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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~格闘編~
183/256

14、「俺を、愛することができるか?」

 四日目。

 その日の女神は、これまでにない機嫌の良さだった。髪を飾る赤い花に目を留め、ルシャーバは口元に深い笑みを刻む。


「今日の花籠は、そなたの御櫛ということか?」

「まさか。とはいえ、これを身に着けたいと思ったのは、確かです」


 思いつめる様子はあるが、内側から崩れていく切迫はない。

 こちらに向ける目も、敵意ではなく挑むような、それでいて親しみやすい、柔らかな輝きがある。

 その顔を見つめた途端、"闘神"は深々と、吐息をもらした。


「その顔だ。星降りの夜、俺がそなたに見とれた時と同じ」

「……そうなの、でしょうか。私にはなんとも」

「透き通り、何物も見逃さずにはおれぬ、若い猛禽のような瞳だ」

「それほど私は、険を含んでおりましたか?」

「であれば、これほどに惹かれたりはすまい」


 世に対し、好奇と親和でもって向き合う姿。なにもかもを見て、触れて、そのことに喜びを感じたいと願う心がある。

 そのまま、じっと、目の前の女神を見つめた。


「やはり、無理だ」

「無理とは?」

「そなたを好いた理由、そんなものは、説明できぬ」


 それは、狩りの目利きに似ていた。

 草むらの中、あるいは茂みの向こう、何とはなしに投げた視線の先、探しもしていなかった獲物を見出すように。

 狩られる者も狩る者も、狙い狙われるためにいるわけではない。ただ、己の運命のすり合わせが、たまたま合致しただけだ。


「そこにそなたがいた。それが、理由だ」

「まるで、子供のような物言いですね」

「そうだな。俺は粗野で、物を知らぬ、子供のような蛮夷の神だ」


 だが、口にしてしまえば、これほど心地のいいこともなかった。無能であること、無知であることを、あるがままさらけ出す。

 目の前の想い人は、ただ静かにそれを聞く。

 ああ、そうか。

 俺が欲しかったのは、こういうものか。


「私は、一つ気づきを得ました」

「それは驚くべきことだ。で、なんと?」

「恋情というものは、酒と等しいと」


 揶揄というには穏やかな笑いを浮かべ、女神は先に立って歩く。神の庭に咲き乱れる花々、その間から赤い一輪を、探し求めながら。

 その口から、歌が漏れた。

 簡素な韻律と、繰り返される呼び声。

 それは恋の歌だった。

 日の出と共に働きに出る恋人に向けて、日の入りと共に自分の元へ帰って来いと、道行の平穏と幸いを願う歌だった。


「そなたの星の歌か」

「もはや、歌い継ぐ者もありません。私の中だけに、残された歌です」

「そうか」


 すでに、サリア―シェの星は息吹を取り戻していると聞く。であれば、新たに生まれた者たちへ歌を伝え、思い出の接ぎ穂とすることもできるだろう。

 だが、それでも失われた事実は覆らない。あり得なかった未来を、女神は歌と共に嘆いていた。


「私は長らくこれを歌ってきました。皆と共に、あるいは独り口ずさむ。にも関わらず、歌詞に出てくる娘のように、誰という一人を、思い定めなかった」

「今は、どうなのだ」

「……今は、この歌詞さえ及ばぬほどの、寂寥だけです」


 赤い花は、サリア―シェの胸元で束となっていた。

 それはあたかも、緋色に脈打ち、血を流す心の臓を思わせた。そんなこちらの物思いも知らぬまま、いつもの東屋へ歩いていこうとする。

 その背中に、思いもよらない言葉が出た。


「そなたの星に、行かぬか」

「……今からですか?」

「その様子では、足しげく通っているわけでもあるまい」

「申し訳ございません。遊戯の終わりまで、星には立ち寄れぬ約定を結んでおります」


 それは、"知見者"の策略によって結ばされた約定だと聞いた。遊戯の終わりまで、自らの星に立ち入らず、その代わりにコボルトを使うことを譴責するな、という。

 よし。"審美の断剣"を殴り倒した後、"知見者"にも一撃、見舞ってやるか。

 胸の内に刻み込むと、"闘神"は虚空に呼ばわった。


「"刻の女神"よ。あるか?」

「はい、御前に」


 長大な杖を掲げ、黒い女神が姿を現す。軽く心算をした後、為すべきことを述べた。


「これより一時、サリア―シェの主星に足を踏み入れる。無論、女神も伴ってだ」

「では、対価をお支払いください」

「好きなように持っていけ」


 時計が回り、対価が記録されると、イェスタの姿は虚空に溶けた。

 もの言いたげなサリア―シェの肩を抱き寄せ、門へと歩んでいく。女神は眉間にしわを寄せたが、やがておとなしく、こちらの導きに任せた。

 境界の門を超えると、荒涼とした大地が、目の前に開けた。

 ここに来るのは数百年ぶりだ。

 死と凍結の気配はすでになく、日の光で温められた大気に、生命の香りがある。


「すでに、緑が蘇っているようだな」

