3、「いい加減にしてください」
宴席は、神々の庭に張られることになった。
大慌てで、と言うより悲壮な覚悟を顔に浮かべて小竜たちが走り回り、筋骨たくましい勇士たちが手伝いを引き受けている。
上座にすえられたサリアは、まさしく針の筵に座らされた心境だ。
どうしてこうなった、その疑問を投げるように、同席する大柄な武人に目をやる。
赤銅色の顔はほがらかで、こちらの視線に気づくと、太い唇を笑いに緩めた。
「唐突な誘いで、さぞ驚いたろう。だが、よく言うではないか『思い立ったが吉日』と」
吉日どころか、長い神生で屈指の厄日だ。
対面に座している赤竜の顔は、激怒を通り越して赫怒の無表情。そんな同僚を気にすることもなく黒い太鼓腹の竜は、運ばれて来た料理を遠慮なく貪っている。
「それで? これはいかなる仕儀と相成ったのでしょうか? "闘神"よ」
開いた口元から炎がこぼれ、卓上の料理が灰と化す。瞋恚を抑えることもせずに、赤竜ソールは怒気を吐きだした。
「ふむ、先ほどは言い方が悪かったか。改めて述べよう」
咳ばらいを一つ、その顔をわずかに染めながら、"闘神"は宣言する。
「俺は元よりサリア―シェに惚れていてな。なかなか機会がなかったので、この度、思いの丈をぶつけてみた」
「……はあ。然様ですか」
「なんだその返答は。なぜと問うたから答えてやったのに。つまらん奴め」
「――――ッ」
積み重なる怒りのせいで、輪郭さえ怪しくなってきた同僚を笑い飛ばし、樽酒を飲み干したグラウムが、代わりに問いかける。
「アンタのことだから、宣戦布告にでも来たんかと思ったんだよ。そしたらいきなり熱愛関係発覚ー! だろ? コイツ、予想外のことカマされるとキレっからなー」
「そいつは済まなかった。では改めて、宣戦布告もしておいた方がいいか?」
「どっちでも、どうでも、いいことです、"闘神"よ」
「いえっ! なにもよくなどは――あああっ、その、申し訳ない!」
ソールの表情に書かれた『全部お前のせいだ』という言葉に、サリアは一切を飲み込んで恐縮するほかなかった。
とはいえ、こちらとて被害者だ。
小竜たちとの会議を終え、神々の庭に下りた自分の前へ、"闘神"はふらりと現れた。
そして、驚くべき言葉の数々を、吐いたのだ。
「久しいな、サリア―シェ。こうしてまみえるのは、幾年ぶりか」
大きな、山のような体躯が待ち受けていた。
こちらを見る顔は、光を背にしているためか恐ろし気な巌のようで、わずかに気圧されて後ずさりしてしまう。
途端に、彼は片膝を突いた。こちらに視線を合わせるために。
「すまぬ、驚かせてしまったか」
「い、いえ……お久しゅうございます、"闘神"殿」
「お久しゅう、か。まことにな」
竜や鬼獣に例えられるその面容に、こちらをうかがう戸惑いが浮かんでいた。
逃げ去ろうとする小動物へ、どうかとどまってくれと、希うような。
「お立ち下さい。これではまるで、私が貴方を叱責しているかのようです」
「う、うむ。とはいえ、俺と貴様では目の高さが違う、見下ろしながら和やかに語り合うというわけには、いかんだろう」
「では、あちらの草原で、互いに腰を落ち着けながらというのは?」
「あい分かった」
歩き出すと、"闘神"はこちらと距離を開け、なるべく同じ歩調になるように草原までの道をたどる。何かに気づいたように東屋を見ると、そちらを指し示した。
「貴様はあの長椅子に座ればよかろう。俺は草を絨毯としよう」
「わかりました」
目線を合わせる、ということにこだわりがあるらしい。武人としての心構えか、それともこちらに惑わされないための用心か。
異を唱える意味もないので、サリアは石の席に腰を落ち着け、どっかりと座り込む"闘神"と顔を合わせた。
「グラウム殿から伝言を承りました。相まみえる時を、楽しみにしていると」
「そうか。あの肉饅頭め、先ぶれの役は十分果たしたようだな」
「ええ。それでは、戦場の選定など始めましょうか。ただ、ヘデギアスは貴殿の支配地ゆえ」
「いやいやいや、ちょっと待て、何を勘違いしている!?」
