12、共闘
フィーから借りた板を通して、シェートは森の向こうに見える迷宮の入り口を見た。
山の斜面にうがたれた洞窟と、それを守るように築かれた石垣。数匹のゴブリンやオークが見回りに立っている。
周囲には背の低い草だけが生え、身を隠せそうなところも無い。
「まさか……望遠鏡代わりにも使えるなんてね」
「案外高性能なんだよな、これって。多分、俺を降ろした時の加護、ほとんどこのスマホに充てたんだと思うぜ」
苦笑いをする仔竜を横目に見ながら、シェートは敵陣を観察する。今いる場所は山一つ分向こうの森の中、どれほど鋭い感覚を持っている狩人でも、この距離にいる者を察知することはできないだろう。
「ケイタ、あの迷宮、どのくらい深さある?」
「僕が前に探った時には、三階層ぐらいだったと思うけど……時間が経ってるから、結構深くに掘られてるかもしれないね」
「ダンジョンの増設かぁ。掘れば掘るほど機能が上がるんだっけ? 一日で攻略なんて……無理じゃないか?」
ケイタやフィーの話によると、魔物の迷宮は日々深くなり、世界を征服するための力を生み出すという。その過程でさまざまな魔獣の召喚や使役、魔法道具などの生産が行われているらしい。
「ダンジョンの最深部には、魔力を生成する部屋がある、らしいよ。僕もまだ入ったこと無いんだけどね」
「最深部の部屋には魔力集積の魔方陣と、コアになる魔石が設置されてる。そいつを破壊することで、ダンジョンは機能を失うんだ。魔王の力をそぐためにも、経験値を稼ぐためにも、ダンジョン攻略は勇者にとって重要なクエストなのさ」
「そっか……俺、勇者、魔王、何もしらない、な」
コボルトにとって二つの勢力の争いなど、嫌悪と忌避の対象でしかない。こんなことでもなければ、シェートにとって縁遠い世界のままだったろう。
『今回は、その最深部にある部屋を破壊するのが目的だ。他の勇者達なら、魔物の生み出したアイテムや、収奪してきた財宝も漁るのだろうが……我らには無用の長物だ。無視してしまうのが良いだろう』
「結構、いいアイテムが落ちているみたいですよ? 使えそうも無かったら、街の好事家や魔法の研究機関に売っても良いですし」
「それ、もしかして嫌味かぁ? どの面下げてコボルトや仔竜が街に入れるんだよ」
「僕がそういう窓口になっても良いけど?」
勇者の申し出に、シェートは画面から視線を外して問いかけた。
「ケイタ、お前、俺利用するか?」
「え?」
「俺のこと、村、呼んだ。そういう気持ちあった、違うか」
「いや、僕は……そんな……」
『でも、あなた達に、人間の協力者が必要なのは、事実だと思います』
割り込んできたカニラの声は、どこか強張っていた。緊張と、申し訳の無いという気持ちがにじむような。
『あなた達の活躍は、いろいろな神々から聞いていました。そして、いずれ必ず、困窮する時が来るとも』
『……確かにな。とはいえ、加護による神託では、コボルトに従う人間を作るのは無理に近いといわれていた』
『全ての勇者と魔王を倒そうとするなら、人と係わり合いを持たないわけには行かないでしょうから。その時、私達がシェートさんたちと人間の世界の橋渡しとなり、あわよくばこちらの味方に引き入れる』
「なんだよ……それ」
フィーの顔が嫌悪に歪み、空に向かって非難が放たれる。
「最初っから俺達を利用する気だったのかよ! もしかして、あのコボルトも!?」
『それは……違うと言っても、信じてはもらえないでしょうね。あなた達を動かす、絶好の機会だと思ったのも、事実ですから』
「ふざけんな! 何がすまないと思ってますだよ! 結局アンタも、身勝手なカミサマの一人だってことじゃないか!」
『よせ、フィー。そんなこと、最初から分かっていたことだ』
追求を止めたサリアの声は、静かだった。
辺りに漂う香りにも、いたわりと悲しみだけしかなかった。
「最初からって……どういう意味だよ!?」
『カニラは今まで私に接触することも無かった。その理由は明白だ。我が兄に勝利した直後では今だモラニアはきな臭いままだったし、百人の勇者と戦う時に手助けなどすれば、圭太殿を危険にさらしただろうからな。今この時が、ちょうどいい折と言うわけさ』
『サリア……私……』
『気にするな。むしろ私は、この出会いに感謝さえしているんだよ』
相棒たる女神の声は、どこまでも澄み渡り、強い意志を感じた。
『お前の言うとおり、シェートには人間の協力者が必要だ。魔王を倒すためには、いつまでも孤立した魔物と女神でいるわけには行かぬからな。カニラ、お前の存在はな、私にとっても、十分な利用価値があるのだよ』
「……うっわー、えっげつねぇ~。うちの女神様は、ほんっとうに底意地悪いよなぁ」
『それは、褒め言葉として受け取っておこうか』
