15、モンスターバトル
巌のような竜神の巨躯に対して、それでも目の前のイヴーカスは、怯んだ様子も無かく不満の声を上げた。
「余計な繰言を述べるのは止めていただけますか、"万涯の瞥見者"よ。その銘にふさわしく、貴方はただ座して見ておればよろしいのです。いつもどおり、その高みで」
「……嫌われたものだな、"黄金の蔵守"よ。そなたとは相通ずるものを感じておったのだがな? お互い捨てられぬものを溜め込むもの同士」
「ご冗談を。生まれながら、その身を強大たるべく定められた竜種と、木っ端のごときネズミに、いかなる共感もあるはずが無い」
にべも無い言葉に嘆息し、竜神はサリアを見て、告げた。
「ところで、盟と言うのは何のことだったかな?」
「な……!?」
意外な一言にサリアを除く周囲のものが声を上げる。泰然としていたはずのイヴーカスでさえ、肉を揺らしてたじろいでいる。
「もうお忘れですか。あの時、我が星の上でご芳情を賜ったではありませぬか」
「おお。あのことか! すまぬすまぬ、すっかり忘れておった!」
「な……何を言っているのですか!? お二方には何らかの密盟があったのでは!?」
「別段、密盟というほどではないのです。ただ、我が廃れ果てた星を竜神殿にお譲りし、竜種の住まう星と為し、私が守護者となるという統治の盟です」
ぽかっと口を開けたイヴーカスは、あきれたという感じに相好を崩した。
「なるほど……無きものを有るが如く見せる。すっかり、その手に騙されたということですか。では、盟でも何でも結んでいただきましょうか。それでお気が済むのであれば」
「これはありがたい、ではイェスタ」
「はい」
時の神が場に立ち入り、その杖をかざす。
「我、"平和の女神"サリアーシェは、ここに"斯界の彷徨者""万涯の瞥見者"たる竜の神、エルム・オゥド殿の同胞を受け、その身を我が星にて安んじるものとならんことを宣誓す」
「"斯界の彷徨者""万涯の瞥見者"たる我は、女神の温情を容れ、我が同胞の守護者たることを認める」
言葉に従い、盟が交わされる。それと同時に新たな力が満ちるのを感じ、言葉を継ぐ。
「続けて、履行を停止していた儀を続けてもらおうか、イェスタ」
「……履行を停止!? 一体貴方は何を!」
「承りまして。それでは、サリアーシェ様よりお願いが御座いました、存在の買戻しを、先ほどの盟を贄として執り行わせていただきます」
自分の中に打ち込まれた楔が、かけらも残さず消えていく感覚。サリアはこの瞬間に十全と成った自分を感じていた。
「ま、まさか、竜神殿の盟とは、そのために!」
「無論です。そして、私の存在は再び、シェートのために使えるようになった」
「バ、バカな! そもそもこんな取引が成立するのがおかしい! 貴方はいまや押しも押されぬ大神の身! それを高々一つの盟を捧げた程度で存在を買い戻すなど!」
「勘違いなされますな。我が存在を捧げ、シェートに加護を与えたとき、私は一体どんな存在でありましたかな?」
完全に色を失ったイヴーカスは事実に気がつき、うめくように吐き出した。
「なるほど……廃神であったときの値であれば、十分すぎるほど、というわけですか」
「いかにも。そして今後は、我が存在をそのまま加護として与えられる」
「バカな! 貴方は何を考えているのです! せっかく取り戻した大神の身を」
「貴方が仰られたのですよ、私は貴方が見た中で、最も気の狂った存在だと」
うろたえ、全身の毛をおぞましさに逆立てた肥満ネズミは、目の前の自分を燃え盛る炎を見るような目で盗み見た。
「それで、貴方はその加護で、何を成すと言うのですか!」
「……問題はそこなのですよ」
