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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~nameless編~
43/256

8、村の勇者

 水鏡の向こうを急ぎ足で進む一団を、カニラはやきもきした気持ちで見つめた。先頭を行くローブ姿の少年は、農具や斧で武装した村人を率いているために、どうしても足が遅くなってしまう。

『カニラ、そこから何か見える?』

 圭太の声もどこか焦りがちなのは、山に入った猟師の報告のせいだ。ゴブリンだけならまだしも、オーガの足跡まで見たとなっては、隊商が無事で済むわけが無い。

「ごめんなさい、もう少し圭太さんが移動してくれれば分かるんだけど……」

 水鏡の索敵範囲は、勇者を中心にして一キロ程度が限界だ。神の目は勇者に当てられる無償の加護の一つだが、世界の全てを見通せるほどではない。

『すみません! みなさん、もっと急いでください!』

 心持ち集団の移動速度が上がり、水鏡の光景が切通しに差し掛かっていく。

 最近、この辺りの街道を整備し、定期的にリンドルからの見回りが出ているせいもあって、魔物の被害は激減していた。

 そのせいだろうか、一部の隊商は経費削減のために護衛の数を少なく見積もることも増えているらしい。今回は荷物だけでなく難民の移送もかねた便、何かあっては困る。

「……ちょっと待って圭太さん! 何かがおかしいわ!」

『みんな! ストップ!』

 ようやく視界の端に入った光景に、カニラは全員の制止を指示した。切通しの途中、崖ががめちゃめちゃに崩れ、激しい戦いが起こったことが見て取れる。

 その中心に巨大なオーガが立っていた。だが、様子がおかしい。

「そこから二百メートルのところにオーガが一匹、それ以外は……皆死んでるわ。荷車の陰に生きてる人が見えるけど……」

『それだけなら、何とかなるかな。今から僕が行って』

 言い差した圭太の声はカニラの耳には入らなかった。

 崩れかけた崖の上から、何かが降りてくる。マントを身につけた小柄な姿、犬のような風貌は険しい表情を浮かべていた。

『どうしたの? カニラ』

「圭太さん、すぐに行ってオーガを倒して! その代わり、近くに居るコボルトには一切攻撃を仕掛けないように!」

『コボルトって……もしかして、それ!』

「後はお願い、私は出てくるわ」

 簡単に指示を与えるとそのまま神座を出る。

「まさか」

 広間に神々が驚いたような顔でこちらを見るが、そんなものに頓着している場合ではない。

「どうして、こんな」

 何かのきっかけで、出会うことになるかも知れないとは考えていた。それでも、こちらが身を潜めている限り、可能性は限りなく低いとも。

案内あないを請います!」

 南面の扉に向き合い、声を張り上げる。

「"病葉を摘む指"たるカニラ・ファラーダの名において、"平和の女神"、サリアーシェ・レッサ・スーイーラにお目通りを!」

「申し訳ありませんが、彼の神は神座にはおられません」

 ドライアドからの返事に、カニラは周囲を見回した。周囲の神々の目は、珍しいものでも見かけたような表情をしている。その群れを縫うようにして、一柱の神が進み出た。

「おや、女神カニラ……これはお珍しい」

「……あ、ど、どうも……」

 気安い感じで語りかけてくるエルフの神の視線を避けるように、顔をうつむける。

「そういえば、貴方も遊戯に参加されておられたはずですが……その、まだ居られたとは……実に、意外ですな」

「え……ええ」

 軽薄さが売りの彼も、今まで姿を見せなかった自分に言葉をにごらせる。

 例の一件でモラニアへ勇者を送っていた神々はみな、黒石の像と成り果てた。ほぼ全ての参加者が蹴落とされたあの惨状の中、自分のように目立たないものが一緒に敗退したと考えられても不思議はない。

