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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~ReBirth編~
26/256

11、結集

 新たな朝が来て、シェートは洞の出来た根方から起き上がり、歩き出した。

 そのまま森の中を歩き、その一角で足を止める。そこには蔓罠に引っ掛けられ、逆さづりになったウサギが一頭。

 まだ息があるらしく弱々しくもがいているが、すでに虫の息に近い。その頭蓋を軽く持つと、手早く頚骨を捻り折る。

 蔓を外し、獲物を手に、コボルトは歩く。その鼻腔に、目的の地の臭いをかぎながら。

 濃く、淀んだ、鼻を突く臭い。

 歩み進んだ先にあったのは、くすんだ灰色で満たされた沼だった。その成分の半分ほどは泥で出来ていて、異臭はそこから放たれている。

「サリア」

 ウサギの死骸を逆手に持ち、腰の山刀で首筋を断ち切る。そのまま、沼の中へと血を注ぎいれていく。

「仕込み終えたら、もう一つ、禁、犯しにいく」

『それ以外に、まだ何かあるのか?』

「勇者、もうすぐ来る。準備、省略したい」

 さらに腹を割き、皮をはぐと、もも肉を残し、わたと残りの身を沼にほうり捨てる。さらに、頭蓋を砕いて、脳髄すらも沼に投じる。

「この辺り、コボルト村、あるか?」

『無いだろう。やってくる勇者達の動きもある、付近の魔物は掃討されているはずだ』

「分った」

 悲しみと一緒に、シェートは沼の近くに盛ってあった土を、さらに投じる。そして大きな枝を使い、ゆっくりと練った。

 すでに澱みと変わらなくなった沼から、いくつかの骨が浮かび上がる。ウサギだけでなく、ネズミの骨もいくつかあった。

「これでいい。後、一日か二日、置く」

 かき混ぜられた沼から、腐った卵のような悪臭が解き放たれる。その臭いに閉口しながらも、コボルトは頷いた。

「そっちの準備、どうだ?」

『これからだ。何かあったらすぐに知らせよ』

「分った。そっちも、何かあったら、頼む」

 腰の山刀を確かめると、シェートは走り出した。すでに目的地の目星はつけてある、あとはいかにすばやく動くかだ。

 一切の迷いを捨て去り、コボルトは駆け抜けていく。


 神座を出るとサリアは周囲を見回し、それから西の扉を目指した。庭園にいる神の数は極端に少ない。遊戯に参加している神々は、討伐の準備に追われているのだろう。

『サリアーシェ様』

 回廊の欄干に隠れるようにして、小さなネズミが小走りこちらに追いついてくる。それを視界の端に留め、それでも顔を向けずに答えた。

「イヴーカス殿、神々の動きは?」

『申し訳ございません、これ以上お話することは』

「我らは大陸中央、エレファス山脈の南端に陣を張ります。山脈北部に陣取った勇者達にその情報をお流しください」

 ぎょっとしたようにネズミの動きが止まり、あわてて追いすがってくる。

『そ、そのようなことを申されてもよろしいので!?』

「構いませぬ。所詮逃げても逃げ切れぬ身、それならばいっそのこと、陣を張って迎え撃ちます。……しばしお待ちを」

 西の扉に立ち、サリアは声を高らかに名乗りを上げた。

「"万涯の瞥見者"にお目通りを!」

『サリアーシェ様……もうしわけありません、まだ主は戻られておりませぬ』

「ならば、お帰りになり次第、伝言を。以前の盟を結ぶ一件、申し出をお受けするとお伝えください」

 扉の向こうの小竜は一瞬言葉を失い、それからあわてた口調で声を上げた。

『そ、そのようなことを、こんな場所で』

「隠し立てしてもいずれは分かること。ただ、近々大きな戦がありますゆえ、それまでにお戻りにならなければ、お手数ですがそちらで急使を立て、即刻お伝えくださいますか」

『わ、わかりました!』

 多分、かわいそうな小竜に気苦労を積み増ししてしまったろう。そのことを心で謝りつつ、サリアはイヴーカスの分け身に向き直る。

 彼の考えも行動も、これまでのことを思い巡らせれば容易に想像が付いた。

 だからこそ、ここからは彼を存分に利用し、同時に利用されることが重要になる。

 彼のような狡猾さが、少しでも身に備わるように、そう願いながら言葉を紡ぐ。

「どうされました? お顔の色が優れないように見えますが」

「は、はは、貴方も冗談がお好きなようだ。それで、この後はどうされます?」

「密談とまいりましょう、"黄金の蔵守"よ」

 完全に色を失ったネズミに向けて、サリアは嫣然と微笑みかけた。


 まるで別の神格だ、イヴーカスは目の前で座を整える女神を見つめた。

 ただの意地だけではなく、強い意思を感じる視線。ついぞお目にかかったことの無い、静かな覇気さえ感じる。

 すでに彼女は、綾で勝ちを拾った迷える廃神ではない。自分が交渉するべき大神の一つ柱であり、覇を争うべき対手となったのだ。

「驚きましたな。あのような振る舞いに出られるとは」

 古き神殿を模した洞の中、あえて分け身ではなく本体で相対する。他の神々の目が厳しくなるだろうが、そんなことは瑣末さまつごとだ。

「それは良かった。貴方には飲まれっぱなしでしたからね、ささやかな意趣返しが出来ました」

「ま、まさか、それだけのために?」

「ご冗談を。あれも貴方と交渉するための布石です」

 さすがに驚いてばかりもいられない、用意された飲み物を口にし、さっきの振る舞いを思い返す。

「あれほどの情報を大盤振舞い、しかも交渉材料として使わずにあえて公開してみせる……即ち、他の神々への牽制、ですな」

「ご明察。私としては一刻も早く、貴方が他の神に報を持って馳せ参じて欲しいとすら思っておりますよ」

「やれやれ、薬が効き過ぎましたな。とうとう、貴方も私を使い走りに使うようになられましたか」

「薬、ですか」

 こちらの言葉に、サリアーシェはうれしげに笑う。

「その言葉を聞きたかったのです、"黄金の蔵守"よ」

「何のことでしょうな、こちらには分かりかねますが」

 曖昧な言葉で確信を語り、こちらの想像力を刺激する話法。賢しらな話術の穂先を見極め、イヴーカスはあえて確証を誘うべく、暗愚を装う。

「腹蔵はやめにしましょう。貴方は私を神々の餌とするべく肥やそうとしてきた。私という存在を高め、貴方の助力なしでは簡単に討ち取れないものとして。そうすれば貴方にはあらゆるチャンスが転がり込んでくる」