サリアはそっと肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
「半時頂きましたが、結局良い知恵は浮かばなかったのです。せいぜいあのゴーレムを貫く弓でも与えようかと」
「は、ははは、そ、そうでしょうとも! そもそも加護は直接対手の勇者を傷つけるためには使えぬもの! 膨大な加護を持ったとて使い道が無いのでは!」
「そこで儂の出番というわけか」
苦々しそうに、そしていかにもうれしそうに、竜神は続ける。
「あ、貴方は! この戦いには不干渉のはず!」
「だが、そうした立場を取る神でも、知識を教え、裁定者の許す範囲での神威を貸与することも認めてられておるはずだ。なあ? "刻を揺蕩う者"よ」
「無論で御座います。そして、貸与する神威は、受け取る側の神が払いきれる範囲であれば、いかなるものでも可能です」
ぐびり、とイヴーカスの喉が鳴る。竜神の力を、余りある大神の加護で引き出す。そんなことをされたら、そう焦るイヴーカスを見つつ竜は朗らかに声を掛けた。
「だがな、儂はそういう下品な振る舞いは好かんのだ。どうかな? サリアーシェ、そなたの加護で、うちの若いのをいくらか貸し出してやろうものかな?」
「ご冗談を。我が勇者の出番を奪う古代竜の方々など、元より呼ぶ気もありませぬ」
「で、あろうな。そもそもそのような振る舞いを行えば、上の者達が黙ってはおるまい」
真摯な輝きを瞳に宿し、竜神はサリアをまっすぐ見据えた。
「こちらに戻る道中、そなたを見た。そして、あのコボルト……シェートをな」
「はい」
「そして考えた。そなたらには力任せの加護など不要だと。己の意思で抗い続ける者に、安易な奇跡など枷にしかならぬ」
そして、その大きな掌に載せたそれを差し出す。
「それは、仔竜?」
「名をフィアクゥルという。ほれ、挨拶をせんか、フィー」
きょとんとした顔の青い仔竜。翼は体を覆うほどに大きく、尻尾も長いが、それでも全体的に小さく、背丈も一メートルをようやく越す程度だろう。
「え? あ、あんたが、サリア、って奴か」
「馬鹿者、きちんと挨拶せよ。こんな愛らしい顔をしているが、すでに十数余の世界を治める大神ぞ? そなたも、よく知っているだろう」
「あ、ああ……えっと、フィ、フィァクゥル、です」
挨拶もおぼつかないような、おそらく最若の竜。それを受け取ると、サリアはわけも分からず二つの竜の顔を見比べた。
「まさか、これが竜神殿の、助力ですか?」
「おお、忘れておった、ほれ、これを首から提げよ」
ごつい指にぶら下がった、ひも付きの四角く薄い物体。それを受け取った仔竜は、半笑いを浮かべて尋ねた。
「これってスマホ?」
「いかにも。ただ、基本的に天界との通話のみだがな、アドレスは儂とサリアのものを入れてある。サリアへは掛け放題だが、我がアドレスに対する通話は一日三分、メール送信は三通までだ」
ニコニコと笑う竜神に対して、仔竜は物怖じもせずに体を伸び上げた。
「なんだよそのクソ仕様! プリペイドケータイだってもう少し通話時間あるぞ!?」
「仕方なかろう。簡単にヒントを出すわけにはいかんし。その代わり充電は一切不要で耐水耐火、対衝撃に対魔法防御付きで絶対に壊れん。ゲームアプリも多めに入れておいたからな、喜ぶがいい」
「いらんトコでサービス心出すなぁっ!」
どうやらこの仔竜は筋金入りの竜神の配下のようだ。彼の"趣味"も十分理解しているらしい。類は友を呼ぶ? 親は子に似る? そんな感慨が湧いた。
「ふ、ふはは、ははははははは」
その全てを見ていたイヴーカスは、太鼓腹を抱えて大笑いをぶちまけた。
