25、「お前、信じる。絶対に」
『勝手にナニしてくれてんだ、オマエはよー』
『図々しいにもほどがあります』
『当事者、同意なき契約、品性疑う』
『あきれてものが言えない、という奴だね』
異口同音、四連続の罵倒に、青い仔竜は両手で虚空をかきまぜ、それから深く深く、五体投地で陳謝の土下座をかました。
「本当に、本当に、申し訳ございませんでしたぁっ!」
『誠意が足んねーぞ。まあ、主様の財貨なら、好きにしていいけどよ』
『後先考えぬ無謀、念入りな戒めが必要ですね。主様の財貨の扱いは、適切ですが』
『交渉術、基礎から再教育。主様の財貨利用、あれは高評価』
『さすがの私も、今回は見過ごせないね。主様の財貨云々は、特に問題ないかな』
説教と主への塩対応を一致させた小竜たちは、それでも、と言い添えた。
『あのタイミングでの割り込みは、及第点です。今後も励みなさい』
『"闘神"相手の啖呵、マジよかったぜー。オレもスカッとしたしなー』
『軍師、自己肯定感、重要。貴方、竜洞の一員、忘れないように』
『大胆な発想と、失敗を恐れない行動は、君の美点だ。上手に生かすんだよ』
一渡りの評価を聞き終えると、今度は焚火の向かい側に座る、笑顔のシェートへおずおずと笑いかけた。
「怒って、る?」
「怒ってないぞ」
確実に怒っている。終始崩れない笑顔が、異様に怖い。シェートは胸に手を当て、まだ微妙に残る切開跡に触れた。
「助けてくれた。嬉しい。グート、助かった。嬉しい。フィー、その後、なにした?」
「だから、その……あいつ、何とかしないとだったから、分かるだろ?」
「うん。分かるぞ」
それ以上、言葉が続けようがなかった。どう理由をつけたところで、先走って、無茶をして、死にかけたのは事実だ。
そこで、シェートは天を仰いだ。
満天の星空の下、悔し気につぶやく。
「俺、なさけない」
それは的外れな気持ちだ。あんな神規に即時で対応できるものなど、全知全能でもなければ不可能。
第一、シェート自身はそれを『直感』して、その後の行動を決めていたと聞いた。それだけでも超人的な行動だろう。
「もっと、俺、できること、あったら」
「大丈夫だよ。その気持ちだけで充分だって」
「ガナリ、みんなの命、預かる。充分、そんなの、ない」
シェートの言葉に、身が引き締まる思いだった。
何気なく口にしていたそれは、シェートに重い責任を負わせていたのだと。それを感じさせないよう、必死にガナリであろうとしてきた。
何をやっているんだ、助けるつもりで肝心なところを、預けっぱなしにしている。
「ドラゴン、ほんとすごい。いっぱい、できる」
「……うん」
「俺、できること、すこしだ。絶対、同じ、できない」
「それでも、俺のガナリは、シェートだけだ」
どうしたら伝わる、どうしたらいい。
もどかしい気持ちを抱えたまま、じっと相手を見つめる。
『愚かであることを、忘れないこと』
想いをすくい上げる言葉はサリアから、降りてきた。
彼女ははにかみ、続けることをためらいながら、それでも言葉をつづけた。
『力があろうと、知恵があろうと、命に限りがあろうと、なかろうと。結局、心を持つ者は、どこか愚かなのだ。私は改めて、それを思い知った』
その時、目の前に黒い羊の顔が浮かんだ。
彼の語った言葉が、自然と胸に蘇る。
『竜とは『悟り得ざるもの』を意味するからです。その知恵と力によって、驕り昂ぶるがゆえに、大悟に至らぬ者』
ああ、本当に自分は何も知らない。
力があるから、知恵があるから、聲一つでなんでもできるから。できない者を、あっさり振り捨ててしまえる。
本当に、大切にしたい者さえ、いつのまにか。
『良かれと思って害をなし、悪しきを成そうとした者に善を見る。そんな我らにできるのは、きっと語らう事だけなのだ』
語り合うこと、話すこと、伝えること。
フィーは立ち上がり、コボルトの隣に座る。肌身を寄せ合い、感じる体温を味わいながら、想いを告げた。
「なんどでも言うよ。俺は、お前と一緒にいる。力になりたいし、なんでもしたい」
「俺、お前、好きだ。だから、無理、するな」
「約束は、できないよ」
「そうか」
納得はしたくない、でも仕方ない。
そんな笑いが、お互いから漏れた。
「次、なにかやる。ちゃんと言え」
「うん」
「俺、むつかしいこと、わからない。でも聞く」
「うん」
「言ってくれ。お前、信じる。絶対に」
「……うん」
