2、練磨
甲高い楽器の音が、朝もやの漂う村に響き渡っていく。
起床を促すそれの音を聞き流しつつ、ポローは寝台の中で目を覚ました。薄闇の室内、他のものたちものろのろと身を起していく。
鼓笛手と呼ばれる部隊随伴の楽器係は、"トランペット"という真鍮の楽器を見事に吹きこなし、ポローたち兵士の一日が始まったことを教えるのを仕事にしていた。
「まったく、毎朝ご苦労なこったな」
誰かが、誰に言うとでもなく囁き、他のものが笑いを漏らす。それに応えず、ポローは部屋の隅に置かれた衣装箪笥に近づいた。
粗末な造りのそれには、鎖帷子や獣脂で煮固めた皮の長靴、籠手などが置かれている。身に着けた夜着から支給された衣服に着替えると、武具を手早く身につけていく。
他の者も黙々と装備を整え、そのまま外へ。似た様な間取りの部屋から似たような兵士達が次々と吐き出され、肌寒い錬兵場への道を小走りに進んだ。
「総員整列!」
牧場と畑を均して作られたその場所には、百名を越える人間が整列していた。遅れているのは、こうした規律のある行動に慣れていないポローたち新兵組だ。
「そこ! 整列遅いぞ! 腕立て五十!」
罰が言い渡され、ポローは無言でそれに従う。他の者も不承不承、地面に体を伏せるようにして、腕の力だけで体を起す運動を始めた。
「いいか、良く聞け! お前達が理解するまで何度も言ってやる! 軍隊では規律がもっとも重要だ! 動けと言った時に動き、止まれと言ったら止まる! それができない奴は役立たずのクズだ!」
叩き上げの傭兵から、勇者の軍に入ったと言う指導教官役の男は、毎度この調子で自分達を怒鳴りつけてくる。天気と自分の気分次第で事を進めていた農夫の頃とは、何もかもが違っていた。
「役立たずは勇者の軍には必要ない! 従えない奴は今すぐ胸の《ドッグタグ》を置いて去れ! 残りたかったら犬のように命令に従うことを覚えろ! 分かったか!」
犬のように。
地面に顔を擦り付けそうなぐらいに腕立てを繰り返しながら、苦笑いが漏れた。
規律という言葉の下に、起きる時間、寝る時間、訓練する時間を決められ、ひたすらに服従することを強いられる。
勇者の軍に入ってから一週間、厳しい生活の中で、脱落者は日増しに増えた。
「よし! 次は全装備携行で駆け足!」
命令が飛び、各々が長槍、盾、小剣を素早く身につけ、列を組んで走り出す。途端に金属のこすれあう音と、当て物のなめし皮が、汗に蒸れて放つ異臭が兵士たちの五感を刺していく。
「畜生……っ、大体、こんなことして、なんの役に立つんだよ……魔物をぶっ殺してレベルを上げれば、それで済むんじゃなかったのか!?」
少し前を走る男が泣き言を漏らし、幾人かがそれに頷き交わす。
『おい貴様ら! 聞こえてるぞ!』
胸元に下げられたプレートから教官が怒鳴り散らす。
『ちゃんと座学を聞いていたのか、この間抜け! こうしたファームでの訓練も、貴様らの経験値となるんだ! 忘れたか!』
バカな奴らだ、ポローは汗を拭うついでに自分の《ドッグタグ》に視線を落とした。
さっきの腕立て伏せで、数点だが経験値は追加されている。こうして走っている間にもそれはたまり続けている。
『そして何より、集団行動は軍隊の基礎だと教えたろう! それが分かるまで、貴様らにはたっぷり訓練をくれてやる! 駆け足五週追加だ!』
いくつかのプレートが赤く輝き、罰則を加えられたものたちが半泣きになりながら走り続けていく。
「よーし! 終わったものは戦闘訓練に移る! 班毎に分かれて隊列を形成しろ!」
支給された長槍は、ポローの身長の倍近くあった。狩猟で使う投げ用のものではなく、構えて敵を突き殺すためのものだ。
兵士達は横一列に並び、号令にあわせ、動作を繰り返す。
「槍列は横に並んだ人間が連携して初めて意味を持つ! 遅れるな! 突出するな! 呼吸を合わせて号令と共に突け! 突いたら前進、敵を突き倒す姿を思い描け!」
無数の穂先が鋭く空を切る。一斉に踏み降ろされた足が大地を打ち鳴らす。
その動作が正確であればあるほど、プレートに溜まる経験値が、より一層大きなものになっていく。
すでに、気付いているらしいものは何人もいた。訓練の一つ一つが、魔物を倒すのと同じか、それ以上の効果をもたらすことに。
「犬のように、な」
直に感じる成長の手ごたえに、身を乗り出したくなる。その気持ちを必死に抑え、ポローは無心に槍を振るい続けた。