フィーの失笑をサリアが笑いで受ける。反対に、圭太たちは完全にしおれて、打ちひしがれているように見えた。
「俺達、弱い。だから、何でもやる。それ、お前達と一緒。だから、俺、責めない。サリアも」
『シェートさん……』
『少なくともお前は、私達と利害を分け合うつもりがある。それなら、拒む理由は何も無いということさ』
サリアの言葉に、カニラが深いため息を漏らす。
『敵わないわね……いいえ、最初から、敵わないのは分かっていたのだけど』
『済まぬが、悔悟は後回しにしてもらおう。我らにとって時間は有限なのだから』
村に捕まっている仲間のことを思い出し、シェートは地面に迷宮の概要を書く。石積みの壁に山腹にあいた洞穴。見張りの魔物の数を書き、圭太の指示で洞窟の奥が広い空間になっていることを書き添えた。
「どうする……正面、結構魔物多い。倒している間、奥から仲間出るぞ」
「他に入り口は無いのか、圭太」
「多分……あるとしても隠されてるだろうから、見つけるのには時間が足りないと思う」
『人間同士の戦なら夜討ちも効果があろうが、連中は魔物、なるべくなら昼の内に勝負をつけるべきだろうな』
シェートは空を見、それから迷宮の入り口に意識を戻す。山を越えて近くへ行く間に、日は傾いてしまうだろう。
「俺、あの中、ある程度知りたい。どれだけ魔物いるか、罠、どんなもの、あるか」
「ごめん……僕もそんなに正確なマップを作ったわけじゃないんだ。一応、遠くを見る魔法があるから、入り口を入ってすぐの部屋ぐらいは見れるけど」
「地図なら、俺の『ただたかくん』で書けるぞ。圭太の魔法に透明化でもあれば、こっそり入って確かめるって手も使えたんだけどなぁ」
「……カニラ、透明化の魔法習得は、できる?」
短い沈黙があり、カニラの答えが返った。
『できるわ。ただ、長い時間のものは、無理だそうよ』
『特殊な魔法は加護を食うと聞いたぞ。透明化なら私がシェートの装具に加護を掛けて』
『そのぐらいのことは、させてちょうだい。あなたを利用することでしか生きていけない女神の、罪滅ぼしだと思って』
女神達の相談が終わり、それぞれが意見を出し合い、計画が練られていく。
「……よし」
それぞれの役割を確認し、シェートは立ち上がる。
緊張した面持ちで呪文の詠唱を確かめる圭太。
鞍袋を外し、身軽になったグートの上で、板を操作するフィー。
「行くぞ」
全員の意思を確認すると、コボルトは迷宮へと走り出した。
ドーム状の天蓋は、中央の魔石から放たれる燐光で、複雑な陰影を生み出していた。
天然の洞窟を掘削して作り上げた部屋に立ち、シェルバンは魔方陣の周囲に立つ術師を見回しつつ、手にした杖をもてあそぶ。
「掘削作業はどこまで進んでいる?」
「あな、だいぶおおきくなった。もうすこししたに、ほってもいいとおもう」
工事を受け持っているゴブリンは、手元の羊皮紙に書きつくった迷宮の拡張計画を手渡してきた。
自分がここに赴任してきたころは、いい加減極まりない掘削と増設で、勇者が来る前に倒壊しそうな状態だった。
それを必死に建て直し、なんとかここまでやってきたのだ。魔王の城と魔王に限りない力を与えるための迷宮、その運営には細心の注意を払う必要がある。
「シェルバン様、魔王城への魔力送信、完了しました」
「ご苦労。休憩を挟みつつ、残余魔力を利用して術具の作成を……」
突然、魔石の輝きに陰りが現れる。迷宮に張り巡らされた探査の網に、異常が感知された証だ。
「迷宮の外に襲撃者が現れた模様、現在入り口にて交戦中です!」
「相手の数と構成は?」
シェルバンの問いに、術師の一人が魔石の力を使って映像を投影する。そこに映し出されたものを見て、彼は瞠目した。
「なんだ、これは!」
三段重ねの加護矢が空を切り、迷宮から飛び出てきたオークを吹き飛ばす。それでも仲間の死体を蹴りのけ、新たな魔物たちが外に躍り出た。
「サリア! 後どのぐらい、奴ら湧く!?」
迷宮の防御として積み上げられた石壁に身を隠しつつ、シェートは問いかける。見張りを打ち倒したと同時に連絡が回ったらしい、油断無く武器を構える魔物たちが、肉の壁になって迷宮への道を閉ざしていた。
『少し待て……今連絡が入った、そちらにあと十匹ほど行くそうだ』
たった一匹の襲撃に驚いていた混乱もすでに消え、大声の指示が飛んで大楯や防御用の板が持ち出されてくる。
「フィー、まだ見つかってないか?」
『……すでに透明化は切れたと言っていたが、そちらに目を引き付けられているから、大丈夫だそうだ』
新たな矢を番え、シェートは魔物の群れを見回す。力自慢の連中が、盾を押し立てて石垣へと迫ってくる。今のところ飛び道具を持っているものは見えないが、こちらが寡兵なのを悟られれば、一気に押しつぶされるだろう。
「サリア、そろそろ釣るぞ!」
『了解だ。カニラ、圭太殿へ打ち合わせどおりにと』
