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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~nameless編~
41/256

6、交錯

 揺れる荷台の縁につかまりながら、ポローは呆然と周囲の景色を眺めていた。

 天高くに伸びる木々、左手には小高くなった岩壁、馬車が進む街道は比較的広いが、先は山肌にあわせて蛇行し、視界もそれほどよくない。

「なぁ、ポローよう、本当に大丈夫かなぁ?」

「ああ……?」

 一緒に乗り合わせた同郷の男が、不安そうに声を上げる。その姿は垢染みと土ぼこりに汚れているが、自分もご同様の格好をしている今、そんなことを指摘する気も起きない。

 食料や日用品の箱と一緒に揺られながら、見たことも無い土地を目指して荷馬車に揺られていく身だ。

「おらたち、ちゃんとそこに住めるだかなぁ……」

「ああ……」

「おめぇ……さっきからそればかりでねぇか」

「ああ……」

 ため息をつき、男は後部に乗った別の者と何か喋り始める。彼らの背後には同じような馬車が三台並んで追走していた。

 街道を行く荷馬車と、それに満載された人と物。一応、隊伍の前と後ろには傭兵が二人ずつ詰めているが、護衛としては心もとない。

「あんたぁ、だいじょうぶらすけ?」

 御者をしている商人が、こちらに視線を投げてくる。どこのなまりとも知れない不思議な喋りをする男は、なにかと自分たちに気を配ってくれていた。

 ただ、それを素直に受け入れる気には、どうしてもなれなかった。

「気にするな、大丈夫だ」

「……ここらの街道さ、整備したんは、これから行くリンドルの連中ら。それまで、ここさ荒れ放題の獣道だったらす。この道できて、みんなほんと感謝してるら」

 言われて見れば、街道のあちこちはきれいにならされ、山道脇にも崩れないようにするための補強が見えた。

「その、リンドルって村はもうすぐなのか?」

「へ? ああ、まだもちょっと先ら。この調子なら夕前にゃつくらすけ。その前に昼飯でも食いながら、一休みさ入れるら」

 恐ろしくのんきな一言に、ポローもさすがに不安になる。辺りを見回し、茂みや森の奥を見晴るかそうとした。

「心配らすか? 魔物さくるんではねえかって」

「この近くにあるんだろ? 魔物の迷宮が」

 ポローの手が腰の短剣に伸びる。柄をぐっと握り締め、何とか気を落ち着かせようと試みるが、それでも体の震えは止まらない。

「……メネラの村は…………気の毒だったらすな」

 何かを言おうと口を開きかけ、結局ポローは、ぐったりと大きな箱にもたれかかり、ため息をつくことしかできなかった。

 自分の村が焼かれた日のことは、今でも夢に見る。

 嬌声を上げて踊りこんでくる魔物たちの群れ。巨躯のオーガたちが、やすやすと防御柵を引きちぎり、その後を追う様になだれ込んでくるゴブリンたち。

 荷馬車を用意し、逃げる算段をした自分。

 玄関から届く三つの悲鳴。

 妻と、二人の子供の、絶叫。

 あっという間に見つかり、気がつけば追っ手のゴブリンを振り切るように、馬車を走らせていた。

 最愛の者の姿を、確認することさえできずに。

 追われ、追いつかれ、それでも何とか命を拾った自分に、待っていた現実。

 焼け落ちた村と、踏みにじられた畑。

 そして、妻と子の、吊り下げられ、変わり果てた――。

「あんたぁ、これ、飲んでみるらすか?」

 気がつくと、商人は振り返りもせずに、小さなビンを荷台に置いた。

「なんだ、これは」

「リンドルの名産ら。ちっとは気休めになるかもしれんらすけ」

 抜栓すると、鼻に甘い香りが伝わってくる。中の液体はかすかな呟きを漏らしながら泡立っていた。

「酒か」

「りんごの酒ら。ワインよりも口当たりもいいらす。それに、香りさ嗅ぐと、気持ちおちつくちゅうて、寝酒にもされるらすけ」

 口に含むと花のような香りに混じって、口を刺激する薬草の香味も感じる。口当たりのよさからすると、結構な上物なのだろう。

「魔物のことさ、心配いらねえらす。リンドル村には、勇者がいるらすけ。この辺りの魔物も騒ぎ立てねえらす」

「はっ、勇者か」

 甘みのある酒をあおりながら、ポローは吐き捨てる。

 勇者、なんて心躍る、益体も無い言葉だろう。


『悪いけど、これ以上ここに居られないんだよ……使命が、あるからさ』


 身の丈ほどもある大剣を背負った青年は、村に居た魔物を打ち払った後、自分たちを残して去っていった。

 確かに、村の人間は救われた。だが、失われたものはそれ以上に大きかった。

 家も畑も、備蓄しておいた食糧も、家族の命も、一つとして戻らない。

 胸のすくような英雄譚の後に取り残されたのは、惨めに現実を生きなければならない自分たちだけだった。

 結局、村は死んだ。

 家畜も種籾も、住む家さえない状態から立て直すほどの体力など、たいした名産もない寒村にあるはずがなかった。

 墓石代わりに積まれた石が、畑であった場所に無数に建てられ、弔いはしめやかに行われた。それは同時に、自分が子供の頃から慣れ親しんだ現実の全てが、共に葬られたことを意味していた。

