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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~格闘編~
180/256

11、『恋のようなものだな』

 珍しく、その日の空は晴れ渡っていた。

 木々の間からこぼれる光は、秋の気まぐれな温みがあって、シェートの体を優しくほぐしてくれている。霧と曇りばかりの土地の、中休みと言ったところだろう。

 頭一つとびぬけた大木の下、その前にできた空き地が野営地になった。


「じゃあ、そろそろ行くわ」

「気を付けてな」


 弁当と水筒を鞄に詰めたフィーは、片手を振って麓に下りていく。これから例の勇者を偵察しに行くと聞いていた。危険は少ないが、油断もできない仕事だ。

 こちらと言えば、昨日みんなで取ってきた食材の整理に掛るつもりだった。木の枝と草のむしろで造った天幕から、目の前の空き地に品物を持ち出す。

 今日はまず、燻製肉から作ることにしていた。

 モラニアでは、燃料の問題で手を出しにくかったが、こちらは泥炭がふんだんにある。くせのある匂いになるが、塩漬けよりも持ちがいいだろう。


「……ん?」


 違和感は、燻製窯をくみ上げたあたりで、強くなっていた。

 周囲から鳥の声が消えている。風はかすかで、どこから吹いてくるのかも、わからないほどだ。

 日が中天に差し掛かろうとしている。

 見られている。刺すような感覚がある。

 それでも相手は、何かをしてくるつもりはない、らしい。こちらの隙をうかがい、何かを待っている。

 隠れるべきか、それとも走り出すか。 

 どちらを選ぶにせよ、ここは広場の中心近く。森から来るなら十分対処可能だ。


「あ……」


 鳥が、飛び立った。喧騒がかすかに感じられる。山に向かって連なる斜面の辺りで、何かが鋭く動くのが見えた。

 明らかな戦いの気配に、シェートは素早く天幕へ駆け込む。矢筒を腰に、木の弓を片手に、防具に手を伸ばしかけ、あえて身に着けずに外へ出る。

 先ほどの喧騒が消え、再び静寂が周囲に広がっていた。

 そして、違和感という表現など生ぬるい、殺気が充溢している。


「――そうか。では、こちらも始めるとしよう。武運を」


 声には聞き覚えがあった。片耳に充てていた四角い板を投げ捨てると、そいつは茂みから姿を現した。


「"平和の女神"サリア―シェが勇者、コボルトのシェートよ」


 軽い革鎧に金属の手甲と脚甲、そして闘志と殺意を身に纏い、コモスは構えを取る。

 そして、宣言した。


「我が"魔将"の仇、討たせてもらう」



 

 木々の間を縫うように、フィアクゥルは低空飛行で目的地を目指していた。

 偵察で守らなければならない基礎は三つ。


 一つ、自分の本拠地を悟られないこと。

 二つ、行動の痕跡を残さないこと。

 三つ、観察対象から気づかれないこと。


 今は姿を消し、滑空に近い状態で足跡も残さず、スマホの望遠カメラで撮影できる場所を目指して移動中だ。

 スカウトとしては、これ以上望むべくもない資質だろう。


『世間の者は、ドラゴンを脳筋のパワータイプと勘違いするが、やる気になればネズミの慎重さと蛇の狡猾さで、奇襲をかけることが可能です』

『汎世界の平均的な成竜は体長十メートル前後、体重は三トン超。時速六十キロのダッシュが可能だ。そんなもんが音と姿を隠して襲ってくんだぜ? ちょっと使える程度の人間なんざ、敵じゃねーんだよ』


