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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~nameless編~
37/256

2、YOUTHFUL DAYS

 朝霧が匂うと、それだけでシェートの体は目覚めた。

 小屋の入り口から見える空からは、すでに闇色が剥ぎ取られつつある。フィーを起こさないよう足音を殺して外に出ると、体を伸ばし、深く息をした。

 夜明けの森が放つ息吹は、それだけで一日の行動を左右する情報に溢れている。

 湿り気から昼までは雨の心配が無いことを嗅ぎ取り、茂みや立ち木の匂いに、危険な動物が近寄った形跡の無いことを読み取る。

 一日の仕事を始めようと、石と粘土で作った釜場に近づくと、茂みから白い狼が姿を現した。

「おはようグート」

「わふ……っ」

 星狼のふさふさとした毛皮を撫でてやると、お返しに顔を舐め返してくれた。

「見張り、ありがとな。今日も頼む」

「くふんっ」

 自分たちの居留地が、残飯や備蓄した食料を狙う小動物、熊の類に脅かされないのは、この頭の良い相棒が居るおかげだ。

 狼の匂いの着いた場所に好んで入る動物は居ない。山に慣れないフィーに、一人で食料を集めさせられる理由も、グートの存在があればこそだった。

 残った骨をごほうびに手渡すと、火壷に残しておいた炭火を使い、火を起こす。

『おはよう、シェート』

 耳に届く声に、口元をほころばせ、シェートは鍋に香草を入れた。

「おはようサリア。そっち、どうだ」

『まあ、ぼちぼちといったところだ。留守にしてすまなかったな』

「いい。こっち、ずっと何も無い。人間、勇者、誰も来ない」

 百人の勇者を屠ったエレファス山中に、シェートが住み始めてから一月が経っていた。

 あの戦いの後、山の中には勇者はおろか人間や、魔物さえ入った形跡が無い。この場で起こったことが何であるか分からないうちは、誰もやってこないだろう、サリアはそう言っていた。

『天界でもその辺りは確認した。モラニアには、侵攻してくる"知見者"の軍を除き、一人の勇者も居ないそうだ』

 どことなく皮肉な口調で語る女神の声に、シェートも鍋の様子を見ながら肩を竦める。

「やっぱり俺、勇者違うか」

『私もそう言ってやったら、言った本人が平謝りでな。宥めるのに苦労したよ』

 百人の勇者と、モンスター使いの勇者を倒して以降、サリアの環境はめまぐるしく変わったらしい。それまでの距離を置く付き合い方から一転、外に出れば引きも切らず、神々が集まってくると聞かされていた。