「……なるほど。貴方への評価を改めねばならないようだ」

 混じりっけなしの賞賛をこめて、あえて笑顔を引っ込める。

 同時に、ようやくそこまで読みきってくれたかという、安堵も沸いてきていた。

「して、そこまでこちらの真意を読んだ貴方は、私に何を望まれますか?」

「分け身を一つ」

 短いその一言に、イヴーカスは、えもいわれぬ快感を感じた。

 最後のピースが嵌り、最高の絵図が描き上がるという強い確信も。

 自分の手から差し出された分け身を、美しい手がそっと受け取るのを見て、ネズミは微笑んだ。

「これで、貴方と私は一蓮托生、といったところですか」

「沈み行く船に乗るネズミはいない。"狡猾は武に勝る力なり"……でしたね?」

 自分が裏切ることを明言しながら、それでも女神は、屈託無い笑顔を向けてくる。腹芸ではなく、こちらへの賞賛すらこめて。

 その表情に、ほんのつかの間、思考が白くかすむ。

「……然様です」

 短く答えると、イヴーカスは席を立ち、すばやく背を向けた。

「もう行かれますか」

「情報は鮮度が命ですからな。それでは」

 普段なら決してしない、そそくさとした振る舞いで場を離れた。

 なんと無様な、そう心の中で己を叱咤するが、それでも、この場にいたくないという気持ちが勝ってしまう。

 いや、本当はその逆だ。今までにない心地よさに、この場にとどまりたいと思ってしまう自分を否定するために、足を速める。

 これ以上、彼女と話をするのはやめよう、そう刻みこむ。

 心に、余計なものを抱え込まぬために。


「女神が竜神と密約だと!?」

 役立たずのネズミは、平身低頭して目の前に控える。その仕草も腹立たしいが、この段になって、女神がそんな札を切ってくるとは、思いも寄らなかった。

「まだ、確たることは何も分かりませぬが、広場にいた神々は、しかと聞き届けました様子で……おそらく彼らと懇意の神々は皆、ご存知かと」

「内容は!?」

「そこまでは。ただ、少なくとも討伐の際には明かされるものとぐふっ!」

 軽々と疫神の体が宙を舞い、石の床に叩きつけられる。

「役立たずが! 何のために貴様をあの邪神と近づけたと思っている! 愚図めが!」

 いらいらと神座を歩き、髭を撫で付けながら、ガルデキエは考えを巡らせた。少なくとも女神が陣を張り、こちらと完全に敵対することはわかっている。

 ならばその誘いに乗り、一気に押し包めばいい。それに、いくら罠を張り、地の利を生かしたとて、所詮相手は一人だ。

「シディアに伝えよ。我が勇者と汝の勇者を組ませ、討伐隊の頭目にせよとな」

「……シディア様は、首を立てに振られますかな」

「そうさせるのが貴様の役割だ。それとな」

 弱々しげに笑うネズミに顔を近づけ、ガルデキエは獰猛に歯をむき出しにした。

「奴に何を吹き込まれたか知らんが、俺を裏切るような真似はするな?」

「め、滅相な、そんな、うぐっ」

「あの魚臭い水溜り野郎ごときに何が出来よう! 俺はな、知っておるのだ!」

 踏みつけ、ぎりぎりと神威をこめて『圧する』。本来なら決して行ってはならない、神格への攻撃行為も、こんな相手なら思う存分振える。

「風船頭を見限って自分に付けとは! まったくあの磯臭いフジツボごときが! それで貴様は、我の情報を売りつけ、したたかに振舞っておるつもりか!」

「そ、そんなことは……ぐうっ」

「挙句、情報源を明かし、俺と他の神々の離間を行うか!? まったく、始末に終えん疫病神だな!」

「ぐあああああっ!」

 苦しみ悶えるイヴーカスを蹴り捨て、床に転がす。それから玉座に腰を下ろし、惨めなネズミを見下ろした。

「これまで通り、俺に仕えよ。シディアとその勇者には、我と我が勇者が力を貸すゆえ、存分に力を振るえと言え。そして、こう付け加えよ。ただし、配下のネズミは貴様にはやらんとな」

「は……はい」

「きっとだぞ。次、シディアに相対した折、その言葉を聞いたか問いただす」

 まあ、そんなことはどうでも良いがな、そう心の中で付け足す。

 事ここに至って、あの神は完全な敵となった。小賢しく動き回り、陰口を吹聴して回るならまだしも、こちらの手駒を引き入れるなど以ての外だ。

 そして、もうネズミに用は無い。魔物使いの勇者の実力はすでに測ってある。あの程度なら簡単に打ち負かせよう。

 神座から臭いネズミを追い払うと、ガルデキエは水鏡を虚空に浮かべた。


『そちらの準備はどうだ、我が勇者よ』

 遠山文則とおやまふみのりは、このだみ声が嫌いだった。

 一応、この異世界に召喚してくれた神で、今まで夢に見ていたファンタジー世界で、思う存分戦い、勇者生活を送らせてくれるのには感謝している。

 ただ、自分のところに来たのが、なぜこんなオッサンの神様なのか、それだけがぜんぜん納得がいかなかった。

「あー、うん。準備って言うか、みんな集まってきてるよ」

 そう言って周囲を見渡す。対して大きくも無い町の、一軒の宿屋。その一階にある酒場は、まるでコスプレ会場だった。

 現地住民の鎧は、大抵鈍色の鉄やアースカラーの皮鎧が中心だが、ここにいるのはみんな神器持ちの勇者ばかり。赤や青、緑やピンク、さらには金ぴかの鎧まで、とにかくバリエーションが豊かだ。

 自分の方はごついプレートメイルに幅広の両手剣、どちらも黒でまとめてあるので、この中では、却って異様に目立つ。時々"黒い剣士"とか呼ばれることもあるので、ちょっと恥ずかしい思いもしていた。

『この後、正式な布告があろうが、申し伝えておく。今回の討伐は汝と、"波濤の織り手"シディアの勇者とで頭目を張るのだ』

「頭目って……俺リーダーやんの!? マジで!?」

『まあ、そうだな。励むがいいぞ』

 いきなりリーダーとか、そう思いながらも、文則は少しドキドキした。伝説の勇者の集団の、さらにリーダーをやる。やろうと思っても絶対にできない経験だし、すごくカッコイイ。

