22、『今回は相手が悪かったな』
沈んでいく。
命が沈んでいく、暗い闇の中へと。
手を伸ばす、助けたい、失いたくないと。
だが、その命は手の届かないところで、無惨に失われていく。
不意打ちの中で失われ、叫びながら手を広げても、遮ることもできない。
そのきっかけは、自分の愚かさのためだ。
無知だったから、無邪気だったから、無謀だったから。
世界を知ることもせず、見せられた現実を、受け止めることもできず。
『だから、今度こそは』
そう誓ったはずだ。
誰一人失わないために。
『それで、お前は何ができた?』
そして彼らは、目を覚ます。
記憶が、でたらめだった。
森の中、川の岸辺、青い空、落ちていく。
痛み、痛み、体の、脳の、魂の痛み。
その理由の底に、憎悪があった。
憎悪の内側に、懇願があった。
俺から、奪わないでくれ。
「シェート!?」
無理矢理、意識が収束される。周りは木々に囲まれ、目の前には、草で作った寝床に横たわる、二つの姿がある。
コボルトの方は、静かに目を閉じて、眠っていた。
毛皮もしおれ、一回り小さくなったように見えたが、それでも拍動は力強く、呼吸も安定している。
その隣で、同じく横たわっている星狼。こちらはまだ息も浅いが、今すぐ吹き消えるような頼りなさは拭われていた。
「ああ……」
絞り出すように呻き、青い仔竜は涙を流して、二つの体をゆっくりと撫でた。
囁くように聲を上げ、彼らの苦痛を取り除き、崩れたバランスを調律していく。肺が痛んだが、気にならなかった。
『無理をするな、と言っても、聞くような殊勝さは、期待できませんか』
『医者の不養生、看過できない』
微笑み、治療を終える。
それから火を起こし、その上に鍋を掛けた。
「平気だよ。疲れてもないし、調子もいいんだ」
『そりゃ脳汁が出まくって、ぶっ飛んでるだけだっつの。切れた時がひでーぞ?』
『しかし、驚いたよ。回復魔法ではなく、聲と手技を併用しての治療とは』
二人が起きたときに食べられそうなものを考え、どんぐりを細かく砕いたものを、鍋に放り込んでいく。本当は麦か米でおかゆでも作りたいところだ。
『神の奇跡ならともかく、回復魔法では迂遠に過ぎたからな。心臓を賦活した上、骨と筋肉と内臓を同時に整復するなら、外科手術と聲の治療を併用するほうが、早い』
『蘇生処置、肉体組織の再生。本来、複数人の大手術』
『その上、並行して星狼の解毒かい? これはもう、まさしく神の技だね』
褒められて嬉しい気分もあるが、なにより二人を助けられたのが、一番の喜びだ。
「グラウムが言ってたろ。似たようなものなら、別のものに変えられるって」
『だからお前はバカなんだよ。その場で即興するか、フツー。脳に負担がかかって、ぶっ倒れるかもしれないってのに』
『毒素を分子レベルで置換? なんだいその無茶は』
「いいじゃん、やれたんだからさ」
小竜一同がため息を漏らすのを、笑って聞き流す。
煮えていく鍋の、泡立つ様子と立ち昇る湯気が、心を落ち着かせてくれる。塩は加減したほうがいい。術後の血圧変動を抑えるためと、メーレが言い添えた。
調味を終え、火を落とすと葉っぱで塞いでおく。
それから、適当な石を四つ、取り上げた。
「えっと……なんだっけ。『蒼天の祝、夜天の帳、暁の降ち、黄昏の訪い。いざや来たり、いざや去れ。ひそやかなれ、とじられてあれ、"憩いの宿り"よ』」
石に印を刻み、二人の眠っている周囲に、十字に配置する。大気の精髄が不可視の障壁を生み出し、内と外を遮った。
『お前、いつの間に認識阻害の結界なんて覚えたんだよ?』