「その勇者、本当に信用できるんだろうなぁ」

 体の中から伝わってくる酔いの熱さに、ポローの心が崩れていく。皮肉な笑いを止められず、りんごの香りのする息を吐き出した。

「この前、百人近い連中が皆殺しになったそうじゃねぇか。そいつの実力も、妖しいもんだよ」

「百人の勇者、おらの見たところじゃ、相当厄介な魔物さ、相手にしようとしてたみてえらすな」

「……あんた、見たのか? その、魔物を」

 御者を務める商人が、百人の勇者を最後に見た、唯一の人物である事はみんな知っていた。そして、彼のもたらした奇妙な情報も。

「さぁ、おらの見たのさ、ほしのがみだけらす……勇者さ、倒した魔物のこと、みたこともねえらすけ」

「……本当に……コボルトだと思うか?」

「さぁ? あんたは、どう思うらす?」 

 目を閉じたポローの脳裏に浮かぶ光景がある。

 追っ手のゴブリンを瞬く間に屠り、近づいてくる影。とても弱い魔物とは思えない、恐ろしい形相のそいつ。

 バカな、という思いと、あるいは、というかすかな確信。

「さぁな……知ったことじゃ、ない……」 

 いつの間にかビンはほとんど空になっていた。強い酔いが全身を弛緩させ、久しく訪れなかった深い眠気が、温かな湯のように全身を覆っていく。

「その箱の間さ、毛皮入ってるらすけ、包まっとけばええらす」

 無意識にそれを手に取り、狭い荷台に挟まるようにして目を閉じる。

 何も考えたくなかった。失った家族のことも、住み慣れた土地を追われたことも、この先に待っている新しい生活のことも。

 今はただひたすら眠りたい。床から伝わる心地よい振動を感じながら、ポローは意識を手放した。



「おい、先に行くなよ、このデカブツ」

 うんざりした気分で、ホブゴブリンのケッシュは、先を行くオーガの背に呼びかけた。

 筋肉の塊のような背中がぴくりと反応する。それでも行軍をやめる気は無いらしく、やぶにらみの目で、辺りの森を見回しながら歩き続けた。

「この隊の頭は俺だってんだろ! 聞けよ!」

「うるせぇチビ! ガチャガチャ抜かすと食うぞ!」

 この行軍に参加して以来、ガイデは万事この調子だった。砦攻めから帰ってきたオーガ隊の唯一の生き残りは、握り締めた棍棒から恐ろしい軋みを立てる。

「なぁ、相棒? 何をそんなにカリカリしてんだよ」

「ああ!? 何がだって!? これがカリカリせずにいられるか!」

 昼でも暗い森の中に、オーガの怒声が響き渡る。ケッシュの後ろについた十数匹のゴブリンたちが、その声にすくみあがった。

「一体うちの大将は何考えてんだぁ!? よりにもよって、俺たちにコボルトを探させるってのはどういうことだよ!?」

「だから声がデカイって言ってんだろこのスッタコ! ちっとはその耳ざわりなだみ声を絞れってんだよ!」

「これが黙っていられるか! 勇者どもの軍が押し寄せてきて、兄貴や仲間の仇も討たなきゃならねぇって時に! なんであんなチビどもを!」

