表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~挿話編~
34/256

竜神奇譚

 その日の昼。

 逸見浩二は落ち着かない気分で、電車に揺られていた。

 車窓の向こう、宝石や金を取引する店の看板を乗せたビルが通り過ぎる。

『次は神田、神田です』

 車内アナウンスが耳に入り、座席から立つ。待ち合わせの駅はここではないが、これ以上落ち着いて座っていられそうもなかった。

 携帯を取り出し、時間を確認する。

 待ち合わせは十時半、相手はそう言っていた。

「どんな奴、なんだろうな」

 気がつくと、喉が渇いていた。手にしていた水のペットボトルから一口飲み、それから深呼吸をする。

 そして、思い返していた。

 どうして自分が、こんな緊張を抱えて電車に乗っているのかを。


 昨日の晩、浩二は匿名掲示板に一つのスレッドを立てた。

 自分がゼーファレスという神に召喚され、異世界の勇者として行動したこと、その顛末について書くために。

 帰ってきてから二週間、浩二の中にはさまざまな思いが渦巻いていた。

 志半ばで殺されてしまった無念、残してきた仲間のこと。

 そして、自分を殺したコボルトについての、やりきれない思い。

 体験した出来事と感情の吐露を、名も知らないオーディエンスはからかい混じりに、時には真剣なレスで応じてくれた。

 結果に満足し、それでもなんとなく寝付かれないまま、スレッドを眺めていた時、そいつはやってきた。


『もう一度あの世界に戻りたくないか?』


 そんな一文で話を始めた人物は、自分と直接対話をするためにチャット用のアドレスを用意していた。

 しかもアドレスやパスワードに、浩二の本名や生年月日を混ぜ込むという徹底振りで。

 もし、自分をからかっているのだとすれば、これほど手の込んだ、しかも悪趣味なことはない。何しろ、コンタクトを取ってきた相手のIDは、スレッドの七番目から書き込み始めていたのだ。

 匿名掲示板という性質上、本人の氏名や生年月日は基本的に伏せられるし、スレッドを立てるために行った手続きは、部外者には秘匿されているはず。

 それが漏れていると言う事は、明らかに異常事態だ。

「待ち合わせ場所に行った途端……暗殺とかされたりして」

 色々な思考が頭の中をぐるぐると回る。

 これが盛大な釣りで、夢と現実の区別がつかなくなった、アホな高校生を騙すための手かもしれないとも考えた。

 でも――。

「これは、アレだよな。リタイアしてからが、本当のシナリオの始まりって奴」

 もう一つの可能性。

 異世界に飛ばされたもの同士のコミュニティ、もしくは、神の存在に対抗する組織からの招待。


『逸見浩二か。こうして話すのは初めてだな』

『あんた一体誰だ。どうやって俺の本名とか調べたんだよ』

『そなたの動静はこちらでもマークしていた。……まさかあんな行動に出るとはな』

『やっぱり、俺ってハッキングでもされてんのか?』

『それを含めて、実際に会って話さぬか。実は明日、用事を片付けるため、そちらに行くことになっているのだ』


 チャットのやり取りは短時間で終わった。

 ネット上に分かりやすい痕跡は残したくない、相手はそれを理由に自らのアドレスを消去してしまった。

 捨てアカによる通信や、こちらの動向を把握した手腕、何もかもが妖しく、同時にぞくぞくするほど刺激的だった。

「やべ……すっげー、心臓痛てぇ」

 高鳴る胸を押さえる浩二を気遣うことも無く、電車は進む。

 やがて、流れすぎていくビルの看板が、有名な電気店の集団へと変わった。

 緑色の高架を渡り、電車がホームへと滑り込む。

 ドアが開き、すぐに発車前のベル音が鳴り始める。体に僅かな震えを感じながら、浩二は同じぐらいの歳の少年達と電車を降りた。

 柱に貼られた駅名表示板にある『秋葉原』の文字。

 総武線ホームへ向かう階段の裏、見えにくい場所にある降り口へ進み、一階の改札を目指す。

 待ち合わせは電気街口の改札、広告のある柱前。

 詳しい容姿は説明されなかった。こっちの姿を見たら、すぐに声を掛けるからとも言っていた。

「秋葉で待ち合わせか」

 始めは奇妙に感じたが、考えてみればこれほどベストの場所も無い気がする。

 これから話すのは、知らない人間が聞けばゲームやラノベの話としか思われない内容、木を隠すなら森ってことだろう。

 エスカレーターで一階に下りると、深呼吸して改札を目指す。

 広いエントランスフロアの先に、自動改札が並んでいる。脇を過ぎるチェック柄のシャツやパーカー姿の連中に混じり、浩二はスマホをかざして改札を通り抜けた。

 どんな奴が来るだろう。

 ここに来るまで妄想した、さまざまなことが頭を巡る。

 サングラスに黒服の厳ついオッサン? 

 同年代の美少年? 

