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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~格闘編~
198/256

29、「終わらせよう、すべてを」

 なにもかもが、静寂に包まれていく。

 目の前で消えていく隆健の姿を瞬き一つせず収めると、ルシャーバは立ち上がった。


「戦は終わった。貴様の勝ちだ」


 これ以上、語ることは何もない。約定の通り、掛けの代として示されたものは、必ず履行することになる。


「……お待ちください」

「待てと言われても、待つよりほかはない」


 石になりつつある下半身を示し、肩をすくめる。女神は神妙な顔で近づき、それから深々と頭を下げた。


「此度の決闘で掛けられた約定、こちらの都合で、取り下げることは可能でしょうか」

「……なぜだ」


 サリアは水鏡に振り返り、帰り支度を始めていたコボルトを目で示す。それから、はにかんで告げた。


「私は、死ねなくなりました。幾星霜の彼方に続く年月を積み上げようとも」

「――ふ」


 その言葉の意味を悟り、ルシャーバは、爆笑した。

 結局、自分はただの道化で、恋や愛などとは無縁の、武辺者でしかなかったのだと。


「ふははははははははは。そうとも、我が愛しの姫神は、名も無き小さな花をこそ、愛でるのであったな。であれば、あれを忘れて忘我に沈むなどもってのほかだ」

「……もうしわけ、ございませんでした」

「ああ、全くだ」


 とはいえ、これはこれで、そう悪くはないだろう。

 俺の口下手は去っていった勇者のお墨付き、無様な道化ではあったが、どうにか格好は付いたようだ。


「息災でな」

「はい。御身もどうか、お心安からかに」


 女神は笑い、再び頭を下げる。

 まぶたを閉じ、"闘神"はつくづくと、今回の戦いを振り返る。

 奇妙で、不可思議で、切なくなるほどの、得難い一戦を。

 そして静かに、物言わぬ姿と成り果てた。



 夕暮れの中、温泉の湯気がむらむらと立ち昇る。

 すべてが終わり、この宿泊所に引き上げてきたとき、意外な客が風呂を浴びていた。


「あー、マジで沁みるわぁ……今回がんばりすぎたもんなぁ」


 黒く丸い塊が、頭に手拭いを乗せ、湯船のヘリでどっと息を吐く。

 その側には山盛りにされた温泉饅頭。


「湯加減良好。ケデナへの渡航前、ここでの湯治、推奨」


 水を得た魚のように、青い姿がすいすいと黒い湯の中を泳ぎ回る。

 尻尾の先にとっくりと猪口の乗った盆を、器用に維持している。


「お疲れさまでした。とりあえず荷物はそこに。水分補給の後、ゆっくり入浴しなさい」


『竜洞温泉』と襟元に書かれた半纏を身に付け、調理場で作業していた赤い姿が、包丁片手に告げる。

 どうやら今夜の食事を担当する気らしく、すでに煮炊きを始めていた。


「何を呆けているんだい? ほら、一杯どうぞ」


 同じ半纏をまとった白い姿が木のカップを差し出し、それを一口飲む。

 それから、フィアクゥルは叫んだ。


「なんでお前らが、こっちにいるんだよ!」

「今回の戦い、お前たちの負担を鑑みてのことです。特例中の特例ですが、今日一日かぎりということで、ゴリ押しました」

「……そ、そうなのか」


 シェートと顔を見合わせ、それ以上の詮索を脇に置くと、言われた通り飲み物を飲んでから、湯船に入る。

 そこでようやく、実感がわいてきた。


「勝ったんだなー」

「うん。フィー、いっぱい、がんばった。ありがとな」

「ギリギリ感あったけど、終わってみれば、なんとかなってよかったよ」


 そんなことを話しているところへメーレが近づき、こちらをじっと見つめた。

 

