27、『あれが強者という奴だ』
水鏡を挟んで、ルシャーバは女神と小竜たちを見つめた。
サリア―シェのサポートをする二竜に対し、白と青は一言も口を挟んでいなかった。
そういうことか、この場に在りながら連中は、部隊を二つに分けている。
「隆健、どうやらこいつは、何かの策らしい」
『そうっすね。ていうか、完全に当てが外れましたよ』
仔竜は身の丈を超える槍を両手で構え、笑っている。
切っ先はミスリルを削り出した小刀。柄の部分を中空に加工したもので、汎世界の狩人たちも似たようなものを利用している。
だが、仔竜の体格には、少々大きすぎだ。
柄尻は地面に触れんばかりで、切っ先の角度も、隆健の腰までしか上げられていない。
『こっちの転移を見越して、神規封じを展開してると思ったんですけどね』
「そして、コボルトをおとりに、件の"れーるがん"とやらで射殺す。あの精度であれば、こちらにだけ当てるのも可能だろうしな」
その上、仔竜の胸に掛けられているのは、コボルトの神器。権限を委譲して使っているのだろうが、よりもよって自ら強力な力を封じてくるとは。
だが、どんな心算があるにせよ、やることは変わらない。
「食い破ってやれ。策ごとな」
『了解』
軽い歩みで間合いを詰め、隆健は切っ先を避けるように、相手の背中側へ飛ぶ。
どれほど素早く体を巡らそうが、仔竜の一歩と大人の一歩は幅が違う。あとは背中側から蹴りを入れて地面に倒せば――。
『うおっ!?』
ぱしん、と、乾いた破裂音が響き、踏み込んだ男の前足が払われる。青い腕から伸びた槍の柄が、思う以上の距離を薙いでいた。
たたらを踏んだ隆健に、大胆に進み出る仔竜。
その身体が、空中で前転した。
『っあっ!?』
大げさに飛び退った最前までの空間を、風鳴りと銀光が断つ。
あと一歩遅かったら、隆健の眉間は割られていただろう。
着地した青い姿が片手で槍をくるりと回し、そのまま背中に横倒しで構えた。
『やっぱ当たんないか。実戦と練習は違うもんな』
『はあっ!? いったい何だその動き!』
『さてさて、なんでしょうね、っと!』
軽口を叩きながら、仔竜が再び間合いを詰める。両手に構えた槍の持ち手、前手にした右の形が、隙間の空いた筒状に変わっている。
そこから押し出すように、槍が素早くしごかれる。
『せいっ! せやっ!』
『あっ、くっ、うおわっ!』
身頃に合わないはずの槍が唸りを上げ、敵の体をえぐり抜く鎌首になって襲い掛かる。
見事な操法、素人とは思えない動きに、たまらず隆健は大きく間合いを取った。
『なんて奴だ、レールガンに続いて、武術までインストールしたってのか!?』
『いや? 今回は特に、ソールたちから教わったとかはないぜ』
『だってお前、その動き……』
隆健の驚愕に、仔竜はにたり、と笑った。
『強いて言うなら、アンタに、かな』
『え……?』
『じっくり見せてもらったから。ちょっと、参考にさせてもらったよ』
なんて奴だ。
ルシャーバは驚愕し、心の底からの笑みを浮かべた。
竜の本質、それは『貪欲』さだ。
食い物や縄張り、財宝をかき集め、それでも飽き足らず、世界のあらゆる知識を飲みつくして蓄える。
故に、養った巨躯はあらゆる生物を凌ぎ、長生の内にため込んだ知識は、賢人どころか神さえ超えていく。
当然、隆健の武術も蒐集の対象となり得る。しかも、巨大な体躯を手に入れる前の仔竜であれば、人の身体運用は役に立つどころの話ではない。
『じっくりったって、一週間も無かったろうが! しかも、ついこの前まで、まともに動けなかったくせに!』
『こういうの、"男子三日会わざれば、則ち刮目して見よ"、って言うんだってさ』
『まだ一日しかたってねえよ!』
隆健の抗議も分からないでもないが、相手は竜種だ。この世のあらゆる生き物の頂点に立つ貪欲の前では、常識など無に等しい。
とはいえ、それでも覆し得ないこともある。
「うろたえるな。たかが使えるだけの相手だ」
「……うっす」
「それより、いかにして勝つかを考えろ」
鬱々とした気分に、わずかな涼風が吹き込む。仔竜の振る舞いは、習い覚えた技を使いたくて仕方ない門人そのもの。対する隆健の気配も、こちらの喝で少しはしゃんとしたらしい。
