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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~nameless編~
35/256

プロローグ 癲狂(てんきょう)の王

 その場所に訪れる時、感じるのはいつもめまいからだった。

 転移の魔方陣に足を踏み入れるたび、襲ってくる現実感の喪失。次いで、降り注ぐ日の光のまぶしさに脳を揺さぶられる思いがする。

「ベルガンダ様、お加減は」

「ぼちぼちといったところだ、なんとかな」

 傍らに侍るのは、自分よりもはるかに背の低いホブゴブリン。自分の参謀であり、相談役でもあるコモスはローブの裾を軽く直し、自分の先に立って歩き出す。

「やはり、転移というのは、今だ慣れぬものですな」

「それもあるが、見ろ、この景色を」

 ため息とも失笑ともつかない吐息が、牛のような顔から漏れる。

 二メートルを超す分厚い体躯と、身に着けた無骨な鉄鎧。緋色のマントをはためかせたミノタウロスは、おどけた口調で周囲を指し示した。

「我ら牛頭魔の一族が、一生掛かっても思い描かぬ世界だ。めまいを感じぬ方がどうかしている」

 頭上に広がるのは雲一つ無い青空。その中を点々と通り過ぎる黒い影は、周囲を警戒している飛行魔族の類だろう。

 目の前に延々と広がるのは、大理石で作り上げられた宮殿。緑の芝生が敷かれた庭園や噴水も作られたその様子は、人間達の王が住む都城とも遜色が無い。

 そして、二人が立っている転移陣の背後。

 台座のすぐ向こうにあるのは、虚空だった。

 まるで、何処かの土地から掘り取られたように、地面がふっつりと途切れている。

 その下に広がるのは緑為す大地。小高い山や森林、良く肥えた草原、そして人間達の住む村が垣間見えた。

「天空に浮かぶ城」

 ミノタウロスの見ている前で、一塊の群雲が眼下の景色を覆い、一瞬のうちに城の周囲に雲の大地ができあがる。

「魔の王が統べる城としては、申し分ないのだろうがな」

「岩山の懐を住処とし、迷いの宮に群れ集う我らには、居心地の悪いことこの上ない場所……なぜこのような場所に、居城を建てられたのでしょうなぁ」

「……行くぞ。お待たせしては、我らが王にくびり殺される」

 愚痴はここまでだ、そう心に刻み、歩き出す。


 今代の魔王は癲狂てんきょうである。

 魔界でもまことしやかに言われていたことだ。

 その出自は定かならず、ただ、こう言ってのけることで、今の地位を獲得した。


『我は神魔の遊戯にて、必ずや魔の者に勝利をもたらすだろう』


 神と魔との遊戯は、すでに百を超える回数に渡って続けられていた。

 だが、魔の側の勝利は驚くほどに少ない。

 初めの頃は互いの手の内が分からず、負け勝ちを繰り返していたのだが、神の側が打った一手によって状況は激変した。

 それこそが、異世界の勇者という存在。

 遊戯に敷設されたレベルという概念を使いこなし、奇妙奇天烈な加護を編み出し、魔の者の度肝を抜く戦略で、神々に勝利をもたらす者たち。

 単なる力比べや魔法合戦ならば、魔の者の勝利は揺るがない。加護を与えたからといっても所詮は人間だからだ。

 しかし、異世界の勇者は、その力量差を技と工夫であっけなく覆す。

 いかに力ある魔物が王に立ち、彼らの前に立ちふさがろうとも、結局は彼らに打ち倒されてしまう。

 魔に勝利をもたらせば、その者には大いなる栄誉と栄達が与えられる。

 そんな餌がぶら下げられている状況であっても、魔王への立候補者が少ない理由が、異世界の勇者だ。

 その誰もがやりたがらない役割に進んで就いたこと。暗い闇を好むはずの魔の者でありながら、空に浮かぶ城を住処とする思考。

 魔王の癲狂ぶりは、側に仕えれば仕えるほどに感じられた。

『魔将、ベルガンダ殿、到着されました!』

 気がつけば、巨大な木の扉の前に立っていた。

 物思いに耽っている間に、通いなれた道を歩み終えていたらしい。

