7、狩り込める
群れの統率者らしいホブゴブリンの言葉に、シェートは眉根を寄せた。
殺すのではなく生け捕る、普通ならコボルトが逆らっていると言う時点で、感情に任せて殺しに掛かるだろう。
いや、そんなことはどうでもいい、今は狩ることだけを考えろ。
相手の装備は剣に皮鎧、内数匹が手槍と丸盾を使っている。飛び道具は無く、魔法を使いそうなそぶりを見せるものも居ない。
この連中の統率者がホブゴブリンであるとも分っている。あれを落としてしまえば、蜘蛛の子を散らすように、残りは逃げ出すはずだ。
だが、そんな気配を見せれば、たちまち周囲のゴブリンが動き出すに決まっている。
一応、こっちを囲むように動きはとっているが、立ち木が邪魔をするせいで整然と動くことは出来てない。こっちの弓を警戒してか、立ち木に半身を隠しながら近づいてくる。
逃げながら弓を使えば、危険を冒さずに戦うことはできるだろう。その代わり命中率が下がって、無駄に矢を消費してしまう。
相手は七匹、こちらは一匹。接近すれば押し包まれて殺される。
無駄な消耗を避け、剣の攻撃範囲に入らずに戦う方法は?
シェートは弓をしまい、一気に"それ"を引き抜いた。
ざらりと金属が不快な音を立て、長い物が地面に垂らされる。
「む、鞭!?」
驚いた声を上げたホブゴブリンに目もくれず、シェートは背後から距離を詰めつつあった一匹にそれを思い切りたたきつけた。
「ひぎあああっ!?」
浅い、だがしっかりと肩の肉をむしりとった一撃。
手にした【荊】の手ごたえを確かめ、シェートは傷ついた相手めがけて走り出す。
「おおおおおおおおっ!」
駆け出した体を一気に制動、踏ん張った勢いを【荊】に伝えて解き放った。
「うぎゃあああああああああっ!」
先端に括られた鏃のような分銅がゴブリンの鼻っ柱を叩き潰し、かえしの部分が引き戻した勢いで相手を地面に引きずり倒した。
「な、なんだあのぶき!?」
「むちか!? でも、すごいぎざぎざついてる!」
驚く連中を尻目に一気に駆け抜ける。あわてて追いすがって来た相手に、振り向きざまの一閃を見舞う。
「いぎゃあああああっ!」
強くしなり、こちらの掛けた力に敏感に反応する【荊】は、加護を掛けていない状態でも、容易に相手の皮鎧の一部と肉をむしり取った。
解体したワイバーンの足と翼の腱を束ね、ミスリル片を組み込んだ改良版の【荊】は、素材となった魔獣の貪欲さを宿したかのように、敵に喰らいついていく。
「ちっ――ゼス・カーナ・ロス・アン・ズァル――"硬くなれ"!」
ホブゴブリンが歌うように呪を唱え、皮鎧を一撫でする。白い輝きが表面に宿り、何かの強化が掛かったと分かった。
「お前らもやっとけ! こいつ、中々やるぞ!」
リーダーに習い、ゴブリンたちが自分の鎧に呪を掛けていく。
魔物の中には"まじない"を使えるものがいるのは知っていたいた。魔法ほど強力ではないが、簡単で素養のあるものなら誰でも使うことが出来るため、下っ端の魔物が好んで使うという。
強化のために乱れた隊列をホブゴブリンがすばやく当て直し、囲い込むようにこっちに走り寄ってくる。
驚くほどに統制が取れた部隊。以前、自分が捕まった烏合の集とは、まるで練度が違っている。
それでも、馬車を襲った手勢のほとんどはこっちにおびき寄せられた。オーガはあの崖を上れないし、雑木林の森を自在に飛行できるほど、インプは飛行が得意ではない。
走っていく先、自分の背丈の二倍ほどの高さにある枝に目をつけ、シェートは勢いよく【荊】を振った。
「うおおおおおおっ!」
「なにっ!?」
「とんだあっ!?」
体をぐっと引き付け、【荊】につかまって一気に地面を蹴る。あっという間にシェートの軽い体が宙を舞い、枝に巻きつくようにして梢に飛び乗った。
「なんだ!? あの動きはっ!」
百人の勇者と戦った時に身に着けた、枝と【荊】を利用した移動法。走るよりも早く、うまく行けばこうして木の上に逃げることも出来る。
そして、これで"距離"は稼げた。
「しまった!? お前ら上に注意しろ!」
木の枝を飛び移りながら、シェートは再び弓を引き抜いた。
自分を見失っているゴブリンの首筋がくっきりと目に映り、番えたミスリルの鏃に、防御、攻撃、破術の力を宿す。
「しっ!」
「ごぱうっ」
貧弱なまじないが破術で引き裂かれ、鋼より堅いミスリルの鏃が、攻撃の焦熱と共にゴブリンの胸板を易々と貫き通した。
「あ、あの木の上だ! 盾持ってる奴は木を背にして構えろ! 持ってない奴は射線に入らないように木の裏へ!」
焦ったホブゴブリンの指示を背に受け、別の枝に飛び移る。同時に、拾っておいた小ぶりの石を、渡れそうな枝に思い切り投げつけた。
「っ!? 騙されるな! あいつはまだあそこの枝に」
油断無く盾を構えるホブゴブリンの声に、それでも視線をずらしてしまったゴブリンの脳天を必殺の一矢が貫く。
引き倒されたゴブリンがよろめきながら起き上がり、頚椎にとどめの一撃を見舞う。
これで残るは四匹。
「くそっ!? こ、ここは一旦引くぞ! ガイデたちと合流するっ!」
こちらの矢を警戒しながらホブゴブリンたちがじりじりと下がり、一気に駆け出した。
「お前ら後ろに気をつけろ! 相手が木の上にいることを忘れるな! 一直線に走らず、木の幹で射線をさえぎるんだ!」
分ってる、こんな風に狙われたら、自分だってそうする。
でも、お前達、気付いているのか?