「圭太の時に、おっさんが言ってたんだ。光韻の魔法は、俺が聲に目覚めれば、自動的に使えるようになるって」
『理屈ではそうですが、その式文はどこで?』
「ああ――それは」
仲間だ。
仲間に聞いた。
仲間、その仲間は。
「あ――あ、あ、あ!」
『フィー、どうした!?』
『ダメ、記憶のフラッシュバック!』
視界が、一瞬のうちに死で染まる。
死んだ仲間、打ち倒された者、転がったシェートの姿。
コボルトたちの死体、魔物の死体、無数の死。仲間の死。
そして、その奥底に、倒れた――――――の。
「ああ、あああああああああああああああああああああああああ!」
『やめろフィー! それに意識を向けるな!』
「あいつ、あいつ、あいつが、俺の、俺の仲間をっ!」
森の奥から出てくる、黒い影。
襲い掛かられ、倒れていく――の姿。
毒を喰らい、倒れる姿が、乱れ、重なり、怒りで煮詰められる。
そして、忘れていた憎悪が目を覚ます。
俺の仲間を、殺した奴を、殺す。
「あいつ、また俺の仲間をぉっ!」
『メーレ、情報遮断! これ以上、自我を融解させるな!』
『干渉拒絶! 術式の影響、仔竜のポテンシャル上昇、現行のシステム、対応不可!』
苦しい、胸が苦しい。
せっかくみんなを救える力があるのに、また間に合わなかった。
何度も同じ間違いを繰り返す。
こんな思いをするのは、もういやだ。
「ソール」
『……どうした、大丈夫なのか、フィー』
「あいつは、どこだ」
殺してやる。あいつを殺して、全部終わりにしてやる。
そうればシェートも――――たちも、みんな、苦しまなくて済むんだ。
『やめろ! 今はシェート達を守るのが優先だ!』
「違うぜソール。守りに入ったら、負けるのは俺たちだ」
脳が加速する。可能性の計算が、はるか未来の姿を映し出す。
相手の神規はこちらの手を、全部潰してしまう。奇跡も魔法も聲も封じられて、今度はグートの決死も効かないだろう。
「今だけだ。今この時だけ、あいつらは油断してる。俺が動かないと思ってる。動けないと勘違いしてる。だから今、殺すんだ」
『だからって! バカ正直に攻めても、さっきの二の舞だぞ!?』
「なあ、グラウム。俺、もう、『できる』んだろ?」
確信があった。
あの複雑な聲の処理を、ぶっ続けで六時間。世界のあらゆるものを見尽くすような、それでいて、全く奥の見通せない状況に、全身浸された今なら。
「ヒントをくれよ。解いてやる。あいつの神規の外から、あいつをぶち殺す方法を」
『フィー、お前……っ』
「俺の作戦は、言ってることは、間違ってるか? ソール」
『間違っていない! 間違っては、いないが……っ』
緊迫する上の状況が、奇妙に聞こえた。
やるべきことをやればいい、ただそれだけのことを迷う小竜たちが、おかしかった。
『行動、条件つける。許諾する?』
「無茶はしない。命がヤバくなったら、そこで打ち止め」
『フィー、本当に優秀。そして、悪い患者』
お説教は終わった。ソールは短く沈黙し、問いを投げてきた。
『沼地での戦い、お前が使おうとしたものは、間違っていない』
「アイデアは良いけど、やり方が違うってやつか」
『あの兵器がなぜ、『そのように呼称されたか』。それを軸に考えなさい』
そういえば、なぜあれは、あんな名前なんだ。
聲を腕に通し、電気をまとわせる。そこに発生する見えざる力を、つくづくと眺める。
そして、もう一本の腕に、痺れるような青い光をまとわせた。
「――そういう、ことか」
一本では、駄目だったんだ。