「その様子では、サリアーシェ様を尋ねられたようですな?」

「あ……はい。その、貴殿は、なにかご存知では?」

「おそらく竜神殿のところでしょう。このところ、入り浸っておいでですから」

「そ……そうなのですか!? ありがとうございます!」

 頭を下げると、挨拶もそこそこに西の扉へと向かう。無礼は承知だが、今は優先するべきことがある。

「案内を! "病葉を摘む指"、カニラ・ファラーダの名において」

『え? カ、カニラ様!? どうして我が主に?』

 うろたえる小竜にも構わず、カニラは叫ぶように声を上げた。

「サリア、サリアがここに来ているのでしょう!? どうかお目通りを!」

『あ……主様! なんだかカニラ様がおいでになってます! サリア様に御用があるとかで……』

 扉が開き、岩屋への道が開かれる。その向こうに驚いたような顔で自分を見つめる二つの顔があった。

「カ……カニラ!? お前……本当にカニラなのか!?」

「久しぶりね、サリア」

 うろたえ顔の旧友に向けて、カニラは精一杯の笑顔を浮かべた。



「まずはお礼を言わせてよ。隊商の人たちを助けてくれて、ありがとう」

 そう言って、勇者は頭を下げた。

「え…………あ?」

「山に入った猟師の人が、魔物の通った後を見つけて報告してくれたんだけど、手遅れになるかもって思ってたんだ。あの人たちが助かったのは、君のおかげだよ」

「あ……ああ」

 なんだろう、こいつは。

 シェートはまじまじと、目の前の少年を見つめた。

「えっと、僕の言ってること、分からなかった?」

「……いや、分かる」

「おい勇者さま! こっちにけが人だ! ちょっと頼むよ!」

「はい! 今行きます! じゃあ、悪いけど少し待っててもらえるかな?」

 答えも聞かず、瓦礫から引き出された人間に駆け寄っていく背中を、シェートは呆然と見送るしかなかった。

『どうした?』

「いや……その……」

 なんと言っていいのか分からない、一体さっき、自分は何を言われたんだろう。

 救助にやってきたらしい人間たちが、敵意と懐疑に満ちた目でこちらをにらむが、そちらの方がまだ理解できる。

 でも、あの勇者の視線は、全く違っていた。

『驚いたのか? 彼に礼を言われて』

「…………ああ」

『彼に加護を授けているのは、私の旧知だ。その彼女が直々に宣言してくれた。そなたと敵対しないことをな。無論、彼も合意の上だ』

「なんだ、それ」

 そう言うのがようやっとだった。

 自分と敵対しない、それは一体どういう意味なんだろう。

「シェートぉっ!」

 崩れかけた崖などものともせず、軽やかな足取りでグートが駆け下り、その背中から転がり落ちるようにフィーが駆け寄ってきた。

「大丈夫だったか!? ケガは!?」

「ああ、心配ない。大体俺、ケガすぐ治る」

「…………シェートっ……その……俺っ」

 縋りつくような、後悔が一杯に溢れた瞳。青い仔竜の声に、シェートは笑顔で頷いた。

「俺、サリアの手下。ときどき、こういうことする、悪くない」

「シェート……」

「あいつら、死ぬ、見捨てなかった。フィー、お前、優しい奴」

 その頭にそっと手を載せ、髪をかき混ぜるようにして撫でてやる。嫌がるでもなく、仔竜はうつむいて、されるがままになっていた。

「……そ、そうだ! 一応、拾っといたぞ! 使った矢!」

 こちらの手から逃れるように、フィーは鞍袋に差し込んであった矢を取り出す。血の始末もしてあるし、矢軸のゆがみも見えない。

「よくやった。これから、こういうことある。その時、頼むな」

「食い込んだまま抜けなかったのがあったから、何本か置いてきたけど……」

「いい。鏃、まだある、後で作ろう。……グート!」

 座り込んでいた星狼が腰を浮かし、鞍に飛び乗る。

「行くぞ、乗れ、フィー」

「あ……うん」

『いや、待てシェート、まだ行くな』

 サリアが声を掛けるのと同時に、救護を終えたらしい勇者がこちらに走ってくる。

「ちょっと待ってよ! どこに行くつもり!?」

「魔物、全部死んだ。俺、もう行く」

「まだお礼も済んでないんだよ!? もう少し」

「俺、礼言われるため、やった違う」

 勇者への言葉が心持ち、きつくなってしまう。その言葉に勇者の付き人も、助け出された連中も視線を鋭くした。

「俺、あいつら狩った。経験値欲しいから。用済んだ。俺、もう行く」

『……シェートよ』

 大気が悲しみに潤い、サリアの思いが匂う。

 分っている、こんな風に反応している自分が、どうしようも無くみっともないことも。

『お前の気持ちも分かる。だが、彼がお前に感謝しているのは、おそらく本当だ』

「……それ、あいつの勝手。俺、関係ない」

『あの……少し、よろしいでしょうか』

