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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~ReBirth編~
22/256

7、奢りと誤り

 シェートが夜更けの世界に安らいだのを見ると、サリアは素早く神座から出た。

 基本的に勇者は夜は行動しない。無論奇襲を掛けてくる場合は別だが、兄神との一戦以来、夜の森で狩人に戦いを仕掛ける愚を避けているのだ。

 竜神の神座への扉を目指しながら、サリアは勇者が持っていた物のことを思い出し、暗い気持ちになっていた。

 異世界から呼び出された彼らは、そのほとんどが野外の生活経験を持たない。

 神に召喚され、勇者として異世界で戦うという非常識。それを受け入れられる思考を持つ者という条件を満たすために、ある程度の文明を持つ世界から呼ばれるためだ。

 さらに、神に対する『信心の薄さ』も重要な選定理由だった。下手に特定の信仰を持っているとコミュニケーションに齟齬が出るし、場合によってはこちらが悪魔呼ばわりされかねない。

 そのためか、彼らのほとんどが"日本"と呼ばれるエリア、あるいはそれに近似した世界から呼びつけられるようになっていた。

 彼らには少ない加護でも意外な能力を設定する知的柔軟性があり、それによって小神でも勝ち抜く可能性が上がるという面も、彼らが受けている理由の一つだった。

 だが、その優位は自分の狩人の行動によって揺らいでしまった。

 泥臭く、地味で、人間の生理に訴える方法は、手間を厭わなければ見た目のレベル差を埋め得る。眠らなければ判断は鈍り、食べなければ人は死ぬ、その当たり前こそが力となるのだと。

 だからこそ、この前のような手は二度と通用しないだろう。熱心な神などは、食べられる野草や簡単な狩猟罠の作り方を教え、あるいは仲間にエルフや地元の狩人を引き入れるなどの徹底した『対策』を練っていた。

