3、命の価値
きな臭い煙が未だにたなびく空き地で、動く姿があった。
昨日までは身を寄せ合うように立ち並んでいた掛け小屋も、そのほとんどが炭屑になるほどに燃やし尽くされている。
いずれは雨が降り、風が運び去り、この場に小さな魔物が住んでいた痕跡を、世界からきれいさっぱり消し去ってしまうだろう。
その埋もれかけた廃墟から、シェートは仲間を掘り出していた。
コボルトの体は小さく脆い。死体は剣と炎の威力に曝され、頭の骨すらまともに拾うことができないものも少なくなかった。
それでも指の骨一本、あばら、焼け残った尻尾の一房も見逃さず、丹念に集めていく。
村から少し離れた場所、山を背にした崖のふもとが、村のものを葬る場所だ。
逃げ場所を塞ぐために張られた炎の壁は、村の墓地として使っていたこの場所までは展開しなかったらしい。
弔いのたびに捧げられ、根付いた小さな野草達が、火事の熱気に当てられたにも関わらず元気に咲き誇っていた。
木の板を使い、小さく穴を掘っていく。そこに仲間の欠片を埋め、また穴を掘る。
碑もなく、わずかに残った残骸に土を盛っただけの墓は、それでも五十ほどになった。
そして、心持深く掘った穴の中、むごい焦げ痕を刻みながらも、奇跡的に無事な形で残った最愛の人を横たえ、シェートはじっと手の中の物を見つめた。
蒼い輝石。
空と、愛しい人と、憎い敵を思わせる色。
握り締めると、素早く蔓で括り、首から掛ける。
「ごめん」
優しく土をかけながら、語り掛けた。
「いつか、渡しにいくから」
全てを終えて、シェートはゆっくりと、川へと歩いた。
服はほとんど焼け、山刀一振りを残して、何もかも失った。
だが、自分は生きている。胸にひどい傷跡が残ったが、それ以外は全く以前の通りだ。
『弔いは、済んだな』
川原に立ち、ぼんやりと流れる水を眺めていたシェートに、囁く声。
「いたのか」
『いたのか、ではない! 弔いが終わるまで喋るなといったのは貴様だろう。まったく、なんという不遜な魔物だ』
「お前、しゃべり方、むつかしい」
鬱陶しい言い回しに閉口しながら、シェートは彼女の存在を思い返していた。
自分は確かに生きている。背中まで貫通した刃を受けながら、今ではその痛みどころか火傷すらない。本人がどんな神であれ、その力は本物だろう。
ただ、分からないことも山のようにある。
「聞きたいこと、ある」
『なんだ? なんでも申してみよ。我は神だからな、なんでも答えてやろう』
「……お前、どうして俺選んだ」
『な……なに?』
「俺、魔物。おまえ神。違うもの。なぜ俺、助ける?」
魔の者とは世界を害する存在であり、神とはその相反者。いくらコボルトの頭が弱いとはいえ、そんな道理が分からないわけではない。
『では聞くが、お前はあのまま死んでよかったというのか?』
「なに?」
『あの瞬間、お前は確かに願った、死を超えて勇者に復讐を望むと。それを私が拾い上げねば、お前は弔うものもない魔物として、火に撒かれて炭と化していたのだぞ?』
確かにそれはその通りだ。
しかし、この女神は自分の質問に答えていない。
「わかってる。でも、それ理由違う」
『いっ……い、いちいちうるさい魔物だな! ならば今すぐここで死ぬか?』
「……死ぬ?」
『折角生き延びさせてやったというのにその物言い。拾った命がいらぬと見える。我のことが気に食わぬなら、即座に殺してやろうといったのだ』
やけに高圧的な物言いに、シェートはだんだん腹が立ってきた。
あの炎の中で、自分は生き死にを他人に振り回されることに怒った。だが、今また命を助けられた女神とやらに弄ばれようとしている。
「……じゃあ…………殺せ」
『…………は?』
「俺、勇者殺す。殺したい。でも、おまえにそんなこと言われるの、腹立つ!」
『ば……バカな! そんな理由で死ぬというのか!』
