表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~格闘編~
179/256

10、『その清廉が、最後まで続くことを願おう』

 来ないと思っていたが、女神は昨日と同じように、庭に出てきていた。

 ルシャーバは安堵し、同時に瞠目した。

 彼女の顔は憔悴し、消え入りそうな気配を漂わせる。緑の草原の上に立ってはいるが、その足元がおぼついていない。


「……供の竜たちはどうした」

「今日は――今日は、席を外して、もらっております」


 神には人間のような不調はない。

 その代わり、心の在り様が全てに直結し、わずかな物思いでも消滅の遠因となる。"闘神"は可能な限り、己の落胆を押し込め、サリアに労わりを掛けた。


「今日も帰るがよかろう。そのような顔では、こちらが気が気ではない」

「いえ。七日との、約定ですので」

「やはり無理だ。貴様にそんな顔をさせてまで、楽しみを求めたくはない」


 その時だった。

 女神の顔が苦痛にまみれたのは。まるでこちらの言葉が、呪詛で煮詰めた灼熱の鉛であったかのように、顔を背けて声のない悲鳴を上げた。

 走り去ると思っていたが、サリア―シェは凝固したままだ。恐怖に震えながら、逃げることを忘れた、狩りの獲物じみて。

 どうやら、俺は思う以上に厄介なものに囚われたようだ。

 武ではどうにもならない、心というモノを扱おうとしているという実感。


「分かった。ではこうしよう」


 女神が自分の、はす向かいに位置するように、ルシャーバは腰を下ろした。

 それから、腰に差していた小刀――と言っても、自分の手に収まるものだから、女神の二の腕くらいはあるが――を取り出し、その辺りの立木から幹を一本、拝借する。

 女神は、いくらか警戒したものの、初めの日と同じように、長椅子に座った。

 余計な枝葉を落とし、思うがままに削っていく。


「……なにを、なさっているのですか」

「手慰みだ」


 そう、本当に、何をするでもない。

 まだ己が、神となる前のこと。こんな風にして、気持ちの通わなくなった女と、時を過ごしたことを思い出した。

 こちらが何を言おうが怒って、泣いて、それでいて、どこかに行こうともしない。

 あれがどういう意味だったのか、神になった今でもわからない。

 ただ、このまじないを終えるころには、互いの心が自然とほぐれていたものだ。


「刃物というのは、俺にとって、手足のようなもの。今はこんなことをする意味さえないが、使い慣れた道具を無心に使うのは、やはり落ち着く」

「何かを作っている、わけでもないのですか?」

「魚取の銛として、しなりが良ければガキどものおもちゃの弓、太ければ年寄りの杖、という場合もあった。だが、大抵はその場に捨てていったな」


 薄く皮を剥ぎ、その太さを均一にしていく。

 こぶが消え、木の肌目から青臭さが漂う。このままでは道具には向かない、乾燥させる一手間がいるだろう。

 そんなちまちまとした作業を、隣にしゃがみ込んだ女神は、興味深そうに見つめ続けていた。


「いるか?」

「え」

「なんの意味もない棒きれだが、綺麗に仕上がった。この形だけでも、中々趣があると思うのだが、どうだ?」


 受け取った女神は、木目に指をはわせて感触を確かめ、見事に真っ直ぐになったそれを様々な角度から眺めていた。

 それから、少しだけ頬を緩めて、言った。


「子供が」

「うむ?」

「神殿に遊びに来た、子供らが。こんな棒を、振り回しておりました」

「そうか」


 ぽつり、ぽつりと話す言葉。

 女神は思い出を手繰り、自らの星が健在であった時を語り始めた。

 神殿の手伝いに来た女たち、それについてきた子供ら、その生活と笑いを。


「晩夏の収穫には皆で竿を振るい、社に集まった麦を脱穀しておりました。そんな時、退屈した子供らが、農具を剣に見立てて」

「よくある話だ。その坊主ども、額でも割ったか」

「毎年のように。時折、大きく瞼を切る者も出て、そういう時は、声を荒げて叱り飛ばしたことを覚えています」

「うちも似たようなものだ。子供という奴は、元気が有り余っておるからな」


 サリア―シェは顔を上げ、何かの期待を込めて、尋ねてきた。


「"闘神"殿は、星にはお帰りになるのですか?」

「折々にな。祭事に主神がおらぬなど、間の抜けた話となろう」

「……皆と語らうことも、なされるのですか」

「万民等しく、とは言い切れん。だが戦人だけ、というような隔てをしたことはない」


 ため息があった。

 女神のそれは、こちらに行動に感じ入ったというだけではなく、もっと大きく深い、哀惜のような憂いも含んでいた。

 寂し気に、小さく付け加える。


「我が兄も、そうであったなら、良かったのに」


 ルシャーバは、肯定も否定もしなかった。外の世界を知った神は、大抵自らの生まれた星を省みなくなるものだ。

 大きな星々の間で生まれ育った者はともかく、辺境を出身とする者は、親代わりの大神と共に『巣立って』行ってしまう。

 自分とて、長きにわたって主星を留守にしてしまった経験があった。

 そんな物思いの合間に、思いつきを口にした。

 

