2、「こいつは、面白くなってきた」
「三十点ですね」
そっけない、と言うよりも悪意しかない赤竜の断じに、サリアは笑うしかなかった。
黒、白、青の小竜たちは、我関せずという顔で、目の前の端末に向かって何事かを作業し続けている。
「現場判断が甘すぎます。自分の勇者を囮に使うことに、いちいちためらいを持たないでください」
「それもありますが、フィアクゥルは竜洞の秘蔵っ子。無茶な聲の使用は」
「あれは粗食で鍛えろと言われています。そもそも、全てを見越しての献策です、軍事軍略の素人が、内容の吟味をする必要はありません」
竜神のような分かりにくさがないのはありがたいが、赤竜ソールはこちらの感情に一切の忖度をしない。
火の苛烈さと氷の冷徹が合わさったドラゴンの参謀は、苛立ちさえ感じる竜眼でこちらを見つめた。
「繰り返しますが、フィーも含めて、我々はただの協力者です。どれほどの無能であろうと、貴方の裁可なしに物事を進めることはありません」
「承知しております」
「でしたら、献策可否の判断、現場への指示は迅速を徹底してください。我々の策が気に入らなければ存分にリテークを。可能な限り代案を出し、万策尽きれば貴方を見捨てるだけです」
竜神は嫌われていると評していたが、これは憎まれていると言ってもいいだろう。
主人に晴らせないうっぷんを、こちらにぶつけている、のかもしれない。
「ともあれ、今回の一戦は僥倖でした。これで貴方もお分かりになられたかと」
「……現在の、シェート達の実力、ですね」
「ええ。それと共に、貴方の認識の甘さもです」
今回の迎撃作戦、サリアとしては無茶に過ぎると考えていた。
一万を超える兵士へ、何の援軍もなしにシェートを当てるなど、ばかげた話だと。
だが、蓋を開けてみれば、現れたのは想像をはるかに超える戦果。
フィアクゥルという強力な存在を背景にしているとはいえ、シェート自身も臆することなく大軍に突き進み、十や二十ではきかない敵を屠っている。
「確かに、主様は仰いました。コボルトのシェートの弱さを信じろと。しかし、それは現在の実力を無視しろという意味ではない」
赤い小竜は手元の端末を操作し、何かの映像を虚空に投影する。
そこには、最初に戦った勇者とよく似た絵が映っていた。
「逸見浩二、シェートが最初に打倒した勇者です。例えば彼ですが、現在のシェートにとっては取るに足らない『雑魚』に過ぎません」
「そんな、馬鹿な。そもそも彼の武器や鎧は」
抗議の声を無視して、ソールは淡々と、最初の勇者を『再攻略』していく。
「フェイズ1、錆び喰い入りの汚物樽による足止め。単騎攻めなのでここは変えません。
フェイズ2、"魔狼双牙"にて遠距離狙撃、ブレーンの女魔法使いを排除。
フェイズ3、同じく遠距離から回復役の女僧侶を排除。
フェイズ4、鎧騎士と錆喰いの接触を確認後、狙撃して無力化。
フェイズ5、"コボルトの布告"にて神器を打ち消し、逸見浩二を殺害。以上です」
あっけないほどの結論。
だが、サリアにもそれが、根拠のない妄想ではないことが理解できた。
「その後の百人の勇者たち、あるいは"黄金の蔵守"の勇者も、攻略自体は容易です。今回はシェートのみの強さを取り上げましたが、そこにフィアクゥルを加えれば、"知見者"の勇者軍さえ、ベルガンダの助勢なしで討伐できます」
「さ、さすがにそれは……」
「そうでもないぜぇ?」
絶句するサリアを尻目に、太った黒い小竜がテーブルの上に飛びあがり、大げさな身振りで成り行きを解説する。
「フィーが雷ドーン! して敵陣混乱。姿消しで本陣侵入ー、勇者の前で"布告"発動! あとは腰の山刀でざっくり~。"知見者軍"攻略RTA、タイマーストップです、ってね」
「……"知見者"殿も、そこまで簡単な相手ではありますまい」
「もちろん簡単に、とは言わないぜ。でも『無理』じゃねーんだな、これが」
