13、群れの仲間
村人達が見つめる前で、木に吊り下げられた檻が下ろされていく。
かけられていた錠前が外され、中からよろめきながら出てきたソルデを、シェートはそっと抱きとめた。
「大丈夫か。体、辛いとこ無いか」
「……ああ」
茶色の同族は、信じられないといった顔で見つめてきた。
「シェート君、準備できたよ」
圭太と一緒にやってきたのは、小ぶりな荷車とそれを引くロバだ。御者台が無いため、手綱を取っているフィーは、荷物の上に腰掛けている。
「それじゃ、すまん。これ貰ってく」
「うん」
彼の背後に立つ村人は、誰も彼も不審な顔を向けるばかりだった。とはいえ、昨日ほど不満の声が上がらないのは、迷宮から持ち出された財宝を、攻略の証として全て渡したからだろう。
ただ、ポローという男は、最後まで自分を睨むのをやめなかったが。
「途中まで送るよ」
「村、いいのか?」
「街道に出るまでね。後は、ついていかない方が良いだろうし」
フィーが無言で手綱をさばき、ロバが歩き出した。自然と人々が道を開け、そのまま門を抜けていく。
「ソルデ、荷台乗ってろ。少し休め」
「……ああ」
居心地悪そうに荷台へと乗り込んだソルデの向こうで、大急ぎで門が閉じていく。ようやく厄介払いができた、とでも言うように。
「なんか、あそこまで嫌われっと、かえって清々しいよなぁ」
「……ごめんね。結局、竜神様の言う通りになっちゃった」
「いい。嫌われる、慣れてる」
そんなことを言いながらも、シェートは隣を歩く少年に笑った。
「ケイタ、いろいろありがとな」
「え!? いや、その……僕は……」
『私からも礼を言わせて貰おう。そなたのような勇者が居て、良かった』
唐突に礼を言われたせいか、少年は顔を赤くして首を振る。
「感謝するのはこっちなのに。それに、結局君達を利用することになっちゃったし」
「お前、悪い奴、違う。言ってること、正直」
『この世にある誰もが、いや、天の神ですら、お互いの利得を勘定する。だが、そこに誠実が入るなら、それは信頼を結んだと言えるのではないか?』
「いいじゃん。俺らも得したし、そっちも得したし、それで納得しとけば」
身も蓋も無いフィーの言葉に、それでも圭太は笑って頷いた。
「僕も、ありがとう。ダンジョン攻略のこともそうだけど……一緒に冒険できて、楽しかったよ」
少年は手袋を取り、右手を差し出してきた。
コボルトは少しためらい、掌を拭ってから、同じように差し出す。
「がんばれ。村のみんな、幸せ、してやれ」
「僕も……君の願いが、叶う事を、祈ってるよ」
握り合った手は、暖かかった。
自分の毛皮の生えた手と、勇者の無毛の手が繋がりあって、奇妙な落差を生み出している。
「どうしたの?」
「……お前、暖かいな」
「え? いや、僕、生きてるんだし……そんなの」
『ああ。すまない。シェートは、今まで勇者達が消えていくところを何度も見ているのでな。そうして相手の肉体を確かめるのが初めてなのさ』
神の力で生み出された仮初の肉体だと聞いていた。本来の肉体が失われることで、還るべき世界との繋がりを無くさないための措置だと。
『彼らの体は、レベルシステムや神規などに対応できるよう、本来のものより"緩く"造られている。だが、それを除けば、普通の生物となんら変わりがないんだ』
普通の生き物と変わりないという存在。
繋がりを解くと、シェートは自分の手を見つめた。
「そろそろ行こうぜ」
気遣わしそうにフィーが言い、その後ろに居たソルデが縋るような顔で見つめてくる。
「それじゃ、ケイタ」
「また……会えると良いね」
ロバが再び街道にひづめの音を響かせ始め、少年の姿が遠ざかっていく。