先ほどとは変わって隆健が両手を下ろし、対する仔竜はゆらゆらと、切っ先を遊ばせていく。
竜の眠りは己が知識を反芻し、千年の経験を瞬きの間に圧縮せしめるという。
一晩の間に隆健の研鑽を腹に収め、その動きを真似て理合いを心得たのだろう。
だが、しょせんはそこまでだ。
「――っ」
槍の穂先に身を晒し、相打ちを狙うかの如き一歩を進める。
応じた仔竜は真正直に、胸の内側へと鋭い突きを放つ。
その瞬間、はらり、と隆健の体が転じた。
最前まで胸板のあった部分を槍が抜け、その柄に沿うように右腕が伸びる。
「ふんっ!」
「うああっ!?」
抑えた右腕に、全身力の螺旋がねじ込まれ、仔竜の体がその場で回転する。
地面に叩きつけられた青い体に、降り下ろされる切っ先。
両手足を突っ張って飛び下がった仔竜が、驚きのまなざしで隆健を見た。
「甘いな。外三合は使えても内三合までは行ってねえ。そんな勁の抜けた突き、ちょっと合わせてやれば、こんなもんよ」
「……くっそ、付け焼刃なのは認めるけど、そんなあっさり止めるとか」
「雇われ勇者風情でも、この程度は出来るんすよ"青天の霹靂"君」
くるりと槍を回転させ、仔竜の眉間に合わせる。
確かに槍は兵器の王とも称され、持てば腕前の差を埋めうる力がある。
だが、どれほど竜が超越の種族でも、七日の看取り稽古で三十年以上の功力を凌ぐのは不可能だ。
小さな竜は、動かない。
いや、動けないのだ。動けば、一突きで死ぬ。
その姿に、ルシャーバは不穏を感じた。
(妙だな)
ここまでのやり取り、こちらの想定をすべて外している。
隆健の転移を見越して、相手は最初からこちらの神規を封じ、コボルトと仔竜の力を存分に発揮できる距離で戦うと読んでいた。
狼の奇襲はあるだろうが、それに関してはいくらか仕込みをしてある。それを使って牽制しつつ、コボルトと付かず離れずの間合いで削り合う、つもりだった。
お互いが得意な距離と戦法で戦う限り、必ず拮抗に持ち込めると。
(こちらの思惑を読んで、奇策として仔竜を前面に押し出してきた?)
仔竜の腕前は驚くべきものだが、付け焼刃の技ではこうなるのは分かっていたはずだ。
奇策どころか愚策、このままでは。
つまり、連中の思惑は、まだ先がある。
(なにかがある、何かがあるはず――)
今この場にあるあらゆる可能性を、"闘神"の目がなめ尽くす。
あらゆる神規は封じられ、仔竜は死を目前に硬直。
コボルトは森に隠れており、狼に乗ったところで、仔竜を救うほどの速度は出せぬ。
八方ふさがり、自ら行動を起こせることは、なにもない。
(――まて、神規を封じたのは、仔竜だ)
こちらが封じたのではない、相手が自ら封じた。
「今すぐ仔竜を殺せ、隆健!」
弩の正確さで、隆健の槍が仔竜の顔に突き出される。その呼吸を読んだように、言葉が全てを遮った。
「神規解除!」
拡張された竜の認識で、フィアクゥルの世界をスローモーションに変える。きっかけはただ一つ、相手の殺気が槍に乗った瞬間だ。
借り受けた"コボルトの布告"の力で、世界の神秘が息を吹き返す。
そう、"闘神"の神規もだ。
握りしめ、顔面をかばうように差し上げた腕に、槍の一撃が入る。衝撃が弾け、痺れと痛みが走った。
だが、それだけだ。
相手の展開する"格闘ゲーム"の神規は、すべてを格ゲーのルールで上書きする。ガードさえ成立してしまえば、たとえ流星の質量と熱さえ『削りダメージ』にすぎない。
そして、触れたミスリルの刃に、聲を通す。
「燃えて砕けろ!」
刻んだ式文が光り輝き、槍が破裂する。もちろん、突きの姿勢を取っていた勇者は、その攻撃をもろに喰らって吹き飛んだ。
「うぐああああっ!?」
「"コボルトの布告"!」
再び世界から神秘が消え、よろめいた勇者が片手を抑えて絶叫した。
「マジかテメエ! 俺の、俺の神規を!」
「サリアが言ってたろ。『使える神規』は何でも使っていいって」
初めてシェートを助けた時から、俺たちはずっとこうやってきた。
力なんて、自分が持ってる必要はない。
相手の強みを理解し、自分たちの益になるように、考えて考え抜いて、そうやって勝ってきたんだ。
「そんで俺、言ったよな。必ず後悔させてやるって」
「――っ!」
