3、サリアの世界
名残惜しさを感じながら、サリアは映る水鏡を離れた。
最近、あちらの世界を覗く機会が格段と減っていた。シェートと毎日毎夜を過ごしていた日々を懐かしく感じるほどに。
「さて、行くか」
だが、感傷に浸っている場合ではない、彼らが自分の役割を果たし続けている今、神の己が安穏とするなど許されぬことだ。
扉を抜けて広間へ入ると、耳慣れた声が掛かった。
「サリアーシェ様、ご機嫌麗しゅう」
すでに扉の近くに陣取っていたエルフの青年が、側に寄り添うようにして並び、歩き始める。その先導をあえて受け付けると、サリアはいつものように笑んで見せた。
「マリジアル殿、今日も我が出座を出迎えくださるとは。その調子では、他の姫君との逢瀬の暇も無いでしょうに」
「なんの。今や貴方は天界に咲き誇った大輪の花。それを愛でずは、我がまなこの不明でありましょう」
「さすが、山川草木に造詣の深い妖精神。花の命の短さを悟り、その盛りを楽しもうというわけですね」
言葉に秘めた毒に肩を竦めると、それでもエルフの神は笑顔で頷いた。
「これは手厳しい。ですが、貴方はその身に知恵と武勇の棘纏う大輪のバラ。それゆえ、先ごろまで近づくことすら許されなかった悲しきわが身。こうして執心する哀れな恋情も察していただきたいものですな」
「今やその棘に、狡猾すら塗した毒花でよろしければ、お好きなだけ」
「騙し騙され恋焦がれ、恋とは駆け引き、男女の戦。智謀に機略、あるいは権謀、死に至る甘き毒すらも、飲み干して見せましょう」
謳うように語られる睦言を聞き流し、合議の間をゆったりと歩く。
この軽薄な神の存在は、ちょうどいい隠れ蓑のような役割を果たしてくれた。こうして彼と懇意にしているように見せておけば、恋情を楯に自らを売り込んでくる無粋なやからを遠ざけておけるからだ。
信じられないことに、マリジアルは本当に自分を「落とそう」としているらしい。
会話を繰り返すうちに、この神の欲しているのが所領でも、今や大神となった自分の後ろ盾でもなく、サリアーシェという"女"だと気がついた。
その瞬間、彼はこの天界において二柱目の、心安い存在となったのだ。
もちろん、どんな対価を払われようと、世界の終わるときまで、彼を恋人として好くことは無いだろうが。
「おいおい"万緑の貴人"よ。どんなにさえずった所で、その方は高嶺の花だぞ」
ごつごつとした岩の塊のような神が、行く手に沿うように現れ、はやし立てる。その影にわずかに遅れて、極彩色の羽を身につけた鳥型の神人が同道する。
「あなた、恋歌の才能ないですね。そもそも、みすぼらしい姿、女性の気、引くの難しいですよ」
「失礼な。美々しく飾り立てるばかりが能ではない。女性を引き立てるのもまた手管の一つよ。歌にしたところで、大切なのは心を溶かすほどの熱情を込めることであろうが」
「ならばなおのこと、貴殿には無理だろうな。大理石のごとき白皙の下に、熱く通う溶鉄の地脈が見て取れんか?」
「溶鉄の地脈、ですか。中々当を得た評価をありがとうございます、"峰鎚の細石"(ほうついのさざれいし)殿」
古山の神霊由来の男神は、その表面にわずかな変化を表し、謙遜を漂わせる。
「とはいえ、その性が知れたのも、鍛え上げられた霊石を砕く小さき配下の働きあったればこそだがな。彼のものは息災か」
「ありがとうございます。今は次の戦の準備を行っているところです。そういえば、ミスリル研磨についてのお知恵をお貸し頂き、助かりました」
「あのようなことであれば、いくらでも」
「思い出した。あのコボルト、ちゃんとワイバーン革、なめせたですか?」
首をかしげて尋ねる鳥の神に、感謝を込めて頷く。