 ただ、そこまでの面倒を掛けて人間ザコと相対する気もないから、油断であっさり負けるのだと、二竜は笑っていた。

 だからこそ、生き延びたドラゴンは尋常ではなく厄介だと、付け加えて。

 生粋の捕食者にして、万物の生殺与奪を握る暴君。

 今の自分は、そんな最終形態には遠く及ばない。だが、力の一部を使いこなすだけで、そこらの人間を出し抜くことは十分可能だった。


「周囲に敵影ナシ、関知範囲の動植物、把握完了っと。えーっと、司令部、"ブルーシーカー"、位置についたぜ」

『了解。偵察を開始しなさい』


 フィーは拾い集めておいた枝葉で体を包み、スマホ越しにターゲットを見つめた。

 今いるのは勇者の住む杣小屋の西側、傾斜のきつい山腹の崖。姿消しを使わずに、原始的なカモフラージュを選択したのは、敵勇者の隠し玉を警戒したためだ。

 勇者は日課の鍛錬を終えて、薪割を始めていた。


「でも、こんな昼から偵察する意味あるか? 朝一で張り付いたほうがいいんじゃ」

『ツーマンセルや、スリーマンセルが組めるなら、そうしている。露見を避けるなら、このやり方が現状に最適です』

『時々いるんだよ。観察した瞬間に、こっちを見破る奴が。そうでなくても、定点監視ってのは、結構バレるもんだぜー。だから、時間や場所をずらすんだ』


 竜洞側の警戒は徹底していた。

 偵察にあたっては、魔力検知や特殊な警戒能力を持つ可能性を加味し、超望遠からの観察に留める。

 対象の偵察は早朝、日中、夕刻、深夜のいずれかを選択。一日二回を三時間づつで終了させていた。


「それでも、納得いかねえよ。見てない間に、見落としがあるかもしれないじゃん」

『オマエ、日本の常識感覚で測ってんだろ。ファンタジー世界の可処分時間って、意外と少ねーんだぞ?』

『早朝四時から六時の間に、勇者の要点が詰まっている。気功に塘路とうろ、敵を想定しての訓練、あれが全てでしょう。欲しい情報は取得済みです』

「じゃあ、今のこれは?」

『可能性の検証』


 ソールは冷たく、目の前の勇者を品定めするように、告げる。


『夕刻や深夜に、門外不出の技を扱うのは武術ではよくあること。日中の活動は、勇者の平均的な体調を推し量るデータとして利用します』

『丸一日の観察は一回で十分なのさ。あとは、そのバラツキを調べるんだ。雑に思えっかもしんねーけど、味方が少ない時は、こういう便法もアリなんだよ』

『偵察のスケジューリングも、その辺りを加味している。余計な心配を交えず、監視に専念しなさい』


 頷き、任務に戻る。

 いくらドラゴンの感覚があるからといって、ただの仔竜が偵察のやり方など知っているわけもない。シェート教わったのは、あくまで狩りの延長線だ。

 ソールたちのサポートに従い、遥か彼方の勇者を睨む。


「こうやって見ると、格闘技って面白いな。てか、真剣に観察したのも初めてだけど」

『あの勇者、日本が武術ブームだった頃に、多感なお年頃を過ごしたってタイプか?」

『の、ようだな。使っている流儀が小説や漫画、あるいは格闘ゲームで扱われたものに偏っている。現地で習い覚えたなら、ああはならないだろう』

「頭の中身は、他の勇者と変わらないってこと?」


 フィーのツッコミに、上の二竜はくすくすと笑った。

 レンズの向こう側では、仕事を終えて一服する代わりに、腕を振り回したり、しゃがみつつ地面をこするような蹴りの動きをしている。


『しかもアイツは九十年代中盤以降の世代、って感じかー。3D格闘、リアルファイトってヤツだな』

『その頃、日本の格闘興行も本格、真剣を売りにしたものに変遷しつつあった。どちらがけん引したというより、世情が流行になびいた、という感じだろう』

「格ゲーって、興味が湧かないんだよな。コマンドとかコンボもめんどくさいし」

『今は一部のマニアか、おっさんの遊びだしな―。お前らぐらいの世代なら、ボタン連打が中心の奴だろ?』


 どうだっけ、自分がやるゲームはMMOが中心だから、格ゲーで遊んだ覚えはない。

 いや、そうだったか?

