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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~nameless編~
49/256

14、戻れない道

 まだ夜も明け切た無いうちから、コボルトの群れは動き始めていた。

 自分の体内感覚よりも早い彼らの動きに、フィーはしぶしぶ体を起す。

「ほれ、朝飯」

 薄暗い中からぬっと突き出された、見知らぬコボルトの手から椀を受け取り、そのまま舌をつけて口に入れる。本当に犬のような食べ方だが、最近はあまり違和感を覚えなくなっていた。

「あ、塩効いてんなぁ……」

 麦の粉と山菜と塩漬け肉の粥は結構味が深くて、粗野な料理にしてはうまいと思えた。

 食事をすすりながら辺りを見回すと、群れの人数が大分減っていた。残っている大半は女子供に年寄りばかりだ。

「フィー! おはよー!」

 昨日遊んでやった子供連中が、歓声を上げて抱きついてくる。どうやらコボルトは、大人も子供も抱きついて親愛の情を示すらしい。毛皮の塊のような体からは、かすかに犬の毛のような匂いがした。

「ちょっと待てって、まだ俺、飯の途中だぞ」

「僕達、もう食った! フィー、遊ぼう!」

「ダメだ! 遊ぶの後! 仕事する!」

 年長らしい一人に言われ、チビどもが不満そうに離れていく。一回り背の高いそいつはそれぞれに草のつるを編んだ縄を手渡し、最後にフィーにも同じものを突きつけた。

「これ、渡すよう、言われた。たきぎ集め、手伝え」

「シェートは山に行ったのか?」

「大人たち、皆と。貰った食料、減らさないため。山一つ、越える、言ってた」

 残りの粥を飲んでしまうと、フィーは頷いてつるを受け取った。

「分かったよ……えっと」

「ウラク、お前、フィー」

「うん。よろしくな」

 年長のコボルトの指示で、子供達がそれぞれに固まって森に消えていく。それに習って歩き出そうとすると、ウラクは自分の方に手招きをした。

「お前、まだこの山慣れない。俺と来い」

「あ、うん」

 朝霧の薄く立ちこめる森は、冷えた大気を漂わせている。そんな中でも、一緒に歩く子供達は元気一杯だった。

「フィー! 尻尾、触らせろ!」

「うわっ!? ちょ、いきなりひっぱるなって!」

「この羽、鳥と違う。どうやって空飛ぶ?」

「そりゃ、魔法とか精霊の力とかでって……そこは、あっ! あああっ! くすぐった、ああっ!? ふあああああんっ!」

 昨日と同じかそれ以上の手荒い歓迎に、思わず変な声が漏れてしまう。

「こらっ、お前ら! フィーいじめるな!」

 見かねたウラクが子供らを引き離すと、フィーは深くため息をついた。

「ったく、俺の体はおもちゃじゃないっつーの……」

「すまん。みんな、お前珍しい。ドラゴン、近くで見る、初めて」

「気持ちは分かるけど、もうちょっと早く止めてくれよ」

 こちらのぼやきにウラクは笑い、それから辺りを見回した。

「この辺り、薪取って無い。みんな、俺、見えるところで拾え」

 年上の指示に、子供達が歓声を上げて四方に散っていく。

