15、「ごめん、フィー」
まだ、夜明けにも遠い午前三時。
フィアクゥルは目を覚まし、足音一つ立てずに天幕を出た。最近はシェートに気づかせることもなく、こうやって移動することができる。
そんな自分を、グートの黄色い瞳が茂みの中から見つめてきた。
さすがに星狼をごまかすのは、簡単ではないらしい。近づくと、頬を撫でて囁いた。
「シェートを頼むな」
食事は昨日の晩に用意してある。鍋の煮込みとどんぐりの焼き菓子、小麦がないから百合に近い草の地下茎を練り込んで作ってみた。
自分の弁当は、焼き菓子と燻製魚だ。それと、チコリで作ったコーヒー。
そのまま舞い上がると、目的地へ向かう。野営地から少し離れた、なだらかな斜面の草原だ。そこが自分が手に掛けている『作業場』がある。
深めに掘られた、小さなくぼ地。底の部分は平らにならされている。
「おーい、こんなもんでどうだ?」
きめの細かい土でできた、土壁のような質感。ソールたちに教わって作った下地は、期待通りに仕上がっているようだ。
『問題ないかと。急ごしらえですが、漏水が止まればいいので』
『しっかし、いきなり露天風呂作るって言いだした時は、どうすっかと思ったぜ』
「この半年、ずっと水浴びばっかだったからさ。ここらで久しぶりに、ゆっくり浸かるのもいいかと思って」
そう言いつつ、昨日のうちに集めておいた石の山に近づくと、改めて『風呂場』を確かめる。昨日は地面を掘り、石を集め、水が抜けないように整地するまでで終わった。
今日は大きめの石で囲い、地面を丸石で敷き詰めるまでやるつもりだ。
「意外と面倒だよな。温泉はあるから、穴掘ってお湯入れて終わりかと思ってた」
『それでも構いませんよ。暖かい泥浴びがしたいのであれば』
『ローマンコンクリート使って、ガチのテルマエ造ってもよかったんだぜ?』
「休日終わるだろ、そんなん。まあ、これも今日中に終わるかどうか、だけど」
自分の体の倍はある岩を、フィーは聲を使って持ち上げる。筋力を増強し、岩の位置エネルギーを絶妙に操作しながら、適切な位置に設置していく。
囲いが済んでしまうと、今度は中ぐらいの角の取れた石を岩の下に宛がっていく。
倒れないように支えるのと、底に敷き詰める石の起点にするためだ。
『聲の切り替えがうまくなって来たなー。その調子なら、喉を使わずに謳うのも、すぐできるようになるぜ』
「そういや、おっさんと空飛んだ時、そんなことやってたっけ。不思議だったんだよ。鱗が聲出してたから」
『ドラゴンの鱗は、それ自体が聲を発する器官でもある。とはいえ、幼いお前が無理にすることでもないですが』
ソールの言葉を聞き流しながら、フィーは口を閉じたまま、腹の奥で聲を放つ。
その震えを肌の方へ回すと、四肢の筋肉に力が満ちるのが分かった。試しに岩を持ち上げ、さっきと変わらない出力があることを確かめた。
「よし、できたっと。これでいいんだろ?」
『マジでスゲーなオマエ。でも、あんまり無茶すんなよ。成長途中の鱗だからな』
『鱗もそうだが、肉体への負担も大きい。身体能力増強はほどほどにしなさい』
「あとは細かい作業だけだから、平気だって」
この前ソールが言っていた、ネズミの慎重さと蛇の狡猾さというのも、身体操作に聲を使った結果なのだろう。数トンの重さの肉体を敏捷に動かす、種と仕掛けというわけだ。
それから、フィーは丁寧に石を並べ、隙間なく敷き詰めていく。本来なら図面か何かを書くところだが、ドラゴンにそんなものは必要ない。
集めた石の形を覚えておき、ジグソーパズルの要領で当てはめていけばいい。
三分の一ほど敷き詰めたところで、山の端から朝日が昇り始めた。
「あー……腹減ったな」
持ってきた朝食の包みを開くと、燻製魚を軽く熱する。火はもう使わない、電気の力を使って温めてやればいい。