『ええ。分かったわ』
天で交わされる言葉を耳に入れると、【荊】を引き抜いて一気に石垣を駆け上り、飛び越えた。
「うおああああああああっ!」
振り下ろしの一閃が向かってきたオークを、盾ごと斜めに裂き断つ。腕と胸をずたずたに斬られたブタ顔が悲鳴を上げて転がった。
「なんだこいつっ!?」
「コボルトなんで!?」
【荊】を大きく振り、槍で押し包もうとした集団を押し返す。見えるだけで敵の数は十体ほど。更に迷宮の奥から湧き出してくる気配を感じる。
「どうした! もっとこい!」
あえて挑発を繰り返し、手にした得物を振りかざす。加護付きの【荊】は刀剣の鋭さを持ち、魔物の粗末な木盾で防ぎきることは出来ない。
それでも一度に相手できる数には限りがある。シェートの周囲を盾を構えたゴブリンたちが押し包み、身動きを封じようとする。
『シェート! フィーから、そちらにトロルが……』
「おっ、おおぉ、お前ら、どけぇ」
サリアの警告と共に現れたそれ。奇妙にすべらかな皮膚を持つ禿頭の巨体が、メイスを手に洞窟を抜けてきた。
「んん。シェルバン、こいつ、俺が相手しろ言った。お前らさがって弓、持って来い」
指示を受けて盾持ちの何体かが下がっていく。トロルはやぶ睨みの目を細めつつシェートに近づき、肩を揺すり上げた。
「お前、ガイデ殺したやつだな」
聞き覚えの無い名前だが、あえてシェートは頷く。
「お前ら、コボルト、とって食う。敵だし仇。だから狩る」
「おおおっ、おおおっ、おおおおおっ」
感情の起伏に乏しい遠吠え、それでもそこに込められているのは間違いなく怒り。
「なら、お前狩り返すっ」
「できるなら……やってみろ!」
勢い良く振るった【荊】がトロルの脛の肉を貪欲にむさぼり、引き裂く。
だが、
「おああああああああああああっ」
痛撃をものともしないトロルのメイスが地面を砕き、岩や土砂がシェートめがけて襲い掛かった。
「くっ!」
飛び退り、必死にかわした体をつぶてがかすめる。体勢を立て直したトロルがメイスを再び構えた時には、脛の傷はほぼふさがりかけていた。
「やっぱり、トロル厄介。傷、すぐ治る」
『シェートさん、こちらの準備完了しました! いつでもいけます!』
「じゃあ頼む!」
素早く武器を収め、弓を引き抜く。途端にトロルの体が下がり、メイスの頭をこちらに向けるように構えた。
「お前、ワイバーン毒、使うの知ってる。一応毒消し飲んだ。でも、油断しない」
『……オーガの死体を残したのがまずかったか。それにしても、そんな情報まで共有しているとは』
サリアの苦渋を聞き流し、矢筒から矢を数本引き抜いて宙に放った。
立て続けの矢弾がトロルの胸で弾け、近づきつつあった盾持ちのゴブリンを下がらせ、槍を構えたオークの腹に突き刺さる。
それでも魔物の群れは怯まない。
自分達の体を頼みに、石壁へとシェートを追い詰める。
じわりと焦りをにじませたコボルトに、声が届いた。
『"万物に宿りし諸法諸元の源。光芒にて刻まれたる、祖たる韻を我は紡ぐ"』
カニラの神威を通して聞こえる圭太の詠唱。それを耳に入れつつシェートは身構える。
『"汝、小さくかそけき燐火、されど集いて諸手を挙ぐるば、天をも焦がす劫火と成らん"』
毛皮を穿つ、痺れのような刺激を感じると同時に、魔法使いの声に従って、大気に黄金の光が散り始めた。
「ま、魔法!? このコボルトが!?」
「ちがう! どっかにまほうつかい、かくれてる!」
慌てた連中が一気に引き下がり、迷宮の中へと逃げ出そうとする。
『"我が声に寄り来たれ。その身を以ちて、千騎万軍、皆悉く焼灼なさせしめ"』
「逃がすか!」
解き放った矢の一撃が、真っ先に逃げていたゴブリンの後頭部を砕き、仲間の死体につまづいた連中が雪崩を打って地面に転がった。
『"怨陣に我らが頌歌を響かせよ"』
「こんちくしょうううううっ!」
焦ったトロルが振るうメイスをすり抜け、シェートは一気に石垣を駆け上る。
『"秘められし、熱の威力を解き放て"』
「てめえも、みちずれに……っ!」
伸ばされた巨人の手よりも早く、コボルトの小さな体が壁を飛び越え、加護付きのマントで身を包んだ瞬間、
『――"烈火繚乱"』
巨大な火柱が、迷宮前の広場を焼き尽つくした。
地を揺るがす音を聞きながら、フィーはほっと息をついた。サリアからの連絡がメールの形で届き、二人の無事と魔物の群れを討ったことが知らされる。
「作戦成功か。行くぞ、グート」
「うふぅっ」
天然の洞窟を改装した迷宮は湿っぽくかび臭く、どこからか汚物の饐えた臭いまでしてくる。その代わり身を隠す物陰も多く、グートの鼻と自分の聴覚のおかげで、敵に見つからずに済んでいた。
隠れていた岩陰から出ると、辺りを見回す。大きく掘りぬかれたホールは分岐した三つの道と繋がっている。うち一つは出口への道だ。
「右と左、どっちがいいと思う?」