 木切れを真面目に集めている子や、虫を掘り出している子、あるいは何も考えずに走り回っている子。その姿は、どこかの幼稚園の遠足を思わせた。

「やっぱり、子守、嫌か」

「え? いや、確かにあのテンションはちょっと辛いけど、嫌ってほどじゃないぞ」

「あいつら、ずっとおとなしくする、言われてた。それに飯、ちゃんと食えなかった。それでも、ちょっと、はしゃぎすぎ」

 昨日のソルデと違い、思い切り打ち解けているウラクに、少し意外な気持ちがした。やはりコボルトと言っても、それぞれ違うんだろうか。

「お前、俺のこと、怖くないのか?」

「なんでだ? お前、俺と同じくらい。子供ドラゴン、そんな怖くない」

「はいはい、どうせ俺は、チビで火も吹けない、できそこないですよ」

「でも、シェート、頼りしてる、言ってた」

 何気ない一言を口にして、コボルトの少年は足元の小枝を拾い上げる。それに習いながらも、フィーは問いかけずにはいられなかった。

「ほんとにあいつ、そんなこと言ったのか?」

「ああ。優しくて、気の付く奴。山のこと、ちゃんと仕込んだ、だから手伝いできる、言ってた」

 ふと、昨日の夜の光景が頭に浮かんだ。

 焚き火を囲んで、仲間達と語らっているシェート。その嬉しそうな口元から、自分のことも皆に語って聞かせたんだろうか。 

「……そんなんじゃ、ねーよ」

「フィー?」

「なんでもない」

 それ以上の追求を避けるように、枝を拾っていく。それを束にしてくくる頃には、森の中はかなり明るくなっていた。

「……よし、そろそろ、みんなのとこ、戻る……」

「にいちゃ! きのこ! こっち、きのこ、いっぱい生えてる!」

 さっきから駆けずり回っていた一人が、赤い茸を手に歓声を上げた。朽ちた倒木に集まった子供が、嬉しそうにそれを突付きまわしている。

「だめだ。それ、食えない。捨てろ」

「えー? なんでー!」

「毒キノコだからだよ。さわってっと、胞子が鼻に入って体が痺れるぞ」

 その色と形を見たとき、自然と教えられたことが口を突いて出た。

 アカマダラ、矢毒には使えないが、乾かして粉末にしたものは根流しに使える。

「そういや……近くに川があるって言ったけど、これ使わなかったのか?」

「毒漁、ここ来る前、一度やった。あまりやりすぎる、人間、俺達見つけやすくなる」

 そんなことを話しながら、ウラクと一緒に子供らをまとめて群れへと戻っていく。その間も、子供達は食べられない木の実を拾ってきたり、木の皮をはいで味を見たりしては、楽しそうに声を上げていた。

「ああやって、色々勉強してくんだな」

「山入る、何でもやらせる。草、木、いろんなの、目、鼻、口使って覚える」

「ウラクは、それを見てやる役なんだな」

「これ、狩りと同じ。仲間、声かける。面倒見る、そうやって学ぶ」

 野営地に戻ると、あちこちから煮炊きの煙が上がっていた。一匹のコボルトが数人の男達に指示を出し、開けた場所に布が敷かれ、山刀が研がれていく。

「なにやってんだ、あれ?」

「山からトバシ来た! ガナリたち、大物獲ってくる!」

 作業の指示を出しているコボルトにウラクが駆け寄り、興奮した調子で話している。遅れて、子供らと一緒にフィーが布の敷かれた辺りに着いたところで、群れから歓声が上がった。