 濃紫に染められた絨毯が敷かれた回廊。蝋燭の灯る薄暗い空間が、瞑想のような雰囲気を呼んだのだろうか。

 牛頭が瞑想とは。苦笑いを浮かべつつ、扉をくぐる。

「遅参か。牛ごときの分際で」

 巨大な燭台を天井に掲げ、それ以外の光を一切拒絶した大広間。その中央にすえられた円卓から、叱責は届いた。

 ベルガンダと向き合う位置に座った男。青白い肌と輝く黄金の長髪を垂らした人間は、口元から鋭く犬歯を覗かせ、冷笑する。

「我らが王の招集には、真っ先に馳せ参じるべきであろうが。この駄獣」

「申し訳ない"不死魔将"殿」

「私に詫びを入れてどうする。まぁ、貴様の牛頭では、その程度の知恵も回らぬか」

「……遅参、申し訳なく。我が主よ」

 ミノタウロスの視線は円卓ではなく、奥の壁際に向けられる。そこに在る人影は鷹揚に手を振り、無言で問題ない事を示す。

「とっとと座れ若輩! 戸口に立たれると牛臭くてかなわん!」

 怒声の主は不死魔将の右手側、かなり離れた位置に腰掛けていた。細面の青年の数倍はある巨体、座っていてさえベルガンダと同じ位置に顔があった。

「おおかた、いじましい弱卒どもの稽古でもして遅れたのだろうが、それなら遅参ではなく、欠席でもすればよかったものを」

 巨躯の魔物は百本の腕を複雑に絡ませあい、腕組みの肉壁で席に座った牛頭魔を圧迫する。

「悪いが"闘魔将"殿、我が主の召集に参じるのは魔将の務めゆえ。遅れはあっても、席を欠くことはありえぬ」

「口先だけは一丁前か。どうだ? ベルガンダよ、遅参の無礼を雪ぐため、俺とお前の一騎打ちを、王にお見せするというのは」

「それこそ時間の無駄というもの。勝負の決まった戦いには何の意味も無いですな」

 百手巨人ヘカトンケイルの向かい、イスにちょこんと座ったのは、枯れ木のような老人。その手に杖を弄びながら、ひび割れた口を笑いにゆがめる。

「さて、我が主よ。どうやらすべての魔将がそっ首そろえたようですから、軍議と参りませぬか? そろそろ、この老いぼれの尻が、硬いイスに悲鳴を上げ始めましたので」

「……良かろう」

 影の中に居た人物は円卓ではなく、壁際に設えられた玉座に腰をすえた。

 薄闇の中に浮かび上がる、漆黒の衣を纏ったエルフか人間の青年を思わせる存在。痩せた肩と繊細な指先、尖った顎から感じるのは、恐ろしさよりもたおやかさと弱さだ。

 青い髪に銀色の目を持つ、魔界ではそう珍しいものでもない、人妖の一族に過ぎない。

 ただ。

「これより、軍議を執り行う」

 その声には、強さがあった。

 己の為すべきことを、一切の揺ぎ無き信念として持つ存在のみが発する令。

 ベルガンダは自然と席を立ち、跪いていた。

 剛直な百手の巨人も、枯れた老爺も、皮肉めいた笑みを浮かべていた不死の魔さえも、膝を屈し、首を垂れる。

「もうよい。席に着き。我に戦功を告げよ」

 魔王の言葉に、それぞれがようやく自律を取り戻し、一瞬視線を通わせる。誰から口を開くべきか、そんな逡巡を新たな声が破った。

「"不死魔将"コクトゥス殿、我らが王に報告を」

 黒い肌を持つ女性型の魔、体を絞るような皮の鎧に身を包んだ"参謀"が、玉座の裏から進み出る。

 金色の竜眼に銀色の髪、細身ではあるが豊満な胸と腰周りが、本人の蠱惑的な雰囲気を一層強めていた。

 その名前も種族すらも明らかではない彼女は、自分達魔将に魔王の声を伝えるものとして、常にその側に侍っている。

「済まぬな、参謀殿。良く聞こえなかった」

「……コクトゥス殿」

「勘違いしてもらっては困るが、私はあくまで協力者として、この軍に参画している。魔王殿に言われるならともかく、貴様ごときに敬称を略される謂れはないぞ」

 その瞳を真紅に染め、不死魔将が女怪を睨む。魔界にあって高位の貴族たる彼にとり、自分や彼女は下等な存在でしかない。

 完全な侮蔑に対して、美麗な顔に皺一つ刻まず、"参謀"は薄い唇から言の葉を紡いだ。

「ぬばたまの帳、銀円の煌々たる宵闇の御座より出で、久遠にして永劫たる、連綿なりし漏刻のしわぶきより歩み去る方。真にして一つである尊き者、古き夜の血を引きし、万命を狩る貴人よ」

