14、魔物使いの少年
その場にいる全ての者が、自らに視線を合わせているのを感じ、イヴーカスは全身の毛を膨らませた。
『貴様の勇者だと!? バカな、あれは、あの魔物は!』
「お分かりになりませんか? いや、信じたくない、といったところですな」
ガルデキエの戦く顔が見える、シディアの青白い顔も見える。口元が、狂気に近い笑みに歪む。
「大空の雄、竜族の末席に連なりし者、ワイバーン。そして今ひとつは神秘の魔道鉱石、ミスリルで拵えれられた魔道巨像、ミスリルゴーレム」
『ありえぬ! なぜ貴様の勇者がそのような! そもそもあんなものを二体同時に使役するだと!?』
ミスリルゴーレムのすぐ後ろに立つのは、まだ十を少し越えたばかりの少年。旅人のまとう、ゆったりとした服とマント、片手には杖を持っている。
『だ、大体貴様、何をしに出てきた! 討伐に名も連ねず、この場にあのような魔物を』
「田舎芝居は、もうやめにしませぬか? ガルデキエ様」
『……ふん。そうだな。最初から、貴様はこうなることを狙っておったのだよな』
「ご明察。だが、それにいつ気が付かれました? 私との連絡を絶った時? 神座で私を踏み抜いたとき? あるいは"知見者"様侵攻の報をお持ちしたときですかなぁ?」
嘲りに塗れた言葉に、見る見る相手の顔が殺意に満ちていく。
『このドブネズミが! その賢しらに回る舌を今すぐ引きちぎってくれん!』
「どうぞご自由に。それでは、サリアーシェ様」
その声は、あえて全ての水鏡に乗せた。
「先ほど我らの間で結ばれた、決闘の契りを果たしましょうか」
『……このタイミングで、ですか。竜神殿も今だ戻られず、我が策も半ば、ですが貴方の計画はこうであったはずだ』
サリアーシェもあえてこちらの水鏡の全てに己の声を乗せてくる。その行為に、イヴーカズは尻尾の先まで痺れるような、狂奔を味わった。
その声が全ての水鏡に伝わり、自分たちの会話を、固唾を呑んで神々が聞き入る。
『我が配下、シェートにより、貴方の勇者の枷となる全ての敵を打ち滅ぼして後、貴方の勇者によって、残敵を狩ると』
『ふ、ふざけるなこの邪神! 我らが勇者を残敵などと』
『ああ、聞き耳を立てられておりましたか、ガルデキエ殿。これは我らの間の盟、あなた方には何の縁も無いこと』
『こ、こ、この……』
慌てふためいている、自分に繋がる全ての神が、想像した裏切りを、それ以上の裏切りを目の当たりにして。
「とはいえ、思ったよりコボルト殿も苦戦しておられるようですし、なにやら仕掛けのおかげで勇者達も戦えぬものが増えた様子、この辺りが潮時と思った次第で」
『いつからだ! いつからこのような密約を!』
「密約も何も、我らはただ信用を取り交わしただけのこと。弱い者同士が知恵を絞り、強きものに打ち勝つために」
『弱きものだと!? サリアーシェ、貴様は大神の身でありながら、こんな下種の疫神と結びおったのか!』
『言葉を改められよ。かの神は確かに狡猾にして卑俗やも知れませぬ。ですが、集を頼みに与し易い者を襲い、あまつさえ邪神よ悪辣なものよと、言い募るような真似はなさりませなんだ。下種は貴方だ、"覇者の威風"が聞いて呆れる』
決然と言い募る言葉に心のどこかがしくりと痛む。その甘やかな感覚を鉄の無感情で捨て去ると、ネズミは全ての神を煽る言葉を紡ぐ。
「まあ、全ての神はすでに我らの蚊帳の外。正々堂々我らの決闘を始めましょう」
『我が勇者の困憊を見て、よくもぬけぬけと言われますな"黄金の蔵守”よ。とはいえ致し方ありません、受けて立ちましょう』
『ま、まて貴様ら!』
「待つ義理はありませぬな。悟、あのコボルト、シェート君に決闘を申し込んで」
『え? いいの?』
悟には詳しい事情は聞かせていない。ただ、二体のモンスターを外に出して待機しろと言っただけだ。
