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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~Warmonger編~
55/256

1、勇者の目覚め

 尖った耳が、意識の覚醒と同時に、ぴくりと動いた。

 途端に騒々しさが鼓膜に響き、シェートの心を揺り起こす。それでも、すぐには目を開かず、音だけを拾う。

 寝かされているのは木の板の上、体に伝わる振動から、自分は荷台に乗せられて運ばれている途中だと類推する。

 音の反響からすれば、広さは自分の周囲十歩くらいといったところだろう。鉄錆の異臭が鼻を突く。

 薄目を開けると、思ったとおり鉄格子のはめられた檻が自分を閉じ込めていた。

 時刻は明け方だろう、夜気と魔物たちの気配が自分を包んでいた。ゴブリン、オーク、オーガ、そして忘れもしない、牛頭の魔将の臭いがあった。

 呼吸を心持ち深くし、まるで眠っているような状態を保つ。そのまま、体全体に意識を飛ばし、少しずつ異常を確かめる。

 両手両足には重たい木のかせがあるが、鎖を打たれた様子はない。少しけだるさが残っているが、体に痛みも、行動に支障が出る損害も無いと分かった。

 周囲の音や視線を警戒しつつ、そろそろと体を曲げていく。小さく小さく体を折っていくと、大きな木の板でできた枷をついたてにして、小声を出した。

「サリア」

『目が……覚めたのだな』

 そのまま、魂まで漏れ出しそうな安堵を吐き出し、女神は言葉を継いだ。

『一時は、このまま死んでしまうかと思ったぞ』

「傷治す力、ちゃんと効いた、心配するな」

『すまぬ』

 苦々しい詫びの言葉を、サリアが吐き出す。

『勘違いしておったのだ……お前は強くなった、だから、知略を尽くせば、何事も越えていけるものだと……愚かだった……』

 その言葉と一緒に、蘇ってくる光景がある。

 牛頭の魔将に取り憑いた、この世界の魔を統べる王の存在。その圧倒的な力に、自分が討ち果たされた瞬間が。

「魔王、強い、な」

『ああ……』

 荷馬車が揺れる。

 比較的に舗装された道を、魔物たちは移動しているらしい。刻むようなリズムに、二人の重い沈黙が重なる。

「今、俺、どこいる?」

『……今は北へ向かう街道の途上だ。魔将の城はモラニア大陸の北、古王国カイタルのさらに北にある。途中の迷宮で兵員を補充し、今は相当の軍勢になっているぞ』

「俺……魔王、仲間、されるか?」

 朦朧もうろうとした意識の中、圭太を助けるために結んだ約束を思い出す。即断はしなかったものの、あれでは仲間になるのを先延ばしにした程度だ。

『お前が自分の意思で、私との契約を破却すれば、そうなるな』

「サリア、俺、契約破る、思ってるか?」

 わずかな沈黙の後、サリアは一言だけ告げた。

『シェートに任せる』

 コボルトは目を閉じて、掛けられた一言を心に収めた。

「……ケイタ、どうなった?」

『リンドルは……壊滅したようだ。圭太殿はあのまま捨て置くしかなかった。私はそなたの居る範囲しか見ることは出来ぬし、カニラからも連絡が無い。ただ、石像になったとの話も聞かぬから、まだ生きてはいよう』