「礼に適ってはいるが、訂正しておこう。私は第三位の血族であり、その場合は、"古き夜の血に清められ"とするのだ」

 ――下らん。

 牛口の奥でベルガンダは嘆息する。

 軍議の度に繰り返される、似たような茶番。

 本来なら自分が魔王の座に着くべきであり、自分は対等なのだと示さずには居られない見栄坊は、手を変え品を変え、魔王とその側近に綾をつけていた。

 その行為自体、魔界における吸血鬼の存在が地に落ちていると、証明しているとも気付かずに。

 凋落は、彼らの王たる"真祖"が遊戯において討ち果たされたことにより始まった。

 ただの敗北ではない。

 遊戯開始より三ヶ月という、異例の速度での敗退。

 勇者達は真祖たる吸血の王を畏れなかった。むしろ、その存在が発覚した時点で、喜びさえしたという。

 なぜなら、彼らにとって吸血鬼など、分かりやすい弱点を持つ討伐可能な魔物の一体に過ぎなかったからだ。

 その不死を約束するあらゆる約定――自らが生まれた汚れた土を欲すること、真の名によって本性を縛られること、神の印によってのみ傷つく呪い、流水を渡れぬ体、血を吸うことでのみ永らえる生命――を徹底的に攻撃された。

 魔王の居城は、変更された川の流れによって囲われて封鎖され、厳重な監視砦が敷設された。彼の配下となった人間はことごとく浄化、あるいは廃滅され、主力となっていた不死者のほとんどが、神の加護によって祓われていく。

 その上、勇者達は真祖の使うであろう力を、完全に無効化していた。

 最後には十数名による集団攻撃により、吸血の王は何も出来ないまま、虚しく散滅したという。

 その城は暴かれ、木材の切れ端、石材の一片に至るまで太陽に晒された。汚れた土は浄化された上、大海原の真ん中で破却、彼の真の名はいくつもの世界語によって発音記号付きで翻訳され、書籍や口伝にて伝えられることになった。

 その後、復讐に燃えた第二位の吸血鬼達が、幾度となく再戦を試みたが、結末は同じだった。

 そして、吸血鬼たちは遊戯への直接の関与を止めた。

 現在では第二位の存在が仮の真祖として一族を治め、コクトゥスもまた、魔王に呼ばれることがなければ、一族の定めに従い不干渉を貫くはずだった。

「まぁ、いい。そのぐらいの態度で居れば、このようなつまらぬ時間を取ることもないのだ。よく覚えておくがいい」

 吸血の道化は肩を竦め、円卓の上に大陸の地図を投影する。

 その北西に位置する島大陸は、すでに毒々しい紫で染め上げられていた。

「ヘデキアスは完全に私の手に落ちた。海浜の港湾都市がいくつか抵抗を示しているが……滅するのも時間の問題だろう」

「その他に、何か報告は?」

「私からはそれだけだ……ああ、一名ほど勇者らしいものが居るようだが、一つの迷宮を攻略するのにも時間が掛かる有様。それほど気にすることもあるまい」

 言うだけ言うと、興味をなくしたらしい不死の王は、ぞんざいに応答を打ち切り、深く腰掛けた。

「次は儂に報告させて貰おうかのう」

「"操魔将"エメユギル、指名は私から」

「まぁまぁ、堅いことを言いなさるな。儂の報告も重ねれば、魔王様のご機嫌も少しは和らごうて」

 枯れた老人は目を細め、勝手に話を始めてしまう。見た目にはただの老人だが、その中身には粘菌をベースにした魔物がぎっしりと詰まっているという。

「ケデナも同じく、我が手に掌握したも同然じゃ。今は付近の生き物や人間、亜人どもを集めてな、ちょっとした改良を施しておる。いずれは魔王様にも献上仕りましょう」

「そうか……楽しみにしていよう」

 そっけない答辞に、それでも老人は笑顔で平伏する。

 南西の大陸は、彼の支配を示す黒い色で染め上げられていた。魔術や妖しげな技術を用いて生物を操り、改造する能力を持つ彼は、魔将の中でもっとも魔の名を冠するにふさわしい存在だ。