 昔はもう少し、色々とやっていた、気がする。

 だって――には決まって――と――を。


『おいフィー。ボーっとすんな、目線がズレてんぞ』 


 慌ててスマホを構えなおし、向こうの景色に注意を戻す。緊張をほぐすための雑談だからといって、気を抜いていいわけはない。

 眠気覚ましに水筒から水を飲み、炒ったドングリをかじる。

 その時、視界の端になにか、妙なものがちらついた。


「ソール、今から三秒前、俺の右目の端方向だ。なんか撮れてないか?」

『いい指摘です。一応、映像解析しますが、人型の生物。おそらく亜人デミヒューマンが、杣小屋方面に向かったようですね』

『マジかよ。この辺りにいるデミっつったら、ゴブリンかオークぐらいじゃね? それにしちゃ影がデケえ』


 改めて勇者がいる小屋辺りを観察してみる。そういえば、先ほどから鳥たちの動きが不自然だ。何かの気配に当てられて、落ち着かなくなっていた。

 その異変に気付いたのか、中年の勇者も練習の動きを止めて、辺りを警戒している。


『解析完了。これは――』

「こっちでも見えた。あれは――」


 日に輝く青い鱗をざらめかせ、警戒も構えも取らずに勇者の前に進み出る姿。

 背中には身長を超えるほどに長い剣。尾を軽く地面から上げて、敵を睨み据えている。

 その左目はつぶれていたが、右目には殺気と闘志が溢れていた。


「『蜥蜴人リザードマンだ』」



 気配は感じていた。麓からこちらへ、まっすぐに登ってくるのを。

 こちらの世界に来て、隆健自身が強く感じている。周囲を把握する感覚が、尋常じゃなく上がっていることに。

 站椿功をやっているときも、意識が常に世界へ拡散し続けたし、塘路を行う時の一挙手一投足にさえ、何かが宿る気がしていた。

 そのせいか、目の前の異種族を見ても、驚くほど自然に受け入れられた。


「その様子なら、問答無用に殺す……ってわけでもなさそうだし、名乗り合っても?」

「ああ。俺もその心算で来た。では礼に倣い、こちらから」


 胸の前で両手を握り合わせ、長い口吻が落ち着いた渋い声を吐き出した。


「北モラニアは碧水海へきすいかいが畔、クナ郷の剣士、"真金まがね断ち"のクナ・ナクラ。"闘神"の勇者よ、尋常の勝負を願う」


 思いもよらないほどの丁寧な名乗り。

 少し考えて、隆健は返礼した。

 

「――日ノ本国、武州春日部出身、"無手勝流むてかつりゅう"、辻隆健。お相手仕る」


 そして、わずかに口元を緩めてしまった。

 

「なにか?」

「いや、別にあんたを笑ったわけじゃないんだ。その、少し、嬉しいというか、恥ずかしいというか」


 目の前の剣士が、わずかに闘志を収める。気勢はそのままだが、こちらの言葉に興味を示したように思えた。


「憧れてたんだよ、こういうやり取りに。そもそも地球で武術なんて、暇人か変わり者の道楽って位置づけだったしな」

「……成程。貴殿も、世に要らずと言われた身か」


 思いもよらない指摘に、心に痺れが走る。動揺を押しとどめようとしたこちらに、蜥蜴人は明らかな笑いを浮かべた。


「まあ、侮るよな。故郷からはみ出した分際で、異世界の勇者役でドヤ顔してんだから」

「そうではない。俺も同じく棄てられたのだ。以後、魔王の傍らに武芸者は不要と」

「……そうか」


 潰れた片目のせいか、それとも別の理由があるのか。

 それでも、クナという男から感じるのは、口惜しさと寂寥だった。居場所を無くした者の相を持つ漢。


「なんかあったな、こういうの。主も使命も失った浪人同士、最後に残った意地を掛けて果たしあうって話」

「魔王から、貴殿の手の内を晒させて死ね、と下放された身だが。とどのつまりは、そういうことだ」


 互いに笑い、構えを取った。

 表情が消えて、意志が充溢する。


(とは言え、どうしたもんかな、こりゃ)


 最初に弱音を吐いたのは、隆健だった。

 鞘のない大剣は、すでに抜き放たれている。左足を前に、右足を後ろに、両腕で構えた剣の切っ先は、右の腰の背中側に向けて、隠すように。

 こちらに見えるのは柄頭だけ、呼吸はゆったりとして、驚くほど自然だった。


(刀身の長さからして太刀……いやさ野太刀クラスか? 太郎太刀まではいかねえだろうけど、マジでヤベエな)


 相手の身長は、こちらよりも十センチは高い。二メートル弱、体格は意外に痩せ型だ。

 鎧はない、腰布とズボンのようなものだけを身に付けている。

 刀身は、長く鋭く、金属ではない質感だった。

 象牙、あるいは何かの牙か。

 だとすれば、尋常じゃないデカさの生き物から、もぎ取ったに違いない。


(いやいや、なに冷静に分析してんだよ俺。ここは逃げの一手だろ)