 サリアも思うところがあったのか、神々と交流を深めることに重点を置いている。フィーとの付き合いが深まる代わりに、サリアと喋る時間は減りつつあった。

『一応、そちらの様子は竜神殿を通して聞いているが、何か変わったことは無いか?』

「大丈夫だ。フィーとグート、よく働く。すごく助かる」

『……そうか。それは、良かったな』

 朝の空気が華やかな香りに彩られ、女神が静かに喜んでいるのを感じる。その匂いを呼吸すると、シェートの気分も自然と安らいだ。

「今日、フィーに山のこと、少し仕込む。それと、準備、色々できた」

『ちょうど良かった。私もそのことで話がある。夜にでも話そう』

「また神様と話か?」

『いや、次は神格の固定化だ。竜神殿の所に入り浸る予定だから、何かあったらフィーを通して連絡をしてくれ』

 サリア不在のもう一つの理由、それは新しい神格を『馴染ませる』ための時間だ。

 神々の持っていた所領だけでなく、その神格が司っていた神性。海の神や風の神、あるいはさまざまな職能の神の権能を、いまやサリア一人が担っている状態だった。

 通常なら時間を掛け、そうした神格を我が物とするそうだが、なるべく早めにそれらを吸収することにしたらしい。

「無理するな、体、壊すぞ」

『心配は要らぬ。神に壊すべき体はないからな。それに、そなたに比べればこのぐらいのこと、苦労のうちに入らぬよ』

「……わかった。ありがとう」

『ではな』

 女神の気配が去ると、シェートは煮立ったお湯に野草や干し魚を放り入れ、かき混ぜていく。これに軽く塩で味付けしたものが今朝の食事だ。

「フィー、朝飯、出来たぞ。早く起きろ」

 鍋を地面の炉に下ろしつつ声を掛ける。ドラゴンの翼がぴくりと動いたが、それでも起きてくる気配は無い。

「グート、フィー起してやれ」

「わふっ」

 とことこと白い毛皮が小屋の中に入り、

「ひやあああああっ!」

「うふううっ」

「バカ、やめろおっ! いきなり舐めるな食いつくな! あっ! やーめーてーぇっ!」

 尻尾を咥えられ、背中を擦りながら引っ張り出された仔竜が、涙目で訴える。

「こ、こんなサディスティックな起こし方があるかぁっ! 仔竜虐待だぁっ!」

「今日、朝早い言った。ちゃんと起きろ」

「分ったから! こいつに尻尾離すようにっ――ひぎゃふっ!」

 青い体が宙を舞い、シェートの足元に投げ出される。ぞんざいに役目を終えると、白い狼はさっさと茂みに消えていった。

「あいつ、俺に恨みでもあんのか!?」

「狼、気難しい。ちゃんと礼儀、考えて付き合え」

「それはこっちのセリフだぁっ! お前からも言ってくれよ!」

「分った。もう少し、優しくするよう、言う」

 とはいえ、グートもそれなりにフィーに気を使っているのは確かだ。

 採取作業の時は必ず行く手の安全を確保しているし、さっきの扱いも、群れの長であるシェートに従わないのをとがめたに過ぎない。

 狼流の荒っぽいやり方だが、仔竜に群れの作法を教えようとしたわけだ。

 顔を引き締めると、グートに習って仔竜に戒めをかけることにした。

「でもお前、起きろ言ったら、ちゃんと起きろ」

「寝坊したのは悪かったけど……何も、あんな風に起さなくたって」

「狩、何起こるか分からない。寝過ごして死ぬ、そういうこと、ある」

「あ…………」

 何か思うところがあったのか、仔竜は神妙に頷いた。

「……分ったよ。ガナリの言うことはちゃんと聞く、だよな」

「そうだ……さ、食え」

 椀を手渡すと、仔竜は無心で食事を頬張り始めた。最初の頃はおっかなびっくり手を出していたものだが、最近はコボルト式の料理にも慣れてきたらしい。

「味、どうだ」

「まあまあ。もうちょっと塩っ気があるといいんだけど」

「すまん。塩貴重、簡単に使えない」

「分ってるよ……お代わり」

 文句を言いながらも食べるフィーを見つつ、自分も食事を始める。

 考えてみれば、こうして誰かに料理を振舞うのも久しぶりだ。一人の時は間に合わせの物で済ませるか、保存食が中心だった。

