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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~格闘編~
189/256

20、『取捨選択の時間だ』

 痛みが、サリアの胸を貫いた。

 水鏡の向こうで、力なく倒れ伏すコボルトの体。開いた口から血が溢れ、川岸を鮮血が染める。

 びくり、と痙攣する姿に、喉が締め付けられた。

 助けなければ、何か自分にできることが。


「いいえ、サリア―シェ様」


 いつの間にか、傍らに黒い女神が立っていた。

 その手にした巨大な杖を掲げ、うっすらと笑いを浮かべている。


「かの勇者の命は、これまでです」


 そんなことはない、そう言いたかった。

 だが、冷たい感覚が、足先から急速に立ち昇ってくる。黒い石の戒めが、自らの神格を拘束していく。


「寿ぎましょう、貴方たちの勇戦を。悲しみましょう、武勲の結末を」


 嫣然と微笑みながら、"刻の女神"は告げた。


「此度の決闘。"闘神"ルシャーバ様の、勝利です」


 それが、サリアの最後に聞いた言葉になった。



 黄金の目を見開き、メーレは驚愕した。

 シェートの神規は破られていなかった、転移の兆候もなく、魔力の励起も、聲の干渉も一切感じなかった。

 残された可能性は、


「事実の置換。結果を『確定』させる神規」

「さて、私からはなんとも」

「ありえない! 掛かる対価、膨大に過ぎる!」


 時間と空間を超えて、そこにいることを確立させる神規。シェートの神規は奇跡の発動を封じるものであり、範囲外で行われた事象は防げない。

 理屈は分かるが、神々の遊戯は加護を掛けるコストが要求される。

 だが、"闘神"の勇者はそれを、平然と踏み倒した。


「それでは、"平和の女神"は、こちらでお預かりいたします」

「させない」


 サリアの石像を氷の柱に封じ、黒い女神の前に立ちふさがる。

 だが、


「それでは、"平和の女神"は、こちらでお預かりいたします」


 すでにサリアの像は、相手のかたわらにあった。

 時間遡行による事象への介入。審判としての"刻の女神"が使う権能は、神々の遊戯中では強力に働く。


「まだ、終わっていない!」

「いいえ、これで終わりです。イレギュラー・・・・・・は、充分に楽しませていただきましたので」

「何?」


 こちらの問いに答えることもなく、黒い姿が虚空に消える。

 意を決すると、メーレは水鏡を竜洞に繋げ、叫んだ。


「グラウム、ソール、猶予時間、五分! 急いで!」



 肺が潰れるほどの聲で、フィーは空を駆ける。

 こちらが帰還を告げた数分の間に、事態が最悪に落ちていた。

 帰りがけ、勇者が雑用をしていたのは確認している。たとえ、こちらが去っていく気配を察知したとしても、ほんの数分の間に移動できる距離じゃない。

 魔法、聲、神規。そのいずれであっても、想像を絶する能力のはずだ。


『儀式ナシ準備ナシで、即時発動ノータイムの転移だとぉ!? ざけんな!』

『ありえない! たとえ奴の権能全てを捧げたところで、贖える能力ではないぞ!?』


 今はそんなことを考えている場合じゃない。

 メーレは言った、制限時間は五分。つまり、その時間内に何とかしなければ。


(いやだ、やめろ、やめてくれ、そんなのいやだ!)


 だが、どれほど聲を振り絞っても、速度が足りない。

 風だけでは足りない、それなら。

 

『あ、おい! やめ――』


 背中に火焔を背負い、聲の力で炎を固く絞り、背後に向けて一気に放射する。

 歯を食いしばり、首を増強させた筋肉で支え、金属音を響かせて加速。

 鼻の奥で血管が爆ぜる音、血の筋が背中に流れて消えていく。


『バカヤロウ! 生身でジェット加速とか死ぬぞ!』

『鼻を起点に磁気シールド展開! 風の聲で気流を制御しろ!』


 考えている暇はない。言われたことを竜の脳が直感的に解析し、体にかかる負担と痛みが急激に低減される。


『無茶すんなバカ! 会敵まで十秒!』


 川岸が見える、立っているのは間違いなく敵の勇者。

 その足元に倒れているのは。


「シ――」

『緊急制動!』


 ありったけの聲を振り絞り、進行方向に風と炎を解き放つ。

 ほぼ同時に、勇者のつま先が、神規を展開させた。


「あ――!?」


 落ちたのが川の中で助かった。岸だったら、落ちた衝撃で深手を負っただろう。

 だが、状況は最悪だ。

 まるで耳を消音ヘッドホンで覆われたような、不自然な沈黙がある。聲が伝わらず、掛けられていた加護の感触さえ喪失している。

 神秘を封じる神規のために、今の自分は何の力もない子供だった。


「来ちまったか」


 男は残念そうに、それでも憐れみ一つない目でこちらを見た。

 その足元で血反吐を漏らし、ピクリとも動かないコボルトの体。


「どけ」

「無駄だぞ。今のお前じゃ」

「どけってんだよ! シェートが」

「もう死んだよ。俺が殺した」


 腰に下げていた山刀を引き抜き、構える。


『やめろフィー! 下がれ!』

『このままでは犬死です! お前だけでも』

「うるせえ! 俺がシェートを助け」


 体が浮いていた。

 岸が遠ざかっている。遅れて胸に激痛が、脳を揺らす衝撃が、蹴り上げた勇者の右足の裏が、やけにくっきり見える。


「ぐぁ……」


 体が重力に引かれて落ちる。胸と背中がめちゃくちゃに痛み、片方の翼が、衝撃でへし折れている感覚が伝わる。

 こちらを見上げる男の左拳が、ぐっと握りしめられた。


「……ちく、しょう」


 ドラゴンの脳が正確に計測してしまう。

 落下地点と男の腕の軌道、それはある点で交わり、こちらの体を粉々に砕くだろう。

 こんなことで、こんなにあっけなく。

 また自分は、死ぬのか。


(また……?)