そんな風に振り返りながら走っていたら、まっしぐらに追っている俺を引き離せないことに。
「ち、ちくしょうっ! あいつっ、いったいなんがおっ!?」
悲鳴と断末魔と脳漿を撒き散らして、ゴブリンがまた一匹血袋と化す。
「喋ってる暇があったら崖まで走れ! いちいち後ろなんて見るな!」
林の中を逃げていくゴブリンたちの背中が、なぜかウサギに見えていく。
ウサギを狩るコツは、獲物に逃げる以外のことを考えさせないことだ。
そして、動きの先を予測して、撃つ。
「で、でもたいしょうっ! あいつっ、おれたちよりはや――ひいいっ!」
進行方向に打ち込んだ一発でゴブリンがたたらを踏み、その上を飛び越えるようにして頭頂部に打ち下ろす。
「ごべっ」
「ナラーっ! ち、ちくしょうっ!」
最後に残った一匹が、手にした槍を思い切り投げつけてくる。首を振って交わし、体勢を崩すことなく、ミスリルの矢を打ち込んだ。
「ごっ! お……おお……」
「スダッ!? く、くそぉっ」
残るは一匹、群れの統率を取っていたホブゴブリンのみ。
「く、くそ……なんなんだ! お前は!」
枝の下で立ち尽くす獲物の顔は、明らかに狼狽し、恐怖していた。
それでも必死に今いる場所を確認しているのは、それなりの強さを持つからだろう。
切通しの崖まで、あのホブゴブリンの歩幅なら三十歩と言ったところ。走り始めの溜めを考えれば、三十三歩分ぐらいの時間が掛かる。
自分と相手の距離もほぼ同じ、矢の届く範囲のちょうどギリギリだ。撃って当たるかは五分五分だろう。
だが、それじゃダメだ。
それでは確実にしとめられない、構えを見られた瞬間にかわされる可能性もある。
狩るためには、矢の一撃から逃げられない場所まで近づくことだ。
その方法も、もう知っている。
「お前、どうして、俺捕まえる?」
突然掛けられた言葉に、相手は明らかに動揺した。
その隙に、足一歩分、距離を盗む。
「そんなこと聞いてどうする!? お前、俺達を殺す気だろう!」
「それ、お前、俺捕まえる言ったから。コボルト捕まる、奴隷される」
こちらの言葉に何か勘違いでもしたのか、ホブゴブリンの腕から一瞬力が抜けた。
その気の緩みに、また一歩、盗む。
「ど、奴隷なんてとんでもねぇ。俺は、お前を丁重に迎えるように言われてたんだよ」
「うそつき。なら、どうして俺、捕まえようとした」
「そ、そりゃおめえ、そっちが先に仕掛けてきたんだろうが! 仲間に向かって撃ちやがるとはどういう了見だ!」
「仲間? お前、俺、仲間言うか」
そう言って、矢を外し、矢筒に戻す。
その仕草だけで相手は目に見えて安堵を浮かべた。
こちらが、また一歩、盗んだのも知らずに。
「そ、そうだよ! とにかく誤解を解いておきたいんだ! 頼むから、そんなところにいねぇで下に降りてくれ」
「わかった」
頷きながら、シェートは体を狩りの姿勢へと導いた。
馬手が矢筒に伸び、油断しているふりをしていたホブゴブリンが、大きく跳び退るべく足に力を入れる。
(三十一)
不安定な枝の上、矢を番え弓を構え、相手の体が強くバネを利かせる。
(三十二)
引き絞り、鏃が誰も居ない木の根方に照準を合わせ、そこに醜悪な顔が割り込む。
その瞬間――
「三十三っ!」
きっかり三歩、削り込んだ距離の分、無防備な体を晒したホブゴブリンの顔は、焦熱と弓の威力によって粉々に砕け散った。
「な、なんだありゃああっ!?」
退屈そうにしていたゴブリンの一匹が、腹の底からの絶叫を上げる。崖を転がり落ちてきたそれを見て、ガイデの体が震えた。
「ケッシュ!? おい! おまえ……っ」
変わり果てた相棒の顔は、ハンマーにでも殴られたように砕けて潰れていた。しかも、肉から焦げた臭いが立ち上り、完全に息絶えているのが分かる。
「う…………うォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