 これじゃ、わざわざ街道を避けて通っている意味が無い。コイツの叫びで鳥達もうるさく飛び回ってるし、ここに魔物の一団がいますと触れ回っているようなものだ。

「いいか、よく聞けよ!? この脳みそまで筋肉で出来たウスラトンカチ! この命令はな、魔王様じきじきのご命令なんだよ!」

「………………はぁ?」

 ベルガンダの大将には、ダンジョンに着くまでは言うなと言われていたが、そろそろ限界だ。案の定、オーガは突然の魔王命令に目を白黒させた。

「ま、魔王様って、あの魔王様? 俺たちの大将の、も一つ上の?」

「ああそうだよ。分ったら、少しでいいからその口を閉じてろ」

 ようやく落ち着いた相棒にほっとため息をつくと、ケッシュは隊の連中を指で集めた。

「なんでもな、人間どもの間で噂になってるらしいんだよ。神の降した勇者を殺す、恐ろしく強いコボルトの話がな。そいつを探すんだ、俺たちは」

「……人間どもの考えるこたぁ、よくわからねぇなぁ。あんなクソチビども、朝飯前にもなりゃしねぇってのに」

 人食い巨人ともあだ名されるガイデたちは、オークほどではないにしろ、胃袋で相手を判断する。確かに腕っ節は強いし、戦いになれば頼りになるが、こういう繊細な任務には全く向いていない。

 多分、ガイデと自分がよくつるんでいる事を見越しての人事だとは思うが、体のいい厄介払いという意味合いも含んでいるんだろう。

「ったく、押し付けられる身にもなってくれよ、大将」

「なんか言ったか?」

「うっかりそのコボルトと出会っても、食っちまうんじゃねーぞって言ったんだよ」

「がはは、そいつあ無理だなぁ。ちょうどさっきから腹が減っててよぅ。おやつが欲しかったところなんだよ」

 おやつというオーガの言葉に、子分たちが震え上がる。空腹の時なら味方も食い殺すというオーガの話は、魔王軍の中でも有名だった。

「そのくらいでやめとけよ。うちの子分どもが使いもんにならなくなったら、その目ン玉ほじくりかえすぞ?」

「おほっ、こわいこわい。"鉤裂き"ケッシュにゃ逆らうなってな。よっしゃ、そろそろ行こうぜ」

 どうにか機嫌を直したオーガが先に立ち、ケッシュはため息をついてその後を追う。

「ケッシュ! ケッシュ! おいケッシュ!」

 突然、頭上からきしんだ声が掛かる。森の木陰をひらひらと舞うように飛ぶ、インプの姿に、ホブゴブリンは目をすがめた。

「どうした?」

「近く! 近く! 人間、隊商通る! 人間、物資、たんまり!」

「おお、そいつぁいいな! よし! いっちょやるか!」

 斥候の言葉にオーガが色めき立ち、背後の部下たちが歓声を上げた。

 長い行軍で、どいつもこいつも苛立ちが募っている。この辺りで気晴らしでもしてやらないと持たないだろう。それに、物資や人間の奴隷も捕まえられるなら、迷宮の拡張にも役立つ。