「ケデナへの渡航、二週間後」

「え……明後日ぐらいでも問題な」

「絶対、駄目」


 湯船の中が氷水になったかと思うような、冷厳な宣言。生真面目な癒し手の後ろで、グラウムが腹を抱えて笑っていた。


「メーレもさんざん妥協した結果だ、受け入れてやれよ。最初の案だと、一年はここで過ごす羽目になってたんだぜ?」

「いくら何でも長すぎだろ」

「むしろ、短すぎ。二人の心と体、重度の疲弊」


 そう言われて、フィーは隣のシェートに振り返る。元気そうにはしているが、つい数日前に一度死にかけているのだ。

 こっちは平気でも、ガナリが万全でなければ意味はない。


「そうだなー。俺も頑張りすぎたし、しばらくのんびりしようぜ」

「……ああ」

「ところで、サリアは?」


 その問いに答えるように、お湯の水面に何かが滑り進んでくる。

 色とりどりの花を編み込んだ籠が、いい香りと一緒にこちらの目の前に浮かんでいた。


「私だけのけ者、というのは無しに願いたいからな」

「めんどうだ。お前、ずっとこっち、いろ」

「もしかすれば、そうなるかもしれぬ」


 意外な一言に、シェートが姿勢を正す。先を続けるように片手を上げると、女神は神妙な顔で頷いた。


「"英傑神"との同盟を前提に、交渉に入ることにした」

「マジかよ。相手の方は?」

「まだ使者さえ送っていないがな。ただ、彼の神の目的と心根を確かめ、問題ないと判断できれば」


 サリアの手が、シェートの肩に乗る。

 優しくさすり、慈しむ姿に、思わず目が離せなくなった。

 ああ、こいつも意外と、女神なんだな。


「同盟を組み、魔王を討伐する。それが成った後で、私は遊戯を辞退するつもりだ」

「そう、か」

「今まで苦労を掛けたが、これでようやく、シェートも戦わなくて済むようになる」


 シェートはぼんやりと女神を見つめ、それから胸元の石をそっと握る。少し戸惑っているようだったが、それでも笑顔で頷いた。


「あと、魔王だけ、そうだな?」

「それさえ、こちらの持っている情報を渡すだけでもいいだろう。無理をして、前線に立つ意味もない」

「いやいや、そこはちゃんと名を売っとけって話だよ。コボルトのイメージアップのためにもさー」


 山盛りの温泉饅頭をもりもり食べながら、グラウムが笑う。その意見を受けて、こちらにさました白湯を差し出し、ソールも頷いた。


「ここまでの苦労を考えれば、そのぐらいの実利があったほうがいいだろう。お前は気に食わないだろうが、仲間たちのためにもなることだ」

「……そうか。わかった」

「これで、すべてが終わる。いや」


 そう言ってから、サリアはゆっくりを首を振り、言い直した。


「終わらせよう、すべてを」


 先の見えない戦いが、ようやく終わる。

 神々の遊戯も、巻き込まれたシェートの運命にも、決着がつく。 


「心配するな、大丈夫だよ」


 湯船の中央に及び進むと、笑顔でシェートを見る。

 手にしたカップを差し上げて、誓いを新たに告げた。


「なにがあっても、必ず守るから」

「ああ」


 シェートはうなづいて、カップの中味を干していく。

 その時、視界の端にちらりと、白い欠片が舞い込んだ。


「雪だ……」


 音もなく、静かに、降ってくるそれを、片手で受ける。すこし火照った頬を大気に晒しながら、フィアクゥルは耳を澄ませる。

 世界は静かに謳い、冷たく閉ざされる季節を呼んでいく。

 白い静寂の下で憩い、新たな時を待てと。

 誰もが言葉をしまい込み、ただ空を見つめる。

 雪は静かに、地の全てを毛布のように、包みこんでいった。  



 夜半。

 誰もが眠りについたはずの湯船に、ふかりと浮かぶものたちがいる。

 竜洞の四竜たちは、互いに距離を取りながら、何もない虚空の一点に顔を向けていた。


【で、実物を見てどーよ】


 それは言葉ではなく、聲によるもの。だが、それはあえてフィアクゥルに伝えていない出し方。

 時と空をまたぐことなく伝達する竜の聲ドラゴンブレスの奥義の一つだ。