「こちらの大陸にも一名、勇者がおりますが、うまく立ち回るのは難しいでしょうなぁ。我が配下による欺瞞作戦で、大陸中の王家は疑心暗鬼ですし。確実に勇者の足を引っ張っておるようです」

「……なるほど。ほかには?」

 根っからの策謀家である彼は、魔王の興味を惹いたことを知って、喜々として報告を続けていく。

「大陸中央のエルフ領内に、落ち延びたドワーフの氏族を追い立ててあります。祖先の霊を祭った霊木をドワーフが伐ったの伐らないのと、一触即発の状態とか……さらには山岳に住む竜の一族も、最近人間に卵を奪われたといって、縄張りに踏み込むのを拒んでいるそうで」

「それで、その竜の卵は?」

「現在、こちらで有効に活用しております。いずれお見せできることもありましょう」

「まだるっこしいマネを。そもそも、貴様が作ったおもちゃなど奉じずとも、魔王様自身に魔物を生む力が備わっておるではないか」

 二人の報告を耳に入れていた巨人が、唸るように声を上げる。

「好調なのであれば、そのことだけ言っておけ! 貴様の猫なで声を聞いていると、首筋が痒くなるわ!」

「ならば……"闘魔将"ゾノ、貴様の報告を聞こうか」

「は、ははっ」

 それまでと打って変わって、"闘魔将"は顔を真剣なものに改める。

「我が魔獣の軍団は再編を終え、ふたたび各城砦に侵攻。勇者の兵団を掃討し、領土を奪還つつある状況です」

 地図に映し出された中央大陸は、彼の支配を示す赤色が端に追いやられていた。

 じわじわと勢力を広げているようではあるが、彼自身が言うほど盛り返して居るとは思えない。

「つ……つきましては、その……」

「用件は手短にしろ。何を何体必要か、それだけ言えばよい」

「は、はい。では後ほど"参謀"殿に」

「今この場で言えばいいではないか、ええ? "闘魔将"殿よ」

 嬉しげに目を細めた吸血鬼は、百手巨人のうろたえぶりに鮮やかな蔑笑を投げた。

「勇者によって、ずたずたに引き裂かれたぶざまな敗軍に、起死回生を約束する兵をお与えください、とな」

「…………っ!」

 音もなく立ち上がったゾノが、その全ての手に得物を握り締める。

 槍、剣、斧、棒など、あらゆる兵器がその身に備わり、不死の魔物を威嚇する。

 反対にコクトゥスは優雅に立ち上がり、真紅の魔眼を巨怪にむけた。

「やめろ」

 魔王は、その座から立ち上がることもなく二人を制した。

 武装を解いた巨人が腰を下ろし、吸血鬼が優雅に一礼、座席に身をゆだねる。

「下らぬことで軍議を止めるな。まだ最後の報告が残っている」

「そうだったかな? 我らの状況は報告し終えたはずだが」

「いや、戦功は終わったが、戦禍はまだだろう。なぁ? "魔将"よ」

 それまで完全に自分を無視する形で進んでいた場の空気が、一気に押し寄せた。

 あれほど争いあい、憎しみあっていた二人の魔将が、犠牲の牛に楽しげな視線を投げつけてくる。

「"魔将"ベルガンダ、報告を聞こう」

 魔王自らの声に、ミノタウロスは腰を上げ、報告を始めた。

「中央大陸より渡り来た勇者の軍、"光輝なる兵団レイディアント・ミリテース"は、大陸北西部の港、ザネジに到着。軍馬をまとめ、侵攻を開始しました。すでに付近の砦が破壊され、依然侵攻は止まらない状況です」