「よし……わかった。その前に、隊商の配置を教えろ。……おいガイデ! この隊の頭は俺だって何度言えば分かるんだ! とにかくこっちで話を聞け!」



 さくさくと、星狼の足が腐葉土を踏みしめる音を聞きながら、フィーは鞍上で手元のスマホを眺めていた。

 刻一刻と描かれていく周囲の地図。範囲は限定されるものの、自分の視界が届く範囲内の物が自動的に記録されていくのはありがたい。

「どうだフィー、何か見つかったか?」

 手綱を取りながら、傍らをシェートが歩く。

 自動回復が付いたとはいえ、二人乗りに荷物搭載はグートに負担が掛かる。そのため、シェートが降りて徒歩で移動するようにしていた。

「特には。ずっと雑木林ばっか……。街道はここから五百メー……じゃなかった、あの右にあるブナから俺の足で六十歩……ぐらいか?」

 かなり距離のあるところに立った、大きな木を指差す。

 こっちの答えを聞くと、コボルトは目印にした木を見つめ、頷いた。

「多分、あと二十歩要る。でもフィー、目検討、大分うまくなった」

 山歩きをするようになって、シェートから真っ先に仕込まれたのが、自分の位置と目標までの距離を割り出す方法だった。

 自分の歩幅で、目標まで何歩あるかを当てる遊び。山に入るたびに繰り返されたオリエンテーリングの結果、地図に表示されたメートルではなく、自分やシェートの歩幅で距離を測れるようになっていた。

「って、道のある場所分かるのか?」

「ああ。林通る風、音違う。道ある所、枝よくさやぐ。それに、山すその道、山沿って造る。だから、斜面、形見る。どのくらい離れた、分かる」

 シェートの言葉につられて、目を閉じ意識を角に集中すると、途端に周囲の音が強烈に意識され始める。

 人間の耳と違い、ドラゴンの角は周囲の大気全てから音を拾う。それが骨の髄を包むように存在する中空の空間で反響し、神経を伝うのだと聞いた。

 普段はあまりに『うるさい』ので意識しないようにしているが、こうしていると、世界全体の音が聞こえて来るようだ。

「あー……これか? このさわわーっていうか、さざわーって感じの」

「多分それ。お前、ほんと耳いいな。いや、角か」

「この前の魔王の城の聲……だっけ? あれ聞いてから、敏感になったみてぇ」

 それだけじゃない、日々の山暮らしやシェートの教えを受けるたびに、自分の体が別のものに作り変わっているような気がしていた。

 最初にそれに気が付いたのは、料理からだ。


『なー、これ、ウサギの肉入ってないか?』

『よく分かったな。干したの、ちっちゃい塊、それだけだ』


 あっさりした魚の汁に紛れ込んだ違和を、敏感に察知する舌。それ以来、薄いかしょっぱいしかなかった味の判別に、それぞれの動物や植物の持つうまみが加わるようになっていた。

 音に関しても急激に敏感になり、周囲で鳴いている鳥の鳴き声や、グートの遠吠えの細かい調子――獲物を見つけたときの合図や警戒の声――まで聞き分けられる。

 最近では、寒暖差や肌に伝わる湿り気の多寡を意識できるようになり、夜明けがもたらす空気の変化で、自然に目が覚めるようになった。

 人間だったときには考えもしなかった、認識の変化。最初は自分がおかしくなったのかと思って、メールに不安を書き込んだくらいだ。


『そういった感覚はドラゴンだけでなく、動物もコボルトも、人間だって持っているものだ。そなたの変化は、それが磨かれた結果に過ぎんよ。我らのそれは、少々鋭敏だがな』


 とはいえ、竜神の言葉は控えめだろうと思う。何の修行もしていない自分が、狩人のシェートと同じぐらいの精度で、ウサギの足音を聞き分けられる時点でおかしいのだ。

「そういや、腹減ったなぁ」

 ウサギのことを考えた途端、胃袋が敏感に反応する。人間としてこっちに来た時は、米が食いたくてしょうがなかったのに、これも一つの変化だろう。

「ん。そろそろ飯、食うか」

 シェートの言葉にグートが腰を下ろし、フィー自身も地面に降りようとした。

「ん?」

 角に感じる違和感、風に乗ってやってくる何かの異音が、神経を引っかく。

「シェート、なんか聞こえないか?」

「……ああ」

 いつになくコボルトが緊張した面持ちで、雑木林の奥を見つめる。厳しい表情をしたシェートは、グートに腰を上げさせた。

「だれか、戦ってる音」

「……もしかして、これって剣を打ち合わせてる音か?」

 巨大な質量が地面に叩きつけられ、大気がポップコーンのように弾ける。甲高い金属音がその後に続き、神経に突き刺さってくる。怒声や悲鳴らしいものは、大気のせいで減速しているのか、ひどくぼやけた振動として感じた。