「ま、まさか、竜神殿、此度の大げさな助力は、そのような非力な仔竜と、携帯端末を渡すだけで終わりですかな?」
「儂はそのつもりだ」
「り、竜神殿?」
面食らったこちらに、竜神は居住まいを正し、サリアとイヴーカスを見た。
「見たところサリアよ、そなたに足らぬのは知識のみ。それ以外は立派に備わっているようなのでな。儂が託した"加護"を使いこなせば、切り抜けられぬ窮地でもないであろう」
「……我が神規を侮られますか、竜神よ」
「侮ってはおらん。ただ、どんなゲームにも攻略法があり、ゲームとなった以上クリアできぬものは存在しないものだ。もし"解法"がないのであれば、それは"ゲーム"ではない」
竜神の言葉が閃き、形になっていく。サリアは手ごたえを感じ、目の前に水鏡を生み出した。
「イェスタ、このフィアクゥルをシェートの元に送り届けることは」
「問題御座いません。そもそも魔法どころか精霊の力すら持たない仔竜を投じるのに、加護など必要もないかと」
「では、今ひとつ、この戦いにおいて、あの星狼を我が配下にくわえることは?」
不安そうな仔竜を撫でてやりながら、事態を見守っているシェートと星狼を見る。
「狼の意向はお聞きにならないので?」
「すでに聞いた。とりあえず、この場は協力するとのことだ」
「ではやはり問題ないかと。それも今回の買戻しのおまけで支払えましょう。レベルにすればどちらもコボルト以下、ですから」
腹は決まった。後は信じて行動するのみ。
「イェスタ、加護を頼む」
「お任せを」
「我が配下に竜の仔フィアクゥルとその持ち物、そして星狼をくわえ、庇護の下に置くこととする。以上だ」
時計杖が時を刻み、目の前の水鏡がまるで本当にあの世界と繋がったように、全てを飲み込む気流を発生し始める。
「頼んだぞ、フィアクゥル!」
「え、な、なに!? ちょっと、いや、俺、心の準備が」
水鏡の前に仔竜を差し上げ、ぱっと手を放す。
「うひゃあああああああああああっ!」
遠ざかる絶叫を残し、仔竜の姿は夜の世界へと吸い込まれていった。
シェートは顔を上げた、傍らの星狼も。
空に瞬く星が見え、その中から何かが落ちてくる。
『なんですって!? いかんシェート! 彼を受け止めろ! フィーは飛べないんだ!』
「え、ああっ!」
思わず落ちてくるそれに手を差し伸べ、
「ぎゃううううん!」
「んぎゃあああああっ!」
られなかった体が、狼の毛皮にぶち当たり、大きく跳ね上がる。そして投げ出されたずた袋のように目の前に転がり出た。
夜目にも鮮やかな空色の皮膚を持つ仔どもの竜、そいつは頭を押さえ、ふらふらと起き上がって、こちらを見た。
「うわあああああああああああっ!」
「えっ!? あっ、な、なんだ!? どうした!」
腰を抜かしてあとずさった仔竜の胸元が、突然耀いた。
『馬鹿者、落ち着け、誇り高い竜の一族が、この程度でうろたえるな』
おびえる仔竜の首元から、深い声がする。さっきとはまた別の、新しい声の主。
『聞こえておるかな、コボルトの若者、シェートよ』
「あ、ああ、聞こえてる。お前、誰だ」
『我は竜神、その仔竜の後見人だ。此度の戦に助力をさせてもらうと思っておる。こやつはフィアクゥル、汝の仲間にと思って送り届けた』
フィアクゥルと呼ばれた竜は、おどおどしながら立ち上がり、軽く会釈をした。
「……なんで、こいつ、ここに来た?」
『元々そちらの生活に興味があったようでな。ちょうど良いとそなたに紹介をしようと思ったわけだ。少々顔見知りがひどいところがあるが、おいおい慣れよう』
「ふざけんなよ! いくらなんでもこんな唐突なやり方無いだろ!? それに……」
仔竜の視線がこちらの顔、ではなく背後に控える二体の魔物に向けられる。
