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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~格闘編~

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170/256

1、「お前は、それでいいのか」

 見上げると、暗い雲の塊が増えていた。

 早朝、出がけの時点では、空模様はもう少し加減された曇り空だったはずだ。

 泥まみれの雪に似た塊、今にも冷たい水を滴らせそうな重みを感じた。

 四方を見渡せば、背の高い水辺の草がどこまでも広がっている。癖のある焦げたような香りの源は、湿気で緩んだ泥炭からくるものだ。

 一応、街道は石材や板きれて舗装されていたが、整備する者もないために、ところどころ水没したり、泥に沈んだりしている。

 この上、雨まで降られたら、まともに進むこともできなくなるだろう。


「鼻の奥が、ツンとするぜ。こりゃ一雨来るな」


 隣を歩く同僚が、鉄兜の下で無慈悲に断言する。


「冷てぇ雨だ。肌に染みて、骨まで凍りそうなのが来るぜ」

「勘弁してくれ。ただでさえヘデギアスはうすら寒いんだ、これ以上冷え込まれたら、一歩も動けなくなる」

「とはいえ、今日のこれは、いつもより温いな」


 自分が従軍するゴブリン歩兵の一団は、一万二千の大所帯だ。モラニア、エファレア、ヘデギアスの三大陸から集められて、寒い北国の頼りない道を歩き続けている。

 雨まで振られたら、更に行軍速度が落ちるだろう。

  