 耳慣れない声が届き、シェートは顔を上げた。

「お前、誰だ」

『カニラ・ファラーダ。圭太さんと一緒に遊戯に参加している女神です。シェートさん……私の話を聞いていただけますか?』

 やけに腰の低い、サリアや竜神とも違う雰囲気に、不承ながらも頷く。

『貴方のお話は伺っています。お仲間や家族を殺されたことも、次々に勇者に襲われ、大変な目に会われたことも……』

「それがどうした。お前ら、やってる遊び、そういう決まり。俺、もう気にしない」

『……そうですね。今更、私達が何を言ったところで、貴方にとってはお笑い種にもならないでしょう。でも……』

 精一杯の謝意を込めるように、カニラという女神は言葉を継いだ。

『貴方は私たちの仲間を、死に掛けた人々を救ってくださいました。そのことだけは、疑いようも無い事実です。だから……ありがとうございます』

「……う……うん」

 カニラの言葉に、シェートは強い疲労感を覚えていた。

 敵として見ていた者からの、全く予想外の言葉に。

「どうした? シェート?」

 おそらくカニラの言葉も聞いていたであろうフィーは、不思議そうな顔でこちらを見つめていた。

 きっとこの仔竜なら、女神の言葉を額面通りに受け入れるだろう。

 フィーへのうらやましさと、自分への嫌悪がかすかに心に渦巻く。

「やっぱり、無茶しすぎたんじゃないか? 自動回復ったって、疲れを先送りしてるようなもんだし」

「いや……だいじょぶだ」

『戸惑う気持ちも分かる。だが、彼は今まで見てきた勇者とは違うんだ。カニラもまた、他の神々と違った思惑で、この遊戯に参加していると聞いた』

 サリアの言葉に促されるように、シェートは側に立っている少年を見た。

 グートの背に乗っているおかげで目線はちょうど合っている。黒い瞳に黒い髪、色の薄い平板な顔立ちと鼻の頭には、うっすらとそばかす。

 こちらの気持ちをとりなすように、顔は緩められている。

 本当に子供だ、今まで見てきた異世界の勇者と同じだ。

 それなのに、こいつは敵じゃないという。

「……こんな時になんだけど、なんだか感動するよ」

「いきなり、なんだ?」

「この世界だと、獣人って、魔物の側にしかいないみたいでさ。間近で見れるとは思ってなかったんだ」

 警戒心などまるで無く、勇者は笑顔を向けてくる。腰の山刀を抜き放って、こいつの喉を裂けば、一瞬の内に元の世界へ送り返せるだろう。

「わかった。もういい」

 苛立ちを隠しきれず、言い捨てた。

 こいつが何を考えているのかなど、どうでもいい。敵でないというなら無駄な労力を払わずに済むだけだ。

「お前ら、感謝する。勝手にしろ。俺、もう行く」

「今日寝るところはどうするの?」

 その声で、シェートは太陽が大分かげっていることに気が付いた。この調子だと野営地を探すだけであっという間に日が落ちるだろう。

「今から探す。時間ない。もう止めるな」

「それなら、僕の住んでる村に来てくれないかな」

 勇者の言葉に、シェートだけでなく周囲の人間が瞠目した。

「ちょ、ちょっと待ってくれケイタ! ほんとにそいつを村に入れる気か!?」

「そうでですよ。うちの村に来る人たちを救ってくれたんだから、そのぐらいはするべきだと思います」

「いくらなんでもそんなこと! コボルトなんて村に入れたら!」

「彼はただのコボルトじゃない! 僕と同じ神の勇者なんです!」

 くだらない言い争いがしばらく続き、シェートは黙ってそれを眺めていた。

 自分を村に入れるなどと言い出したら、こうなることは予想できただろうに、それとも異世界の勇者と言うのは、その程度のことも分からないんだろうか。

「フィー、今日、寝床探す、難しい思う。ごめんな」

「あー……別にいいよ。屋根無い生活も慣れたし」

 呆れたフィーの言葉にグートがあくびで続く。

 だが、議論は唐突に打ち切られた。

『皆さん、私の話を聞いてください』

 勇者の周りに詰め掛けていた人間たちが、ぎょっとしたように辺りを見回す。

『その方を村に入れてあげてください。彼の潔白と安全は、女神カニラ・ファラーダの名において保障します』

 どうやら、彼女の声は勇者に従うものには聞こえているらしい。それまで文句を言っていた連中も、勇者の言い分をしぶしぶ認めたらしかった。

「ごめんね。これでもう、村に入れるから」

「お前、立場悪くなる、違うか」

「そうかもしれないけど……」

 勇者は苦笑しつつ、肩をすくめた。

「君に興味があったから、このままさよならするの、もったいなくてさ」

 百人の勇者のときも思ったが、こいつらの考えていることは、本当に分からない。

 厄介ごとを引き受けて、神の名前まで出して、コボルトを村に入れるなんて。

「わかった。行ってやる」