 うっかり雰囲気にのまれて立ち合いを了承したが、手の内が分からない武器相手なんて正気の沙汰じゃない。

 確かに、自分も徒手対武器の訓練も、実戦経験もあった。

 とはいえ、それは現代地球における常識の範囲内だ。

 地上に来る前、"闘神"に稽古(という名の地獄)をつけてもらったが、やはり殺し合いとは勝手が違う。


「なるほど。これは失礼した」


 蜥蜴人は相好を崩し、笑みに近い顔になると、たたずまいを変えた。

 背中に隠していた剣を、右肩に引き付け、切っ先を空の方向に向けて構える。

 地球あっちでは、八双と呼ぶ形に近い。

 その構えが、異様な剣の長さを一層、際立たせた。


「こちらは挑む側、手の内を隠して仕掛けるなど、無作法の極みだ。しかも、貴殿の技前は見せていただいている」

「……このところ感じてた視線は、アンタだったか」

「そうではない。魔王の目は、はるか以前より貴殿を捉えていた」


 ハッタリ半分の発言だったが、状況は思った以上に悪いらしい。今の自分は『見られている』ことは察知できても、位置や人数までは分からない。

 "闘神"から修行が足りないと笑われたが、今後は笑い事では済まないだろう。

 こちらの動揺を礼儀正しく無視して、蜥蜴人は言葉をつづけた。


「クナの剣は怒涛と化すを奥義とする。岩を砕き、砂を飲み込み、海浜のあまたを内懐に招き入れる、津波が如く」

「分かりやすいな。その調子なら、指南用の道歌でも伝わってそうだ」

「剣の道を示す詩句などは、確かにあるが……そちらでもか」

「やっぱり。こういう事をやる連中ってのは、通ずるモンがあるんだろうねえ」


 ああ、やっぱり駄目だ。

 逃げるなんて、男が廃る。

 コイツを目の前にして逃げたら、俺はもう、武術なんてやる意味がない。

 短く息を吞み、下す。

 体を右前に構え、右腕を恐れもなく、伸ばして据える。


「――死ぬなよ」


 闘志、願い、挑発。

 その全てを載せた刃が、降ってくる。

 軌跡は、右ひじの内側よりさらに深く、胸と腹を断つ袈裟の一撃。

 隆健の両足が、体を背後へ押し出す。

 弧を描いた切っ先が、服と胸を浅く裂き、相手の左腰の方へ消えていく。

 蜥蜴人の右肩は目前、拳を伸ばせば当たる距離。


(見えすい、てんだよ!)


 さらに大きく、飛び下がる。

 目の前を斬り上げの一撃が通り過ぎ、鼻の先がわずかに切れた。

 会心の見切り。だが、クナの体がさらに近づく。追いすがっても絶妙に、逃げる距離を含めて踏み込んでくる。

 がら空きの胴体、だが、それでも。


(やるかっつの!)