「そういやおめぇ、モラニアからか」

「ああ」


 曖昧に頷くと、寒気を払うように両手をこすり合わせる。肩に担いだ奇妙な槍が、身に付けた革鎧とこすれ合って、騒音を立てた。


「"知見者"の軍とやり合った後、うちの大将が討ち死にした。解散、再編成、そんで今回の行軍に駆り出された」

「そうか……そいつぁ、災難だったな」


 災難、そう確かに災難だ。

 降って湧いたように現れた勇者の軍団、そいつらに必死で抵抗している間に、自分の環境は目まぐるしく変わっていた。

 勇者軍団は打倒され、引き換えるように魔将ベルガンダは、死んだ。


「お前のところはどうなんだ」

「気位の高いお貴族様でよ、下賤で下級な魔族はいらんだとか言っといて、気が付きゃ勇者に首を取られてやんの」

「大口叩いて無様に敗北か、いい気味だ」

「……違ぇねえ」


 ヘデギアスを統治していた吸血王は、魔王軍の鼻つまみ者だった。

 権力を嵩に着て、位も力も低いベルガンダを侮辱する姿を、周囲に見せつけていた。

 もちろん、魔族は力が全てだ。

 吸血鬼の振る舞いも、別に咎められる筋合いはない。

 とはいえ、気にくわない相手を認める筋合いもなかった。


「正直、おめぇらの所が羨ましかったよ。俺ぁもともと、"闘魔将"付きだったんだが、あっちはあっちで、ひでぇもんだ」

「話には聞いてたぞ。教練とか言って、下働きを魔獣の餌にしてたとか」

「違ぇよ。傷モンの魔獣を潰すのに、雑兵を使ってたんだ。まあ、実情は似たようなもんだったけどな」


 その"闘魔将"も、この世にいない。

 勇者に抵抗することもできず、一瞬で消滅した。その事実を伝えたのが、この同僚が所属した一隊だということを思い出す。


「なぁ……ところで、おめえに聞きてぇんだが」

「俺の詰めてたのは王都リミリス近くの迷宮だ。"知見者"の別動隊を足止めするんで、本隊に加わることもなかったよ。だから」

「例のコボルトは見たこともねぇ、ってか」

「噂だけなら、いくらでも話してやれるがな」


 苦笑し、同僚の肩を叩くと、そのまま行軍に意識を戻す。

 噂は自分も嫌と言うほど聞いている。

 信じられないような、だが、確かな事実に基づく、噂を。


 曰く――


『神秘の守りでよろわれた神の勇者を斬り屠った』


『百人の勇者を相手に生き残り、その力を喰らった』


『無限に増える神の軍隊を相手取り、勇者を魔将もろともに討ち取った』


『魔王と渡り合い、その身体に手傷を負わせて逃げ延びた』


『運命を授ける女神の勇者を、その神規もろとも打ち砕いて勝利した』


 廃神と契り結び、その加護であらゆる敵を退ける一匹の魔物。

『最弱』のコボルト。

 これがまだ、自分たちと同じゴブリン種なら、まだ納得できたろう。

 あるいは高名な神が背後に立ち、溢れんばかりの祝福と加護を注いだというなら、分からないでもなかった。


『言っておくが、シェートの本質はそんなところにはない。あいつの強さは、貴様らの慮外に存在する。侮れば、生きて帰ることはないと思え』


 この世界を支配する魔王に『最大限に警戒しろ』と言わしめた存在。

 その神は名もなく落ちぶれた神であり、コボルトは命をなげうつようにして、瀕死の末に勝利をもぎ取り続けたという。

 思い返すほどに、不安と焦燥が曇天のように心を覆っていく。

 その重圧に押し出されて、もう一つの噂が、まことしやかにささやかれた。


「噂って言えば、俺たち――」

「やめろ、そんな話は気にするだけ損だぞ」

「でもよぉ」

『無駄口を叩くな』


 いつのまにか、自分たちの傍らに、そいつは現れていた。

 目鼻もついていない、真っ白な仮面。

 今の空からもぎ取ったような、暗い灰色のローブに身を包んでいる。

 種族も性別も分からない。声にも偽装を施しているのか、震えるような歪んだような耳障りな音として聞こえてくる。


『再編成した地上軍にて、コボルトの勇者、シェートを討ち果たす。そのことだけを考えていればいい』

「コボルト一匹に、一万二千か」

『不服か』


 剣呑な気配がローブから発散される。

 逆らうなら始末する、そんな意図を笑い飛ばすと、担いだ槍を軽く差し上げた。


「俺だって、大将の部下だったんだ。仇を討てるってんなら、それでいい」

『……そうか』


 そっけなく言い捨て、ローブは立ち去っていく。

 影以かげい、今まで聞いたこともない、魔王直属の部隊だという。

 自分たちがどこに向かって行軍するのかは、斥候役のあいつらが決めていた。ヘデギアスの片隅、名もない泥炭土の荒野にやってきたのも、そういう理由からだ。

 そういえば、今自分が手にしている武器も、これまで知らされなかった『新兵器』だ。

 杖槍じょうそう、内部に組み込まれた魔力を消費し、投射型の魔法を命令ひとつで射出する魔道具。訓練のたびにこれを構え、独特な姿勢で射撃をさせられてきた。

 異常な敵、見たこともない装備、存在さえ知らなかった味方。

 これまで体験してきた、どんな戦とも違う異様さに、胸がざわめく。


『噂って言えばよ、俺たち――』


 遮った同僚の言葉を、思い返す。

 その後に、こう続けるはずだったはずだ。

 俺たちはここで使い潰される・・・・・・んじゃないか、と。


『魔王軍の魔将、あと一人だけなんだってさ』


 昨日の晩、一緒に飯を食ったヤツが、そんなことを漏らしていた。

 勇者たちが投入されてから半年余り、最初に敗北した海魔将を皮切りに、魔将たちは掌にすくい上げた泥のように、こぼれ落ちて姿を消した。


『この部隊が結成される直前に、"繰魔将"が城に上がったって聞いたな。暇乞いを告げに行ったらしい』


 南西の大陸、ケデナを縄張りにする最後の魔将が、神の中でも最優と謳われる"英傑神"