 本人は親切のつもりなんだろうが、こっちにしてみればいい迷惑だ。その証拠に、勇者の住む村の人間も、荷馬車に乗っていた連中も、こちらを胡散臭そうな顔で見ている。

「それじゃ、行こうか。……皆さんも移動を開始してください! 細かい隊分けは……」

 列の先に立ち、てきぱきと指示を飛ばす勇者を横目に、シェートは囁いた。

「フィー、村行っても、油断するな。出られる準備、忘れるな」

「……ああ」

 仔竜を抱き寄せるようにして手綱を握ると、シェートは勇者の後を追った。



 酷く居心地の悪い思いをしつつ、フィーは黙って狼に揺られていた。

 すでに日の暮れた村が闇の中に沈んでいるが、避難民達のいるらしい大き目の家屋からは、かすかに騒ぎ笑う人々の声が聞こえてくる。

「今日は僕の家に泊まってもらうけど、いいかな?」

 一軒の家の前に立つと、圭太はそう言ってこちらを振り返った。

 不安に駆られながら、フィーはシェートを見上げた。コボルトは辺りを見回し、黙って頷く。

 この世界で建てられる、極一般的な木造の平屋建て。勇者が住む家としては、かなり安っぽい感じではあったが、本人は気にしていないようだった。

「その狼の、グート君だっけ? 彼も中でいいから」

「そうか。助かる」

 ここに来てから、シェートの声は緊張で強張っていた。

 村に入る門で一悶着があり、ここに来るまでの間、厳つい顔をした自警団の連中がずっとつきしたがっていたから無理も無い。

「"甘やかなる望月、蜜が季節に滴る光輝の欠片よ、夜闇の憂いを掃い散らせ"」

 詩歌が少年の口から紡がれ、部屋の中に暖かな光が灯る。明かりの魔法は天井に電灯のように輝き、木造の内装に柔らかな印象を与えた。

「あれ? 明かりの魔法って、"青く磨かれ"……とか何とかってんじゃなかったっけ?」

「"青く磨かれし、凍土を照らす銀円よ、夜の帳に照り映えよ"だね。そっちは強い光が出るんだけど、あんまり照明向きじゃないから」

「……そうなのか……」

 勇者として冒険していた頃は気にも留めなかったが、考えてみれば状況に応じて明かりの色が違っていた気もする。無意識に手がスマホに伸びて、蜜色の光を撮影した。

「なにそれ!? 何でそんなもの持ってるの!?」

「これ? こっちにくるとき、竜神のオッサンに貰ったんだ」

「え……ああ、そう」

 こちらが扱う文明の利器に驚いた圭太は、それでも気を取り直して自分達に席を勧めてくる。

「とにかく、ご飯が来るまでゆっくりしててよ」

「ああ……って、シェート!?」

 コボルトは狭い部屋を歩き回り、木戸が閉じられた窓に近づいて外を見、ドアの開きを確かめ、さらに奥へと続く扉を確認していく。

「い、いくらなんでも人んちを」

「いいんだよ。いくら僕が大丈夫って言ったって、ここは……敵地みたいなものだし」

 圭太の言葉にシェートは無遠慮なくらいの視線で見返し、テーブルに戻ってきた。

「すまん」

「いいよ。なんなら、この村から出る道も教えておこうか?」

「助かる。すぐ、教えろ」

「……シェート!」

 さすがにたまらなくなって、フィーはシェートの袖口を掴んだ。

「どうした」

「気持ちは分かるけど、ケンカ売りすぎだろ! ちょっとは落ち着けよ!」

「フィー、俺、油断するな、言ったぞ」

「分かってる! でもっ!」

 硬く険しい顔をしていたシェートは、ほっと息をついて、席に着いた。

「この家は村の大通りに面してる。出てから左手へ行ったら後は畑だよ。村の壁は全部木で出来てるけど、裏山は天然の崖でほとんど手は加えてない」

「……いいのか。そんなこと言って」

「無理を言って来てもらったのはこっちだからね。でも、村の門や防壁には防御用に魔法が掛けてあるから、いじらないでくれると嬉しいよ」

「お前、バカか」

 嫌そうに顔をしかめながら、シェートが絞り出すように声を出した。

「村の守り、大切。それ、教える、村、危険さらすぞ」

「でも、君なら、秘密を悪用しないよね?」

 ため息をつくと、コボルトはうんざりしたとでも言うように首を振り、黙りこくった。

 グートは戸口の側に座り、神経質に耳を震わせている。

 言葉を掛けそびれた少年は、曖昧な表情でシェートの真向かいに座っている。

(く、空気が……重いっ)

 昔から能天気だとか、空気が読めないとか、ずぼらだとか言われてきた自分だが、さすがにこの状況で世間話を切り出す勇気は無い。 

 シェートが勇者に対して抱いている感情は、嫌悪以外の何物でもない。それを平然とかき乱してくる圭太という少年は、頭がおかしいとしかいえないレベルだ。

 この様子を見ているはずの女神たちは、さっきから何も言わない。事情を察して黙っているか、あるいは地雷を踏むのを恐れたか。

(日和るんじゃねーよっ、駄女神どもっ!)

