28、「悔しいな、ちくしょう」
耳に届いた鏑の音に、シェートは走り出した。
この戦いを、終わらせるために。
『この戦い、完全に連中をはめる』
フィーの顔は真剣で、容赦がなかった。語られる言葉、説明された内容のほとんどは、こちらの理解を超えている。
それでも要点は、しっかり覚えたつもりだ。
『あいつらは、俺の能力を無視できない。俺が姿を見せず、アウトレンジで攻撃するだろうって考える』
目前に迫った勇者に向けて、一息で三連射。それを横ざまに左手方向へ飛んでかわし、こちらの腕に手を伸ばす。
その場で弓を放り捨て、腰に巻いてあった『茨』を、思いきり振るった。
後ろに引きつつ、勇者が腰帯から何かを引き出す。
それは三本の棒を、鎖のような物で繋いだ武器。
『だから、俺たちはあいつらの間合いで、姿を見せて戦う。もちろん、真面目にはやらないけどな』
しならせた鞭の一撃を、うなる棒が弾き飛ばす。互いが互いの軌道を見切り、一定以上の距離が詰まらない。シェートの『茨』が木の枝を切り裂き、周囲の枝から木の葉が雨のように舞い散っていく。
『あいつらの、俺たちに対する思い込みを、徹底的に利用する。俺もシェートもアウトレンジの戦い方しかしないって奴を』
勇者の顔に焦りがある。木の棒はミスリルの刃で少しずつ削られ、両端が短くなっていく。いつかは抗しきれなくなって、こちらの一撃に切り裂かれるか、片手を犠牲に攻撃を潰すしかなくなる。
だからこそ。
「ふっ!」
勇者の棒が『茨』の軌道に差し出され、巻き付く。絡み合い、引き合う力が一瞬、均衡する。
「ったくよお、どこの世界に鞭とか使う狩人がいるんだっつの!」
相手の体格はこちらの倍以上、力比べなどはなから勝負にならない。
だが、シェートは歯を食いしばり、必死に拮抗を作り出す。
相手をこちらに引き寄せるために。
『そして、今回の作戦の肝は『役割をシャッフルする』だ』
腹に力を込めて、必死に『茨』を引く。
だが、相手に側に少しずつ体が引き込まれ、間合いが詰まる。
男の顔に、あと半歩、自分の拳が当たる距離へ来いと、貪欲に求める心が満ちわたる。
もう離すことはできない。そんなことをすれば、相手の突きが来る。
『そういや、俺殺した技、なんだ?』
作戦会議の時に、語られたやり取りが脳裏にひらめいた。
自分が殺された一撃。まるで中腰で弓を打つような、不思議な動きについて尋ねると、天の赤い竜は笑いながら答えた。
『衝捶や順歩捶など、呼び方は色々ありますが、シェートの疑問に答えるなら、あの呼び方がしっくりくるでしょう』
なぜかは分からない。
だがこの態勢、この状況なら、こいつはあれを使う。そういう確信があった。
だからシェートは、手を離した。
『――馬弓捶』
驚くほどに自然な一歩。こちらが手を離すのと同時に、まるでそのように決まっていたかのように、するりと右足と右手がこちらに向けて、差し込まれる。
『足は馬の背に乗る如く、腕は弓を引く如く。そんな射形から呼び習わされた技』
言われた通りの姿勢で、飛来する拳。
それは奇妙で、異様で、それでいて、美しかった。
死を与えるために練り上げられた、異邦の武術の精髄が、こちらの胸板に突き刺さる、寸前。
「"魔狼双牙"!」
叫びが、その一撃を防ぐ神器となって、拳を『ガード』していた。
渾身の、会心の一発だった。
これ以上ない、内と外の勁が、完全に収束した一撃だったはずだ。
当たればどんな修練を積んだ武芸者だろうと、どれほど積み上げた内功による打ち消しだろうと、何もかも吹き飛ばせるだろう、生涯最高の武錬の結晶。
一撃必殺の体現が。
よりにもよって自分の神の加護で、防がれていた。
(だから、なんだってんだ!)
