9、新しき村
「しかし……お前までこの遊戯に参加しているとはな」
水鏡の向こうの景色を一度閉じ、サリアは友人の女神を見やった。自分と同じような長い衣に身を包んだ、青い髪のカニラは、目を伏せて淡く微笑んだ。
「理由はさっきも言った通りよ……今の天界で、遊戯を行わない神に待っているのは、ただ座して廃れていく道だけ」
「責めているのではないんだ。ただ、意外であったというだけで。それに、他の神にも聞いたが、モラニアには"知見者"の勇者以外はいないという話だったのでな」
「あの討伐が行われた後は、ほとんど神座の中で暮していたし、そう思われても仕方なかったかもね」
医薬の神格であるカニラは、その性質もあって何度も付き合いを重ねていた。こちらの星に彼女の神殿や廟が建ったこともある。
しかし、サリアが廃神になったと同時に彼女も姿を消し、廃れたか消滅したかと思っていた。
「それにしても酷いではないか。息災なのであれば、一言あっても良かろうに」
「……私のような小さな神が、勇者の行動を直接サポートする必要があるのは分かっているでしょう? シェートさんに付きっ切りで、ほとんど外に出てこなかったあなたも、私のことは言えないのではなくて?」
肩を竦めるとサリアは酒盃を取り、カニラに手渡した。彼女は黙ってそれを口にし、自分もまた、それを干した。
「圭太殿は、良い勇者のようだな」
「ええ……私には過ぎた子よ」
「しかし、あのような行動を望む者が居ようとは、意外だったぞ」
異世界での冒険や英雄となる道を選ぶのではなく、知に働いて名を成そうとするものなど、想像もしていなかった。
とはいえ、遊戯に対して悪感情しか抱いていなかった自分に、そんなものを見せられて納得する気持ちなど、生まれようはずも無かったろうが。
「異世界の勇者と言っても、その存在は様々よ。みんながみんな闘争を好んだり、魔物を経験値としか見ない者ばかりではないわ」
「……耳に痛いな。伝え聞くところによれば、シディア殿の勇者も、心根の優しい少女であったとか」
「ええ。討伐前に村に寄ってくれて、少し話をしたわ。できれば、私の村に留まりたいと言ってくれたけど」
ぽつりぽつりと交わされていく言葉と一緒に、降り積もっていく物がある。
長く姿を見なかった友への親愛の情。
「しかし、世界を救うのではなく、人々の幸せを守るか。お前らしい」
「言わないで……私はただ……意気地が無いだけよ」
「いや、敗北すれば失うものも多かろう遊戯に、自らの危難を負って参加しているんだ。どれほどささやかに見えても、それを笑うことなどできないさ」
言い差して、サリアはそっと目を閉じた。
「どうかした?」
「いや、怒りや憎しみは、本当に目を曇らせるものなのだなとな、お前を見て、つくづく思ったよ。お前のようなやり方は、私には想像することもできなかったのだしな」
「サリア……」
自分がこうして大神などと呼ばれ、新たに自らの主張を始められたのは、過去に対する恨みを越えて、動き出すきっかけが与えられたからだ。
シェートや竜神の存在、認めたくは無いが、イェスタのいざないが無ければ、自らの過去に溺れ、腐っていただけだったろう。
「ひとつ……聞かせて」
「どうした?」
「貴方はまだ、貴方の世界を貶めた神を弑することを、願っているの?」
こちらの物思いを誤解したか、ためらいがちにカニラが問う。
その視線に浮かぶのは、不安と悲しみ。
「私に、貴方の怨讐を止める権利は無い。でも、大神と成った貴方が、思いのままに動けば、きっと天は割れるわ」
「正直、その願いが無いといえば、嘘になる。だが……」
絶叫とともに石と化した兄の顔を思い浮かべ、その醜態の影にあるだろう事実に思いを馳せた。
交誼を取り戻した後も、神々はサリア凋落の原因となった最初の遊戯の話について、口をつぐんでいた。
いくら神々同士の争いが遊戯の発足と同時に禁じられたとはいえ、サリアの世界を貶めた手口は明らかにその埒外であり、首謀者の名が挙がれば、サリアの側から告発することも可能になる。
だからこそ、現在上座に在るいずれかの神が厳重に口止めを、あるいは制約を絡めた盟を結ばせていることは想像に難くない。
「今、いたずらに動いたところで、きちんとした証拠や証言を取ることは難しかろうな。それはこの戦いに勝ち、最後の一つ柱になった後の話さ」