 誰かと食卓を囲む、そんな当たり前のことを営むのは、いつ以来だったろうか。

「……なんだよ、その顔」

「顔? 俺、顔どうかしたか?」

「さっきから俺のこと見て、ニヤニヤしてるだろ」

 そこで、ようやくシェートは気がついた。

 自分の表情の変化に。

「俺、笑ってるか」

「……そうだよ。なんだ、思い出し笑いか?」

「なんでもない」

 椀で口元を隠して、シェートは表情を緩ませたままにしておいた。


 朝食が終わった後、シェートは仔竜をつれてエレファス山を登っていた。

「山、歩くとき一番大事なこと、なんだか分かるか?」

 山頂付近に近づくにつれ、山肌は岩と砂だらけの急な勾配になっていく。フィーは杖にすがりつき、肩で息をしつつ首を振った。

「確かめる、それ一番大事だ」

「……た、確かめるって?」

「なんでも。太陽、天気、森の木、地面の様子、鳥の声、自分の体、そういうの、全部」

 荒れ果てた大地のせいで、普段以上にフィーの歩く速度は遅くなっていた。

 コボルトの足と違い、ドラゴンのそれは歩くのには向いていないから、こちらが思う以上に大変だろう。シェートは足を止め、小休止をかねつつ説明を始めた。

「こ、この辺りは、あんまり確かめられそうなもの、ないよな」

「そんなこと無い。辺りにある岩、ちゃんと見る。でないと死ぬぞ」

「ぶはっ!? な、何でいきなりそうなるんだよ!?」

 口にした水を吐き出しながら驚く仔竜に、コボルトは周囲の荒れた斜面を指し示す。

「岩だらけ、乾いた土地、地面、もろい所ある。狩人に驚いたネズミ、蹴りだした石、時々大岩、動かす時ある」

「……じょ、冗談だろ?」

「本当。石降り、意外によくある。だから、岩場近づく、用事あるときだけ」

「わ、分った」

「自分、蹴り落とした石、山の岩、動かす時ある。下、仲間いるとき、気をつけろ」

 それなりに息が戻ったらしい仔竜を促すと、そのまま斜面をゆっくりと歩き出す。

「じゃあ、なんで今日はこんなところに来たんだ?」

「山、危険ある、教えるため。あと、欲しいものあった」

「欲しいもの?」

 辺りを見回し、岩場の影に目的の物を見つけると、シェートはそっと歩み寄った。

「これだ」

「この草、薬草か?」

「根っこ、乾かして使う。お湯、煎じて飲む、熱さまし」

「これだけのために、ここに来たのか?」

「まず、これ欲しかった。ほかにも一杯、探すものある」

 丁寧に掘り取り、腰の袋に薬草を収める。不思議そうな顔で、仔竜は薬草を自分の道具に"収めた"。

「それ、すごい道具。"しゃしん"、本物そっくり、絵、取っておける」

「カメラか。確かにそうかもな」

 フィーはふと笑みを浮かべ、小さな板切れを操作して、手渡してきた。

「それ、覗きながら、ふもとの方を見てみな」

「…………おお……?」

 板に映し出されていたのは、山の麓にある林だ。視線をずらすと針葉樹の茂みが見え、そこの奥にある野営地が見えた。

「ここから小屋、すごく遠い! "しゃしん"、こんな見えるか!?」

「写真じゃなくてカメラな。竜のおっさんお話では、一眼レフレベルのズームと、五千万画素で記録が可能なんだとさ」

 カメラの中の野営地は、普段自分が目にしているのと同じくらいか、それ以上の鮮明さで全てを映し出している。小屋の近くで眠るグートの腹の動きさえ見て取れた。

「これ、絵、取るだけ違う、地図見れる、話できる」

「っても、これで狩りが出来るわけじゃないしな。便利っちゃ便利だけど」

「ほんとすごい。これ、ドラゴンの宝か」

「……どうなんだろうなぁ……多分……違うと思うぜ」

 なぜか虚ろに目をさ迷わせたフィーに板切れを返すと、岩だらけの斜面を進む。

「なー、今日はどこまで行くんだー」

「天辺まで登る。そしたら、帰り道、別のところ通る。それで今日、仕事おしまいだ」

「要するに薬草採りかよ……あんなに早く起きる意味あったのかぁ?」

 ものすごく不満そうな仔竜に、コボルトは丁寧に答えを返した。