「うん。長いこと待たせたね、他の勇者との初バトルだよ」
『分った! それじゃ、コボルトのシェート君に』
『やめろおおおおおっ!』
その声はどの水鏡から聞こえたものか。
だが、日の翳り始めた森の中、確かに勇者達からの一撃が、空を飛ぶ魔物に痛撃を与えていた。
あまりに唐突な展開に、文則は呆然としていた。
コボルトを追いかけていたと思ったら、目の前に現れたのはミスリルゴーレムとワイバーン。しかも耳元でがなるガルデキエの声は混乱し、裏切りがどうとか叫び続けている。
「あの、シディアさま!? だから何がなんだか、え!? イヴーカス!? 裏切りって一体!?」
「綾乃さん! そっちもか!?」
「な、なんだか天界が大変なことに……文則さん、あの子」
さっきからゴーレムの足元辺りにいた男の子。どこかで見た覚えのあるそいつが、いきなり口を開く。
「分った! それじゃ、コボルトのシェート君に――」
「やめろおおおおおっ!」
勇者の集団から放たれたのは、蛇のように唸る一本の剣。その一撃がワイバーンの首筋に喰らい付く。
「ギィエエアアアアアアアアッ」
「ざっけんじゃねえええええええっ! このクソガキいいいいっ!」
ずたずたに裂かれた腕と顔の再生痕も生々しく、何とか復活させた武器を手に、蛇咬剣使いの少年が絶叫する。
「いきなり横から出てきて何が決闘だあああああっ!」
「うわあっ!」
いきなり叱責されて驚く魔物使いの少年に、蛇咬剣の勇者は怒りも顕に吐き捨てる。
「そいつは俺の顔と手をぶった切って、せっかく貯めた加護台無しにてくれたんだ! そいつを倒すのは俺なんだよおおおおっ!」
「なんだあいつっ、切れちまってるっ!?」
『勇者よ! お前も戦に加われ! あの増長慢のイヴーカスをぶちのめしてやるのだ!』
耳元でがなるモジャ髭は完全に我を忘れている。そもそも、イヴーカスなんて神の名前はこれまで一度も聞いていない。
「ぶちのめせって、まさかあのゴーレムとワイバーンをやれってのか!?」
『何のために神器を与えたと思っている! あの勇者もろとも、ネズミの姦計を打ち砕いてしまうのだ!』
「勇者もろともって、あいつ、コボルト探しを手伝ってくれた奴だろ!? それにまだ子供じゃねーか!」
『この場にあれば子供も大人も関係ない! 全ての勇者は納得ずくで臨んでいるのだ!』
やっぱりむちゃくちゃだ、神様なんかにホイホイ付いてくるんじゃなかった。そう思いつつも、視線が脇の綾乃に向かう。
「私、そんなこと無理です! こんなの、もう!」
「クソッたれ! 綾乃! 茶番に付き合うのはもうやめだ! 逃げるぞ!」
「文則、さん?」
「言っただろ! 必ず守るって!」
呆然とした彼女の肩を掴み、その場を離れようとする。
だが、周囲の勇者の動きは自分の予想とはずれた動きを見せた。それぞれが得物を構えて、一斉に子供に向けて解き放った。
「バ、バカ!」
「やめてえええっ!」
弓や魔法、剣圧や雷撃、炎が弧を描いて虚空を飛ぶ。
その一撃は、まったく子供とは関係ない、あさっての方向へ着弾し、消えた。
「な、なんだ……?」
「外れた……じゃなくて、外した、の?」
「ふ、ふざけんなああああっ!」
絶叫と共に振われた蛇咬剣があさっての方向に飛び、大木に大穴を開ける。
「な、なんだ!? 狙えねぇ! あいつが、見えなくなっちまう!?」
「見えないって、あそこにいるだろ!」
「そうだよ! そう思って"狙う"と、途端に見えなくなっちまうんだよおっ!」
まったくわけの分からない言葉に混乱する頭。だが、それを悠長に解き明かす暇はなくなった。
目の前のワイバーンが大きく口を開いていく。
「全員退避! 逃げろぉおおっ!」
綾乃を抱いて横っ飛びに飛んだその背後で、
「うぎゃああああああああっ!」
ワイバーンのブレスに焼き尽くされた蛇咬剣の勇者が、今度こそ金の光を撒き散らしながら消滅した。