「フィーは? グートは? 群れは?」

『それも分からぬ。竜神殿の話では生きていると言う話だが、連絡が付かないそうだ』

 状況は、今までに無いぐらい最悪らしい。

 仲間の生存は分からず、敵のただなかに残され、武器も行動の自由も無い。

 そんなことを思いながら、口が自然に動いていた。

「どうする?」

 わずかな沈黙、その後に女神の問いかけが降る。

『なにを、どうするというのだ?』

「え?」

『お前が言ったのではないか。何を、どうするつもりなのだ?』

 いぶかしげなサリア言葉に、自分の発言を反芻はんすうしたシェートは、やがて緩やかに口元をほころばせた。

「ふ……ふふ……ははは」

『な、なんだ……なにがおかしいのだ?』

「うん。おかしい、俺、おかしいぞ」

 何一つ先行きを明るくする要素が無い中で、それでも自分は考えてしまったのだ。

 これから、どう行動すべきかを。

「覚えてるか、俺、魔王の軍、つかまる、二度目」

『忘れるものか……あの時も……本当にどうしようもなかったな』

 鎖を打たれ、奴隷同然で引っ立てられ、死を覚悟した。

 身の上を呪い、ただ心細い身を泣くことしか出来なかった自分。

 あの時に比べれれば、はるかにましだ。

「どうする、サリア」

『そうだな。まずは枷を解き、逃げるのが良かろう。陣容はある程度探ってある。そなたの持ち物は、例の魔将殿の手の中だ』

「これ外す。檻、出る。武器取り返す。逃げる、また勝つ方法、考える」

『ふふ……そうだな、そうしよう』

 サリアの香りが深く、やさしさを帯びた。生きている限り、何かが出来る、そう思うだけで心が軽くなった。

「おいおまえ、おきてるのか!?」 

 檻の外から声が掛かる。知らん振りをして寝たふりをすると、声の主はいらだったように鉄格子を得物で叩き始めた。

「おい! おきろ! このいぬっころ!」

 途端に周囲がざわめきだし、騒ぎを聞きつけて重い足音が近づいてくる。

「どうした、目を覚ましたのか?」

「おやぶん、こいつねたふりしてる! ずっとこごえで、なにかしゃべってた!」

「おい……起きているのか?」

 むくりと体を起こすと、シェートはこちらを見下ろす牛の顔をにらんだ。

「思ったより、元気そうだな」

「……俺、魔王、客なる言った」

 両腕を持ち上げ、ぐっと突き出す。

「客、かせ付ける、魔王の礼儀か?」

「んっ……ぐふっ、ふはははははははははははははははははははははは」

 おかしくてたまらないと言った風情で、ベルガンダは顔をのけぞらせ、闇に哄笑を響かせた。

「我が主に言い含められているのでな、手足を自由にすれば、必ず逃げ出すに決まっていると」

「周り、魔物だらけ。俺、武器無い。一匹だけ」

「例えそうだとして、この期に及んで物怖じ一つせず、俺を睨み返すものに油断などするものかよ」

 揶揄を顔中に浮かべた魔将に、シェートはため息をついて背中を向けた。

「っ!? おいおまえ! こっちみろ!」

「かせ取らない、ならお前、用ない」

「こ、このいぬころ! ぶっころして」

「そうしたらこの俺が、貴様の首をもぎり取るぞ! この馬鹿が!」

 一喝されたゴブリンが逃げるように駆け去り、ベルガンダはいかにも面白そうな鼻息を漏らした。

「枷は取ってやれんが、別の物をくれてやろう」

「……なんだ?」

「丸二晩、目を覚まさなかったお前だ、そろそろ腹も減ったろう。何か食いたいんじゃないのか?」

 確かに、そう言われて見れば空腹感が募ってくる。いつの間にか荷車は振動をやめ、魔物たちが周囲に散り始めていた。

「飯休憩だ。どうだ、食うか?」

「ああ」

 肩越しに相手をにらみながら、シェートは付け加えた。

「毒、入ってないならな」

 魔将は、再び爆笑した。

 


 目を覚ますと、強烈な頭痛が圭太の意識を締め付けた。

 次いで鉛のようにベッドに沈み込む体に気が付き、うめき声がもれる。

『圭太さん……目を覚ましたのね』

 カニラの声は緊張が解けて、その場で崩れ落ちそうなほどに思えた。

「ここ……は?」

『リンドル村よ……門の前で倒れていたあなたを見つけてもらって、それで……ここに寝かせてもらっているの』

 カニラの言葉に、妙な歯切れの悪さを感じた。頭痛を堪えて起き上がると、圭太は周囲の異常を悟った。

 自分の住んでいた丸木小屋ではない。腐食を防ぐために焼いた木の板で作られた壁、同じような板で作られた四角い天井のせいで、自分が箱の中に入れられているような気分になる。