「山、天気すぐ変わる。夜、暗くて危ない。だから朝、光ある内仕事済ます。あと薬草、朝摘み、一番効き目ある奴多い」

「なるほど。全部早いうちに済ましておくのがいいのか……」

「だからフィー、ちゃんと起きろ。朝起きられない、夜、板いじってるから」

「……分ったよ」

 ふくれ面をして、仔竜が歩き出す。その仕草に、シェートはふと、思っていたことを口にした。

「フィー」

「なんだ?」

「ドラゴン、みんな、お前みたいか?」

 突然の話題に驚いたのか、フィーが顔をしかめる。

「俺みたいって……どういう意味だよ」

「ドラゴン、見る、初めて。話す、お前が最初。他のドラゴン、どんなだ?」

 百人の勇者と戦ったあの時、この仔竜は空から落ちてきた。

 竜神の紹介でなし崩し的に仲間になり、こうして一緒に生活しているが、フィーのことは知らないも同然だ。

「えっと……俺、他の仲間とか、ほとんど知らないんだ。でも、人それぞれっつーか、ドラゴンもそれぞれだと思うぜ」

「そうか……」

「……なんでそんなこと……聞くんだよ?」

 あまり触れられたくないことなのか、仔竜が顔を曇らせる。その表情に少し後悔を覚えながら、シェートは言い足した。

「昔話のドラゴン、強い、大きい。賢い。お前、全然違う、だから」

「わ、わるかったなぁっ! 俺はまだ生まれたばっかだから、仕方ないだろっ!」

「生まれたばかり? それで、こっち来たか?」

「か……勘違いすんなよ! これでも十七だからな! ドラゴンの中じゃ、生まれたばっかりだってこと!」

「そうか、すまん」

 すっかり機嫌を悪くした仔竜は、山道をどんどん先に行ってしまう。その仕草に思わず笑みがこぼれた。

 神秘さの欠片もない、本当の子供。妙に大人びているかと思えば、意外なほど常識を知らない仔竜。

 まるで、手のかかる――。

「あ…………」

「……なんだよ?」

「い、いや、足元見ろ。怒っても、ちゃんと、気つけろ」

「おう」

 バカな想像だ。

 歳も背格好も、種族すら違う。

 こんなことにならなければ、存在すら知らなかったはずの相手。

 それなのに。

「おい、天辺て、あそこじゃないか?」

 気がつくと、目の前に丸みを帯びた頂上が見えていた。その向こうに輝く青空には、白く盛り上がった群雲が積みあがっている。

「そうだ。よく頑張った」

「ふあー、きつかったぁ」

 ちょうどいい大岩に素早く腰掛けると、仔竜は皮袋をとおやつの包みを取り出した。

「ここ、すげーいい眺めだな」

「……ああ」

 その隣に座り、シェートは周囲を見渡した。

 この山を頂点とし、いくつも連なる山々は緑に包まれている。どこまでも続く命に溢れた世界。その谷間を川が流れ、自分達の住む居留地の脇を抜けていく。

 流れの先に目を向ければ、はるか遠くに霞む岩だらけの荒野。そこを指差しながら、仔竜に話しかける。

「アノシュタット平原」

「そういう名前なのか……それが?」

「俺、あそこ歩いた。すごい岩だらけ。食べ物少ない、岩ネズミ、いっぱい食った」

 ネズミという言葉に顔をしかめる仔竜に、コボルトは笑った。

「……絶対食べないからな」

「意外とうまいぞ?」

「だからやめろって! 俺をいじめて楽しんでるだろお前!」

 軽く干した木苺を食みながら、山の風を感じる。傍らの仔竜は、板切れを使ってさまざまなものを"しゃしん"にしていた。

 何事も無い、穏やかな日。

 たゆたうような心地よさに、コボルトが吐息を吐き出した。

 その時。

「……なぁ、シェート」

「どうした?」

「あれ、なんだ」

 仔竜の青い指が指差す雲の片隅。

 そこに、黒々とした影が差していた。

「なんか雲しちゃ……形…………が?」

「フィー、見るの初めてか」

 自然と顔が険しくなる。腰に差した山刀に自然と手が伸び、身構える。

 そして、雲を掻き分け、姿を現したもの。

「や……山!? いや、あれって、まさか……」

「そうだ」

 二人が居る山頂のはるか彼方、雲すら縋りつくことがやっとの高みを、悠々と進んでいく巨大な城。