 たった一度の勝利で、シェートの能力の大半が見切られた。破術についても何らかの手で防ぐか、あるいは無視できる方法を講じるだろう。

「案内を請いたい!」

 内心の苦渋を押し殺し、サリアは扉に声を掛ける。両脇に侍るドライアドは、こちらの言葉を待って沈黙している。

「"万涯の瞥見者"にお目通りを!」

『暫しお待ちを』

 周囲から、抗議と敵意の視線が突き刺さる。

 構うものか、無言の背中でその全てを跳ね返し、目の前の扉を睨んだ。

『お通しせよと、承りました』

 扉は開かれ、足早に中へと入り込む。世界は一瞬で暖かな火の灯る、居心地の良さそうな洞窟へと姿を変えた。

「ずいぶんと思いつめた顔をしているな、サリアよ」

「……ええ。恥ずかしながら」

 巨大な書見台に顔を落としたまま、竜神はページを手繰りつつ声を掛けた。

「この前はすまなかったな。煩い小童どもをあしらうので手一杯であった」

「いえ、こちらこそ、私のためにお手をわずらわせてしまいました」

「そのような詰まらぬことを謝罪するために来たのではあるまい。早く用件を済ませよ」

 驚くほどに不機嫌な声、とはいえ本来この竜神は気難しいことで有名であり、こんな対応は日常のことだった。

「お知恵をお借りしに参りました。いかにして我が配下を生かすべきか、そのための手管を探すために」

「儂に何か意見せよと?」

「いえ。書庫の瞥見をお許し願いたいのです。特に、過去の遊戯について分かるものがありましたら、それを重点的に」

 現状は八方塞りだが、それに足を止めている暇はない。加護を使わないのなら、それ以外のことでシェートを補佐すればいい。

「確かに、儂の個人的趣味として、過去の遊戯についての資料は作らせてある」

「では……」

「だが、以前にも申したと思うが、儂は遊戯には参加しておらぬ。それを弁えた上で言っておるのだろうな」

「それでも恥を忍んで、ご教授をと」

 ようやく書見台から顔を上げると、竜神は鼻の上の眼鏡を置いて、顔を向けた。

「そなたと配下のコボルトの状況はわかっておる。だが、思い悩む意味はあるのか?」

「意味、ですか?」

「そなたは大神の身の上となった。現状を打開するならば加護を使って、新たな力を授ければ済むことではないか」

「できぬのです」

「なぜだ」

 そう問う声は硬く、冷たい。

 鋭い視線を浴びながら、それでもサリアは昂然と顔を上げた。

「星と世界を贄とする加護は、使いたくないのです」

「使いたくない、だと?」

「あれは、見ず知らずの者の命を、勝手に扱う行為」

 竜神は何も答えない、静かに喉を鳴らす音だけが空間に響いていく。

「私は、そしてシェートも、そうした遊戯を許せないからこそ、兄上の勇者と争ったのです。それを、ここで翻すようなまねはできませぬ」

 それ以上、口にすることが出来なかった。

 自分の周囲に、強烈な圧力を持った、何かが爆ぜる。

 それは燐火、触れた全てを焼灼せずにはおれない、竜の怒りの欠片。

 そして、目の前の竜は、ぱくりと口を開けた。

「この……馬鹿者が!」

 竜神の体が、声と共に巨大に膨れ上がる。その瞳には劫火が燃え、周囲で作業していた小竜たちが必死に、弾ける主の怒りから本を守った。

「何を奢っておるのだ、そなたは!」

「わ、私は奢ってなど」

「自らの使役したものの力量も省みず、星の加護を使わずに勝てるなどと、増長以外の何がある!」

「それでも押し通さねば、我らの義が通りませぬ!」

「それで、あのコボルトが死んだとしてもか」

 烈火から反転、極北の冷たい怒りが、竜の喉から迸る。

 その指摘に、それ以上の反論が急速に萎えていった。

「いくら加護を与えたとて、種族本来の力を飛び越えることなど、容易いことではない。それに、あやつには仲間の一人もおらぬはず。その穴を埋めるためには加護を以って当たる以外に何がある」

「それでも……私は……シェートの心を汲みたいと」

「そして高みから知識だけを降らせて、後は己で何とかせよと言うつもりか」

 竜神の言葉は、事実だった。

 側にいられない自分が配下にしてやれることといえば、結局加護という形をもってするほかない。今日の戦いを見ても、彼一人でこれ以上、何かをさせるのは限界だった。

「泥を被れ、サリア」

 竜神の声には、もう怒りは無かった。ただ、乾いた事実だけが洞窟を振るわせる。

「あのコボルトがなんと言おうと、そなたが選んで加護をつけてやるがいい。そなたとてあの者が疲れ果て、ぼろくずのようになって死ぬのを見るは辛かろう」

「あやつは……受け取らぬ、でしょう」

「なにを腑抜けたことを言っているのだ、そなたは! それならば神として強制せよ!」

 何も答えられなくなったサリアに、大きくかぶりを振り、竜神は深くため息をつく。

「廃神としてさすらう間に、地の者と交わり方すら忘れたか。力を持ち、それを振るう我らは彼らの友ではない。時として、その意思を曲げてでも、良き方へと導くことを求められるのだ」

 頭では理解している、意地など命より軽い。何かを為すために犠牲にしなくてはならないものがあるのも分かる。

 それでも、サリアはつかえを吐き出さずにはいられなかった。

「私は、簒奪者です。その私に彼らを、兄上の世界を捧げる資格など」

「もうゼーファレスの物ではない、あれは"そなたの世界"なのだ」

 実感の湧かない事実。

 イェスタにもそのように告げられていた、ゼーファレスの世界では、すでに『パラダイムシフト』が行われていると。

 遊戯によって奪い取った世界では、その支配者の神が変わると同時に、信仰の対象が書き換わっていく。それは長い間を経てなじみ、完全に入れ替わった時点でその神の支配地と化す。

「だから嫌なのです! そんな風に奪って、奪われて、手玉に取られていく者のことを考えると!」

「そして、そなたが負ければ、今度はその世界の人間達にとって、更なるシフトが強制されることになる。それがどういう意味を持つか、分っておるのか」

 竜神は虚空に水鏡を浮かばせ、そこに映像を結ぶ。

「これはゼーファレスの治めていた星の一つだ。その様子では、実際に見るのは初めてであろうな」

「こ……これは……」

 大地は、争いに満ちていた。

 とはいえ、血で血を洗う争いではない。聖堂の中、幾人もの聖職者達が意見を交わし、お互いの存在を糾弾していく。

 片や軍神である兄神を指示するもの、その存在を否定し、世界に平和を敷こうとする女神である自分を掲げて。

「そなたの神性に接合したものが、主神としてサリアーシェを祭り、ゼーファレスを異端として排斥しているのだ」

 水鏡の向こうの景色は、刻々と変わっていく。いくつかの聖堂が緩やかに、また別の聖堂では主神の像の破却という形で、ゼーファレスの威光が朽ち果て、サリアーシェという神への信仰へ塗り換わっていく。