無言で狼が右を目指し、その背に揺られて進む。ダンジョンの中に入ってから、自分の神経がピリピリと逆立っていくのを感じた。
音をしっかり聞き、周囲を警戒する。ただそれだけで、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。
「前に来た時は、こんなこと、無かったよなぁ」
勇者としてきた時は完全な防御に守られ、どちらかといえば観光気分だった。剣を振るだけで敵が倒れ、魔法を使えばどんな障害も吹き飛ばせた。反対に精神は緩み、危険に大して鈍感になって行った気がする。
「ほんと、俺って神器頼りだったんだなぁ……って、隠れろグー……とぉっ!?」
こちらの指示よりも早く、狼が小さな脇道にそれた。立っていても腹まで浸かりそうな臭い水が溜まった袋小路に、グートは顔をしかめつつ身を潜めた。
「うえぇえ、きたねぇ……俺、下にいなくてよかったぁ」
「ぐるるるるるる」
「あっ、ほんと感謝してますって……えへへ」
こそこそ話している間に、鎧をまとったゴブリンの一団が目の前を通り過ぎていく。
複雑な紋様や象形が描かれていて、錆びた様子も無いところをみると、魔法の掛かったアイテムに違いない。
こちらを見向きもしないのは焦っているからか、自分達のいる場所が連中の汚物捨て場か、トイレの類だからだろうか。
やがて、物音が遠ざかり、グートがもとの通路に戻る。
角に神経を集中するが、魔物が立てる音は聞こえない。上のシェートたちを迎え撃つべく、かなりの魔物が出向いているんだろう。
「よし、このまま奥の方まで……え、ちょっと!?」
いきなりこちらの首筋に食いついた狼が、ぽいっとフィーを放り捨てた。
「い、いきなりなにぶええええええっ! やっ、やめろおおおおっ!」
全身に付いた汚物を払い飛ばし、やっと落ち着いたとでも言うように狼が鼻を鳴らす。
そして、その飛沫は青い仔竜の体を臭いまだらに染めていた。
「な、な、なにしやがんだよこのバカイヌ! うわっ、くせっ、くせえええっ! きたねぇよこれえええっ!」
「うふっ」
「ちっくしょうっ! 後で覚えてろよ!」
ざまあみろとでも言いたげな狼が、先を目指して小走りに駆けて行く。
涙目になりながら、それでもフィーは手元のスマホでメールを送りつけた。
「"マジックアイテムっぽい鎧のゴブリンが、四匹ぐらいそっちへ向かった。俺らはもう少し奥の"」
そこまで打って、目の前に現れた階段に目を見張る。
「"見つけた階段の下まで降りてみる。マップを送るから、みんなの誘導はよろしくな"」
水鏡の端に映し出されたフィーからの"めーる"を開くと、サリアは送りつけられた地図を表示する。
通路のつながりや部屋の構造などが事細かに表示されたそれは、フィーの所有している携帯端末の能力の賜物だ。
「すごいものね」
「これを作るために、竜神殿は小竜たちの冷たい視線に耐えているそうだからな」
「……それもあるけど、私の言いたいのは」
傍らに座ったカニラは、地上で立ち回りを続けるシェートを指差した。
圭太の大魔法によってかなりの魔物が倒されたものの、湧き出てくる敵の数は未だに多い。それでも【荊】を振るい、弓矢を使って敵を寄せ付けないシェートの動きは、久しぶりに見たサリアにとっても、目を見張るものがあった。
「これでも、数々の死線を潜り抜けてきた者だからな。この程度の動きができなくて、魔王を倒すなどとは言えまいよ」
「そうね……」
相槌を打つカニラの顔に、わずかな陰りが差し、その視線がこちらに向けられた。
「ねえ、サリア……さっきの事だけど」
「お前を利用するといった話か?」
あえて視線を返さず、サリアは水鏡を可能な限り望遠化、周囲の様子を精査する。他の迷宮や付近を通りがかった魔物に応援が要請されている可能性を考慮したためだ。その映像の中で、シェートを援護しようと物陰から出てきた圭太が見えた。
「この戦いでは誰しもが腹に一物を抱えている。私も、それを非難するつもりはない。騙したり、卑怯な振る舞いをしない限りは、だがな」
「ごめんなさい……私……」
「今の天界には遊戯の毒が回りすぎて、誰を悪と言うこともできぬ状況だ。お前の振る舞いも、故あればこそだと、分かっているさ」
本当は、こんな形で会話を交わすような真似はしたくなかった。できれば腹蔵なく、昔のように語らいたいと思う。
だが、自分以上に争いを好まないカニラが遊戯に参加し、しのぎを削っている。
それを責めることも、労わることも、カニラを傷つけるだろう。だから、利用し利用される、対等な立場として振舞う。
「シェート、フィーからの連絡だ。魔法の鎧をまとった集団が四匹ほどそちらに着く。それと、大分深部に潜ったともな。適当に片付けて後を追ってくれ」
『分かった。任せろ』