 半回転しながら、右前方向へ、避ける。

 最前まで自分のいた空間を、頭上からの白刃が、鋭く裂いた。

 三歩の逃げ足、こちらの移動距離と反射速度を絶妙に測った一撃。カウンターも間に合わず、四歩目の後退も許さないタイミングだった。

 蜥蜴人はわずかに下がり、剣先をこちらに向け、中空に構えて『置いた』。


「我が『高潮』を凌ぐか。良いぞ」

「ヒントを与えすぎだぜ。その言葉だけで、アンタの手の内、十は予想できる」

「ならば、十一の手で貴殿を凌ごう」


 ヤバかった、そしてありがたかった。

 相手の技は練り上げた至高だ。それ故に『綺麗』だ。

 素人が繰り出す攻撃は読みにくい。武術という理合いを無視して動くために、変則でブレ幅が大きいからだ。

 武術をやっている相手は、上達すればするほど軌道が単純かつ正確になる。それだけにかみ合えば、読みやすい。

 もちろん武術をやらない者が強い、という意味では絶対にない。 

 技の正確さは、素人に反応させない速度と動きを生む。不可避の一撃で、抜く手も見せずに殺せば事足りるからだ。

 ゆえに、闘争で最も重要なことは、相手の実力を見切れるか。

 少なくとも、クナ・ナクラという武人は俺以上の使い手で、読みが効く嚙み合わせだ。


「では、死合おうか」


 剣が、静かに動いた。



 満ちていく。

 心が落ち着き、凪いでいく感覚を、クナは十全に味わっていた。

 闘志はある、殺意もある。だが、そこにたぎるような激情はない。己の中にある技前をすべて、目の前の男に叩きつけたいという、欲だけがあった。


『今後の我が軍に、貴様が座すべき席はない』


 鈍くひらめく魔王の言葉さえ、今は遠い。

 ベルガンダの"狂奔"に晒された後の記憶は、長い空白だった。冷徹を以て善しとするクナの剣とは真逆の、穢れた暴力に振り回されて、己の左目を奪った。

 いつ誰に付けられたかもわからない、不名誉の傷。

 戦場から離れた水場で意識を取り戻し、手近な迷宮で戦場の顛末を知った。


『以後は郷に戻り、つつがなく余生を過ごせ』


 そして、魔王に対面を許され、得た言葉がそれだった。


(さて)


 呟いて、余計な物思いを塗りつぶす。


(貴殿の腕前、もう少し確かめさせてもらおう)


 海竜の角より削り出した一刀を、真正面に構える。切っ先は敵の眉間に合わせ、有るか無きかの力で、保持する。

釣魚ちょうぎょ』、クナの技において基本の構え。

 最初に見せた『漁火いさりび』が攻めの構えなら、こちらはあらゆる動きに応ずる自在の一手。

 穏やかに心を保ちつつ、釣り竿を挙げるように剣を使うのを極意とする。


一糸いっし、清澄たる水面に垂らせば、魚影、つまびらかなり)


 この構えを前にした者は、まず思い乱れる。

 目前に剣を突きつけられて、それを無視できる者はいない。いるとすれば命無き動死体アンデッドか、蛮勇に目がくらんだ愚者だ。

 剣を払い飛ばし、踏み込む。

 無手取りで抑え込み、拮抗に持ち込む。

 当たる寸前で交わしつつ、横から殴りつける。

 その全てを想定し、それでも目の前の男は、こちらを伺うばかりだ。


(怖気もなく、場数も踏んでいる。なにより目がいい。なるほど、これは厄介だ)


 こういう手合いは、手順を踏んで討つしかない。

 では、『すなどり』と行こう。

 クナは、ずい、と前進した。

 同時に左手を押し出すようにして、突きを放った。


「っ!?」


 勇者の右頬が引き裂かれ、それでも構えを取ったまま下がる。

 追いすがるように進み、右手で作った『輪』の中に、柄を押し通す。

 今度は左脇腹が、赤い血をまき散らして裂ける。

 男が瞠目し、こちらの切っ先に釘付けとなる。

 クナの刀の柄は長い。

 それこそ『槍』のようにしごき、突き技を繰り出せるほどに。

 今度は一息に三度突き、下がり交わした相手の腕に、鮮血の花が咲く。

 さらにもう一撃。

 同じ呼吸と姿勢を取り、


(水際に竿起て――)


 まるで釣竿を引き上げるように、剣を頭上に引き寄せ立てると、


(――沖に、投げ放つが如く)


 押し出すようにして、斬る。


「っぐああああっ!」


 異様な手ごたえが伝わり、素早く剣を引きつつ下がる。

 血が飛び散り、男の左腕は奇妙な形にへし曲がっていた。振り下ろしの一撃を払いにいき、間に合わなかったのだ。

 いや、鎖骨を砕かれる代わりに腕を犠牲にした、というべきか。

 

「んぐっ、ぬぐううううううっ」


 右手で無理矢理、割けた腕を圧搾する男。こちらから大きく間合いを外し、片袖を噛みちぎって取り、荒く腕を巻き固めていく。


「クソがっ、クソッ、ああ、クソッ」


 怒っている。怒っているが、俺への怒りではない。

 痛みと己の不甲斐なさに、憤っているのだ。

 粗雑な治療を終えると、脂汗も拭わずに、勇者はこちらを睨む。


「やっ……ぱ、痛え、わ。なんで……終わらせるぜ」

「――そうだな。終わろう」


 相手の体は激痛で震えている。吐く息は荒く、足はおぼつかない。

 それでも目には殺意がある。

 男はおもむろに、両腕を脇に垂らして、その場に立ち尽くした。

 荒い呼吸を押し詰め、深くよどみなく吐息し、吸気を繰りかえす。

 意思を繋ぎ、痛みを和らげる整息術。クナにも似たような修法があるが、それを使いつつ、こちらへの意識は途切れさせない。


(左手が壊れた以上、思うさまの技は出せまい)