の勇者を引き受けているという話は、遠くモラニアにも届いていた。

 その策謀が、打ち破られ続けていることも。


『残す勇者はあと三人らしいが、うち二人が"闘神"と"英傑神"の勇者だってよぉ』


 その二柱神の勇者は、出れば必ず神の側に勝利をもたらすという。育ち切る前に倒すのが上策、神々の遊戯を知る魔物であれば、誰でも口にする必勝法・・・だ。

 だが、今の自分たちの懸念は、そこにはない。


『参考となる映像はここまでだ。"愛乱の君"との戦いは、余技のようなもの。ただし、その過程で、あらゆる神秘の行使を禁ずる、神規を使うようになったがな』


 この作戦に投入される前、自分たちは例のコボルトの映像を見た。

 初めて見る魔王の姿にも驚いたが、もっとも心を奪ったのは、コボルトの戦いだった。

 始まりは、"魔将"ベルガンダとともに"知見者"と争う姿だ。手にした弓の神器で魔力弾を自在に操り、弓を二つの剣に変えて斬り結ぶ。

 次に見たのは巨大な炎を背負って、魔王と対峙する場面。それまで注目されていなかった、仔竜による支援らしい。

 そして今、この広い荒野のどこかに潜むコボルトと仔竜は、更なる変化をしているのではないか、というのが灰色の連中の発言だ。


「勇者って、何なんだろうな」


 誰に尋ねたわけでもない、自然に湧いた言葉だった。

 だが、耳聡い者は振り返り、疑問そのものであるようにこちらを凝視した。


「神の使い、俺たちの敵、そして、滅茶苦茶に強ぇ奴だ」

「例のコボルトもそうだ、ってことになるな」

「いや、その、そういう事じゃなくて……」


 仲間の言葉につつかれて、渾沌としていた心がかき混ぜられる。

 相手が強いとか弱いとかじゃない、勇者という言葉が持つ恐ろしさを、探ろうともがいていく。


「もしも、俺が『勇者』にされたら・・・・、俺はどうなるんだろうな?」

「なんでぇ、今から神に鞍替えかぁ?」

「まあ、まてよ。お前が神の奇跡を受けたら、そりゃ『勇者』になっちまうんだろうな。それで無敵の力で、俺たちをぶち殺す」

「……コボルトの奴は、そうじゃなかったんだろ?」


 こちらの指摘に、仲間たちは一様に押しだまった。

 魔王は言っていた。コボルトに与えられた最初の奇跡は、たった三つ・・

 守りを付与し、武器を強め、傷が治りやすくなる、それだけだと。


『では貴様らに問おう。その三つを使って、あらゆる攻撃をはじく鎧を持ち、達人の剣術を約束する剣を携え、高位魔法を一声で解き放つ道具を持った勇者に、たった一人で立ち向かい、勝利できるか?』


 答えは『不可能』だ。

 最初から勝負にならない、一目散に逃げて怯え隠れる方がいい。

 それが魔物だ。弱きを虐げ強きにへつらう、そういう世界に自分たちは生きている。

 だが、


「あいつは勇者を喰った。何の助けにもならない奇跡だけで。つまり、勇者ってのは、その……神の力ってだけじゃ、ない、気がする」

「おめぇはこう言いたいわけだ、勇者って銘自体『魔法』みてぇなもんだって」

 