「問題なく。どうやら、星狼に着ける鞍や鐙に使ったようです。毒腺の処理も教えていただいたので、あの山を汚さずに染みました。ご教授感謝します、"虹の瑞翼"(にじのずいよく)殿」
「ワイバーン革、癖強い革ですよ。でも、強い武具できます。鞍、鐙、すごく長持ちすると思うですね」
シェートたちが身につけていた装備のいくらかは、この二柱の神の知恵を借りて整えたものだ。フィーの使っている知識検索アプリにはいくつもの制約があり、ただ画像を撮ったりするだけでは専門的な事柄までは調べられない。
ゴーレムの再利用法と処理に困っていたワイバーンの死体、二つの問題に解答をもたらしてくれたのが彼らだった。
「やれやれ、お二方がうらやましい。そうやってサリアーシェ様の覚えもめでたく、最近はいくつかの星の神格を任されたとか」
「男のひがみ、みっともないです。だからあなた、サリア様の気、惹けないですね」
「風に舞い散る砂の上に、城を建てるものはおらぬ。吹けば飛ぶよな口も腰も軽い男に、体を預ける娘はおらぬということだ、諦めよ」
仏頂面になった青年を肴に、笑いが巻き起こる。その華やかさに惹かれてか、神々が三々五々とやってきた。
「サリアーシェ様、ごきげんよう」
「此度はいかがされましたか?」
「すみません、いささかお耳に入れたき事が」
その誰もが、天界においては未だに所領も少なく、小さな星を持つばかりの神々。
親しげな面の裏に、かすかに臭う打算。
だが、そんなものは、もう気にならなかった。
「それでは、あちらに席でも設けましょうか」
不思議なものだ、心の中で呟く。
はるか昔、ここには絶対座ることも無いと思っていた草原に腰掛け、神々の声に耳を傾けている自分。
ここで語られる策謀、駆け引き、そねみやねたみの密やかな応酬。何より、遊戯にかかずらい、互いの権勢を削りあうことを何より嫌っていたのに。
その行動も、必死に己の世界を守ろうという心から出たものとわかった今、サリアから彼らを遠ざける意思はなくなっていた。
誰しも己の願いを掛け、叶えるために己の才覚を尽くしてゆくのだ。
そのことを教えてくれたのは――。
「そういえばサリアーシェ様、近頃は良く此方においでになられますな……差し出がましいようですが、遊戯のほうはよろしいので?」
神の群れの一角から届く疑問、その問いかけに女神は物思いから覚めた。
「だからこそですよ。今後は一層他の神……いえ、もう四柱の神と言った方がいいでしょうが……彼らとの対決が焦点になりますから」
「るしゃーば殿ノ勇者ハ、今ダ大陸ノ魔将ニスラ、届カナイト、伝エ聞キキマシタナ」
神々の中でもひときわ異彩を放つ、金属の体を持つ機械神が言い差す。実力は竜神・四柱神にも比肩する彼だが、その出自の性で勇者を選定できないまま、無為に日々を過ごしていた。
選定できる勇者の種族は自分の出自に近いもの、もしくは血族の必要があり、その世界にいない種族を投入することも出来ない。
彼のような存在にとって圧倒的に不利なルール、そのことが腹立たしいと漏らされたのを覚えている。
「先日、彼ノ神ト比武ヲシタ折ニ聞マシタユエ、間違イアリマセン……ソレト、さりあーしぇ様ノこぼるとニモ興味ヲ持タレタヨウデス」
「なるほど。それで、此度の勇者は如何なる存在かは?」
「流石ニソレヲ漏ラサレル程、無用心ナ方デハアリマセンヨ、残念デスガ」
「ガードが固いといえば、マクマトゥーナ様も似たりよったりですぅ」
背の低い、毛玉の塊のような獣身の女神が声を上げる。享楽と舞曲を司る彼女もまた、その神格の低さと治める星の小ささゆえ、遊戯に参加できないことをぼやいていた。
「最近は、私達踊り女も神座に近寄れないありさま。ただ、今度の勇者は女の子だってきいたですよ?」
「分からんといえば、シアルカ殿も姿を見せられんな」
神々の誰かがそう言った途端、皆が一様に視線を交わす。