「……それ、本気で言っているの?」
「いけないか?」
カニラは呆然とこちらを見つめ、それから深いため息と、苦い笑いを浮かべた。
「叶えてしまいそうね、貴方なら」
「まあ、それも今となっては瑣末な話だ。私のことより、優先するべきことがある」
「シェートさんの事ね?」
問いかけの言葉はどこか甘く、面白がるような音色を含んでいる。
その意味に気付かない振りをして、サリアは真面目くさって頷いた。
「あの者は、もはやただの配下ではない。我が分身と言い換えても良いほどだ」
「命を共にした者仲、ですものね」
「……お前も知っているだろう。私の神格に恋情の加護は無い。そういうのは"愛乱の君"にでも任せて置けばいいのだ」
「そんな台詞が出るということは、存外、思い当たらないわけでもないというわけ?」
「……竜神殿といいお前といい、どうしてそういう話に結び付けようとするんだ……」
うんざりしたため息を漏らすと、カニラは楽しげな笑いを上げ、何気ない調子で言葉を継いだ。
「ねぇ……明日、シェートさんに、村を見て回ってもらわない?」
「どうしたんだ……急に」
「いくら彼が思う以上に強靭だからといって、休息は必要だわ。それに、勇者の仕事の良い側面も、知っておいて貰いたいと思ったの」
サリアは口をつぐみ、ゆっくりと杯を干す。
それから、頷いた。
「確かに、そうかもな。私も圭太殿のありようを見てみたかったところだ」
「あ……ありがとう、サリア!」
どこか大げさな感のする礼を述べて、カニラは立ち上がった。
「帰るのか? 別に、このまま皆が起きるのを待っていても良いのでは?」
「その頃にまた来るわ。私も、自分の星を見なくてはならないし」
「……そうだな。では、またな」
カニラの姿が神座から去り、残されたサリアは、水鏡の面を撫でた。
映り込んだ自らの顔が揺らいで、苦しみに歪んだ顔をかき消す。
そして、つと、ため息を吐いた。
「変わらぬものなど、無いということか」
苦渋に満ちた言葉は、誰に聞きとがめられることも無く、消えていった。
自分の神座に戻ると、カニラは緑の森の中を歩き始めた。小さな空間を一杯に満たした木々は、今も緑の香りを大気に振りまいている。
『しかし、世界を救うのではなく、人々の幸せを守るか。お前らしい』
サリアの言葉には屈託はなかった。自分の言葉を額面どおりに受け入れ、心からそれを受け入れている風だった。
図らずも、事態は"知見者"が示唆したとおりになった。いや、心のどこかで、彼の言葉を受け入れたいと考えていたから、サリアとの旧交を温めようという気になったのだ。
ああして話すのは、サリアが廃神となったあのとき以来だろう。遊戯が神々の間に広がると同時に、彼女の姿は世界から消えた。
『正直、その願いが無いといえば、嘘になる』
そう言ったサリアの目には、暗い翳が宿っていた。
本人すら気が付かないほどの、それでも確かな怨嗟。
分かっている。自ら慈しみ育てた世界を、謀略に潰えさせられた者の恨みが、そう簡単に晴れることは無いのだと。
そのことを思うと、身の内が震えてくる。
『今、いたずらに動いたところで、きちんとした証拠や証言を取ることは難しかろうな』
サリアは気が付いている。天界の裏側にある謀略の、おぼろげな輪郭に。
でも、それが意味するところを、彼女が知ることはないだろう。
なぜなら、首謀者達がそれを語ることは、"永遠に"無いからだ。
「……ごめんなさい」
それ以上の心の働きの何もかもを封じ込めるように、カニラは膝を抱え、木の根方にうずくまるしかなかった。
物音に気がつくと、すでに圭太は服装を整えて、表に出て行こうとするところだった。
「おはようシェート君。良く眠れた?」
「ああ」
屈託の無い少年に返事をすると、自分も旅装をまとめ始める。
「もう行くの?」
「ああ。俺、早いうち、居なくなる方、いい」
この勇者の少年にもう含むところは無いが、自分が村で歓迎されないのは明らかだ。騒ぎにならないうちに出るほうがいい。
「そのことなんだけどね」
「ちょっと出発、遅らせられないか?」
気がつくと、圭太の足元に居たフィーが声を上げた。
「お前、夜遅かった。今日、寝坊する思ったぞ」
