23、『ほんと、勘弁してくれよ』
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
吐き気、痛み、めまい、痛み、絶叫、痛み、ひきつり、痛み、耳鳴り、痛み。
『■■か■し■■健!』
何があった。痛い。何をされた。痛い。体が動かない。痛い。
ここはどこだ。痛い。
『起■■■隆■!』
叫んでいる、誰か。それでも痛い。
何も見えない、すごく痛い。
痛い。誰か、誰か助けて。
『死にたくなければ起きろ!』
そこで、意識が覚醒した。
空を見上げている。全身がくまなく痛い、それにも増して異様なのは、右半身がきれいさっぱり、消えたような感覚だ。
右の視界がおかしい。
見えない。
顔を確かめようと、右手を挙げようとした。
無い。
「あ……?」
残った左目に、無理やり右半身を写す。
そこにあったのは、どす黒く変色した体と、燃えカスになった二の腕の名残。
「あ、あ、ああああああああああああああ!」
『叫ぶな! 腕が千切れた程度で!』
ふざけるな、そう叫ぼうとして、喉の奥から反吐がこみ上げる。
吐き戻し、胸にぶちまけ、喉が詰まる。
「ぐえぇっ、げほ、ごほっ、げおっ、ごぅおっ!」
『これが竜と戦うということだ! 果たしてアレが竜かさえ、怪しいものだがな!』
神の声から伝わるのは、不穏と驚嘆。
いったい自分は何をされた。少し前まで、あいつの力は一切届かなかったはずなのに。
「いっだ、い、ごれ、は」
『知らぬ! だが、何らかの力で、あの仔竜が貴様を狙撃したのだ!』
狙撃。
その単語で真っ先に思いだした物。
「あ……アンチ、マテリアル、ライフル、とか?」
『貴様の所の武器か。確か、炸薬を限界まで詰めた、個人運用火器だったな』
確かにあれを使えば、超遠距離からの狙撃は可能だ。そんなものを、どこからとりだしたのか。
まさか、仔竜の持ち物とか。
『だが、"神去"の科学技術は持ち込むことはできん。現地民に開発させることで、使用できる場合もあるが』
「そんな、ごと、より、にげ」
『今はまだ動くな。一射目から二射目の間に、数分猶予があった。いざとなれば、こちらで何とかする』
それにしても、この威力はでたらめだ。
対物ライフルは、当たれば人体を消し飛ばす威力があると言われる。それでも腕をへし折ったあげく、半身を焼くような被害は出ないはずだ。
『加護の手配は終わった。貴様が神規を解除し次第、自動で怪我は癒える』
「反撃、するタイミングを、伺えと?」
『でなければ、なぶり殺しだ』
倒れた位置と、閃光を感じた方角を類推する。おそらくは自分の住んでいた小屋の辺りだろう。勢いよく燃える杣小屋を背景に、視認性は阻害されている。
「なん、だ、そりゃあ。でたらめ、じゃねー、か」
たった一発、掠めただけでこれだ。
狼の毒を喰らった時、逃げるのが精いっぱいだった。仔竜は生きていたが、あれならとどめを刺さなくても問題ないと思っていたのに。
『魔力も神威も完全に封じる領域。その外から、貴様を射殺せる威力を、あの小さな体でひねり出すとはな』
「むちゃくちゃ、すぎる。どんな、仕掛け、なんだか」
震える両脚に力を込め、必死に立ち上がる。
相手の居場所は分かった。だが、このままでは手も足も出ない。
「攻撃、見えましたか」
『さすがに二射ではなんとも。あれは、速いという評価さえ当たらない。雷光に等しいものを捉えるのは、俺でも骨だ』
「ああ。雲耀、っすね」
馬鹿野郎、そんなもん武術における比喩だろ。本気で、雷と同じ速度で飛ぶようなものを投げつけてくんなよ。
「……もしかして、あれか?」
『どうした?』
「生身で、レールガン再現? マジでドラゴン、でたらめチート生物か」
軽口を叩きながら、呆然と狙撃位置を見つめた。
こっちも一応、オタクの端くれ。これだけヒントを出されれば、嫌でも手品の種に気が付く。とはいえだ。
『何か分かったか』
「分かったところで、こっちの死亡は確定っす。そんなもん避けられるか」
奴の名前は雷を統べる者、その力を応用すれば、未だに地球では成立しきれない電磁投射兵器も、再現できるということか。
なんてインチキ、これこそファンタジー。
「勝手に交わってんじゃねえよ、断り入れろっての」
笑いがこみ上げてきた。
こんなメチャクチャなら、もうなにも、遠慮する必要はない。
「すんません、鬼札切ります」
『分かった、存分にやれ』
了解は得た。あとは、どう使うかだ。
その時、空気の流れが変わった。
燃えていく木々の熱も、騒ぎ立てる鳥たちの鳴き声も、月のない満天の星空も。
何もかもが、自分から意味が抜け落ちていく。
ただ感じるのは、横溢した仔竜の殺気だけだ。
こちらを射る視線、そして殺意が、白い一本の線に収束し、自分の胸を貫く。
(もしかして、これって、例のやつか)
他人事のように、隆健は感嘆する。
達人の領域に達したものが見えるという、殺意の線。合気道の高祖がこれを利用して、銃撃を避けたとかなんとか。
ならば話は簡単だ。
これをたどって相手を、カウンターで『狙撃』してやればいい。