「魔王の、城だ」

 大気の全てが怯えたようにこえを上げる。あれほどの高さを飛びながら、まるで身近に感じられるような圧迫感。

「う……くっ……」

「どうした、フィー?」

 唐突に、うめきながら仔竜が頭を抱えた。

 その全身がおこりのように震え、苦しみの脂汗が流れていく。

「大丈夫か!?」

「あ……頭がっ……なんか、いてぇ……っ」

 地面に落ちる影に、森の中の鳥達がざわめき騒ぎ、怯えたように逃げ散る。喧騒に同調するようにフィーが地面にうずくまり、うめき続ける。

「フィー! しっかりしろ!」

「あ……う……あ……たま……が……」

 やがて、黒々とした城は飛び去り、辺りに静寂が戻っていく。同時に、仔竜がよろめきつつ顔を上げた。

「っくぅ……いったかったぁ……」

「どうした!? 何あった!?」

「いや、なんか、耳……いや、角鳴りっつうか、角が、はじけそうなぐらいに、パンパンになった感じがして……」

 本人の言葉とは裏腹に、フィーの黒い角に異常は見えない。それでも、シェートはその頭にそっと手を置いた。

「帰ろう。魔王の城、良くない力、出してる言われてた」

「それに当てられたってことか?」

「早く帰ろう。お前、体心配」

「あー、いや、大丈夫だって。もうなんとも」

「ダメだ!」

 思いもよらない強さで、叫んでいた。

 その両肩を掴み、声を絞り出す。

「夜、サリア話できる。その時、ちゃんと話す。お前、体壊す、絶対ダメだ!」 

「え、ちょ、シェート……」

「口答えするな! 今すぐ、山降りるぞ!」

「い……いてぇって! 肩がっ!」

 悲鳴を上げて身をよじるフィーに、ようやくシェートは自分の行為に気がついた。

「ご……ごめん! 痛かったな…………ごめん」

「お……大げさなんだよ、なんともないってんのに」

「うん。分った。だから……帰ろう」

 青い手を引いて歩き出しながら、シェートは実感していた。

 驚くほど、この仔竜に思い入れている自分を。


『それはおそらく、精霊のこえに酔ったのだろう』

 夜半、夕食を整えている頃に、サリアはふたたび神座からこちらに話掛けてきた。

「精霊に……酔う?」

『竜族は角で周囲の音を聞き、さらには幽冥の聲を聴く。魔王の城が持つ魔力によって大気が引き裂かれ、かき乱された精霊達の聲に感応したのだ』 

「それ、体、平気か?」

 こちらの狼狽に、サリアは深い豊かな笑いで答えた。

『幼い竜の感応力は強く、ちょっとした聲にも影響されるが、問題はないだろう。あまり調子が悪いようなら、静かな場所で安静にするといい』

「いやぁ、アレはやばかった。目の前くらくらしたよ……」

 そんなことを言いつつ、フィーはけろっとした顔で食い物を口にしていた。

「これ、結構うまいな、団子なんて食えるとは思わなかったよ」

 手にした白い団子を嬉しそうに食べる仔竜。

 今日の料理は魚の山菜汁に鳥の丸焼き、百合根の団子。一応、フィーの体調も悪くなさそうだったので、予定通りのものを出していた。

「それにしても、今日はやけに美味いものばっかりでてくるなぁ。何かお祝いか?」

「フィー、仕事、良く頑張った。だから、ごほうび」

「……お……おう。あ、ありがとうな」

「それと、そろそろ俺達、ここ出る。日持ちしない食い物、始末する」

 呆然とした顔でこちらを見る仔竜に、コボルトは苦く笑った。

「準備、大分出来た。出発、もうすぐ」

「そう……か」

『もうよいのか?』

 サリアの声に、シェートは少し考え、頷く。

「武器、防具、できる限り作った。身の回りのもの、取り戻した。それに、フィー、山のこと、結構覚えた」

「そ……そんなにはっきり覚えてるわけじゃ……ないんだけど、いいのか?」

「手伝いしてくれる、すごくありがたい。フィー、ほんと、ありがとな」

 あまり礼を言われなれていないのか、仔竜は聞こえないふりで料理をむさぼっている。

『ならば、発つ方がいいだろうな。知見者の軍も、本格的に侵攻を開始するようだ』