「圭太さんはシェートさんの援護をお願いします」
『うん』
指示を済ませると、サリアは息をつく暇もなく水鏡を二つに分けた。
「カニラ、お前は圭太殿について、迷宮の中を補足してくれ。フィーの地図はそちらに送っておく。私はこのまま外を見張って、増援の有無を確認し続けよう」
「貴方の方が、迷宮で指示をした方がいいんじゃなくて?」
「敵陣周囲の警戒は、経験が無いものができるものでは無いからな……うっかり見落としをすれば、味方を危険にさらすことになる」
過去の苦い記憶を思い出しつつ、それでも油断無く索敵を続ける。こういう時のために要点は学んできたつもりだ。
「……見事な采配ね」
「戦場に慣れれば、この程度の判断は自然とできるものさ。皮肉な話だがな」
そんな言葉を交わしている間に、迷宮の入り口に新たな敵の姿が現れる。フィーの報告にあった敵を認めると、サリアは更なる指示を伝えた。
「攻撃よりも破術による鎧の破壊を優先しろ! 圭太殿の攻撃を通りやすくするんだ!」
久しぶりに撃った大魔法の余韻に浸る暇も無く、圭太は隠れていた茂みから、迷宮の防壁の内側へ走りこんだ。
「ケイタ! 俺、押さえてる間、魔法頼む!」
奇妙な光沢の鎧を身に包んだ四匹のゴブリンたちが、シェートを取り囲んでいる。そのいくつかの視線が、こちらに突き刺さった。
「やっぱり、なかまいたか!」
「あれ、まほうつかい! さきにころせ!」
その叫びを切り裂いて、鞭がゴブリンたちの鎧に火花を散らせる。
「させないっ!」
「うおっ!? あぶねぇっ!」
「くそっ! こいつから、かたづけろっ!」
それぞれの攻撃をよけながら、右に左に鞭を振るって相手を打ち払うシェート。体の回転を利用して威力を高めると同時に、その軌道で前後左右の敵を牽制していく。
『圭太殿! 後退しつつ凍月箭!』
「は、はいっ!」
叱責に近い指示に意識を取り戻すと、緩やかな歩調で下がりつつ呪文を紡ぐ。
「……"霜月より来たれ怜悧、凍てつく銀の祝福は、万障貫く戒めの一矢なり"」
凍月箭が生み出す光の矢は、術者の力量に応じてその数を増す。それほど冒険を重ねていない自分が生み出せるのは三発が限度だ。
『気を散らさずに聞け! そなたから見て右手の一匹に二発、残りを正面へ! 威力開放後、即座に"陽穿衝"の詠唱を開始!』
サリアの言葉に意識が絞られ、目の前の光景がゆっくりと動いていく感覚に陥る。焦点を右と正面のゴブリンにあわせ、呪を結する。
「"打ち払え、凍月箭"!」
『シェート! 足元を狙え!』
圭太の呪文に連動して、コボルトの体が地面すれすれに沈む。同時に、手にした鞭が周囲の敵の脛を一気に痛撃した。
「ぎああああっ!」
「あぎゃあああああっ!」
体勢を崩した右手の敵が二発の光で吹き飛び、正面の一匹が肩を打ちぬかれて地面に転がる。
「"烈日の穂槍は我が手の中に"……っ!?」
呪文の威力に脅威を感じた二匹が、こちらに向けて走りこんでくる。緊張と恐怖で胃が竦みあがり、集中が途切れそうになる。
『怖じけるな! 術の標的は背後の一体に!』
「行かせるかっ!」
シェートの鞭が鎧に絡みつき、その場に縛り付けた。もう一匹の視線が圭太とシェートのどちらを排除すべきかで揺れ、動きが固まる。
「"連ねて鍛えし光韻のまがね、尖裂の威力と凝りて虚空を駆けよ"」
かざした杖の先に宿った黄金の光、その力をシェートの背後に迫る一匹に解き放つ。
「"貫け――陽穿衝"っ!」
光の帯が正確にゴブリンの顔を打ち砕き、シェートが敵を縛めていた鞭を離す。
「くあああっ!?」
「しっ!」
抜き放たれた山刀が、よろめいた敵の喉を鮮やかに裂き、起き上がろうとしていたもう一匹の眉間に突き刺さった。
「うぁっ……はっ……はあぁ……」
途端に、世界の速度が通常に戻ったような気分が押し寄せ、圭太は杖に寄りかかるようにして肩で息をついた。
「だいじょぶか、ケイタ」
「う……うん……ごめん……こんな風に、敵の目の前で魔法を使ったことなんて、ほとんどなかったから……」
いつもなら、傭兵や腕に自信のある村人に前衛を勤めてもらい、その間に魔法で援護する形だった。
魔法偏重の自分が、ほとんど武器の届きそうなエリアで戦うなんて想像もしていなかったことだ。
「シェート君は……怖くないの? あんな、ものすごく近づいて」
「怖い。でも、狩り、同じぐらい怖い。向かってくる猪、すれすれ通る。心臓、踊る」
あれほどの立ち回りを演じていながら、シェートはこっちを気遣うように笑った。
「狩り、みんな怖い。でも、ちゃんと自分の仕事する、怖い、少なくなる」
「……そう、なんだ」
『案ずるな。うちのガナリは優秀だ。指示を守っていれば、恐れることなど無い』
「ガナリって?」
問いかけになぜか照れくさそうな顔をすると、シェートは武器の血糊を払い、ダンジョンに向き直った。