【想像以上だ。というよりも、仕上がりすぎている、というべきか】


 ソールの言葉は苦い。また自分の判断ミスを自虐しているのだろうが、今はそれどころではない。


【私たちの感想は一致しているみたいだね。実測値はどうなんだい?】


 ヴィトに話をふられ、メーレはためらいながら、現実を明らかにした。


【89.2%】

【……マジかよ】

【むしろ、変異想定、予想より、軽度】

【軽度でそれか】


 それぞれの脳裏に送信されるのは、フィアクゥルという仔竜の『魂の形状』のイメージモデルだ。

 それはすでに、人間ではなくなっていた。

 

【補整してどうにかなるもんか、これ?】

【現在の形状、一時的変異。ただし】

【魂の不可逆変異領域は?】


 治療者であり、観察者でもあるメーレの顔は、驚くほどに饒舌になっていた。サリア―シェの治療が成功裏に終わったのと裏腹に、仔竜の侵蝕は、致命的領域クリティカルを踏み越えてしまっている。


【57.8%】

【ついにハンブン越えかぁ……やっぱ、フラッシュバックがまずかったな】

【彼も元は"神去"の者だよ。"呪詛"の毒は?】

【問題なし。むしろ不可逆変異、増えるたび、無効化される】


 報告を聞き終え、小竜たちは思い思いに黙り込む。

 この先に待つものが何であれ、自分たちの使命は変わらない。


【『フィアクゥル』の保全、これが最優先だ】

【言われなくてもって奴だぜ。なおさら"英傑神"との同盟、成立させねーとな】

【女神のフォローは私とメーレで継続するよ】

【了解。状況整理、完了次第。使者として立つ】

 

 合意を形成し、それぞれの聲を閉じる。

 この一件で、だいぶそれぞれの立ち位置も変わった。これが竜神の構想通りなのかは分からないが、まんざらでもないだろう。

 それぞれが自分好みの嗜好品を引き寄せる姿を眺め、ソールは独り言ちた。


「必ず、期待に沿ってみせます、主様」



 みんな眠っている。

 それぞれの寝息を聞きながら、シェートは自分の胸元をたどった。

 最初の勇者によって貫かれ、友人によって切り開かれた部分を。


『終わらせよう、すべてを』


 サリアの言葉は、ずっと自分も願っていたことだ。

 最初の勇者を手にかけた時、すべてが終わったと思っていた。

 その全ては思い込みで、殺した時から、何もかもが始まっていた。

 最も弱い、経験値稼ぎのために殺される雑魚という立場を捨て、自分は今、想像もしなかった海のかなたで眠りにつこうとしていた。


「終わる、か」


 胸元の石を手の中に収め、握りしめる。

 今はもういない、大好きだった恋人の思い出に、すがるように。

 心の底に押しとどめていた、気持ちが溢れそうになる。


「……ダメだ」


 気持ちを切らすな。まだ狩りは終わっていない。

 猟行に出たら、郷のことは忘れる。そうでなければ、命を落とすから。まして、今の自分はガナリなのだ。

 でも、それが終わったら。


「…………」


 眠っているフィーの姿を、見つめる。

 一緒にいる、そう言ってくれた。

 この苦しくて、辛い勇者狩りの旅で手に入れた、大切な友達。


『シェートには、笑ってて欲しいんだ』


 ずっと一緒にというのは、さすがに悪いだろう。

 でも時々、遊びに来てくれるくらいなら、いいかもしれない。

 そうやって、昔あったことを語り合えるぐらいの付き合いになれたら、いいな。

 口元に笑みを浮かべて、シェートは眠る。

 たぶん、この旅を始めて久しぶりの、何の憂いもない快さに包まれて。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 途切れない危機。今度はフィアクゥルの侵蝕率か [気になる点] なあなあになってるフィアクゥルの正体。 とんでもない爆弾になりつつあるような…… フィーは魔王相手にタンカ切ってたけど本当に大…
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