「フィー、グート掴まれ。手綱放すな」

「どうするんだ?」

「相手、何か調べる。勇者の軍、見つかったらまずい」

 腰を低くしたコボルトが滑るように走り出し、星狼がその後に続く。フィーも手綱を握り締め、姿勢を低くする。

 音が次第に大きくなり、ぼやけていた輪郭が鮮やかに、そして残酷に変わっていく。

「お、おい!? これって」

 質問を封じるように、シェートは片手を挙げた。

 街道まではおおよそ百メートル、目の前の林がふっつり途切れている。山の間を削って作られた切通しの道に、悲鳴と絶叫がこだまする。

「な……なんだよ、これ」

「多分、魔族、人間襲ってる」

 争う姿こそ見えないが、下で起こっていることは容易に想像できた。

 いななく馬、上がる悲鳴、必死に敵を押し返そうとする怒声。

 下卑た歓声と、怖気を催すような大絶叫、そして剣戟の響き。

 だが、シェートは周囲を隙無く観察した後、腰を上げた。

「……どう、するんだ?」

「行こう。ここ離れる」

 短く告げ、手綱を取って歩き出す。

「ちょ、ちょっと待てよ! 下で人が襲われてるんだぞ!?」

「それがどうした」

 コボルトの顔は、冷たく凍て付いていた。

「ここいたら、俺たち、魔物襲われる」

「だ、だからって! このまま見殺しに」

「フィー、俺たちの目的、なんだ?」

 自分たちの目的。

 その言葉にフィーは、絶句した。

「俺、武器作った、勇者、魔王狩るため。人間助けるため、違う」

「そりゃ、そうだけど!」

 そうだ、何も間違っていない。

 シェートにしてみれば見ず知らずの存在。しかも人間は、コボルトなど刈るべき雑草か害虫としか思っていない。

 そんな相手を、危険を冒してでも助けなきゃいけない義理など無い。

 でも。


『やめろぉ! くるな、くるなぁっ!』

『ぎひひひひひ! にんげんにんげん、いいこえでなく!』

『オオオオオオオオッ、てめぇらどけえええええええっ!』

『畜生ッ! 崖を背にして身を守るんだ! 荷馬車を盾に……うがぁああっ!』

『キシシシ、人間人間、頭弱い! 空から刺されるすごく弱い!』


 なだれ込んでくる、怒涛のように。

 声が、聲が押し寄せる。

 無数の感情が入り乱れ、フィアクゥルという仔竜の奥に潜んだ魂を貫いていく。

「お、お前だってサリアの勇者なんだろ!? だったら」

「天の神、俺、勇者思ってない。経験点、一杯ある魔物。狩る相手、それだけ」

「お…………お前はどうなんだよ!」

 混乱するフィーの脳が、苦し紛れの悲鳴をしぼり出した。

「お前は、自分のこと、どう思ってるんだよ!」

「お……俺?」

「カミサマが何言ったか知らないけど、お前は自分のことどう思ってるんだ!? ただの魔物なのか!? それとも勇者なのか!?」

 反抗する人間の声が、急速に消えていく。

 魔物たちの声が、興奮の叫びから嗜虐の笑いに変わっていく。

「ま、魔物だからって決め付けられたから、魔物みたいに振舞うのか!? そんなのおかしいだろ!」

「お……落ち着け! 奴ら、俺達気付く!」

「あの声! 聞こえてんだろ! あいつらもうすぐみんな死ぬぞ!」

 一体、何を言っているんだ。心のどこかで叫ぶ自分が居る。

 それでも言葉が止まらない。

「あいつらを助けられるのは、お前だけななのに! このまま、皆殺しになるのを黙って見てるのかよ! シェート!」

「…………っ!」

 コボルトの顔が一瞬苦痛にゆがみ、ほっと息を吐き出した。

「フィー……グートといろ。グート、俺、いい言うまで近づくな」

「わふっ」

「シェ……」

 何か声を掛ける暇もなく、あっという間にコボルトが遠ざかる。

 騒音が輪郭をなくし、同時に頭の中が冷えていく。

「何言ってんだよ……俺は……」

 わけも分からず、自分は言っていた。見ず知らずの、仇かもしれない人間を、何の見返りも無いままに助けろと。

 自分がシェートに、一体何をしたのかも忘れて。

 穏やかな生活で、忘れそうになっていた事実。仔竜の体に入ってから薄れていた真実。

「なんで……俺は……あんなこと……」

 それは自分が人間だからだ。

 見た目は変わっても、中身はどうしようもなく人間で、だから放っておけなかった。

 それを、シェートに押し付けてしまった。

 本当は自分がどうにかするべきことなのに。

「くそぉっ!」

 何でも聞こえるようになっても、さまざまな感覚を知覚出来るようになっても、結局今の自分は弱い仔竜に過ぎない。

 火も吐けず、魔法も使えず、空すら飛べない、役立たずの生き物。

「ちくしょう……ちくしょうっ……」

 手綱を握り締めながら、仔竜はただうめき続けるしかなかった。



 切通しに近づくごとに、シェートの鼻が血の臭いを鋭敏に感じ始めた。

 同時に、汗染みと腐った動物の死骸を半日掛けて煮出したような悪臭も伝わってくる。

 歩調を緩め、腰を低く保ち、ゆっくりと弓を引き抜き、矢を番える。

 そうしながらも、シェートは心の痛みに顔が歪むのを止められなかった。


『お前は、自分のこと、どう思ってるんだよ!』

 