持ってこさせた大皿の料理から、小麦粉で出来た巻き物を貪りつつ、黒竜が指摘する。
その言葉を引き取り、赤竜は頷いた。
「今のシェートとフィアクゥルなら、大抵の『無理』を『道理』にしてしまえる」
「いつまでも、ヤマウニ相手にピーピー泣いてた、弱っちいコボルトのイメージじゃ困るってことさ」
黒竜の指摘に、サリアは反駁しかけた。
いくら自分でも、出会った頃のシェートを前提にはしない。
だが、今回の戦闘結果が、自分の中にある『シェート』とズレを生じていたことも否定できなかった。
彼はもう、ただ強いというだけではない。
もう一つ上の何かへと、変貌を遂げているのだ。
「ソール、グラウム、会議が停滞しているよ。女神に対する指摘はそこまでにして、今後の方策を提案しようじゃないか」
「時間、有限。意義ある対話、希望」
「りょーかい。んじゃこれ見てくれ」
黒竜グラウムは端末を操作して、虚空に映像を投影していく。
映し出されたのはヘデギアスの大陸図。その中央部には、この大陸を支配していたとされる、魔将の居城と『討伐完了』の文字が記されていた。
「さっき、遊戯の結果情報として上がってきた『イベント進行』だ。この星にいる魔王軍の名だたる将は、残すとこ一体になったらしいぜ」
「"闘神"が正式に、ヘデギアスの魔将討伐成功を申請して来たそうだな。確か、吸血貴族の魔将だとか」
「いつも通り『倒したぜー』って感じだと思ってたから、見落とし掛けたよ。ご丁寧なことに、倒した瞬間の映像付き」
それは、豪奢だが殺風景な謁見の間の戦闘。玉座から立ち上がった吸血の王が、自らの腕を霧と化しながら、中年の男を切り刻むシーンから始まった。
「……"闘神"殿の勇者は、その、いささか、というか、だいぶ年嵩なのでは?」
「ハッキリ言っちまって良いぜ。ダサくて冴えねえおっさん選んだな、ってさ」
「"闘神"は大抵こういう勇者を選出します。お粗末な手品と弱卒の組み合わせより、加護の大半を戦闘経験ある人物の選出に消費する方が、実際的だと」
無限とも思える吸血鬼の刺突剣をかわしきり、勇者は神規を展開する。その効力に、サリアは瞠目した。
「これは、我々の神規と同じ!」
「マジかーって思うよな。まさかの同キャラ対戦」
「同キャラなものか、よく見ろ」
あらゆる神秘を封じられ、それでも吸血種の消えない特性、強力な膂力で以て勇者の首を締めあげ、縊り殺そうと渾身の力を込める。
だが、その抵抗はあっさりと打ち砕かれた。
振り下ろされた両手が胸板を押しつぶし、顔面と股間のあらゆる穴から体液を噴出しながら、吸血鬼は絶命していった。
「何なのですか、あの技は」
「虎撲子、ですかね。地球は中華文化圏に伝わる格闘技の技。あの態勢であれば、それなりに妥当な一手でしょう」
「しっかり勁、効かせてっからな。あれ喰らったらマジでいてーぞ」
「ベースの流儀は八極、形意、心意六合、くらいの想定で良さそうだね」
どうやら小竜たちの間では、あの短い戦闘だけで勇者の流儀まで類推がついているようだった。彼らにかなう智謀を持つ者は、現行の天界には存在しないだろう。
だが、それを承知しているはずの"闘神"は、情報を公開する道を選んでいる。
「神規を公開し、勇者の戦闘技術まで開示するとは……よほど自信があるのか、あるいは……我らなど敵と見なしていないのか」
「ああ、それならもうひとつ、面白いことがあるぜ、女神様」
「おもしろいこと、とは?」
「"闘神"から伝言『あいまみえる時を楽しみにしている』だってさ」
黒竜の笑いに、サリアは相手の言葉の意味を測ろうと、黙した。
相手の能力を神規で封じ、格闘の技で倒すというのが"闘神"の勇者の勝ち筋だ。こちらも同じ神規を設定しているが、要所でフィーに頼ることになる。
シェート中心に対抗手段を講じるとするなら、罠を絡めた戦略になる。しかし、相手の動きを見れば、やすやすと策に嵌ってくれるとも思えない。
