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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~格闘編~

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188/256

19、「俺は、辻隆健」

 いつも通りに、隆健は目を覚ました。

 小屋の外から流れてくる夜気の残りは、だいぶ冷たくなってきた。こちらで冬を過ごすことになるかは分からないが、この小屋を引き払って街に降りる事も考えるべきだろう。

 今日ですべてが変わる。

 生まれて初めて、他の勇者と戦う。この土地にやってきたのは自分一人で、敵は魔物ばかりだった。

 とはいえ、萎縮する気持ちはない。

 寝床から起きると伸びをして、火壺を手に外に出る。煮焚きは外に作りつけたかまどでやっていた。


「ああ、さみい」


 熾火を炉に放り込み、焚き付けと泥炭を適当に放り込む。上に備え付けておいた鍋に水を注ぎ、蓋をする。

 空には星が瞬いているが、山の端は少しずつ白んできていた。


『交渉は決裂した』


 それは今まで聞いたこともない、固く恐ろしい"闘神"の声だった。

 ただ恋愛が終わった、というレベルの話じゃない。決定的な決裂と、憤りを感じさせるものがあった。


『じゃあ、殺りますよ』

『一撃で命脈を断て』


 どんなことがあっても、朗らかさと余裕を切らさなかった神が、あり得ないほどに張りつめていた。

 こちらに何も話すつもりはなく、後悔さえも振り捨てている。

 鍋が、煮えていた。

 そのまま、摘んでおいた野草と干し肉を入れ、塩をいくらか。

 火加減を見て、火力を遠火にすると、いつも通りに站椿を始める。


「――――」


 呼気と吸気を、深くゆっくりと保つ。意識が次第に拡散し、凪を終えた大気が、静かに揺るぐのを感じていく。

 霧の湿り気、土の匂い、近くを通り過ぎた獣の毛皮と糞の臭さ。 

 小さな物音が肌の上ではじけ、骨の芯に心臓の拍動が響く。

 やがて意識の範囲は、広く深くなり、林を抜け、斜面の下にある小川のせせらぎへと伸びていく。


「ふぅ」


 そこで、姿勢を戻して大きく伸びをする。

 鍋は蓋を揺るがせ、料理の香りを湯気と一緒に漂わせていた。

 山の端から、最初の光が差す。

 食器を小屋から取って戻ると、鍋の中から一すくい、汁を取る。蓋の上に乗せておいた種なしパンを半分だけ浸した。


「いただきます」


 手を合わせると、隆健は静かに食事を始めた。



「ずいぶん、のんびりしてやがんな」


 監視位置に着いたフィーは、食べることに集中する勇者にぼやいた。

 もっとやる気満々に出てくるのかと思えば、これまでと全く同じ振る舞いで、決闘の朝を過ごしている。


『思う以上に、強敵ですね』

『ああいうのが、一番めんどくせーんだよ』


 ソールとグラウムの意見は一致している。もちろん、こっちだって油断する気はない。

 