なぜなら本来あれは、二本で運用するものだから。
『そこまで分かれば、後は工夫だけだな。お前の体に負担をかけねーように』
「どうすればいい?」
『おまけしてやるよ。優秀な後輩へのご褒美だ』
降ってくる情報を、心に刻み込む。
ドラゴンが扱うには驚くほどに奇妙で、今の自分にしっくりくる、聲の形を。
「ありがと。これで何とかなりそうだ」
『折角だ。ミッションコードでも、つけておくかい?』
ヴィトの物言いにソールは苦笑し、それからひねり出した。
『『wild hunt』でいいだろう。今のフィーにはふさわしい』
『では、作戦内容、確認。メインミッション、"闘神"の勇者、殺害。撤退条件、フィアクゥルの負傷、または重篤な疲弊』
『もしくは敵に捕捉されたと見なした場合な。退路は確保しとけよ』
意見はまとまった。あとは実行に移すのみ。
フィーは結界の状態を確認し、周囲の危険性をそうざらえする。魔王の手下も、危険な肉食生物もいない。
半日ぐらいなら、なんとかなるだろう。
「ゆっくり休めよ。起きたら、全部終わってるからな」
風をまとい、舞い上がると、フィアクゥルは全身に殺意をみなぎらせた。
『これより、オペレーション『wild hunt』を開始する』
「了解。ぶち殺す」
雷鳴のような音を残して、青い仔竜は空を駆けた。
目が覚めた時、隆健は身震いした。
小屋の中は薄暗く、肌に染みる冷たさがあった。湿り気が戸の外から入り込み、木々のかび臭さや土の香りを伝えてきた。
体のだるさは、だいぶ引いた。残しておいた堅パンをかじり、水を飲む。
「ったく、いい歳したおっさんに、無理させんなよ」
どうやって、ここまで帰ってこられたのか、不思議なくらいだ。
自分が喰らったのはワイバーンの毒。肉を溶かし神経を麻痺させるもので、神の奇跡を使う以外、まともな治療法はないらしい。
神威の節約のため『毒だけ』消したから、それに伴う不快感や肉体の衰弱は、抑えきれなかった。
『さすがに、あの隠し玉は予測できなんだ。ただの狼が命を省みず、毒をあおって襲い掛かってくるなど』
「……分かってますよ。あんなの、狂気の沙汰だ」
体が震えている。すでに夜は更けている。
仔竜の炎の影響は、それほどなかった。軽いやけどは、自動回復でなんとかなる。あとは少し休んで、次を考えよう。
「連中、まだ生きてるんすか」
『生き返った、ようだ。竜の仔が蘇らせたらしい』
「魔法を使うドラゴンっすからね。死者蘇生もお手の物って?」
『聲は万能ではない。吹き消した命に、再び火をともすやり方など、存在しないはずだ』
じゃあ、一体どうやって。そんな無意味な思考を頭から追いやり、火壺の中に残しておいた炭に火を入れる。
ひどく寒い、体の震えが止まらない。
『隆健、そこから離れよ』
「なぜです?」
『貴様の心は分からずとも、体が察している。それは恐怖だ、寒気ではない』
火壺から体を離すと、中腰のまま扉に近づく。指摘されてみれば、震えの源は寒さではなかった。
染み込んでくる、強烈な殺意に、腹の底から怯えている証拠だ。
「なんだ、これ……この、粘つくみたいな」
『それが竜族の殺意。貴様がいまだ知らず、俺が散々浴びてきたものだ』
気配を察知するという技は、武術をやっていけば自然と身に着くものだ
自分も三十年近く、殴り合いをしてきたおかげで、その感知範囲も質も、常人よりも研ぎ澄まされていると自負している。
だが、それはあくまで『目が届く範囲』が限界だったはず。
それが今、全身をなぶる、おぞましい気配をひしひしと感じていた。