矢上悟の目の前で、暗くなり始めた森がワイバーンの炎によって明るく耀く。それと一緒に、何人かの勇者達が金の光になって消えていった。
『ほらね? 大丈夫だったろう』
いつものようにイヴーカスが優しく囁く。
『たとえ勝負に負けても、絶対に彼らは死なないし、元の世界に帰れるんだよ』
「……そうか……よかったぁ」
今までモンスターとは戦ってきたけど、こうして人間の勇者と戦うのは初めてだった。
もしかしたら、人殺しをしてしまうかもと思っていたし、怪我をさせたら嫌だとも思っていた。でも、あんなふうに光って消えるなら大丈夫。
「でも、なんでみんな僕に攻撃してきたんだろう?」
『ごめんね。私の方でちょっとした手違いがあったんだ。でも、もう大丈夫だよ』
とても優しく、イヴーカスは囁いた。
『この場でみんなで闘いあって、シェート君と戦う権利を持つものを決めようって"決まった"からね』
「そうなの?」
『それに、モンスター使いと、パーティを組んだ人間のキャラクターが戦う時だってあるだろ? あれと同じことさ』
「……そっか」
ちょっと想像していたのとは違うけど、確かにパーティを組んでいるようだし、みんなこちらと戦う構えになっている。
それに、僕のワイバーンが怪我をしてしまったのはちょっと腹が立つ。何も言わずに先制攻撃なんて、ずるいよな。
『次はミスリルゴーレムを使ってごらんよ。ほら、タックル技とかあったよね。集団攻撃用の』
「"ロケットタックル"のこと? 分った!」
悟は全体を見回し、ちょうど勇者達が固まっているところを見つけた。あのぐらいたくさんいるなら、技ポイントの消費と釣り合いそうだ。
「よーし! ミスリルゴーレム、あそこに"ロケットタックル"!」
命令に従って大きな体がぐっと縮まり、
「オッ!」
風を置いていくぐらいの速度で、ゴーレムの巨体が勇者の群れへ殺到した。
たった二発の攻撃で、今まで文則の目の前にいた勇者の大半が吹き散れて行った。抱き寄せた綾乃は、顔面を蒼白にして自分にもたれかかっている。
「じょ、冗談だろ……」
「うそ……こんなの……」
ゴーレムは突進命令を受けたあと、戦えるものも病気で鈍っていたものも、関係なく轢き殺して行った。無論、死んでも死なないことになっているが、最後の一瞬こっちを見ていた連中の顔が忘れられない。
残った連中は必死に子供に攻撃しようとしているが、それでも一発もかすらなかった。
「一体どうなってんだよ! 絶対防御使う勇者はゼーファレスしか作ってないんじゃねぇのかよ!?」
「……もんころ……」
「へ? 綾乃さん、なんて?」
愕然とした顔で、綾乃は呟いた。
「"モンスターコロッセウム"……さっき、あの子が叫んだ技、"モンコロ"の技です」
携帯ゲーム機で長いこと遊ばれている、ファンタジー世界をモチーフにしたゲームの名前を、彼女の口が信じられないと言った感じでしぼり出す。
「え!? って、言われてみりゃそうだけど、綾乃さんゲーム系嫌いなんじゃ……」
「弟がはまってて、ちょっとモンスターを集めるのとか、手伝ったことがあるんです」
再びワイバーンがブレスを吐き、残った勇者を焼却していく。勇者とモンスターの戦いではない、一方的な殺戮。ただ、子供のほうはまったくそんなことを気にしているようには見えない。
もしあいつが、ただモンスター育成バトルで遊んでいるだけだとしたら、この振る舞いにも納得がいく。
とはいえ、問題は扱っているモンスターだ。
「冗談じゃねーぞ! だとしたらワイバーンは42、ミスリルゴーレムにいたっては53レベルじゃねぇか! 平均レベル15前後の俺達に当てて来るか普通!?」
「それにワイバーンは回避力を上昇させる"飛行"と炎のブレス、ミスリルゴーレムは魔法無効と物理耐性、でしたっけ」
悲しげに笑いながら、綾乃はすらすらと敵データを口にした。