朝の訓練が終わると、ようやく朝食の時間になった。専用に作られた食堂で兵士達は一斉に食事をする決まりだ。
厨房では村の女達が働き、それぞれが配膳された盆を受け取る。野菜や肉がふんだんに入ったシチューや大振りのパン、チーズなどが乗ったそれは、今までポローが食べていたものとは明らかに様子が違っている。
農民として働いていた時は、干し肉の欠片と野草が入ったスープに、ふすまで嵩増しをした綿くずのようなパンが関の山。王侯貴族の食事とまでは言わないが、相当な贅沢をしているのは明らかだ。
「隣、ちょっと空けて」
そいつが声を掛けてきたのは、目の前の食事に手をつけてすぐのことだった。自分と同じ軍用の衣服を身に着けた、栗色の髪の女は、こちらの返事も聞かずに割り込むようにして席に着いた。
「見ない顔ね。新入り?」
「……それはこっちの台詞だ」
「エクバート将軍の部隊に引っ付いて来たのよ。従軍はあたしが先だからね。ザネジの港で徴募された」
ポローは女を一瞥し、それから食事に集中した。何か言われるかと思ったが、女の方もそれ以上のことは言わず、黙々と食事を取っていく。
肩透かしを食らったせいか、ポローの意識は自然と女の方に向いた。
おそらく二十歳は越えていないだろう。束ねた髪の毛と、うっすらとそばかすの残る顔を見れば、まだ大人になりきっていないのは明らかだ。
「あたしが気になる?」
「女は珍しいからな、気に障ったら謝る」
「言っとくけど、あたしは兵士だから。変な目で見たら殺すよ」
「心配するな」
目の前の食事を片付けると、苛立ちを吐き出すようにポローは立ち上がった。
「女は買うな、博打は打つな、夢に見るぐらい念を押されてる。軍紀違反は良くて追放……悪ければ即処刑だ」
「それでもハメを外したがった奴を、ここまで何人も見たよ」
「俺を誘ってるつもりか? 一人寝が寂しいなら他を当たれ」
ポローは女を睨み、そのまま背を向けて歩み去る。
自分がここに居るのは、復讐を果たすためだ。こんな乳臭い女を抱いて、一夜の過ちを犯すためじゃない。
食器を厨房に返すと、プレートに命令文が浮かび上がっていることに気がついた。
『通達:本日九時から十一時まで座学。昼食の後、戦闘訓練。今後は、メシェ・クローサとセルを組んで軍務に当たること
特記事項:今晩十八時より、村の勇者の壮行会あり。必ず出席のこと』
聞いたことの無い名前に眉根を寄せ、ポローはいつの間にか側に立っていたさっきの女に、しかめっ面を向けた。
「ようやく気付いた?」
「どうして最初に言わなかった」
「アンタが盛りのついた犬か、間抜けな牛か確かめようと思って」
「おい」
重く腹にたまる怒りを押さえつけると、喉の奥から声を絞り出す。
「お前がどういうつもりでこの軍に入ったかなんて、俺には関係はないし、お前のことなんて、髪の毛の間からこぼれるフケ程度にも気にするつもりは無い」
女の喉がごくりと鳴り、周囲の視線がこちらに釘付けになる。
"軍内での私闘禁止"
その警句を思い出すと、ポローは握っていた拳を解いた。
「俺の邪魔をするな。そうすれば、この板っ切れが命令する程度には面倒見てやるから、それで満足しろ。分かったか、あばずれ」
こちらの威圧と、ほんの少し残った理性のおかげか、怒りに紅潮した女は殴りかかる寸前で手を止めて引き下がる。
女と、自分たちを見ていた群集と、騒ぎを収めようと駆けつけた衛兵に背を向けて、ポローは歩き出した。
下らないことに関わっている暇は無い。
時間が要る。少しでも多く経験値を稼ぐために。レベルを上げるために。
だから女も、友人も、憩いも必要ない。
気が付くと、ポローは宿舎の裏手にある広場で木剣の素振りを始めていた。
動きはまだぎこちないが、始めたころから比べれば格段の進歩だ。それもこれも、胸元に下がったプレートの【スキル】とやらのおかげだ。
レベルが上がるごとにたまるポイントを使って、兵士たちは武器の習熟や体の疲れにくさなどを授けてくれる【スキル】を買うことができる。ポローは指導されたとおり【武器習熟】を取得した。
スキルの力によって、ポローは何の指導もなしに正しい動きを覚え、剣を振り、槍を突くことで、その扱いに熟練するようになった。
鍬か日用品を削るナイフしか持ったことに無い農民が、十数年腕を磨いた剣士に比肩する力を持つことができる。それもたった数日でだ。