 ベッドも図って作られたようにきっちりとしていて、毛織の掛け布と清潔なシーツが寝具として使われていた。

 ドアは一つだけで、窓は小さなものが一つだけ。どこかワンルームのアパートや、カプセルホテルの一室を思わせる構造だった。

「本当に、ここは、リンドルなの?」

『ええ。ここは……』

 カニラの声をさえぎるように、軽いノックが響く。こちらの返事を待たないまま、一人の男が入ってきた。

「お目覚めのようですね、リンドル村の勇者、サエグサ・ケイタ殿」

「あなたは?」

「"知見者"フルカムトの勇者、ハヌマ・ヤスハル様の下で軍師をしている、ヴェングラスと申します」

 ローブ姿の青年は軽く会釈をすると、軽く笑顔を見せた。

「お加減はいかがですか?」

「少し……頭が痛くて……」

「なるほど。こちらでも報告を受けておりますが、魔王の顕現に立ち会われたとか……御身が無事で何よりです」

 すでに指示がしてあったのか、数人の僧服姿の女性が水差しや薬、小鍋に入れたスープを手に室内に入ってくる。

「従軍している尼僧です。とりあえず治療とお食事を……その後に、村の状況もお伝えしたいと思いますので」

「あ……はい……」

 促されるままに薬を貰い、僧侶の力による癒しと簡単な食事を取る間に、体の不調が拭い去られていく。

「まず、貴方がお倒れになってから、今日で丸二日経っております」

「……そんなに寝てたんですか」

「魔王の使った術は、おそらく死霊の怨念と瘴気を練り合わせた呪詛に近いもの。体力が無いものなら、適切な治療をしなければ即座に死に至るでしょう」

「あ……あの……シェート……君は?」

 今でも覚えている、あの時の光景。

 魔王を降ろしたミノタウロスに殺されようとした一瞬、必死に気を逸らしてくれたシェートの事を見ながら、自分は気を失ってしまった。

「分かりません。ただ、斥候の話では、檻に一匹のコボルトが閉じ込められていると報告がありました」

「そう……ですか」

 どうやら向こうも命は助かったらしい。安堵していいものかは分からないが、とりあえず無事なのは分かった。

「そ、そうだ! その檻にちっちゃいドラゴンとか、一緒につかまってませんでした?」

「いいえ」

 それまで愛想のよかった顔が、一瞬だけ能面じみた気配を漂わせる。

「存じ上げません。そのようなものは、報告にありませんでした」

 奇妙なくらいそっけない返事。とはいえ、彼にしてみればコボルトの群れと行動したフィーのことなど知るよしも無いだろう。

「そういえば、村の被害についてもお伝えせねばなりませんが、よろしいですか」

「……はい」

 被害という言葉を聞くだけで、全身のだるさがぶり返しそうになるが、それでも圭太は顔を上げた。

 自分は村の勇者なのだ、守りきれなかった事実は受け止めないといけない。

「全村民のうち、死者は十二名でした。遺体はすべて収容され、墓所に葬られました」

「そんなに……ですか」

「それでも、貴方の活躍で数多くの村民が命を救われています。死者を悼むのも大事ですが、生き残った方のことを喜んであげてください」

 ヴェングラスは労わるように笑顔を向ける。その言葉に励まされて、圭太もおずおずと頷いた。

「みんなは今、どうしてますか?」

「では、ご自分の目で、ご覧になられますか?」

 圭太はベッドから起き上がり、ヴェングラスの差し出してくれたマントを、外套代わりにして部屋を出た。

「え? な、なに、これ?」

 ドアを抜けた先には、細長い廊下があった。部屋と同じ木の壁が左右に広がり、自分の部屋の両側に、同じようなドアが並んでいる。

「プレハブ工法、そちらでは呼ばれているそうですね。あらかじめ均一に製造した家屋の部品を、現地で組み立てるという」