ああ、この人はものすごく頭も記憶力もいいんだっけ。だから、弟に付き合ったゲームでも、これだけ覚えているんだ。
自分たちにとって、絶望的な敵のステータスでさえ。
「攻撃が当たらないわけだよ。モンコロって、モンスター同士を戦わせるゲームからな。プレイヤーキャラクターには『攻撃できない』んだ」
場に集まったほとんどの勇者を狩りつくし、それでもワイバーンは貪欲に獲物を探していく。そして、タックルで崩れた体勢を戻し、背後でゴーレムが起き上がる。
「聞いてるかモジャ髭! お前が文句つけてる神様はな! このゲームを知り尽くしてるぞ! 俺達に勝ち目は無い! そいつは、はなっから俺達をハメ殺すために、この場を作り上げたんだ!」
聞こえていようといまいと、文則は絶叫するしかなかった。権力争いに腐心して、自分の足元すらまともに見れていない、まるでテンプレートなバカ神様に。
水鏡の向こう、下界で絶叫するガルデキエの勇者に、イヴーカスはこみ上げる笑いを遠慮なく発散させた。
「ふは、ふははははははは! なるほどなるほど! ガルデキエ様、かの勇者は貴方には過ぎた存在のようだ!」
『う、おのれぇ……っ』
『イヴーカスよ! 貴様が、なぜ貴様が【神規】を扱っている!』
シディアの叫びに、ネズミはうっとりと笑った。ようやくそこにたどり着き、自分に問いかけてくれたことに喜んで。
『【神規】は勇者にさまざまな"神の法則"を与え、遊戯を有利に進めることが出来る。だが、神器よりもより多量の贄を要求するはず! あの勇者に纏わせている「ゲーム世界の法則を当てはめる」神規など、疫神の貴様に贖えるはずが』
「そこまで言って、まだ、お分かりになりませんか?」
まったく事態を理解していない、磯臭い水溜りの神に心からの侮蔑が湧く。
それと同時に、自分の身の内に快感がわきあがっている。快感だけではない、言葉に出来ない充実感が、全身に満ちていく。
「たった今、疫神の私が、と仰られたではありませんか、シディア様」
『……ま、まさか、そんな……』
「貴方のような高貴なご身分の方には、私のごとき疫神が、一体何十、何百、何千柱の神々の元で、嫌われ者を演じているかなど、存じ上げられないことでしょうなぁあ」
しぼり出した怨嗟が、相手の絶望の傷に痛烈に塗りこまれ、海洋神の心を締め上げる。
「疫神とて信者はおります。汚名とはいえ崇めるものも。そして、私ほどあらゆる世界で知れ渡ってるいるものもおりますまい」
始めは忌まわしいとしか思わなかった。誰もが自分を蔑み、唾棄し、笑いものにする。
だが、その塵芥の銘も、積み上げれば全てを圧する高みに成ると気付いた。
「その信仰! 信者! そして二つ名と疫神の身の全てを捧げ、今ここに神の規を与えた勇者を降ろしているというわけですよぉ!」
『お前の勇者が、高位の魔物を従えている理由も……』
「我が勇者の遊んでいる"モンコロ"には、モンスターを『絶対に捕獲できるアイテム』というものが有るのですよ。それを使えば、高位の古代竜とて一瞬で勇者の下僕です」
ここまでうまく行くとは思わなかった。あの時、"知見者"の助力がなければ、こうも大胆な一手は打てなかったろう。
「……悟、そこに二人残っているよ」
声をなるべく押さえ、感情を表に出さないようにする。彼は自分の最高の勇者で、糸を繰らずに操れる人形でなくてはならない。
楽しいモンスター育成ゲームで遊んでいる子供。その立場であるほうが、こちらも誘導しやすいのだから。
『いいの? なんか、戦う気がないっぽいけど』
「大丈夫だよ。それに、最後の一人になるためには、その人たちを倒さなくちゃ」
『でも……』
「じゃあ、攻撃してみて、逃げちゃったらそれでいいよ」
最後の一言は、ガルデキエとシディアの二人の耳にもしっかりと刻む。
分け身が一瞬で叩き潰され、彼らの姿が視界から消えた。