数メートルはある距離が、一瞬で詰まる。
飛ぶような踏み込みと一緒に、怒り狂った敵の拳が襲い掛かってくる。
それでも恐れない。目を見開き、攻撃の軌道を読み切り、避けつつ叫ぶ。
「神規解除!」
攻撃を振り抜いた勇者が、それでも驚くべき反応でガードを固める。
だが、それじゃダメだ。
「刈り取れ!」
人差し指を振り上げ、叫ぶ。
その途端、勇者の足元からしなやかな綱状のものが躍り上がり、相手を転ばした。
「っぐうあああっ!?」
「悪いね、それ立ちガード不可」
即席の式文で編んだ草の鞭。地中に仕掛けておいたそれを喰らい、それでも転がりながら距離を取る姿は、見事としか言いようがない。
「"コボルトの布告"」
「クッソがぁっ! ハメだろそれっ!」
「自前の神規貼っとかないのが悪いんだろ。とはいえ、アンタの神規の仕組みじゃ、無理なのは分かってるけどな」
「……っ」
こいつの神秘封じは、いわば『スイッチ』だ。
常に"格ゲー"の神規を展開しておきながら『わざと』自前の武術を使って、例の足踏みコマンドで、『神秘を封じることしかできない』と思い込ませる。
『ゲージ技とか使って、格闘スタイルを変更するタイプのキャラってわけだ。ホント良く考え付くよなー』
そして、例の『乱入対戦』は、神秘封じを使っている時は使用できない。もちろん、アレを使う場合は最初から神規ありきで戦闘するのだろう。
「ついでに言っとくと、このなにもなさそうな草原、俺のトラップがいたるところに仕掛けてあるから」
「な、なに!?」
「"闘神"のおっさんにも突っ込まれなかったところを見ると、俺の聲もまんざらじゃないみたいだな」
正確に言えば、草の根や葉の裏側に、目に見えない式文を刻みつけておいた。
天界の水鏡はあくまで『見る』だけで、神威による精査をしようと思わなければバレることはない。
『引け隆健! この場は連中の殺し間だ!』
上からの声に敏感に反応して、こちらに視線を向けながら、飛ぶような速度で下がっていく。ご丁寧に、コマンド技を撃てるように腰だめにした姿勢で。
敵の姿が森に消えると、フィーはどっと息を吐いて、その場にへたり込んだ。
「あ……あぶなかったあああああああああああ!」
『お前なー、こういう作戦、もうやめろよ? 見てるこっちが持たねえよ』
『少なくとも三回、いや四回は死んでいたぞ、まったく』
言われなくても分かっている。少しでも神規解除が遅れてたら、何もできないまま死んでいただろう。それぐらい、タイトでシビアな状況だった。
『休んでいる場合じゃないよ。ほら、彼の後を追わないと』
「わ、分かってる」
立ち上がろうとして、膝から力が抜ける。先ほどの神経戦で、思った以上に体に負担がかかったらしい。
大きく息を吸い、両手で膝を叩くと、歯を食いしばって体を起こす。
『フィー、この作戦の要。倒れること、許されない』
「休むなら、この戦いの後、だよな」
『その後、一週間、絶対安静』
胸の石に軽く触れながら、フィーは聲も使わず自分の足で走り出す。
狩人の待つ、罠の森へ。
どうやら仔竜は追いかけてこないらしい。
背後に視線をやりつつ、隆健は安堵を吐きつつ歩調を緩めた。
逃げ込んだ森の中、下生えは薄く、日差しと陰りが交互にあって、視認性が悪い。
「連中の行動、最初からずっと罠、だったんすね」
返事を求めて、というよりも確認のための独り言。それでも返ってきた"闘神"の声は、以前の調子を取り戻したように、陽気さを含んでいた。
『しかも、俺たちの神規さえ考慮に入れたとは恐れ入る。というか、隆健よ』
「なんすか」
『こいつは、ヤバいな』
思いもよらない軽い言葉、その裏側にあるものをモノを飲み込んで、隆健も笑った。
「ホント、マジヤバっすね」
『ああ、あれが強者という奴だ』
「世界は広い、俺より強い奴なんて、掃いて捨てるほどいる」
その述懐を肯定するように、木の陰から姿を現すコボルト。
片手にした木の弓を構え、何気ない調子でこちらを見つめている。
またにらみ合いか、そう思った時。
――――。
虚空を切り裂く、甲高い風きり音。
それが、森の外から響いた鏑矢の一矢だと気付いた瞬間。
コボルトが、猛然とこちらに突進していた。