「うっわ、なんかこう、中二心をくすぐられるっつーか、いいねいいね!」

『無様はするなよ? ゼーファレスの勇者は、コボルト風情に遅れを取り、ひどい有様で首を取られた。ゆめ、油断はするな』

「っていうか……ほんとにそれ、ただのコボルトなの? 話に聞く感じじゃ、かなりヤバそうなんだけど」

 ここに来るまでの間、ガルデキエは散々ゼーファレスとか言う神様の悪口を言いまくりだった。それ以上にサリアという神様と、コボルトのことはぼろくそだった。

 だが、他の勇者達と合流し、もう少し冷静な評価を聞くうちに、気分はすっかり改まっていた。

 森の中での戦いを熟知し、相手のリソースを徹底的に叩くやり方。

 そういえば、日本のRPGではあまり重視されないが、海外のゲームだとリアルにファンタジー世界を再現したものが多く、食料や呼吸、重力を考慮に入れたものが多かったことを思い出す。そのコボルトも、そっちのデータで考えたほうがよさそうだ。

 多分、そのコウジとかいう奴は、そっちの知識が無かったんだろう。ご愁傷様、としか言いようが無いが。

『まあ、レベルは貴様らよりは上だが、所詮一匹のコボルト、数で押し包めば倒せないとことはあるまい』

「追加の神器とか、加護の情報は?」

『入り次第伝えよう。ただ、かの邪神は竜神と盟を結び、なにやら隠し玉を手に入れたと聞く、容易ならざる事態だ』

 クエストに入る前に仕様変更かよ、思わず毒づきたくなるのを押さえる。

 どうも、この神様達は脇が甘い感じがする。ゲームに参加していながら、そのゲームのルールを深く学ばないというか、結局は力押しや、お互いの権力闘争に明け暮れてる感じに見えた。

「まぁ、死んでも家に帰してもらえる分だけ、普通のデスゲーム物よりはましかぁ」

『何か言ったか?』

「いいえ。誠心誠意、勇者としてがんばりますって言ったんですよ」

『良かろう。ではな』

 そう言って、神威が周囲から薄れていく。この調子なら、会議か何かでしばらく帰ってこないだろう。

 考えてみれば、神様のゲームの駒なんて、不吉以外のなんでもない。どんな創作物でもそういう立場になった奴は、運命に翻弄されて死んだり、悲惨な状態になったりするのが相場だ。

「だからさぁ、せめてそういうときは、美少女女神さんが来るもんだろ! なんであんなオッサンなんだよ!」

「あ、あの……」

 思わず絶叫した文則の前に、ローブに白銀の篭手やブーツを身に付けた、ショートカットの少女が立つ。

「……えっと、君は?」

「私、シディア様の勇者で、篠原綾乃しのはらあやのです。えっと、ガルデキエ様の勇者さん、ですよね?」

 小顔で、細身だけど、割と胸はしっかりある。何より優しそうで、両手で抱えるようにして杖を持つ仕草に、思わずドキッとする。

「あ、うん。俺、遠山文則、です。よろしく」

「こちらこそ。ちょっとの間ですけど、一緒にがんばりましょう」

 そう言って、ふわっと笑う顔に、文則は崩れそうになる顔を必死で抑えた。

 うっわー、やっべー、どうしよー、マジでかわいいよこの子。

 ナイスモジャ髭、こんなかわいい子を勇者に選んだ神様と知り合いとか、グッジョブすぎて言葉も無い。

「神様ありがとうっ! 俺やる気出てきたよっ!」

「え? あ、よ、良かったですね?」

 握りこぶしでガッツポーズをとると、さすがにテンションを下げて、綾乃に向き直る。

「と、ところで、あや……篠原さんて」

「綾乃で良いですよ、遠山さん」

「こっちも名前でおねがいしますっ! って、その、綾乃さんて、あんまり勇者っぽくない感じだよね?」

「はい。私、支援特化型なんです。防御とか付与とか回復が中心で」

 それを聞いて、さすがに文則は頭を切り替える。自分に彼女をつけたということは、補い合って攻略目標を落とせということだ。勝ちに行く布陣、誰よりも早く前線に出て、コボルトを倒すことを期待されている。