 そう考えたクナは、己の愚かさを笑った。

 相手が俺の左目を『狙わなかった』以上、俺もあの左手には『騙されない』。

 片目片腕を失う程度で、弱点が生まれるほど、武術というものは浅くない。もし勇者が俺の左を伺えば、動きは単純化し、その隙を突いて殺しただろう。

 読まれれば死ぬ、それが武術の本質。


(ならば、もう一手)


 再び『漁火』の構えを取る。

 右肩に引き付け、差し上げた剣は、血濡れて赤く染まっている。

 相手の手傷は深い。この一合が最後となろう。

 わずかに姿勢を前にのめらせ、クナは、三本目の足・・・・・を使い、飛んだ。


(クナに三足の利あり。地を噛む二足、縛られぬ尾。その合力、竜の威勢に似たり)


 蜥蜴人にとって尾は三本目の足であり、二本足以上の安定を約束し、更なる加速の助けとなる。

 最前までは、足のみを使った速さ。

 この一刀は三つのを使う、迅速の一撃だ。

 尋常の相手なら、唐突な加速に調子を外され、為す術もなく両断される。

 だが、そうはなるまい。

 飛鳥ように襲い掛かるクナの目前に。

 勇者の体が、密着していた。

 

 

 息がかかるほどの近間。

 間に合った。ほんの僅か、こちらの反応が。

 厚い胸板の下、鳩尾の辺りに、振り上げた右の肘か突き刺さる。あばらと胸骨が、砕けて破裂する感触。

 それでも、相手の勢いは止まらない。剣が打ち込まれ、激痛と共に肩関節と筋肉と腱がちぎれていく。

 それでも、まだ左腕は動く。


「ぬああああああああっ!」


 肩に力を入れ、食い込んだ筋肉で剣を固める。

 そのまま左腕を振り上げ、相手の右肘を突き上げた。

 さすがに折るまではいかない。それでもほとばしった自分の血と一緒に、相手の剣が手を離れて、背後へと跳ね飛ぶ。

 視界が相手の胸板でいっぱいになり、隆健は振りかぶった右拳を打ち下ろした。

 拳の下で、あばらが砕ける。

 肉の中から、蜥蜴人の肺が痛みに痙攣し、心臓が乱れて脈打つのが伝わる。

 もう一撃、それさえ入れれば――。


「――水底黒々すいていくろぐろ、岸離れの波」


 その時、視界から青い体が消えた。

 逃げた、かわした、退いた、どれも違う。

 深くしゃがみ、顔を上げてこちらを射る視線。その口元が、歓喜の笑いに割けた。


「『足摺』」


 回転し、背を向ける蜥蜴人。腰の太い尾が、こちらの足を刈るため、唸りを上げた。

 それは読んでいた。

 相手はずっと隠し続け、使う機会をうかがっていると分かっていた。

 だが、それだけじゃない。 


(尻尾で、剣を――!)


 尾を下がってかわせば、重たい質量の塊が膝を砕き、更に距離をとれば、切っ先が体を両断するだろう。

 跳ね飛ばしたと思っていた剣は、しっかりと相手が確保していたのだ。

 こいつらにとって、尾は足であり、もう一本の腕。

 もちろん棒立ちなら、そのまま足が砕かれる。


(やるしか、ねぇっ)


 隆健は跳ぶ。腰に両足を引き付けるようにして、その場で尻尾を飛び越える。

 だが、そんなもので相手は止まらない。

 尻尾が体に巻き付き、その勢いを殺さぬまま、右手に剣を受け渡す。

 跳んで避けた相手を確実に斬り殺す、白刃の追撃。


「『渦潮』」


 こちらに指南を刻み込むように、呟かれる言葉。

 胴を両断する速度で迫る刃。浮いた体では、いかなる抵抗も不可能。

 そう、このままの姿勢なら。


「――っ!」


 腰をわずかに右へ傾ける、足を伸ばす。その数センチの動きで、右足が大地を噛む。

 傾けた分だけ可動域が広がり、迫る刃に合わせて左膝を突き上げる。

 かすめた刃で膝頭が裂け、それでも死の刃は、頭上へはじけ飛んだ。

 