腹の底からこみ上げる吼え声が、その辺りにいたチビどもを一人残らず叩きのめす。
ゴブリンも人間も、皆ションベンを漏らし、尻からきつい臭いを放ち出した。
普段なら、相手のそういう怖気づいた臭いで気持ちが昂ぶり、激しい興奮を感じるものだが、今はそれ以上に怒りが勝っている。
「誰だぁああああっ! この俺のダチをぶっ殺したやつぁああああああああっ!」
チビの癖に気が強く、何かと俺とつるむことが多かったケッシュ。兄達を失い、怒りで張り裂けそうになっていた自分を、宥めてくれた唯一無二の友。
「出てきやがれ、今すぐここに! ばらばらに引き裂いてケッシュの前に供えてやる!」
オーガに涙は無い、悲しみも無い、あるのは怒りと騒音と、敵を打ち破った後の大笑いだけだ。
「お前、うるさいな。鳥、すごい逃げた」
やけに小さい声が崖の上から届く。
ひらひらした皮をつけて、こっちを見下ろしてくるのは、一匹のコボルト。
「ま…………まさか、お前が、ケッシュを……」
「そいつだけ違う。森の中、生きてる奴、居ない」
コボルトの声に一瞬怒りが引っ込む。一体何の冗談だ、こんなチビスケに、指で弾かれれば泣き叫んで逃げ惑うはずの犬っころに、ケッシュだけでなく全員がやられた?
「よ、よくもうちのたいしょうを!」
「しねっ、いぬころっ!」
止めるまもなく崖を駆け上がろうとしたゴブリンたちが、
「あぎいいっ!?」
「ぎゃあああっ!」
コボルトが振った鞭で叩き落されていく。落ちどころの悪かった一匹が首の骨を折り、もう一匹は両目を押さえてのた打ち回るところへ、とどめの一撃を受けて絶命した。
「これで、残ってるお前、それと、あれだけ」
コボルトの視線を受けたインプが、軋るような声を上げて逃げ去る。番えた矢で狙いを付けたコボルトは、諦めたように照準をこちらに合わせた。
「これで、お前、一匹」
「は……はあああああああっ!? なにが俺一匹だぁああああああっ!?」
頭に血が昇り、一気に崖に走りよる。脆そうな足場など関係あるものか、崩れる前に駆け上がってしまえば、
「うぐううっ!」
肩で何かが激しく爆ぜる。痛みなど気にはならないが、そこに刺さったものを見て、さすがにガイデも驚いた。
「矢、だと?」
「昇って来い。その前、俺、これ撃つ」
どう見てもこちらの筋肉を貫けそうも無い、貧相な短弓。コボルトの引き絞ったその先に、まぶしいほどの白い光が宿る。
「ちっ! なにかの"まじない"か! それならっ!」
ガイデは大きく棍棒を振りかぶり、一気に崖に叩きつけた。
「うわあああっ!」
岩壁の一部が崩れ、コボルトがあわてて姿を隠す。馬がいななき、馬車が砕け散り、生き残っていた人間どもが悲鳴を上げて逃げ惑う。
その喧騒に目もくれず、手ごろな岩を抱え上げた。
「これなら、どうだぁああああっ!」
ガイデの腰ほどもある大岩が宙を舞い、雑木林に投げ込まれた。
「くそっ!」
「がはははははは! このクソチビが! こんな矢一本打ち込んだところで、俺を殺せると思うなぁっ!」
刺さった矢を引き抜き、手の中で粉々に砕け散らす。
どうせあいつは、俺の目の前に降りてこれない臆病者だ。こうして崖をぶったたき、岩を砕いて弾さえ作れば、矢にだって十分対抗できる。
「待ってろよケッシュ、お前の墓にコボルトの胆をくれてやる!」
その時、怒りで鈍ったガイデの脳裏に、ケッシュの言葉が蘇る。
『魔王様じきじきのご命令なんだよ!』
確かコボルトを探して連れてくる、そう言っていた。
だが、そんなことはどうでもいい。あいつは俺の友達を殺したクソだ。
「必ず、ぶ……ぶっ殺、して……」
どうしたんだろう、ものすごく体が熱い。
今まで意識もしていなかった肩が、なぜかずくずくと脈打っている。
「ち、ちくしょう……いったい、なに、が……」
がくり、と片膝が地面に落ちる。視界がぼやけ、崖を飛び降りてくるコボルトがやけに遠く感じた。
「まさ、か、毒……?」