 どうにもならない状況の中、仔竜が身じろぎした、その時。

 突然、気の抜けるような着信音が空気を裂いた。

「なに!? 電話!? どこから着信してるの!?」

「フィー! それ鳴ってる!」

「え! あ、ちょ、も、もしもし!?」

『おお。繋がったな。というか、何をやっとるんだ、お前達は』

 呆れ顔が目に浮かぶような深いため息と共に、竜神は勝手にスピーカーモードに音声を切り替えてしまった。

『お初にお耳に掛かるな、カニラの勇者殿。儂はエルム・オゥド。竜神とかをやらせてもらっておる。あと、そこの仔竜の保護者っぽい感じ?』

「え? あ、ど、どうも」

「"とか"とか"ぽい"ってなんだよ! なんだよそのふわっとした自己紹介!」

 とても威厳の無い自己紹介に、思わず突っ込みを入れてしまう。

 こっちの反応に、竜神は拗ねたような声で愚痴り始めた。

『んー。なんか最近部下が冷たくてなー、いまいち上司として扱ってもらえないっていうかー。正直、竜神やってく自信がないので、いっそのこと辞めてしまおうかと』

「ちゃんと仕事してないからだろそれ! そもそも辞めてどうするんだよ!」

『秋葉原と神保町の狭間をたゆたう、自由な存在になりたい』

「おもいっきり遊び人じゃねーか! おかしなクラスチェンジ望んでんじゃねぇっ!」

 力いっぱい突っこんだところで、机に突っ伏し肩を震わせている圭太に気がついた。

 シェートも軽く頭を抑えて失笑し、いつの間にか寝そべっていたグートは大あくびをしていた。

「……頼むから、身内の恥をさらすのはやめてくれよ。小竜たち、すすり泣いてんぞ」

『しかし、場は和んだと見た、キリッ』

「口で言うな! あと、リアルでネットスラング使うな! キモい!」

 堪えきれなくなった圭太が爆笑し、ようやく固まった空気が和らいでいく。そのタイミングを見計らったように村人達がテーブルの上に料理を並べ、退出していった。

「……すまん。俺、悪かったな」

 険の取れた顔で、コボルトはそっと頭を下げる。納得はしていないだろうが、それでも気持ちは大分切り替わっているように見えた。

「僕の方こそごめんね。君にとって、勇者は敵だって事を、軽く見すぎてた」

「あ、あのさ、それ以上、あやまりっこすんの、なしにしようせ?」

 言えた義理ではないのを承知で、フィーは意思を振り絞った。

「せっかく屋根の下で、あったかい飯が食えるんだしさ。暗い顔つき合わせたってしょうがないだろ?」

『うちの仔竜の言うとおりだ。仲良くせよとは言わぬが、気を抜くところは抜いてよかろう。この村にいる間、役に立たん女神どもが、そなたらを守ってくれようからな』

 竜神の叱責に女神達が恐縮したところで、食事は笑いと共に始まった。

 焼きたてのパンや猟師が取ってきた猪のあぶり、山鳥のシチューやこの村の名産だというリンゴの酒が並ぶ。

 村にやってきた難民を歓待する料理のおすそ分けらしいが、それでも量も味も文句なしだった。

「そういえば、フィー君も勇者なの?」

「フィーでいいよ。俺は、オッサンに言われて……シェートの手伝いしてる」

『そういえばケイタよ、そなたはどうしてこの村におるのだ?』

 一応貴賓ということで上座に置いたスマホに問いかけられ、はにかみながら圭太は答えた。