『野営地と彼の拠点は離れていますが、この辺りは敵の庭のようなもの。おそらく、場所の特定もすぐにされるものと』

『後はアイツの行軍速度が、どんだけかって話だ。軽身功やってそうには見えねーけど』

「けいしんこう?」

『クッソ雑に言えば、移動技だよ。体質や才能が関わってくるから、習得は難しいんだ』


 意外なことに、食べ終わった勇者は後片付けをし、小屋の周りを掃き掃除し始めた。


「いやいや、いくら何でも、そりゃ舐めすぎだろ!?」

『気配を乱さないように。相手に気づかれます』

「だ、だってさ」

『もしかして、伏兵でもいるとか?』


 グラウムの指摘に、ソールは嫌そうに呻いた。


『可能性はないとは言えん。だが、シェートとフィーの警戒、さらに、星狼の偵察を完全に出し抜く伏兵を、こちらに悟られず用意しているとすれば』

『最初から、オレらに勝ち目はねーか。考えるだけ無駄だな』

「でも、念のため、向こうに警戒するよう言っといてくれ」


 監視している勇者は掃除を終え、小屋の中に戻っていく。おそらく、あの小屋を引き払う準備でもしているのだろう。

 冷えた鍋を洗い、水を切っている。

 その儀式めいた行動から謎を探すように、フィーは神経を集中した。



「了解、警戒を厳に」


 状況を聞き終えると、メーレはかたわらの女神に詳細を伝えた。


「なるほど。これはいよいよ、広間に出るわけにはいかなくなりましたね」


 現在は女神の神座で、地上とのリンクを図っている。水鏡の向こうのシェートは、昨日までの野営地を離れ、沼沢地方面に移動中だった。


「決闘の間、ヴィトが担当。万が一、実力行使の際、対処可能」

「"闘神"殿の神威を、いなせる実力をお持ちということですね」


 実のところ、自分以外の三小竜であれば何らかの対処が可能だが、一番時間が稼げるのがヴィトだ。

 "闘神"はサリア―シェの出座を願ったようだが、完全に無視することにした。

 水鏡による指示を見られてしまえば、シェートの位置が割れてしまう。今回ばかりはその辺りも警戒しなければならない。

 わざわざ指揮所をこちらに移しているのも、"闘神"が乱入してくるのを警戒してのことだ。高位の神にとって、神座へ続く門をこじ開けるなど造作もない事。

 そのために『どちらにも女神がいる』という偽装まで掛けてある。


「シェート、周囲になにか妙な気配はあるか?」

『……ない。森、いつも通り。鳥、ネズミ、そういうの、普通』


 狩人の顔に油断はない。彼を乗せた星狼も、一定の歩調で進みながら、鋭敏な感覚で周囲に目を光らせていた。


「やはり、このまま距離を稼ぐべきでしょうか」

「肯定。できれば沼沢地、今日中に入るべき」

「山間での戦闘でも、対処は可能と思われますが」

「敵勇者、半年、この地に滞在。経験の差、要注意」


 女神は頷き、地上へ指示を飛ばす。

 狼は速度を上げて山間を駆け抜けていく。なんの遮りもない、順調な行程だ。

 だからこそ、警戒心が引きあがる。


「ヴィト、現状報告」


 メーレは、外に陣取っている白い小竜に聲を飛ばした。



 神の庭に展開された決闘の間は、これまでと違う様相が現れていた。

 巨大な闘技場。

 石造りの観客席と中央に設けられた石舞台。そこに水鏡が投影され、"闘神"の勇者"が日常を過ごしている姿が見えた。


「腰抜けの女神は、結局、顔を見せんか」


 対面に座った"闘神"の顔は酷薄で、こちらの『全て』を斬り屠らんとする、剥き出しの殺意に満ちている。

 とんでもないな、ヴィトは笑顔の下で、呻きを上げた。

 本来、概念の存在に過ぎない自分が、この相手に向き合いたくないと思わされている。一方的に死を贈与する情報ミームに、怯えを感じさせる者とは。


「ネズミの如く、小賢しく隠れようが、結末は同じだというのに」

「窮鼠猫を噛むというの諺が、"神去"にはあるそうですよ」

「そいつはいい。噛みつき、動きを止めるなら、縊り殺すに好都合だ」


 今の"闘神"なら、鼠どころかドラゴンさえ、噛みつかせたまま首をねじ切るだろう。

 とはいえ、その身体は石の席に深く腰掛けて、変わらない状況を眺めるばかりだ。


「貴方のことですから、サリア―シェ様を引きずり出し、勇者の元へシェートを向かわせる可能性も、考慮にいれませんとね」

「惰弱な女神と雑魚のコボルト相手に、そんな手間など掛けるか。俺が出て来いといったのは、無様に敗北し、物言わぬ像となったあ奴に、唾を吐きかけてやるためだ」


 そこでようやく、ヴィトは自分がここに立たされた理由を悟った。

 露悪的な言葉、あからさまな侮蔑、その全てが違和感の塊だ。

 おそらくメーレは気づき、理解している。これは一種の茶番で、同時にとんでもない執念の場であると。

 グラウムやソールでは、これに対応はできない。

 では、望まれたようにしよう。


「なるほど。この仕儀は、女神への愛ゆえ、ということですか」

「何?」

「彼女は死を願ったが、貴方は生きている彼女を望んだ。故に――」


 一瞬で、ヴィトは『死んだ』。

 自らに備わった『総体化』さえ間に合わない、まさしく神速の一撃。大気に拡散した、すべての『ヴィト』が、寸分の遅滞もなく断たれていた。

 ただ一匹の、白い小竜を残して。


「黙っていろ道化。次は殺す」


 そして、ヴィトは悟った。