「――花籠を、編んだことはあるか」

「はい。季節の花を使い、宴席を飾っておりました。土地柄のせいか、窯業も育ちませんでしたので」

「一つ所望してもいいか?」


 頷いて立つと、女神は草原を歩き、花や蔓を手ずから選び取っていく。自分は音と気配をひそめ、その後を追った。

 手際のいいことに、集めた草花は籠のための蔓で束ね、色と形をより分けていた。

 思うさま集めてしまうと、女神は東屋に戻り、籠を編んでいく。


「しかし、なぜ花籠などを?」

「俺が小刀で心をほぐすなら、そなたであれば、なんであろうと思っただけだ」

「……私へ思いを致した、というわけですね」


 物憂げな言葉ではあったが、苦しみはいくらか消えてるように思えた。白い手はよどみなく、いくつかの花を編み込みながら、仕上がっていく。

 ほどなくして、ひとつの花籠が卓上を彩った。


「見事なものだ」

「……恐れ入ります」


 ひなびた田舎の趣だ。

 汎世界の神が宴席を飾るなら、宝玉を煮固めたような磁器や、金銀を材に器を造る。花であれば香木の花林を自在に生やして事が足りた。

 それでも、この女神は宴席に己が造り出した物を飾り、そうすることで皆と過ごすことを望んだのだろう。

 その心映えに、ルシャーバは微笑んだ。


「俺は、生来無作法でな」

「……はい」

「敵を如何に屠るか、その手管の方ばかり極めてしまった。故に、こういう時はまこと、つまらぬ事しか言えぬ」

「はい」


 こんな言い訳じみた前置きをする自体、野暮の極みだ。とはいえ、自分などはしょせん雑兵、当たるを幸いに振舞うしかない。


「明日もまた、これを編んでくれ」

「花籠を?」

「編み上げて、それをその日の締めとしよう」 


 一日よりも、もっと短い予定の区切りだ。

 それでも。


「そんなことで、よろしいのですか」

「ああ」


 それでもいいのだ、そう思う。

 男は花籠を抱え、会釈をすると歩み去った。

 そうしながら、思い出していた。

 地獄の光景を。



 死体だ。

 累々と、延々と、どこまでも広がる、死体の群れだ。

 焼かれて潰され、呪いで汚辱され、裂かれ、貫かれ、泥にまみれていた。

 草木は枯れて落ちていた。獣はただ屠られていた。

 最後まで残っていた人々は、絶望と苦痛を浮かべて、横臥していた。

 女神サリア―シェの星、そこに降り立ったルシャーバが見せられたのが、それだった。


『我が主、大勝利です。魔族は打ち倒され、神方の損害は少なくして』


 報告に上がった伴神を、俺はただ睨んだだけだった。遣わした勇者は、俺の神威を操って、思うさま敵を鏖殺せしめたと聞いた。

 神々は湧いた。

 大神バルフィクードの無念は雪がれ、敵は散々に敗れ去ったと。

 どこかの草原に宴席が張られ、勝利に酔った神々が、自らの勇者を伴い、駄法螺と見栄を張り合っているのも知っていた。

 だが、俺はそこに近づく気はなかった。


『生き残った者は、あるのか』

『ございません』

『一人もか』

『草木の一本さえも』


 そうだ。

 神の喧騒を一歩外に出れば、吐く息さえ凍るほどの、冷厳な死の静寂があった。

 この一刹那にも、星は冷えていく。生の温みを失った世界は、死と静止に冷えて固まっていく。

 それこそがまさに、神去だった。

 歯を食いしばり、目を見開き、一切を心に刻んでいく。

 歩み進んだ先、半ば潰れかけた社が見えた。


『ああ……』


 その周囲に、これまでにないほどの、死が積み上げられていた。

 抵抗した者も、逃げ出そうとした者も、うろたえてすくんだ者も、分け隔てなく。

 皆、死んでいた。

 目の前の神殿へ、救いを求めて逃げ込む途中で。

 そしてルシャーバは見た。

 彼らが、彼女らが進み、求めた先にあるもの。

 砕けて容姿も分からなくなった、女神の像を。


『馬鹿野郎』