だが、痛みは無い。
それどころか、体に力が溢れてくる。
「あ、お、おお、おおおおおおおお」
その源が何であるかを気が付き、イヴーカスは随喜の涙を流した。
尊敬と、畏怖を源にした、信仰心。
「ああ、ああ、ああああ、す、すばら、しい……」
名も知らぬ星にいる者達が、自分の名に祈りを上げている。疫神としてではなく、全てを治める最高神として。
イヴーカス、我らが神よ。
その歓呼が、どくどくと体に満たされていく。
「ううう、あああ、ああああああああ!」
満ちていくその声を、ネズミの神は一片たりとも逃さぬよう、しっかりと抱きとめる。
渡さない、誰にも渡さない、これは私のものだ。
それは熱く膨れ上がり、自分の体を押し広げていく。
「ふは、あはは、はははははははは!」
その快楽に酔い、イヴーカスは玉座を降り、そのまま神座を抜けた。
勇者の絶望とイヴーカスの嘲りに、ガルデキエの思考は焼ききれる寸前になっていた。
それでも、目の前の事態を何とかするべく、夜闇に包まれていく森に檄を飛ばす。
「何を腑抜けたことを言っている! レベルなど関係有るか! 奴を、奴を倒すのだ!」
『ざけたこといってんじゃねえ! そっちの不始末棚に上げて言ってんなよ!』
「だ、だが、あのコボルトめも、レベルの差など物ともしなかったでは無いか!」
口にして自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。そして、勇者はその愚かさを見逃さなかった。
『あいつはしっかり準備して、相手を理解したから出来たんだろ! 相手を侮って! 見下して! そんな人間に、そんな神様にジャイアントキリングなんざ出来るかぁ!』
それでも、そう叫びながら勇者は大剣を構えてゴーレムに向き直る。
『もうこっからは神様も何も関係ない! 俺は綾乃を守る!』
「な、なにを言っているのだ、お前は!?」
「あ、綾乃を守るのか!? そ、そうだ、やれ! やってくれ勇者よ!」
『やめてください! シディアさま、私、もう貴方の声も聞きたくありません!』
唐突な拒絶に、青かったはずの海洋神は紙のような白さに顔色を変えていた。
「あ、あやの?」
『私、こんな戦いとか、そういうのが嫌だったんです! 私の想像してた世界は、こんなんじゃなくて……でも!』
杖を掲げ、大剣の勇者に付き添う少女は、目の前のゴーレムを決然と睨みすえる。
『文則さんが……文則が私を守るといってくれるなら、私も彼を守ります! 貴方のことなんてもう知らない! 私は、彼と一緒に行きます!』
『あ、綾乃……うおおおおおおおおおっ!』
一体、こいつらは何を言っているのだ。
この世界に召喚し、力を与えた我らを無視して、それでも目の前の敵と戦おうとしているとは。
だが、連中が戦うというなら、それに賭けるしか無い。
「す、好きなようにするがいい。残った貴様の加護は、せいぜい蘇り一つ分だ」
『力が抜けてるぜ神様。ここでコイツをぶっ飛ばせば、あんただって損しなくて済むんだろ? せいぜい応援してくれよ、俺らのラブラブパワーをな!』
もう、勝手にしてくれ。
ガルデキエは熱に浮かされたような視線で、事態を見守るしかなかった。
やっべーな。勢いでいろいろ言っちまった。
そう考えながらも、文則は燃えていた。かわいい女の子と一緒に絶望的な戦いに挑む、こんな燃えるシュチュエーションは、普通に生きてたら一生なかったはずだ。
ワイバーンが夜空に舞い上がり、ゴーレムが木々をなぎ倒してじりじりと近づく。
「綾乃、こういうの嫌いじゃなかったのか?」
「はい。でも、こうなったら話は別。このまま勝ち進んで、私、神様に文句を言ってやろうと思います!」
意外と強気な発言に、文則はにやりと笑った。
「いいね! 俺もこの闘いに勝って、あのモジャ髭を思いっきり引っ張ってやりたくなったぜ!」