ついでに、水筒の中のコーヒーも同じように――。
「うわああああっ!?」
突然、ばふんっ、という音と共に手の中の水筒が吹き飛んでいた。正確には、注ぎ口のプラスチックパーツが破裂してしいた。
『バカ! なにやってんだオマエ! いい加減死ぬぞマジで!?』
『大方、コーヒーの温め直しに、マイクロウェーブでも使ったのだろう。内容物の急激な体積膨張による破裂。下手したら顔が吹き飛んでいたな』
「お……おお……ご、ごめん」
聲でいろいろできるようになったのはいいが、こういう意外な反作用まで考えないとならないのが問題だ。
特に電気関連は難しい。この前から何かと、うっかり死にそうになってる気がする。
「折角、執事さんから貰ったのになぁ……」
『修繕は……難しそうだな。本体のクラックは何とかなりそうだが』
『注ぎ口とゴムパッキンの部分は別途調達だなー。それも、なんとかできるだろ』
「聲で作れるのか?」
『どっちも樹脂だからな。似たような組成の物質があれば、組み替えでいけるぜー』
仕方なく、残骸になった部分を拾い集め、元の形状を思い返しておく。ここまで完全に壊れたものは、聲だけで修復するのは難しいようだった。
それでも、物質の変換までやれる、という発言には驚く。
『フィアクゥル、改めて言っておきますが、お前は仔供です。その能力も経験もまだまだ未発達だ』
『オレたちは、主様からオマエの身柄を預かってんだ。放任はしてるけど、命の保障には気を使ってるんだからな?』
「調子に乗って、変に先走るな、ってことか」
『ほら、さっさと飯食っちまえ。反省なら仕事しながらでもできるぜ』
残った食事を口に放り込み、丁寧に石を並べては土の部分に埋め込んでいく。この基礎の部分は三和土と呼ばれる建築の様式の転用らしい。生乾きのそれに石を敷き詰めて、土自体が染み出さないようにするということのようだ。
『終わったら、あとは適度に水気を飛ばしなさい。乾燥まではしなくていいので』
「火でやる? それとも電気で?」
『レンジの要領でいいだろ。今度は失敗すんなよー』
フィーは地面に手を当て、慎重に聲を使う。むらむらと湯気が石の間から立ち上り、ある程度のところで止めた。
どうやら体裁を整えた浴場を見て、頷く。
『しっかし、その辺りは火山帯でもねーのに、よく温泉なんてあったな?』
『フィーの聲を分析してみたが、この辺りも元は泥炭地だったらしい。土地の隆起や陥没の影響で山ができ、その時に圧をかけられた地下水脈が、熱を持ったようだ』
フィーはもう一度、地下に聲を放つ。温泉の位置はすでに計測済みで、あとはどこから湧き出るようにするかだ。
一番掘り出しやすく、土の柔らかいところへ立つと、上から指示が降った。
『一度出してしまえば湧出は止まらないでしょう。残り湯は近くに縦穴を掘って、そこにたまるようにしなさい』
『気にすることでもねーけど、垂れ流しじゃ見栄えが悪いからな』
「めんどくさいから指示頼むわ。現場写真送る」
軽くあたりを写し、それから湧き出し口の辺りを岩で囲む。
お湯はどうやって流そうか、そう考えた時だった。
「おい、フィー」
「え?」
グートに乗ったシェートが笑いながら近くに立っていた。作業に集中したせいか、周囲の警戒を怠っていたらしい。驚きながら、それでも出来上がっている風呂場を示した。
「一日掛かりだったけど、何とかできそうだぜ。今夜にでも入れるよ」
「これ……風呂か?」
「すげーだろ」
半笑いになったコボルトは、持ってきた包みを差し出した。
「昼飯。一緒、食おう。それで、休め」
「あー……うん」
根っこの団子を焼いたものと燻製の肉、それからベリーを煮たもの。隣り合って座りながら、のんびりと食べる。
「これ、大仕事。手伝い、俺呼べ」