ありえない、オーガに並みの毒など効くはずが無い。コボルトの使う草の実や根っこの毒など、受けたところで多少動きが鈍るだけのはず。
信じられない思いで、ガイデは肩口を見た。
「う……あ?」
赤黒かったはずの自分の皮膚が、汚らしい暗紫色に変化している。傷口がぐずぐずに溶け出し、おびただしい血が流れ出していた。
「おまえ……これ……なに……を」
「それ、ワイバーンの毒」
虚ろになりかけた頭の中に、言葉だけが響き渡る。
ワイバーンの毒? なぜこいつがそんなものを? 捕らえるのも難しく、うかつな者が扱えば、たちまち肉を溶かす毒だというのに。
「使う相手、大きいのだけ、言われてた。効き過ぎるから」
「な……なんだ、おまえ」
肩がもげ落ちそうに痛む、毒の回った全身が炎になったように燃え上がっている。
そんな自分を、コボルトは冷たい視線で眺め続ける。
「そうか……ワイバーンの毒、そういう風、なるか」
「……ひ……っ……」
油断無く弓を構えながら、こいつはもう俺を見ていない。腐りかけた傷口を見つめ、自分の使った毒の効果を検分しているに過ぎない。
まるで、凶暴な獣を狩り終えた者のような冷静さで。
「お、おまえは、いったい……なんなんだぁ!?」
それでも必死に、ガイデは棍棒を振り上げた。
こんな奴に、絶対に負けるわけには行かない。こんな弱虫のコボルトなんかに。
そのコボルトが突然マントを振りかざし――
「ガハアアッ」
予期しない横殴りの灼熱が、完全にガイデの意識を刈り取った。
「なにっ!?」
突然オーガの顔が吹き飛び、加護を重ねたマントが空を切る。
辺りに漂う焦げ臭い煙に顔をしかめ、魔法が飛来した方向をにらんだ。
武装した集団を背後に控えさせこちらを見る少年がいる。長い木の杖を持ち、マントと皮鎧で身を包んだ平板な顔立ちは、シェートにとってなじみのあるものだった。
「……お前! "知見者"の勇者か!」
声を掛けながら、すばやく周囲を見回す。切通しはオーガが粉砕した岩が転がり、馬車の残骸もあってかなり動きは制限される。
しかし、勇者もそれは同じこと。一旦瓦礫を乗り越えれば、相手も簡単には追ってこられないはずだ。
「俺、ここいる、どうやって知った!」
とにかく今は時間を、少しずつ下がりながら、シェートは相手の隙を伺おうとした。
「ちょ……ちょっと待って!」
「……なに?」
いきなり勇者は杖を地面に置くと、害意が無いことを示すように諸手を上げた。
「何のつもりだ!」
「いや、その、君と戦うつもりは無いんだ! 武器を収めてよ!」
「そうか」
思い切り弓を引き絞り、相手の喉元にあわせる。三つの加護を重ね、相手の一挙手一投足を、射る様に観察していく。
「や、やめてよ! 本当に何もする気は無いんだってば!」
「ああ。そうだな」
着けている手袋には高価な宝石と呪紋が施してある。履いているブーツにも何か呪文が掛けてあるだろう。皮鎧にも、何かの守りがあると見て間違いない。
一撃では仕留められないだろう。毒は厳重に封じて小分けにしてあるから、使うのに時間が掛かる。反撃を許すわけにはいかないが、殺気立った後ろの取り巻きも厄介だ。
「僕は君の経験値も、サリアさんの領地も欲しくないんだ! 信じてよ!」
「お前、そう言う。でも、お前の神、"知見者"同じ考えか?」
「何言ってるの!? 僕の神様は」
『シェートっ!』
悲鳴に近い天からの声が、耳朶を打った。
『早く矢を収めろ! その勇者は違うのだ!』
「で、でも、こいつ、"知見者"とかいう」
『大馬鹿者! 彼は"知見者"殿の勇者ではない!』
「…………へ?」
サリアはため息交じりで、シェートに説明した。
『彼の名は三枝圭太。"病葉を摘む指"、カニラ・ファラーダの勇者だ』
呆然と弓を下ろしたシェートに、少年が近づいてくる。
その、どこか頼りなさそうな顔に笑みを浮かべると、勇者は口を開いた。
「始めまして、シェート君。三枝圭太です」