3、小さき神
「とにかく、どこかの"洞"にでも腰でも落ち着けましょう」
そう言って、イヴーカスと名乗った小神は、ちょこちょこと回廊を歩き、脇道に入り込んだ。合議の間には見えない無数の枝道が接合されていて、見出そうと思った者の前にだけ姿を現す。
合議の間ではやりにくいが、自らの神座に招いてまでするような話でなければ、神々はこうした"洞"に赴くのが常だった。
「御身のような大神をお迎えするには、少々野趣が過ぎましょうが……」
ネズミが見出したのは、涼しげな緑の森の空間。石の座卓にいくらかの木の実や飲み物が並ぶ。
「いえ、このような場である方が落ち着きます。お心遣いに感謝を」
「それはよかった」
イヴーカス、という名前には聞き覚えがあった。彼も、自らの勇者を遊戯に参加させている者の一柱のはずだ。
「それと、大神と呼ぶのは、どうか。所詮、勝負の綾で勝ちを拾ったものです」
「ご謙遜も過ぎれば嫌味というものですよ? そもそも、あれだけの戦いを制したことを綾のもつれだけでは済ませられますまい」
そう言いながらイヴーカスは飲み物を注ぎ、かいがいしく給仕を行ってくれる。
「そのようなことはお止めください。私もなにかお手伝いを……」
「いえいえ。お招きしたのはこちらですからな。小神の身の上、給仕も自分で行う見苦しさをお許しいただきたい」
座を整えると、彼は自分の前の席に腰かけ、杯を掲げた。
「美しき女神の勝利に……大分遅くなりましたがね」
「……御身の栄光と繁栄に」
儀礼的に飲み物に口をつけると、サリアはイヴーカスに視線を合わせた。
「失礼ながら、お尋ねしたい。この座はいかなる仕儀のものでしょうか」
「仕儀、とは?」
「御身は遊戯に参加しておられるはず。つまり」
「私とサリアーシェ様は敵同士、というわけですな」
自分の猜疑心にうんざりしながら、サリアは先を口にした。
「御身もご存知でしょう。先だっての決闘の折、ムロアーブ殿の勇者達は、私を邪神と呼んでいた。……いまや神々の間で、私は完璧な鼻つまみ者だ。そして、もっともうまみのある、蹴り落し甲斐のある対手でもある」
「この饗応も、そのための謀と……なるほどなるほど」
ネズミは相変わらずニコニコと笑い、それから飲み物を口にし、間を繋いだ。
「まぁ、謀といえば、いえなくもありませんな。こうしてお話をさせていただいている事自体、私には有意義ですから」
「……なにか、我が配下を誅する策でも思い付かれましたか」
「いえいえ滅相な! 私のようなネズミには、周囲の変化に敏感であることが要求されるのですよ」
ひくひくと動かされる、とがった鼻面に皺を寄せると、イヴーカスは指を立て自分を指差した。
「この私めは、世界を一つ持つばかりの、正真正銘小さき神。そのような者が遊戯に参加するとなれば、他の皆様方の働きはすぐさまこの身に降りかかります。ですので、あらゆる事物に目を凝らし、耳をそばだてるのが生き残りの秘訣なのです」
「仰られていることは分かりますが、それと私との会話に何の意味が?」
「サリアーシェ様は、いまや神々の敵と目されたお方。しかし、そうなれば不都合も出てくるものです。例えば、御身が何を思い、誰を敵と考え、いかなる願いを持っておられるのかが、全く分からなくなる」
「つまり、それを知るために、私との会話を?」
「その通りでございます」
彼は何を考えているのだろう。サリアは改めて目の前の神を見た。
自分が何を考えているかを知りたいと、彼は言った、その目的は自分と勇者を生き残らせること。
「貴方は、私との会話で得られた何かを、他の神に流すおつもりですか」
「はい。そうなります」
「……それは索敵、諜報の類という意味、でしょうな」
「それ以外に何がありますか?」
相変わらず、イヴーカスはニコニコと笑っている。自分の言ったことの意味を理解しているのか、あるいはしていないのか。
「それを安々と私が話すとでも?」
「いいえ。それはないでしょうな。こうして私がぺらぺらと話してしまった以上」
「つまりこの饗応は、失敗に終わったということになる」
「いいえ。大成功でございますよ」
そこでイヴーカスは心持、態度を崩し、小さな赤い実を口に含んだ。
「御身がこうして私の前に座っていただけたこと、これでこの度の饗応は成功理に終わったことになります」
「……つまり、会話の内容ではなく『私と会話した』という事実が」
「はい。これは他の神々が持たぬ、強力な切り札、となるのです」
サリアは彼とは逆に、居住まいを正し、その姿を見た。
みすぼらしい乞食のような格好、風采の上がらないネズミの顔、物柔らかな口調、だが視線だけは、何者をも見逃さない鋭さに輝いている。
「とはいえ、そこまで話してしまってよいのですか。そのことを聞いた私が、今後の会話を拒絶することもありうる」
「聡明な貴方はそうはなさらないでしょう。竜神殿と話す機会は、今後ますます失われることになるはず。他の神々と交誼を結ぶこともできない現状、いかなる伝であろうと捨てようとはなさりますまい」
「なるほど」
全てお見通しといった風情のイヴーカス。いや、現状を考えれば、彼のような行動に出る者はいずれ現れただろう。
そしてサリアは考える、決裂するか、交誼を結ぶか。
「いかがでしょう。今後も私とお話していただけますかな」
「……分かりました。お受けしましょう」
背に腹は変えられない。だが、相手の言うとおりに動くのも癪なので、少しばかりの抵抗を口にする。
「ただ、何の実りもない会話となるでしょうが、それでもよろしければ」
「ネズミの目を侮れれませんよう。小さな穴から入り込み、床に落ちた麦粒一つとて、残さずさらい取るのが我らですからな」
そう言って笑うイヴーカスは、まるで腹蔵無く、全てを話してしまっているように見えた。無論それも演技ではあるのだろう、陰謀が張り巡らされたこの世界で、むしろ自分のようなものこそがバカみたいに無防備すぎるのだ。
とはいえ、サリアはそっと、心の中で付け加える。
「ご忠告感謝を。せいぜい私も貴方を利用させていただこう。よろしく、イヴーカス殿」
「それでよろしいのです。どうぞよろしく、サリアーシェ様」
この神は嫌いにはなれないだろう、その思いを込めて、差し出された手を握り返した。