「お前、魔王と同じ! なんでも好き勝手する! コボルトそれに振り回される! でも俺、そんなのもう嫌だ! 勝手な神に振り回される! うんざり!」
『あ……』
「殺したければ殺せ! でも、俺もう、命令聞かない!」
いつの間にか、空を睨んでいた。多分神とやらはあそこにいるだろう、そいつに向かって精一杯、歯をむき出しにしてやる。
こんなことしかできない自分に腹が立つ。でも何もしないよりはましだ。
「お前、俺生かした。でもそれ、何かに使う思ったから! 違うか!?」
『そ……それは……そう、だが』
「だったら、こんな命いらない! 返す! もって帰れ!」
『で、できる分けなかろう! そもそも奇跡とは不可逆なもので……』
「そんなの知らない! 持って帰れ! 今すぐ!」
不思議と怖くなかった。自分は一度死んでいるのだ、それに炎の中で感じた怒りが頭の中にまだ残っていて、妙に凶暴な気分がする。
女神の言葉は止まり、自分以外、誰も居ない川原に風が吹き抜ける。こちらが睨んでいるのを無視しているのだろうか。
結局、首が疲れてきて、顔を下ろしてその場に座り込んだ。そばにあった野草を口に含み、飲み下す。そういえば、昨日からまともに食べていなかった。
長いこと続いた沈黙を、おずおずとした女神の言葉が破った。
『な…………なあ……』
「…………」
『おい』
「…………」
『……聞いておるのか?』
「…………」
『そこの! ……ええと……その……』
「…………シェート」
『おい…………シェート』
言葉だけの存在は、どこか恥じ入ったような、そんな気配を漂わせていた。
『済まなかった』
「お前、神。謝るのおかしい」
『そ、そうか?』
「そうだ」
変な奴、そう思いながら腰の近くの石を転がし、顔を出した地虫を口に入れる。堅い殻を噛み潰すと、泥臭い臭いが鼻を突いた。食べないよりましだが、もう少し腹に溜まるものが欲しい。
「好きにしろ。お前、俺、勝手、動かす、できるだろ」
『そういうわけにはいかんのだ。神と言ってもなんでも好きにできるわけではない』
「ふーん」
適当に返事をし、腰帯をまさぐる。指に感じたわずかな刺激を頼りに、帯にたくし込まれたそれを取り出した。
何かあったときのために身につけていた釣り糸と鈎。自分の髪をいくらか継ぎ足し、その辺りに転がっていた枝にくくりつける。
「それで、どうしてお前、俺助けた」
『……そうだな。それは言わねばなるまい。確かに私は、ある目的のためにお前の命を欲したのだ』
「目的? どんな?」
地虫を鈎につけ、流れに放る。いくら自分の体が小さいとはいえ、地虫くらいでは腹の足しにはならない。女神の言葉を聞き流しつつ、竿に注意を向ける。
『シェート、お前と同じだ。私も勇者を殺したいのだ』
「……変な奴」
『そうか?』
「女神、神だろ。勇者、神に選ばれた奴、それ殺そうとする、おかしい」
糸も鈎もこれ一組だけだ、新しく作るのは骨が折れる。餌をつつく魚の気配に、神経を集中させる。
つ、つ、つっ。
鈎の先の地虫が嬲られている。この辺りの魚は、村の子供らが遊びで釣り上げるのですれている。
つ、つつっ。
あわせが肝心、そう思ったシェートの腕が、
つくんっ。
魚の引きを感じて跳ね上がった。
「んっ!」
川面を突き破り、銀色の腹を日に輝かせながら魚が宙に躍った。素早く片手で受け、人差し指を鰓の奥深くえぐりいれる。
『おお! 見事!』
「……こんなの、普通」
『いやいや、浮きもなしで正確に合わせて見せるとは、なかなか出来ることではない』
妙にうれしそうな声。さっきまでの高圧的な雰囲気がはがれ、別の何かが覗いたような気がした。
「お前、やっぱり変」
火の準備はすでにできている。夜を明かすことも考え、焼け残った村から、燠を無事な火壷に入れておいたし、枯れ枝も集めてあった。