「竜って、あのチビのドラゴンが?」
『侮るな。いや、そういう方が無理だとは思うが、あれを見たままと考えるな』
薄く開けた扉の隙間、そこからは何も見えない。すでに日は沈み、夜気が薄い霧になって流れている。
そして一歩、外に踏み出すと、震えが強度を増した。
大気の粒子すべてが、怒りの炎になったような、凄絶な気配。森どころではない、この小屋と周囲の谷が、丸ごとドラゴンの顎に飲まれている気がした。
「あいつら、あの向かいの崖に、監視小屋を作ってました。だから、コボルトに襲撃掛けるタイミングも計れた」
『無論、今はいなかろうな』
「……分かんねえっすよ。こんなキツイ気配の中じゃ」
いてもいなくても、同じことだ。
俺はお前を殺す。どこにいても、なにをしても、なにがあっても。
リザードマンの時の、凄烈だが清澄なやり取りではない。傲慢で絶対的な我侭が、周囲に渦巻いている。
「能力の設定、間違えたかもな」
『後知恵で語るな。こんな事態、誰が想定する? 何の力もないはずの仔竜が、たった数ヶ月で、大人顔負けの聲を操るバケモノに変わるなど』
「それが神々の遊戯、なんでしょ?」
その冗談に"闘神"は笑ったが、言ったこっちは全く笑えない。
ドラゴンと言えば異世界チートの代表選手みたいなもんだろう。それが、更にチートの重ね掛けで、死んだ勇者を生き返らせて、こっちを殺しにかかるなんて。
「どっちにしろ、ここいたら死にますね」
『明らかな『死地』だからな』
「こんなことなら、ちゃんと『兵法』、読んどくんでしたよ」
『六韜三略もな』
意を決し、走り出す。背を低く、頭を下げて、獣道を滑るように走り抜けていく。
その背後で、極太の雷撃が小屋を吹き飛ばした。
「マジかよ!?」
『まさに死地だな! あの仔竜、齢三百の地竜を凌ぐぞ!』
冗談じゃない、なんでそんなレベルになってるんだ。本当に何かのチートでも使われたのか!?
そんな愚痴が引っ込むような、まばゆい雷がでたらめに降り注ぐ。正確に命中させることはできないようだが、範囲が異常に広い。
『フィアクゥルとは、名前負けもいい所と思ったが、なかなかどうして!』
「どういう、意味、なんすか!?」
大股に走り抜け、跳躍を混ぜて森の中へ逃げ込む。紫電が大木をへし折り、小動物や鳥たちが騒音を立てながら逃げ惑う。
『雷霆! 天を統べる者! 闇より出でて光と成る者! つまりは嵐そのものよ!』
「かわいい響きの癖に、意味がエグいな!?」
雷は絶えず轟音を上げ、行く手にも背後にも閃光と灼熱の害をまき散らす。とはいえ、こんな雷雲を呼ぶのであれば、相手はその中心にいるはずだ。
「とにかく近づいて、力を封じるしか」
『隆健、神規展開!』
なぜと問うより先に体が動く。七歩の足踏みを終えた瞬間、目の前に巨大な炎の壁が吹き上がった。
「うおおおおおおっ!?」
『雷だけでなく炎も操るか! 貴様を吹き飛ばしたのも、炎のブレスだったな!』
「どんだけ多彩だよ!?」
今度は四方八方から、巨大な劫火の玉が、無効化の領域に叩きつけられる。その一発一発が、こちらの体など消し炭に変えられる威力を持つ。
それでも、領域を割ることはできず、雷も炎も、完全に防ぎきっていた。
まるで、檻をかきむしる猛獣のようだ。
怒りに目がくらみ、暴れるしかない姿に、ほんの少し憐れみを覚えた。
『しかし、このままではいずれ蒸し焼きだな』
「魔法の影響を遮るだけで、自然現象は無理っすからね」
森についた火の勢いは、次第に高まりつつある。あんな仔竜でもこの被害なのだから、大人のドラゴンなど、考えたくもなかった。
