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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~格闘編~
187/256

18、「まったく、なんというざまだ」

 七日目。

 永劫を生きる神にとっては、塵にも等しいひとときだ。

 だが、だからこそ鮮烈な記憶は、刻みつけられ、焼き付けられ、消えぬ傷痕となって魂に残り続ける。

 己の神座で身じろぎもせず、"闘神"は与えられた事実を、噛みしめていた。


『癒し手の竜よ、俺が間違っていたのか?』


 救いを求めるように放たれた問いを、竜の娘は冷たく振り払った。


『なにも間違っていない。当然の帰結』

『貴様はそれでいいのか?』

『癒し手、手を尽す。その結果、受け入れるのみ』


 そんなこちらの戸惑いに、それまで黙していた白い竜は言い添えた。


『貴方の奔放さに、彼女は癒された。封じていた望みを、己の心の在り様を、思い出したのです。誰にも言えなかった、死にたいという願いを』


 取り繕ってばかりの日々、行く当てのない怒り、本心を知ろうともしない者ども。その中で孤独に叫び続けた女神。


『皮肉なことに、彼女は親友であったカニラ・ファラーダと、同じ結論に達しました。だが、それさえも必死に封じてきた』

『自死の選択、彼女の星、その民の末路、すべて忘却される』

『彼女は兄を信じていなかった。自分の遺骸を託す相手などと、考えもしなかった』

『でも、貴方が来た』


 青い竜の顔は、喜んでさえいるように見えた。自分の患者が己の心と向き合い、一つの解決を見出したことを。


『"闘神"ルシャーバ、貴方、彼女を救った。寄り添い、痛み、分かち合った』

『我々には出来なかったことです。主様でさえも』


 ひどい賞賛だった。これまでに手にした如何なる勝利の中でも、こちらの魂を根底から侮蔑するごとき代物だ。


『俺は、こんな結末が欲しかったのではない! こんなことなら、最初から軽侮され、唾棄されていた方がましだ!』

『それでも、彼女は貴方に感謝するでしょう。おそらく、愛してさえいるかと』

『ふざけるな!』


 求めた先に幸せがあるとは、思っていなかった。激しく争い、あるいは憎悪されることもあるだろうと。

 だが、こんなことはあんまりだ。

 信用できるから、愛してくれたから、共に歩んでくれたから。そんな俺だから、死を与えて欲しいなどと。


「……馬鹿野郎」


 うめきながら、両手に目をやる。

 造作もない、あの輝きを手折ることなど、造作もないのだ。苦しみを感じさせることもなく、消し去れる。

 愛する者の望みを、叶えてやれるのだ。

 忘れない、忘れてなどやらない、俺の記憶に、魂に留めてやる。

 そして、新生した星の民に、語るだろう。

 愚かだが情の深い、一つ柱の女神がいたことを。


「大馬鹿野郎が!」


 だが、そんなことは嫌だ。魂に掛けて、誇りに掛けて、愛する者に掛けて。

 絶対にそんなことを、認めてやる気はない。

 煮えたぎる憤りに、全身が燃え上がる。 

 意を決すると、"闘神"は神座を後にした。



 ほのかな罪悪感と、別の何かに囚われながら、サリアは茫洋と時を過ごしていた。

 最後の日だ。今日で何かが終わる。

 罪悪感は、彼を傷つけたことだ。あの優しい戦の神を、あんなに悲しませることになるとは、思わなかった。

 いや、思わなかったのではない、無視したのだ。

 無視して、甘えてしまいたかった。


「……わがままというのは、これほど度し難いものなのですね、義父様とうさま


 神と成って千年以上。ずっと星のために、何かのために、良くあろうと、正しくあろうと努めてきた。

 その全ては裏切られ、足蹴にされてきた。


『安心しろ、サリア。誰にもお前を、傷つけなどさせない』


 愚かな兄だった。

 私を飾り立て、赤子のようにあやし続けた。

 金銀で寝床を造り、神殿を綺羅で覆い、気の利いた端女たちを遣わして、気の遠くなるような年月、閉じ込め続けた。


『遺骸は』

『……遺骸?』