「そっか。見た感じ、君みたいなタイプは多く無いから、今回の作戦の要になると思う。普通勇者って攻撃偏重になるしね」

「みたいですね……文則さんも、そんな感じですもんね」

「あ、あははは! いや、男はこう、ガツンとやるのが仕事で、綾乃さんみたいな人にサポートされたら元気百倍っていうか! な、なに言ってんだ俺、あははは!」

 考えてみれば、ガルデキエがつけてくれた騎士も魔法使いもどっちもオッサン。神様の趣味かと思って正直げんなりする夜もあった。

 しかし、この瞬間、俺は充実している!

「ゼーファレスって神様の勇者がいきなりいなくなって、あちこちの魔物も結構調子こいてたみたいだし。んで、俺も必死であちこち回ってたんですよねー」

「そうなんですか?」

「はい! ここに来る前も、街道でばったり魔物とあったりして! 結構大変だったんですよ! あ、なんか飲みます!?」

 どこか舞い上がってしまっている自分を感じながら、それでも文則は必死に、綾乃に自分の武勇伝を聞かせ始めた。


 惨めな気分で、ゴブリンのキィールは夜の森を進んでいた。出発したときにはたくさん居た道連れも、今はたった三匹だ。

「おい、なにか、くいものあるか」

「うるせえ、すこしだまれ」

 背中から掛かる仲間の声すら鬱陶しい。肩口から背中にかけて、焼け爛れた傷が痛んでしかたない。

「うるせえとはなんだ。だいたいおまえ、かいどういくっていったのがわるい!」

「おまえもいいっていった! いちいちおれのせいにするな!」

「だまれ! しずかにしろ!」

 先頭を歩くネリギはもっとひどい。敵の勇者に片手を吹き飛ばされ、それでも何とかここまでやってきた。

 巨大な剣を振り回す勇者は、まったく容赦なくこちらを切り滅ぼしていった。生きているだけ見っけものだ。このまま誰にも見られないよう、夜の闇にまぎれて移動すれば、いつか仲間の住む場所にもたどり着けるだろう。