 それとも――かわいい女の子とか。

「おお、よく来た」

 その声を聞いた時、浮かんだのは落胆。

 残念、女の子じゃない。

 そして浩二は、自分に近づいてきた相手を見て、拍子抜けした。

「寝不足の身でご苦労だったな」

 丸々と肥えた顔になつっこい笑み、生成りの麻で作られたジャケットとパンツは、内側からの圧力で膨れ上がっている。

 短く整えた黒髪と細いフレームのメガネ、肩に下げているのはノートパソコンの入ったバッグだろう。

 秋葉原では珍しくも無い、ちょっと歳の行ったオタクのオッサンが、そこにいた。

「えっと……その、誰かと間違えてないっすか?」

「察しが悪いぞ元勇者。いや、儂の見た目にがっくり来た、といったところか」

 そう言うと、男はさっさと街路に出て、ゲーセンや電気屋が立ち並ぶとおりに出て行ってしまう。

「ちょ、ちょっと!」

「立ち話もなんだから、そこらで一服しよう。とはいえ、この辺りは落ち着ける所が少ないし……どうしたものか」

 鈍重そうな体の割には、すいすいと歩いていく男。その背中にようやく追いつくと、浩二は不平をもらした。

「あんたが待ち人だってのは分ったけど、とりあえず名前ぐらい教えてよ」

「すまんな。久しぶりにこっちに出てきたので、礼儀を欠いていかん。では、これを」

 男の太い指がポケットの中に消えて、安っぽいアルミの名刺入れが取り出される。

 そこから一枚の紙片を取り出すと浩二に向き直り、丁寧に両手持ちで差し出してきた。

「経営コンサルタントをやっている山海佳肴やまみかこうと申します。以後お見知りおきを」

 一体何なんだ、コイツ。

 生まれて始めての名刺を受け取りながら、浩二はひたすら困惑するしかなかった。


「しかし、あんな誘いでよく来る気になったな」

 大通りに出ながら山海は、開口一番そんなことを言い放った。

「っざけんな! あんたが来いって言ったんだろ!?」

「だからといって、怪しんだりしなかったのか? これが何かの詐欺とか、罠の類ではないかと」

「怪しんだに決まってんだろ! 正直……やめようかとも思ったよ」

 山海は笑い、高架下の横断歩道前で止まる。こうして立っている姿を見ても、同じように並んで青信号を待っている、オタクの一人にしか思えない。

「それでも、ここに来たのはなぜだ?」

「教えてくれるんだろ、俺が知りたいことを」

 群集が一斉に動き、その流れと一緒に通りを渡る。

 男は頷き、こちらを横目で見た。

「好奇心は旺盛といったところか」

「……でなきゃ、カミサマにほいほいついて行ったりしねーよ」

「なるほど、その思い切りの良さが、勇者に選ばれた要因なのだろうな」

 どこから見ても、普通の人間でしかない男。

 でも、こいつは掲示板に、こう書き込んでいた。

 もう一度あの世界に戻りたくないか、と。

「何が聞きたい」

「え?」

「何が聞きたいのか、と言ったのだ」

 通り過ぎる電気屋の前で流される、新作ゲームのPV。その音量に発言をかき消されたと思ったのか、山海は丁寧に言い直した。

「……それは……その……」

「あの世界に戻る方法、か」

 胸の内を言い当てたというよりは、改めて確認したといった風情。山海は肥えた体で、器用に人ごみを縫いながら先を歩く。

「教えてやらんでもないぞ」

「……マジで?」

「マジで」

 信じられないほど簡単に、肯定が返ってくる。

 浩二は呆然と男の顔を見つめた。

「その代わり、いくつか条件がある」

「……まぁ、そうなるよな」

 この辺りは想定の範囲内だった。向こうに行く方法を知っている人間が、何の思惑も無しに自分に近づいてくるわけが無い。

「命をよこせ……とか?」

「いくつかと言ったろう」

 山海はそっけなくそう言うと、一棟の雑居ビルの前で立ち止まる。そこには、オレンジ色のひさしに店名が書かれたゲームセンターが入っていた。

「物には順序というものがあるし、儂の方にもそれなりの事情というものがある。それを満たすことから始めようというのだ」

「何をすればいいんだ?」

 狭い入り口に苦労しながら、山海の体が奥へと向かう。プライズゲーム筐体が並ぶ通路をすり抜け、地階に向かう階段の前で立ち止まると、男はにっこりと笑った。

「まずは、儂の買い物に付き合ってもらおう」

 山海の背後、階段の近くに、いかにもな感じの萌え系キャラが描かれた看板がある。

 オタクグッズ、特に同人誌を中心に置いているマンガ専門店。

「……買い物って、まさか……」

「最近ひいきのサークルが新刊を出したのでな。それと、ここにしか置いていない限定マンガ本を少々」

「ちょっとまてええええええええっ!」

 気がつけば、浩二は力いっぱい突っ込んでいた。

「いきなり大声を出すな。他の客に迷惑であろうが」

「いやいやいやいや! さすがに突っ込むしかねーだろ! なんでさっきの流れで、同人誌買うってことになるんだよ!」

「言っておいたであろうが。今日は用事を片付けるためにこっちへ来ると」

 確かにそんなことを言われた気がするが、なんか違わないか!?

 大体今日は異世界の話とか、カミサマのゲームの真実とか、そういうもろもろの話が解き明かされる展開じゃないのか!?

 いくつもの思いが嵐のように駆け巡り、浩二は何とか二の句を接いだ。

「まさかとは思うけど、用事ってこれだけ?」

「そんなわけあるまい。こう見えて儂は忙しいのだぞ」

 えっへんと胸を張り、山海はスマホを取り出して確認を始める。

「ゲーム用PCに使うグラボと、自炊した書籍を放り込んでおく安いサーバマシンを買う予定がある。身内から頼まれていた古いゲーム基盤をいくつか探さんといかんし、そろそろこのスマホも新しいのに変えようと」