「神規、解除」
宣言と同時に、腕と右目が再生する。
殺意の帯が濃く、強くなる。
間に合え。
足を広げ腰を落とし、右手と左腕を重ねて腰だめにする。
巨大な竜のイメージが、崖の上で大顎を開いた瞬間。
「透空――ッ」
ありったけの意志を込めて、隆健は両手を突き出し、叫んだ。
「――破皇拳ッ!」
そして、相手の砲撃を上回る巨大な熱の帯が、崖ごと仔竜のいる場所を焼き尽くした。
「ふっざけんなァッ!!」
我知らず、グラウムは絶叫していた。
ブラックアウトしたカメラをメーレが修正し、周囲の景色を映し出す。
フィーは倒れているが、無事だ。あれほどの攻撃を受けていながら、その肌はほとんどダメージを負っていない。
だが、身に着けていた特殊兵装は全損し、フィー自身も意識が飛びかけていた。
「なんだそりゃ! どんだけだ!? どんだけ加護積んでんだオイ!?」
「グラウム、落ち付け!」
「やられた! 出し抜きやがった! オレらを! あいつは、あいつの能力は、神秘の無効化なんかじゃねえ!」
分かってしまえば単純な理屈。しかし、認めたくない事実。
「『格ゲー』の神規! 無効化も、ただの『コマンド技』かよ!」
「そういうことなら、あの転移にも説明がつくかな」
「『乱入対戦』。格闘ゲーム要素、その転用」
映し出される光景の向こうで、勇者がこちらに走ってくる。明らかに、それまでの進行速度ではない。
勇者は軽く腰をかがめ、跳んだ。
人間ではありえない、数メートルはある垂直の跳躍力。しかも、その足は虚空を『踏みしめ』、更に跳躍して崖まで躍り上がった。
「空中ジャンプまで完備ってか!? クソッタレ!」
「起きろフィー! 今すぐ撤退だ!」
よろめき、顔を上げる仔竜の目の前で、空の男は腰だめに技を構える。
『透空っ、破皇拳!』
極太の光帯が、仔竜に浴びせられる。それでも、その身体はわずかな焦げを残しただけに留まった。
必死に掲げた両腕の『ガード』のおかげで。
『でたらめじゃねーか! 何個持ってんだよ、神規!』
『そりゃこっちの台詞だ。なんだよレールガンて、どこのラノベ様だ、お前』
対峙した二人が、掛け合いを交わす。
遠景には燃え落ちた小屋、手前には崩れた崖。
格闘ゲームの、試合前デモを写し撮ったような光景だ。
「逃げろフィー! バカ正直に付き合うな!』
『わかっ――』
『紫電烈風脚!』
十メートル近い間合いが、一瞬で詰まる。異様な水平軌道で飛んできた蹴りが、仔竜の腕に叩きつけられ、更に左右の連撃が襲い掛かる。
『あっぐ!? あっ!』
『おらぁっ!』
腰をかがめて突き出した左の拳に、仔竜のガードが弾け、
『破皇拳!』
あり得ない姿勢の変更で繰り出された光弾が、フィーの体を吹き飛ばした。
「『モーションキャンセル』ぅっ!? そんなもんまで使うのかよ!?」
「あの変動、ドラゴンでも反応、高難度」
「人体の理を無視した動き。心底気色悪いが、有効な一手だ」
クリーンヒットした一撃に仔竜はふらつき、風をまとって空に逃げようとする。
「バカッ! 迂闊に浮くんじゃねえっ!」
『――蒼、竜、拳ッ!』
踏み込み、地をえぐり抜き、空を裂くような振り上げの拳。
蒼く燃える一撃が、仔竜の腹に深くめり込み、体をひしゃげさせ、吹き飛ばす。
それでも、勇者の行動は止まらない。
『透空破皇拳!』
最前の動きがキャンセルされ、流れるように吐き出された光が、落ちてきた仔竜の体を容赦なく焼く。
ガードできなかったダメージに、青い体が焦げ付き、力なく地面に転がった。
「……バカじゃ、ねーのか?」
絞り出せた感想が、それだった。
ずっと偵察して理解した、こいつの武術の全て、数十年に渡る研鑽を、無造作に投げ捨てるような神規だ。
「だが、有効だった。完全に俺たちも、晦まされていたからな」
「武術の肝は騙し合い。とはいえ、こんな虚実を混ぜられるとはね」
奇跡の無効化では、圧倒的な数の暴力には対処できない。であれば、こういう戦法を組み込むことも十分ありだろう。
己の研鑽などものともしない、非常に合理的で、脅威の『飛び道具』。
『ほんと、勘弁してくれよ』
勇者は肩で息をして、それでも油断せず仔竜に近づく。たとえ火を吐きかけられても、ガードすれば、ダメージを抑えられる。
それが、格闘ゲームの『理』だからだ。
『おかげでこっちは、手の内全部見せちまった。すっからかん、打ち止めの空っぽだ。まだ魔王も、もう一人の勇者も残ってるってのに』
『うっせー、よ。こっちだって、いっぱい、いっぱいだ』
仔竜は動かない。
いや、すでに限界を超えて、動く気力もないのは明らかだった。
『負けを認めろ。そしたら、見逃してやる』
『殺せよ。シェートにしたみたいに』
『――ああ、そうかい』
勇者の七歩が、世界を閉ざす。
あらゆる奇跡の行使が禁じられ、仔竜の息が荒くなる。その姿に痛ましい視線を向けたのも、ほんの一瞬。
大きく足を振り上げ、
『離れろ、フィーから。勇者』
静かに構えを取って、跳び下がる。
その視線を、弓を構えたコボルトに向けたまま。