「文則!」
綾乃の声で二手に散開、彼女の杖が金色に耀く。
「神威よ来たれ、熱き吐息より我らの身を守れ!」
全身に魔力の防壁がかかり、遅れて届いたブレスの炎が遮断される。
だが、
「くっ! あつううっ!」
地を舐めた炎が魔法の壁を穿って肌を焼く。
「ごめんなさい! ちゃんと力が!」
「違うっ、レベル差がありすぎて焼け石に水なんだ!」
熱遮断の障壁がまともに働かない。それでも生身で喰らっていたら今頃黒焦げだったろう。続けて防御力と攻撃力の上昇がかけられる。
「私に出来る強化はここまでです! 後はお願い!」
「上等!」
最初からワイバーンなんか相手にする気は無い。衝撃波で叩き落そうと思っても逃げられれば無駄に力を使うだけ。
それなら、当てやすい的に行く。
「くらええっ! このデカブツっ!」
渾身の力を込めた大剣の一撃、同時に秘められた衝撃波の力も上乗せして叩きつける。
「ガ……」
巨体が軽くよろめき、その表面に深い傷をつける。
「い、いけるっ!」
「ゴーレム系には衝撃とかハンマーとかのダメージが入りやすいんです! ミスリルゴーレムもそこだけは相性適用無しだったと!」
「綾乃って意外とオタクなんかもね! でも助かった!」
もう一発、そう思い振りかぶる背後から、
「ワイバーン! "テイルニードル"!」
命令を受けて、枝を震わせた何かが背中に降り注ぐ。
振り返った先にあったのは、ワイバーンの尻尾から撃たれた針と、その射線に割り込む綾乃。
「綾乃ぉっ!」
その体にびっしりと針を浴びて、細い体が倒れ伏す。
「てめええっ!」
「ゴーレム、"ハンマースイング"!」
よどみない命令の言葉に、完全に文則の頭が怒りで沸騰した。
「こんの、クソガキがアアアアアアっ!」
振りかぶられるゴーレムの腕に、腰だめにした渾身の一撃をい思い切りたたきつける。
ずんっ、と衝撃が体を貫き、それでも腹に力を込めて押し返す。
「俺の、綾乃に、なにしてくれんだよおおおおおおおっ!」
ぶつかり合った拳と剣、お互いに激しく亀裂が入っていく、それでも文則は神剣に命令を放った。
「しょうげきっ、ぜんっっかああああいいっ!」
意識がほとばしり、同時に剣と拳が粉々に砕けていく。その視界の端、固められるゴーレムの左拳に気が付き、希望が絶望に塗り換わる。
「忘れてた」
モンコロなんて小坊のころ以来だもんな、自分のうかつさを呪いながら、文則は苦笑を浮かべて嘆息した。
「"ハンマースイング"って、二回攻撃だっけ」
その呟きを最後に、文則の意識は激痛と共に吹き飛んだ。
起こっている全てを目にしながら、シェートは動けなかった。
金属の巨像と空飛ぶ翼竜の姿に圧倒されて。自分を散々苦しめた勇者達が蹂躙されていく光景を、黙ってみているしかなかった。
そして最後の二人が吹き飛び、モンスターたちが少年の元に帰っていく。
「大丈夫! すぐ治るからね!」
少年が腰の袋からビンを取り出し、金属の体に掛ける。その途端、完全に砕けていた腕が痕跡も残さずに再生する。更に虚空に浮かぶ飛竜にも同じ物を投げ渡すと、一瞬で傷が消滅した。
「サリア……」
『すまぬ。完全に、私の落ち度だ』
今までありえない神の加護をいくつも目にしてきた。しかし、あんな強力な魔物を容易く使役し、たった一つのビンで傷も破損も治してしまうなんて、考えもしなかった。
『神器ではなく神規……私とて、かの神を侮っていたわけではないが、いや……認めよう……私の狡猾など、あの方には遠く及ばなかったと』
「く……」
絶望感が身に染みていく。
それでも傍らの星狼は、こちらに向かってくる魔物に牙をむき出し、静かに唸る。
首筋にそっと手を掛けると、シェートは笑った。
「お前、もういいぞ。あとは、俺、やる」
「ううっ」
少し迷った後、それでも狼は向かってくる者たちを睨みすえた。