手を振って見送ってくれる圭太に一度だけ手を振り返すと、シェートは背を向けて歩き出した。
真っ黒に焦げた大地を踏みしめながら、ベルガンダは完全に破壊の限りを尽くされた迷宮をにらみつけた。
術師たちによる透視で、施設のほとんどが復元不能なまでにされている事が分かり、本隊はここから少し離れた谷間に待機させている。
「リンドルの勇者の実力、まさかここまでとは」
「それだけではない。これを見ろ」
付き従って現場の検分に当たっていたコモスに、小さな木の矢を突きつける。
「やはり、見間違いではなかったのですな」
「理由は分からんがリンドルの勇者とコボルトは共闘したらしい。その結果が、これだ」
迷宮の規模としては小ぶりだが、シェルバンとその部下は決して弱くは無かった。リンドルの勇者を初めとして、付近の傭兵達の攻略も頑なに拒んできたのだ。
「いかがされますか」
「……当初の目的を、果たすほか無かろう。リンドルを攻め落とす」
「しかし、そのコボルトの方は……」
牛頭の魔将は瞑目した。
魔王の命令は絶対であり、コボルトを連れ帰るのは至上の命令だ。
しかし、いかなる力によるものか、相手は尋常ではない戦闘力を備えている。ただ、普通に攻略しただけでは、こちらの戦力をいたずらに減らすだろう。
「――攻城戦の準備をさせろ」
「は?」
「聞こえなかったのか! 攻城戦準備!」
「は……はいっ!」
ローブの裾をからげて走り去っていくホブゴブリンに見向きもせず、ベルガンダは膝をついて戦いの痕跡を指でたどる。
爆炎の呪文、おそらくは"烈火繚乱"だろう。焼け残った死体はトロルを含めて六体、斧を石壁に立てかけると、ナイフを引き抜いて死体を検め始める。
「矢傷、だけでは無いな。鎧の表面に引っかいたような跡……金属を束ねたものか、あるいは金属片を埋め込んだ鞭……か」
死んだゴブリンの眉間に開いた穴へと、手にしたナイフを差し入れる。焦げて穴の形は歪んでしまっているが、切っ先がどの程度もぐりこんだのかは分かった。
「これよりは少し長いか……短剣……いや、山刀の類だな」
立ち上がると、今度は壁際に積まれた死体に歩み寄る。強烈な熱で焦がされ、乾燥した土の上に、いくつもの足跡が残っている。形状や歩幅から、人間の物であることを確かめていく。
「リンドルの連中だな。借り出されてきた農夫と……この歩幅と靴跡は猟師か……これがおそらく勇者と……」
他のものよりも小さな靴と、そこから距離を置いて続く独特の足型。
「ベルガンダ様! 手配が終了しました! 準備完了は明後日の昼頃と」
「気取られんようにするには、それが限界だろうな。完了と同時に侵攻を開始すると伝えておけ」
「はい。その様子では、検分は終わられましたか?」
「まだだ。次はこれを調べる」
遺骸を一つ一つ、丁寧に並べ、その状態を確認する。その様子をコモスが興味深そうに見つめ、仕事の手を休めていた連中が集まってきた。
「分かるか、このオークの顔」
「焦げて……砕けておりますな。おそらく魔法によるものでしょう」
「違う。火で焼け潰れて見えにくいが、眉間の部分に穿孔がある。これは矢傷だ」
手早くナイフで死骸の顔を裂き、筋肉と脂肪の奥にある、頭蓋まで到達した鏃をむき出しにして見せた。
「おそらく、鏃に掛けた力が弾けて、顔を砕いたのだ。"凍月箭"であれば着弾と同時に顔が奥へと潰れていく。しかし、これは鏃を起点に、外へと威力が広がっている」
「普通、まじないの掛かった武器は鋭さや貫通力が上がるものですが、これは……」
「コボルトの矢には、"凍月箭"のような力が込められ、当たると同時に熱と衝撃を撒き散らす効果がある、ということだ」
いくつかの死体を検分した結果、コボルトのつけたと思しき傷には、似たような傷痕が刻まれていることが分かった。