怒りが沸騰し、体に染みついた『技/業』が体を動かす。
右が止まれば追いすがるように左足が上がり、相手の膝を折る『踏脚』が飛ぶ。
そのまま肘をぶち込んで――
「貫け、『スコル』!」
避けられたのは奇跡に近かった。頬をかすめる閃光、その熱と痛みに湧き上がる恐怖。
それでも、
「それが、どうしたあっ!」
さらに一歩踏み出し、縦に振り下ろす拳。わずかに鼻づらを掠め、コボルトの顔が揺れる。
絶対逃がせない瞬間、相手の策が何であれ、この間合いは俺のもの、俺がこいつに攻撃を当てられる、最後のチャンスだ。
だから、
「蒼っ、竜っ、拳っ!」
青い炎を纏って振り上げる拳。このタイミング、この姿勢なら、ガードは成立しない。
その一発はコボルトの顎を撃ち抜き、空高くへ吹き飛ばす、はずだった。
「"コボルトの布告"!」
それは勢いはあったが、気の抜けたアッパーだった。
中途半端に断ち切られた奇跡に、姿勢が崩れる。
コボルトが腰の山刀を抜き、横薙ぎに腹を切り裂く。その背後で、青い宝石を輝かせてこちらを睨む仔竜。
「う、があっ!」
でたらめに振り上げた片足。
コボルトの手がはじけ、山刀が吹き飛んで、こっちのつま先が割ける。
状況は完全に相手が掌握している。こっちの神規は相手の自由にされ、使えるのは習い覚えた武術のみだ。
それでもまだ、まだ手が届く。
積み上げた功夫の命じるままに、滑るようにコボルトに突き進み。
「――あ?」
強烈で、鈍い衝撃が、こちらを乱暴に突き飛ばしていた。
貫かれている、腹が。
貫いている、仔竜の使っていたのと同じ、槍が。
仔竜はたたずんでいるだけだった。
コボルトは絶妙な位置で、こちらから視線外さず中腰のまま。
じゃあ、誰が。
「あ――!」
入り組んだ木々の向こう、即席の石弓の側にたたずみ、縄のような物を加えた狼。
その口元が、ニヤリと笑ったように見えた。
(ああ、そういうことか)
その瞬間、隆健はすべてを理解した。
前線で戦う、神規を使う、罠を張る。
その役割の全てを、本来の使い手『以外』に分担し、使いこなす。
戦うべき相手を、完全に間違えさせられていたのだ。
「とどめだシェート!」
「おう!」
コボルトが柄を掴み、渾身の力で槍を突きこむ。
強烈な突進、激痛、衝撃、手足がバタつき、倒れまいともがきながら、下がることしかさせてもらえない。
そして、 槍の穂先と背中が、凄絶な音を立てて、木に縫い留められた。
「うぐあああああああああああああああっ!」
はらわたの奥で、背骨が弾け砕ける感触。下半身が唐突に力を失い、無痛と激痛が上下に分断された。
「げう、が、あ、あ、ぎ、う」
手に力が入らない、痛みで耳鳴りがする。助けて、苦しい。
どうして俺は、こんな、ところで。
『出るわけねえじゃん、ゲームの話なんだから』
それは懐かしくも、苦い記憶だ。
ガキの頃、友達の家で初めて格ゲーをやった時、俺は心を奪われた。
ゲームだけじゃない、その中で戦う格闘家たちの『気』をめぐるファンタジーに。
俺も、こんな武術を習ってみたい。
『そんな奥義、あるわけないだろ。気が飛ぶ、なんて話、インチキ霊能者とかオカルト趣味のエセ武術家が言ってる与太だよ』
子供も大人も、立場は違えど、言っていることは同じだった。
この世に魔法も奇跡もないように、気を飛ばして戦う格闘技もないと。
それでも何かあるんじゃないか。そう思いながら、気が付けば日本を飛び出し、台湾の武壇に入り込んでいた。
『確かに内気、外に出す方法、あるよ』