「ただのオタクの日常じゃねーか!」

「馬鹿者。更にその後カードゲームショップに寄って、時間があれば神保町で古本を見て回るつもりだ」

 なんだか急に頭が痛くなってきた。寝不足の疲れがどっと肩に乗り、目眩すら感じる。

「ほれ、行くぞ」

 こちらの葛藤など知りもせず、狭い階段を降りていく山海。

 浩二に出来たのはため息をつきつつ、その後を追うことだけだった。


 宣言どおりに、山海はさまざまな店を回っていった。

 裏通りに面したパーツショップやパソコンの専門店を回って、仔細らしくスペックを調べたり、浩二が入ったことも無い、地階にある基盤屋の店舗へと足を踏み入れていく。

「……あんた、この辺りにはよく来るの?」

 その真剣な様子に声を掛けそびれ、結局話を再開できたのは、これも狭い雑居ビルに入ったカードゲームショップに来た時だった。

「仕事が忙しいから、頻繁にというわけではないがな。このところ余計な折衝も増えてしまったので、気晴らしもかねておる」

「ふーん?」

 ガラスケースの向こうに飾られているさまざまな種類のカード。その内の一枚の名前を確かめると、山海は単品買いの注文をするべく、申し込み用紙に記入していく。

「カードゲームもやるんだ」

「ゲーム全般に手を出しておるがな。これは知り合いに見せる用だ」

 大きなえりまきのようなヒレが付いた、ドラゴンのカードを太い指が示す。

「そなたの顔によく似たイラストがある、と言ったら、是非見たいと言われてな」

「ひでーな、怒るぞそいつ」

「かもしれん。自尊心の高い奴だからな"自分はもっと知的で神々しい"とでも言うだろうよ」

 楽しそうに笑うと、山海は目的の物を手に入れ、ほっと一息をついた。

「さて、そろそろ昼時だな。何か食いたいものはあるか?」

「特には」

「ラーメンでも構わんぞ」

「夜食で食ったからいい。それに秋葉だと高いし」

「そうか。では、ちょっと場所を変えよう」

 たっぷりと戦利品を抱えて、山海はもと来た道を辿りなおし、駅へと戻っていく。

「どこ行くんだ?」

「儂のホームグラウンドだ」

 浩二は導かれるまま、総武線のホームへと向かい、再び電車へと乗り込む。山海の方はスマホとにらめっこを始めていた。

「なあ……あんたってさ、何者なんだ?」

 盗み見るように、メールチェックをしているらしい姿を視界に入れる。

「……そなたは、どう思う?」

「俺?」

「そなたの目に、儂はどんな風に映る?」

 元々、霊感とかはない方だし、あんな異常な体験をしたからといって、特別な力に目覚めたという感覚もない。

 そんな凡人の目から見えるのは、単なる太ったオッサンでしかない。

 貰った名刺どおりの仕事をしているといわれれば、それまでだ。

「ただのオッサン、かな」

「ふ。それはすばらしい」

 タップ一つで作業を終えると、山海はドアへと歩み寄る。

 つられて浩二もホームに降り立ち、駅名を認めた。

「水道橋……って、初めて来たよ」

「では、行こう」

 長いホームの端から降りると、改札口はすぐそこだった。

 駅の外、高架で陰になった歩道に出ると、山海が左を指差す。

「あちら側に行くと遊園地とドーム球場がある」

「え!? マジで! こんな近かったんだ」

「そして、儂らの行くのはその反対」

 太い指が右を示し、

「親子連れやカップルの群れに背を向けて、向かうは醤油で煮しめたような、古本の群れ集う町だ」

 おかしそうに笑うと、さっきよりも軽い足取りで太った体が進んでいく。

「ホームグラウンドって言ったけど、どういう意味?」

「そのままさ。儂は本の方が好きでな。こちらへ来る時は必ず立ち寄る」

 車道の脇に通る歩道は、日差しをさえぎる並木のおかげで、かなり過ごしやすい。歩いていくうちに、レストランやコンビニに混じって、小さな古書店が目に付き始めた。

 軒先に並ぶ本には、少し古くなった背表紙や大学入試のための赤い参考書が目立つ。

「元々は、大学生の書籍を商っていた店が集まって出来上がった場所だ。海外でもこの規模の古書店街は例が無いと言うぞ」

「へぇ……」

 そんなことを言っていると、山海は白い暖簾にガラスの引き戸の店を見つけ、ふらりと中に入ってしまう。

「お、おい!?」

「昼飯を食いに来たのだろうが。ああ、ここは儂がおごってやるから、好きなものを食うといい」

 店の中には煮立った油が漂わせる熱気があり、白木のカウンターに座って黙々と、とんかつを食べる人間たちがいる。

「ロースかつ定食」

「お……俺もそれで」

 やがて、出された定食を目の前に、山海は箸を動かして食べ始めた。

「……これも、あんたが言う条件か?」

「腹は減っていないのか?」

「そういうわけじゃ、ないけど」

 少し舌に熱いしじみ汁をすすると、浩二は投げやり気味に言葉を継いだ。

「あんたは、あのゲームのことを教えてくれるために、俺を呼んだんだろ」

「まあな。それと、そなたにも興味があった」

「……俺に?」

「実はな、異世界の勇者と、こうやって話すのは初めてなのだ」

 一瞬言葉の意味を掴みかね、それから浩二は、すりゴマとソースの入った小さな鉢にトンカツの切れ端を置いた。

「……それなら、どうやって俺のことを知ったんだ?」

「どうしてだと思う?」

「はぐらかすなよ!」

 荒げた声に、一瞬店内の視線がこちらに集まる。山海の手が、少し大げさな動作で浩二の背中に置かれた。

「とにかく今は飯を喰え。腹が減っては戦が出来んのは、あの山で体験済みだろう?」

「……ああ」

 浩二はソースがたっぷりついた肉を口に運び、そのまま白米を手を出そうとした。

「トンカツで思い出したが、あのコボルトの食べていたのは鹿肉だ」

「――え?」

 掛けられた言葉に、すべての動作が止まる。

「良く肥えた雄鹿だ。奪えれば話は違っていたかもな」

 胃袋がきゅっと縮こまり、背筋に怖気が走る。

 昨日、コボルトの食べていた肉の種類は、分からないとだけ書き込んだはずだ。

 想像力で言ったにしては確信がありすぎる。それともこれはペテンで、自分をだまそうとしているだけなのか。

「なあ……一つ聞いていいか」

「なにかな」

「あのゲームって、観客は居たのか?」

 山海は一口茶をすする。すでに彼の皿は空になっていた。

「遊戯の参加者にはさまざまなリスクが課せられる。その中で最も大きなものは、賭けに使った所領と信仰の剥奪。そして、永きに渡り、敗北者の黒き像として飾られることだ」