『民の遺骸は、きちんと弔われたのでしょうか』

『そなたはなにも、気にすることはない。すべて差配させた』


 差配させた、つまりあなたは、何もしなかったのですね。

 聞く気も起らなかった。きっと兄は言葉に詰まるか、うるさそうにするか、くだらないガラクタで、こちらをあやすだけだろう。

 やがて私は『副葬品』で息が詰まりそうになり、泣く代わりに、兄のご機嫌を取った。

 兄が喜ぶような言葉だけを、並べ続けて。

 死体から人形へ。

 やがて、監視付きで神の庭に戻ると、そこはもう別世界だった。

 親しい者は誰もおらず、兄に群がるものか、私を避ける者たちのみ。


『私は裏切りなどしておりません! 神魔の騒乱など思いもよらぬこと! せめて我が民に憐憫を! 彼らの命に謝罪を!』


 冷たく分厚い、敵意と沈黙の壁だけがあった。兄の威光でさえ遮ることができない、偏見の念が、足をすくませた。

 それでも、氷の刃の上を歩くように、痛みをこらえて叫び続ける。

 人形はいつしか、"平和の女神"と蔑称されるようになった。


『我が星のように、幼い星々をも穢し続けるのですか!? あなた方の栄達のために世界があるのではない! 私のような思いをする者が、あって欲しくないだけなのです!』


 笑われた、今や天は遊戯なしには考えられぬと。

 蔑まれた、魔の者を招き入れ、"調停者"の名を汚した恥さらしと。

 妬まれた、兄の栄達で過ごす者に、何も言われたくないと。

 やがて、すべてを無視された。

 その頃には、サリアの耳に、ひとつの慣用句が届くようになった。


『此度もか。さすがは四柱神だ』


 遊戯において様々な栄誉を成し遂げた、天の頂に座す四つ柱の神。

 自分には関係のない、むしろ無意識に憤りを投げかけていた、栄光ある者ども。


『貴様を、愛しているのだ』


 その中から、思いもよらず伸ばされた手がある。

 振り払ったつもりだった。そんなものにへつらうような謂われはないと。

 だが、彼は辛抱強く、私を暗い底から引っ張り上げてしまった。

 彼の心は、体以上に大きく、立派だった。

 今ならばわかる。彼は誰にも告げぬまま、遊戯に勝利し、私の願ったものを叶えようとしていたのだ。

 愛する者に誇ることも、当てつけることもないままに。


「ルシャーバ、殿」


 どうして私は、今まで彼と出会えなかったのだろう。

 彼は言った。私に恋焦がれた理由は、説明できないと。だが、私は今、明確に告げることができる。

 貴方に、恋をしていると。

 その心映えに、甘えてしまいたいと、思っている。

 彼にすべてを任せ、永遠の忘我に沈みたい。

 私だけの、小さな我儘ねがいを、叶えて欲しい。


「サリア―シェ様、出立を」


 青い小竜の顔は、以前のような無関心に返っていた。こちらを見る目は冷たく、観察することだけに留まっている。


「今回の盟が成り次第、戦の主導権を"闘神"殿に譲ろうと思います。そうなれば、ソール殿のご機嫌も、いくらかは安らごうかと」

「その勘案、無意味。ソール、"闘神"、嫌悪している」

「……もしや、怒って、おられるのですか?」


 メーレは目を閉じ、それから被りを振った。


「貴方の選択、妥当と判断。治療者、患者の意志、尊重」

「ありがとうございます」

「ただ、私的意見、ひとつだけ」


 視線に強い感情を込めて、金の竜眼がこちらを射貫く。

 あたかも冷えた水が急速に沸騰するような、唐突で強烈な憤りの放射だった。


「私の命題、使命、果たせないこと。それが、腹立たしい」

「貴方の……?」

「あくまで私的理由。貴方、関わりない事」


 それ以上の詮索は取りやめ、神座を出る。

 光差す庭には、すでに巌のような体が、佇立していた。



 メーレの竜眼には、その立ち姿がひどく、頼りなく見えた。

 岩のような体が今にも朽ち崩れ、土に還ると勘違いするほどに。

 これまで誰も見たことがない、闘いの神の憔悴が、大気に満ちている。供をした女神もその異様さに気づき、歩み寄るのをやめていた。


「花籠」


 意外なことに、ルシャーバは自ら口火を切った。手にしているのは、紫の花の塊。帰還した折に女神が編み上げ、付け届けたものだ。