「ガイデの肉を貫いたのもこの力だろう。油断すれば、この俺もワイバーンの毒にやられかねんな」
「まさか……それだけの懸念で、攻城戦の準備を?」
「この不思議な力に加えて、リンドルの勇者も相手取るのだ。用心に越したことは無い」
死体を事細かに調べ、その事実を頭の中に叩き込む。傍らに付き従うコモスにも書き取らせ、コボルトと勇者の立ち回りを想像していく。
「まあ、ここで分かるのはこの程度だろう」
大分日が傾き始め、周囲が闇に閉ざされ始めた。いくら闇を見通す目があるとはいえ、正確な分析にはそれなりの光が必要だし、手に入る証拠も調べ尽くしている。
「後は実地で見なければな」
「しかし、このような検分法、どこで学ばれたのですか?」
「なに、別に俺とて、生まれたときから魔将をやっていたわけではない、ということだ」
あいまいな返答で追求を封じると、ベルガンダは野営地へと向かう。
闇が濃くなり、全てを飲み込むように夜が深まっていった。
ロバの手綱を握りながら、フィーは流れていく薄暗い森の道を眺めていた。
馬よりも足は遅いが、後ろに詰まれた荷を引いた状態でも、駄獣は疲れた様子も無く足を進めている。
ただ、その脇を歩くグートの存在に、時々神経質な鼻息を漏らしていた。
「グート、ロバが嫌がるからあっち行けよ」
「……ふぅっ」
不満そうな太い息で答えると、そのまま狼は姿を消す。荷台の後ろでは、シェートが久しぶりに会った同族と話し込んでいるのが聞こえていた。
「そうか。魔軍、こっち来てるか」
「あと、人間、軍隊たくさん。俺達、ずっと流れてきた」
「苦労したな……早く、群れ、合流しよう」
暗い顔で話すソルデは疲れ切り、重い苦労を顔から滲み出させている。それを励ますシェートとは、全く対照的だ。
考えてみれば、シェート以外のコボルトをまともに見るのは、これが初めてだ。
勇者として行動していたとき、彼らは動く標的であり、経験値の塊でしかなかった。
「シェート、食べ物、毒、大丈夫か」
「ケイタ、カニラ、ちゃんと保障した。俺も味見た、心配ない」
「村人、俺達、つけてないか」
「グート、目、光らせてる。サリア、ちゃんと見てる。フィー、音、何か分かるか」
突然話題を振られ、慌てて周囲を確かめる。
「俺の……三百……いや二百歩周りにはなんも居ないと思う。鳥とかリスとかネズミぐらいかな。あ……グートが飯食ってる……」
かなり生々しい咀嚼音に慌てて感覚をぼかすと、シェートは笑いながら荷物の中から食料を取り出した。
「飯、食うぞ。時間惜しい、ロバ止めずに食え」
切り分けられた塩漬け肉と硬パン、水袋を受け取ると、そのまま食い始める。シェートに保障されたのに、ソルデは肉とパンの匂いを嗅ぎ、用心しながら口に入れた。
「そ……そんなに神経質になるなよ。同じもの、俺も食ってるだろ」
声を掛けた途端、コボルトはこちらを凝視し、それから居心地悪そうに食事に戻る。
村を出てからもソルデはこっちに対して、ずっとこんな態度を取っていた。まるで、世界の全てが、自分達を傷つけるとでも思っているように。
シェートの方も、ソルデをなんとか安心させようとしていたが、頑なな相手に諦めてしまったらしい。済まなさそうな目で、こっちを見るだけになっていた。
「ソルデ、俺達、どこまで、荷物持って行く?」
食事が一段落付いたところで切り出された話題に、ソルデは辺りを見回しながら、小声で話し始める。
「群れ、この森、奥いる。近くに滝、茂み多いところ」
「音からすると、結構遠そうだな。荷車は入れなさそうだけど?」
意見を口にした途端、ソルデはなんとも言えない苦い顔を向けた。