「勇者、次は軍か」

『ああ。おそらく、前回の百人の勇者など、比べ物にならぬだろう』

 サリアの言葉にも、不思議と絶望感は湧かなかった。

 というより絶望し疲れた、とでも言えばいいのだろうか。何をどうやっても、不利で勝つ見込みのない戦いを強いられているなら、絶望など時間の無駄だ。

「それで、どうやって、勝つ?」

『ふっ。そうだな……やはり暗殺が早かろう』

「おぅい?」

 がっついていた椀から顔を上げ、仔竜が渋い顔をする。

「いきなり暗殺って、どんだけだよ」

『仕方あるまい。今回は本当に孤立無援の戦いを強いられるのだ。そんな我らにできることといえば、敵将を一撃で倒すことのみだ』

「勇者、きっと軍隊、一番奥いる。どうやってたどり着く?」

『妥当なのは、この地に居る魔将と事を構えている時の混乱に乗じて、であろうな。最良のタイミングは、勇者が魔将を倒した瞬間か』

「うわぁ……汚ねぇ」

 フィーはつくづくとため息をつき、鳥ももと団子を平らげる。満足したらしい彼は、呆れたように空を見上げた。

「漁夫の利狙って勇者を暗殺とか、女神の提案することか?」

『魔物を使う邪神と呼ばれ、百余名の神の所領をことごとく奪い、汎世界の疫神の銘を継いだ私だぞ? 今更汚名が増えたところで、どうということもない』

「開き直っちゃったよこの女神……天界、もうダメかもわからんね」

 二人が笑いあい、その様子を見ていたシェートは、表情を真面目なものに変えた。

「サリア、フィーとグート、加護掛けたか?」

『ああ。そちらの手配は済んだ。そうだ、フィーよ、そなたの"アプリ"で確認してみるといい』

「あいよ。って、あれ? アプデのお知らせが来てる」

 仔竜がなにやら板切れをいじると、軽快な音色が鳴り響いた。

「『ステータスチェッカー』のバージョンアップか……敵を撮影することで、ステータスを抜けるようになったのか……って"ロンサイ"と連動かよぉ……」

 そんなことを言いつつ、フィーは自分の手に赤い光を宿してみせる。

「おお、これが破術かぁ。なんか不思議な感じだ……」

『グートとフィーに防御と破術の加護を追加しておいた。さすがに自動回復までには手が回らなかったが、いずれ何とかしよう』

「これ、グートのはどっちも常時発動なんだな。俺のも任意エンチャントできるのは破術だけか」

『今のそなたでは戦うことは無理だろうしな。フィーは参謀役に徹してもらうほうがいいだろう』

「……そうだな」

 どこか不満そうに言うフィーに笑いかけると、シェートは鍋をどけて焚き火の火を掻き分けた。

「何してんだ?」

「今日、風呂あるぞ。入って寝る、すごく疲れ取れる」

「この辺りに温泉なんてあったっけ?」

 素焼きの壷に焼けた石を放り込み、歩き出す。

「今から作る。ついてこい」


 川岸の側、水を引き込んだ水溜りに焼き石を放り込むと、湯気が立ち上っていく。

「おおー。こういう風呂かぁ、ってなんか変な匂いがしないか?」

「色々薬草入れた。疲れ取れる、虫除け、打ち身、中気、いろいろ効く」

 水底に沈んでいる薬草の束が、お湯に反応して香気を振りまく。風呂の周囲をうろうろしていたグートが、嫌そうに顔をしかめてくしゃみをした。

「中気って?」

『大抵は脳卒中のことを差す俗語だ。とはいえ、若いお前達には関係なかろうな』

「できたぞ。入れ」

 ためらいなくお湯に浸かったフィーは、その暖かさに顔を緩め、深々と息をつく。

「っはー……しみるぅ……」

「ん? フィー、傷あるか?」

「そうじゃなくって、お湯が気持ちいいっつったの」

 仔竜の不思議な物言いに口元を緩めると、シェートも服を脱ぎ、湯に身を沈める。

「うん。しみるな」

「その言い方じゃ、ホントに傷が痛いみたいに聞こえるぞ?」

「そうか? 別に今、痛いところないぞ。あるの、古傷だけだ」

 ゆっくりとお湯を掬い、顔を洗う。温みと香草の匂いが鼻の奥に染み込んで、体のこわばりが溶けていく。

 水浴びなどは適当にしていたが、こうして全身を洗うのも久しぶりだ。