「帰ったぞ!」

 先頭に立ったアダラが大声で知らせ、その後を二頭の猪が引きずられてくる。そのうち一頭の猪を引いているのは、嬉しそうな顔のシェートだ。

「今、トバシ、色々聞いた! シェート、一人で、猪しとめた!」

「ま、マジで!? てか、トバシって?」

「先触れ! 一番足はやい奴、村、狩り隊、連絡結ぶ!」

 興奮気味に叫ぶウラクの後ろで、獲物が敷物に寝かせられた。

 運び込まれてきた猪は、寝かせた状態でも大人のコボルトの鼻先ぐらいはあった。すでに首元が断ち割られ、血抜きは済んだ後だと分かる。

「みんな! 仕事、掛かれ!」

 それからの作業は、まるで夢のような速度で進んだ。

 ガナリであるアダラと、猪をしとめたシェートが共に皮をはぐと、あっという間に群れのものが分担で解体に入る。

 赤剥けた猪の後ろ足に綱がかけられ、腹が断たれた後、股先にされていく。めりめりと生木を裂くような音と一緒に、まだ湯気の立つ内臓がこぼれだす。

「……ウサギとかは慣れたけど、これだけでかいと、やっぱ来るなぁ……」

 そんな呻きなど知らぬげに、それぞれの部位がきれいに切り取られていった。

 太股の大きな肉がいくつかの塊に分けられて火に炙られ、脇腹や背の部分も小分けにされて運ばれていく。その中で、コボルトの子供達が長い腸を手に持ち、水洗いしている。

「おい、それなにやってんだ?」

「きれいしてる! これ、腸詰作る!」

「ちょ、腸詰って、まさかソーセージか!?」

「しらなーい! 腸詰は腸詰!」

 何か手伝うとか思うまもなく、解体は瞬く間に終わり、辺りに肉の焼けるうまそうな匂いが漂い始めた。

「はぁ……なんか、すげーなー……」

「どうした、疲れたか?」

 振り返ると、そこには上機嫌のシェートが立っていた。マントもなく、腰の山刀と服だけの姿は、その辺に居るコボルトたちと、まるで変わらなかった。

「いや、あんなでかいの、あっという間にバラバラにするからさ……」

「猪狩り、ほんとはもう少し後。夏から秋、子作りの季節、普通、手出さない。でも、いい獲物、居てよかった」

「みんな……うれしそうだな」

 自分達が持ち込んだ食料に加えて、山で取れた獲物のおかげで群れの雰囲気も明るくなっている。その様子を眺めながら、コボルトは目を細めていた。

「おい! フィー! 肉焼けた! こっち来い!」

 呼びかけてきたウラクの姿を見て、シェートの手がそっとこっちの背を押す。

「ほら、行って来い」

「え? いや、あの」

「友達、待たせるな」

 笑顔で押し出したシェートは、そのまま別のコボルトたちと合流して、何事か話しながら去って行ってしまう。

「どうした? 早くしろ! 肉なくなるぞ!」

「あ……ああ! 今行く!」

 シェートの押した掌の感触が、妙にくっきりと感じられた。それと一緒に、友達という言葉が、じわりと染みとおっていく。

 やってきた子供らに手を引かれながら、フィーは去っていったコボルトの背中をただ見送った。



 吹き渡る風に、青い麦が揺れる。

 あぜを歩くポローの手を、伸び始めた穂が優しくくすぐった。

「ほれ、ぼーっとしてねぇで、草取りやっちまうべ」

 同郷の男はこっちの肩を叩き、そのまま自分の持ち場へと歩き去っていく。

 見渡す限り、麦が揺れている。周囲を木の壁で囲まれた村は、その守りの近くまで畑を広げていた。山に程近い斜面の方にはリンゴの果樹園が広がり、そこで作業をしている人々の姿が見える。