「あ……あのさぁ! そんな位の小声じゃ、意識してなくても聞こえるんだよ!」
「フィー!」
珍しく弱った顔でシェートが割って入る。それ以上言う気が失せて、そのままロバの背中に視線を戻した。
「ソルデ……フィー、俺の仲間。悪い奴、違う」
何度目かの説得に、コボルトは呻くように絞り出した。
「……シェート、お前……なんだ?」
「え?」
「お前、神様、力貰った、言った。ドラゴン、仲間言う。俺、そんなコボルト、いたの、知らない」
角に、ソルデの聲が聞こえたような気がした。
それは震えて、怯えていた。
「俺、感謝してる。それ、本当。俺、逃げられた。食料、毛皮、布、薬、手に入った。でも、それやったシェート、お前……一体なんだ?」
「お……俺……?」
振り返った先にあったソルデの顔は、疑念と恐れに歪んでいた。
思いがけない問いかけに、シェートは驚きと苦痛を浮かべている。
「俺、コボルト。お前と、同じ……」
「同じ、違う」
明らかな否定に、二匹のコボルトは言葉を詰まらせた。異様な雰囲気に、鈍感なロバさえもが足を止めてしまう。
『……シェート、今は成すべき事だけ考えよ』
サリアの声にシェートの耳が、かすかに動いた。苦痛を顔から消し去り、同族に笑顔を向ける。
「今、そのこと話す時、違う。群れ、皆待ってる、そうだろ?」
「……すまん。俺……こんなこと、言うつもり、なかった」
「ふざ――」
『やめよ、フィー』
女神の言葉は、こちらの肩を掴むように響いた。
『お前には分からぬだろうが、コボルトたちは本当に弱いのだ。それゆえ、得体の知れぬ力を持ったシェートを、恐れてしまう。たとえ、同族であったとしてもな』
「なんだよ……それ」
サリアの放つ香気は、苦く沈んでいた。自分の与えた力が、同族の間に生み出した溝を見て。
そして、フィー自身も、重く圧し掛かるものを感じていた。
瞳に悲しみを宿しながら、それでも明るく振舞おうとするシェートの姿に。
日が傾きかけ、森が闇に閉ざされる頃、シェートは茂みの奥にざわめきを聞いた。
「ソルデ、仲間、来たか」
「ああ……ちょっと待て」
素早く荷台から降りると、ソルデはか細く通る鳴き声を森の奥へと放った。おそらく安全を示す合図だろう、茂みの音が大きく強くなる。
そして、馴染み深い犬面が、いくつも顔を出した。
「無事だったか! ソルデ!」
「心配した! 生きてて良かった!」
仲間達に抱擁を受ける姿を見て、胸が少し痛む。身につけた衣服や山刀から見て、おそらく狩人の連中だろう。やがて彼らは、不思議なものでも見るように、こっちに視線を投げてきた。
「あれ、誰だ? 見ない顔」
「あいつ……シェート。人間の村、捕まった時、助けられた」
その言葉だけでは説明が付かない荷物や、フィーの存在を眺める男達に、シェートも荷台から降りて挨拶をする。
「シェートだ。灰影ハナンの尻尾、薬師メルガとイルシャの初仔。木陰、草陰、くぐって獲物追う友、挨拶する」
「アダラ。山追ジウルの尻尾、弓取オンボとセイの二腹目。山川越える友、挨拶返す」
半ば忘れかけていた古い挨拶の言葉を交わすと、アダラと名乗った男はすっかり打ち解けた顔になった。
「ソルデ、助けた、感謝する」
「……ああ。それより、これ運ぶ、手伝ってくれ」
荷台を示すとコボルトたちは喜びながらも、不思議そうに荷物を確かめていく。
「これ、盗って来たか?」
「気にするな。これ、全部お前らの。人間、追ってこない」
「追ってこない? ……まぁ、それなら、いい」
さすがにアダラは深い追求を避け、ただやるべきことを指示していく。荷物がコボルトたちに背負われると、ロバが不安そうにいなないた。
「これ、どうする?」
「どうしてもいい、言われた。潰して肉、食うか」