「そっちを休ませるために造ってんだぞ。土木作業とかやらせるかよ」
「フィー、無茶するな、言った。お前、無茶するな、同じだ」
やはり、仕事が生きがいの相手に、何もせずに休めというのは無理だったらしい。
苦笑しつつ、今の仕事の話を伝えることにした。
少し考えてシェートは、温泉の出口に樋をつける、と言った。
「水場、遠いとき、木の樋、使う」
「なんか見たことあるわ、源泉かけ流しとかって奴」
「うん? うん、まあ、そうだ」
そのまま、二人で近くの林に行き、木を伐り倒して持ってくると、適当に組み合わせて温泉までの道を作った。
あとは、源泉までの穴を掘るだけだ。
「んじゃ、ちょっと離れててくれよ」
ソールの指摘によると、地下の温泉は圧力が掛かっているために、軽く刺激してやれば筋道にしたがって湧き上がってくるらしい。
うっかり暴発しないよう、慎重に聲を使って、掘り進めていく。
そして――
「お、おおっ!?」
――どっと、湯気の立つ液体があふれ出す。
それは澄んだ水の色ではなく、濃い泥のような、それでいてさらっとしたお湯だった。
「え、マジかよ!? これ黒いぞ、色が!」
『モール泉と言います。泥炭地特有の温泉、別に害はありませんよ』
シェートとグートは鼻をうごめかせ、珍しそうに温泉を眺める。どんどんあふれてくるお湯は、あっという間に湯舟を満たし、そのまま下に掘っておいたため池にたまった。
「うわぁ、環境破壊感ハンパないなぁ」
『気にする必要はない。ドラゴンのやったこと、誰が咎められますか?』
『ドラゴン温泉、フィアクゥルの湯だな』
楽しげな命名に思わず笑みがこぼれる。張ったお湯の方は土にしみこんでいる様子もないので、どうやらうまくいったようだ。
「よし、これでいつでも風呂に入れるぞ」
「……ドラゴン、ほんと、すごいな」
「今日はここで一晩過ごそうぜ。飯もここで食べよう」
「分かった。食い物、持ってくる」
それからは、手分けしてそれぞれ準備を始めた。フィーは余った石でかまどと掛け小屋を作り、シェートたちは野営地の食料を取りに戻る。
やがて、日の暮れるころには、温泉の側にもう一つの野営地ができあがっていた。
「マジで温泉宿みたくなったな。いい感じだ」
「フィー、飯食おう。そのあと、風呂だ」
どうやら途中で山鳥を取ってきたらしく、丸焼きが二羽並ぶ。それから鍋には団子の鍋と、久しぶりの弱い果実酒が添えられていた。
「あの実、ちょっと酸っぱい。はちみつ、なかった」
「この辺り、蜂見なかったもんな。ほかに甘くするの、なんかあったっけ」
『樹液とかどうだ。この辺りは寒そうだから、探せばメープルくらいあるかもなー』
「なんで寒いとメープルなんだよ」
『天然の不凍液です。水分が凍結して幹が破砕されないよう、樹液の糖度を高めて対応するのです』
ゆっくりと食事をしながら、湯気の立つ風呂を眺める。行儀が悪いと思いつつも、鳥の腿肉とカップを片手に湯船に足を踏み入れた。
暖かい、というよりは少し熱い。源泉は五十度ぐらいで、樋を流したおかげで十度前後は下がっているはずだ。
「あぁ……黒いお湯ってのも、いいもんだなぁ。なんか効能とかあるのかなー」
『炭化した木とか草が溶けてるだけだぞ。せいぜいお湯が冷めにくい、ぐらいか?』
「……うん。少し、熱い」
片手で具合を確かめ、そのままシェートもお湯に入る。以前、川岸に作った風呂と違って、今回は腰かけても首までしか出ないぐらい、深く造ってある。
手足を伸ばし、顔をお湯で洗うと、シェートは息を吐いた。
「ああ、しみるな」
「……そうだな」
それほど意識していなかったが、こうしてお湯に浸かると、思うよりも体が疲れていたことに気づく。おそらく、聲で酷使した全身の筋肉がこわばっていたのだろう。