「……僕はカニラにお願いされて、ここで"村の勇者"をすることにしたんです」

「"村の勇者"?」

 耳慣れない言葉にシェートが顔を上げる。空になったコボルトのカップにリンゴ酒を注ぎながら、少年は頷いた。

「世界を救うんじゃなく、この村の人たちを守ることを選んだ、って言えばいいのかな」

「そんなこと、できるか?」

「できるって言うか、それが僕が勇者になる条件、みたいなものだったから」

『ええ。圭太さんには、感謝しています』

 他の勇者と同じく、圭太はカニラの接触を受け、遊戯への参加を持ちかけられた。

 しかし、カニラ自身の思惑は、遊戯の勝利でも所領を増やすことでもなかった。

『私の目的は、遊戯の間、見捨てられ、ないがしろにされる人々の保護です』

「神の勇者、魔物倒す。蔑ろ、してるわけじゃない、違うか?」

『……彼らの欲しがっているのは、遊戯での勝利と、それに伴う名声です。ゼーファレス様やガルデキエ様のような武辺な方は、魔物を征伐すれば民を安んじられると思っておられます』

『ああ。そうだな。兄上達は、その後に残されたものを見ない。荒れ果てた畑や打ち壊された家屋、そして仲間を、家族を、愛する者を失って悲嘆にくれる民たちをな』

 苦いサリアに言葉に、一時部屋の中が暗く沈みこむ。

 同時にフィーは、自分のしてきた過去の重みが、ずっしりとのしかかるように感じていた。

『私は、そうした人達に、何かをしてあげたかったのです。遊戯の華々しい勝利の影で見過ごされていく人々のために』

『……そのためにわざわざ、遊戯に参加したのか?』

『もちろん、遊戯に参加して、少しでも神格の健在を知らせなければならないという理由もあるのよ。そうしなければ、廃れてしまうから』

 カニラの司るのは医薬と癒しだという。だが、他の似たような神格が強さを増せば、存在をかき消されてしまうことにもなりかねない。

 現在の天界で己を示すためには、信徒の数や権能よりも、遊戯に参加していることの方が重要、そう言って彼女は寂しそうに笑った。

「……カミサマも大変だな。その点、うちのオッサンは悪目立ちしてるみたいだし、心配なさそうだけど」

『誰が悪目立ちだ。儂だってやるときはやるのだぞ?』

「万年ニートみたいな生活してるくせに。ダベってないで仕事にもどれよ」

『しかし、カニラの思惑はともかく、ケイタはそれでよいのか?』

 その質問に、なぜか圭太は少し赤くなった。

「僕は、その……こういう話のほうが、好きなんで」

「こういう話?」

「いや、その……戦闘しないっていうか……本筋から離れるっていうか……ちまちまやるのがいいって言うか」

『ああ、なるほど。内政系というやつだな』

 一人で勝手に納得した竜神は、赤くなっている村の勇者を構いもせずに説明を始めた。

『ケイタたちの世界で読まれる異世界冒険譚は、武力で覇業や偉業を為す物と、その世界の文明が持ち得ない、知識や技術によって革新をもたらす物の二種類に大別される』

「知識や技術って……どうやるんだ?」

『メジャーなものは農政改革と産業技術革命だな。生産性に優れた作物や画期的農法を、貧困に喘ぐ村や国に施したり、産業の育たない地域に特産物や特殊な技術、例えば冶金や窯業、織機技術などを伝えて、経済問題を解決したりする』