「え……ちょっ、このロバ殺しちゃうのか!?」
それまで黙っていたフィーが嫌そうに声を上げる。途端にコボルトの群れが仔竜に不安そうな顔を向けた。
「そいつ、俺の仲間。気にするな。それとフィー、ロバ、山奥つれてけない。このまま放す、他の獣、餌食なる。それ、もったいない」
「分かる、けど……なんかこう、もにょっとするなぁ……ここまで一緒に来たのに……」
情でも移ってしまったのか、フィーがロバの腰を優しく撫でている。その様子にアダラが言い添えてきた。
「足萎えた年寄り、居る。そいつ乗せる、いいか」
「ああ。荷車、ばらす。後で何か使え」
話がまとまったことで安堵した仔竜を降ろし、シェートは一行と森へ入った。
先導するアダラの立ち居は落ち着いていて、おそらく群れの中心になっている者だと分かる。その雰囲気に後押しされ、ソルデから聞き出せなかった質問を口にする。
「アダラ、群れ、どのぐらい仲間、いる?」
「……今朝、何人か弔った。それでも、六十は居る」
「多いな……多分、食料、もたないぞ」
ソルデは村に居る間、頑なに群れのことを話そうとしなかった。仲間を危険にさらすのを嫌ったのは分かるが、言ってくれていたら、もう少し圭太から引き出せたろう。
「でも、これ、みんな上等。麦粉、あるの助かる。乳出ない女、赤ん坊、食わせる」
「飯食わせた後、別の土地、移りながら狩り、か」
「……そろそろ、青葉、盛りなる。しばらく、どんぐり、食えない」
渋い顔でアダラは首を振る。狩りをすると言っても必ず獲物が居るわけではない。そういう時のために秋のどんぐりを備蓄するのだが、着の身着のままの彼らに、そんなものがあるわけはなかった。
「なぁ、シェート、お前知らないか、コボルト住める森」
暗くなった森の中でも、同族の男の瞳が期待に輝いているのが分かった。おそらくこちらを、どこかの群れから出て、狩猟の旅をしている者だと思ったのだろう。
「すまん。俺、住んでた村、もう無い」
「……そうか。お前、生き残りか。身なりいい、無事な里、ある思った。許せ」
「気にするな。それより、俺、少しだけいた山、結構良い。木の実良く生る茂み、茸、山鳥、たくさん」
さすがに、自分が残した影響は消え始めているだろうが、ふもとの人間達も簡単には入り込まないだろう。一冬でも越せれば、もっと南の人の手が入っていない土地にも行けるかもしれない。
エレファス山の話を聞かせると、アダラの顔は目に見えて明るくなった。
「ありがとう。お前、俺達の恩人」
「困ってる時、助ける当たり前……ガナリ、苦労、たくさんだな」
シェートの言葉に相手は一瞬驚き、微笑んで頷いた。
「村長、落ち延びる時、死んだ。今、俺がみんな、守る役」
「そうか……」
疲れてはいるが、どこか誇らしげな表情を見て、シェートは目を細めた。ここにも、何かを守るために働いているものが居る。
「……どうした?」
「いや、何でもない」
「おおっ、アダラ! ソルデ!」
気が付けば、行く手の森の中からいくつもの顔が現れた。小さな茂みや大樹の影から転げ出るようにして走ってくるコボルトたち。
「ああ……」
出迎えの仲間達に抱きつかれ、すっかり緊張の取れたソルデ。素早く荷を解かせて、食料の配分を始めるアダラ。
「おい! みんな! こいつ、シェート! 俺達の恩人!」
思いがけず集団の中に引き出され、あっという間に注目の的になってしまう。
「捕まったソルデ、助けた! あと、この荷物、全部シェート、持ってきた!」
「あ……いや……その……」
アダラの言葉に、何か言う暇もなくコボルトたちが抱きついてくる。その歓迎を受けていく間に、シェートは自分の心が解れていくのに気が付いた。
