Transition
最後を入力し終えると、赤竜ソールは腕を組み、モニターを眺めた。
いすに背中を預け、こりをほぐすように、軽く翼を広げる。これに取り組んでから、実感で百時間は経っている。
何か見落としはないか、長い尻尾をゆるゆると動かし、これまでの作業を思い返す。
そして、尻尾の先端でキーを叩き、画面をスクロールさせた。
組み上げたプログラムが、高速で流れ始める。
感情の冷めた竜眼が、膨大な量の記号の軌跡を、片っ端からむさぼった。
「またやってんのかよ。コンパイルなんて、そのまま機械にやらせりゃいいのに」
黒く、厚みのある肉の塊が、視界の端を占有する。
手にした鳥の腿肉を、むしゃりと食いちぎり、同僚のグラウムが皮肉を漏らした。
「実装する前のエミュレーションも込みでやっているんだ。自分の頭でできるのに、いちいちサーバに入れて対照実験までやるのは、無駄に過ぎる」
「そんなら、最初から全部、頭の中でやりゃいいじゃん。それをみんなで"回し読み"すりゃいいんだし」
「お前の様な食い気一辺倒なヤツに、内心の自由まで食い荒らされるのはごめんだ」
「俺だって、お前みたいな石頭、頼まれたって食いたかねーよ」
軽口を叩く間に、プログラムの読み込みが終了する。
参照するべき値はすでに入力済みだ。後は、それに変数を加えて、どういう挙動をするかを確認するだけでいい。
「それで、何か用か。お前には情報収集の仕事を与えていたはずだが」
「んなもん、とっくに終わったよ。つーか、こんな事、いまさら意味があんのか?」
太鼓腹を揺らしながら、肉饅頭のようなドラゴンは、竜洞の外に繋がる扉を示した。
「"黄金の蔵守"の大番狂わせに、"愛乱の君"のデュエル大会のせいで、名のある神々は一柱残らず石化しちまった。探る相手もいねーのに、何を調べりゃいいんだよ」
「だからこそだ。この機を逃さず跳梁せんとするものもあるかもしれん」
「あるわけねーだろ。そんな気合入ったヤツなら、こんな事態になってまで、くすぶってねーっての」
もちろん、言われるまでもないことだ。
今回の"神々の遊戯"は、すでに例外を越えた例外の渦中にある。
普段なら、序盤の立ち上がりは緩やかに、小さな神々の潰しあいが起こり、実力派の神の勇者が魔王を攻略するのを皮切りに、脱落者が目立ち始めるものだ。
「今の"合議の間"なんて、ひでーもんだぜ? いつもなら水鏡で勇者の活躍を観たり、誰が勝つかで賭け屋が立つころなのに、誰もいやしねえ」
「観戦者となるはずの異形神や獣神が、"愛乱の君"の舞台に上がってしまったからな」
「マジでおもしれーよな。こんなの、誰も想像しなかったぜ」
「――どうだろうな」
いすを降りると、そのまま出口へと向かう。興が乗ったのか、黒い同僚も新たな軽食を手にしながら、後についてきた。
薄暗い洞窟に光が差し、目の前に、天の神々に開かれた庭が現れる。
そこは穏やかではあったが、薄ら寒い気配に満ちていた。
緑に葺かれた芝の上にも、滾々と湧き出る泉のほとりにも、さやさやと鳴る林の木陰にも、あるいは白い石でできた東屋にも。
誰一人としていない。
神々の姿が、消え去っていた。
まるで皆、忘れ去られてしまったかのように。
「神々の黄昏、と言うには、少しばかり静寂が過ぎるか」
「せっかくだから、ここら辺丸ごと焼いちゃえよ。火の属だろ、お前」
「ああ。それもいいかもな」
生返事をしつつ、静かな庭を歩き続ける。
脳内のエミュレーションが進行し、必要な動作確認が完了していく。
なるべく、早めに上げる必要がある。
自分の主の命令は絶対であり、その計画進行に必要なタスクは――。
「おお、久しいな赤いの! 洞の中でとぐろを巻くのに飽きたか!」
目の前を、山のような影がふさぐ。
赤銅の肌に、頭の脇から生えた双つの大角。そして、ドラゴンを思わせる太くたくましい尻尾。
筋骨の塊のような、武辺の気配を漂わせる男。
「お久しぶりです"闘神"、ルシャーバ殿」
「聞いたぞ! 貴様の親分が、とうとう遊戯に手を出して敗退したとな!」
「――計画的な撤退です。腕力一辺倒の御仁には、機略など思いもよらないことと存じ上げますが」
「ふはははは! そう拗るな! この俺とて、口惜しい思いをしておるのだ!」
相変わらず声がでかい。
角にびりびりと響き、うっとうしい事この上ない。
こいつがここにいたと知っていたら、本当に『終末を導く炎剣』でも叩き込んでやったのに。