こりをほぐすように首を傾け、肩を回していると、シェートは気づかわしそうに、こちらを見ていた。
「風呂、気に入ってくれたか?」
「……うん。でもフィー、一人、これやった」
「モラニアでは、なんでもシェートがやってくれたじゃんか」
食事の用意から日用品の制作、偵察や戦闘に使う物資など、旅のほとんどはシェートがまかなってきた。
勇者を狩るという目的のために、こいつが背負ってきた苦労は計り知れない。
「今までのお返し、ってことで納得できないか?」
「でも……落ち付かない」
苦労性で面倒見のいいコボルトは、困った顔でうつむいた。自分より年下の弟に仕事をやらせて、自分だけが楽をするのは嫌だ、という気持ちなんだろう。
「分かったよ」
翼を軽く広げると、フィーは後ろ足で岩を蹴って、お湯の上を滑る。お湯は空気よりも重かったが、その感覚は飛ぶ時のそれに似ていた。
そのまま中央でくるりと回り、シェートと向き合った。
「それでも、今日と明日ぐらいは、ゆっくりしてくれないか」
「……俺、疲れてる、見えるか」
「それもあるけど。それだけじゃない」
尻尾に聲を通してお湯を動かし、水流を作って進む。ゆっくりと近づき、シェートの驚く顔を見ながら、笑った。
「ちょっとでも、楽しいことがあったらいいなって」
「楽しい?」
「遊ぶのは難しいけど、こうやって風呂入ったりとか」
もちろん、楽しんでいられるような状況じゃないのは分かってる。それでも、全てが戦いのために費やされるのは、なにか嫌だ。
シェートには――
「シェートには、笑ってて欲しいんだ」
「フィー?」
「ずっと、大変な思いしてきて。それは、まだ続くんだろうけど」
そんな中でも、楽しいことが一つでもあったなら。
そして俺が、それを創り出せたなら。
「無理に、笑わなくてもいいけど、そんでもさ」
「……うん」
見上げると、空には星があった。
白い湯気から透かして見える、色とりどりの輝き。そのまま、シェートの隣に落ち着くと、掌でお湯をもてあそんだ。
「コモス、言った。俺、もう、仲間、作れない」
「どういう意味だ?」
お湯をすくい、顔を洗うと、コボルトは夜空を見た。
「俺、たくさん殺した。それ、新しい敵、呼ぶ」
「……戦いの連鎖、って奴か」
「遊戯、終わる。でも、残った魔物、人間、ずっと追われる」
その言葉は諦めたような、疲れ果てたように聞こえた。
確かにシェートは、ただの魔物には収まらない存在になった。殺して名声を上げたがるやつも少なくないだろう。
「コボルトの群れ、入れない。みんな、俺、怖がるから」
そんなことは、と言おうとして、一匹のコボルトの顔が浮かぶ。シェートを恐れ、神の力に怯え、死んでいった者の顔を。
何よりシェート自身が、コボルトたちを危険にさらしたくないと考えていた。
群れにも入らず、孤独に戦い続ける。
その未来を、コモスは呪いとして残していったのだ。
「でも、それでいい。俺、もう、一人だから」
「俺がそばにいるよ」
フィーは隣に座るシェートを見た。
濡れた毛皮の顔を、目に焼き付けるように、じっと。
お湯で温まった体温を感じ、心臓の鼓動を聴き、癖のある体臭を嗅ぎ、それから筋肉の付いた肩を、そっと掴んだ。
コボルトの中で脈打つ、命の全てを、仔竜は貪るように感じ取った。
「……フィー?」
「遊戯が終わっても、一緒にいる」
言葉を、はっきりと誓いに変えて、フィーは告げた。
「お前を守るよ。最後まで」
「死ぬまで……?」
「忘れないって約束したろ。だったら、最後まで一緒の方が、もっといい」
困惑した顔でシェートはうつむく。
たぶん、こんな誓いに意味はないだろう。こいつが欲しいのは力じゃなく、昔のように群れで穏やかに過ごすことだ。
それでも、自分に差し出せるのは、このぐらいしかないから。
「お前、家、帰らないか?」
「……え?」