百本目の素振りを終えた時点で、ささやかなメロディが耳に届いた。プレートにはレベル十に上がったことを示す文字が浮かび、ほっと息を吐く。
「大分、上がりが悪くなってきたな……」
レベルアップに必要な経験値は、自分のレベルが高くなるほど大量に要求される。そろそろ訓練で得られる分では、間に合わなくなりつつあった。
『座学開始十分前。講堂に集合のこと』
自分の状態を知る"ステータス画面"に命令が割り込んでくる。座学の時間は退屈だが、受ければそれなりに経験値も入るし、何より軍務に必要な情報を通達する場なので、聞き漏らすわけには行かない。
さっきの女は、座学の時間でも自分と一緒になるのだろうか。
そんなことを考えつつ、ポローは汗の始末をすると、講堂へと向かった。
「それでは……今日は陣形、と言うものについて解説しましょう」
長机と椅子が並べられた講堂は、数十名の兵士たちを収容しても余りあるほどの広さを持っていた。
自分たちの正面に立ち、壁に取り付けられた黒い板に図を書きつけつつ解説するのは、勇者軍の軍師であるヴェングラスだ。
それほどの権威が目の前にあっても、目の前にいるポローをはじめ、そのほとんどが学問に触れることなど無かった連中であり、座学などは次の訓練のための休憩時間程度の意味合いでしかなかった。
現に幾人かの参加者は舟をこぎ始め、隣に座ったメシェもつまらなそうにあさっての方を向いている。
それでも、軍師は気にも留めず、全員の集めるように声を強めた。
「その前に質問があります。我々が軍を率い、徒党を組んで魔王の配下と戦っている理由とは、何だと思いますか?」
突然の問いかけに、周囲の人間たちは戸惑い、顔を見合わせあう。その様子を見た教師役は、少し笑ってから言葉を継いだ。
「少々分かりにくい聞き方をしてしまいましたね。では、他の勇者たちは一人で、あるいは少ない仲間で戦っているのに対し、なぜ我らが勇者は軍を率いるのか、その意味を考えたことはありますか?」
「そりゃ……少ねえよりは、大勢で戦ったほうが、強いからでねぇか?」
誰かのおずおずとした返事に、ヴェングラスは微笑みながら首を振った。
「では……何の加護も与えられていない、町の住民や村人が大挙しても、同じことが言えるでしょうか?」
「そりゃ、無理な話だべ! だって……その……加護ってのがなきゃ、おらたちは……」
「そうです。今あなたが口にしようとしたとおり『ただの人間の集まり』では、力にはならないのです。ただの土くれを積み重ねただけでは、濁流をせき止めることは出来ないのと同じようにね」
ただの土くれ、その一言にポローは朝の訓練を思い出す。
『犬以下』の『土くれ』、それがこいつらから見た俺たちだ。力を持ち、揮い、誇示することができるものの考えであり、魔物も勇者もそれは変わらない。
そんなこちらの気持ちを読んだように、魔法使いはポローに視線を合わせた。
「ですが、木によって枠を作り、土嚢として積み上げたとき、その中の土はただの土ではなく、氾濫を防ぐ堤防となります。魔王の暴虐を押しとどめる力に」
「そのための訓練、そのための規律、そう言いたいのか」
挑みかかるように返した言葉に、ヴェングラスは笑顔で答えた。
「このようなことを、本来口にするべきではないのですが、我ら神、フルカムトは常々考えておいでなのです。他の神がするごとく、ただ一人の英雄にのみ世界の平和を守る戦いを委ねていいものかと」
あの日、自分たちを勧誘した時のように、男は両手を軽く広げて、声を高めた。
「考えてもみてください。ただ上から降らされる救いに、何の意味がありますか。奪われた悲しみを、傷つけられた悔しさを、誰かに拭ってもらったところで……それは本当の救いとなるでしょうか?」
分かっている、いまさらこんな煽り立てなど、こちらをうまい具合に乗せるための甘言に過ぎないと。
だが、
「そして、ただ一人の勇者に全てを背負わせ、己が安穏として生きたとして、そこに何の誇りがあるでしょうか? それは、この世界に住む人間を蔑ろにする行為ではないでしょうか」
ああ、だが、それでも。
「我らが勇者の成すことは、あなた方を救うことではなく、あなた方を強くすること……自らの手で勝ち取り、屈辱を雪ぎ、誇りを取り戻す手助けをすることなのです」
この男の言葉を、受け入れてしまいたいという気持ちを、否定できなかった。