「こんな……こんなことが……」

「そなたがもう少し名の知れた神性であれば、シフトは緩やかになったろうが、それでもこうした『変化』はどこでも起きうる」

 分裂の火種はやがて世界に広がるだろう、そして、もっと実際的な「戦」になることも。そう思うとやるせない気分になってくる。

「やはり、私は反対です。こんなことを続けていけば民は疲弊し、結局は誰も我らを省みなくなる。崇敬は尊信から生まれるもの、地の塩を軽んじれば、いつか我らもこの世界から消え果ましょう!」

「だからこそ、一つの神が長く世界を治めるのが肝要なのであろうが」

 水鏡を消し、竜神は大分表情を和らげてサリアを見た。

「彼らを使うことに抵抗があるなら、こう考えるがよい。自らの支配が長く続くことで、彼らも安寧を得られると。そなたが遊戯に勝つということは、庇護に入った人々の安らぎにも繋がるのだと」

「それを、痛み止めとしろと?」

「どうしてそう頑固なのだ、そなたは」

 書見台を脇にのけると、竜神はふてくされたようにその場に丸くなった。

「ここまで言って分からぬようなら、もう知らぬ。後は好きにせよ」

「申し訳……ございませぬ」

 暇乞いを告げてサリアは扉に歩き出す。その背中へ、竜神は付け加えの言葉を投げた。

「そなたはもう無一物ではない。それを良く考えてみることだ」


 広場に出ると、サリアはそのまま回廊を歩き始めた。自分の神座へではなく、そこから遠ざかるように。

 竜神の言葉は正しい。

 自分の考えの間違いを正そうとしてくれるのも分かる。だからといって、そう簡単に首を縦に振る気にはなれなかった。

 遊戯の全てに正当性を求めることができるなら、なぜ、私の世界は滅び去ったのか。

 遊び場として自らの世界を開放され、自分は手出しすら許されず軟禁され、ようやく帰りつけたときには、何もかもが死に絶えた後だった。

 あの時の無念を思い、死んでいったものの事を考えるたびに、遊戯のもたらす破壊と欺瞞が、そのルールに乗ることをためらわせる。

 それでも、自分はその遊戯に参加しているのだ。ただでさえ難易度の高いところへ、それ以上の縛りを入れることに何の意味もない。

 それでも、なお。

「シェートのことは言えんな」

 皮肉を一杯に込めて、サリアは自らを嘲笑った。

「自分も相当な頑固者だ」

「それがサリアーシェ様の強さの源、と言うわけですな」

 いつの間にか傍らを歩いていたネズミは、突然の登場の非礼を詫びつつ顎をしごいた。

「困難に対して一歩も引かぬと言うのは、中々できることではありませんからな」

「根が意固地なだけです。その挙句、目の前の問題に立ち往生してしまう」

「……竜神殿とのお話は、うまく行かなかったようですな」

 何も答えないこちらに頷くと、彼は"洞"を探し当て、その奥へと入っていく。今度は小さな入り口と奥まった広い空間を持つ、地下聖堂のような空間にたどり着いた。

「密会する場所としては、こんなところでしょうかな」

「接合されている"洞"は、汎世界の景色を素材に作られているそうですが、イヴーカス殿は、こうした事物にお詳しいようですね」

「さまざまな世界の神々と懇意にさせていただいておりますからね。こうした見識が身につくのですよ」

 少しばかり誇らしそうな表情をしたネズミは、この前と同じように饗応の支度を済ませて、同じように対面に座った。

「それで、一体竜神殿とはどのような?」

「こうした場を設けていただいた上に、このようなことを申すのは心苦しいのですが」

「なるほど、言えぬと。ただ、そのような申されようでは、答えを言ってしまっているのと同じですがね」

 遊戯に関することであると知れることは初めからわかっていた。ただ、自分が『加護を使いたくない』と考えていることは、知られないようにするべきだろう。

「選択肢が多すぎたので、何かお知恵をお借りしようと考えたのですが、遊戯の参加者で無いものに聞くことではないと、お叱りを受けまして」

「なるほど。唐突に大神の身となられれば、そのような悩みもおありでしょう。それで、今後はどのように?」

「……それをお尋ねになりますか」

 イヴーカスは笑っている。こちらがうっかり口を滑らせるようならよし、と言ったところだろう。