 答えにならない返答。

 だが、その話は聞いていた。敗者の末路を、あの金ぴかが嬉しそうに語ってくれたから。

 浩二は箸を置きながら、目の前の人間を、いや人の形をしたものを見つめた。

 最初に出会ったときの印象そのままだ。どんなに目を凝らしたって、太った体に丸い顔は変わらない。

 足元に置かれたオタクグッズも、電車の中でスマホを弄っていた姿も、全てが見たままだと告げている。


『ただのオッサン、かな』

『ふ。それはすばらしい』


 それはすばらしい、山海はそう言った。

 つまり、それは、そう見えることが、

 そう"見せかけられていること"が、すばらしいと言ったのか。

「出ようか。ここは食べ終わったら出るのがルールだ」

 穏やかな声でそう言うと、山海は荷物を持って店を出て行く。払いを済ませていたらしいことに、遅まきながらに気がついた。

「……あんた、何者、なんだよ」

 やけにまぶしく感じる光の中、浩二はようやくそれだけ搾り出す。

「そなたには、どう見える?」

「あんたは…………」

 喉が思うとおりに動いてくれない。

 たった一言、尋ねればいいだけなのに。

 ゼーファレスに呼ばれたとき、緊張もあったが、こんな風にはならなかった。

 あまりにも唐突で、現実離れしていたから。

 でも、この日曜の昼下がり、トンカツ屋から漏れ出す油の香りを背景に、ただ立ち尽くす太った男へ、その一言を投げることが、ひどく難しい。

 ややあって、錆びた声帯がようやく言葉を紡ぎだした。

「……カミサマ、なのか?」

「いかにも」

 背筋を伸ばし、顔を心持引き締めると、厚い唇が真実を口に上せた。

「我が名はエルム・オゥド。"斯界の彷徨者"にして"万涯の瞥見者"。先の戦い、楽しませてもらったぞ、"審美の断剣"ゼーファレス・レッサ・レーイードの勇者よ」

 体が震えている、疲れが押し寄せてくる。信じられない思いで、浩二は名乗りを上げた神を見た。

「少し歩こうか」

 神秘の欠片もない、丸い体が先に立つ。

 まるでぬるい水の中でも泳ぐように、浩二は薄らいだ意識のまま、その背中を追った。


「そもそも、私が神様ですという格好で、人の世を出歩けるわけもなかろう」

 浩二の意識が現実に戻ってきたのは、山海と一緒に古本屋を廻り、地階の喫茶店に入ったときだった。

「ゼーファレス辺りであれば、自分の体に魅力だの光輝だのを引っ付けて、人間どもの目を釘付けに、代官山か青山辺りを闊歩してもおかしくはないがな」

「ま、まあね」

 いつの間に頼まれていたのか、目の前のテーブルにはお茶の入ったポットと抹茶のシフォンケーキが置かれている。

「そういう見栄っ張りは、若いうちは楽しいのだがな。トラブルの種になるし、何より他の神がうるさくて敵わぬ」

「やっぱ、カミサマって一杯いんのか。って、あんた何歳なんだ?」

「人の齢で言えば、一万を越えた辺りか。ただ、神界と人間の世界は相対時間が違う。観察者の場所によっては、十万とも百万とも捉えられるだろうな」

 ホラ話もここまで吹ければ大したものだろう。とはいえ、自分の妄想に過ぎないはずの神の名前と、その銘すら口にして見せたとすれば、信じるより他はない。

「カミサマの癖にスマホとかパソコンとか使ってんの?」

「こういう工芸品の類は、そなたらの感覚で言えばアンティークに近いものだ。別の世界に行けば、もっといい記憶媒体もあるのだが、儂はこのぐらいの技術レベルの品が好きなのでな」

「……あんたは、ゲームに参加しないのか」

 浩二の質問に、山海は曖昧な笑みを浮かべた。

「半ば禁じられている、といったところか。遊戯に参加する神格によっては、その強さに枷が掛けられる。儂にとってその枷は大きすぎるのだ」

「つまりあんたは、ものすごく強いカミサマ、なんだな」

「……役に立たぬ強ささ」

 初めて、その丸顔に曇りが掛かった。

「そなたらの感覚で言えば、儂の強さは核兵器と同義だ。威力はあるが、使えば反目と、徹底の抗戦だけしか呼ばぬ」

「チートキャラなわけね……俺も人のことは言えなかったけどさ」

「チートか。確かに、そうかもな」

 山海は紅茶をすすり、自分用に頼んでおいたマフィンを手で割った。

「確かに、チートを使えば、その瞬間はすべてのプレイヤーの上に立てるだろう。だが、ゲームというのは参加者が等しく楽しめることを前提にしたもの。そのグランドルールを破るものの末路は、哀れなものだ」

「垢BANか。そんで出禁になる、と」

「はは。まぁ、そんなところだ」

 薄いベージュがかったバラのジャムを塗りつけ、マフィンを口に運んでいる男は、どこか寂しそうな表情だった。

 ネットゲームでやんちゃをした人間の末路、そんなものを語ることの意味を推し量る。

「なんか、やったの?」

「やる前に、チートと言われたのさ。だから、まともにゲームへ参加することすら、できんのだ」

「ふーん……」

 自分の能力も相当なチートと思ったが、それを授けたゼーファレスを超えた強さを持ち、そのせいで参加できないという存在。

 その彼が自分に接触した理由とは、なんだろうか。

「俺を利用して、何かする気なのか?」

「少なくとも、目的の一つは果たした。そなたと会話することだ」

「……俺と?」

「勇者になった少年がどういう存在なのか、この目で確かめたかったのさ」

「一つ、っていうことは、まだあるんだよな?」

 質問に答える代わりに、大きな口の中にマフィンを消し去ると、山海はバッグの中から一枚のタブレット端末を取り出した。

「実は、先ほどから呼び出しが掛かっていてな。どうやらサリアの奴め、儂を引っ張り出す気らしい」

 見たこともないブラウザが立ち上がり、どこかで見たような動画サイトに繋がる。太い指が"生放送"をタップ、映像が映し出され始めた。

 その向こうに見えるのは光差す庭と、異形の姿をした、どう見ても神としか見えない連中の様子。

「うちの若いのに命じてな、生で映像を送らせている」

「なんでこんなとこに投稿してんだよ! 他の人間に見られたらどうするんだ!」

「心配するな。儂と、関係者のアカウント以外は弾かせておるから」

 向こうの景色は、かなり慌しい感じだった。屋根のついた休憩所のようなところを中心に、カミサマが寄り集まって騒いでいる。

「"今北産業"っと」

「古っ」

 打ち込んだコメントが画面を流れすぎた途端、どっと返信コメントがあふれ出す。

"メール読んだでしょ!すぐ帰ッテ!"