「風呂、気持ちいい。フィー、よく浸かれ」

「なぁ……」

「どうした? 変な顔して」

 気がつくと、フィーはこちらを凝視していた。その視線の先にあるものを、目を落として確認する。

「気になるの、石か? それとも、傷か?」

「……どっちも」

 指先で胸を辿る。

 刻まれた傷、再生の力をもってしても元には戻らず、むき出しの醜い痕が残った。

 全ての始まりの証。

「これ、俺、勇者、付けられた。それで、一度死んだ」

「……死んだ、のか?」

『正確には、死に掛けたところを救い上げたのだ。その頃は私には加護と呼べるだけの力もなかったのでな。己の存在のほとんどを掛けて、ようやっとだ』

 そして、組紐で止まった青い輝石をそっとつまみ上げる。

「形見だ。俺の、好きだった子。やるつもりだった石」

「……形見…………」

「いつか、全部終わったら、供え行く」

 短い告白に、仔竜は湯に顔を俯けていた。

「どうした? フィー」

「お……おれ……その……」

「大丈夫だ。俺、気にしてないから」

 それでも顔を上げない仔竜の肩をそっと叩く。

「っ!?」

 弾かれたように顔を上げたフィーは、どこか怯えたような、すまなさそうな顔でこちらを見つめた。

「……ちょっと待ってろ」

 風呂のすぐ側に置いてあった素焼きの瓶と、木のコップを引き寄せ、中身を注ぐ。 

「これ、飲むか?」

「……なんだよ、これ」

「酒だ」

 甘い木苺の香りのするそれを、自分の分も注いで口に含む。

「うん。ちゃんと出来てる」

「……これ飲んで……忘れろ、っていうのか」

「この傷、昔の奴、もう終わったこと。お前、気にすること、ない」

 コップを握り締めたまま、仔竜は奇妙に静かな顔で尋ねてきた。

「お前……それでいいのか?」

「……なにがだ?」

「憎く、ないのか? お前を殺した、勇者の、こと」

 フィーの問いかけに、心の中で小さな疼きが走る。

 自分の運命を変えたあの勇者のことが、奇妙に遠く感じられた。

「……多分、そういうの、もうない」 

「どうして?」

「あいつ……俺が殺した。もう、居ない」

 それが事実だ。

 自らの手で喉を裂き切った勇者は、光と共に消えた。

「俺……あいつ見て、百人の勇者見て、思った。勇者たち、みんな、子供」

「……子供?」

「あいつら、面白いゲーム、遊び来た子供。あいつら、コボルト殺す、魔物殺す、全部遊びだ」

 心の内を明かしながら、シェートは気付く。

 思えば、彼を殺した時にはもう、わだかまりは消えていたのだろう。

 訳も分からず、ただ楽しむことしか考えない子供の暴虐に、怒りや憎しみを掛けることの虚しさを知って。

「あいつら、コボルト、敵、駒、経験値、そうとしか見ない。憎んでも、同じ、見られない。心ある、思わない」

 対等な存在と見たなら、復讐に怯え、あるいは悔悟することもしたかもしれない。

 しかし、勇者の見せたのは、理不尽に対する戸惑いでしかなかった。

「そんな相手、どうやって、憎んだらいい?」

「あ…………」

 シェートは淡く笑い、言葉を失った仔竜の肩をさする。

「あいつら、俺、経験値、そう見る。なら……憎まない」

「……憎まない?」

「そうだ。俺、勇者、狩る。それだけ」

 殺すのではなく、狩る。

 それが多分、自分にできる唯一のこと。

「俺、この戦い、勝つ。そして、コボルト、殺されない森、創る」

 恨みを晴らすためではなく、悲しみを無くすために。

「だから、俺、なんでもする。卑怯、言われてもいい、全ての勇者、魔王、狩る」

 その誓いを飲み干すように、酒を呷る。

 いつしか、フィーはこちらを見上げていた。その瞳の中に、うかがい知れない感情を宿して。

「どうした?」

「お前……強いんだな」

「そんなことない、俺、弱い魔物。サリアの加護、無かったら、死んでた」

「違うよ……お前は…………」

 それ以上何も言わずに、仔竜はコップの中身を口に含んだ。

「うまいか?」

「…………うん」

「そうか」

