて行こうとしていた。


「サ……」


 それ以上何を言うことも出来ず、コボルトの体は力無く、されるがままとなった。


「――――っ!」


 水鏡の淵を叩き、サリアは声にならない叫びを上げた。


「馬鹿! 馬鹿者! 何と私は……っ」


 呪いの言葉が後から溢れてくる。それでも自分の不注意を取り消すことは出来ない。

 洞窟の中の状況を把握するために、シェートの周りにのみ全神経を割いていたこと、レベルアップの快挙を成し遂げたこと、その全てが油断を生じさせた元だ。


 しかし、シェートをここに導く前、辺りの地形や魔物の分布については調べておいたはず。確かに魔物の駐留している砦はあったが、街と砦を結ぶルートからは外れていることは確認しておいた。

 何らかの理由が無ければ、彼らも野生生物同様、縄張りを出ることはそうない。さっきのゴブリンたちは軍装を身に着けていた、ということは。


「他の勇者に動きがあったのか!」


 勇者に対抗したか、あるいは追い散らされた残党か。いずれにせよ縄張りが乱され、そこからはみ出たものが、この鉱山付近にねぐらを求めたのだろう。

 コボルトは引きずられ、虜囚を得た魔物たちは他愛の無い会話に興じている。やがて彼らは川べりを下り、


「思ったとおりか……」


 川のほとり、広くなった場所に、無数の魔物がたむろしていた。

 ゴブリンを中心に、オークやオーガなど、魔王の軍の雑兵が百ほど群れている。

 統制を取るものは無く、とりあえず日が暮れる前に宿営地を形成した、そんな程度の連中だった。

 粗末な天幕がいくつか張られ、鳥獣を焼く煙が上がっている。村から奪い去ってきたのか酒樽も数多く置かれ、荷駄を引くために連れてこられたロバが、役目を終えたとばかりにオーガの手によって股割きにされていく。


「く……」


 下卑た笑いを撒き、あるいは自分の気に入らぬものに切りかかり、少し体の大きな存在に殴られては騒ぎが引ける。統制よりは個人の自由、知性らしいものは存在するが、獣性が優先された連中だ。


『おい! おれ、いいものみつけた!』


 引きずられ放題で、ぼろきれのようになったシェートを、ゴブリンが仲間の前に放り出す。毒と粗雑な扱いで虫の息に見えるが、それでも自分の与えた加護が、首の皮一枚で生かし続けていた。


『おお! あたらしいどれい!』

『ここらにコボルトのいるばしょ、あるか?』

『しらない。こいつさびくいのどうくつにいた。おきたらごうもんしてはかせる』

『ごうもん! ごうもんごうもん!』


 ゴブリンの性質は、大抵残忍に構成される。戦闘能力もそこそこ高く、何の力もない人間に恐怖心を抱かせるのに格好の存在だからだ。悪知恵が働き、相手を痛めつけるのに抵抗感を覚えない、生まれついての嗜虐者サディスト

 悪としての役割に疑問を抱かないもの、彼らこそが魔物の本質であり、有るべき姿なのだろう。

 そんな彼らは、おもむろに本領を発揮し始めた。


『これ、まえのどれいつけてたやつ!』

『おお! はやくつけてやれ!』

「……や……やめろ!」


 うれしそうに笑うゴブリンの手に光る鉄の輪。赤い錆と、以前の『持ち主』によってこびりついた、どす黒い痕跡が残る鎖と繋がったそれ。


「そんなものつけるな! この馬鹿ども! そやつは!」


 女神の声は届かない。意識を失ったコボルトに、虜囚の戒めが刻み込まれる。


「そやつは……」


 首輪が首に食い込み、手近な地面に打たれた杭に鎖が撒きつけられた。


「私の……」


 無能の女神が、水のほとりにうなだれる。

 何の手出しも出来ない光景が、ゆっくりと夕暮れに染まっていった。


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