「残念残念、このような手には乗られませぬか」

「いくら猪のごとき頭でも、その程度の罠には気が付きます」

「ですが、もう悠長なことは言ってられますまい。加護が決まらぬままでは、あのコボルトの若者も、いつか擦り切れてしまうでしょうな」

「それは……」

 イヴーカスの口調には、こちらの窮状を理解している口ぶりがありありと見て取れた。実際、この前の決闘の様子を見れば、誰の眼にも明らかだったろうが。

「とりあえず、仲間でしょうな。それか、何か武器を与えてやるのがよいでしょう」

「イヴーカス殿?」

「ああ、これはネズミの浅知恵ですゆえ、お聞き流しになられればよろしい」

 出入り口を閉じると、イヴーカスは飲み物を口にしつつ、いくらかの知識を開陳して見せた。

「神々は、勇者を仕立てるとき、加護のいくらかを仲間に振り分けるのが常です。腕のよい傭兵や魔術師などに天啓を与え、あるいは国全体に預言を示し、好意的な者を勇者の側に置くのです」

「ですが、シェートは魔物。そのような通例は使えませぬ」

「ならば同じ種族の者を使い、協力させればよいでしょう」

「それは……」

 そのやり方では、確実にシェートは受け取らないだろう。それどころか、烈火のごとく怒るに違いない。

 こちらの沈黙を軽く流し、イヴーカスは続けた。

「では、いっそのこと神器を与えては。ゼーファレス殿がしたような無敵の鎧と武器さえあれば、戦いも楽になりましょう」

「それも考えましたが……あれはシェートには向きませぬ」

「それはどうして?」

「コボルトは体も小さく、膂力も多くありません。強力な障壁で身を守っても、それを支えて押し返す力が足りない。それに、衆を頼みに押し包まれれば、結局我々が勇者にしたことを逆に返されるばかりです」

 魔法の腕輪にしたところで、シェート自身に魔法の素養がないため、使いこなすのは難しいだろう。異界の勇者達はさまざまな娯楽で『魔法を使う自分』というものをイメージしているから、ああした行動が取れるのだ。

「彼の動きに合った道具を与える、理にかなっておりますな。それで……その具体的な形は見えておられるので?」

 その問いに対し、何も答えられない自分に気が付いた。

 竜神への相談と今の会話をつづり合わせれば、シェートに与える神器のアイデアなどないと分かるはず、否定したところで無駄なことだ。

「どうやら一つ、他の神々に報告できることができたようですね」

「そのようですな。これは実にありがたいことです」

 こちらの苦笑にイヴーカスは笑って頷く。ここで気の効いた神なら、自分の持っているものを割き与えて、口止めでもするところだろう。もちろん『無い袖は振れない』が。

 このままではただ奪われるばかり、サリアは半ば捨て鉢な気分で、一歩踏み込んだ。

「では、イヴーカス殿はこの話を手土産に、どの陣営へ売り込まれるのでしょうか?」

「それではただの質問、私めが答えたいと思うようには仕向けられておりませんな」

 ネズミは肩を竦め、それから卓の上に置かれた果物からブドウを一房取った。

「僭越ながら、交渉事の基本とはなんであるか、お考えになったことは?」

「さぁ。私は直線的に、信頼のやり取りばかりを考えておりますから」

「その通り。信頼のやり取り、それが交渉の第一義です。信頼が無ければ交渉は成り立ちませんからな」

「……これは驚いた。てっきり如何に抜け目無く振舞うかを説かれると」

 イヴーカスは手にしたブドウの粒を房から外し、赤紫の実を卓に並べていく。

「交渉における信頼とは、交渉に立つもの全てがブドウを『独り占めしない』と約束することを指します。でなければ、最初から暴力ですべて奪えばいいのです」

「交渉事にも暴力はありましょう。詐称や欺瞞が」

「無論のことです。しかし、そうした暴力も、一度振るわれれば相手は警戒し、次がなくなります。やがてはその存在は孤立し、結局より低次な暴力に頼らざるを得なくなる」

 低次な暴力、という言葉が耳に痛い。確かに、自分がやってきたのは、交渉とは程遠いレベルの行動だったろう。しかし、それ以上に低次な暴力を振るったものは、自分よりも高みに座しているのだという矛盾も、また事実だった。