『もう少し火勢が強まったら、煙に紛れて逃げるとしよう』
「そんなんで、ごまかせますかね」
『ドラゴンの五感は鋭いが、それ故に惑わされることも少なくない。命をつなぐのを最優先だ』
煙を吸い込まないよう、袖口で顔を覆う。いつでも飛び出せるよう、腰をかがめ、周囲に目を配る。
一応、頭上も警戒しておこう。
そう思い、顔を空に向けた。
「は――?」
その瞬間、激痛の閃光が、隆健の意識を狩り取った。
『弾着確認、敵影捕捉。距離、二.二五一km。第二射、準備』
メーレの指令を聞き、フィアクゥルは咥えていたそれを、無造作に投げ捨てた。
真っ黒な棒状の塊が落ちた衝撃で砕け散り、煙を上げて燃え始める。
どっと息を吐くと、足元に置いた次の棒に喰らい付く。
『メインバレル、マズルアダプタに接合。バイポット延伸、アンカーボルト固定』
自分の顔には、真っ黒な結晶が仮面のように張り付いている。噛みついた黒い棒と口元の黒が接合し、中ほどから伸びた二脚の支えが、地面に食い込む。
『後脚部、アイゼンロック、衝撃吸収ダンパー接続』
その黒結晶は全身を覆い、下半身を覆い隠して固定している。その内部では、あらゆる衝撃を吸収する仕組みが形成されていた。
『照準開始。前肢による補整、仰角一度、右三センチ、行動予測、命中確立、八十七パーセント』
目の部分には、スマホを利用したHMDがつけられている。その向こうで、うろたえ及び腰になった、逃げだそうとする男が見えた。
だが、怒りも憎しみも、嘲笑さえ浮かばない。
あるのは、相手を殺すという、圧倒的な目的意識だけ。
『エネルギー充填開始。BLD、起動』
全身の鱗が雷の聲に震え、体に付着した黒い素材で増幅される。大きく広げた翼の周りに、青白い塊が無数に発生した。
球電現象、雷雨や大気成分の不安定な状況で現れるとされる、自然発電の一態。
その輝きが、背中に盛り上がった機関に吸い込まれ、甲高い駆動音を上げる。
落雷では供給がコントロールできず、高電圧用のバッテリーを用意できない現状、必要な電力を『保持』するために生み出した、仮構の発電機能だ。
『稼働電力量に到達。バレル、通電開始』
黒い結晶に、青い網目状の光が走る。それまで漆黒だった口先の長い棒が、音を立てて変形していく。
それは、仔竜の体と同じぐらい、長い砲身。
『ターゲット、命中予測位置にインサイト』
背中で唸りを上げる機構、全身を焼き尽くすほどの膨大な電力、その全てを冷静にコントロールし、喉の奥に隠し持った、金属の弾体を舌先に置く。
『第二射、撃て』
わずかに口を開き、それを磁力の舌で『押した』。
轟音、そして閃光。
視界がホワイトアウトし、重い衝撃が体の芯に響く。竜の火焔にも似たマズルフラッシュが立ち昇り、役目を終えた砲身が、不快な亀裂音とともに砕けた。
『弾着――効果あり。対象、右腕消失、右半身に三度以上の熱傷。運動性能、推定六十パーセント減』
「……ぶはぁっ!」
残った砲身を放り出し、口から排気煙と湯気の混じった息を吐く。すこしコントロールが甘かった、バックファイヤで喉と肺が痛む。
『やっぱ即興の補整プログラムじゃキツイか! フィー、聲を回復に集中させろ!』
「へ、平気。鱗で、回復入れてっか……げふっ、ごふっ!」
『第三射、三分三十秒後に設定。フィー、約束、順守要請』
口を閉じ、腹の底で回復を練る。肺の痛みは消えていくが、残った血がこみ上げる。咳と唾に血が混じり、呼吸を邪魔した。