「……は、はい」

 最初に感じた印象は間違いではなかった。

 やけにきっちりと規格化された部屋の構造、置かれたベッドや衣装ダンスの形の、不気味なほどの統一感。その全てが既製品によって作り出されたものだ。

「我が軍では、駐屯地の宿舎をプレハブで建造しています。その土地によって、手に入る資材もばらつきがありますので、状況にもよりますが」

「じゃ、じゃあ、この家も?」

「被災した方々を収容するのに必要と思いましたので。事後承諾の形になりましたが……ご理解いただければ幸いです」

 慇懃いんぎんに頭を下げるヴェングラスは、変わらない笑顔を浮かべている。

 それでも、圭太はその顔から不気味さを感じた。彼は何か、プレハブ工法などとは比べ物にならない何かを隠している、そんな想像が頭をもたげる。

「では、外にまいりましょう」

 断ることも出来ず、圭太は青年の後について歩き出す。

 プレハブの宿舎から出ると、そこはもう別世界だった。

 焼き払われた瓦礫が村人の手によって撤去されていく光景のすぐ側で、きっちりとした制服や皮鎧に身を包んだ、軍人らしい連中が宿舎を建築している。

 遠くに見える麦畑の方では、まだ収穫前だと言うのにたくさんの男達が刈り取りを行っており、その辺りを囲うように柵を立てていた。

「な……なにを、やっているんですか」

「リンドル村の産業が、深刻な打撃を受けたことは、ご存知のとおりです」

 どう返事をしていいか分からない圭太を無視して、軍師の青年は解説を続けた。

「醸造所は焼かれ、倉庫の酒を放出してしまえば確実に次の一年、この村は無収入の状況となります。その上魔王軍に荒らされ、山海栗の毒により汚染された麦畑は、ほぼ壊滅状態です」

「そ……そんなに……」

「そこで、誠に勝手ではありますが、我が軍でこのリンドル村を、買い取らせていただきました」

 こともなげに言い放たれた言葉に、息が詰まる。

 何を言われたのか理解が出来なかった。

 リンドルを買い取る?

「この村は、カイタル、リミリス、テメリエア三国境線上に存在する、街道要衝の一つです。ただ、魔王軍が出現して以降、各国の国力は減少し、辺境の村を守るだけの兵力を割けなかった。そこへ、貴方が勇者として降り立ち、守りを買って出た」

 そんなこと、言われなくても分かってる。

 だから、自分とカニラは――。

「しかし、今回の魔王軍の出現により、リンドルは壊滅した。これを受け、この辺りの魔物も勢いづくでしょう。同時に村人達は住む場所を失い、難民となる運命が待っている」

「そんなこと!」

「ええ。そんなこと、させるわけには行きません。民を安らげ、魔物を駆逐するのが勇者の役目ですから……ゆえに、我々はこの村を、買い取ったのです」

 そこで説明を止め、ヴェングラスは村を歩き出す。リードを付けられた犬のように、圭太はその後を追うしかない。

「リンドルを我が軍の駐屯地とし、村の人々を軍需物資の生産や兵士達の世話などで雇用する。その間に名産のリンゴ酒の生産を復活させ、村を破滅から救おうと言うわけです」

「そ、そんなお金が」

「出資者はすでに募ってあります。リンドルから酒を買っていた商人たち、我が軍によってテメリエア大陸との貿易が復興したザネジを初めとする港湾都市。それと、貴方が企画していた蒸留リンゴ酒も売り込みましたのでね。みな快く応じてくれましたよ」

 圭太は、ヴェングラスの言葉に異常を感じていた。

 いくらなんでも、対応が早すぎる。

 プレハブ工法ですばやく家を建てられるからといって、資材は前もって準備しなくてはならない。復興のための資金も、まるであらかじめ村が崩壊すると分かっていたかのように、出資者を募っていた。