「あの方は、遊戯の折もこちらにお顔をお見せになるというのに……」
「不思議ですぅ、何か勇者に良くないことでもあったんですかねぇ?」
「……さりあーしぇ様ヲ、警戒シテノコト、トカ?」
機械神の指摘に、座が静まり返る。
いつもと違う神々の動き、その焦点となっている自分に視線が集まる。
動揺などひとかけらも見せることなく、サリアは平明に答えを口にした。
「シアルカ殿は聡明なお方、この沈黙にも何か故あってのことでしょう。それが私に対する動きであるというなら、ある意味光栄なことです」
「確かに、幾度と無く遊戯の勝者となっている彼の方であれば、此度のことで慎重になられるのも無理からぬこと」
「そも、かの神の勇者は、常に最も過酷な道を歩まれるよう定められておる。その歩みを眺め愛でることも、あのお方の好むところでありましたからな」
「やっぱりシアルカ様は最高ですぅ~」
口々に英傑神を褒め称える神々。四柱神の中でも別格といわれるのは、単に力があるというだけではない証左だろう。
なんとなく場の空気が緩み、神々がそれぞれ懇意の神と交誼を結び始める。
そろそろ暇乞いをしよう、そう思った時、
「ところで」
冷えた言葉が、投げ入れられた。
「四柱神といいながら、私の銘を誰も上げぬというのは、どういうことかな」
真紅の髪を揺らし、こちらに歩み寄ってくる一つ柱。
制服のような衣装は皺一つ無い、冷たい笑いに自然と神々が場所を開け、サリアに向かって道を作る形になる。
「まぁ、ここに居られるのは"闘神"や"愛乱の君"縁の方々。媚を売り、胡麻をする一手間は惜しまぬといったところか。ご苦労なことだ」
「これはこれは"知見者"どの。このようなかまびすしき市井に、ようこそ」
「兄を弑し、百の神を平らげた程度で、もう同輩の気分か? "平和の女神"よ」
「まさか。貴君が打ち立てられた勲しに比べれば、誇ることもおこがましいものですよ。ですが」
サリアは物柔らかに笑みを浮かべ、侮蔑を受け流す。二柱の神の雰囲気に気おされて、周囲から一斉に神の姿が引いていく。
「遊戯の座に着けば全ての神は等しい存在のはず。そも、四柱神とは貴君らに与えられた尊称。よもや、それを嵩に、王でも僭するつもりではありますまいな」
「愚かなことを。とはいえ、真に優れたる者が高みに立つ時、力及ばぬものが憧れと羨望によってそれを仰ぎ見る。それもまた、自然の働きではないか?」
「確かにそうかもしれませぬ。ですが、その働きに従うなら、私はいささか困った立場に立たされることになりますな」
「……何?」
不審に眉をひそめたフルカムトに、サリアはまったき笑みを向けた。
「なぜなら、広間に居る間、私はここにおわします皆様のご尊顔を、顎と鼻の形でのみで見分けることになりましょうから」
「サリアーシェ…………貴様……」
「お会いするたび、見上げた美しい顎や鼻梁の形ばかり褒めるのでは、物の例えも早晩尽きるかと。新たな雅称をひねり出すのは、非才の身には中々の難題ですね」
周囲に広がるかすかな笑い。その気配を感じ取った"知見者"は、それでも尊大な態度を崩さずに罵言を吐いた。
「嘆くなら、玉と石との区別もつかぬその了見だろう。不朽不壊の完璧さゆえに、金剛石は宝石の王と呼ばれると言うに」
「人の世にて、緑玉は、身の内に傷を秘めたるを真なる物と申すとか。磨きぬかれた玉にのみ至高を見出されるようでは、知恵の神と名高き"知見者"殿のお目も、いささか偏狭に過ぎるかと」
「美は乱調にあり、とも言うしな」
開きかけた"知見者"の口を遮るように、黒い影が降り来る。いたずらっぽく目を細めた黄金の竜神は、サリアと同じ高さに目線を合わせて座り込んだ。