 ポローは地面にしゃがみこみ、小さく伸びた雑草を摘まんで抜いた。

 苦い土の香りと青臭い葉の臭いに、心が緩んでいく。

 麦を痛めないよう、気をつけながら歩き、草を抜いていく。一本、また一本と抜くうちに、頭の中にあった重さが消えていく。

 迷宮は落とされたと聞いた。

 村の男達が総出で、迷宮の中に残された宝を持ち帰り、勇者は讃えられた。その中にコボルトの姿はなかった。

 朝早く、逃げるようにして去って行った魔物の背を、ずっと睨んでいた気がする。自分の中にある思いは誰にいさめられても、止めようがなかった。

 それなのに、こうして草を取り、麦の間を歩いている間に、全ては溶けていた。

 あれほど激情し、憎んでいたはずなのに。

 緑の実りが、心をなだめてくれていた。

 足の裏に感じる畑のやわ土と、耳元で鳴り続ける麦の穂のさやぎが、昔を思い出させてくれる。

 自分は、こうして地を耕すものなのだと。

「ふぅ……」

 少し、腰が痛くなっていた。長いこと農作業などしていなかったから、体の方も鈍っていたのだろう。

 ゆっくりと立ち上がり、ポローは緑の上に顔を出した。

「とうちゃーん!」

 その瞬間、首筋の産毛が逆立った。

 あぜの向こう、粗末な家々の並ぶ村からこっちへ手を振る小さな影が見える。

「おひるー! おひるだよぉ!」

 その傍らに見える少女は、兄の手にぶら下がるようにして歩いてくる。

 その二人に向けて、片手を上げようとした。

「おおい! こっちだこっち!」

 その兄妹を呼ぶ声が、自分の背中越しに届く。

 子供らの目がそちらに吸い寄せられ、ポローに何の関心も払うことなく、通り過ぎた。

「父ちゃん! これみんなで食べろって!」

「とうちゃんっ、とうちゃんっ!」

「よし、お前らみんなを呼んで来い!」

 振り返らなくても分かる、仲睦まじい様子。親子の声を背中に受けながら、ポローはゆっくりと麦畑にひざまずいた。

「お……」

 土で汚れた指で顔を覆う。埃まみれのたなごころで、口元を塞ぐ。

「おお……」

 それでも、頬をつたい落ちるものも、漏れ出す声も、止められない。

「お……おお……おおお……」

 誰にも見られないよう、小さく、小さく体を丸め、うずくまる。

「ああ……あああ……おおおおおおおおおおお……」

 どうしようもなかった。

 村を焼かれて以来、一滴もこぼさなかったものが、溢れて地面に染みていく。

「あああ……ああ……ああああああああぁあ」 

 安らいだと、そう思っていた。この緑の中で、自分の何かがほぐれたと思った。

 そうではなかった。ただ、かさぶたが剥がれただけだ。

 失ったものがあることを、二度と戻らないものがあることを、思い知らされただけだ。

「ああああああああああああああ」

 指できつく額を掴み、唇をかみ締める。

 そうやって自分を押さえつけながら、それでもポローは止めることができなかった。

 嘆きも、悲しみも、浮かんでは消えていく思い出も。

 その中心に暗く脈打つ、怨嗟の星の耀きも。



 開け放たれた窓の外を見つめながら、手にした羽ペンを手でもてあそぶ。緑の畑は今も風に揺れて、潮騒のような音をかすかに届けてきた。

 机に座りながら、圭太は何も書かれていない本を前に、呆然と時間を過ごしていた。

『進んで無いようね』

「ん……」

『やっぱり、シェートさんたちのことが気になる?』

「……ごめん。仕事に戻るよ」

 思い出したようにペンを握り、覚書にしておいたリンゴの育成状況や、人工授粉についての情報を書き連ね始めた。それでも、ほんの少し書いた辺りで、手が止まってしまう。

『その調子じゃ、何時間座っていても同じことよ。外の空気でも吸いに行ったら?』

「……そういう気分じゃない」

 カニラは諦めた様にため息をつき、黙り込んでしまう。ふと立ち上がると、圭太はテーブルの傍らに置かれた杖を手に取った。

「"巻いて重ね、光韻よ来たれ"」

 杖の先にわずかに点る光に視線を合わせ、気持ちをそこに集中させる。

「"遊べ、遊べ、水鳥の羽の如く"」

 言葉に従い、光の欠片が大きなこぶのようになった杖の先を巡っていく。

 自分の使う魔法、光韻の力を身につけるのに覚えた鍛錬法の一つだ。カニラの導きで知り合った魔法使いの老人は、気持ちの迷いを沈めるのにも良いと言っていた。

「"舞い降り、舞い上がり、我が心のままに"」

 その輝きを見つめるうちに、閃く記憶がある。

「"寄りて引き、引きて寄る、光輝の漣"」

 この輝きが集まって、敵を撃つ感覚。目の前に敵が迫る緊張感と、それを乗り越えた時の高揚感を思い出し、胸が熱くなる。

「"地に降り、天に帰――あっ!?」

 突然、光が爆竹のような音と一緒に爆ぜ、杖の先に黒い焦げが付く。

 大げさなくらいに深いため息を吐き出すと、圭太は席に座って天井を見上げた。

「だめだね、なんか、調子出ないよ」