 つまり彼らは、この事態のすべてを、最初から知っていたということになる。

「ケイタにいちゃーん!」

 気が付くと、見覚えのある子供達が手を振っていた。ヴェングラスが"知見者"の参謀役であると知っているからか、こちらに声を掛けるだけで近寄っては来ない。

「おお、ようやく起きたか! 体は大丈夫か!」

 復興作業を行っている村人達の顔も、どれも明るかった。魔物に襲われ、先行きに不安を感じていたところへ、手厚い救いが現れたのだから。

 その裏にあるものさえ、想像しなければ。

「……ヴェングラスさん、聞きたいことがあります」

「では、一度宿舎に戻りませんか?」

「どうしてですか!? みんなに聞かれたらまずいことだからですか!?」

 最悪の想像が脳を焼き、思わず声が昂ぶってしまう。

 それでも青年は、相変わらず笑っていた。

「いいえ。貴方がここで、その話をしたいというのであれば、よろこんで。ですが、よく考えてください」

 笑顔で、勇者の参謀は告げた。

「貴方の『聞きたいこと』とやらを村人に聞かせて、何か益がありますか?」

「だ、だってっ、貴方達は!」

「それは『憶測』にすぎませんよ」

 鋼のような笑みが、全てをさえぎる。傍目には、穏やかに見えるその態度が、無言の威圧をこめて迫ってくる。

「もし、貴方の『憶測』を伝え、村人がそれを『信じた』としましょう。その時に何が起こると思いますか?」

「何って……それは……」

「我々を糾弾し、憎み、そして、どうなりますか?」

「あ……」

 何も出来ない。

 裏に何があったかなど関係が無い。

 村は、もう崩壊したのだ。

 誰かの助けがなければ、立ち上がることはできない。

「恨まれようとも、我々は復興の手伝いを続けます。ですが、貴方の漏らした『憶測』によって、村人は苦い思いを抱えたまま、生き続けることになるでしょうね」

「そんな勝手な言い分が!」

「ですから、私は言っているはずです。貴方は何をするのも、自由なのです」

 頭痛がぶり返してくる。

 一体これは何の冗談なのか、悪夢のような事実から目覚めてみれば、現実はそれ以上のひどい状況で。

 それでも、復興に向けて、村人は屈託なく働いている。

「どうやら、まだ無理の出来る状態ではないようですね。さぁ、宿舎に戻りましょう」

 肩を抱かれるようにして、圭太は一人、宿舎に戻された。

 ベッドの上に座り込み、重い頭を抱える。

「カニラ」

 助けを求めて、口を開く。

「どうすればいいの」

 心臓が、鼓動を打つ。

 一度、二度、三度と。

 それでも女神は、言葉を発しない。

「カニラ……聞いてるの」

 沈黙が部屋に落ち、不安と焦燥だけが部屋の中に満ちていく。

「カニラ!」

『ごめんなさい』

 返ってきた言葉は、それだけだった。

 女神の言葉には何もなかった。軽く、薄く、頼りない応えでしかなかった。

「……なんだよ、それ」

 一体、自分の神である彼女は何をしていたのか。自分が戦いに傷つき、臥せっている間に何もしなかったのか。

 そんな憤慨が、怒声になって湧き上がった。

「なんなんだよ! 僕が聞きたいのはそんなことじゃないんだよ! どうして!? どうしてみんなに、何も言ってくれなかったんだよ! どうして!」

『私に……何が出来たって言うの!』

 威厳の欠片も無い、絶叫。

 カニラの声は、悲鳴に近かった。

『私には、もう何も出来ない! "知見者"から知らされたの! 私が、私達が利用されたことも! みんな聞かされたのよ! あの方が、何もかも仕組んだと! だからって、私に何が出来るのよ!』