「花籠は頂戴した。昨日ははかばかしい答えもなく、手を煩わせたな」

「"闘神"殿……?」

「――貴様の願い、良く分かった」


 柔和さの欠片もない、魔界の悪鬼さえ怯え死ぬほどの、赫怒が面に浮かんでいた。

 周囲の草花が枯れて萎れ、庭の空が灼熱の赤と黒に染まる。吐く息さえ火焔に等しい温度で白煙を上げ、目の前の女神を睨み据えた。


「決闘だ。貴様の勇者と我が勇者、生き残ったほうが、すべてを取る」

「な……なぜです!? 私はそんな!」

「殺してほしくば俺の勇者を殺せ。貴様の勇者を殺した時は、俺に絶対の隷属を誓え」


 強烈な威圧に、女神がよろめく。その前を遮って飛び出したメーレが、見えない何かに弾き飛ばされた。

 神威、圧倒的な意志の力が、嵐のように荒れ狂っている。虚空に身を潜めていた白い姿が容をあらわし、巨大な竜蛇となって、二人を守った。


「おやめください! 私は貴方と争いたくない! この遊戯を終わらせ、共に歩むことを望んでくれたのでは、なかったのですか!?」

「気が変わった! 所詮、俺は粗野にして蛮夷の神! 貴様とのままごとも、いい加減飽き飽きしたのでな!」


 手にした花籠が微塵となり、黒い砂塵になって吹き散れる。


「貴様のような柔弱な女に、なにをとち狂っていたのか。最初からこうして、奪い去ればよかったものを」

「ルシャーバ殿!」

「約定通り、今日までは休戦としてやる。明日の朝、日の昇る時が戦の合図だ。逃げることは許さんぞ。我が神威の全てに掛けて」


 それきり、"闘神"は背を向けて去っていく。

 取り残された子供のように、女神はその場にうなだれていた。



「……なんだよ、そりゃ」


 報告を聞いたグラウムの言葉が、すべてを集約していた。

 悪態をつきかけたソールさえ、何も言えないまま、モニターに目をそらしてしまう。

 竜洞の全ての竜が、唐突な決闘の宣言に当惑していた。


「私も同じ気持ちだよ。まさかあの御仁が、ここまで分からない方だったとは」

「要するにあれか。手に入らないなら、自分の手で殺す? いや、手に入る、はずだったんだから、それも変か? くそ、わけわかんねぇ!」

「今回、かの神には振り回され続けた。それも、これで終わると思えば気が楽だ」


 そう言いつつも、ソールの手は止まっている。決闘が宣言された以上、シェートとフィーに連絡をしなくてはならない。

 考察に必要なデータはそろっているはずだ。

 だが、彼は動かない。


「いや……これはダメだ。今回ばかりは、俺も先が見通せない」

「なんだよソール、戦闘指揮のテメエがそんなんじゃ」

「分かってる! だが、可能であれば、この戦いは避けるべきだ!」


 その一言を断つように、メーレは自らの尾で、ぴしゃりと地面を打った。

 全員の視線を集めたところで、改めて指示を飛ばす。


「竜洞各員、地上観測、マニュアルに従い三交代。ソール、即時休憩を厳命、グラウム、食堂で待機。ヴィト、"闘神"の動きを警戒」


 そのままモニターに向かうと、今度は地上への連絡を開始する。現状、明確な指示を出すことはできない。それでも、次に起こる予想程度は伝えておかなければ。


「フィー、現状、手短に説明する」

『……交渉決裂、明日には決闘だって?』

「貴方、本当に筋がいい。極めて冷静」

『パーティの軍師だからな。で、かなりまずいのか』


 フィアクゥルの素養には目を見張るものがある。こちらがごたついている分、彼のように冷静に現場判断できる者はありがたい。

 細かい部分は省き、経緯を解説した。


『つまり、痴情のもつれ、って奴?』

「端的には」

『そりゃソールが荒れるわけだよ。これからどうする』

「野営地、早急に離脱。決闘空間、展開阻止、最優先」

『いっそ"英傑神"のとこまで逃げるか? うまくすれば三つ巴も狙えるぜ』


 その発想力は、どことなくグラウムを感じさせた。窮地に可能性を見出す力は、何よりも得難い。


「態勢、立て直し次第、バックアップ再開。交戦、絶対禁止」

『了解。あと、サリアのケアも頼むぜ。オマエら結構、おさなりだからな』