 魔法。

 確かにその通りだ。

 勇者という言葉に込められた力が、そいつの何もかもを変えてしまう。


「俺は、勇者が怖い」


 言葉にした途端、それは明確になった。

 今までの生は、なにもかも霧の中にいたかのように思えた。

 魔物の生き方は、目の前に出たものを判断するだけでことが足りるものだ。

 食うか、殺すか、逃げるか、従うか。

 投げ出された死肉のように、成り行きで腐っていく日常だった。

 そんな条理をすべてぶち壊す、異常な存在が立ちふさがろうとしている。

 勇者とは、なんなのか。


「俺だって怖ぇよ、死にたくねぇ」


 そんな疑問を死肉の条理が上書きした。

 分かっている、こんな疑問に意味はない。自分の思いは、魔物の条理にそぐわない。

 死への恐れとは関係ない、別の畏怖などに心を砕いている場合ではない。


『無駄口は終わりにしろ。対象を補足した』


 白仮面が再び姿を現す。

 隊伍のあちこちに同じような姿が現れ、それぞれに情報を伝達しているのが見える。

 目の前の相手も、寸分違わぬ動作で、告げた。


『隊を分割し、包囲殲滅する。指示を聞き違えず、命令通りに動け』


 そうだ、今は命令通りに動けばいい。

 槍を担ぎなおすと、ゴブリンの歩卒は指示された方角に向けて、仲間と共に進軍を開始した。



 まるで黒い大波だ。

 どこまでも広がる泥炭の土地を進む部隊を見て、シェートはそんなことを思った。

 槍を担いだゴブリンたちが横隊列を取り、確かな足取りでこちらに突き進んでくる。

 この辺りは、いくらか水はけがいいせいか、連中の軍靴が枯草や倒木を踏みしめる音が地鳴りのように響く。

 その全てに、シェートはヘデギアスの海を重ねた。

 日差しの弱い曇天模様の下、黒々として大きくうねって、岸に押し寄せていたっけ。


「ビビってるかと思ったけど、大丈夫そうだな」

「そうか?」

「顔。"知見者"の時と違って、緊張してないから」


 傍らに浮かんだ青い仔竜の指摘に、口元を和らげる。確かにあの群れは恐ろしいが、それでも、大波に例えるぐらいには、余裕は持てているのだろう。


『こちらは準備完了した。……とはいえ、本当によいのか?』

『我々の作戦がお気に召しませんか? 採択をするかの判断は、貴方次第と申し上げたはずですが、"平和の女神"よ』

『そ、そういう事ではないのですが……』

 