「カニラ……」

『私は、ただの、小さな神なのよ……』

 声が小さくなり、やがて途切れる。

 気味の悪いほどに整った部屋の中にうずくまり、圭太は絶望だけを見つめ続けた。



 朝もやが、かすかに残る林の中を、小さな影が歩いていく。

 体と同じぐらいの長い尾と、不釣合いなほどに大きな翼を背負った、青い仔竜だ。

 両脇に抱えた小枝の束の重さに苦しみながら、それでも必死に歩いていく。

 やがて目的地にたどり着くと、フィアクゥルはどっと疲れを吐き出した。

「あー、おもかったぁ……」

 軽く首をひねり、目の前に寝転がるコボルトの仔供を眺める。木の根方に丸まって、安らかな寝息を立てている。

「おい、ユネリ。起きろ」

 声を掛けてみるが、一向に起きる気配は無い。束になった枝から一本取り出し、頬を突っついてみる。

「おーきーろー」

「ん……っ……んにゅ……」

「起きないと、水ぶっ掛けるぞ!」

「は……ん……」

 それでもコボルトは何も答えないまま、惰眠をむさぼる。

 仔竜はすたすたと根方に歩み寄り、おいてあった鞍袋から、水袋を取り出した。

「うりゃっ!」

「んきゃああああああうっ!」

 あっという間にずぶぬれになったユネリは、半泣きになりながら顔を上げた。

「つめたい! すごく冷たい! フィー、すごいバカ!」

「起きろって言った時は、ちゃんと起きろって言っただろ」

 抗議の声に耳も貸さず、すでに組んであった炉の中に小枝を折りいれ、火打石を取り出して火を点ける。

「ほら、そこ座れ。乾かしながら飯にしようぜ」

「うー……」

 恨めしそうにしていた仔供は、こちらが手際よく川魚に串を打ち始めると、うれしそうに尻尾を振る。

「現金な奴だなー。次はちゃんと朝飯取るの付き合えよ」

「うん!」

 分かっているんだかいないんだか、元気よく返事をしたユネリの分を火に掛ける。

 その時、軽い足取りで白い毛並みの狼が木立ちを抜けて走り寄って来た。

「うふぅっ」

「ご苦労さん。その様子じゃ追っ手もいないっぽいな」

 取り除けておいた小ぶりの魚を放ってやると、グートは器用に空中でそれをくわえて、バリバリとむさぼった。

 すでにおなじみになりつつある朝の光景。夜通し見張りに出ていたグートが戻る頃に、川で取った魚や拾い集めた小枝を手にキャンプ地に戻り、ユネリと一緒に食事を取る。

 群れが人間たちに追われ、なし崩しに始まった逃避行は、今日で三日目を迎えていた。

 惨劇から生き残ったユネリを宥めすかしながら、目的地のエレファス山を目指して歩き続けていく。

 シェートに頼りきりだった食料集めが一番のネックだったが、川近くを中心に歩いて水と魚を獲り、時々グートが取ってくる山鳥やウサギで、何とか飢えはしのげていた。

「そういや、あいつら、どうしてるかな……」

 あれ以来、触ることもなかったスマホを手に取る。襲われた直後、一瞬だけ連絡を取ったきりで、しばらく通話も控えていた。

 誰かに見つかって殺されるかもしれない。その恐怖が、ひたすら逃げることだけを体に強いていた。

 最初の夜、震えて抱きついてくるユネリの存在がなかったら、叫びだしていたかもしれない。

「あんなこと……やってたんだよな、俺」

 もしかすると、自分もあの村人のような、嫌な目つきをしていたんだろうか。

 相手をいたぶり、己の糧とする、嗜虐に満ちた目を。

「フィー! 魚こげる!」

「え!? あ、おう!」

 片面が焦げ付きだした魚をあわててひっくり返し、頭を振る。

 今はとにかく、生きることだけを考えよう。

 火を通し終わった魚を手渡すと、フィーは久しぶりに通話を開始した。

「もしもし」

『……生きて、おったか』

「なんだよ。しおらしい声出して、俺のこと結構心配した?」

『そんな口を叩けるようなら、どうやら大事ないようだな』

 久しぶりに聞いた竜神の声を嬉しく思いながら、フィーは状況を説明した。

「こっちは何とか"知見者"の軍にも、魔物にも見つからずに移動できてる。エレファス山には、多分あと二日ぐらいで着くんじゃないかな」

『そうか。こちらではシェートが目を覚ましたと聞いておる。後で連絡してやれ』

「……あいつも、結構悪運強いな」

『あやつの運の太さは、そなたが一番分かっておるであろう?』

 笑えない冗談を聞き流しつつ、それでもシェートの無事に安堵をもらす。

「圭太はどうしてる?」

『未だにカニラと連絡が取れんのでな、様子は分からぬ。機を見てそなたからも連絡してみてくれ。埒があかんようなら、儂がなんとかしよう』

 状況はいまだ悪いままだが、それでも直接的な脅威から逃げ出せた自分は、まだ二人よりも幸運なほうだろう。

 少し考えた後、フィーは竜神に問いかけた。

「俺は、これからどうしたらいい?」

『まずは予定通りに動くべきであろうな。シェートを救出をするにせよ、元の世界に帰るにせよ、その仔供を見捨ててはいけまい?』

「……わかった」

『後のことは、こちらで考えておこう。ともかく今は、逃げることを優先にするのだ』

 通話を終えると、ユネリは不思議そうな顔でこっちを見つめていた。

「フィー、誰と話した?」

『俺の上司っていうか……知り合いっていうか……まあ、そういう感じかな』

「フィー……どこか、行く?」

 コボルトの顔に、不安そうな気配が漂う。竜神の声は向こうには聞こえていないだろうから、こっちの言葉だけを聞いて判断したんだろう。

「大丈夫だよ。ちゃんとユネリを、群れの仲間のところに送ってやるからな」

「かあちゃ、会える?」

 一瞬、言葉に詰まり、それでもフィーは何とか笑顔で頷けた。

「ああ。きっとみんな無事だ。だから、もう少しがんばろうぜ」

「うん!」

 食事を終えるとフィーは火の始末を終えた。それから荷物を確認し、グートに鞍を掛けてユネリを鞍上に押し合げてやる。

 日は高くなりつった。旅慣れない仔供のことも考えれば、すぐに出発したほうがいいだろう。

「無事でいろよ、二人とも」

 遠さかって行く仲間のことを思いながら、フィーはその場を後にした。


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