久しぶりにめぐり合った、群れの暖かさに。
深い森の木陰に、いくつもの火が焚かれている。その一つ一つにコボルトたちがうずくまって暖を取り、食事を口にするのを、フィーはぼんやりと見つめていた。
シェートは群れのリーダーらしいアダラと一緒に、奥まった場所でもてなしを受けている。その顔は今まで見たことの無い、安らぎに満ちた表情を浮かべていた。
「仲間……か」
自分の前に用意された小さな火に当たりながら、ぽつりと呟く。
シェートにとっては久しぶりに出会った仲間、喜ばないわけは無いだろう。
でも、自分にとって心安い場所には思えなかった。
「おい」
「え? あ、ああ、ソルデか」
小さな椀と薄く焼いた小麦粉のパンのようなものを手に、ソルデが傍らに座った。
「これ、お前の分。食え」
「……俺のこと、嫌ってたんじゃないのか」
「嫌い、違う。得体知れない、それだけ」
敵意というよりは不信。それを顕にしてコボルトが腰を上げる。
「ちょっと待てよ」
「なんだ」
「さっき、来る途中に言ったことって」
その問いかけに、ソルデは苦い顔でため息をついた。
「俺……悪いこと、言った。あいつ、恩人……分かってる」
「だったら!」
「でも、俺、あいつ……怖い」
答えは端的で、分かりやすかった。何かを見透かすように、視線は上手に座っているシェートに向けられている。
「シェート、なぜ、神と話せる?」
「え?」
「あいつ、神、選ばれて、力貰った、言った。なぜ、そんなことできた?」
ソルデの問いかけに、フィーの肌が粟立つ。
シェートがあの力を手に入れた理由。
「なんで……そんなこと……俺に、聞くんだよ」
「お前、あいつの仲間、だから」
「仲間……」
その言葉が、冷水のように背筋に染みた。
シェートとの関係は、見た目にはそうだろう。自分だって、そう思い込んでいたくらいだから。
でも、本当はそうじゃない。
「ごめん……俺も、良く……知らない」
「そうか」
それきり、ソルデはその場を去っていく。残されたフィーは、深くため息をついた。
いったい自分は、どうしてここに居るんだろう。
竜神と契約したことで、再びこの世界にやってきた。その理由は、勇者と魔物の遊戯の真実を見ること。
そして、自分がしたことの意味を知ることだった。
「……ん?」
気が付くと、焚き火の近くに小さな影があった。こちらの顎の下くらいしかない、子供のコボルトがじっと見つめていた。
「なんだよ?」
「っ!」
声をかけられた途端、すっと木の幹に体を隠してしまう。それでも、じっとこっちを見るのは止めず、そいつ以外にも小さな姿がいくつも見えた。
「……大丈夫だ。何もしないよ」
興味津々といった感じでコボルトたちはじりじりと近づき、年長らしい子供が話しかけてきた。
「お前、ドラゴン、本物か?」
「あ、うん。一応、な」
「ほら! 言ったとおりだ!」
きゃあきゃあ騒ぎながら、子供達が一気に距離を詰めてくる。顔立ちは丸っこくて子犬そのものだ。
「お前、火吹けるか!?」
「えっと、俺、そういうの、まだできなくて」
「空飛べるか!?」
「……それも、無理なんだ。ごめん」
「魔法、使えないか?」
最後の問いかけは、微妙に失望したような声になっていた。確かにブレスも吐けない、空も飛べないドラゴンなんて、がっかりされて当然だろう。
とはいえ、何の力も無い自分にできることなんて――。
「ま、魔法ぐらいなら、余裕で使えるぞ!」
「ほんとか!? やってみろ!」
「よ……よーし、これでどうだ!」
スマホの表面をタップすると、画面表示とともに煌々とライトが点る。
「おおおお!」
「しかも、これを見ろ!」
さらに指を画面に滑らせ画像をスライドさせると、コボルトの子供達はこっちを押しつぶしかねない勢いで詰め寄ってくる。