 相変わらず足並みのそろわない上の判断に、コボルトの狩人は笑った。


「だいじょぶだ。みんな力、尽くす。いつもの狩り、同じする、それだけ」

「だってさ。ガナリのGOが出たんだ、やってやろうぜ」

『分かった。では、作戦開始だ』


 かぶっていた覆いを背中におろし、マントを軽くふるって湿り気を飛ばす。

 両手両足の防具に問題はない。

 胸元の青い石に軽く触れ、左手に魔弓の手ごたえを出現させた。


「行くぞ、グート」


 歩み寄ってきた星狼の背にまたがると、あぶみに力を込めた。

 途端に世界が、一気に加速する。


『シェート、連中が持っているのは、魔王城の兵士たちが持っていた、魔法を使う槍だ。破術を展開しながら足を止めずに動け』

「ああ」


 自分と狼の体が赤く輝く。

 槍の群れは見渡す限りに行く手をふさぎ、叫びながらこちらに穂先を向ける。その先端に、炎の熱と光が揺らめき、こちらに向けて打ち出された。

 魔法を打ち消す赤い光とぶつかり合い、閃光になってはじけ飛ぶ。

 その輝きを背後に散らし、グートの疾走が敵との間合いをみるみる削っていく。


「しっ!」


 引き絞った弓から、金と銀の輝きが飛ぶ。

 全てを貫く金の矢が前方の敵を焼き、銀の光が取り囲もうと回り込んだ敵の、手足を正確に射貫いて止める。


「怯むんじゃねえ! 魔法を打ちかけて勢いを削れ! 槍を立てて遮りにしろ!」


 前方についたゴブリンたちが石突を大地に刺し、こちらの突進に備える。その姿勢を視界に入れると、シェートはふわりと、鞍から飛び降りた。

 同時に、狼の姿が空気に溶けるようにして消える。


「降りたぞ! 狼に注意して囲め!」


 気が付けば、周りはすべて敵だらけだ。曇り空の下に、槍の穂先が鈍く光る。

 それでもシェートは、臆することなく軽く息を吸い、叫んだ。


「貫け、"スコル"!」


 二つに分かれた弓の魔剣から、閃光がほとばしる。頭を砕かれた敵を乗り越えるようにして突き進み、さらに言葉を重ねる。


「射貫け"ハティ"!」


 銀の光が八つに砕け、回避も防御も許さず、迫る敵の四肢を正確に傷つける。

 たった二挙動の魔法で、密集していた敵にわずかな空隙が生まれた。


「うおおおおおっ!」


 叫び、両手の刃を振るう。

 体を回転させ前進、槍の穂先を斬り飛ばし、相手の肩口から斜めに斬り落とす。

 両脇から突き出された一撃をさばき、かわし、銀色の魔弾がそれぞれの顔と両手を吹き飛ばす。

 シェートの目には、敵の全身は見えていない。槍を持つ腕と肩、一瞬だけ盗み見た視線と敵のつま先だけだ。

『次の瞬間、自分を殺し得るもの』を見極め、刃と魔法で機先を制して潰す。

 たったそれだけの動作で、敵の動きが鈍る。


「顔を狙え! 破術があろうが、当てれば動きを止められる!」


 それでも相手は押し寄せる。こちらの抵抗を封じるために。

 紅蓮の炎と、見えない風の刃が、立て続けに視界を揺らし、魔法の衝撃が意識を狩り取ろうと顔面を吹き飛ばす。


「ウオオオオオオンッ!」


 グートの咆哮あいずに、狩人は正確に答えた。

 狼の牙で悲鳴を上げた敵の声を聞き、その方角へ向かって弓の一撃を解き放つ。ためらうことなく、貫いた場所へと高く跳んだ。

 ふわり、と股座に収まる鞍の感触。そのまま手綱を掴み、相棒が走るに任せる。


「ダメだ、こっちの攻撃が足止めにならねぇ!」

 

 目を見開けば、こちらを見失って混乱する槍の群れ。自然と両手が弓を執り、崩れた敵たちへ迫撃を繰り返す。

 それでも、反撃の魔法が増えていく。槍で止めるよりも魔法で、敵の意志が統一されてきた証拠だ。


『相手の足が止まった。シェート、右手前方に進め。そちらが敵の密集した場所だ』

「分かった」


 サリアの指示通りに動いた途端、ぶつけられる魔法の密度が、さらに増す。

 水中に飛び込んだように、息が苦しくなる。破術は効いているが、魔法が生む衝撃にグートの足が場に縫い留められた。


「動きが止まったぞ! そのまま押し包め!」


 こちらの反撃を警戒し、槍で突っ込んでくる者はいない。距離を取り、ひたすらに魔法を浴びせかけ、こちらの疲労を待って必殺の瞬間を創り出すつもりだ。

 その全てが、神の目算通り。


『よし、すべて範囲・・に入った! 今だ、フィー!』



 仔竜は目を開いた。

 泥炭の大地に広がる万の敵と、その中にたった一人、取り残されたように見える仲間。

 だが、それ以外のモノをフィアクゥルは見ていた。

 あいつらの足元で脈打つ、自分の仕掛けを。


「シェートに言ってくれ。そこから左手側、三歩分だけ避けてくれって」

『分かった』


 青いマズルがかすかに開き、聲がほとばしる。

 その妙なる音律に、口元で光が爆ぜた。

 それに合わせ、曇天に輝きが奔る。空が重く、堅く、鋭く雷鳴を轟かせる。


「我が""に従い、天へと還れ」


 いつかの時、あの荒野で感じた天地鳴動の力を、仔竜は力を解き放った。


「"蒼き雷霆の咆哮ボルト・フロム・ザ・ブルーッ"!」


 稲妻が、そそり立った。

 竜の如き光が猛り叫び、大地が破裂していく。雷の群舞がゴブリンたちを打ち砕き、炎と光が全て焼き滅ぼしていく。万の魔物の肉が塵に、身に付けた装備が灰になって吹き散れて消えていく

 その中にあっても、シェートとグートには、傷一つついていない。

 落雷とは、その言葉に反して、天に昇る・・ものだ。大地の負が、天を覆う正の電位差をたどって通電するために。

 もしも、地面の電位を『視る』ことができれば、どこに雷が発生するかを予測し、安全な範囲を指定することなど造作もない。

 自然の理を把握する、竜の六識を持つフィアクゥルだからこそ、可能な芸当だった。


「ついでにおまけだ、これ使え、シェート!」

 