「仕方あるまい。俺の魔獣どもでも、苦戦を強いられたのだ。貴様のところに居るのはゴブリンだのオークだの、良くてオーガかワーム程度だろう? 負けるのは当然よ」

「とはいえ、もう少し努力して欲しいものだな。こんなざまでは、死んだ"海魔将"殿も浮かばれぬわ」

「まぁまぁお二方、"魔将"殿も立派に勤めを果たしているではありませんか。勇者の目を引き付けるおとりが、彼の方の役割であったはず」

 老人の言葉に、二人は声をそろえて笑いだした。

「なるほど! そういえばそうだったな! いやあ、すまんすまん!」

「同輩に貴君のようなものが居て、非常に嬉しく思うぞ。家畜として、今後も相応の働きをしてくれよ」

 降って来る揶揄に、ベルガンダは感情を押し殺して耐えた。

 少なくとも、それは紛れもない事実なのだから。


 最初の軍議のとき、魔王はこう尋ねた。

『もし、あらゆる地域に油断なく強力な魔物を配した場合、勇者達はどう動くだろうな』

 こちらの答えを待たず、魔王は答えを述べた。

『共闘行動を取り、少しでも生き延びる算段を講じようとするだろう。彼らには、レベルという縛りがあるからな。現地で徴兵する傭兵などより、奇跡を分かち合える神々同士で盟を組むだろう』

 過去の遊戯の中で、神々の勇者が共闘する例は幾度となくあった。

 その最も手痛い事例が、吸血鬼真祖の敗北。

『だが、比較的強い魔物がおらず、レベルアップが容易な土地を作った場合、彼らはどう動くと思う?』


 共闘は生存の可能性も上げるが、交わされた約定により、景品を分け合わなくてはならないという不利益も生じる。レベルアップすれば強くなるという制約がある以上、狩場があれば大抵の神はそこに勇者を置き、他者を出し抜こうとするだろう。

 結果、魔王の読みは当たり、モラニアに百人を超える勇者が集まった。

 他の大陸はいくらかの例外を除いて、ほとんど勇者の侵攻を受けず、魔王軍の勢力は拡大していくことになった。

「しかし、なぜ勇者の軍はモラニアへの侵攻を開始したのだろうな? もしや、貴様の軍に手ごたえを感じず、余興代わりに大陸を一つ落とすつもりでは?」

 "不死魔将"の揶揄に"闘魔将"は怒りを露にしつつ、それでも平静に答えを返す。

「あそこに居る勇者を平らげ、一気に加護を集めるつもりだろう。このまま我が軍を打ち破るのには、力不足であると感じてな」

「いずれにしても、モラニア陥落は時間の問題。場合によっては中央大陸にて、我らの力をあわせ、全力で勇者の兵団を叩き潰す算段をした方がよろしいかと」

 エメユギルの提案に嫌そうな顔をしたものの、ゾノもコクトゥスもそれなりの合意を見せた。

「では、今日の軍議はここまでということで、よろしいな」

「儂も実験体の調整が佳境でしてな。魔王様には無礼を働きますが、ご容赦を」

「次こそは戦勝のご報告をさせていただきますゆえ。これにて」

 三様に暇乞いが告げられ、会議場から魔将たちが消えていく。

 たった一人、残されたベルガンダも、重い腰を上げようとした。

「待て」

「は……」

 玉座に座った魔王の顔には、朗らかな笑みがあった。

 それまでのそっけない、いかにも無聊ぶりょうんだ顔をしていた者とは思えないほどに。

「貴様の報告がまだだ。我が魔将よ」

「し、しかし」

「勝利の報告など、大根役者でも演じられる安い座興。負け戦の語りほど、役者の力量を問われる出し物はない、そうは思わないか?」

 まったく、このお方は。

 魔王の酔狂への苦悩を隠しつつ、ベルガンダは中央の地図をモラニアのものに変換し、自分の知りうる情報を提示し始めた。

「まず、"知見者"の軍ですが、現在港湾都市ザネジを接収。軍船による隊商護衛を行い、エファレアより物資の輸送を行っております。これにより、付近海域の魔物はかなりの数が掃討され……海魔将殿の残した影響は、ほぼ消された形になりました」