山刀で素早く腹を割き、わたを川に捨てると火を起こして魚を焼き始める。内臓は他の魚や川虫にやって、川を肥やすのが村のやり方だった。
『シェートは魚釣りが得意なのか?』
「……そんなこと、なんで聞く」
『あ、いや……その、興味があったのでな。言いたくなければ、よい』
「俺狩人。魚獲る、鳥撃つ、ウサギ、鹿、みんな狩る」
『そうか……』
女神は再び押し黙る。
ただ、今度の沈黙は邪険にされたから、というわけでもないらしい。
じうじうと魚の皮が焦げていく。少し火から距離を外し、熱で中の肉が熟し固まっていくのを待つ。
その仕草の全てを、じっと見ている女神、そんな姿が頭の中に浮かんだ。
「お前」
『なんだ?』
「腹減ったのか?」
『は?』
不意を突かれ、気の抜けた返答。とても女神とは思えないその応えに、シェートはため息をつきつつ火の番を続ける。
『なぜ……そんな話になる?』
「なんか、ずっと見てるから」
『まさか、私が……見えるのか?』
「見えない。でも、なんかそんな気、した」
『ふ…………は、はは、はははははははははははは』
笑い声が、文字通り弾けた。
世界の明るさがわずかに増え、空気が潤っていく。どこからか、魚のものとは違う芳しい香りが、辺りに漂っていく。女神の笑い声はいかにも嬉しそうで、朗らかだった。
『は、ははは! そんなに、物欲しそうにしていたか、私は!』
「弟達、よくそんな感じにしてた」
『そうか……ふふ……そうか、弟達がな…………』
やがて、程よく焼けた魚を手に取ると、シェートはそっと空を見た。
「少しなら……わけるぞ」
『変な気を回すな。早く食べてしまえ』
ちゅうちゅうと身から噴出す脂に惹かれて、勢い良くかぶりつく。香ばしく焦げたた皮と甘みのある肉から、じわっと滋味がほとばしる。わずかに残ったわたの苦味を舌先で感じつつ、熱い身を頬張った。
「ほ……っ、ほっ……ふ……はっ……」
食道を熱い塊が通り、じんわりと中を暖めていく。働きづめだった上に、まともな食事にありついたのが一日ぶりだったため、あっという間に魚は骨だけになり、その骨さえ頭と一緒に噛み砕いて飲み込んでしまった。
「ふぅ……」
『満足したか?』
「そうでもない。でも、ちょっとまし」
『……やはり世界によって違うものだな』
「なにがだ?」
『コボルトというものは、お前達だけではないということだ。大抵は弱く在るように創られるが、世界によっては野獣と変わらない生活を送るものいるのだ』
少し腹が満たされたせいか、体が自然と横になる。それをとがめることもなく、女神は寝物語でも語るように、話を続けた。
『この世界には、魔王がいる。空を翔る城に住まい、人々の生活を脅かすべく活動する存在だ。その行為のために生み出されたのがお前達魔物だ』
「しってる。でも、俺、いちばん弱い」
『そして、そういう世界を救うために、我々神々は勇者を送る。地に生きる全ての者、人間達を守るためにな』
「それもしってる。あの……あいつが……」
食後の満ち足りた幸せが、黒い怒りに塗りつぶされる。笑いながら、こともなげに自分の家族を、愛しい人を殺した人間。
『その全てが欺瞞だとしたら、どうする?』
「ぎ……ぎま?」
『全部作り事、はかりごと、全くのでたらめ。つまり嘘、であったなら?』
「やっぱり、お前変。実際、お前言うとおり、勇者、魔王いる」
こちらの言葉に苦い吐息が漏れ、首を振る女神が見えた気がした。
『全ては、いや、全てではないがな。茶番なのだ。確かに魔王は世界を滅ぼす。だが、滅ぼそうとしているのは人間の世界なのだ。世界そのものではない。そして神々も……人間の、その世界の人間のために勇者を遣わすわけでは、ないのだ』
「分からない! もっと分かるように言え!」