「皆さんの力は今まさに研ぎ澄まされようとしている刃であり、磨き上げられた盾であり……己の身を挺して、全てを守らんとする石垣の一つです」
いつの間にか、部屋は静まり返っていた。咳払いやしわぶきはもちろん、息をすることさえ憚られる気配があった。
その静寂を、魔法使いの声が切り裂き、全ての兵士たちの中に深く染み入っていく。
「これから皆さんに覚えていただく"陣形"は、その高邁なる理想の体現と言っても過言ではありません。一人一人の力は小さくとも、全てを結集し、正しく扱えば、どれほどの濁流をも跳ね返す力になる……あなた方という、"勇者"の存在によって」
自分の言葉が全ての視線を集めたのを確認すると、ヴェングラスは再び壁の板に図を書き出していく。
「では、始めましょう。良く聞き、よく見て、決して忘れることの無いように」
言われるまでもなかった。
次の訓練に入るまで、ポローはひたすら、ヴェングラスの教えを己に焼き付けることに終始した。
その晩、宴が催された。
宴席の張られた講堂には、村人が総出で作り上げた料理が並び、招かれた客たちが広いはずの空間を埋め尽くしていく。
それぞれの杯に飲み物が注がれ、村人も兵士たちも、この宴の主賓を待つ。
そして、昼間軍師が立ったのと同じ場所に、小柄な少年の姿が現れると、村人たちから喝采が起こった。それに習い、兵士たちもやや遅れて拍手や声援を送る。
「み、みなさん……今日は、僕のために……こんな席を設けていただいて、ありがとうございます」
ぎこちない笑みを浮かべながら、村を守ってきた勇者の少年は、挨拶を述べ始めた。
「まず、この場を借りて……勇者でありながら、力至らず、この村を守りきれなかったことを、そして、亡くなった方々にも、お詫びを申し上げます」
その一言に、ポローは深く、口角にあざけりを刻んだ。
力至らず、全くその通りだ。
聞けば、お前と俺が使うレベルアップの仕組みは、ほとんど同じだそうじゃないか。
それを今の今まで、奇跡をなせるほどにも昇華せず、ただ神の加護を頼みにして、先送りにし続けた結果が、この前のあれだ。
「幸いにも……"知見者"様とその勇者に、助力をしていただかなければ……この村は、どうなっていたか分かりません」
どうなっていたか? そんなことも分からないから、お前はそんなのんきな面をしていられるんだ。
「大変……ありがたいことに、"知見者"様のお力添えで、村は存続し、今後も外患のないよう、守備隊を置いていただけることになり……とても……感謝、しています」
壇上の少年は感極まったように口を結び、それから何とか笑顔を取り繕った。
「後顧の憂いがなくなったから……というわけではありませんが、今一度、僕は自分自身を鍛えなおすために、修行を始めるつもりです」
「いまさら修行だと? 笑わせやがる」
ポローはおもむろに酒盃に口をつけ、嘲りを酒に沈めた。
修行が足らないのは分かっていたはずだろう。それを怠りながら、俺たちに全ておっかぶせて、自分の心配だけすればいい立場になろうってのか。
「何人かの方には、ここに残って欲しいという声もありましたが……甘えが出るといけないので、誰も頼れる人のいないところで……やり直しを……」
そこまでが限界だったらしい。こみ上げる嗚咽を抑えながら、少年にはヴェングラスに手を引かれて外へと連れ出されていく。
やがて、彼を落ち着かせた軍師は、昼間と同じように壇上に立って、杯を掲げた。
「それでは、村を救うために尽力された、勇者殿の新たなる旅立ちに、乾杯」
『乾杯!』
それぞれが勇者の旅立ちを寿ぎ、杯を干していく。わずかに遅れて、ポローも部屋の隅に座って涙を流す少年に杯を掲げ、口にした。
厳しい訓練と、軍紀によって飲酒から遠ざけられていたというのもあるだろう。
それでも、含んだ酒は甘く、心から美味いと思えた。
『あなた方という、"勇者"の存在によって』
昼間に聞いた一言が酒の酔いと共に回っていく。
そうだ、もう俺は無力な村人なんかじゃない。
あの子供と同じ――いや、小さく脆弱な神と、意思の薄そうな子供一人など、及びも付かない力を手に入れることさえ可能なんだ。
「あばよ、村の勇者。せいぜいがんばって、修行してくるといいさ」
誰に言うともなく呟くと、ポローは少年を視界の外に追いやる。
そして、二度と顧みることはなかった。