「すごい! 魔法の板!」
「もっと見たい! もっとなんかやれ!」
「ば、バカッ! そんなに押すなって……うわあああっ!」
それから、子供らの母親が来るまで、フィーはひたすら子供らにもみくちゃにされることになった。
「じゃーなー! フィー!」
「おう……またなぁ……」
ようやく開放され、疲れきった肩をぐるぐると回す。
そういえば、正月に親戚のチビどもと遊んだ時も、こんな風にされた記憶がある。
「コボルトも……人間も変わらない、か」
そして、目の前に置かれた、干した木の実。
『うちの子、遊んでくれた礼』
母親の幾人かが、去り際にくれたものだ。長い放浪生活で多少くたびれていたが、口に含むと程よく甘かった。
「大丈夫か、フィー」
その瞳を酔いで潤ませて、シェートがやってくる。今まで見た中で、一番緩んだ顔をしている気がした。
「子供ら、元気なった、良かった」
「そりゃ、元気なのに越したことはないけどさ……ちょっとテンション高すぎだろ」
「みんな久しぶり、腹いっぱい食った。子供ら、ずっと元気なかった、言ってた」
それから、シェートは群れの現状を教えてくれた。元々は、ここからかなり北に行った場所に村を作っていた彼らが、魔物の侵攻に気がつき、逃げ始めたことを。
それとほぼ同時に、人間の軍があちこちの街道に現れるようになり、ひたすらに逃げるだけの生活が続いた。
「食べるもの、どんどん、無くなった。逃げる、精一杯、狩りする時間、飯作る時間、無い……」
「そんな……それじゃ……」
「たくさん、死んだ、聞いた。群れ、今、半分くらい、なった」
小さな火のほとりで、コボルトたちが身を寄せ合っていた。
子供と身を寄せ合って眠る母親、それを見ながら山刀で何かを削っている父親。時折、アダラとその部下らしいコボルトが、群れの様子を見回っているのが見えた。
「でも、皆ちゃんと食べた。元気、取り戻した。これから、俺達いた、エレファス行く」
「ああ……あそこなら良いかもな。うまいもの、一杯あったし」
「山で一冬、過ごせたら、もっと南行く、勧める」
消えかけた焚き火に小枝をくべ、シェートはポツリと漏らす。
「フィー」
「ん?」
「俺、あいつら、誘われた」
「一緒に……来いって?」
頷いて、それからコボルトは首を振った。
「どうして、行かないんだ?」
「俺の旅、目的ある。忘れたか?」
「ああ……」
コボルトの暮らせる森を創るために、シェートは安らぎを捨てることを選んだ。
そうさせたのは、自分だ。
「シェート……」
「それに、俺、あいつらと居る。きっと、迷惑かかる」
「そう……だよな」
"知見者"はサリアに対して、宣戦布告に近い形で接してきたという。
それに、魔王を倒したとしても、競争者である勇者が一人でも残っていれば、遊戯は続けられる。騒乱の種となるシェートが一緒では、群れはいずれ全滅するだろう。
沈み込んでしまったこちらに向けて、コボルトは安心させるように頷いた。
「でも、あいつら、山着くまで、一緒、行く」
「いいのか?」
「ああ。サリア、良い、言った。エレファスの山、色々教える奴、いるしな」
「分かった。お前が良いなら、俺もそれでいいよ」
伝えるべきことを伝えてしまうと、シェートはその場に横になる。
「寝とけ。明日、必要なもの揃える。明後日、出発」
黙って頷き、フィーも自分の翼に首を突っ込んだ。
それでも、中々眠気はやってこなかった。反対に、シェートはあっという間に寝息を立て始めている。
「なぁ……シェート……」
本当に、誰にも聞こえないくらいの小さな声で、フィーは漏らした。
「俺の……本当のことを知ったら、お前は、どんな顔、するんだろうな」