「フィー、子供、父っちゃ、母っちゃ、いないか?」
なんだ、そんなことか。
その問いかけにフィアクゥルは安堵した。
「大丈夫、親公認だよ」
「そう、なのか?」
「俺の親は竜神のおっさんだ。だから、何の問題もない」
ここにいるのは、竜神エルム・オゥドの仔竜、フィアクゥルだ。
おっさんも言ってたじゃないか、『汝の欲するところを成せ』って。なら、俺のやりたいことは決まっている。
「もちろん、お前が嫌なら、やらないけど」
シェートは、ゆっくりとお湯で顔を洗い、ため息をついた。
それから、空を仰いで告げた。
「遊戯、全部終わる。その時、答え、言う」
「……分かった」
それで十分だ。
少なくとも、シェートの孤独に少しでも手当てができたなら、それでいい。
湯にとっぷりとつかると、青い仔竜は、息を吐いた。
夜が更けて、寝床に入っても、シェートは眠らなかった。
仮の小屋に扉や覆いは無く、未だに湯気を立ち昇らせる温泉の光景がみえる。
仔竜は翼の中に頭を突っ込み、星狼は枕元近くで寝そべっていた。
『予言、してやる』
おびただしい血にまみれて、息も絶え絶えになりながら、それでもコモスはこちらを憐れみ、さげすんでいた。
『貴様は、破滅する』
強かった。
その一撃は鋭く、ただの拳が大岩の衝撃となって、何度もこちらの体を撃ち貫いた。
戦いは拮抗し、拮抗したがゆえに、コモスの意志が理解できた。
今日の今日まで、ベルガンダの仇を討ちたいと願っていたことを。
それでも、負ける気はなかった。
『戦いの果て、全てものに、叛かれる』
最後の一撃を喰らった時、コモスは驚愕し、笑っていた。
主であった魔将の教えが、自分の命を打ち砕いたという事実に。繰り返し習い覚え、敵の動きを見極め、確実に反撃を取ること。
小兵のシェートに、ベルガンダが授けた技だ。
『信じたもの、願ったもの、仲間、すべてを失いながら』
呪いを口にしながら、コモスは立ち上がろうとしていた。命が尽きるまで、復讐を果たすために動き続けようと。
『最も弱き叛逆者、勇者殺しの魔物、己の毒で最後に破滅するのは――お前だ』
コモスは死んだ。
結局、その拳が自分に致命を与えることはなかった。その代わり、全身を痺れさせるような、暗い呪詛を残していった。
死ではなく、シェートの破滅という予言を。
「…………」
これまで死ぬような目には、何度もあってきた。むしろ、勇者と魔王の軍勢を敵に回したのだから、己の死を思わないことはなかった。
それを知っているコモスが、魔王の側近が、こちら死ではなく、破滅を予言した。
こけおどしでも、死に際の捨て台詞ではない。
それは間違いなく、あの魔王の意図を含んでの言葉だ。
「ごめん、フィー」
聞こえないように小さく、仔竜へ謝罪する。
嘘をついた。あの不吉な予言に、フィーを巻き込みたくないから。
だが、そんな嘘は別の痛みを、自分に残した。
その小さな命を、いくらドラゴンとは言え、こちらの命に時間を割くという約束を、させてしまった。
もちろん、そんな申し出は受け入れられない。
破滅するというなら、一人でするべきだ。その時が来たら、フィーとは別れよう。
「――――」
そうするべき、なのだ。
むしろ今すぐに、コモスの言葉を告げて、フィーを帰すべきだ。
そうするべき、なのに。
『それなら、俺がずっとそばにいるよ』
嬉しいと思ってしまった。
群れのみんなが死んで、ずっと一人で、たくさんの敵に囲まれた。そんな自分の元へやってきた、青い霹靂。
手のかかる弟で、心強い仲間で、苦労を分かち合える友達。
「……いやだ」
別れたくない、離れたくない、いつかはその時が来るとしても、今はまだ。
息を殺し、瞼を固く閉じながら、シェートは堪える。それでも想いは荒れた川の水のように、溢れて止まることはなかった。