 激怒を、絞り出す。


『馬鹿野郎が』


 膝を突き、捨てられた躯を、抱きかかえる。

 無惨にされた子供を、母親を、それを護ろうとした者たちを。

 ここに至れなかった女神の代わりに。


『馬鹿野郎共が!』


 吼えながら、素手で大地を掘る。

 その中に、ひとりひとり、なきがらを横たえ、埋めることを繰り返す。


『おやめください! かの女神は魔族と通じたとの嫌疑が! みだりに憐憫を垂れられては、貴方様の銘にも障りがありましょう!』

『障りなど知ったことか! 文句があるなら面前でこい! 全てぶちのめしてくれる!』


 俺の狂態に恐れをなしたのか、伴神はみな沈黙した。そして、宴席の神々のいくたりかは、取り繕うように手伝いをよこしてきた。

 ただ一つ柱だけは、自らの手を汚すことを厭わなかったが。

 

『此度の戦、誉れを受けるべきは誰か。皆が存じ上げております』

『知らん』


 その優男は、弔いの終わった墓所の前に立ち、困ったように笑った。

 そして、驚くほどに無の顔で、宴席の方へと振り返る。


『お受けいただけなければ、僕がその栄誉を被る羽目になる』

『被る、か。だがすまん、此度ばかりは、そんなものを受けたくはないのだ』

『……承りました。あとは、お任せください』


 涼やかに頷く青年の姿、"英傑神"は彼方を見晴るかす視線で、問いかけてきた。


『今後、天はこの戦を定法とするでしょう。すなわち"神々の遊戯"を』

『忌々しいがな』

『でしたら、壊してしまいませんか?』


 不意打ちを喰らい、俺は目の前の男へ釘付けになった。

 まだ始まってもいないものを、その先にあるはずの栄達と利益を、そこに蠢くであろう権謀術数を、壊すと言ってのけた。


『俺と貴様で、天を敵に回すか?』

『そうなれば、最も傷つくのは民草と星です。そんなものを見たいとは、もう思わない』

『では、如何にする?』


 常若と挑戦の体現者たる"英傑神"は、笑顔と共に言い放つ。

 それは死と業苦にまみれた昏い世界に差す、一条の光だった。


『僕は、"神々の遊戯"を統べます。そして、全て終わらせる』

『貴様と俺で談合でもするか』

『いいえ。貴方はこの茶番に、怒りを以て否と言った。ならば、僕が提案するのは、一つの山を別の麓から登ることです』

『つまり』


 互いに競いあい、天を獲ったいずれかが、遊戯を潰すという盟。

 この男がサリア―シェの星に何を見出したのかは知らない。だが、その申し出は、この胸糞の悪い顛末で、唯一胸のすくような快事だった。


『その清廉が、最後まで続くことを願おう』

『はい、お互いに』



 自らの神座に戻ると、"闘神"は物思いから覚めた。

 手の中の花籠は、幻ではなかった。竜たちが造りつけていった東屋の座卓に、そっと据え置いてみる。

 あの"英傑神"との盟はまだ続いている。他の二神に本心を明かさないまま、今回の遊戯を最後と宣言したのは、あいつだ。

 今回の遊戯に勝利すれば、俺もようやくサリア―シェに何かをしてやれる、そう思っていた。

 だが、女神は俺の前に立ちふさがった。思いもよらぬ形で。


「なあ……愛しの女神殿よ。俺はまたもや、間に合わなかったな」


 若かりし頃は言葉をかけそびれ、武名が轟いたころには守ることもできず、せめて世界を糾そうとすれば、無駄なことだと本人から拒絶された。

 ひどい負け戦もあったものだ。

 つぶやき、笑う背中に伴神の声がかかった。


「我が主よ、勇者殿より伝言が」

「何かあったか」

「魔王の刺客と交戦、これを討ち果たしたと」


 目を閉じ、見開いた時には、"闘神"の顔に憂いはなかった。

 水鏡を生み出し、向こう側に語り掛ける。


「手ひどくやられたようだな、何があった?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