 その疑問が解析される寸前。

 フィアクゥルの体は、ぐしゃりと、潰れた。



 拳は、振り抜かれなかった。

 いや振り抜けなかった。

 おぞましいぐらいの見事な奇襲。こちらの隙を食いちぎる白い顎が、最前まで立っていた場所に殺到していた。

 落ちてきた青い仔竜を背中で受け止め、地面に投げ転がす、四つ足の獣。

 額に輝く星と、激怒の視線。星狼がこちらを睨み据えていた。


「そうだよな。まだお前がいたっけ」


 服の脇側が裂け、そこに赤い筋が出来ていた。敵の牙のどこかが、一瞬かすめたのだろう。じわじわと血が垂れている。

 低く唸り、狼は間合い計っていた。


「動物とやるのは、骨なんだよな」


 どれほど武術を極めようが、野生生物との戦いは、常に人間が不利だ。

 瞬発力、回避、全身力を利用した攻撃、すべて四足歩行の生物の方が上。最低でも武器を持ち、できれば銃で武装して数で押すほうがいい。


「悪いが、借りるぜ」


 転がっていた山刀をつま先ではじき、前にした左手で構える。柄の部分が筒状に加工されていて、日本じもとで言うところの『フクロナガサ』に似ていることに気づく。

 こいつに棒を差し、槍として使いたいが、刃一枚分の距離が取れるだけでも上等だ。


「勝つ必要はない」


 構えを縮め、自らに言い聞かせる。

 蹴り飛ばした仔竜は虫の息だ。コボルトは、もう身動き一つしない。

 五分、いや三分も持ちこたえれば、諦めていなくなる。あるいは、仔竜の飼い主が音を上げて狼を引かせるに違いない。

 狼は口元を引き締め、牙さえむき出さず、静かにうなり続けている。

 異様な緊張感に、めまいがする。

 胃がむかむかとして、吐き気が――。


「ぐ、げぇ……っ!」


 引き締めていたはずの腹筋が緩んで、不快感と痛みに、口から吐しゃ物が漏れ出す。

 鼓動が脈打つごとに、血管に激痛が走る。

 その隙を、狼は見逃さなかった。


「な……に!?」


 目の前が暗くなるのをこらえ、必死にナイフを振り回す。その軌道をかいくぐり、狼の牙が足首に突き立った。


「うがあああああっ!?」


 だが、その痛みは一瞬で引く。噛まれはした、牙は皮膚を貫いて、血があふれ出すのを感じる。

 しりもちをついた隆健の目の前で、狼の顔が苦痛に歪み、頭がふらふらと揺れる。

 その口元から、血ではない真っ黒な液体が、どろりとあふれ出した。


「ど……毒……っ!」


 異様な激痛が、足からせり上がってきた。

 牙も見せずにうなり続けた狼の奇妙な姿。それは、コボルトがどこかに隠し持っていた毒を含んで、こちらに浴びせるため。

 息が苦しい、肺が締め付けられる、自分の意志と関係なく、全身がでたらめに跳ねる。


『隆健、引け! 今すぐ!』


 こんなところで死んでたまるか。

 とにかく、神規を解除して、神威による回復を可能にしなくては。


「神規……解除」

『いかん! まだ早――』


 その瞬間、鎌首をもたげた青い仔竜の憎悪の炎が、隆健を吹き飛ばした。

 


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、くそっ、くそがぁあっ!」


 背中の激痛をこらえ、フィーが叫ぶ。

 燃え上がった森の向こうに、吹き飛んでいった人影は、もう見えない。

 怒りと憎しみで目がくらむ。

 あいつを殺す、あいつを殺す、殺す、殺す、殺す、絶対に殺――。


『フィアクゥル!』


 その聲が、心に冷や水を浴びせた。

 周囲の光景に音が戻り、意識が全てを理解する。

 自分のすぐそばで、グートが倒れている。白目をむき、浅い呼吸を繰り返す口元から、肉の腐った臭いが立ち昇る。

 ワイバーンの毒。神経を侵し、肉を溶解させる、最悪の複合毒。


「あ……あ、グ、ート?」


 瀕死の狼の向こうに、血を流したまま身動き一つしない体がある。

 呼吸がない。横隔膜の動きがない。拍動がない。

 よろめいて近づき、見下ろした体は、物言わぬ躯になっていた。


「おい……なんだよ、これ」

『フィアクゥル』

「しっかりしろ、おい、シェート」

『惚けてる場合か! しゃんとしろフィー!』


 そうだ。この場で動けるのは自分だけ、今すぐに処置をすれば、まだ。


『時間がない! 聲で思考加速アクセラレートを行え!』

「そ、そんなもん、俺」

『カードゲームの時のコイン当てを思い出せ! あの時の動きだ!』


 飲み込むようにして、聲を頭蓋の奥深くに打ち込む。

 その途端、視界が意味を消失し、体感する時間が極端に遅くなっていく。

 圧縮された時間の中で、ソールの聲が、重々しく響いた。


『心しろフィアクゥル。ここからは取捨選択トリアージの時間だ』

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