「気にするな。それより、フィー達、心配」
『この先、私は迷宮周囲の警戒を中心に行う。中の事はカニラに見ていてもらうが、何かあったらすぐに呼んでくれ』
「分かった。行くぞ、ケイタ」
「う……うん!」
駆け出したシェートの後を追いながら、圭太は今までにない、高揚感が湧き上がるのを覚えていた。
この世界に来てから始めての、パーティを組んでのダンジョン攻略。仲間は少し変わっているけど、それでも自分は一つの役割を受け持って、一緒に冒険している。
「……カニラ」
『どうしたの?』
青い月光にも似た明かりを中空に浮かべながら、圭太は女神にそっと打ち明けた。
「不謹慎かもしれないけどさ……僕、ちょっと今……わくわくしてるんだ」
『……貴方も、やっぱり男の子、なのね』
どこか寂しそうな声で告げたカニラは、かすかな笑いを漏らした。
「どういう意味?」
『シェートさんを助けて、しっかり迷宮攻略をしてきなさいということよ。私の勇者様』
耳元をなぶる、甘い囁き。
その艶かしさに思わず顔が熱くなってしまう。
「ケイタ! この辺り、敵いない! 行くぞ!」
「わ、わかった!」
コボルトの声に顔を上げると、圭太は体の芯に残る熱を振り払うように、走り出した。
魔石の間に集まっていく配下を見つめつつ、シェルバンは歯噛みをしていた。
この迷宮に駐留している魔物の数は約五十ほど。その内十は外で活動中だ。その上、一部の魔物は罠と連動させた、自律移動できないゴーレムなどが中心で、実質動かせる兵は三十にも満たない。
「迷宮上部に向かわせた連中も討たれたようです。しかも、迷宮内の罠や宝物庫などには目もくれず、こちらに向かっている様子」
魔石に残った魔力を利用し、探査を掛けていた術師が報告を入れてくる。どうやら先行して内部構造を把握していく者と、制圧目的の本隊がいるらしい。
「迷宮入り口で膨大な魔力の放出を感じました。術式から見て"光韻"の使い手がいると見て間違いありません」
「リンドルの勇者か! まさか、例のコボルトを従えているというのか!?」
ベルガンダにコボルトの捜索を命じられて以来、どうにも不可解できな臭い状況に放り込まれている気がする。
一体、自分の周りで何が起こっているのか、それが全く見えてこない。とはいえ、やるべきことは決まっている、この迷宮を死守することだ。
「術師は防御結界を展開後、召喚に全力を注げ! 防御組は広間中央より後方に大盾で陣を形成、残りは弓で迎え撃て! 儀式が終わるまで、絶対にこの部屋に近づけるな!」
準備を終えて配置につく連中を見送ると、シェルバンは手にした杖を握り締める。
こっちに向かっている本隊が来るまで時間を稼げれば、そんな、祈りにも似た気持ちを込めて。
「おっせーよ。こっちはいつ見つかるかと思って、ドキドキもんだったぜ」
階段を降りてすぐの小部屋に着くと、物陰から狼と仔竜が顔を出した。壷や棚などが整然と置かれた空間には薬草や油の香りに混じって、生ゴミのような臭いが漂っている。
「……フィー、グート、なんでお前達、ちょっと臭い?」
「どーでもいいだろ。文句はこのクソイヌに言ってくれ」
「ううぅっ」
何があったのかは察しが付いたので、それ以上触れずに、奥の戸口の方に近づく。
「結構な数の連中が向こうの大部屋に集まりだして、今じゃあんな感じだ」
整然と並べられた盾に隠れるようにして、弓を構えたゴブリンたちが見える。完全な防御体勢を敷いて、一歩も通さない構えをとっている。
「すごいね……二十匹くらいは居るんじゃないかな?」
「いや、さっき数えたけど、あそこに居るのは十六匹だ。もう一つ奥が魔石の部屋だと思うけど、扉が閉まっててカメラじゃ分からなかった」
「僕が見てみようか?」
圭太がそう言って杖を掲げようとした途端、仔竜の体がぐらりと揺れた。
「う……ぐ……っ、な、なんだ……これっ」
「え!? フィーっ、ちょっと、どうしたのっ」
苦しげに角を押さえて、仔竜がうめき声を上げる。その姿に、魔王の城を見たときのことが重なる。
「つのが……い、いてぇっ……それにっ、なんか……ザラッとした、感じが……あぐっ」
「フィー苦しがってる! 魔王の城、あの時、同じ!」
『バカな! こんな狭い空間で、あんな精霊の動きが起こりようはずが……』
『おそらく、それは召喚によるものよ』
カニラの言葉に合わせるように、シェートの肌に寒気が忍び込む。掲げられた圭太の明かりが不安定に揺れ始めた。
『異界との門を繋げた時に生じる魔素の流れに、彼の体が反応しているんだわ』
「し、しょうかん……って、悪魔でも、呼んでんの……かよっ」
『まさか、我らの迎撃のためだけに、そんなものを呼びつけようとは』
シェートは無言で仔竜の体を抱き上げると、そのまま部屋の隅にそっと横たえた。
「ちょっと待ってろ。うるさいの、すぐ黙らせる」