「残念ながら、竜の顎は眺めていて面白い物ではないからな。儂としても、そなたの知恵をつまらないことに絞らせる気は無い」
「お心遣い感謝します。そもそも、その慧眼で私の不明を見抜いていただかないと、何をしでかしてしまうか分かりませぬので」
「……"斯界の彷徨者"にして"万涯の瞥見者"よ」
不愉快を隠しもせず、フルカムトは竜神に向き直る。その顔には、サリアに対していたものとは違う不快感が匂っていた。
「どうやら貴方も、この遊戯に手を染める気になったようだな」
「仕方あるまい。儂とサリアは盟を結んだ仲、あっさり負けられては、新たな竜族の地が泡と消えてしまうからな」
互いの視線が絡み合い、金色の竜眼と深い藍色の瞳が、互いの内側までも探り出そうという気配に満ち渡る。
「なるほど、心労お察し申し上げよう。とはいえ、その盟の証に送りつけたのが乳飲み子と他愛ない玩具とは……音に聞こえた竜神殿のお力も、いささか錆び付かれたご様子」
「最良の手を、最高のタイミングで打つのが遊戯の醍醐味さ。強い力や、高く付く加護を与えるばかりが能ではないといことだ、なぁ? "知見者"殿」
「……確かに。賎しい疫神風情が編んだ浅薄な神規など、あの程度のお粗末な機略で十分すぎたでしょうな」
恩義を感じる二柱をあからさまに侮蔑され、さすがにこめかみに力が入る。そんなこちらの動きを制し、竜神は笑顔で"知見者"に頷いた。
「ところで、大慌てで雲壌の地より来られたのはいかなる仕儀かな? よもや、陰口にやりきれなくなり、うるさい小雀どもを追い散らしにこられたとか?」
「今やサリアーシェも数多くの所領を得た身、このまま遊戯を続ければ地の塩にも影響が出よう。それゆえ、我らが神の集いに含めるべく出向いたまでのこと」
フルカムトの言葉に、神々から呻きのような声が漏れる。
遊戯の全てを照覧し、その手に握る雲壌の集い。
天界にあって、あまたの神々がその末席に着くことを夢見る至高の座へのいざない。
「すでに貴様も大神の身、角を突き合わせ、いじましい陣取り合戦に付き合う意味は失ったはず……我らと共に来い、"平和の女神"よ」
おそらく、この場にいるほとんどの神が二つ返事で彼に従うだろうその申し出に、サリアは、華やぐ毒花の笑みで応じた。
「腹芸事はもう終いにしましょう、"知見者"フルカムト」
「……腹芸事、だと?」
全く見え透いたことだ、彼のこれまでの言動と今の申し出を考え合わせれば、彼が何を考えているのかはおおよそ見当がつく。
「この場におわす神々を腐し、我が恩義の方々を蔑した上でのその申し出。要すれば、私に否と言わせるためのお言葉でしょう?」
「……ほう?」
「私が貴方の侮蔑に恭順とへつらいで応じたなら、その誘いには言葉通りの意味が宿る。しかし、私は貴方に反駁し、不快を示した。その時点で、貴方の申し出は私にとっての宣戦布告となるわけだ」
こちらの言葉に、"知見者"は面白そうに目を細めた。
「そして、この場で売り言葉に買い言葉と私に戦を申し出させ、地歩の固まらぬうちに我が配下を誅する、と言ったところでしょうか?」
「その手には乗らぬ、と? その程度の読みで、我が言葉の真意を推し量ったつもりか」
「お受けしましょう、雲壌へのお誘い」
フルカムトの目が僅かに開き、笑みがひそめられる。
「どうされました? 誘いを受けると、申し上げたのですが」
「よかろう。ただし条件がある」
「『貴様の使う汚らわしい配下の魔物を、直ちに切り捨てるならば』ですか」
サリアの一言に周囲の空気が冷える。その目に鋭い敵意を宿し、"知見者"は不機嫌そうに口を開いた。
「……それは、決裂の言葉と見ていいのか?」
「ただの確認ですよ。貴方の深謀遠慮とやらが、如何なるものかを見るための……存外つまらぬお答えでしたが」
「勘違いしているようだが」