 指をならし、雷のひとかけらをシェートの弓に纏わせる。鞍上のコボルトは弓を剣に分割し、疾走した。

 雷が大きく伸長して刃と化し、一振りで残敵が斬り屠られていく。


『有効射程、指定位置より半径二キロ弱。仔竜の扱う雷群としては、まずまずですね』

『冗談言うなよ。こんなチビの頃から使えるやつが、そうそういてたまるか』

『フィー、体内の残留電圧、危険域。尻尾でアースを』


 言われた通りに地面に降り、尻尾を接地させる。逆立っていた鱗や髪が落ち着きを取り戻し、仔竜は息をつく。

 雷の聲を謳えば、自分の体の電気的な要素も活性するし、そのままにしておくと雷そのものになりかねない。

 細胞の一つ一つが炭酸のように泡立つ感じは、ちょっと面白いが。

 その間に、ゴブリンたちは手勢をまとめ、撤退を始めていた。


「一応、これで作戦は終わりだけど、あいつらどうする?」

『見敵必殺を進言します。私たちに手を出したらどうなるか、教育は必要です』

『……ただしフィー、お前たちに負担がかからないのであれば、という条件でな』

 

 女神の言葉に頷き、風の聲をまとうと、青い仔竜は舞い上がる。

 戦場の跡に立ち尽くすコボルトの背中へ追いつき、両手を肩に乗せた。


「フィー、来たのか」

「ソールから提案、あいつら逃がすなってさ。二度と、俺らにケンカを売りたくないって思わせるように」

「……できるのか?」

「お前がいいって言うなら」


 わずかにためらい、それでもコボルトは弓を構える。

 承諾のしるしにうなずくと、仔竜は聲を上げた。

 あたりで燃えていた泥炭から、炎が千切られて仔竜の背に集う。広げたフィアクゥルの翼が、集められた炎をまとって、大きく広がっていく。

 その色は深紅から白へ、そして壮絶な青の焔となって世界を染めた。


「宿れ、"天狼の蒼炎セイリオス"」


 燃える青を凝集させた矢が、コボルトの弓に装填される。狩人の目が、逃げていく獲物の背中を、その逃げる先を正確に捉え、


「しっ!」


 弓弦が、呼気と共に解き放たれた。

 炎の鏃が大気を切り裂き、九つに分かれた炎がそれぞれの道を往く。

 直前方向に太く苛烈な炎の帯、バラバラに散った八つの炎が、青く燃える大輪の花を咲かせていく。

 後に残されたのは、新たに燃え上がった泥炭と、爆発によってえぐられたクレーターだけだった。


『……確認した。その領域に、もう敵は存在しない』


 天からの声に、シェートはゆっくりと弓を降ろし、構えを解く。

 だが、フィーは周囲の気配をそうざらえして、顔をしかめた。先ほどの戦場からはるかに離れた位置に、こちらを覗く目がある。

 竜眼をしぼって、そいつらの位置を確認。手にした双眼鏡・・・と、ビデオカメラ・・・・・・のレンズが見て取れた。


「敵は存在しないって、まだこっちを見てる奴がいるぜ? しかも魔王の奴、地球の技術を使ってること、隠しもしなくなってる」

『私の加護の範囲で、ということだ。さすがに現地の竜の感覚には遠く及ばぬよ』

『それは無視していい連中です。魔王軍の観戦武官、というところでしょう』

「かんせん、なんとかってのはわかんねーけど、要するにスパイってことだろ」


 舞い上がろうとしたフィーに向けて、赤い竜の参謀は冷たく断言した。


『お前ひとりで突出すれば、確実に罠にはまって死ぬ。無駄なことはやめなさい』

『シェートの弓が届くのは自分が見えている範囲だけ、フィーの聲も、射程距離はどっこいだ。推定距離五キロ越えの偵察隊に、どーやって手出しすんだよ』


 もっともな指摘に、返す言葉もなかった。

 自分の聲は、基本的に遠くへ飛ばすことができない。成長したドラゴンなら、巨大な全身を増幅器アンプとして使えるが、仔竜の体ではそうもいかない。

 だからこそ、シェートの弓で足りない飛距離を補ったのが、"天狼の蒼炎"なのだが。

 とはいえ、みすみす索敵行為を許して返すのも腹立たしい。


「なんかないのか、こういう時に、遠くまで飛ばす方法――」


 過去の記憶を大急ぎでたどる。こちらに来る前、見てきた様々なものの中に、距離を超えて相手を射貫くアイデアが、何か。


「――シェート、小銭出してくれ!」

「え? えっと、金? なんで金?」

「いいから早く!」


 戸惑ったまま差し出された革袋を受け取ると、中から一枚の銅貨を取り出す。自分たちの冒険には無用の長物になったが、まだ使い道はあるかもしれない。

 歯を食いしばり、喉の奥で雷の聲を謳う。

 再び鱗と髪の毛が逆立ち、銅貨を持った右手に電気が収束する。

 親指の上にコインを載せ、弾いた瞬間に集めた力を――。


 ぱぁんっ!