"サリア様が何回も来ましたよ!取次ぎする身にもなってください!"

"うちの主様は働かなくて困る"

"もうオタクの神様になっちまえ!"

「なんか、怒られてるぞ」

「……ちょっとの間、現場のあれこれを部下に任せていただけなのだがなぁ」

「任せたってどのくらい?」

「ほんの百年くらい」

 神の世界は相対時間が何とか言っていたが、コメントの流れ方からすれば、かなりの事態だったんだろう。

「ちゃんと謝っとけば?」

「むう。あの程度で文句とは……"おこなの?"っと」

 その後しばらく、画面上は真っ赤に染まった。怒りと抗議の文言で。

「おこらしいな」

「いや、そりゃ怒るだろ。てか、オッサンがおことか無いから、キモイから」

「激おこー」

 などと言っている間に視点は草地の上に下り、休憩所の中心に浮かんだ水の板のようなものに向けられる。

"現在、サリア様の勇者、シェート殿は、エレファス山脈の南端にて交戦中。敵は百余名の勇者です"

「ちょ、ちょっと待て、シェートってあのコボルトだよな……百名ってどういうことだよ」

「そなたに勝って後、あのものは大陸中の勇者達に狙われることになった」

 水の向こうにはさらにもう一つの映像、森林の中を駆け抜けていく、マント姿のコボルトが居た。

「コボルトは大レベルアップを果たし、経験点を蓄積した。サリアはゼーファレスの所領を手に入れた。その全てを奪うために、神々が共闘して襲い掛かっているのだ」

「それが……これ、なのか?」

 光り輝く魔法の矢をマントで叩き落し、追いすがる敵に矢を射掛ける。

 映像は音までは伝えないが、その場の空気は痛いほどに分かった。逃げながら隙を探り、何かを待つようにひた走る小さな魔物に、勇者が追いすがっていく。

「なるほど。イヴーカスと共闘をしておるのか……サリアもよくよく、危ない橋を渡るのが好きと見えるな」

「誰、そいつ?」

「目下のところの台風の目だ。この場に居るすべての神、サリアも含めた一切の存在を、まとめて喰らおうとしている」

 注釈の最中、コボルトは逃げるのを止め、棘の生えた鞭のような武器を振りかざし、勇者の群れへと踊りかかる。

 無茶だ、そう呟くよりも早く。

 残酷な武器が振るわれ、首を裂かれた勇者が無造作にうち捨てられた。

 一切のためらい無く敵を滅ぼす姿に、包囲がひるむ。

「……こいつ、強くなってないか?」

「それはそうだろう。お前がいなくなった後も、こやつは戦い続けたのだからな」

 浩二は、改めて画面を見つめた。

 元はただの弱い魔物だったはずだ。一度はこの手で殺して、何度も打ち払った。

 なのに自分は追い詰められ、殺された。

 そして今、こいつは百人の勇者と渡り合っている。

「コボルトを勇者にした女神って、どんなやつなんだ」

「サリアーシェ・シュス・スーイーラ。"平和の女神"と称されている」

「ゼーファレスの妹ってことは、ものすごく強いのか?」

「あやつは廃神、消滅寸前の最弱の神よ。ただ、ゼーファレスの所領を得た今、廃れは免れたがな」

 山海の言葉をかみ締めて、浩二は言葉を搾り出した。

「俺は……そんな奴らに負けたのか」

「そうなるな」

 コボルトの目の前で爆発が花開く。奇妙な人形をけしかける勇者の力にひるみながら、それでも一歩も引かずに戦い続けていく。

「なんで、こいつは……こんなに、戦えるんだ」

「なぜだと思う?」

 コボルトの戦う理由なんて、分かるわけが無い。

 自分と戦った時は、仲間の敵討ちという目的があったはずだ。だからこそ、あんな動きができたんだと思う。

 だが、モチベーションの源である自分は、もういない。こいつに戦う理由があるとすれば、身を守るためだ。

 それでも、周囲は敵ばかりで、空も陸も、勇者の力が覆いつくしている現状。

 いつ投げ出してもおかしくないのに。

 それでも立って、戦っている理由は、なんなんだろう。

「お……おいお前っ! 足元っ!」

 剣と鞭をあわせたような武器に押さえ込まれたコボルトの足元、忍び寄った人形が爆発した。

「あ……ああ……」

「やはり、一人では無理か」

 足を押さえて地面に転がるコボルトを、勇者達が取り囲んでいく。

「なにやってんだよサリアってのは! こいつに何の加護もやってないのかよ!」

「一応、レベルアップ分で魔法封じの破術と、全体的な能力の向上は行ったがな。それ以外は、なにも」

「ゼーファレスの持ってた物を手に入れたなら、色々できんだろ!」

「あやつは頑固でな。世界を生贄として捧げる加護は使いたくないと抜かしたのだ」

 いつの間に頼んだのか、山海はサンドイッチとミルクティーを楽しみながら、平然と言ってのけた。

「世界を……生贄に?」

「知らなかったのか。そなたの鎧や剣、魔法の腕輪はな、他の世界、その地に住む人間の血と、肉と、魂を抵当に創られたのだ」

「……なんだよ……それ」

 カップの向こう側から、神は魂すら透徹する視線でこちらを見やった。

「捧げられた存在は、遊戯における結果の影響を受ける。その勇者が盛況であればその存在は隆盛するが、道半ばで倒れれば……大きな不利益を被る」

「なんで、そんな……」

「力を得るための対価だ。それだけのものを払うからこそ、あれだけの力を奮える」

 そんなことは、一言も告げられなかった。むしろゼーファレス自身、捧げるものがなんであるかなど、一切気にしていなかったのだろう。

「……俺の、壊された鎧に、捧げられてた奴らは?」

「知らぬ。不利益が一極集中せぬよう、抵当に捧げる範囲が広く取られておるからな。だが、決して幸せな生活は送ってはおらぬだろうよ」

「なんで……そんなことまでして、あんなゲームやってんだよ……」

 画面の向こうで、コボルトが武装を捨てさせられていた。