面白いぐらいにうろたえた顔で、"闘神"はこちらをまじまじと見つめた。
「俺の言葉は、ちゃんと聞いたのだろう?」
「ええ。ですから、戦の約定を定めるものと。そういえば、竜洞の方々にも同席をお願いしなければ」
「ええい、そうではない! 今はいったん、戦のことは忘れよ!」
今度はこちらがうろたえる番だった。
神の世界にその名を轟かせた闘いの神が、戦を忘れよ、とは。
「そ、それでは、この度の会見は、いかなる仕儀で?」
「あ……あー、それは、なぁ……」
視線をさまよわせ、いかつい顔をこれ以上ないぐらい、不安げにゆがめて。
まるで、壊れ物でも扱うように、彼は告げた。
「知っての通り、俺は……貴様を好いている」
「…………は?」
「だが、意気地のないことに、己の口から、正式に告げたことは、なかった。ゆえに」
「お待ちくださいっ!」
サリアは口元をへし曲げ、生まれて初めて見た奇怪なものを確かめるように、尋ねた。
「なんと申されました、今」
「笑いたければ笑え。俺はこういうことを、改まって口にするのは不慣れで」
「そこではなく! 私に対して、なんと?」
「……貴様を好いている、と言ったのだ」
分からない。
いや、言っている言葉は分かる。分かるが、意味が分からない。
そもそも、発言とこちらの認識が食い違っている。一体いつ、この御仁は、自分に対して恋情の秋波を送ってきたというのか。
「大変、失礼であることを承知でお尋ねします。その、貴方はいつごろ、私に想いをお伝えくださったのですか?」
「だから、今ここで」
「そこではなく! 知っての通り、と仰られるからには、過去になにか、文や付け届けなどを、お贈りくださったのでは?」
大きなまなこが、驚きに見開かれた。それからゆっくりと、顔全体が悔し気な表情に変わっていく。
「あの、ケツの穴の小さい、ろくでなしめが! いくら恋敵とは言え、付け届けの一つや二つ、譲り渡すぐらいの度量があると思っていたぞ!」
「そ……その、なにか、手違いでも?」
「――貴様に問うが、過去のひところ、兄君が気前よく、財宝や悪竜の首などを、捧げてこなかったか」
悪竜の首、という言葉にサリアは思い出した。
神殿に持ち込まれた金銀財宝、世間を荒らしたという竜の首や生き胆の類を。
たしか、あの時の兄は『槍働きの見事さから、誉れ高い自分に贈られた』とかなんとか述べていたはずだ。
素早く席から降りると、サリアは膝を突き、深々とこうべ垂れて謝罪した。
「まことに申し訳ございません! 我が兄がそのような不徳を致していたとは! かの財物も、兄の驕慢の代物と右へ左へ流してしまい、感謝の御状さえ送りませなんだ。平に、ご寛恕をっ!」
「もういい。貴様のような細やかな女神が、何の便りもよこさぬとなれば、相当に嫌われたか、あるいは、とは思っていたしな」
おそらく百年以上は塩漬けにされただろう不祥事を、"闘神"は笑い飛ばす。とはいえ、こちらとしては身内のやらかしを暴露されて、最悪の気分だ。
「お気持が晴れるとは到底思いませぬが、不逞の兄は我が手で糾しております。正式な謝罪は本人の口上にて、いずれ」
「あの戦か。あれは実に見事だった。調略、機略、そして胆力。久しぶりに、快い意地を見たぞ!」
晴れ晴れとした顔で、笑う男。今までの遠慮がちなそれではなく、本心からの快哉と賛辞が周囲の空気を洗うようだった。
「やはり、戦の話が、性に合われますか」
「貴様らの戦いはどれも面白くてな。このところ、折につけて見直していた」
「それは重畳、とは言い難いですね。命を賭し、身を削った我らの姿を、面白がられるというのも、複雑なものです」
また考え込んでしまった"闘神"に、サリアは不思議を見た。
目の前にいるのは、闘いを誉れとする軍神の一つ柱だ。たとえそれが、血で血を洗い、無辜の命を狩り取る、酸鼻を極めた凄惨の庭であっても、抗い戦う者を誉め祀るはず。
だが、こちらの指摘に彼は、それを引っ込めた。
「話を戻しましょう。貴方は私を好いていると言った。それゆえにこうして出会い、普段の振る舞いを抑え、私に歩幅を合わせようとしている」