「うがああああああっ!?」

「フィーッ!?」


 閃光が破裂して、手先が激痛の塊になる。顔や胸にも痛みが走って、視界が完全に白濁した。


『何をやってるのですか、全く! メーレ!?』

『親指を中心に右腕部、二度の熱傷。右母子爪剥離。上半身に数か所、飛散金属塊による裂傷。眼球へのダメージ、なし。総合被害評価ダメージレポート、損傷軽微』


 背中から抱きかかえられ、そのまま地面に寝かされる。鞍袋から取り出された薬草が傷に宛がわれて、その辺りが少し沁みた。


「なにやった、フィー。なんで銅貨、はじけた?」

「あー、むかーし見た、とある・・・お話でさ、あんな感じで飛ばしてたんだよ、硬貨を。やっぱ五百円玉とかじゃないと、ダメか」

『ギャハハハ! やっぱりそれか、ほんっとアホだなぁフィー! マジおもしれ―!』


 容赦ない爆笑に晒されながら、布でぐるぐる巻きにされていく右手をぼんやり眺めた。

 指が吹き飛ばずに残ったのは、自分に掛けられた守りの加護があったからだろう。なんでもできると思っていた聲の力だが、時々こうやって予想外のことが起こる。


『言っておくが、お前がやったのはただの自爆です。百万遍繰り返そうが、さっきのやり方では、失敗しかありません』

『"竜の聲ドラゴンブレス"はフィクションじゃねーんだ。なんでもできると勘違いすんじゃねーぞ』

「材質の問題とかじゃないのか」

『弾体を、七グラム程度のニッケル合金へ変えたところで、結果は同じです』


 もう一度彼方に目をやれば、さっきの連中はすでに撤退したあとだった。自分の無様を見られたかはともかく、自分たちの戦いを記録されたのは問題だ。

 そんな意図を察したのか、ソールは少しだけ、声を和らげた。


『あの程度の戦法、見られたからといって、支障はありません。たった二人で一万の軍勢を消滅させる敵、私が魔王なら、その情報だけで次の手は熟慮します』

『相手は"闘神"や"英傑神"だけじゃねーんだ。オレらを舐めてんじゃねーぞ、ってな』

『感想戦はそこまでにしないかい? 日も暮れるし、野営の準備に入ったほうがいい』


 それまで黙っていた白竜ヴィトの言葉に、それぞれが思い思いの反応を示す。

 シェートは場をグートに任せ、野営のための資材を探しに、天の神々は周囲の警戒を申し出て、自分は引き続き、その場で休むことになった。


『まあ、着眼点は悪くなかったぜ。仔竜の体で遠距離攻撃するなら、そういう「搦め手」が必要になってくるだろうな』

『ドラゴンは本来、肉体の成長によって能力を増幅するもの。仔竜の身であれば、知識と経験と工夫で限界を超えるほかありません』


 この前のカードゲーム以来、赤と黒の小竜はなにかと助言をくれる。竜神のような分かりにくさはなく、要点を的確に伝えてきた。

 答えそのものを与えないところは、おっさんそっくりだったが。


「俺だって、毎度指や顔を吹き飛ばすのはごめんだよ。次は実験の前に申請するから、そっちで内容チェックしてもらえるか?」

『いいぜ。次はもっと笑える失敗、してくれんだろ?』

『少なくとも、アニメや漫画から安易にアイデアを引っ張るのは、やめておくように』


 手厳しい監修者に苦笑いすると、帰ってきたシェートを出迎える。