「まだ幼子同然です。地の霊脈もすっかり細ってしまいましたので」


 往時をしのばせるものは、どこにもない。道も町も、田畑もなく、木々さえまばらで、川や湖も姿を消している。

 地に生えているのは苔や草ばかりで、生き物といえば小さな虫の類が、ちらりと見える程度だった。

 それでもサリア―シェは、自らのたどるべき土地を心得て、歩いていく。


「あれが、墓所です」


 知っている。

 すでに神殿の石積みは風に崩れ、刻まれていた石畳の道も土に埋もれていた。

 それでも、盛られた土と墓標代わりの岩は、何とか原型をとどめている。


「私が、星に戻ったのは、遊戯が終わってより百年以上経ってからでした」

「……悲嘆のあまり、足を踏み入れることもできなんだか」

「それもありますが……兄に、止められておりました」


 サリア―シェの嘆きは、狂気の域に入っていた。叫びは神の庭に満ち、聞く者の心かき乱していく。この女神が厭われたのは、そういういきさつもあった。

 そんな醜態をさらすまいと、ゼーファレスは彼女を閉じ込めたのだ。


「死に絶えた星の上で嘆きながら、私の中に一つの疑問が生まれました」

「それは?」

「この墓所を丹精した方のことです」


 ルシャーバは笑い、並んだ墓石を見回す。


「そなたの嫌疑も晴れぬうちから、この地の者を弔った神があった、ということか」

「"闘神"殿は、何かご存じありませぬか?」

「戦勝の宴に出ていた者たちが、伴神を手伝いに出したとは聞いている。それを指揮したのが、かの"英傑神"だそうだ」


 返答を聞くと、女神はこちらを見つめ、何も言わずに墓に向かった。

 それから手にした花を、一輪ずつ備えていく。

 墓の数はそれほど多くはない。百は越えるが、千には届かない。比較的無事な躯を横たえ、どうしようもない『残骸』は、深く掘った地に埋めるほかなかった。


「こうして、弔意を示すこと自体、初めてのことかもしれません」


 手の中の花がなくなると、サリア―シェはひときわ大きな岩の前に立ち、髪に差した一輪を手向けた。


「嘆きで目がくらんだ百年、怒りと憤りで神々の間を渡り歩いた百年、疲れ果て神座に閉じこもって幾星霜……それらを経てやっと、でした」

「きっとみな、待ちわびていただろうな。主の帰還を」

「そうでしょうか」

「そうに決まっている」


 でなければ、あんな風に神殿を埋め尽くすように、人が死ぬものか。

 裏切られ、見限られた神の末路は、そのようにはならない。神殿は破却され、神像は民の手で引き倒され、粉々となる。

 だが、この星の者たちは、最後まで神の帰還を待っていた。

 そんな民草に、残酷な幕引きをしたのは、俺たちだ。


「申し訳ありません、墓前に花を供えました故、今一度集め直して参ります」

「いや」


 ルシャーバは首を振ると、墓所の片隅に生えた、小さな黄色の花に歩み寄った。

 慎重に土ごと掘り返し、掌に収める。


「これを、貰っていってもよいか」

「…………」

「どうした、何かおかしなことを言ったか?」


 女神の顔は、ほころんでいた。こちらに歩み寄り、神威で生み出した草の籠の中へ、花を活けてしまう。

 葉も花弁も貧相だ。香りも立たず、飾りとして用いる者も、おそらくないだろう。

 そんな、どんな世界にもありそうな草花を、女神は愛おしんだ。


「花はお好きですか」

「別段、そういうわけでもない。傷を癒し痛みを止める薬草の類なら、いくらか知ってはいるがな」

「私は好きです。この花は、雪が解けて、温かな風が吹く頃、道端に咲きます」


 その言葉に、ルシャーバは真実を見た。

 この女神はすべてを愛おしんでいるのだ。その愛深きゆえに、一つの者を愛するということができない。

 誰に対しても、愛を向けてしまう者。 

 それは、つまり。


「サリア―シェ」

「……はい」

「そなたは、俺を、愛することができるか?」


 目を見開き、女神はこちらの言葉を推し量ろうとしていた。それから、わずかな時を置いて、答えた。


「恋情に関しては、なんとも。ですが……」

「…………」

「ですが、好もしい方ではあると、思っております」


 それで十分だった。

 掌中の花に目を落とし、"闘神"は安堵した。


「そろそろ、戻ろうか」

「はい」


 もしかすれば、ただのおためごかし、であったかもしれない。

 話の流れで粗略にもできず、当たりの良い言葉で濁しただけかもしれない。

 それでも、女神の愛の範疇に入ったのなら、それでいい。

 帰途につきながら、"闘神"はそっと、花籠を抱き留めた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 不穏だ…… 穏やかな時間であればあるだけ後々にキッツイのが来そうでやきもきする……w あと久しぶりに見たなイェスタ。この女神もなかなか底知れない所があるから気にはなってる
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