「いつまでもバカワンコに食いつかれたらたまんねーからな。俺も毎日進歩してんだよ」
軽口を叩きつつ、先に玄関を抜けた圭太を追うようにフィーが出て行く。
「ちょ、お前!」
「来いよ。せっかくだから、勇者さまの仕事を見せてもらおうぜ」
止める暇も無く出て行った仔竜を慌てて追いかけると、その後にグートも続く。
「何考えてる! 俺達、すぐここ出る!」
「これから圭太は村の見回りなんだってさ。俺達の飯もそれが終わったらになる。ってことで、良かったら一緒に村を見ないかって」
「俺、飯すぐ食わせてやる! だから」
「そんなに時間は掛からないよ。それと、フィーも色々自分のスマホに情報を入れておきたいんだって」
反論する間も与えられず、のこのこと歩いていく二人に、結局シェートは従うしかなかった。
『大丈夫ですよ。昨日の約束はちゃんと効いていますから』
『律儀なことに、カニラは盟まで結んで不戦を協定してくれたからな。名実共に、ケイタ殿は我らと敵対せぬ』
女神達の言葉に、シェートはため息で応じた。
『不満か?』
「お前達、俺、ケイタ見せる。あいつ、他の勇者、違う。そう言いたいか」
『……だから言ったであろうが。シェートにそのような手は通じぬと』
フィーの板から伝わる竜神の言葉に、前を歩く圭太がこちらを振り返り、ばつが悪そうに頭を下げた。
『この遊戯において、こやつは例外中の例外。"知見者"殿や"闘神"の勇者辺りは、問答無用で襲い掛かってくるのだぞ?』
『分かっています。でも圭太さんの……勇者の所業の全てが、権力闘争の出汁でしかないなどと、思って欲しくなかったんです』
カニラの言葉に、その場に居た全ての者が、苦く笑うしかなかった。
『あ……あの……私、何かまずいこと、言ってしまいました?』
『言わずが花という言葉を知らんのか、そなたは』
「気持ちは分かるけど、オブラートに包むとかしようよ……」
『カニラ……お前は昔から、そういう奴だったな』
「いいんじゃね? 変に取り繕われるよりは」
「わふっ」
異口同音の揶揄にしょげ返った女神に、シェートはそっと笑った。
『やはり、貴方にとって、こんなことは戯事でしかないですよね』
「そうだ。勇者、俺の敵。それ以外、どうでもいい」
『シェート……』
「でも」
朝焼けに照らし出されていく村は、すでに人々が動き始めていた。
村を貫く通りの中心には井戸があり、そこに近所から女達が集まって来ている。往来を足早に歩くのは、籠を背負い、あるいは荷駄を乗せた馬を引く男達。
早起きの子供らが、少し離れたところに建てられた、煙突のある小屋へ駆けて行くのが見える。
村のはずれにはなだらかな丘陵があり、無数のリンゴが植えられていた。すでに花の盛りが終わり、青い実が鈴生りになっていた。
「ここ、良い村」
「……分かるの?」
圭太の問いかけに、コボルトは頷く。
姿形は違っても、ここには日々を暮らす者の、穏やかな暮らしがある。
自分の失ったものを幻視するように、シェートは目を細め、煙突のある棟を指差した。
「あそこ、釜場か」
「うん。この村は共同で使うところが多いんだ。あの煙突のあるところで、炊事と農機具の鍛冶とかをやってるよ。そろそろ朝のパンが焼き上がるんだと思う」
「なにそれ! 俺、そこ見てみたい!」
フィーの言葉に従って一同は歩き出す。その道すがら、圭太の姿を見かけた人々が声を掛けてきた。
「おはよう、勇者様」
「レジナスさん、おはようございます。昨日はご苦労様でした。今日は山へは?」
「例の魔物連中が通ったせいで、獣がみんな逃げちまってな。しばらくは監視役でもやっていようさ」
どうやら猟師らしいその男は、こちらに視線を軽く向けただけで去っていく。
「ああ、勇者様。おはようさん」
ちょうど小屋の一つから出てきた初老の男が、笑顔で挨拶を掛けてくる。
「おはようございます、セリックさん。腰の具合はどうですか?」
短く刈ったごま塩頭の男は、ぽんと腰を叩いて健在を示した。
「おかげさんで、もうすっかり。明日には現場に戻れるだろうよ」
「無理はしないでくださいね。開墾の陣頭指揮は、セリックさんでないと捗らないんで」
「わかっとるって! それじゃあな」
それから引きもきらず、村人が圭太に声を掛け、その全てに律儀に答えていた。
「ケイタ、お前、村長か」