 そう思った矢先だった。

「が……ぁっ」

 突然、ネリギが地面に崩れ落ちる。

「どうした……ネリギ?」

 恐る恐る近づくと、仲間はこめかみに矢を喰らい、息絶えていた。

「て、てき!?」

「ど、どこに、ごっ」

 サリの口に深々と矢が突き刺さり、仰向けに倒れていく。

「だ、だれだぁ! すがたをみせろ!」

 そんなことを言っても無駄だと分っている。今すぐにでも、どこかの物陰から矢が飛んで、自分も仲間と同じように死ぬだろう。

 それでも、必死に武器を抜き放ち、周囲を見回す。

 茂みが、がさりと鳴った。

「え……」

 キィールは目の前に現れたそいつに、呆然とするほか無かった。

 一匹のコボルト、弓を収め、暗がりの中で自分を待ち構えていた。

「な、なんだおまえ、どうしておれのなかまころした!」

 どうしてコボルトが俺達を襲うのか、その理由がまったく分からない。いじめられた腹いせ? このチビどもにそんな気概があるわけが無い。

 だが、犬の顔をした魔物は、底冷えのするような声で言い放った。

「お前、持ってる物、欲しい」

 そいつは、片手から縄のようなものをだらりと垂らし、振り回し始める。

「は!? わけわかんねえ! おれたちなにももってない! それとも、おれたちのよろいほしいのか!?」

「それもある。でも、俺欲しいの、命」

 無造作に振われた右腕、それは真横に振られ、

「あぐううっ!?」

 一瞬で縄が首を縛めた。

「いぎいっ! いっ、ぐあああっ!」

 縄に仕掛けられた尖った何かが、首に食い込んで血を流させる。爪を立て、何とか引き剥がそうとするが、それでも縄はしっかり食い込んでいた。

「や、やべろ! おれ、おれ、おまえ、なかまっ!」

「仲間?」

 コボルトの手に白い光が宿り、それが縄に伝わり、首筋に巡っていく。同時に、焼き鏝でも押し付けられたような灼熱が肌を焼いた。

「あっ! がっ! ああああああああ!」

「俺、お前たち、仲間思ったこと、一度も無い!」

 渾身の力を込め、コボルトが綱を引いた瞬間。

「ごえあああああああああっ!」

 キィールの視界は、絶叫と激痛の中で、永遠に回転した。


 この日のために作っておいた掛け小屋にシェートが戻ったとき、すでに太陽は中天に掛かりつつあった。

『大分、大荷物だな』

「ああ」

 背負ってきた物を地面に下ろし、同時に小屋の中にしまっておいたものを持ち出した。

 ゴブリンたちの使っていた鎧や脛当て、篭手に兜。

 掘りたての草の根や木の実の付いた枝。

 きれいに削られた数十本の矢軸の束に、膠で固められた強靭な弓弦。

 なめされた鹿や猪の皮、皮ひもの束、それから麻の布がいくらか。

 小屋の影に立てかけておいた木の枝も持ち出して、それぞれをつぶさに確認する。

「サリア、勇者達、どうだ?」

『ありがたいことに山脈北部に配置された勇者の数が思いのほか多くてな、足並みをそろえるのに二日は稼げそうだ』

 黙って頷き、保存食の固いパンと干し肉を齧り、水で流し込む。

 それから、準備に取り掛かった。