「お前……」
その姿に、声が湧き上がる。
考えろ。
吐息をつくと、コボルトは同じように敵を見た。
「ありがとな。俺、また弱くなる、とこだった」
それは自分の声だ。
生きるために、生き抜くために、考えろと。
『すまん。私も危うく下がってしまうところだった。そもそも、そなたにはまだ加護が残されておる。それによって、あの魔物を打ち砕く方法もあろう』
「サリア、それ……もう少し、待つ、できないか」
『…………こ』
こちらの言葉に、今度こそ完璧に、サリアは激発した。
『こんのおおばかものおおおおおおおおおおっ!』
「うわあっ!?」
「ぎゃんっ!」
『あんなものクソ意地だけでどうにかなるか! いい加減そう言うのはやめろ! 大体そなた、さっきまで尻尾を巻いて逃げ出そうとしていたではないか! 潔く負けを認めて私の加護を受けよ!』
耳に痛いこだま、怒りと心配で塗れた匂い、その全てを押しのけて、シェートも負けずに叫ぶ。
「それ、さっき! いま、俺、もう平気!」
『だからそんな無根拠な意地でどうとかなるレベルではなかろう! 気持ちで勝っても根本的な自力が無ければ勝つものも勝てん!』
「加護頼み! 絶対嫌だ! 俺、いい言うまで使うな!」
『馬鹿者! 今度は決闘! しかも約定で決闘中に加護を追加することはできんのだ!』
「い……いらない! なら加護絶対いらない!」
『バカバカバカ! そなた一瞬迷ったであろう! 良いから私にも何か』
『ずいぶんと、楽しそうですなぁ、サリアーシェ様』
聞きなれない、太い声が届く。飛竜の吐息の残り火に照らされた世界に、そいつはうれしそうに声を上げた。
『そろそろ神座からおいでください。我らの決闘を始めようではないですか』
神座の先にあった合議の間の光景を見たとき、サリアは思わず眉をしかめた。
階に、緑の草原に、あるいは扉のすぐそばで。無数の神の黒像が乱立していた。自分が出た扉の傍らには、非難と苦悶に指を突きつけた神像が立っている。
そしてその指の先、車座になって石と化した神々が見える。
「おお、待ちかねましたぞ、サリアーシェ様」
中央の四阿に座して、イヴーカスがこちらを見上げている。
だが、その姿はこれまでの彼とはまったく異なっていた。
体が異様に膨れ上がり、肥満している。巨大な太鼓腹を抱え、すわりの悪い大きな尻を座席に何とか乗せている有様。顔や頬にも肉がつき、浮かべている笑いも、どこかいやらしいものに見える。
身に着けているのは豪奢な法衣、頭に小さな冠を載せ、ゆったりと息をつきながら全身を揺らせている。
そしてその背後、四阿に何とか這い登ろうとしたまま石と化したガルデキエの、苦悶に満ちた顔があった。
「イヴーカス殿……その、姿は」
「ああ、これはお見苦しいところを、少々、身にもてあましておりましてな」
うっとりと、愉悦に満ちた笑顔を浮かべ、わが身をさするネズミ。金色の毛皮に包まれた巨体を生み出したのが、あまたの世界の信仰であることは疑うべくも無い。
「ですが、この戦が終わり次第、整えて見せましょう」
のっそりと立ち上がると、イヴーカスは這いつくばった嵐の神を見下し、神威を込めて蹴り飛ばした。
「こいつらから手に入れた世界によってね」
石像の端が砕け、抵抗も出来なくなった神が緑の草地に投げ出される。
「おやめください……そのような、振る舞いは」
「やめる? なぜです。こうできるからこそ、良いのではないですか、この遊戯は」
にたり、と笑う。
そうしてネズミは、ゆっくりと周囲を見回した。そこにあるのは、たった今行われていた狡猾な策の先にあった、大簒奪の結末。
苦痛と屈辱を刻んだ漆黒の像と、それをおびえた目で見つめる神々。
「すばらしいですなぁ。小神の、しかも疫神の身に過ぎぬこの私が! いまや、その辺りをうろちょろしている、自分を汚す度胸も他者の前に額づく気概も無く、ただ神であることを頼みに高慢に振舞うだけの、小さき神々の上に立てるのですからなぁ!」