望遠で相手の動きを確認すると、メーレの報告通り、片腕を引きちぎられ、真っ黒に炭化した右上半身を、かばうようにのたうつ男の姿が見えた。
「大丈夫、もう、やれる」
『ダメだっての! コントロール失敗でお前が爆発しちまうぞ!?』
『それに、勇者からの奇襲はないと見ていい。あれは、フィーには適用できないようだ』
勇者の査定を担当していたヴィトの言葉に、沸騰していた思考がわずかに冷える。
弾着から一分経過し、今のところ神威による回復はない。こちらの攻撃が理解できず、神秘封じの神規を使ったままなのだろう。
『おそらく勇者や魔王のみを対象とした権能だね。でなければ、こんな分かりやすい敵へ転移できないわけがない』
『まさか、テメエの住んでた小屋から、狙撃されるとは思ってなかったろうがな』
背後で燃える小屋の熱を感じながら、フィーも笑う。
最初の雷撃を撃った時点で、すでにここへ移動していた。相手は雷の直撃を避け、木々の茂る森へ逃げるのは予想していたからだ。
相手の誤算は、聲の範囲や方向を、ある程度自由にできると知らなかったこと。
そして、こちらを『ただの仔竜』と侮っていたことだ。
『神規の展開は、半径一キロぐらいが限界か』
『そんくらいマージンとっときゃ、大抵の魔法は打ち消せっからな。妥当な判断だろ』
実際、ある程度成長したドラゴンが相手でも、あの神規の範囲にいれば、魔法どころか聲も使えない。確実に勝てるとまでは言わないが、数を頼みにすれば討伐可能なレベルまで脅威度を下げられるはずだ。
『だが、今回は相手が悪かったな』
冷たく、ソールが断言する。
敵の常識的な対応の裏をかく方法が、こちらにはあった。
「よし回復! 猶予時間一分残し! この一発で決めてやる!」
『了解。第三射、ラストシューティング、必中を祈念』
「任せろ!」
意志の力で、駆け巡る電気の流れを砲身へ収束。
中に通った二本の電極が反応し、力の奔流が唸りを上げる。
ここから生み出される、秒速五kmを超える弾体の砲撃は、射線に入った対象を熱と衝撃で引き裂き、完全命中すれば、人間サイズなら肉片さえ残らない。
『BLD、出力最大。ターゲット、インサイト』
砲身は、その辺りの木と土中のレアメタルを焼結させて作ったカーボンベース。
弾体は、使う当てのなくなった硬貨とミスリルの鏃を、即席で溶融させた代物。
発電は自前、バッテリーは自然現象。
たった三発だけ用意できた、あり得ざる、竜の聲と科学の融合。
『喰らいやがれ、竜洞謹製、"とある仔竜の仮構超電磁砲"――』
『――改め、蒼き雷霆の咆哮、モード:シルバーバレット』
視界いっぱいに、標的が映りこむ。
棒立ちして、こちらを見つめる男。
その右腕が再生する。
もう遅い。
『第三射、撃て!』
その瞬間、ドラゴンの認識力が極限まで発揮された。
爆音が、やけに間延びして聞こえる。
微粒子の動きが、異様なほどにゆっくりと見える。圧縮された大気と放電が絡み合い、火焔になっていく。
ミスリルと金の合金弾が、駒落としのように刻々と、空間を渡って男へ殺到する。
風向、重力、コリオリの力、その全てを計算に入れても、男の体をえぐり抜く軌道を進むことは間違いない。
だが、
(なんだ、あれ?)
すでに男は、棒立ちしていなかった。
左足を前に、右足は後ろに引き、両腕を重ねて腰だめにしている。
異様な構えだ。あんなものは、武術にはないはず。
フィアクゥルの意識が、違和感に絶叫した。
『ガードしろ、フィーッ!』
グラウムの叫びと、両腕を掲げたのがほぼ同時。
そして、激痛の閃光が、フィアクゥルの意識を狩り取った。