『シェート、お前は子供のころ、友人と遊びをしなかったか。川原で拾った珍しい石やうまい木の実を賭けて。勝った方がそれを手に入れる』
「それが……どうした」
日が、傾きつつあった。焚き火はすでに消え、川面から上がってくる風が冷たさを混じらせつつある。その世界の陰影を、女神の声は一層深くしていく。
『魔王と神とはな、世界を使って遊びをしているのだ。世界には、神々や魔王を満たす霊的な資源に溢れている。それを奪い合う遊び、その駒が勇者と魔物だ』
「遊び、道具……」
『神と魔は、その力を思うままに奮って戦えば、単なる滅ぼし合いにしかならない。だからこそルールを決めたのだ。痛み分けにならないよう、神と魔の協定を。直接の関わりは持たないものの、我々は裏で繋がっているのだ』
「そう、なのか」
そのこと事態は、別に不思議とは思わなかった。魔王の城は何度か見たことがあるし、世界を滅ぼしたいなら自分達など生み出さず、強大な力を使えばいいのにと、いつも思っていた。
『魔王は自らの配下を増やして世界を覆い、神は自分の代行者を遣わし、その存在を以って人々の信仰を集めて勢力を伸ばす。その果てに勝者が決まり、勝ち残った者が世界を支配する』
「それが、どうした。石けり遊び、みんな同じ数だけ石持つようにする。神、魔王、遊びしてるなら、決まりある。おかしくない」
『ではシェート、お前は自分が『一点』だと言われたら、どうする』
「……なんの、ことだ?」
女神の声は、初めて話した時の様に、強張った音色を伴っていた。
『神と魔は、もう一つ取り決めをした。神の代行者に、最強の力を持たせて送り出したのでは、魔にハンデが出てしまう。そこで、送り出す勇者に一つの機能と制限をかけた』
「む、むつかしい言葉使うな! もっと簡単に」
『魔王は配下の個体に点数をつけた。その強さに見合った評価を、数字にしたものをな。そして、その個体を【神が選んだただの人間】が殺すたびに、見合った加護を与えることを許したのだ。こうして勇者は力を与えられ、地上に降ろされるのだ』
日が山の端に落ち、世界が急に暗くなる。瞳孔が細まり、周囲の熱が陽炎のように揺らぎ見えるようになっていく。
『勇者は魔物を殺せば殺すほど、見えない数字が溜まる。ちょうど石けり遊びで、勝った者が石を手に入れるように。その数字を溜め、強くなる力を得る。……シェート、さっき私はなんと言った、お前のことを』
「い…………」
それ以上何も言えず、小さな魔物は拳を握った。
『もちろん、さっきのは例えだ。だが、お前達の持っている数字は、どんな魔物よりも低い。数が多く、弱く、与しやすいからな』
「みんな……そうなのか?」
『違いはあるがな。その違いは、わずかだ』
「…………」
シェートは、口を閉じた。堪えようとして、それでも体が震える。
仲間も、家族も、愛しい人も、全てがたった一つの石ころ。知らないうちにつけられていた命の価値を、勝手にやり取りされる。
この世界は、最初から自分達を搾り取るようにできていたのだ。
諦めと共にシェートの心は最初の問いに立ち返った。
「それなら、やっぱり、おかしい」
『お前を選んだ理由か』
「なんで……俺なんだ」
『今は明かせない』
闇と共に気分が暗くなってくる。体を丸めて、シェートは横になった。
幸い、この辺りはきな臭さが立ち込めているし、魔物も動物も用心して今日は近づかないだろう。毛皮と川べりの草があれば、寒さに凍えることもない。
『だが、私がお前の命を必要としているのは本当だ。勇者を滅ぼそうとする意思を持つ魔物。そして、私に力を貸してくれる存在であるお前をな』
「…………」
正直、なんと答えればいいのか分からない。自分はたった一点の存在で、世界に塵芥だと定められた生き物だ。
暗い気持ちを抱えながら、シェートは浅い忘我の層に自分を落とし込んでいった。