「とはいえ、低次な暴力にも効果はありますな。交渉するべき相手を滅ぼし、全てを剥ぎ取ってしまえば、次など考える必要はありませんからね」

「その好例が私、と言うわけですか」

譴責けんせきする意図はございませんでしたが、失礼をお詫び申し上げます。ですが、それもやり方の一つと言うわけです。私を、切られますか?」

「それを今、する気は無い……いや、できないと言うべきでしょうか」

 こちらの言葉にネズミは笑顔で頷いた。

「ええ、そうでしょうとも。私がそのように仕向けたのですから。孤立したサリアーシェ様に自分を売り込み、他の神々とを繋ぐ窓口になった。その時から、私は貴方にとって切れない札となったのです」

「ふふ、貴方のように賢しい頭を持っていれば、私もこのようなはめに陥らずに済んだかもしれませんね」

「"狡猾は武に勝る力なり"、私の身上です。そうでなければ木っ端のようなこの身など、すぐに吹き飛びましょう。おっと、それよりも」

 ネズミはさっきのブドウを大きいものと小さいものにより分け、小さい方を自分に、大きな方をサリアの方へと置いた。

「交渉の第二義は、相手の欲しがっているものを見極める目です」

「……神々の欲しがる物と言えば、新たな所領と信仰でしょうね」

「それは根本的な理由です。が、それを即座にやったり取ったりはできません。なぜならサリアーシェ様の持っているブドウは大きく、私の持っているのは小さいからです」

 小さなネズミは仔細らしく顎をこすり、まるで出来の悪い生徒を教える教師のように、丁寧に言葉を重ねていく。

「一粒づつでは対等の取引にはなり得ないし、こちらが二粒出して大きいもの一つと取り替えては、こちらの損になります」

「では、小さい粒を持つ方は、それ以外のもので取引をするのですね」

「その通り。では、そこで出せるものとは、何だと思われますか?」

 ブドウであれば別の果物でと言いたいところだが、これはあくまで物の例え、世界や信徒に匹敵するものとなると、そこまで考えて、サリアは顔を曇らせた。

「その……お気を悪くされたら申し訳ないのだが……御身は、疫神の役割をなさっておられるとか」

「はい。恥ずかしながら」

「疫神の役割をすることで、他の神々と繋がり、遊戯に参加しても協力や休戦を結ぶこともできる。そして、私に接触してその情報を流すことも」

「その上、疫神とはいえ信仰を集める神格。たとえ遊戯で破れたとて、その一部を捧げれば廃れずに済みましょう。そして、疫神は誰もが嫌う役どころ、ということです」

 驚くほどに練られた仕組み。確かにイヴーカスのような手を使えば、位の低い小神でも遊戯に参加し、それなりの成果を残すことも出来るだろう。そして、万が一敗れても疫神の名であれば簡単に取り戻せる。

「今のところ、他の神々はサリアーシェ様の持つ所領を奪うことに躍起になっておられます。しかし、正面からぶつかっては勝てない。つまり、皆様が欲しているのは『所領』そのものではなく『サリアーシェ様から所領を奪う方法』です」

「貴方はそれを神々に売れる、所領というブドウを奪うための別の果実を、他の神々に提供できるのですね」

「交渉の第三義は、損得を勘定することです。第一義の『信頼』で作り上げた情報の命脈を元に、第二義の『眼』で他者の欲を見極める。そして、自分にとって何が『損得』であるかを考えること。この単純な方法を重ねるのが、交渉なのですよ」