 弱めに発酵させた木苺の酒は、追加した蜂蜜のおかげで甘めに仕上がっている。

 飲みすぎて、足腰が立たなくなることもないだろう。

 仔竜のコップに新たに継ぎ足すと、自分の分を満たす。

「飲め、それで、ゆっくり休め」

「……うん」

『では、私はそろそろ行くとしよう。竜種は酒に弱いと聞く、あまり飲ませて酔い潰すなよ?』

 あえて口を挟んでこなかった女神に、軽くコップを挙げて無言の感謝を示すと、コボルトは静かに中身を干していく。

 しんと更け行く夜の中、傍らの仔竜を気遣いながら。

 

 夜の闇の中、フィーはうずくまったまま、傍らで寝息を立てる存在を見ていた。

 シェートの吐露を思い出し、胸が痛む。


『あいつら、コボルト、敵、駒、経験値、そうとしか見ない。憎んでも、同じ、見られない。心ある、思わない』


 結局、自分は何も知らなかったのだ。この世界のことも、勇者という立場のことも、その都合で殺されていくもののことも。


『形見だ。俺の、好きだった子。やるつもりだった石』


 胸が痛む。

 あの時、自分がしたのはなんだったのか。

 これはゲームなんだと、世界を救うために必要な行為だと、無邪気に信じて疑わず、尽くした暴力の数々を、思い出す。

 そして、この生活で見た、本当の彼の姿。


『一杯採れたな。大変だったろ』

 籠一杯の木の実を受け取り微笑む顔。

『でもお前、起きろ言ったら、ちゃんと起きろ』

 厳しく山のことを教える指導者の顔。

『口答えするな! 今すぐ、山降りるぞ!』

 こちらを気づかい声を荒げる顔。


 いくつもの欠片が一つになって現れたのは、自分のコボルトに対するイメージとは遠くかけ離れた実像。

 そんなものがあるなど想像もしなかった、生活と思い。

「俺は……」

 今まで見ないようにしていた物が、くっきりと浮かび上がっていく。


『俺、この戦い、勝つ。そして、コボルト、殺されない森、創る』


 そして、苦しみの果てに見出した、願いを誓う顔。

 愛するものを理不尽に殺され、行き場をなくした怒りと憎しみを抱えたシェートが、導き出した結論。

「勇者を……狩る、か」

 憎しみを放棄し、目的のためだけに、勇者を狩るということ。

 その決心を語る顔に、迷いは無かった。

 燃え盛る砦の中で、渾身の力を振り絞った抵抗を思い出す。

 自分の一撃を全力で避け、炎の中に消えていった背中。その後に出合ったシェートは、まるで別人だった。

「俺は……何をしたんだよ……」

 湧き上がってくる悔悟の痛みに、胸が痛くなる。

 その思いから逃れるように、寝床から起き上がり、外に歩き出そうとした。

「どうした、フィー」

「っ!?」

 背中越しに掛かる、少し眠そうな、それでもはっきりとした声。

「な、なんでも、ない。ちょっと、目が覚めて」

「……酒、なれない、そうなる。飲ませすぎた、すまん」

「あ……うん」

「気持ち悪い、頭痛い、そういうの、ないか」

 その声はどうしようもなく優しく、深い。

「だ、大丈夫だって! ぜんぜん平気だから!」

「そうか……それなら、早く、寝ろ……」

 再び眠ってしまったらしいコボルトをそのままに、表に出た。

 針葉樹の林は、思ったよりも明るかった。枝の間を通して降り注ぐ月明かりが、世界をほの明るく浮かび上がらせている。

 仔竜は空を見上げた。

 分ったことがたくさんある、分からないことも、同じぐらい浮かび上がってくる。

 自分が何をしたのか。

 自分は何をすればいいのか。

 ふと、指がスマホに触れ、力なく垂れ下がる。

 きっと、問いかけても、竜神はこう言うだけだろう。

 "為したい事をなせばいい"と。

「それが分からない時は、どうすればいいんだよ……」

 声は誰にも届かず、地に転げ落ちていく。

 月明かりにその身を晒しながら、フィーは湧き上がる感情に、ただ立ち尽くしていた。


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