「ベルガンダ、なぜ勇者の軍は現地から物資の徴発を行わず、わざわざ大陸からの輸送を行っているのだろうな?」

 ベルガンダにとって、軍議の後に行われる魔王との対話は苦行だった。

 軍議を行うようになってから、幾度となくこんな質問を重ねられている。

 初めの頃は何も答えられず、脂汗と胃痛で気がおかしくなるかと思ったほど。こうして受け答えのようなことが出来るのも、側近のコモスから軍略を学んでいるおかげだ。

「……モラニア現地よりの戦時徴発を行わないのは、今後の軍事行動への軋轢あつれきを減らすため……であると思われます」

「軍事行動による軋轢とは?」

「モラニアには現在、三つの王家があります。いかな勇者の軍とはいえ、中央大陸の支援を受けたもの。戦時徴発が侵略行為と映るのを避け、モラニア平定後の協力関係を取り付けやすくするため……でしょうか」

 必死に答えたこちらに、魔王は薄く笑って首を振る。

「貴様自身が報告しただろう? 隊商護衛を軍船に行わせ、海域の魔物を掃討したと。物資の輸送と同時に通商の回復を行い、モラニアとエファレアの経済復興を促進させるためだ。貴様の指摘も、理由の一つだろうがな」

「は、ないっ」

「続けろ。知見者の軍の動きは、それだけか?」

 錆付きがちな牛頭を必死に磨き、ベルガンダは手に入れていた情報を開示していく。 

「現在のところ、表立った動きはしておりませんが……各地に斥候を向かわせ、地形の確認と、我が軍の勢力を推し量っている模様です」

「それに対する貴様の対応は」

「か、各員を砦、ダンジョン、洞窟などに分散して配置、できる限り戦力の秘匿を行っています。そ、それと、ゴブリン、ホブゴブリン、インプなどを中心として斥候部隊を編成……勇者の軍の戦力を調査中です」

「それでは合格はやれんな。遊撃部隊を組織し、勇者の斥候が"前日に"投宿した集落に焼き討ちをかけろ。また、山岳部の街道の要所に対して侵攻を行え。理由は分かるな?」

 斥候を直接討伐するのではなく、その道筋を潰す理由。

「補給路と連絡経路を断ち、勇者たちの進軍速度を遅くすること」

「そうだ。戻り次第、全員に通達しろ。各部隊の情報共有は?」

「行っております。とはいえ、インプどもが中心では、信頼性も低くなりますが……」

「ふん……まぁ、いいだろう」

 ようやく魔王は質問の手を緩め、満足そうに玉座に身を預ける。

 これで今回の報告も終わるだろう。ミノタウロスの魔将は、ほっと一息をついた。

 正直、他の魔将に罵られることより、魔王の鋭い一言に答える方が何倍も苦しい。戦場以外でこんな厳しい気分を味わうとは思ってもみなかった。

 だが、こうした謁見も、おそらくこれが最後だ。

 知見者は神々の中でも屈指の実力者だという。そんな神の勇者が自分の所に来れば、自分の命など風前の灯火に過ぎない。

 散るならば、何かを残すべきだろう。他の者はどうかは知らないが、魔王に知見者の軍の情報を渡せれば、後々役立つに違いない。

 それが、位も低く魔力もろくに持たない、下級魔上がりの魔将にできること。

 決心すると、ベルガンダは席を立った。

「魔王様、俺もそろそろ暇乞いを……」

「待て」

 玉座から降りた魔王が、歩み寄ってくる。

「貴様にはまだ……聞きたいことがある」

 その顔から、表情が消えていた。

 冷たく、射るような視線が向けられている。こちらの皮膚の内側、筋骨は元より魂の芯の部分まで見透かすような、怜悧れいりを込めて。

「なぜ、知見者の軍は、モラニアに侵攻してきたのだろうな」

「……なぜ、ですか?」

「質問しているのはこちらだ。早く答えろ」

 知見者の勇者が侵攻してくる理由。

 これが領土拡大の侵略戦争なら話は分かる。だが、あれは勇者の軍であり、魔物と魔王から世界を開放するための存在だ。

「お、俺を、討ちに来た、のではないでしょうか。組し易い相手であるからと」

「知見者の軍はゾノの魔獣の軍団にも十分対抗できていた。あの調子なら、二月も掛ければ、奴の席を空にできていたろうな。つまり勇者は、あと少しで勝てる戦を捨て、わざわざ貴様のところへやってきた。その理由を問うているのだ」