「今、決闘の真っ最中なんだろうが!」
『まあ、それはそれだ。あとはがんばれ、ではな』
それっきり胸元の耀きが消え、声が途絶える。
「ちょ、おい! それだけかよ! もう少し優しい言葉かなんかが」
「お前」
「ひいっ!?」
「びくびくするな、俺、何もしない」
人見知りの竜なんて聞いたことも無いし、コボルトの顔を見ておびえるなんて、相当重症だ。おどおどした姿に一番下の弟がこんなだったと思い出す。
「サリア、こいつほんと、仲間にするか?」
『あ、あー、うん。もう登録してしまったし』
「なんだよ! そのいかにも仕方なさそうって感じの会話!」
身内には大きな口を叩くところもそっくり。気心が知れるまで苦労しそうだ、そんなことを考えつつ、シェートは改めて挨拶を交わす。
「コボルトのシェート、よろしくな」
「フィ、フィアクゥル、です」
おずおずと差し出される片手、そっと握ってやると、びくりと体を震わせたものの、割と強く握ってくる。
『では、そろそろよろしいですかな? 決闘を始めても』
竜神のものではない太い声が響き、シェートは身構える。おびえるフィアクゥルを背後に守り、星狼と視線を交わす。
『お待ちいただこう、イヴーカス殿』
『まだ何かおありで? サリアーシェ様』
『ああ、というより、御身の勇者殿にな』
いつの間にか、片手に煌々と光るランプのような物を持った勇者は、はたから見ても分かるくらい、眠そうだった。
『彼は大分、お疲れのようだが?』
『……前座が長すぎましたな。出来ればこの場で終わりにしておきたかったのですが』
『では、明朝に決闘を伸ばす、ということでいかがか』
『致し方ない』
その言葉を最後に、イヴーカスと呼ばれた神は自分の勇者との会話に入ってしまう。そして勇者は、背負い袋の中から小さな箱のようなものを取り出し、巨大な家に変えた。
「んなあっ!?」
「"セーブハウス"か! すげー、リアルに再現するとああなるんだなぁ」
「あれ、勇者の神器か!?」
「た、たぶんな」
微妙な距離をとりつつ、それでもフィアクゥルは勇者の持ち物に注釈を加える。
「あの家には水とか食料完備で、アイテム購入できる店まで入ってる。町じゃ無いとできないモンスターの入れ替えとかもやれるんだ。ゲーム後半の必須アイテムだな」
『やはり。そなた知っておるな、彼の【神規】の元になったゲームを』
「一通りやったよ。最近は飽きてやめてたけど」
仔竜の言葉に満足すると、サリアは喜びの香りを漂わせて告げた。
『では、早速だが吐き出してもらおうか、その知識の全てを』
ベッドの中に潜り込むと、悟は薄暗い天井を見つめた。自分の部屋そっくりに造られたセーブハウス、天井の電燈には長い紐が付いている。
「イヴーカス、良いかな」
『……どうしたんだい』
相手の声が少しおかしい。太く、低い感じになっていて、クラス担任の怖い先生を思い出す。風邪でも引いたのかな、神様も風邪を引くのかな。
そんな想像をしてから、言いたかったことを切り出す。
「あの、コボルトの隣にいたの、星狼だったよね」
『そうだけど、どうかしたの?』
「あれ、シロじゃないのかな」
『シロ?』
「ほら、僕が最初にゲットしたモンスター」
こちらの問いかけに長い沈黙を投げた後、ああ、とだけ神様は答えた。
「……覚えてないの?」
『ごめんね。色々忙しかったからさ』
「そっか」
最初にこの世界に来たときは、不安な気持ちで一杯で、うまくやっていけるか心配だった。モンコロの世界とは違って、出てくるモンスターも怖い感じで。
でも、森の中で出会ったシロは、そういうのとは違っていた。
『はぐれ狼?』
『そうだよ。狼は群れが大きくなると、その中から新しい群れを作るために出て行くものがいる。彼もそう言う一匹さ』