 兜を逆さにして水を入れ、石組みの炉に乗せ、火を付ける。沸くまでに草の根の土を払い、水洗いし、荒く削りながら兜の中へ。

 木の実は枝から摘み取り、皮袋の中に入れると、口をしっかりと縛り、上から石で丁寧に叩いて中身を砕いていく。

 炉に掛けた火を気遣いながら、鎧の検分を始める。染み付いたにおいに閉口しながら、汚れを取り、ゆがみを見て、それから自分の体にあてがう。鎧の修繕などはしたことが無かったが、熊狩りの時に胸当てや篭手をつけることはあったから、それほど苦労は無い。

 辺りにきつい香りが漂い始め、麻布で鼻を覆うと、木の枝で中身をかき混ぜる。とろみが出るほどに水がなくなってきたのを確認し、少しだけ水を足す。

 どうにか身に着けられる篭手と脛当てを探し出し、他は脇へのける。

 それから、目の細かい川砂と鹿皮を使い、表面を磨いていく。錆を落とすと同時に、地金がどこまで腐食しているかを確認するこの作業は、おろそかにするわけにはいかない。 同時に石を使って自分の体に合うよう、形を調整していく。

「おっと」

 煮詰まった臭いのする兜にもう一度水を継ぎ足し、火を少し弱めてから、磨きの作業に戻る。

 やがて、篭手と脛当ては美しい光沢を取り戻し、どうにか形にすることが出来た。見繕っておいた猪革とまとめて、一旦小屋に戻す。

 兜の中身は、暗い緑と黒の混合物となり、まともに蒸気を浴びればそのまま昏倒しそうな臭気を放っている。火から降ろし、上に枝の覆いを掛けて小屋の脇に置く。

 そこで一度、背を伸ばし、肉と干しブドウを口にすると、今度は地面に座って矢軸を手に取った。

『シェートよ、その矢軸は、人里から取ってきたものか?』

「猟師小屋」

 人間の使う矢なら先端に鏃が付くが、自分はそんな持ち合わせも無いので、いつもどおりの裸矢を使う。山刀で軸先を尖らせ、かえしを入れていく。

 ただ、今回の矢には無数の返しを入れていく。本来なら、獲物の肌を傷つけるので、返しは最低限で抑えていた。

『もう一つ犯すといっていた禁とは、そのことか』

「俺達、絶対、人の物取らない。猟師小屋、狩り道具、たくさんある。でも、しない」

 山には人間の猟師たちが、狩りときの休憩に使用する小屋がいくつかある。そこには、狩りの消耗品である弓弦や矢軸、暖を取るための毛皮や保存食などが置かれていた。

「一度、手、出したら、警戒される。人、俺たち、知られる」

『……だから聞いたのだな、近くにコボルトの集落が無いかと』

「ああ」

 手早く作業したつもりだったが、すでに日暮れが森に影を落とし始めている。仕上がった矢を紐でくくると、それを手にして歩き出す。

 やがて、行く手から激烈な臭気が漂ってきた。森の中に現れた異臭の正体は、自分が仕込んだ『沼』だ。

 夕影の中でも分かるぐらい表面が泡立った泥沼。その周囲には地ネズミや小鳥の死骸、それを狙ってやってきた狐が転がっている。

「……ごめん」

『これが、秘伝か』

かばねの毒」

 それぞれの動物の皮膚は、爛れて水泡が出来上がっている。苦悶を浮かべて血泡を吹いているものも居る。話には聞いていたが、正視に耐えないむごい光景に、胸が締め付けられた。