「む……むり、すんなよ……俺なんかの、ために」
重い苦痛に耐えるフィーをそっと撫でると、シェートは弓を手に立ち上がった。
『フィーの体のこともあるし、召喚が完了されても厄介だ。迅速に攻めよう』
「ケイタ、さっきやった、でかい火、いけるか」
「ごめん。外ならいいんだけど……隣の部屋に撃ったとしても、ここまで熱が逆流すると思う」
『透明化でシェートさんを先行させるのはどうかしら』
『姿を消したところで、あの盾の列をすり抜けることはできん。そもそも一分しか持たないのでは、あの列を抜けたところで見つかってしまうぞ』
可能性が咲いては散り、時間だけが過ぎる。不安そうに見上げて来るグートを撫でるシェートに、サリアの声が掛かった。
『シェート、近くに木盾はあるか?』
「……ああ」
『分かった。圭太殿、頼みがある』
「……なに?」
サリアの固い口調に何かを感じたのか、圭太の顔が心なしか青ざめている。
それでも女神は、必要なことを口にした。
『済まぬが、囮になってくれ』
外への出口の前に陣取りながら、シェルバンは儀式を見守っていく。
魔石を中心に術師たちが祈りを上げ、天井に描かれた魔法陣に力が集っていく。
魔王城に送った後の残りかすとはいえ、本来ならゴブリン程度には扱い得ない量の魔力で異界への穴が開いていく。
「この具合なら、あと少しで……っ!?」
隣の部屋のざわめきを感じ、そのまま戸を抜けた。
防備を任されていたホブゴブリンたちが、一様に戸惑った顔でこちらに向き直る。
「何があった!」
「シェルバン様、あれを!」
儀式用の道具が置いてある部屋から、一枚の大盾が現れていた。その背後に何者かが居るのは確実で、こちらに向かってじりじりと進んでくる。
「何をしている、さっさと撃たんか!」
「し、しかし、あれはどう見てもおとりで……」
「だからこそだ! さっさと叩き潰して懸念を減らせ! 陣の両端に居るものは警戒を怠るな!」
この迷宮に入ってきたものはコボルトと勇者、そして狼と小さな竜が一匹。
おそらく盾に意識を引き付け、コボルトを狼に乗せて突進、陣を破る気だ。
「弓隊、構え――射て!」
長弓から放たれた十本あまりの矢が、唸りを上げて飛ぶ。いかに盾で守ったとて、これだけの数の一撃を受ければひとたまりも無いはず。
「なっ!?」
まるで鋼の壁にでもぶち当たったような音を立てて、矢が完全に防がれた。それどころか盾の表面には傷一つ付いていない。
「ひ、怯むな! 魔法で支えているに違いない! こちらもまじないで対抗しろ!」
射手たちが鏃にまじないを掛け、一気に弓を引き絞る。すでに盾は広間の中央、これ以上近づけては射程が合わない。
「今だ、射て!」
まじないの掛かった矢が一気に襲来し、盾が粉々に砕け散る。
「やった……っ!?」
崩れた盾の向こうには、誰も居ない。何も無い虚空だけが広がっている。
その意味するところを悟って、シェルバンは絶叫した。
「姿消しか! 全員盾を支えろ! 扉を背に密集形態!」
指示を受けたゴブリンたちが、自分を中心にするように近づく。その肉壁の向こう、獣の荒々しい息づかいが突進してくる音がする。
「狼を狙え! 足音と息のする方へ盾を押し出すんだ!」
「"烈日の穂槍は我が手の中に"」
呪文の詠唱とともに、虚空から杖を構えた勇者が姿を現す。狼に集中していた連中が驚きに視線を外し、守りに乱れが生まれる。
「"連ねて鍛えし光韻のまがね、尖裂の威力と凝りて虚空を駆けよ"」
弓兵たちはすでに盾に持ち替え、防御の姿勢を取っている。盾持ちに突進させるには距離がありすぎる。
「"刹火灼熱"っ」
盾の壁をすり抜けつつ、シェルバンは短呪の掌相を結んで勇者に迫った。
狼に意識が行っている盾持ちを魔法で撃ち抜き、無傷でコボルトを通す策謀だ。
その一撃さえ防いでしまえば、奴らは抑えられる。
「"彼の肉を撃て"!」
突き出した右手の先、突然現れたコボルトが輝くマントを振りかざす。
「なんだと!?」
解き放たれた火炎が虚しく砕け散り、
「"貫け、陽穿衝"!」
シェルバンの胸板を金の光が撃ち貫いた。
「ぐっ……あああっ」
「頼むぞ! グート!」
指示の叫びを受け、盾持ちの上を飛び越えて狼が扉へと消える。
崩れていく世界の向こうでコボルトが鞭を引き抜き、盾持ち達に襲い掛かる。魔法使いの方も、残った敵へ詠唱を始めている。
その全てを見やりながら、シェルバンは笑った。
おそらく自分は死ぬだろう。だが、こいつらの攻撃は凌ぎきった。
たかが一匹の狼を通したところで、儀式は止まりはしない。コボルトのまじない弓か、魔法使いの力でもなければ、術者を守る結界を越えることはできない。
後は、召喚された魔物が時間を稼いでくれるはず。
「ぎゃああああああああああっ!」
その思いを術師の断末魔が打ち砕いた。