罠に掛かっていたところを助けて、僕が投げた餌を取って食べたシロ。そうして、すぐ仲良くなって、しばらく旅をしていた。
『シロを君のモンスターにしたらどうかな』
『……でも、シロ、なんて言うかな』
もちろんシロは喋らない。頭は良いけどただの狼だから。でも、自分が差し出した捕獲用のクリスタルに、自分から入ってくれた。
それからずっと、いろんなダンジョンにもぐったり、村でクエストをクリアしたりしてだんだんレベルが上がって、でも。
『嫌だよ! なんで、なんでシロを!』
『でも、君のモンスター枠は一杯だろう? それに、これ以上一緒に連れて行っても、どこかで強いモンスターに殺されるかもしれない。ここで放してあげた方が彼のためだよ』
結局、シロとはある街道の脇でさよならした。解き放った後も、シロは中々僕から離れようとしなかった。
『それなら、もう少しレベルが上がって枠が増えたら、もう一度仲間にしてあげたら良いじゃないか』
『……分った。じゃあ、シロ、後で迎えに来るから、待っててね』
それが、どのくらい前のことだったんだろうか。
僕はそれから、他の勇者さんに自分のモンスターを貸すようになって、あのコボルトを見張るようなこともして。
だんだん、モンコロっぽいことをしなくなっていった気がする。
「イヴーカス」
『なんだい?』
「もし、あれがシロだったとしたら、僕のこと、覚えてるかな」
『……モンコロとおんなじさ。一度"バイバイ"したら、同じ個体はゲットできない。それにあれからかなり時間も経っている、君のことも忘れているだろうね』
「そう……だよね」
なんだか、急に胸が痛くなってきた。自分の部屋なのに、自分の部屋じゃないベッドに潜り込んで布団を被る。
『さみしいのかい?』
「……わかんない」
『大丈夫。もうすぐ君の好きなように冒険できる。好きなモンスターを手に入れて、強い相手と戦って。そうだ、前に言ってたろ、ドラゴンが欲しいって。ワイバーンの次はドラゴンを捕まえようか』
「うん。ありがと」
ドラゴン、そうだな、次はドラゴンをゲットしよう。でも、もしあの星狼がゲットできるなら……あいつを……シロの……かわり、に。
フィアクゥルが目を覚ました時、コボルトはすでに身支度を終えていた。寝ぼけ眼を擦りながら起き上がると、無言で朝摘みの木の実と水入り皮袋を差し出してくれる。
「……タフだな、昨日、散々走り回ってただろ?」
その上、夜の間もさまざまな準備を狼と一緒にしていた。
山菜を敷き詰めて寝床にした木の下の洞に、寝た後は無かった。
「狩り、一日中やる、あたりまえ。さっきちょっと寝た、ぜんぜん平気」
無くしていた弓、篭手、矢筒を取り戻し、それなりに武装は回復している。それでもどこか頼りない感じに見えるのは、やっぱりコボルトだからだろうか。
「頼むぞ、フィー。今回、お前の力、いる」
「…………なぁ」
「どうした?」
戦う前にこんなことを聞いてどうする、こいつの気勢をそぐだけだ。
でも、聞かずにはいられなかった。
「怖く……無いのか?」
「怖い」
「じゃあ、なんで?」
「怖い言って、下がる。そしたら俺、死ぬ」
諦めでもやけくそでもなく、静かに事実をつげる声。
その瞬間、目の前のコボルトの体が、一回り大きくなった気がした。
「俺、生きたい。世界、俺死ね、言う。だから、生きるため、戦う」
「……だから、最初の勇者とも、戦えたのか?」
その質問の答えは、聞けなかった。
朝霧の煙る森を抜けて届く大きな羽ばたきが、コボルトの顔を狩人の顔に変えたから。
「行くぞ、フィー」
その顔に引っ張られて、フィアクゥルは頷いた。