 武器を手にそれを眺める勇者は、誰も彼も、面白そうな顔で、様子をうかがっている。

「神話が必要だからだ」

「神話?」

「神を崇める物語。信仰を集め、自らの力を高めるためのプロパガンダ。そのために、勇者が魔を滅ぼす物語が創り上げられる」

 コボルトの腰から、山刀が引き抜かれ、地面に捨てられる。自分の首を断ち切り、元の世界に戻した一振りが。

「じゃあ、魔族ってのは、あんたらがでっち上げたのか?」

「魔族は実存の存在だ。しかし、彼らとまっとうに戦えば、手に入れるべき世界が砕けてしまう。そうならぬために、神と魔が協定を結んだ結果でもあるのだ」

 完全に武装を取り除かれ、服だけになったコボルト。脅すように突きつけられた剣が動き、その手がのろのろと肩に掛かる。

「なんなんだよ、それ」

 浩二は、ようやくそれだけを口にした。

「それが真実だ。ただ一人の勇者を決め、その者が魔王を滅ぼす、そう定められたゲーム」

「ふざけんな」

 その言葉に、目の前で繰り広げられている事態に、言葉が自然と湧いて出た。

 勇者と名のつく連中が、一匹のコボルトを囲んで殺そうとする姿が目に焼きつく。

 そして、小さな魔物は、動いた。

「な……っ?」

 一瞬、体がくの字に折れ、黒い影が目の前の蛇腹剣を構えた少年に襲い掛かる。

 首から血を流しながら、それでもコボルトは手にした紐で相手を切り裂き、飛来した魔法の力を、包囲していた人形の爆発で吹き飛ばす。

 奪い取った蛇腹剣が魔法の光を打ち砕き、打ち出された無数の剣を、自らの体をおとりに、人形遣いへ誘導。

 包囲した勇者達が呆然とする中、味方の剣に貫かれた一人の少年が、金色の光と共に送還されていく。

 コボルトは剣の林に立ち尽くし、周囲を睨みつけた。

「さて、いつまでここにいても始まらぬな」

 そう言って、山海はタブレットをしまう。

「な、なんだよ!? まだ終わってないぞ!」

「その通りだ。ゆえに、もう時間が無い」

 払いを済ませると、足早に男が地上へと戻っていく。さっきまでとは違い、本当に焦ったような調子で。

「サリアの奴は、儂の助力を当てにしている」

 路地を抜け、大通りへと向かいながら話を続ける。 

「どういうことだ?」

「おそらく、イヴーカスの勇者は、百人の勇者を倒せる秘策を持っているのだろう。サリアはそれを見越し、自らをおとりとした」

「そのイヴーカスってのに他の勇者を倒させて、一対一になるようにするつもりなのか」

「その上で、儂の助力を得て、勝つ気でいるようだな」

 山海はこちらに振り返った。

 その背には、駅からの道と靖国通りが交差する十字路が見える。

 行きかう無数の車と、歩道を歩く人々の群れを暮れてゆく日の光が照らし、濃い陰影をまとわせていた。

「逸見浩二よ、そなたに問おう」

「な、なんだよ……改まって」

「そなたは、なぜ向こうに戻りたいのだ?」

 その顔はすでに笑っていなかった。

 急速に、山海の雰囲気が変わっていく。

 柔和で、どこにでもいそうな男は消えて、肌を刺すような威圧感が漏れ出していく。

 重い空気の中で、それでも口を開いた。

「最初は、できれば戻れたらいいなって感じだった。途中でリタイヤしたのが悔しかったし……向こうの生活は、こっちと違って面白かったからさ」

 だが、今日という日の終わりに、浩二は知った。

 楽しいゲームの裏側にある現実を。 

「あんたの言ったのが本当なら、誰かを犠牲にしてまで、俺が勇者をやる意味なんて……あるのかなって」

「では、もう戻りたくないと?」

「……わかんねぇよ。いきなり色々言われて、頭の中ぐちゃぐちゃで……でも」

 思い出す顔がある。

 一匹の魔物の、怒りをむき出しにした表情。

「この二週間ずっと、あのコボルトのことばっか、考えてた」

「憎んでいるのか?」

「……違う、と思う」

 最初は憎しみがあった。

 傷つけられたことへの怒りもあった。

 でも、最後に自分の心を占めた感情は。

「わからなかった。何であいつは、俺に怒ったのかって」

「そなたはあやつの仲間を、家族を、恋人を殺したのだぞ」

「それが、分からなかったんだよ」

 ああ、そうだ。

「俺は、あいつを魔物だって思ってたから、そう聞かされてたから……だから」

「情愛なども持たない、人間を滅ぼすだけのシステム、倒すべき相手、ゲームの駒だと」

 そう思っていたんだ。

 だから、最後まで、自分は当惑しかできなかった。

 どうしてこのゲームは、こんな理不尽で終わるのかと。

「今は、そう思えないか?」

「……うん」

「言っておくが、たとえ情愛をもつ存在であれ、コボルトは魔物だ。殺し、滅ぼし、糧とするべきゲームの駒であり、『勇者』という肩書きがそれを肯定している」

 山海の言葉は厳しく、同時に労わるような声音さえ含んでいた。

「勇者とは神の代言者だ。彼の者の為すこと、一切が神の意思なりと」

「無力な相手を、一方的に殺すこともかよ」

「魔物は悪だ。それを滅ぼすことに、何の問題がある」

 確かに、それはそうだろう。

 事実、魔物は虐殺を行い、大地を汚染して人々を苦しめていたし、浩二もそれを知っている。

 勇者は正義の味方であり、魔物は敵役。

 それがあの世界の約束事のはずだ。

「中途で終わりはしたが、そなたの成した事は、世界を平和に導く行為であることに変わりは無いのだぞ?」

「じゃあ、何で! 俺はこんなに、もやもやしてるんだよ!」

 山海の言葉に、胸のざわめきが強まっていく。

「そんなこと言われなくても分ってんだよ! 魔物を殺すのが勇者の目的で、そうすれば世界が平和になるってのも! でも……」


『お前に奪われた俺! 一番納得、いかないんだ!』


 あの時の声が、その思い込みを打ち砕いてしまう。