「父っちゃ、言ってた。これ、使うとき、自分死ぬ、考えろって」

『動物の死骸と、わざわざ混ぜ込んだ血によって、沼をさまざまな病毒を養う培地に変えたのか……』

「悪い土も、一杯入れた。そこで怪我する、傷膿んで、苦しむ土」

 狩りの技ではない、ただ相手を、殺すための知識。それでも父親がそれを自分に仕込んだのは、結局コボルトが世界の悪意に飲まれて、死ぬ定めだと知っていたから。

 死なないために、殺す知識。

 毒をかき混ぜるのに使った枝で、動物達の亡骸を端に避けると、沼に溜まった泥を、掻きだして行く。

 そして、持ってきた矢を解き、泥に、先端を浸す。

「これ刺さった敵、半日で苦しむ。普通、病気なるの、一日、それ以上掛かる」

『そういえば、沼を作るときに色々投げ込んでおったな……』

「ゴブリンの魔術師、見つけた。屍の毒、強くするやり方」

 皮肉な話だ、自分にとって仇敵とも言える存在の知識で、自分が生きる道を模索するなんて。それでも、今はこれを使うより他は無い。

「後、明日まで浸す。屍の毒、光浴びる、薄まる言ってた。明け方、すぐ矢筒しまう」

『この沼は、どうするのだ?』

「安心しろ。ちゃんと、毒消す」

 翌朝、まだ空も白まないうちに、シェートは起き出した。

 残った保存食を腹に収め、冷えた兜の中身を毒の実を入れた皮袋にいくらか注ぎ入れると、小屋の奥にしまっておいた小樽を引きずりつつ一緒に沼へ向かった。

 泥から矢を引き抜き、慎重に矢筒に収める。全てを収め終えると、泥を沼に戻し、兜の中身を沼に注ぎいれた。

『敵に使うのではなく、消毒のための毒だったのか』

「毒沼、敵使う、困るからな」

 ある程度沼をかき混ぜ終えると、今度は小樽の中身を沼に流し込んだ。

「それは?」

「油」

 そう言って、火壷から燠を取り出し、放り入れた。

 どうっ、と音がして沼が燃え上がる。ところどころ泡だった部分が、火柱を上げて燃えていく。

『死骸から上がるガスと油を燃料にした炎、火による浄化か』

「火、使う。毒の始末、良くなる。父っちゃ、調べた」

 ある程度火が燃え広がったのを見て、すばやく下がる。この火から昇る煙にも毒があると教えられていたからだ。

『山火事にならないか?』

「今、若芽の季節、森、水気多い。あと、沼の周り、草刈っておいた」

『……"狡猾は武に勝る力なり"、か』

「なに?」

 難しいが、不思議と腑に落ちる一言。サリアは笑って言葉を継いだ。

『ある方から教えられたのだ、頭を使い、力を尽くせと』

「……父っちゃ、言ってた、生きる、生きたい、なら、頭使えって」

『弱いからこそ、な』

 荷物をまとめ、そのまま宿営地に戻ると、僅かに残った干しブドウを口にして、それから篭手と脛当てを取り出す。

『シェート』

「なんだ」

 膠と革を使い、防具に補強を施す。手を休めないまま、緊張した女神の言葉を聞いた。

『侵攻が開始された。おそらく明日には、包囲が行われよう』

「……なんとか、間に合った、か」

『いま少し時間が稼げれば、森に罠の一つでも掛けられたのだがな、すまん』

 黙って首を振ると篭手と脛当てを付け、具合を確かめる。補修と当て物のおかげで、驚くほど体にしっくり来る。

「いい。後、細かい仕事だけ」

 やれるだけはやった。後は、生きるためにあがくのみ。

 黙々と、狩人は準備を続ける。

 やがて来る、狩りの時に向けて。

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