『……シェートさんたちと、一緒に行きたいの?』

 そう言うカニラの声は、怒っているのでも、悲しんでいるのでもなかった。 

 こわばり、緊張していた。もしかすると、怯えているのかとすら思えた。

「カニラ?」

『いいのよ。貴方の思うとおりにして』

「で……でも、この村は……」

『あの迷宮にあった財宝で、村は潤ったわ。後は、どこからか神官を呼んで来て、私の信徒になってもらえば、貴方ほどではなくても、私の神威で守ることもできる』

 言葉を重ねていく女神の声は、次第に落ち着いていくようだった。反対に、村のことをはっきりといわれて、圭太の気持ちが乱れていく。

「でも、皆、僕を頼りにしてるんだ。今居なくなったら、みんな困ると思うよ」

『そうね』

「それに、カニラとも約束したでしょ? 遊戯に巻き込まれて、迷惑している人を助けるって」

『ええ、そうだったわね』

 まるでそっけない言葉は、圭太の神経にやすりを掛けるようだった。カニラの態度は、今までとまるで違っていた。

「一体どうしたんだよ! もしかして、僕が皆と一緒に行けばいいと思ってたの!?」

『それは私の気持ちでは無いわ。圭太さん、貴方の気持ちよ』

「そんな!」 

 反射的に声を上げ、立ち上がる。

 自分は村の勇者になると決めた。だから、カニラの誘いに従った。

「そんな……こと……」

 それでも、何かがずれてしまっている。心の中にあった欲求に、ひずみが生まれているのが目に見えるようだった。 

『もちろん私は、このまま貴方に村に残って欲しいと思っている。迷宮は落とされたけどそれで全てが解決したわけではないし』

 窓からの光が、急激に少なくなっていく。山の端に太陽が隠れて、そろそろ宵闇に世界が没しようとしている。

『でも圭太さんは、昨日からずっと、心をどこかに置いてきたみたいな顔をしてる。村の人たちだって、もう気付いているのよ?』

「え……?」

 そう言われてから、圭太は改めて今日一日のことを思い返していた。朝の見回りのときもそうだったし、昼頃になって遊びに来るはずの子供達の姿も、今日はなかった。

 そんな、彼らとのどこかギクシャクした感じは、シェートの一件の後遺症だと、ぼんやり考えていた。

「もしかして……僕、嫌われた?」

『そうではないと思うわ。ただ、貴方の態度がこれまでと違うのを、察しているのよ』

 いすに腰掛け、杖を額に押し当てると、圭太は自分に問いかけた。

 このまま、シェートを追いかけようか。

 あのダンジョンでの冒険は、本当にうまくいった。サリアの指示や、シェートの度胸のよさと実力、フィーの探査能力、グートの奇襲、全てがかみ合った。


『やっぱり、魔法使いがパーティに居ると違うよな。戦術の幅が広がるし』


 戦利品を得てからの帰り道、フィーはそう言っていた。あれほど敵意を持っていたシェートも、最後には手を握り返してくれた。

 もしかしたら、あそこには、僕の居場所があるかもしれない。

 人間とは違う、普通じゃない者たちの中なら。


『やめてくんねーかな、勝手にトモダチヅラすんの』

 錐のように、胸を刺す言葉。

『俺、別にそんなもん興味ねーから。ちょっと気になっただけなのに……しつこくすんなよ』

 もう、あんな思いは、ごめんだ。


「大丈夫だよ、カニラ」

 圭太は勤めて明るく、言い切った。

「僕はこの村の勇者だ。それ以外はありえない」

『それで、いいのね?』

「そういう契約だったでしょ? 神様から契約破りを勧めるなんて、どうかしてるよ」

 笑いを含んで言い足すと、女神も淡く笑いを漏らした。

『それなら、もう少し仕事に集中してね? 明日から通常業務に戻ってもらうわよ』

「分かったよ。それじゃ、そろそろ晩御飯でも貰いに行こうか」

 杖を置くと、圭太はそのまま扉を抜けて小屋を後にする。

 その間も、心の中に浮かんで来る思い。


『本当に、それでいいのか?』


 そのたびに、圭太はそっと拳を握った。

 自分は村の勇者である以外、ありえない。そう刻み込むように。



 日が完全に暮れても、コボルトの群れは働き続けていた。

 昼にさばいた猪肉は保存用の処理が施され、余った分は全て鍋物や腸詰に使われた。当面の食料が心配なくなり、次に彼らが手をつけたのは、服や狩りの道具の整備だった。

 明日の出発に備えて荷物がまとめられたものの、女達は頼りない焚き火の明かりで、繕い物や、身の回りのものを作っている。

 フィーは焚き火の側に座り、ウラクの母親が綿を紡ぐのを見ていた。

 エレファス山でシェートがやっていたのよりも精巧に、もこもことした綿から細い糸が引っ張り出されて、細かくられていく。

 複雑に絡み合った植物の繊維を綿玉から引っ張り、それをねじって糸にする。見ていると簡単そうだが、自分がやったときは、あっという間に千切れたり、太くて不恰好なものしかできなかった。