「挑発、でしょうか。確かな実力を見せつけ、算を乱したこちらが、拙速な攻めに転ずるようにと」
「貴方の反応からすれば、作戦は大成功でしょうね。今頃、"闘神"陣営は拍手喝采だ」
「意地悪すんなっての。女神様の推論も的外れじゃないだろうけど、そこまで深い意味はねーと思うぜ」
「なぜそう思われます?」
大皿の食べ物を一飲みすると、グラウムは口元を歪めた。
「あいつは、引っ掛け問題しないタイプだからだよ。ただし、ビビッて腰が引ければ、そのまま殴り倒してくるけど」
「その……つまり?」
「挑発は挑発ですよ。その意味が『掛かってこい、でなければこっちから行く』でしかないというだけで」
つまり、単純にこちらと腕比べをしたい、勇者という闘士を突き合わせて、上覧試合を眺めていたいということなのだろう。
サリアは、己の呆れをくっきりとさせるように、ため息をついた。
「そういう反応になるよなぁ。俺もあのバトルジャンキー、正直苦手だもん」
「とはいえ、同じヘデギアスの土を、互いの勇者が踏みしめているのです。いかに罠にはめ殺すかの算段をつけるべきかと」
「承知しました。可及的速やかに、"闘神"殿との会談の席を設けましょう。その時はソール殿、グラウム殿も同席いただけますか?」
途端に、二竜は露骨に嫌な顔した。
気が付けば、白と青の竜は姿を消している。
「逃げんなメーレ! ヴィト! アイツと顔を突き合わせたばっかだぞ、オレ!?」
「……サリア―シェ様、今回の遊戯終了以降、私との交流は避けていただけるよう、厳に誓約していただけますか」
「まことに……申し訳ない」
ひとまずの目的が出来たことで、会議はお開きの流れになった。
暇乞いを告げ、サリアは竜洞を辞する。
「そういえば、一つ言い忘れていました」
その背中に、竜洞の管理者である赤竜、ソールは淡々と付け足しを述べた。
「今後、我々はフィアクゥルの生存と帰還を、最優先事項とします。その目的と齟齬が生じた場合、貴方の勇者を考慮外として扱いますので。ご了承ください」
お代わりしたチミチャンガをもりもり喰いながら、グラウムは同僚を眺め笑った。
そんな視線を無視して、赤い小竜はしんねりむっつりと、データの山に没入している、ふりをしている。
「オマエも食うか?」
「いらん」
「そんな顔するぐらいなら、黙ってりゃよかったのに」
「必要あることだから述べたまでだ」
クソ真面目、クソ頑固、クソ朴訥、まるでクソの三段重ねだ。なんでも喰う自分とはいえ、さすがに排泄物じみためんどくささは、腹の中に収める気はない。
だから、腹ごなしにイジるに限る。
「別にお前だって、シェートが負けてもいいとか思ってるわけでもねーだろ」
「あれが使えることは理解している。やる気になるのは遅いが、土壇場の胆は信用に値するからな。だが、女神はダメだ」
「どんだけ嫌いなんだよ。主様取られて嫉妬か?」
わしっ、と大皿から料理がむしり取られ、大口を開けてソールが軽食を貪る。
几帳面にすべて食べきってから、杭打機の丁寧さで抗議してきた。
「俺は、無能で、身の程知らずが、大、嫌い、な、だけだ。付け加えるが、主様と、あの女神がどうなろうが、心、底、どう、でも、いい」
「わぁかったてのぉ、もぉ、めんどくせぇ。あとチミチャンガお代わり」
「チミチャンガ、お待たせ」
ご丁寧にウェイトレスのような制服をつけて、メーレが大皿を給仕してくる。そのすまし顔に、黒竜は乱杭のような牙をぞろめかせ、笑った。
「できりゃ変わってくれ。暑っ苦しくてめんどくせえ、おっさんの相手、やりたくねぇ」
「拒否する。闘争となる場合、私の権能、"闘神"に抗しきれない」
「そこはほら、なんかこう、色仕掛けとか?」
「かの御仁に、そんなものは通用しないよ。何しろあれは蛮人の神だ」
白い姿も軽やかに、ヴィトが首を差し込んでくる。その目にからかうような輝きをともして、ソールの『仕事』を見つめた。