「……わ、わかりませんっ」

 苦し紛れの言葉に、魔王はぐっと顔を近づけ、ベルガンダの鼻面を優しく撫でる。

「その言葉は、使うなと言ったはずだ」

「は、ははっ」

「分からないのは考えないからだ。考えられないのは問題に目を開いていないから。目を開けないのは問題そのものに怯えているから。そして、その問題に怯えるのは、それが未知ものであるからだ」

 子供をあやすように、魔王は言葉を重ねる。

「知見者の行動は理に適わぬ行動、すなわち未知のものだ。だが、神も人も、動機なくして行動は起さない。つまり、我らの知らない動機があるということだ。貴様の治める大陸に、知見者を惹きつけた『何か』があるのだ」

「そ……それは……」

「思い浮かばないか? その『何か』を」

 魔王の問いかけが、悩み疲れた頭に染み込み、ベルガンダを揺さぶる。

 自分の治める大陸に、起こった異変。

「あ……あります…………ですが」

「言い訳はいらぬ。言え、何があった」

「あ、ありえぬことですっ! 何もかも、俺ごときの頭では、推し量れぬ何かが、起こったとしかっ!」

「ならば、私の頭に注げ。貴様の知りえたことを」

 冗談ではない、心の中でうめきが上がる。

 今回の軍議が召集されるまでの三ヶ月の間に、モラニアの情勢は激変していた。

 その変事があったからこそ、ベルガンダの軍はほとんど損耗もなく、勇者の軍に対応できている。

 しかし、その原因の源にある『噂』が、報告の言葉を押し留めてしまう。

 確証を持ちたかった。事実を洗い出し、それが全く根も葉もない噂であるという報告が欲しかった。

「早くしろ、時間が惜しい」

 そんな逡巡すら引き裂いて、魔王の言葉が突きつけられる。

 ベルガンダは、意を決して語った。

「モ、モラニアに、"審美の断剣"の加護を受けた勇者が降臨したことは、すでにご報告したとおりです」

「それで?」

「ですが、今より二月ほど前、その勇者が……姿を消したのです」

「どういうことだ?」

 不確かな報告に魔王の顔が不快に歪む。それでも気持ちを奮い起こして報告を続けた。

「貴様の配下が倒したのか? それとも他の勇者によるものか?」

「……そればかりは、分からないというほかありません。しかし、この世界から消えたのは、確かなようです」

 勇者の足取りは、ある山道を境に途絶えてしまう。どうやっても辿ることの出来ない消滅の理由。

 その代わりに残された、信じられない噂。

「そ、そして、一月ほど前、大陸にいた百名近くの勇者……そのほとんどが、消えた……のです」

「貴様……私をからかっているのか?」

「滅相もありません! モラニア大陸南部エレファス山中! そこに魔物討伐に向かうといったまま、現地で徴用した傭兵らを残し……そのまま……」

 忽然と、勇者達は姿を消した。

「ふ、付近の住民の話では、山中より恐ろしい音が、半日続いて後、次の日の早朝に……一層激しく争う音が聞こえ……途絶えたと」

「貴様は、それを確かめなかったのか?」

「お、折りしも、知見者の軍による侵攻が開始されたもので……また、ゴブリンやインプでは収集できる情報も、たかが知れておりますし……」

「なるほど」

 何かを納得したように、魔王は玉座に戻っていく。

 薄く笑みを浮かべたまま。

「では、その百人の勇者を屠ったという魔物が、"審美の断剣"の遣わした勇者をも倒滅せしめた……と考えるのが妥当だろうな?」

「で、ですが……その……そのような……魔物は、我が配下にはおりません」

「無論、私がお前に何も言わず、魔物を降ろすこともない。分っているはずだ」

 魔王の言葉が、やけに虚ろに響く。

 できればこれが自分の主の座興であり、部下をからかうために魔王が仕組んだ茶番である、そう思いたかったのに。

「では……それらを倒したのは、何なのだろうな、ええ?」

「わ、分かりませぬ!」

「目を開け、我が魔将ベルガンダよ」

 楽しくて仕方がないといった顔で、魔王はこちらを見下ろした。

 知っているのだ、俺が隠していることを。