村人達を捌ききったところで、シェートが尋ねる。少年は村人という言葉に、恥ずかしそうに首を降った。
「そういうわけじゃないよ。でも、顔役みたいなことにはなってるかな」
「おはよう、ケイタさん!」
「にいちゃんおはよー!」
お使い物らしい、小さな籠や鍋を持った子供たちが、声を上げて圭太にまとわりついていく。
そのうちの一人が、いきなりこっちを指差して叫んだ。
「なんでこんなとこにコボルトがいるのー!」
「にいちゃんおっぱらってよー!」
「狼と変なトカゲー!」
「変なトカゲじゃねぇっ! これでもドラゴンだぞ!」
一緒になって騒ぎ出すフィーを引き剥がすと同時に、圭太は小さな子供達に目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「昨日、うちの村に来る人たちが襲われたのは知ってる?」
「うん! 兄ちゃんと父ちゃんたちが、魔物を追っ払ったんだよね!」
「その時、このコボルトさんにも手伝ってもらったんだよ」
「うそだぁ!」
「なんでコボルトがそんなことするのー」
黄色い声を口々に上げる子供の群れは、それでも興味深々といった感じでこっちを見つめてくる。
「シェート君は、いろいろ訳があって、カニラさまのお友達の手伝いをしているんだよ」
「ふーん?」
「こら、あんた達! あんまりケイタを困らせるんじゃないよ!」
釜場の中から顔を出した年嵩の大柄な女に一喝され、子供らが嬌声を上げて逃げ散っていく。
「まったくあの子らときたら……いつも悪いね。ちゃんと言って聞かせとくから」
「大丈夫ですよ。もうパンは焼きあがりました?」
「ああ。今は片付けしてる…………って、これが例のコボルトかい」
無遠慮にこっちを見た女は、圭太に向かって呆れたように笑った。
「アンタのお人よしには困ったもんだよ。いくら開墾に人手が要るからって、よその村だけじゃなく、魔物まで引き込もうってかい?」
「違うんですよ。彼は」
「まぁ、いいさ。男どもはぶつくさ言ってるが、あたしゃアンタの味方だからね!」
豪快に圭太の背中を引っ叩くと、女は一行をいざなって釜場に招き入れた。
むっとするような熱気が押し寄せ、奥の壁際にしつられられた大きな石釜から、何人かの女達が焼きたてのパンを引き出していた。
「うわぁ……すげぇなぁ」
物珍しさに感嘆したフィーが釜場の光景を写し取り、不思議そうに呟いた。
「でも、なんでこんなとこで飯作ってんだ? 家の暖炉ととか使わねーの?」
「一つの火、皆使う、使う薪、少なくなる。煮炊き一緒する、食い物分けたりできる」
「それに、パンを焼くのには大きな火力がいるからね。みんな一斉にやった方が節約になるんだよ」
「なるほどなぁ……」
釜場にはいくつかの炉もあり、赤々と燃える焚き火の上で鍋が煮立っている。忙しく働く主婦達の間に混ざり、招き入れてくれた女が何かが入った鍋とパン、皮袋を持って戻ってきた。
「ほら、今朝の分」
「ありがとうございます、いつもすみません」
「今日の昼はどうするんだい? 良かったらうちで食べてかないかい?」
「山の見回りがあるんで、お弁当はジェマさんにお願いしてありますから」
「やれやれ、勇者様も大変だねぇ。それじゃ、晩御飯にでもおいでな」
「わかりました、それじゃ」
ずっしりと重そうな朝食を手に、圭太がよろよろと歩き出す。そのいくらかを肩代わりしてやると、少年は笑顔で頷きつつ、元来た道を戻り始めた。
「持ったままじゃ見回りも無いからね。まずは朝ごはんからにしようか」
「やったー! 早く食おうぜー!」
その後、道すがらにチーズや絞りたての牛乳なども貰ったおかげで、朝食のテーブルはかなり豪華な状態になっていた。
「慕われてんなぁ、勇者様は」
「……そんなに大したことはできて無いんだけどね。村の壁に守りの結界を施したり、自警団と一緒に魔物を撃退したりが主な仕事。あとは病気とか怪我の治療と、薬草園を作ったくらいかな」
『見たところ、この村はリンゴが名産らしいな。人工授粉や品種改良はやってみたか?』
「品種改良は時間的に無理ですけど、人工授粉のやり方くらいは。今年は実になる花が多いって、みんな喜んでました」
自分の成果を語る圭太の顔は、昨日とは違って生き生きとしていた。