「先ほどの戦闘で、フィーの侵蝕率も基礎値が上昇したね。そろそろ三十パーセントがベースとなりそうだ」
「そうだな。すべては順調、というわけだ」
「粗食で鍛えろ、か。あんまり鍛えすぎて、とんでもねーことになりそうだ」
「それならそれでいいじゃないか。後輩の育成も先輩の仕事だよ」
「成果の保持、最大優先。女神の勝利、サイドクエスト的位置づけ?」
水竜の締めくくりに、赤竜が頷く。
遊戯から敗退する直前、自分たちの主であるエルム・オゥドが残した指示。それに従えば、同僚たちの判断は何も間違っていない。
だが、そんなものはちっとも、面白くない。
「もっと欲張れよオマエら。ドラゴンは貪欲でナンボだろ」
「女神を遊戯に勝利させ、フィアクゥルを帰還させろというのかい?」
「その後、竜洞、天界での地位、変化する。大神となった女神、擁立することで」
「そうすりゃ美味いもんも酒も、喰らい放題じゃねーか!」
「計画最大の懸念事項が、無能な味方で無かったら、俺もそうしていたさ」
まるで、道端に転がったゴミでも蹴るように、ソールは女神への嫌悪を吐く。
こいつはクソの三乗だが、残念なことにとても有能だ。ドラゴンらしからぬ細かさで、先を憂いてしまう。その憂いを、確かな予測とセンスで裏付けて。
「オレは悪かねーと思うけどな。少なくとも、死んだ星を目の前に、メソメソしてた頃に比べりゃ、ずっと」
「目的も確固としたものが出来たようだし、遊戯後の世界で、それなりに振舞えるのではないかな」
「いいえ。彼女、壊れたまま」
珍しく、メーレの言葉に熱がこもる。
その根源的な性質から、こいつは『傷ついた者』を見過ごすことができない。それが酷ければ酷いほどだ。
「現状維持、非推奨。彼女のパーソナリティ、崩壊の可能性、増大中」
「なんで直接、言ってやんねーんだ?」
「神の『治療』、有限生命より困難。私、女神と信頼関係、皆無。治療者として不適格」
「その位置にあった主様は退場された。我々にできることは何もない、ということだね」
「だから言っただろう。俺は『身の程』を知らぬ者が、嫌いだと」
心の問題となれば、オレに言えることはない。
歯牙に掛けられない非実体のモノは、食欲の適用外だ。面白くはないが、成り行きに任せるほかないだろう。
その時、何かを感じて、グラウムは鼻をひくつかせた。
風が変わる、運命のぬかるむ一瞬に、笑いながら。
「なんにせよ、ノンキにしてる場合とは違うみたいだぜ」
「なに――」
「――ソール殿!」
礼儀もそこそこに、扉を抜けて入ってくる女神。
その、明らかに動揺した顔を見て、ソールはすべてを理解し、吐き捨てた。
「"闘神"からの会見の申し込み、出席者は私とグラウム、それでよろしいでしょうか?」
「重ね重ね、申し訳ございません。ですが、その……」
「邪魔するぞ、小僧共」
女神の背後からぬっと現れた赤銅の巨体に、赤い小竜の顔が無言で全ギレに変わる。
下働きの小竜たちが大慌てで、資料を収めた洞窟に耐火防壁と結界を展開させた。
「もうすでに、お出でになっておられる、のです……」
「はい。よっくわかりました。貴方がその程度のあしらいもできない、無能であると」
「おい小僧。口のきき方に気をつけろ」
なぜか、ひどく気分を害した顔で、"闘神"はサリア―シェの肩を抱きよせた。
「これなるは俺が積年、懸想し続けた想い人。それを悪し様に罵ると言うなら、その小じゃれた尻尾と翼をむしり取ってやるから、そう思え」
顎の筋肉を落っことしたように、ソールが口を開けた。
小首をかしげ、どこか明後日の方を見てフリーズするメーレ。
水たばこを取り出し、一吸いすると、器用に疑問符の形を描いたヴィト。
そして、手にしたチミチャンガを、むしりっ、とかじって、グラウムは笑った。
「こいつは、面白くなってきた」