「貴方にとって、疫神の名は損ではなく得なのですね」

「無論、忌々しいとは思いますがね」

 サリアは、イヴーカスのどこか誇らしげな顔を見つめた。

 多分、この神は自分の想像も付かない泥を被り続けてきたのだろう。それでも、こうしてひとかどの物を積み上げ、自分よりも位の高いものと渡り合おうとしている。

「貴方を見ていると、なりばかり大きくなった己が恥ずかしくなります」

「私などは、こうするしか術が無かっただけのこと。それにサリアーシェ様とても、兄上との交渉は見事であったではありませんか」

「あれは……その……」

「兄上の恋情と、譲れない矜持を餌に釣り上げ、対等の場に引きずり出す。私の言葉などなくとも、貴方は見事にやり遂げておられましたよ」

 あの時の必死さを思い返し、自分を省みる。確かに奢っていたかも知れない、余りに多くの加護を得たこと、その意味も考えなかったことを。

 そして、まだやれることは数多くあるはずだ。

「イヴーカス殿。よろしければ、御銘みなを頂戴したいのですが」

「"穢闇えやみの運び手" "陰なる指""爛れ呼びの東風"いくらでもありますよ」

「いえ」

 彼は言った。交渉の第一義は信頼だと。

 ならば、今それを示せるものが一つある。

「できれば、疫神のものではない、御銘を」

 その言葉にネズミは少し言葉を詰まらせ、それから笑顔で頷く。

「"黄金こがねの蔵守"、絶えて久しく呼ばれない銘ですが」

「ご教授感謝します"黄金の蔵守"よ」

「このようなことでよろしければ、いくらでもお話いたしましょう。おお、そうだ」

 イヴーカスは席を立ち、洞の入り口を開け放った。

「折角ですので、サリアーシェ様とも盟を結ばせていただけませんか」

「私の信頼を得たとなれば、情報の重要度は一層高まる。神々に売れる品も増えるということですね」

「それだけではありません。もし、御身が勝ち続けるのであれば、いつでもサリアーシェ様に鞍替えできるようにしたいのですよ」

 相変わらず狡猾なのだか、腹蔵が無いのだか分からない言葉。とはいえ、それが額面どおりではなく、自分の歓心を引くための対価であることも承知していた。

「では、その盟を結ぶにあたり、神々がいかなる動きをなさっているのか、お教えいただきたいものですね」

「そうそう。交渉は相手が欲しいと言った時に札を切るのです。言わなければ言わせるように仕向けるのも一つの手でございますよ」

 去り際、狡猾なネズミの神は、神妙な顔でこちらに振り向いた。

「近々、"知見者"の御印が東征を行う由。それを受け、"覇者の威風"並びに"波濤の織り手"の二つ柱を頭目に頂き、遊戯に参じたる神々が邪神討伐に乗り出す機運が盛り上がっております。御注進までに」

「"知見者"の動きまでご存知とは……貴方は、一体」

「さて、ネズミというものはどこでも入り込むものですゆえ。それでは」

 そして彼は去り、沈黙が洞の中を支配する。

 残されたサリアは、言葉の意味を反芻した。

 遊戯において絶対の権威を持ち、その勝敗を分け合うという高位の四柱神。

 その内の一柱である"知見者"フルカムトは、強大な勇者の軍を率いて遊戯に臨んでいると聞く。ゼーファレスが居なくなった空白の地を併呑し、さらに力を伸ばそうとすることは十分に考えられた。

 そして、サリアの持つ所領を飲み込もうとするのも至極当然のことであり、小神たちにしてみればその前に、シェートを討ち果たしたいと思うだろう。

「状況は一層厳しく、というわけか」

 猶予の無さを実感しつつ、それでも迷い無い足取りでサリアは洞を抜けた。

「狡猾は武の力に勝る、か」

 あの神のようには振舞えないだろうが、今の自分にもっとも必要な言葉だろう。

 具体的にどうすればいいとは分からないが、頭を働かせ、奸智を扱うくらいでなければこれからの戦いに勝ち残ることは難しい。

 だが、サリアはその言葉の響きに、不思議なものを感じていた。

 初めて聞いたとは思えない、それでいて記憶に違和感を生じさせる諫言。

 何かが間違っている、正しいと感じるはずの言葉なのに。

「いや、今は目の前のことだ」

 疑問をしまい込むと、女神は自らの神座へと向かおうとした。

『サリア』

 虚空に届くかすかな呼び声に、サリアは一瞬足を止め、小走りに門へと向かう。

「どうしたシェート? 何があった!」

 返事は無い、というより別の何かに気を取られている雰囲気が漂う。嫌な予感を抱えながら神座に飛び込んだサリアは、水鏡に映る姿を見て絶句した。

 薄暗い街道の真ん中、ゴブリンの死体を挟み、傷だらけの人間を前にうな垂れるコボルトの姿に。

「何があったのだ! シェート!」


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