「回転技、ならなあっ」


 上げた左膝を降ろすと同時に、相手のつま先を踏み抜く。そのまま体重をかけ、その場にくぎ付けにする。

 避けた時とは逆の動きで右足を抱えるように上げ、相手の鳩尾へ膝を叩きこむ。


「こっちだって、あるんだよっ!」


 蜥蜴人の上半身が、勢いよく弾ける。

 それに追いすがるように腰を再反転、天を突くように左足を振り、顎を蹴り上げる。

 敵の体が浮き、けいれんし、たたらを踏んで後ろによろめく。

 そのまま相手の首を掴み、体重をかけて――。



『その結果が、それか』


 笑いを含んだ"闘神"の言葉に、隆健は頷いた。

 少し離れた場所に、死体が転がっている。

 叩きつけられた後頭部から血を流し、身動き一つしなくなっていた。

 痛みは消えているが、傷自体はまだ治っていない。血の出過ぎでめまいがして、戦いが終わった時には一度吐いていた。


蜥蜴人リザードマンの剣士は武人肌が多くてな。魔族なら、連中を相手にしたいと常々思っていた』

「俺は、もうごめんですけどね。"闘神"様に尻尾で稽古つけてもらってなかったら、ヤバかったっすよ」

『しかし、尾を腕の如く使うとは、相当な手練れだったようだな』


 戦いの話をする"闘神"は、いつになく上機嫌だった。

 だが、こちらの気分を察したのか、穏やかに問いかけてきた。


『なにか、遺恨でも含んだか』

「……逆です。殺しあっておいて、なんですけど……爽やかっつーか」


 叩きつけた頭蓋の感触は、右手に残っている。

 勢いあまって、相手の牙で少し掌を切った。

 それから、死に顔を見て、なんとも言えない気持ちになった。


「笑ってたんですよ、アイツ」

『そうか』

「戦ってる最中も手の内を見せて、それでもこっちを凌ごうって、そういう感じで」

『なにか、話したか』

「死に際には無理でした。ただ、死合う前に、少し」


 魔王に棄てられた、という剣士の話を、"闘神"は黙って聞いていた。

 それから、うなるように告げた。


『満足はしただろうな。その様子なら』

「……そうっすかね」

『そして今、貴様はこう思っているわけだ――寂しいと』


 いやいや。そう思いながら隆健は、それを受け入れた。

 確かにこの気持ちは、寂しい、に近い物だ。


「マジでいるんすね。使命より命より、己の武術が重いって奴」

『その当惑には共感してやれんぞ。こちらでは、それが常識・・だ』

「魔法や神様より、そっちの方が俺にはファンタジーっすよ」


 この世界に来てから、様々な敵を殺してきた。

 吸血鬼の時は、無我夢中だった。

 ゾンビやスケルトンは不気味なだけだったし、ゴブリンやオークに関しては、倒すべき相手と割り切っていた。

 それがまさか、あんな奴と、死合えるなんて。


『武術とは、恋のようなものだな』

「――えぇ?」

『いや、つくづくと、そう思ったのよ』


 笑ってはいるが、どうやら冗談でもないらしい。

 厳つい闘いの神は、詩でも吟じるように、つぶやいた。


『一人では成せず、二人でも容易に通じ合わず、思い募るほどに互いを傷つけ、どちらかが果てるまで続く……片恋のようなものだと』

「思いが通じたところで、結末がこれじゃ……悲しすぎませんか」

『そうとも限るまい』


 分かっている。悲しいことは悲しいが、それだけではない。

 あいつの剣は、叫んでいた。

 俺を、理解できるかと。

 殺すために練り上げた技を、その修練の日々を、その果てにある高みを。受け止めてくれる相手を望んでいた。

 そして俺は、全力で答えた、つもりだ。


「分かってましたけど」

『何がだ』

「バカですね、オレら」


 笑って、"闘神"は答えなかった。

 その代わり、尋ねてきた。


『傷は癒してしまうぞ。貴様の戦いは、まだ終わっておらぬゆえな』

「障りにならない程度に、残せますかね」

『感傷的な奴め』


 その傷痕は、地球に戻っても消えることはなかった。

 誰に話すつもりもない、時代小説のような決闘の証として、今も左肩にある。

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