 フィーの言葉が胸を刺してくる。

 あの場で、自分はずっと分っていた。音を聞きなれていないフィーには分からない、事態の切迫を。

 三台の馬車に付いた護衛は四人、しかも狭い切通しで前後に分断され、敵に対処するのは常に二人組だ。

 しかも、オーガが魔物の集団に混じり、その圧倒的な力と分厚い筋肉の鎧で、護衛たちを抑えてしまった。

 劣勢などではない、初めから決まっていた死だ。

 どういうつもりか知らないが、護衛の数が少なすぎる。荷馬車に乗っている声も聞こえたが、悲鳴ばかりでどう考えても戦う者では無いと分かる。

 今から自分が行ったところで、それは覆らない。慎重に節約して使わなければならない矢を、戦う必要の無い相手に使う意味などない。

「違う……」

 騒乱の音源に近づくごとに、心が乱れていく。

 あの喧騒を聞きつけたとき、真っ先に思い浮かべたもの。

 焼かれて朽ちたコボルトの集落。

 そして、同じように焼かれた人間の村。

「く…………」

 あの時、村に転がっていた無数の死体。人間もコボルトも、区別無く打ち捨てられていたその光景。

 フィーと暮した穏やかな日々に、埋もれていたはずの記憶が、"しゃしん"のように鮮やかに蘇る。

 助けたい、心のどこかで鈍く疼いた感情。

 だが、それを押さえつけたのは、もう一つの記憶。


『よるな! 化物!』


 逃げ疲れておびえた男が、震えながら切っ先を突きつける。

 自分がなんであるかを、思い知らせる一言。だからこそ自分は、コボルトのためだけに全ての勇者と魔王を狩ると決めたはずだ。


『魔物だからって決め付けられたから、魔物みたいに振舞うのか!?』


 それでも、フィーの声が突き刺さる。

 まっすぐに自分を見つめる顔には、真剣さがあった。目の前で死んでいくもの、弱いものに対する同情があった。

 その顔が、見ていられなかった。

 違う、見ていられなかったのは自分だ。

 恨みも憎しみも無いと、そう嘯いていた自分だ。

 わきあがった感情を、私怨で塗りつぶそうとした自分だ。

 何よりそれを、弟のように感じていたフィーに、見られるのが嫌だった。

「よーし! こいつらは捕虜にして奴隷にする! お前ら、そこらの荷馬車から縄もってこい!」

 明瞭な指示が、シェートの脳をゆすぶる。すでに戦闘は終わり、魔物たちが荷馬車に乗っていた連中を捕獲しに掛かろうとしている。


『カミサマが何言ったか知らないけど、お前は自分のことどう思ってるんだ!? ただの魔物なのか!? それとも勇者なのか!?』


 自分は何者なのか。

 シェートは、握り締めていた得物に視線を落とした。

「俺は」

 そのことを意識した途端、荒れていた感情が穏やかに凪いでいく。

 いや、凪ではない。

 それは己の意識を覆い、何もかもを閉じ込めていく厚い氷。

「狩人だ」

 シェートは、弓を引き絞った。



 ケッシュの目の前で、ゴブリンの頭がはじけた。