「イヴーカス殿!」
それ以上言わせないための叱責。
見ていられなかった、今の彼の、何もかもを。
「まさか、お止めになるのですか? この私を」
「……いいえ。私には、その資格はありませぬ」
「ええ。そうでしょうとも、貴方も感じたのでしょう? 兄神様より奪い取った世界から流れ込む信仰を! その心地よさを! あらゆる美酒、芳しき美味し果実よりも甘い、この流れを!」
不思議な話だ、あれほど裏切りと策謀の話を続け、お互いを利用しあうと言い続けていたのに。いつかは裏切ると、裏切られると、そう言い聞かせていたのに。
己が策の成功を誇示し、簒奪した世界から与えられる信仰に酔い痴れ、他者を踏みにじる彼の姿が、自分に対する一番の裏切りに見えた。
「そうか……」
「何か?」
「貴方は、間違っておられます」
思い当たったことがある、彼の行動とその信念に見つけた、たった一つの擦過。
「私が、間違っている? これは異なことを。遊戯による簒奪が間違っているというなら確かのその通り。ですが貴方も私も、その流れに乗っているのです。それは無用な」
「そうではありません。ですが、今の貴方に何を言っても無駄でしょう」
考えてみれば、彼にはさまざまなことを教わった。
彼がいなければ、自分の愚直さを美徳と思い、シェートを徒に苦しめ、いつか共に倒れ伏していただろう。
多分、この方に自分の想いなど不要だろう。彼は自分を売り払い、十分苦しみ、こうなることを望み続けてきたのだから。それが彼の夢、彼の正義、それを正すことなど出来はしない。
「ですから、この決闘に勝ち、我が言の葉に意味を持たせましょう」
「言葉は不要です。所詮我らは己の正しさを言い張り続けるだけの存在。信頼だ、交渉だなどといっても、決定的に道を違えれば、後に残るのは遺恨、怨恨だけだ」
違う。
私はこんな状態になっても、貴方に恩を感じているのだ。
ここまで連れてきてくれたことに。
「それでは、決闘を始めましょう」
「……盟では半時、そちらに差し上げることになっておりましたが?」
「ありがとうございます。ではその時を存分に使わせていただきましょう」
「イェスタ、計測を頼む」
黒い女神が傍らにはべり、杖の砂時計を倒した。
サリアは目を閉じ、それから考える。
二体の強大な魔物、傷はいえたが決定的に武器の足りないシェート。傍らの星狼はどこまで信用に足る?
武器としての神器を与えたとして、あのゴーレムやワイバーンにどこまで通じる? そもそも彼の掛けた【神規】にどこまで対抗しうる?
たとえ打撃を与えたとて、勇者の使う道具が完璧に傷を治してしまう。それを用いる勇者には絶対攻撃が出来ない。
足りない、知識が、経験が、情報が足りない。
それでも振り絞れ、自らの想像力の及ぶ限り。
目の前のイヴーカスを出し抜き、自分が勝つ方法を。
「いかがされましたかな? すでに半時に近づいておりますが」
「く……」
実力を完全に伏せてきたイヴーカスの、手札を読みきることが出来ない。それでも、もう決闘は始まっている。ここで決定的な一打を打てなければ、シェートが蹂躙される。
「さて、そろそろ、時間ですな」
神にとっての刹那、その尽きていく時間を惜しむまもなく、イヴーカスの言葉が無常の一言を告げる。
「では、どうされます? いかなる加護を与えますかな?」
「か、加護は……」
「ずいぶんと楽しそうなことをやっておるな? サリアよ」
場にそぐわない、朗らかで深みのある声。
「そなたは、本当に危難を引き寄せるのが好きと見えるな」
「あ……」
四阿を見下ろすようにして、こちらに顔を向けた竜神は、思いのほかの上機嫌でこちらを見つめた。
「では、我らの盟を果たそうか"平和の女神"よ」