竜神との会話の内容は良く分からないが、それでも圭太がこの村に深い思い入れを抱いていることが分かる。
だから、シェートはそれを口にした。
「ケイタ」
「どうしたの?」
「お前、このまま、遊戯、負ける気か?」
彼は村の発展には尽くしているが、積極的に魔物を倒したりすることは無い。
裏を返せばそれは、レベルアップという作業を放棄しているということ。遊戯に勝利するための力を得ていないことに他ならない。
指摘に勇者の少年は黙り込み、少し悲しげに笑った。
「"知見者"の勇者が来るのは知ってるよ。っていうか、いずれ誰かが、僕よりもレベルが上の強い勇者が来て、倒されることは分かってた」
『それでも、敵意も害意も無く、時が来れば不戦敗を宣言する予定の私達を、無理矢理弑するような神は、居ないはずです』
主従共に同じ思いを口にすると、サリアの悲しげな香りが漂う。
『お前はそれでいいのか? カニラ』
『ええ。圭太さんに掛けた加護の分は、全て取り戻しているわ』
「僕は、世界を救う勇者にはなれない。だけど、村のみんなを幸せにする勇者には、なれると思うから」
全てを割り切り、自らのなすべきことを見据えた言葉。
シェートは、つくづくと、深いため息をついた。
「俺、お前、うらやましい」
「シェート君?」
「俺、遊戯負ければ、死ぬ。それだけだ」
朝の光景を見て、思ったことがある。
あれは多分、自分が願った未来の形だ。いつか、自分の仲間が、コボルトたちがああして安らげる世界。
しかし、自分と圭太には決定的な違いがある。
「お前負けても、きっと村、残る。村の奴、お前思い出す。でも俺、死ねば、終わり」
「あ……」
「コボルト、結局魔物。俺死んだら、コボルトの事、考える奴、いない」
朝食の席が、冷えた沈黙に支配される。
それでも、何か救いを求めるように、圭太は口を開いた。
「そ、それなら」
『やめておけ。その提案は、決して口にしてはならん』
いかめしく、竜神は言葉で勇者を押しとめた。
『それをすれば、そなたは最大の厄介ごとを抱えることになる。こんな村など、一瞬で消し飛ばしてしまう災厄をな』
「そんな……」
『物事を軽く考えるな。昨日の村人の反応を思い出せ。異種族を受け入れるということはな、そなたら異世界の者が考える以上に、根深い抵抗を受けるのだ』
そこまで聞いて、シェートは圭太がしょげ返っている理由に気が付き、呆然とした。
彼は、コボルトをこの村で受け入れようと言おうとしたのだ。
『重ねて問おうか。もし、この村にコボルトという「魔物」を受け入れれば、確実に近隣の村からも、各国からも目の敵にされる。そんな状態で、そなたはこの村を守り、発展させることができると思うか?』
完全に逃げ道を封じられ、圭太は黙り込む。
本当に不思議だ、シェートは幾度も彼らに思ってきたことを、再び感じていた。
異世界の勇者。
彼らの行為は、本当に子供のそれだった。
悪意や善意を推し量ることすらバカバカしくなるような、感情の生き物。
「ごめん……僕は……その……」
「いい。俺言った、ただの愚痴。気にするな」
本当は、愚痴というよりは嫌味のつもりだった。
こちらが生死を掛けて戦っている裏で、何の憂いも無く、善行を布くことだけ考えていればいい、気楽な勇者への当てこすりとして。
でも、自分は気付いていたはずだ、異世界の勇者は『子供』だと。
感情のままに振る舞い、わがままの限りを尽くすのが子供。
同時に、何のしがらみも無く、己の心に従い善を為そうとするのも、また子供なのだ。
「な……なんだよ?」
こちらの視線に気がついた青い仔竜が、居心地悪そうに顔をそらす。
「俺、勇者、魔王、全て狩る。そして、コボルト、害されない森、作る。お前の助け、必要ない」
「それ……本気で言ってるの?」
驚きと戸惑いの顔で見つめてくる勇者に、シェートは頷いた。
「シェート……君」
「でも俺、戦う気無い奴、狩るつもり、無い」
こちらの言葉に、勇者は目を伏せて、それから頭を下げた。
「ありがとう」
その時、小屋の扉が荒々しく叩かれた。
「ケイタ! ちょっと来てくれ!」
「……どうしました!?」
「村に魔物が入った!」
一堂が腰を浮かし、緊張が走る。
だが、その次に語られた言葉に、シェートの顔は苦痛に歪んだ。
「……コボルトが、村の外れの罠に掛かってる。すぐに来てくれ!」