「……分かった、助言、感謝」


 連絡を打ち切ると、メーレは背筋を伸ばした。

 ドラゴンは、完璧な生き物ではない。強力であるゆえに、雑だ。

 凝り性で貪欲で、好きな分野には異常な才覚を発揮するが、興味のない分野に関しては素人以下のでたらめで、いじくりまわす。

 フィーの言葉は反射的なものだろうが、鋭い指摘だった。


「わりいな。『心』に関しちゃ、まだまだ『模倣エミュ』がたんねーみたいだ」


 気が付くと、隣にグラウムが居座っていた。

 手にしているのは、透明な液体の入った瓶。

 ショットグラスに注ぎ、こちらに差し出す。きついアルコールとエステル香の漂うそれは、熟成された白酒パイジュウだ。

 背後には山盛りの餃子。餡の中に大葉が仕込まれているらしい。


「敵を飲み干すってことで、ゲン担ぎさ」

「……頂く」


 焼けつくような感触と、バナナのような香りが、喉を伝わっていく。

 このぐらいキツいものを浴びないと、やっていられないというのは、正直なところだ。


「で、お医者センセイの見立ては?」

「サリア―シェ様、この後回診、状況次第」

「そっちもそうだが、オレたちの『初陣』は?」


 初陣、という表現は極めて適正だ。

 エルム・オゥドという中心を欠いた状況は、これまでにも何度かあった。

 ただしそれは『呼べばどこからか来てくれる』という、保護観察扱いでしかなかった。


「主様、フィーと共に、私たち、テスト」

「だよなー。ほんっと、底意地悪いぜ主様はよ。いや、極めて効率的?」

「ゆえに判断、留保」

「どっちにしろ、最後にゃ『うむ、よくやった』ってオチだろうしなー」


 結局、主の目線がどこにあるのかは想像もつかない。自分なりに動けたか、そういう自己評価こそを重視するべきだろう。


「現状、私たち、悪手続き」

「ソールは早々にオーバーヒートしやがるし、恋だの愛だのはオレの専門外、ヴィトに至っちゃいつも通り、我関せずだ。見えてるのはお前ぐらいだろ」

「私、サリア―シェ様の扱い、失敗」


 長箸で器用に餃子をぱくつきながら、酒をあおる同輩。白酒と大葉餃子の組み合わせがお気に召したらしい。

 彼が『食べていない』という事態は、竜洞のストレス値が劣悪になった証拠。どうやら環境の正常化はうまくいったようだ。


「とはいえ、言うほど悪かねーと思うぜ。女神様のあれは、分かってみりゃ当然のドツボだ。バカ兄貴が病気の妹を閉じ込めた結果。マジで死んどけアイツ」

「ソールのケア、私たちでは足りなかった」

「それも同じさ。アイツのバカさ加減は『変わる』前からずっとだろ。後知恵の後悔は腹が悪くなるぜー。疲れてんだよ、お前も」


 痛烈な指摘に、青い竜の口が笑いに歪む。周囲を気遣うばかりで、自身の衰微に気づかないとは。医者の不養生、とはまさにこのことだ。


「お代わり。次、アラック所望」

「へいへい。患者の所に行くまで、正気保ってろよ」


 山と並んだ蒸留酒の瓶を傍らに、状況を整理していく。とはいえ、整理するべきことはないに等しい。

 交渉のテーブルが蹴り飛ばされた以上、戦う以外の道は、ありえなかった。



 神の庭は、寂寥としていた。

 一部の草木が完全に茶色くしおれたまま、未だに回復していない。大神の怒りと暴威を思うさまに奮えばどうなるかを、示すように。


「まったく、なんというざまだ」


 歯ぎしりしつつ、ソールは見分を終え、そのまま扉の方へ向かう。竜洞ではなく"平和の女神"の神座へ向かうために。


「やはり、こんなことだと思ったよ。休憩を厳命、と言われたのを忘れたかい?」

「今度の目付はお前か」


 赤い背中に密接するように、白い毛皮の小竜が寄り添う。

 その口元に、いつもの薄い笑みはない。


「お前にとっては滑稽な見世物だろうが、俺にとっては屈辱の極みだ」

「主様は君に冷静を期待していない。それを無理矢理、そういう役に就いたあげく、勝手に自己嫌悪している。これを滑稽と言わず、なんというのかな?」

「――ああ、そうとも」


 竜洞の頂点に位置する竜たちは、皆、癖のあるものばかりだ。

 その四匹のいずれもが『本来はドラゴンでさえない』。

 