「慣れぬことはするものではないがな。こうしてボロが出た」
「結局のところ、この語らいは恋心を告げるためでしかないと?」
「いや、まずは、と言ったところだ」
すっかりこわばりの取れた顔で、"闘神"は告げた。
「サリア―シェ、俺は貴様が欲しい。そして、貴様の勇者と俺の勇者を競い合わせたい。そのための約定を、結んでくれんか」
なんなのだろう、この状況は。
改めて思い返しても、全く理解が及ばない"闘神"の振る舞い。目の前の竜たちは、こちらに対して非難と好奇の視線を浴びせてくる。
そもそも、自分は――。
「で、お二人さん。正式な婚約はいつにするんだい?」
『え!?』
異口同音に出た驚愕、グラウムの意地悪く笑う顔を前に、サリアと"闘神"は顔を見合わせていた。
「はっは、なんだそのウブい反応。図体のデケエおっさんがする仕草じゃねーな」
「からかうな、この土饅頭めが。婚宴の引き出物にして喰ってやろうか」
「なら、正式な日取りを教えてくれよ。もう少し肉付けて行ってやっからさ」
「ありません! そのような約定も、意志もです!」
サリアの断言に、隣の男は分かりやすく肩を落とし、ため息をつく。
「そうか……ないのか。なんともはや……」
「いや、ないのではなく、そもそもが、何も始まってさえいないというか」
「つまり、まんざらでもないという事か!?」
「ち、違うのです! そういう事ではなく!」
「いい加減にしてください」
すでに赤竜ソールの輪郭は、炎のそれになっていた。
給仕を勤めていた竜たちはさっさと距離を置き、"闘神"配下の英傑たちが、それぞれの武器に意識を伸ばしている。
「別に、あなた方がどこで盛ろうが、乳繰り合おうが、どうでもいい。知りたいのは、この茶番が、竜洞にとって、如何なる意味があるか、それだけです」
「あ、もうちょっと火力落としてくれ。折角の上物が消し炭になっちまう」
そんな厳戒の空気の中、隣の同僚だけは、のんきにその炎で肉を焙っていた。
「何をそんなに怒り狂っておるのだ、貴様は」
「住みかに土足で上がられたあげく、意味の分からない話を、こちらが嫌々力を貸している相手が原因で見せつけられて、怒り狂わない方がどうかしているのでは?」
「では、サリア―シェとの協力を取りやめればいいではないか」
「…………女神に対する嫌悪は、私の一存です」
「貴様も、中々難儀な状況にいるようだな」
「その難儀の一つは、確実に、貴方なのですがね、"闘神"よ」
本当になんなのだ、この状況は。
一刻も早く対処しなければ、とんでもないことになる。
目の前の赤竜が、文字通り大爆発を起こす前に、速やかに。
「まず、竜洞に関しては、今はご協力を仰ぐことはございません。"闘神"殿は、私への恋情に、落としどころを求めておいでです。まずはそちらを片付けてしまいます」
「我が積年の想いが、手荷物のごとく扱われるのは気に喰わんが、良しとしよう」
「"闘神"殿は、己の勇者と私のシェートを戦わせることも、願っておられるとのこと。お知恵を拝借するのは、その時点ということで」
「主様からの命令ですので、否応もありません」
どちらも不服そうな顔をしているが、この際どうでもいい。口頭だけの納得とは言え、合意を引き出せたのだ。後のことは、その時考えよう。
「そ、それでは、今回はお開きと言うことで。皆様も、何かとお忙しいこともおありでしょうから……」
「ああ、後は若い二人に任せてって奴だな。しっかりやれよ、色男」
「激励感謝する。見事袖にされたら、貴様を自棄食いしてやろう、楽しみにしていろ」
無言で赤竜が席を辞し、黒竜は場にいた連中に料理を包ませている。
どうにかその場が落ち着いたことを確認して、サリアはどっと息を吐きだした。
だが、嵐はまだ過ぎ去ってはいなかった。
「ということで、俺たちも行くとしよう」
「行こう、とは?」
「我が神座で、存分に語らうのだ」
破顔一笑し、"闘神"ルシャーバは片手を差し出した。
「我らが恋情の、落ち着く先を定めるためにな」