信じられない思いで魔法使いの勇者を見やる。あの短時間で大盾に防御力を与え、自分を含めた三体を透明化し、狼に結界を破る力を与えたというのか。
「もうしわけ……ありません、ベルガンダ、さま」
戦闘指揮官である自分を失い、部下たちが次々に撃破されていく。
「勇者の、力、あなどって……おりました」
喪失されていく召喚の力を感じながら、ゴブリンの術師は無念を抱えたまま、崩れ落ちていった。
目が覚めると、巨大な水晶のような石柱が見えた。
頭は今だに痺れた感じだが、痛みはもう消えている。ゆっくり顔を上げると、フィーは深く息をついた。
「起きたか、フィー」
自分の側に座っていたシェートが、気遣わしげな顔で覗き込んできた。
「体、もう平気か」
「ああ。何とか。その様子だと、召喚前に倒せたみたいだな」
「グート、ケイタ、一杯がんばった」
「……また、俺は役立たずか」
自嘲気味に吐き出すと、ちょうど部屋の中を見回り終わったらしい圭太が、こちらにやってくる。そこでようやく、自分が魔石の安置された迷宮最深部の部屋に寝かされていたことに気が付いた。
「フィーも色々がんばったでしょ。ダンジョンの構造を調べてくれたわけだし」
「まぁ、そうなんだけど……ところで魔石、まだ壊してなかったのかよ」
「お前起きてから、そうする決めてた」
「悠長すぎんだろ。早くしないと、仲間がコボルト鍋になっちまうぞ」
二人に漂う余裕を見てあえて軽口を叩くと、シェートは笑顔で弓を手に取る。
「もう村、連絡した。迷宮、落として俺達、帰る」
「フィーも無事目を覚ましたし、これでクエスト終了だね」
圭太の顔に、どこか誇らしげな色が見えるのは気のせいじゃ無いだろう。
グートは興味なさそうに戸口近くに寝そべり、大きなあくびをしている。
その全てを見やって、フィーは笑った。
「どうした?」
「なんでもないよ。さっさとやってくれ」
勇者としてダンジョンを落としていた頃、自分の中にあったのは、どこか冷めた気持ちだった。
自分が強くなるにつれ、どんどん攻略は楽になったけど、全てはゲームの延長線、ルーチンワークのように思えていた。
でも、今こうして、不思議な縁で出会った皆と目標を達成しようとするこの時。
「いけえっ!」
二人の手で魔石が打ち砕かれ、欠片が水飛沫のように散っていくのを見ながら、仔竜の中の少年は、実感していた。
「これが……冒険ってやつなんだなぁ」
ダンジョンの機能が停止し、周囲に漂っていた疼くような感覚が消えていく。コボルトと少年が差し伸べた手を握り、フィーは立ち上がった。
「さ、帰るぞ」
「おう!」
白く冷たい沈黙が、辺りを支配する空間。
その中央に座したフルカムトは、目を閉じてそれを堪能し続けていた。
正確を期せば、この空間の奥に小さなせせらぎが設けられ、わずかな音が大気を揺らすように仕向けてあった。
無音は虚無で心をやするが、清音をかすかに含んだ静寂は、魂を潤してくれるものだ。
その、研ぎ澄まされた知覚に、雑音が混入した。
「……無粋な」
目を開き、執務卓に水鏡を展開すると、そこに映し出されたものを眺めやる
迷宮から脱出してくる小さな影は、コボルトを先頭にした一行だ。入ったときと同じ頭数を確認し、水面を一撫ですると光景が移り変わった。
山間を進む魔物たちの群れ、先頭にいる牛頭の人魔がせわしなく命令を下し、必死に迷宮を目指して走っているのが見える。
更に水面の景色を変化させると、森の木陰に身を寄せ合う魔物の姿が見えた。犬頭のそれらは息をひそめ、必死に己の存在を消そうとしているようだ。
実に愚かしい、そんなことをしたところで、この神の目からは一切逃れることが出来ぬというのに。全ては我が手の中、少し掌を傾けただけで転がり落ちていく小石の類だ。
「康晴」
今度は直に勇者の端末につなぎ、声を掛ける。
『はい』
「予定通りか」
『エクバート隊に半日の遅れがあります』
「問題ない。ヴェングラス隊に伝令、針路変更、今から指示する地点へ全隊を率いて急行させよ」
『了解しました』
水鏡に投影した周囲を山に囲まれた盆地、その中央辺りにリンドル村が表示され、コボルトを示す駒が重ねられた。
村の東側に南北に伸びる一本の街道が通っている。その先に点った自軍の駒に指を置くと、"知見者"は駒をリンドルの北西にある森林へと導いた。
「コボルトの群れがこの地点付近に居る。発見し次第交戦、殲滅せよ。ただし、ヴェングラスに累が及ぶか、隊の損耗率が五%を超えたなら即時撤退、『目』を残してエクバートと合流させろ」
『……分かりました』
こちらの指示を完全に飲み込んで、勇者は短く返答する。交感を終了すると、フルカムトは水鏡を消し、再びかすかな水音に瞑目した。
「では、サリアーシェよ」
聞こえるはずも無い言葉を、彼は喜色を込めて口にした。
「踊ってもらおうか、我が意のままに」