愚かなら、愚かなりに、できることを。
今はそれでいい。
そこまで考えて、フィーはふと、別の問題点を思い出した。
「そういや、お前らもそうだぞ。ソール」
『え、なんですか、いきなり』
「今回、全体的に連絡悪すぎ! 何でもかんでも、そっちで勝手に進めやがって!」
『それは、その、前線の兵に、余計な負担を掛けまいという』
『なに言ってんだか。さっさとオーバーヒートしやがったクセに』
いつものやり取りへフェードアウトしていった二竜の代わりに、メーレのしおらしい声が謝罪を引き取った。
『竜洞、ならびに、サリア―シェ、意見調整、失敗。不徳、不明、陳謝する』
『今回は女神様の言う通りだね。私たちも所詮は、有能で愚かなドラゴンということさ』
「傲慢が隠しきれてないぜ。ヴィトってそういうキャラだっけ?」
『たまにはね。ともあれ、以後は気を付けるよ、約束しよう』
これで、反省は済んだ。
あと、するべきことと言えば、
「んじゃ、もう寝ようぜ。すこしでも休んどかないと」
「……俺、サリア、話ある」
「お小言もほどほどにな」
幸い、森の火事はすでに収まっていて、こちらの拠点はどちらも無事だった。
今はその中間くらいにある小さな空き地に、掛け小屋を作っていた。あっちは寝床を失って困っているだろうが、気にすることもないだろう。
小屋の中ですでに丸くなっているグートに寄り添い、その鼓動を確かめる。
そのまま、なにを考えることもなく、眠りについた。
話がある、と言っておきながら、コボルトは黙ったまま火を見つめている。
フィーは彼の態度を、怒っていると評したが、基本シェートは怒ったりしない。
憤っているのだ、状況と自分の至らなさに。
それをずっと続けてきた。どんな時でも、どんな相手でも。
「私はどれだけ、こんな愚かさを続ければいいのだろうな」
「サリア、愚かな女神、ずっと同じ」
「だが、今回ばかりはな」
戒めを解かれ、最初に顔を合わせたのは、赤い小竜だった。
罵倒と譴責の嵐を想像して身構えたが、帰ってきたのは悲し気な自嘲だけだった。
『結局、私は水鏡に映った姿に吼える、犬程度だったということです』
理由は告げられなかったが、本人にとってはそれで十分だったらしい。その後の経緯を知らされ、己がいかに盛大な過失を行ったかが理解できた。
満身創痍の星狼、死から引き戻されたコボルト。
そして、その敵討ちと、二人の安全を図るため、飛び出していった仔竜。
仔竜の能力が生み出す暴威は驚くべきものだったが、それを凌駕する"闘神"の勇者が繰り出す神規には、言葉を失った。
『貴方の願い、その想い、誹ること、しない』
癒し手の青い竜は、それでも、と付け加えた。
『貴方、消える。彼もまた、消える。忘れないで』
思い出すに、恥じ入って石に戻りたくなるほどの愚かさだ。
本当に、どこまで甘えていたのだ。
「シェートなら、許してくれると。すべて終われば、私など忘れて生きてくれると」
「お前、バカ。お前、消える。悲しい、すごく嫌だ」
「分かっている。それよりも大事なのは、そなたのことを、本当に覚えていられるのは、私だけだということだ」
コボルトの寿命などは、三十年ほどもない。こうして戦いに身を置いたシェートは、長寿も期待できないだろう。
これほど心を交わし、言葉を交えた者は、久しぶりだというのに。
自分が死んでしまえば、思い出も、何もかも消えてしまう。
「私はもう死ねない。消えられない。私と契ったお前を、忘れるなど許されない。私の愛する、新しい民のことを」
「お前、やっぱりバカ」
「……分かってはいるが、そう何度も言わないでくれ。心魂に染みて」
「違う。むつかしく言うな」
こちらの物思いを笑い飛ばし、シェートは告げた。
「好きな奴、ずっといる。嬉しい。好きだから。それでいい」
「それを願うなど、おこがましい場合でもか?」
「俺、お前好き。生きろ、ずっと。俺、生きる、ずっと。お前、好きだ」
素朴で、単純で、朴訥で、簡潔な結論。
何もかも、儚く消えてしまう事を、誰よりも強く知っているから。
だからシェートは言うのだ。
難しいことはなにもない、ただ好きと、言えばいいと。
「もう二度と、お前を忘れようなどと言わない。ありがとう、私の勇者」
「ああ」
今日、語るべきは語った。
また明日、語るべきことが生まれるだろう。
そんなサリアの気持ちを裏付けるように、シェートはまた一本、薪を火にくべた。