 目の前にいる神は、己の武を『断つ』という概念へと、昇華させていたことを。

 本人が『断つ』と思えば、断てぬモノがない。それがたとえ、不老不死であろうが、星であろうが、死のない概念であろうが。

 絶対的な傲慢の押し付け。"愛乱の君"の『幸運』と同じ、神の絶対権能。

 水鏡の勇者が他愛のない日常を続けている様子が、異様なものに見えた。

 そうだ。なぜ勇者は『動かない?』。

 簡単なことだ。それはつまり――。


「黙っていろ、と、言ったはずだ」


 放ったはずの聲が断たれる。こちらの権能が、すべて無効化される。

 せめてもう一竜、この場にいたなら。

 あるいはこの違和感に、誰かが気づいてくれれば。

 釘付けになったヴィトにできるのは、ただ願う事だけだった。



 ちょうど、日が中天にかかるころ、シェートは山の入り口までたどり着いていた。

 ここに着いた初日、フィーと別れて周囲を探りに出た場所だ。勇者の杣小屋がある谷はぼんやりした輪郭として存在している。

 霧もなく、空も高く、この辺りにしては珍しい爽やかな気候だ。


「サリア、フィー、まだ見張りか?」

『うむ。現在勇者は昼餉の用意に入っているらしい。身支度は旅装に変わっているから、こちらを追いかけるつもりはあるようだが……』


 今のシェートがあそこまでたどり着くには、グートに乗っても一日は掛かる。勇者は馬などの移動手段もなく、徒歩で行動していると聞いた。


「サリア、勇者、魔法使う、空飛ぶ、違うか?」

『否定。"闘神"の勇者、神規、魔法との相性、最悪。移動用の魔法、可能性低い』

「竜洞の査定でも、"闘神"の掛け代では、そこまでの権能は融通できないとのことだ」


 とはいえ、この前の"愛乱の君"がやったような大仕掛けがあれば、そんなものはあっさりと踏み倒せてしまうだろう。

 踏み倒す、という言葉に、シェートは慄然とした。


「違う……」

『どうした、シェート?』

「ダメだ! 勇者、すぐ来れる、そういう神規、持ってる!」

『そんな、さすがに飛躍しすぎでは』

『否、シェートの勘、信用に足る』


 これまで何度も、神の奇跡に欺かれてきた。

 攻撃を通さぬ無敵の鎧、強力な魔物を使役する子供、時を戻すインチキ、紙切れ一枚ですべてを操る遊び。

 あの勇者も、距離を無視して動けるからこそ、動かないのだとしたら。


『そんなものがあるとして、どう対処する?』

『……フィー、合流を要請。星狼、距離を取る、伏兵』

『シェートは、どうすれば?』


 状況を飲み込み、思考を巡らせる。とはいえ、難しいことは何もなかった。


「俺、"コボルトの布告"使う。神規、魔法、使えなくする。それで、囮、やる」

『最適解。高速移動、誘導転移、未然に遮断。不意打ち、対処可能』

『なおかつグートを伏せておけば、挟撃もできるか』

「その後、沼地の戦、同じする。フィー、魔法使う」


 即席の迎撃だが、これ以上考えられることはない。なにより、相手が距離を無視してこちらに来られるとするなら、フィーと合流するほうがいい。

 胸の石に触れ、シェートは神規を発動させた。


「"コボルトの布告"!」


 少しめまいのするような感覚があったのは、サリアの加護が消去され、本来の体力に戻ったためだ。昨日の夜から休みなく働いていたせいで、じわりと疲労を感じた。

 積み荷を降ろしてやると、白い狼は近くの茂みに走り込み、姿を消した。


「サリア、フィー、いつ来る?」

『相手に悟られぬよう、痕跡を消しつつ移動するそうだ。待つ間、軽い休息を取ろう』

「……なら、飯作るか」


 敵もこちらを油断させるために、普段通りの生活をしていた。なら、こちらもあえて、そういう振る舞いをする方がいいだろう。


『最初の勇者と同じか。食事を作りつつ、隙を見せる』

『妙案。ただしシェート、今、神器、使えない。注意を』

「わかった」


 手の込んだものは作る気はないが、湯ぐらいは沸かしておこう。

 水袋を片手に、近くのせせらぎを目指す。

 なだらかになった川岸は、下草もまばらで歩きやすい。遮蔽になる木もそれなりにあって、いざとなれば隠れて逃げることも可能だ。

 冷たい水に触れ、顔を洗う。喉を潤して、水を汲んだ。

 帰ろうと立ち上がった、その時。

 澄んだ金属の跳ねる音が聞こえ――


「よう」


 ――たった三歩分離れた位置に、男がいた。

 無精ひげを生やした痩躯の中年男が、気の抜けた笑みを浮かべて立っている。

 その顔立ちには見覚えがある。敵の勇者。

 逃げなくては。


「俺は、辻隆健」


 下がる、下がらないと、下がらなければ。


「会ったばかりで悪いんだが」


 全力で、最速で反応しているはずだ。

 それでも、ぬかるんだ沼に沈み込んだように、手も足も重い。

 ひどくゆっくりと、世界が動く。


「死んでくれ」


 男の体が、中腰の姿勢に変わっていく。

 踏み出された左足と一緒に、左腕が伸びてくる。右腕を右の胸に引き付ける形に、ひどく見覚えがあった。


「弓?」


 見えない弓弦を引き絞るように、突きだされた拳。

 その先端が、胸に当たった瞬間。


「――あ」


 シェートは、絶命した。

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