「……うまいもんだな」

「母っちゃ、村で一番、糸作るのうまい」

 太股に寄りかかって眠る弟を撫でながら、ウラクが答える。あまり喋るのが得意では無いらしい彼の母親がそっと笑って、紡ぐ様子を見えやすいようにしてくれた。

 薄明かりの中でよられていく糸と、それを手繰る母親。子供達がその隣でくつろいで船をこぎ始めると、そばに置いてあった毛皮を持ち出して、包んでやっていた。

「フィー、ここ、くるか」

 そう言う彼女の声は、思う以上に優しかった。

「夜冷える。固まって寝る、あったかい」

「お……俺、まだ眠く無いんだ! だから、ちょっと散歩!」

 焚き火から身を引き剥がすと、群れを避けるように森の暗がりへ歩き出す。

 コボルトたちの声が遠ざかり、小さくなったところで、フィーは息をついた。

「なんなんだよ……これ」

 シェートと暮らしたことで、分かったつもりではいた。コボルトは粗野で知性の低い魔物というわけではないと。

 でも、ここでたった一日暮らしただけで、理解してしまった。

 山で働き、日々の糧を得て、家族を養い、子を産み育てる。

 彼らは魔物という『異種族』なのだということを。


『なにそれこわい、ていうか大虐殺じゃん』


 掲示板に書き込まれた言葉を思い出す。


『そこだけ聞いてると>>1が悪人に見える』


「だって……しょうがないだろ……」

 ぎゅっと目をつぶり、フィーは呻いた。

「こんなの、分かるわけないじゃないかよ! こんな……こんなの……っ!」

 魔物は悪で勇者は善。

 それを滅ぼし世界を救う、呆れるほど単純で陳腐な三文芝居。

 再演され、再演され、再演されて、そのたびに拍手喝采を浴びるロングランヒットだ。

 その舞台裏で、消費され、消費され、消費されつくしていく、誰も見向きもしない世界が、ここにあった。

 自分はその芝居の片棒を担いだ、いや担ぎかけたのだ。

「おい、フィー!」

 軽い足音と一緒に、今一番聞きたくない声が近づいてくる。そいつは後ろから抱きすくめるようにして、頭に触れてきた。

「――っ!!」

「お、おい! どうした!?」

 振りほどくように離れたこちらに、うろたえたシェートが立ち尽くす。

「お前、また、頭痛いか?」

「……ち、違うよ……そういうんじゃない」

「そうか……ならいい」

 ほっとした表情で頷くと、コボルトは手にしたコップを差し出した。

「飲もう。明日出発、しばらく、ゆっくりできない」

「……ああ」

 断ることもできず、シェートに習ってその場に座る。リンドルから持ってきたらしいリンゴの酒を注いでよこすと、コボルトはコップに口をつけた。

「うまいな。これ」

「あそこの名産らしいからな。今度の収穫でカルヴァドスとか造るって言ってたぞ」

「……なんだ、それ?」

「要するに、これを使って、もっときつい酒を造るんだってさ」

 他愛も無い話をしながら、舐めるように甘くて苦い液体を飲んでいく。その味と酒の酩酊物質が、心のどこかでせき止めていたものを、溶かし崩した。

「なあ……お前の、村も、こんなだったのか」

「どうした? 急に」

 それ以上、何も言わずに黙り込むと、シェートはぽつりと漏らし始めた。

「俺の村、もう少し、小さい。でも、ここと同じ」

 目を閉じ、消えていきそうな思い出をそっと拾い上げるように、コボルトが語る。

「俺、朝早く、皆と山入る。獲物追って、狩り終えて帰る。いつも弟達、俺見つけて抱きついてくる。一度、毒矢、触れそうなって、すごく怒った」

「弟……いたのか?」

「ロク、ムエリ、シュレハ、オッド、みんな、元気だった」

 だった、という言葉に体がすくむ。

「大きい獲物、みんなで分ける。猪、熊、鹿、潰すの大仕事。しとめた狩人、一番いいとこ、もらえる」

「……お前も、一匹しとめたって言ってたな」

「あれ、運良かった。みんな助けてくれた。ここ、狩人、皆いい腕」

 獲物の矢傷に加護の跡はなかった。鏃もコボルトたちに習って使わなかったのだろう。

 久しぶりに本業に戻ったシェートが、とても嬉しそうに、狩りを語る。

「俺、最初、ナガユビやる言った。でも、トメ役やれ、言ってくれた」

「とどめをしても良いってこと、か?」

「ああ。それで、一頭、しとめた」

 それからシェートは、山のことを事細かに語った。猪狩りの恐ろしさと、その対処の仕方や、山での獲物の追い方を。

「猪、みんな好き。使うところ、たくさん。肉、モツ、毛皮、筋、腱、牙、ひづめ、使わないとこ、ない」

「そういや、脳みそまでほじくってたけど、あれも食うのか?」