『なるほど。通常の勇者達が武力によって地上の平和をもたらそうとするのに対し、民の生活を守り、その水準を上げることで安んじるのが、ケイタ殿の目的というわけですね』

 サリアの結びに、やっぱり顔を赤くしたままの圭太が頷く。

「何でそんなに恥ずかしがってんだよ」

「それは……その……」

『最近の異世界物は、内政系の主人公が流行りだしな? 大方、それを見ていたから、カニラの誘いにも二つ返事だった、と言ったところか』

「う……うう~……」

『竜神様! あ、あまり圭太さんを、いじめないであげてください!』

 カニラの言葉に竜神が笑う。そんな周囲の騒ぎを理解できなかったのか、空になったテーブルを前に、シェートはうつらうつらとしていた。

「やっぱ、分かんなかったか」

「……勇者、話すこと……むつかしい。俺、もう寝たい」

「それじゃ、悪いんだけど、そこにわら布団を持ってきてあるから……」

 そう言って、部屋の隅に積んであった布の山を圭太が指差す。わたの代わりにわらが入った寝具は、こっちでは割と良くある寝床だ。

 眠そうな顔で頷くと、シェートは旅装のまま、弓と武器だけを外して枕元に置き、床に伏して寝息を立て始めた。

『……では、我らも退散するとするか。何かあったら知らせよ。今日だけは掛け放題にしておいてやろう』

「いっそ無料通話にしてくれよ」

 笑いながら神々の気配が遠ざかり、辺りが静かになっていく。適当に食卓を片付けていく圭太を無言で手伝い、フィーはほっと一息ついた。

「なんか、どっと疲れる一日だったな」

「そういえば、フィーはどこで寝る?」

「え? ……あー、そうだなぁ」

 自分以上に疲れたであろうシェートは、寝床を完全に占拠していた。側で丸くなってもいいが、シェートはあまり寝相が良くない。

「それじゃ、隣で寝たら? 良かったら僕のベッド貸すよ」

「さすがにそれはいいよ。適当な布とか貸してくれたら、それ敷いて寝るわ」

 頷くと、圭太は隣の部屋にフィーを招いて大きな毛皮を渡してきた。

「うわ、でけぇな。これ猪か」

「僕がこの家に住むようになった時に、猟師の人から貰ったんだ」

 明かりの魔法を消し、部屋を暗くすると、圭太はベッドの上に腰掛ける。それに習うように、フィーも猪の毛皮に包まった。

「そういえば、フィーって僕らの世界のこと、色々知ってるんだね」

「え? あ、ああ。保護者があれだからな、自然と覚えちゃって」

「まさか、神様から自分のこと、内政系とか言われるとは思わなかったよ」

 よほど気にしてるのか、夜目の効く竜眼に圭太のほてりが感じられる。

 仔竜は、わずかに痛みを感じながら、口を開いた。

「お前は……すごいと思うよ」

「……そうかな……」

「だってさ、他の勇者が……殺すとか殺されるとか、そんなことばっかりやってる間に、この村で、役に立つ仕事をしてたんだろ?」

 そういえば、自分が"助けた"村は、あの後どうしたんだろうか。自分が死んだ後、リミリスの人たちはどう思っただろう。

 そして、仲間達は、今頃どうしているんだろうか。

 物思いに耽るフィーに、圭太は少し苦いものを含んだ声で言い差した。

「僕だって、下心が無いわけじゃないんだよ?」

「下心って?」

「一応、魔法も使えるし、戦うこともできるけどさ……正直、怖いんだ、そういうの」

 自嘲気味に呟くと圭太はベッドに横になり、毛皮をかぶった。

「だから、異世界で色々やってみたいとは思ってたけど、魔王を倒して世界を救う、なんてやりたくなかった。それに……内政系の主人公って、頭良くみえるから、さ」

「俺tueeの代わりに、頭いいのをアピールするってわけかぁ……へぇー?」

 意地悪に口を歪めてやると、それ以上の質問を遮るように、圭太は毛皮の中にもぐりこんでいってしまう。

「明日も早いから、もう寝るね。そっちはゆっくりしてていいから、おやすみ」