 おそらく、あの噂のことも。

「未知のものに目を閉じるな。見開き、確かめよ。お前は知っているんだろう? そのことを、話してみろ」

「お…………畏れながら……申し上げます」

 ありえない、そんなことがあってたまるか。

 いつの間にか地面に平伏していたベルガンダは、言いたくない一言を、祈るように声で絞り出していた。

「"審美の断剣"の遣わせし、絶対無敵の鎧持つ勇者を倒し、百余名の勇者を、エレファス山中で、倒滅せしめたのは……」

「せしめたのは?」

「一匹のっ……コボルト、であると、言われておりますっ!」

 声が、広い場内に染み渡っていった。

 自分と魔王、そして物も言わずに付き従う"参謀"以外、誰も居ない空間。

 静寂が降り、自分の息づかいだけが、静かに響き――。 

「く……」

 絞り出すような声が、何者かの喉から漏れる。

「くく……くくく……」

 牛の太く、たくましい首筋に寒気が走る。

「くっふ、くふふふふふ」

 声がしじまを乱し、薄暗い部屋が笑いに磨かれていく。

 そして、

「く……くっは、ははははは、ふははははははははははははははははははははははははははは、あーっはっははははははははははははははははははははははははははははははは」

 玉座から、爆笑が迸った。

 顔を引きつらせ、美麗な面をくしゃくしゃに歪め、魔王が笑う。

「あははははははははははははははははははっ、コボルト、コボルトか!」

「ま……魔王様っ! これは、これは何かの間違いです! 全てはあくまで噂、噂に過ぎず……」

「ははははははははははははははははは、勇者を殺したのが、コボルトだというのか!? ふははははははは、あーっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」


 癲狂と呼ばれた魔王が、笑う。


 誰もが敬遠する負け戦の将に自ら名乗りを上げ、

 燦然と太陽輝く天空に城を浮かばせ、

 魔族の中で地位を凋落させた吸血鬼を配下に入れ、

 あまつさえ、ただ力が強いだけの牛頭の魔物を魔将とせしめた男が、


 乱れ、態を崩し、感情を奔らせながら、笑っていた。


「そうか! コボルト、そうなのだな! ははははははは」

「魔王様! お止めください! あんなものは根も葉もない噂ですっ!」

「ならば」

 突然、笑いが止んだ。

 凪いだ海の顔で、魔王は命を発する。

「それを確かめよ」

「は……?」

「根も葉もない噂なら、それでよい。何処かの神の勇者か、貴様も俺も知らぬ魔物が、それを為したのかもしれんしな。だが」

 魔王の顔が歪む。

 狂笑に歪む。

「もしそれが、噂ではないなら」

「ない、なら?」

「つれて来い。その、コボルトを!」

 魔王が立ち上がる。その両腕を天に突き上げて。

「そうだ! 必ず! 生きたまま! 私の前につれて来い! いいか、必ず、必ずそのコボルトをつれてくるのだ、あはははははははははははははは!」

「あ……ああ……」

「いいか我が魔将よ! 一刻も早くだ! いや、今すぐにでも! つれて来い! 早く行け! さぁ! ふはっ、ふははははははははははははは!」

 それ以上、何も言えないまま、ベルガンダは広間を後にする。

 分厚い扉が音もなく閉まり、魔王の狂気と自分とを隔てると、全身からどっと冷や汗が流れ出した。

「……一体、何が起こったのですか?」

 戸口近くで自分を待っていたホブゴブリンに、ミノタウロスは虚ろな顔で、言うしかなかった。

「魔王様からの、ご命令だ」

「その命令とは?」

「コボルトを探せ」

「……は?」

 自分でも信じられない思いで、ベルガンダは復唱した。

「勇者を殺したコボルトを、探し出すんだ」

というわけで、第三部開幕です。一応、この話が最新話となっております。やく二週間程度の長さとなると思いますが、よろしくお付き合いの程を。

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