「主様がいなくなった途端、それぞれの化けの皮がはがれている。上手に取り繕えているのは、お前ぐらいのものだ」

「私には『容』なんてなかったからね。こういう『有り方』というだけだよ」

「サリア―シェに、一刻も早く、正気を取り戻させなければならない」


 呻くように言葉を絞り出す。先が見えないと言ったのは、この扉の向こうの女神が、どんな振る舞いをするか分からないからだ。

 やけを起こして自滅するならば良し、最悪、フィアクゥルを巻き込まれるようなことがあれば、主に顔向けができない。


「本当に煮詰まっているんだね。最初から存在しないモノを、どう取り戻すのかな?」

「仮初だろうがごまかしだろうが、そう振舞っていただろうが! ボロ布でもないよりはましだ!」

「せめて綺麗なドレスにガラスの靴、カボチャの馬車でも整えてやればいいのに」

「俺にできるのは、灰かぶりを労わることじゃない。すべてを灰にすることだ」


 そうだ、俺はいつも、こうやってすべてを灰にする。

 善かれと願った果てにあったのは、過去も仲間も、愛する人も灰にした末路。

 

「"闘神"も"平和の女神"も、馬鹿者だ。愛だの恋だの、民への情だの、灰になれば皆同じだというのに」

「やっぱり、君の不機嫌はそれか。それもだいぶ、ひどい焦げ付きだ」

「頼む――少し、黙ってくれ」

「同族嫌悪ここに極まれり。心底無様だよ、今の君は」


 その途端、白い体が爆ぜ割れ、燃え散った。

 広大な庭が劫火の海に沈み、すべてが灰に変わっていく。一つ柱の神もないことが、唯一の幸いだ。


「八つ当たりをして、満足かい?」

「――っ」

「悪いが、私はこういう性格だ。最も主様に近く、最も遠い、君たちを見るだけの者」


 炎が砕け散り、消し飛ばされていく。燃え盛っていた熱量さえ、なかったかのように霧散していた。

 そして、空間すべてが『ヴィト』になる。


「なあ、ヴィト。俺は何度間違えればいい。俺という炎を御するのに、幾千年かかる」

「それを知るために、君はドラゴンになり、主様に従ったんだろう?」

「なら、今の俺ではダメだ。女神を憎むしかない。自分から落ちた影を憎むように」

「それが分かっただけでも、進歩はしているさ」


 いつの間にか、門の前に青と黒の竜がいた。そこにふわりと白の竜が着地し、それぞれの視線がこちらに向けられる。


「良い感じであったまってんなあ。カロリーのムダだから、次は鳥の丸焼きかローストビーフでも仕込んでくれよ」

「休息厳命の無視、重大なペナルティ。主様に報告」

「お前たち――いや、すまなかった」


 扉に歩み寄り、女神の現状を推し量る。

 青竜は尾に絡めた酒杯をあおり、黒竜は持ってきた弁当を使い始めた。白い煙を吐き出し、穏やかに笑いを浮かべる白竜。

 口元を引き締め、赤竜は扉に案内あないを乞うた。 


「女神サリア―シェに、目通り願いたい」



『女神サリア―シェに、目通り願いたい』

 