不快感を顕にした"知見者"は、虚空に水鏡を浮かべて映像を映し出す。
そこに在ったのは、磨かれた鎧を身に纏った美々しい軍団の姿。一糸乱れぬ行軍で、荒野に刻まれた道を進んでいく。
「貴様の言葉は、互いに手にした駒の実力が、伯仲の状態にあるという仮定の下にあるようだが……これを見て、まだそんな思い違いが出来るか?」
その行軍の先に現れたのは、小山のようにそびえる魔獣の巨体。歪んだ老爺のような悪相でにらみつけるマンティコア、多くの蛇頭を持つヒドラ、群れ飛ぶワイバーンが軍団へと押し寄せていく。
だが、魔獣の進軍は、先陣を受け持つ大盾の一段にがっちりと受け止められた。足の止まった敵軍にめがけ魔法と矢弾が飛び、総崩れになった隊伍の横から、長槍をかざした騎兵が突進する。
「我が"光輝なる兵団 (レイディアント・ミリテース)"は一騎当千の兵。一兵卒でさえ、小神の使役する異世界の勇者に匹敵する実力がある」
映像の中の魔獣たちが、あっという間に蹂躙され、引き裂かれていく。中央大陸エファレアにおいて常勝を誇る彼らの勇姿に、サリアは僅かに唇を噛み締めた。
「この後、我が勇者の兵団はモラニア北部より南征を行い、かの地の魔物を鏖殺、後に北の魔将を打ち滅ぼすことになっている。そういえば、貴様の配下はまだエレファス山中に居るようだな」
「……よく、ご存知で」
「近々、その辺りを我が軍が通ることにもなろう。その折には、ついでに百の神の無念も晴らしてくれよう。天界の面汚しを叩き潰してな」
自信に溢れた挑発の言葉に、しかし全く反論の糸口が見出せない。精強な軍隊に対してたった一匹のコボルトが立ち向かう、その先にあるのは確実な死だ。
「これを見て、まだ思うのか? 貴様のいじましいコボルトごときが、我が勇者に伍することが出来ると?」
「く……っ」
「んん? こいつはちと妙だな」
それまで場を静観していた竜神が、水鏡を覗き込む。
「"知見者"よ。この軍勢には肝心なものが映っておらぬようだが?」
「……何のことかな」
「そなたは"兵団"を見せたに過ぎぬ。なぜこの軍を指揮し、そなたの意向をしろしめす、偉大な勇者の姿を映さぬのかと聞いておるのだよ」
そうだ、この映像の中には映っていない。全てが同じ姿かたちの兵ばかりで、将と思しき飾りをつけたものも、勇者然とした者も居ない。
その指摘に、"知見者"は不敵に笑った。
「我が軍ではな、指揮官が叫び、角笛がうるさく響き渡るような、非効率な方式は採らせておらぬのだよ、竜神殿」
「……ほう。なるほど、そうきたか。ならばこの軍が無敵を誇るからくりは」
「神規、ですか」
苦いサリアの呟きに満足するように、水鏡は消え去った。
神の法則を遊戯の中に敷衍させ、勇者にさまざまな恩恵を与える力。四柱神ともなれば、それを自在に使うことも可能だろう。
「では、交渉の席は蹴られたと見て構わないな? "平和の女神"よ」
「それは……」
「"知見者"よ、今ひとつ質問をしても良いかな」
優越を貼り付けていた知恵の神が、僅かに眉をひそめる。そんなこと構いもせず、竜神は朗らかな声で問いかけた。
「そなたの勇者は、モラニアに来ているのだろうな?」
「…………その通りだ」
「なるほど。よく分かった」
何事か納得すると黄金の竜は体を起こし、ふわりと舞い上がる。
「では、そろそろ行こうか、サリアよ」
「い、行くとはどこへ?」
「儂の神座だ。"知見者"殿の手も読めたのでな。作戦会議といこう」
意外な一言に驚く群集を尻目に、竜の体が扉の向こうに消える。共に神座に入ろうとしたサリアは、ふと背後を振り返り、そこにあったものに体を戦かせた。
何かを見定めるように、こちらを射抜く"知見者"の視線。
扉が世界を遮ったあとも、その印象はしばらくサリアの中から消えなかった。