生涯の師匠であり、本名さえ知らないその老人は、阿里山の宵闇の中で苦く笑った。
『でも、それ無意味ね。やりすぎる、内気失い、体壊すの。そもそも気を形にして出す、仙術の奥義。普通の人、覚えるの不可能よ』
それがとどめになった。
武術を追い求めて二十年、三十半ばを過ぎた頃にようやく踏ん切りをつけた。
だが、そのころには、世間とのズレは埋めようがなかった。
『ああ、ちゅうごくけんぽーだっけ? なんかやってたよな、お前』
『マジか! もしかしてストリートファイトとかやったり?』
同窓会に集まった連中は、こちらを格好のイジリ材料と見なしたようだった。自分たちは日々、パワハラしか能のない上司連中にいびられている。
そのうっぷんを『はみ出し者』の俺で晴らそうというわけだ。
『もしかしあれか、裏で掛け仕合とかやったりしてんの!?』
『そもそも、あれって実戦じゃ使えねーんだろ? 変な動きとか延々やってるだけでさ』
それが世間一般の、武術というものへのイメージだった。いっそのこと、あそこで連中をぶちのめして、血の海に沈めていた方が、ましだったかもしれない。
『"神去"ならいざ知らず、汎世界では気を使う武術など、当たり前にあるぞ』
それは福音であり、呪詛だった。
地球とは見捨てられた星であり、他の世界なら潤沢にあるはずの『外気』が秒単位で薄れていくという。
ゲームで使うような気の武術など、他の世界なら『あって当然』のものだと、"闘神"は語った。
『そんなものを『叶わぬ夢』と言わざるを得んとは……"神去"とは、なんと――』
その時、俺は心の底から"闘神"をぶちのめしたいと思っていた。
俺がこんな歳になるまで、抱え込んで諦めたものを、ごく当たり前みたいに持っていやがって。
その上、勝手にこっちを憐れみやがって。
「おい、起きろ」
犬がこちらを覗きこんでいた。
気が付けば、空を見上げている。
痛みは薄くて、呼吸は頼りない。たぶん、俺はこれから死ぬ。
「なに、やってんだ」
「なにがだ」
「ちゃんと、とどめ、させよ」
コボルトは首を振り、視界の外に歩み去る。
『俺の一存だ。コボルトは介錯しようとしていた』
「痛み止めも、あんたが?」
『去る前に、言っておきたくてな』
返事をする気力もなく、俺は目を閉じて続きを待つ。
神様は少し迷い、提案を切り出した。
『俺の伴神にならんか』
「……は?」
『遊戯が終わった後のことになるが、その気があるなら、俺の元へ来い』
俺は息を吐き、それから、笑った。
「ああ、ようやく分かりましたよ」
『なにがだ』
「アンタ、人を口説くのがヘタクソなんだ。振られるわけですよ、それじゃ」
深い深いため息が、漏れ伝わった。
悲し気で、胸がふさがるような、辛さをともなった息吹に、隆健は少しだけ罪悪感を覚えながら、それでも笑った。
「負けた部下を労わるにしても、言い方ってもんがあるでしょ。自分のところに来て、永遠に戦い続けろとか、無粋にもほどがある」
『……ああ、そうだな』
「いいんですよ。この戦いで、分かりましたから」
そうだ、きっともう、俺は夢は見られない。
「俺はゲームのキャラみたいには、戦えないって」
最後の最後で、なにもかもがちぐはぐになった。
ゲームのようなとんでもない神規を扱えるわけでもなく、相手を死に至しめる絶招を自在に扱えるわけでもなく。
どっちつかずの、中途半端者だった。
それでも、それでも。
「悔しいな、ちくしょう」
涙が流れて、流れるままに、隆健は嗚咽を漏らした。
異世界に宿った仮初の体が、輝く粒子になって消え去るまで。