 考えに疲れ果て、浩二は地面に視線を落とした。

「……聞いてもいいかな」

「なんだ?」

「勇者が魔王を倒してさ……本当に、世界に平和が来るのか?」

 山海は瞑目し、おもむろに口を開いた。

「そなたはどう思う」

「……またそれかよ」

「では、儂にどうしろというのだ?」

 見上げた山海の顔は、穏やかに凪いでいた。感情の波が失せ、ただ純粋に、浩二に問いかけていた。

「ずっと言ってきたではないか。神は善で魔物は悪、魔物を滅ぼす勇者の行動は、全てが肯定されると」

「あ……」

「それで納得できぬと言うお前に、何を言えると思う?」

 そう言うと、山海は何気ない様子で車道へと歩き出す。

 警告しようと思った浩二の感覚が、ようやく異常に気がついた。

 周囲から、人が消えていた。

 人だけではない、大きな交差点には一台の車も走っていない。世界には色があり、夕日は赤々と、ビルの間から差し込んでいる。

 いつの間にか、世界は無音になっていた。

「さて、ここらで、儂の立場についても話しておこうか」

 山海は、無人の交差点の真ん中に立ち、声を上げた。

「先ほども言ったとおり、儂は遊戯に参加することを半ば禁じられておる。我が神格と所領、そして信者を捧げた時に与えられる加護が、あまりにも多いがゆえに」

 その声にあったのは、自嘲。

 持てる者であるがゆえに、何も出来ない者であることへの。

 ごく軽い調子で語る言葉には、かすかな憤りすら漂っていた。

「そして、儂の助力を得んとすることも、他の神々は考えてこなかった。なぜなら、それもまた衆目を集め、遊戯における不利にしか働かぬからだ」

「……それが、俺とどう関係があるんだ?」

「儂とそなたには、契約の余地がある、といっているのだ」

 神は、力強く笑った。

「そなたには、あちらの世界へ戻る動機がある。自分の成したことの意味、勇者という存在の意味、そしてあのコボルトの存在の意味を知りたいという、欲求が」

「それを叶えてくれるとして、あんたは俺に何を期待してるんだ?」

「これから始まる事態のために、そなたを利用したい。儂の楽しみを満たし、願いをかなえるために」

「ずいぶん、きっぱり言うんだな」

 山海は笑い、頷く。

「儂は詐術は好かぬ。多くを語ることは出来ぬが、明かせるだけの真実くらいは提示するつもりだ」

「"聞かれなかったから答えなかった"なんて言いださないだろうな」

「それは、そちらの質問次第だな。契約を結ぶという行為には、それなりの知恵と狡猾さを要求されるのさ」

 つまり、この場で質問できることは、質問しておけということ。

 浩二は考えながら、口を開く。

「俺はあんたの勇者になって、ゲームに参加するのか?」

「まあ、そんなものだ。しかし、そなたは一度リタイアしているし、遊戯の途中参加は認められぬ。よって、裏技を使うことになるがな」

「あんたの楽しみってのは?」

「儂はな……部外者で居ることに、飽きたのだよ」

 飽きた、という言葉が、重さを持って吐き出される。

 考えてみれば、このカミサマは自分でもゲームをやるといっていた。仲間はずれにされたという気持ちが、こちらでの徘徊という形で発散されているのかもしれない。

「それじゃ、あんたの願いって?」

「友を助けることだ」

 端的で、意外なほどな真摯さを込めた言葉。

 さっきの一言と同じか、それ以上の意味を持つ響きに、浩二は瞠目した。

「カミサマが、そんなこと言うなんてな」

「神とて朋輩はあるものさ。むしろ、そなたらよりも多くの、しがらみを抱えているやもしれん」

 会話の流れから言って、友というのはサリアという神のことだろう。女神といっていたが、何か関係があるんだろうか。

「そいつって、あんたの恋人?」

「世の中が、万事そのような関係で動いていると思うのか? とすれば、そなたはまだまだ青臭いということだな」

「ちょっと聞いてみたかっただけだろ。そんなにムキになってるところを見ると、意外にまんざらでもなかったりする?」

「あやつと儂は元の種族からして違う。そんな感情、起こす方がどうかしているわ……質問はそれだけか?」

 どうやら、はぐらかしの時間は終わりらしい。

 浩二はためらいながら、一番重要な質問を口にした。 

「……俺は、こっちに帰ってこれるのか?」

「そなた次第だな」

 言葉は穏やかで、それでも厳しい響きを含んで流れる。

「儂には参加権がない。つまり直接の加護で助けることはできぬ。そして、出立前に強力な力を持たせてやることもできんのだ」

「前みたいなチートは期待するな。レベル一の"こんぼう"と"ぬののふく"で頑張れ、ってことか」 

「しかも、残機もコンティニューも無い状態でな」

「死んだら、俺はどうなる?」

「なんとしても生きて帰って来い。儂に言えるのは、それだけだ」

 ため息をつき、投げられた事実を反芻する。

 あの時はゲーム感覚だった。死ですら遠い事象でしかなかった。

 でも、今度は本当に、命をかけた冒険になる。

「最後に、今ひとたび問おう」

 こちらの心を察したように、山海は口を開く。

「逸見浩二よ、あの世界に、もう一度行く気はあるか?」


 交差点の真ん中に、神が立っている。


 ずっと悩んでいた。

 あの異常な体験を、その結末を、どう扱えばいいのか。

 自分が何をしたのかを。


 目の前の神と契り結べば、真実がわかるかもしれない。

 そのために払う対価は、命。

 もちろん、下がることはできる。

 その代わり、このもやもやを解消する機会は一生無いだろう。


 神はただ立ち尽くし、答えを待っている。


「行くよ」

 浩二は、答えを口にした。

「よかろう」

 その言葉を最後に、山海の体が溶けるように消える。