 綱を握り締めたまま吹き飛ぶ姿が、やけにはっきり見えた。柔らかい果物がつぶれた時のように、中身をどろりとはみ出させながら、地面にだらしなく転がる。

「て……敵襲っ! 右の崖の上!」

 腰に差した得物を引き抜き、すばやく荷馬車に隠れる。遅れてゴブリンたちが自分の真似をし、逃げ遅れた二匹が悲鳴を上げて倒れ伏す。

「だれだぁっ! こいつらの仲間かあっ!」

 棍棒をかざして顔を守りながら、ガイデが叫ぶ。だが、切通しの上の襲撃者は姿さえ見せない。

「……ガイデ、上にいる奴が見えるか?」

「わからねぇっ! だが、まだこそこそ隠れて俺達を伺ってるぞ!」

 さっきの襲撃で、十五匹いたゴブリンは三匹がやられている。そして、見えない狙撃手のおかげで更に三匹。手勢は自分を入れれば十一だ。

「……気はすすまねぇが……」

 ケッシュは二本の指をくわえ、甲高く指笛を吹き鳴らす。

 合図に気が付いたインプが、これで周囲の茂みを捜索するはず。貴重な斥候役を危険に晒すことになるが、敵を探り出さなければ隊全体が危ない。

「ケッシュ! ここだケッシュ、ここに一匹――ぎゃっ!?」

 一つの茂みから銀色の輝きが天に向かって飛ぶ。あわてて避けたインプの体を掠めたそれを見て、ホブゴブリンは声を上げた。

「全員! あの茂みに突っ込め!」

 こちらの数が相手より勝れば的を絞りにくくなる、そう踏んでの突撃命令。

 身軽なゴブリンたちが一斉に緩い崖に取り付き、するすると登っていく。上から二発の射ち下ろしの一撃が飛び、一匹が地面に叩き落とされた。

「畜生っ! 俺もっ、くそおおおっ!」

「道を潰す気かバカヤロウっ! お前は下に残ってインプと人間を見張れ!」

 自分の重さに悔しがるオーガを尻目に、ケッシュも崖を駆け上がった。

 ゴブリンどもは弱くは無いが、状況判断が下手だ。絶えず声を掛け、状況にあわせて指示を出さないと、あっという間に統制の無い烏合の衆になる。

「ナラー、スダ、カンガは右から! エモリ、チャー、センギは左! ムーエ、ベルケ、お前らは馬車に戻れ! ガイデだけじゃ人間を食い殺しかねん!」

 マントをはためかせながら、雑木林を疾走していく背中は小さい。

 まるで人間の子供のようだが、足取りは力強く迷いが無かった。

「……まさか、そんな……」

 風に乗って漂う相手の体臭に、ホブゴブリンの厳つい顔にしわが寄る。

 なめされた皮のマントは不思議な材質で、荒い仕立てだが決して粗末じゃない。地面に転がった矢には金属の鏃が付いていた。

 自分の知っている"それ"とは何もかもが違う、だから、コイツで間違いは無いだろう。

「旦那には、見つけたら監視だけしろって言われたけどな……こうなったら仕方がねぇ」

 逃走を諦めたのか、歩調を緩めたそいつがこちらに向き直る。

 犬のような顔をした小さな魔物は、黙ってこちらをにらみつけてきた。

「全員、コイツを囲め! 今からこのコボルトを生け捕りにするぞ!」

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