「うん。おやすみ」

 思いのほか早く、圭太は寝息を立てて眠ってしまった。寝たふりかもしれないが、あえて突っこむ必要も無いだろう。

 足音を忍ばせて部屋を出ると、あっという間に二匹が顔を上げてきた。

「ちょっと用足しだよ。何かあったら大声で叫ぶから、寝てろって」

「ん……すまん」

 思う以上にシェートがぐったりしているのは、飲みなれない酒のせいだけでなく、圭太の存在に当てられたからだろう。

 戦うことではなく、守ることを選択した勇者に。

 外に出ると、満天の星空と涼しい夜気が出迎えてくれた。角に感じる音には風のさやぎや小さな動物達の足音に混じって、勇者の小屋を警戒している夜番の吐息が聞こえる。

 小屋の裏手に回ると、一本のリンゴの木が立っていた。すでに花の季節は終わり、まだ熟していない青い実がぽつぽつと生りはじめている。

 その根方に座ると、通話を始めた。

『どうした、儂の声が恋しくなったか?』

「そんなわけあるかよ……って、いいたいところだけどさ、ちょっとな」

『ケイタのことか』

 ずばりと言い当てられ、ため息をつく。

「あんなやり方があるなんて、考えたことも無かったよ」

『仕方あるまい。そなたを呼んだゼーファレスにも、そんな発想を汲む頭は無かったからな。そのような提案をしたところで、絶対に聞き入れなかったであろうよ』

「そう……だよな」

『それにな。あのやり方とて、最良というわけではない』

 意外な一言に空を見上げると、竜神は少しためらいがちに言葉を継いだ。

『確かに、その時代や世界に無い、優れた技術や知識を知っている者がそれらを導入し、苦しむものを救うことはできよう。だが、それは本来、その世界の者が発展させるはずの"権利"を奪うことで成り立っているとも言える』

「権利を、奪う……?」

『確かに、技術というものには飛躍の一瞬がある。優れた天才により、それまでの技術を飛び越えるような、驚くべき革新がなされることによってな。だが、その革新も"その世界の天才"によってなされるべきではないか、とな』

 フィーは少し考え、頭を振った。

「苦しんでる人間を救えるなら、誰が考えてもいいんじゃないか?」

『では、その優れた技術や知識を持つ人間が、突然その世界から消えたらどうなる?』

「それは……残った奴らが、何とかやっていくんじゃないのか?」

『そうかもしれん。そうではないかもしれん』

「なんなんだよ……それ」

 それ以上答える気は無いらしく、竜神は喉の奥で笑いをかき混ぜるばかりになった。

 これも、自分で考えろということなんだろう。

「オッサンは、圭太が間違ってると思ってるのか?」

『そなたはどう思う?』

「質問を質問で返すなよ。俺はあんたの意見を聞いてるんだぜ」

『儂には、人の行為に是非を言える資格など無い』

 竜神の声が、夜気よりも冷たく、沈み込んだ。

『儂は、ただ"観る"だけだ。全ての傍観者、あらゆる事象の瞥見者に過ぎん。何かを生み出し、育てることもない。ゆえに、何かを為すもの、為そうとするものの是非など、言えるわけが無いのだ』

「カミサマなのにか?」

『カミサマだから、さ』

 カミサマ、という言葉に含まれた盛大な皮肉を、フィーは聞かなかったふりをした。

 その代わり体をさすり、冷えた肌を温める。

「ちょっと寒くなってきたなー、さすがにドラゴンの体でもきついか」

『風邪を引かぬよう、暖かくしてぐっすり眠れ。明日への憂いも感じぬほどにな』

「ありがと。オッサンも仕事がんばれよ」

『どうしてそなたらは、そうやって儂に仕事させたがるのだ……ちょっとぐらいお休みしても罰は当たらんと思』

 通話を切って愚痴を封じると、フィーは小屋に戻っていく。

 村の夜は、ただ静まり返っていた。


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