 神座に、赤い小竜の声が響いた。

 何かを思い煩う前に、サリアは無言で扉を開けさせた。そして、入り込んでくる四匹の姿に、驚いていた。


「まさか、皆様、お揃いとは」

「盟を結んだ相手を気遣ってのこと。何も不思議なことはないのでは?」


 相変わらず言葉は冷淡で、それでもわざわざこちらの加減をうかがうくらいには、気にしているのだろうか。

 それでも、今ははかばかしい答えが返せそうにない。


「……重ね重ね、皆様にはご迷惑を」

「あー、そういうの良いから。オレらとしては、アンタがどうするかを聞きに来ただけ。それが終わったら引っ込むよ」

「それは――」


 最後のやり取りは、明らかに"闘神"からの敵対宣言だった。つまり、決闘は必ず行われることになる。


「嫌も応も、ありません。あの方は確実に、己の勇者を、シェートにぶつけてくる。避けるすべは、ないでしょう」

「よく分かってんじゃん。じゃあ、しなびてる場合じゃねーだろ?」

「私が――私などが、恋情など、抱かなければ、こうはならなかったのでしょうか」


 黒い竜が鼻白み、赤い竜の視線が怒りに燃える。

 当然の反応を遮って、青と白の竜が進み出た。


「ご自身の言葉を、思い返してみられるといい。恋情とは、かくのごとくあれかし、までしか期待できぬと仰ったでしょう?」

「心、神それぞれ。必ず好意、引き出す言葉。存在せず。"闘神"、彼の理論、従った」

「理屈ではそうでしょう! それではなぜ、あの方はあれほど、私に……!」


 まるで、ここで突き落とすために積み上げたような、好意の全て。彼の言葉には何一つ嘘はなかった、そう感じたはずだ。

 だとすれば、こちらに飽いたという言葉も、真実ということ。

 それとも。


「それとも、私の終わりを委ねられたことで、付き合いきれぬと思われたのでしょうか」

「順当に考えればそうでしょう。彼は貴方を重荷に感じ、恋情を引っ込めてしまった」

「――――」


 白竜の言葉に、青竜は視線をわずかに動かしただけだった。

 竜たちの反応は、自分がずっと思い悩んでいたことへの答えだ。"闘神"は本当に自分と敵対するのか。


「一つだけ、助言を」

「なにを、でしょう」

「貴方、惑えば、シェートが死ぬ」


 決定的な事実を突きつけられ、サリアの中にあったわだかまりが、静かに消えた。

 それだけは、絶対に許されることではない。こちらがどれほど苦しもうが、彼は生き残らせねばならない。


「シェートに次第を説明します。その後は、皆様にお任せしても、よろしいか」

「良いでしょう。竜洞に戦闘指揮の一切を委譲してください」

「此度ばかりは、皆様に、おすがりするほか、ありません」


 なんと情けない言葉だろう。しょせん、自分の意志など、意地など、ここまでのものに過ぎないのか。

 交渉が終了したとみて、小竜たちが去っていく。ただ、青の娘だけは伴神の姿を取って傍らに残っていた。


「メーレ殿も、お帰りください」

「その拒絶、聞けない」

「私の苦痛を、治療エサとしたいからですか」


 我ながらひどい口だ。ここまで横柄で、自分本位になれる思っていなかった。

 それでも、医師たる竜は、黙って立ち尽くす。


「――シェート、聞こえているか」


 心を落ち着け、言葉を平板に。

 事実だけを思い浮かべ、彼にするべき指示をひねり出す。


「"闘神"の勇者と、戦いになる。相手は、そなたを殺す気で来る。本気で」


 コボルトは黙ったまま聞いていた。その顔を見れば、とてもこちらが平静でないことを悟っていると分かる。


「以後、フィーを通じて竜洞の皆様が、お前に策を授けてくれるだろう。それに従い、生き延びてくれ」


 水鏡の向こうで、シェートは笑った。胸に手を当て、こちらに手を伸ばす。


『サリア、だいじょぶだ』

「……え?」

『俺、ちゃんと生きる』


 これまで何度も見てきた顔だ。迷い、苦しみながらも、最後にはこちらを導き、進んでいく顔だ。

 そうか、私は思い違いをしていた。


「私は、お前に甘えてばかりだ。本当に、済まない」

『知ってる。お前、間抜けな女神』


 失えない、彼だけは失ってはいけない。なんでこんなことを、忘れていたのか。

 軽々に自分の死などを、願っている場合ではなかったのに。


「メーレ殿、私も戦闘指揮に参加します」

「良い判断。将はかくあるべし」

「それと」


 彼女の労わりに、素直に頭を下げた。


「心遣い感謝します」

「不要」


 そっけなく、それでも微笑んで、青竜は告げた。


「患者、最後まで見る。医師の仕事」

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― 新着の感想 ―
[良い点] >知ってる。お前、間抜けな女神 なんだろうな。いつもの悪態なのに今まで積み上げた絆の重さを実感した [一言] >マジで死んどけアイツ いやホント。石化から復帰したらも一発、誰かぶん殴って…
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