 この辺りなら、燃やすものに困ることはない。その辺りの泥炭を掘り、適当に重ね置くと、聲で火をともす。

 いつの間にか、呼んでおいた雷雲・・・・・・・・は吹き散れ、星空が顔を出していた。



「観測班、撤収完了しました。収録映像並びに計測結果は、中継地点より魔王城へ送信する予定です」


 黒いボディースーツと防刃ジャケット、目を覆うゴーグルと合金製のヘルメットに身を包んだゴブリンが、報告を終え直立不動の姿勢を取った。

 この世界のいかなる場所でも、見かけることがなかった風体だ。

 そして、魔王軍の『正式装備』となるはずのものでもある。

 

『ご苦労。生存者は』

「四肢欠損、重度熱傷の者多数のため、事情聴取終了後、全員廃棄処分にしました」

『……わかった。貴様らも撤収しろ』


 敬礼を一つして、黒服は待機している部隊へと戻っていった。

 やがて、周囲に自分たち以外の気配がないと確信すると、顔を覆う無貌の白仮面を取り外した。

 一匹のホブゴブリンは、黒焦げた大地に刻まれた、虐殺・・の痕跡に目をやる。

 彼は観測班として、全てを見ていた。

 コボルトの向上した戦闘能力も、それを囮にした仔竜の聲が引き起こした暴威も。

 その嵐の如き力に飲み込まれて、砕け散っていった兵士たちの姿も。


「勇者とは恐るべき戦士にして、神威の代行者である」


 苦々しい思いを引き受けるように、隣に進み出た長身痩躯の男がつぶやく。

 それは青い肌を持つ、鱗目も鮮やかな蜥蜴人リザードマンの勇士だ。

 だが、その体のあちこちに、浅くはない傷が無数に走り、左目が完全につぶれていた。


「あれはもはや、コボルトではないな」

「そうだ。一匹の怪物、"平和の女神"サリア―シェの使徒だ」


 無事な方の目に冴え冴えとした光を宿し、リザードマンは告げる。


「魔王様に伝えてくれ。貴方の鈍ら・・は、あれを折るために命を賭すと」

「伝えよう」

「――コモス・・・


 去り際、元同僚は捨てたはずの名で、こちらを呼んだ。


「お前は、それでいいのか」


 分かり切っているはずの答えを、口に溜める。

 だが、告げるべき言葉は、何かに引っかかった。

 

『俺だって、大将の部下だったんだ。仇を討てるってんなら、それでいい』


 吐息を押し出し、未練も感傷も共に吐き捨てて、白仮面は答えた。


『魔王様の命令だ。従わぬ理由がない』


 身の丈を超える長剣を背負い直すと、クナ・ナクラという名の男は去っていく。

 戦場と男に背を向け、名もなき『影以』は、風と共に姿を消した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新…!泣 [一言] とてもうれしいです。 続きが気になりますが、 全部読み直してきます。
[良い点] そういえばゴブリンの軍勢にしては妙に知的な会話をすると思っていたが…… 魔王の教育が徹底していたんだっけ。 その一点だけでも恐ろしいな。今代の魔王はしかもそれを使い捨てとは
[良い点] 更新!! ずっと待ってました!!!ありがとうございます!!!!!! 今からじっくり読ませてもらいます!!!!!
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