こうしてみると本当に大きい、そうシェートは思った。
立ち並ぶ木とほぼ同じ高さの頭、その顔にあるのは人間の形をした無表情。朝日を照り返して耀く体は、鋼以上の強さを持つ。
その頭上を守るように羽ばたくのは、皮膜を持つ翼竜。この生き物の吐く炎で、たくさんの勇者が燃え散っていったのを覚えている。
どちらも、ちっぽけなコボルトなど歯牙にもかけない存在だ。普通に考えれば相対することすら不可能な、魔物の高みの一角。
その後ろに隠れるようにして勇者の少年が立ち、こちらをじっと見詰めている。
「女神サリアーシェの"ガナリ"シェート」
「モンスターテイマー、矢上悟、です」
お互いの緊張が高まり、一触即発の雰囲気に変わっていく。だが、シェートは後ろに控える仔竜に目を向け、そのがちがちに固まった顔にため息をついた。
「フィー、お前、名乗れ。それから、作戦忘れるな」
「え!? あ、ああ、わりぃ」
咳払いを一つすると、仔竜はずいっと進み出た。
「えっと……"万涯の瞥見者"エルム・オゥドの仔竜、フィアクゥル。テイマーとしてお前にバトルを申し込むぜ!」
「え!? テ、テイマーって、モンスターテイマーってこと!?」
「ほかに何があるんだよ。それと、今回のバトル形式、こっちで決めて良いよな?」
なぜかうれしそうな顔をした少年は、フィーの発言に面食らったようになり、ややあって頷いた。
「そうだね。多分、こっちのモンスターの方がレベル高いし」
「ああ。こっちはコボルトのシェートと星狼のグートでエントリーする。形式はタッグバトル、モンスターの交換はなし、蘇生も禁止、先に二体落としたほうが負けだ」
「う……うん! 分ったよ!」
それまで、なんとなく悲しげだった顔が、すっかり喜色満面になっている。勇者の考えていることは分からないが、フィーの発言で気分が良くなったらしい。
「お前言ったルール、あいつ、有利か?」
「ただの大会用フォーマットだよ。でも、あいつはその方がうれしいみたいだな」
『それでも、計画通りの土俵に引っ張り出したのは確かだ、あとはイヴーカス殿がどう動くかだが』
自分達の見ている前で軽く言葉を交わした後、勇者は相変わらず笑顔のままでこちらを見た。
「僕はもう準備できてるよ! 早くやろう!」
「……のんきな、もんだな」
「勇者、そんなもんだ。俺、あいつら、うらやましい」
軽口を叩きながら、改めて場を確認する。ゴーレムが暴れたせいですっかり見晴らしのよくなった森。身を隠すような場所も無くなり、倒木やゴーレムの足跡で移動しにくい場所がいくつもできている。
空も開けていてワイバーンも自在に飛びまわれる環境、おあつらえ向きの決闘場といったところだ。
「グート!」
「わふっ」
昨日の晩名づけた星狼は、それでも問題なく返事をしてくれる。一度慣れてしまえば、まるで十年来の付き合いのように馴染んだ。
その視線が、一瞬無邪気な勇者の顔に向けられ、ちらりとこちらを向く。
「どうした、グート」
「……ふぅっ」
これからの戦いに緊張しているのか、不思議な吐息をはきだし、それから問題ない、とでも言うようにこちらの手の甲を舐める。
「……こっち、準備できた! 決闘、宣言しろ!」
「うん。それじゃ、シェート君たちに決闘を申し込むよ!」
おなじみの感覚が広がり、自分達が世界から隔絶されていく。考えてみれば、誰かから決闘を宣言されるのは始めてだ。
身に着けた武器を感知し尽くし、シェートはひらりとグートにまたがり、呆然としているフィーの首根っこを掴む。
「うげっ!? も、もっどやざじぐっ!」
「行くぞ! フィー! グート!」
「うおんっ!」
そして、三匹は駆け出した。
決戦の地へ向かって。