「脳、潰したの、毛皮なめす、使う。毛皮、質よくなる」

「本当に全部使うんだな。骨だって、焼いて粉にして薬にするとか言ってたし」

 その作業を受け持った女達が、大きな骨を軽々と担ぎ上げて炊事場に持って行ったのを伝えると、シェートは笑って頷いた。

「女達、良く働く。男手足りない時、山、別々、入る事ある」

「あれ? なんだっけ、山のカミサマって、女の人を嫌がるとかって」

「俺達、神様知らない。女、一緒行かない、狩り、途中でまぐわう、疲れるから」

 その言葉を反芻し、思わずフィーは顔を紅潮させた。

「え!? ちょ、ま、ま、ま、まぐわうって、そ、その……」

「山、入る前、男、女、別々寝る。山行く前、やってると疲れやすくなる」

「ストーオオオップッ! その話題禁止! 禁止だ禁止!」

 シェートは不思議そうな顔をするが、こっちはそういう経験も無い青少年、生々しい話は刺激が強すぎる。

 いくら相手がコボルトで、自分とは生物学的に違っているとはいえ――。

「……あー、あのさ?」

「なんだ?」

「シェートはその…………そういう、こと、致したことは?」

 とはいえ、興味が無いわけでもない。もちろん、純粋な興味だが。男として、その辺りをはっきりさせたいという気持ちが湧いてしまう。

 シェートは、少し笑って首を振った。

「できなかった」

「――え?」

「俺、最初、絶対ルー、決めてた」

 胸元に下がった青い石を、いとおしむように撫でる。

「この石、ルー、番うため、拾った。俺達、番う相手、一番良いもの、贈る決まり。あの日……俺、これ取り行ってた」

 突然、自分の周りが極限まで冷えた気がした。

 シェートの囁くような告白が、自分の体に染み込んで、小刻みに震えていく。

「いっぱい、大事する、言った。これ、あげて、ずっと、幸せ、するって」

「……もう、いいよ……」

 絞り出した声に、コボルトは悲しげに頷いた。

「そうだな……もうやめる」

 ぎゅっと目をつぶると、フィーは喉の奥から声を絞り出した。

「ごめん……これから、竜神のオッサンと……話があるからさ」

「ん。俺、向こう行ってるな」

 足音が去っていくのを聞きながら、もう少し森の奥へと歩み進む。暗く沈んだ木陰にうずくまり、リダイアルを押す。

『どうした? いきなり電話とは。もう掛け放題は終わって』

「なぁ、生き返りの加護って、コボルトにも効くのか」

 こっちの言葉に全てを察したのか、竜神は滴るような苦さのため息を漏らした。

『勘違いするな。加護による蘇生には、あらかじめ"手綱"を掛けておく必要があるのだ。一度肉体を離れれば、魂はあっという間に雲散霧消して』

「あんたらカミサマなんだろ!? そんなもん、お得意の奇跡でどうにでも!」

『神と言えど"摂理"は曲げられん。少なくとも、この世界の法則には"死ねばそれで終わり"という事実が、厳然と焼き付けられているのだ』

「……アンタのところに、時間のカミサマが居るって聞いたぞ。そいつなら!」

『もうやめよ』

 普段の軽さからは想像も付かない、厳しさと怒りに満ちた声で、竜神は断じた。

『時の流れは絶対であり、不可逆だ。たとえ時間分枝を越え、別の世界線を辿ろうとも……そなたの為した事が、消えることは無い』

 全てが重く圧し掛かる。

 言葉が、事実が降り積もっていく。

「じゃあ、俺は……どうしたらいいんだよ」

『なぜそれを儂に聞く』

「カミサマだからだろ! こんなの、こんなの俺に、どうしろってんだよ!」

『儂は、見物人だといったろう。そなたを舞台に押し上げはしたが、それ以降は、何もできぬのだ』

 フィーは硬く、手の中の端末を握り締めた。完全な防御で守られたそれは、きしみもせずに圧力に耐えている。

「なあ……もし、俺が、今すぐ、帰りたいって言ったら、どうする」

『受け入れよう』

 その言葉は、半ば予想していた。

 竜神は決して強要しない、ただ選択肢を出すだけだ。そして、やるといえば必ずやってくれるだろう。

「俺は――」

 いきなり、竜神の声が着信音に変わる。けたたましく鳴るメロディを止めると、焦りきった声が静寂を破った。

『フィーさん! シェートさんは、そこに居ますか!?』

「い、いきなりなんだ! なにかあったのか!?」

 受話器の向こうのカニラは、絶望そのものを吐き出すように叫んだ。

『村を、村を助けてください! お願いします!』


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