 そして、それは姿を現した。

「あ……!」

 音も無く、風も起こらず、それでも圧倒的な存在感と共に顕現したもの。

 力強く大地を咬む四肢、引き締まった長い胴体としなやかな尾、その体をみっしりと鎧う黄金の鱗、優美な曲線を描いて背から生える一対の翼。

 長い口吻を備えたいかつい顔に白い髪、その間から伸びる黒く太い双角。

 その全てが巨大だった。交差点をその全身で覆いつくし、ビルの三階くらいの高さになった視線で、こちらを見下ろしてくる。

「ドラゴン……だったのか」

「驚いたか?」

「ああ……」

 山海というかりそめを捨て、竜神となったエルム・オゥドは、まなじりを優しげに緩めた。

「では、そなたに裏技を施すとしようか」

 鋭い牙の生えそろった大顎が、ぱくりと開いていく。

「ちょっと……何するつもりだよ」

「少し痛いが、我慢せよ」

「え!? バカッ、やめ――」

 ドラゴンの顎の奥が、白熱する。

 ほとばしる奔流が、浩二の体を飲み込んだ。

「うああああああああああああああああっ」

 熱があらゆる細胞に染み渡り、痛みが自分の意識を白濁させる。

 骨がきしみ、肉が歪む。逸見浩二という存在の一切が、巨大な手でこねくり回されて行く。

「あがあああああっ、あっ、あくうああああああっ」

 まともに立っていることも出来ず、跪こうとした足に、強烈な違和感を感じる。

「な、なんだ、これ」

 クリーム色のごつい爪が、三本生えた足は青い。

 靴どころかズボンすらはいていないのは、ブレスに焼かれたからとしても、自分の体はこんなじゃなかったはず。

 光が収まるにつれて分っていく変化。足どころか体も腕も青い、手指は五本だが、爪は硬くて長かった。

 そして、背中に獲得した新たな感覚が、より一層気分を混乱させる。

 自分の意思で動く器官の一つは、おそらく尻尾。アスファルトをこする感覚が肌に気持ち悪い。

 もう一つは、想像だにしなかった部位。人間には絶対に備わるはずの無い、翼だ。

 新たな腕のように、左右の関節が自分の意思で動き、伸ばしたと同時に、折りたたみ傘でも開いたような、皮膜の張る感触が伝わった。

「お、俺に、何したんだよ!」

「逸見浩二という存在を、そのまま連れて行くわけには行かぬからな。そこで、そなたを我が眷属の末、一匹の仔竜へと転生させたのだ」

「元に戻れるんだろうな!?」

「安心せよ。生きて帰ってくれば、ちゃんと戻してやる」

 生きて帰ってくれば、その一言に気分を重くしながら、浩二は自分を見直す。

 まるで変わってしまった自分の体が、意外にしっくりなじんでくる。これも竜神の力によるものなんだろうか。

「さて。そろそろ行くぞ、フィアクゥルよ」

「……なにそれ?」

「そなたの新たな名前だ。人間の名など名乗れるわけはあるまい」

「何か、意味とかあるのか?」

 前肢を差し出しながら、竜神は笑う。

「"空を統べるもの"あるいは"光と闇を孕むもの"、無理に人の言葉に訳せばそうなる」

「む、無駄に壮大な名前だな」

「親心と思って受け取っておくが良い。さ、しっかり掴まっていろ」

 暖かい体に引き寄せられ、仔竜は竜神にしがみ付く。

 黄金の竜は喉を反らし、顔を天に向け、


『v――――――――――――』


 高らかに啼いた。

 言葉でも咆哮でもなく、純粋な音。その波は大気を、大地を、建物を磨して広がり充ちていく。


『v――――――――――――m――――――――――』


 こえにあわせ、するりと巨体が天へと舞い上がる。

 翼を広げ、自らを囲む全てが群れ集い、竜神の体を空の高みへ押し上げていく。

「あ……ああ……」

 染みてくる、新しい体を通じて、音が染みていく。

 竜神の聲が角に染み入り、骨が震えていく。

 浩二の心の中に、風が吹き込んでくる。

 見る間に大地が離れ、視界が高みへ昇る。ビルがあっという間に下になり、交差点が黒い線の交わり程になっていく。

鳴唱めいしょう

 まるで大気そのものが喋っているように、竜神の聲が心に響いてくる。

『万物の発する聲を用いて行う業だ。精霊たちの言葉にして竜の息吹。そして、自然と心を通わせる術者が、覚束なくも操る諸元の音色』

「ああ……」

 体が透き通って、軽くなっていく気がする。吐き出す息、吸い込む働きすら、風の一部になるような、心地よい開放感。

 生まれた場所が遠くなっていく。

 夕暮れに照らされた町並み、巨大な竜が飛び去ったことも知らぬまま、これまでと同じ営みを続ける世界が。

『ああ。しまった』

 陶然としていた仔竜の心に、残念そうな竜神の聲が届く。

「どうかしたのか?」

 竜神の爪が地上を指差す。すでに豆粒ほどになった電気屋街の外れにある、橋向こうのビルを。

『うちの連中が、あそこのカツサンドが好きでな。せっかくだから買っておけばよかった』

「……ふ……」

 仔竜は口元を緩め、弾けたように笑い出した。

「あはははははは、カツサンドって、ドラゴンがカツサンドかよ!」

『はははは、そう言うな。竜種は万事に貪婪なもの。人の世の奢侈しゃしは何でも好きなのさ』

「そんなに好きなら、秋葉に住んじまえよ! ったく、くだらねー!」

『そうだな! いっそのこと、そうするのも良かろうな!』

 雷鳴のような笑いを立てて、竜神が空へと昇る。

 藍で染まり始めた天蓋の先を、新生した仔竜が見晴るかそうと首を伸ばす。

 そして、彼らは天のはるか高みへと、消えた。


ということで、三部に続く第二部の挿話、終了です。

引き続き、明日から第三部を掲載する予定ですので、よろしくご愛顧のほどをお願いします。それでは。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