「毎度毎度、のらりくらりと俺との対決を避けおって。あんな小ざかしい札遊びでさえなければ、俺も乗り込んでいって一当てしてやったものを」
「主様いわく『アンタとの"ど突き合い"はカロリーの無駄』だってさ。俺も同感、暴力なんてくだらねーよ」
「出たな潰れ肉饅頭。たらふく食わせてやるから、俺と殺し合え」
「だからやんねーって言ってんだろ! アンタの権能は面倒なんだよ!」
ルシャーバは、最強の"闘神"である。
それが、今の天界の共通認識だ。
普通、天界の神々は、地方の小神のように『権能』を二つ名に選ばない。
我、知恵の神なり、と名乗れば、その上位互換が掃いて捨てるほど出てくるからだ。
だが、こいつは平然と『我、闘いの神なり』と名乗り、それを認めさせた。
『儂、アレとは絶対直接戦わないから。武力だけだと向こうが勝つし』
竜神も冗談交じりに、そう宣言していたし、ソール自身もその事実を理解している。
だからこそ。
「そちらの勇者はいかがですか、どうやら順調に生き残っておられるようですが」
有利を得る機を、逃すつもりもなかった。
「腹芸抜きの切り口上とは痛み入る。その通り、ヘデギアスを支配していた吸血の王は、うちの勇者、辻隆健が討ち取った」
「相変わらず、勇者一人での攻略ですか。仲間も連れずに?」
「ああとも。そもそもそういう勇者しか選ばんのは、貴様もよく知っているだろう」
このあたりの事情は、遊戯に参加している神なら周知の事実だ。
ただ一人の豪傑による魔王の単騎討伐、それがルシャーバの戦略。
もちろん、勇者の武に惹かれて供回りを申し出る者も出てくるから、明確に単騎とは言いがたいが。
最終的には魔王の城に一人で乗り込み、その首級を上げるのが常だった。
「今回の魔王は天空の城で待っております。その辺りの対策は?」
「そりゃあほれ、ちゃんとレベルアップのポイントをためさせているからなぁ。それを浮遊や飛行の加護に突っ込めばいいだけだ」
つまり、それさえ満たしてしまえば、いつでもあの城に乗り込んでいくだけの、実力があるということになる。
魔王の城を守る障壁や、防御手段を突破する手管も勘定に入れてだ。
「やはりいつも通り、剣士ですか。それとも格闘の使い手でも?」
「貴様は竜族のせいか、その辺りの認識が甘いな。俺が召抱える勇者に、武技の得手不得手はない。確かに得物を限定した者もいたが、基本は無手も武器も使うものばかりだ」
「なるほど。そうなればいよいよ、魔術魔法の心配はなさそうですね」
そう言った瞬間、異形の神は目線をわずかに揺らした。
姿かたちは変じているが、この男は元々『人間』由来の神格だ。だからこそ、所作に生前の反射作用が伴ってしまう。
おそらく、隠し玉があるはずだ。
勇者の進言に従って、魔法ではないものの、それに近い能力を取らせているだろう。
後は、現地の者に調べさせればいい。
うかつな駆け引きで憶測を深めるなど、愚の骨頂だ。
「もういいでしょう。今回は我々も遊戯に参加する者。あなたもこれ以上の利敵行為をするつもりはないでしょうから」
「それはそうだ。ついでに、この情報の対価として、そちらの話も聞かせてくれんか」
「すでに、かのコボルトは四度、己の決闘を公開しております。それ以上に雄弁な情報はありますまい」
「そうではない。もっと単純な話よ」
心底楽しそうに、目を細めた"闘神"は、問いかけた。
「かのコボルトは――何処だ」
威圧はない、恫喝もない、身じろぎすらない。
手を差し出し、それをくれと、願うだけの所作だ。
だが、その働きの内に、強烈な威があった。
言わなければ、もぎとっていくだけだ、と。
神格を得たドラゴンに向かって、なんの衒いもなく、男は言外に、言ってのけた。
「――ヘデギアスに。今は、土地の水に体を慣らしている最中です」
「あい分かった。"平和の女神"に伝えてくれ。目通り適うときを、楽しみにしていると」
山が去り、その影が光さす庭から消える。
ややあって、ソールはどっと、息を吐いた。
「おー、おっかねぇ。危うく戦争になるとこだったぞ。闘神とこの英雄って、そろいもそろって"竜殺し"だから、事を構えるとめんどくせーし」
「まったくな。どうやらシェートも、いよいよ進退窮まったようだぞ」
「――シェート、ね」
手にしたチーズケーキをホールごともりもり食いながら、黒い竜はにたにたと笑う。
「フィーはともかく、お前が下々を名前呼びとか」
「今後、直接交流することも増えるだろうからな。主様が認めた以上、扱いを変えるのは当然だ」
「はっは、めんどくせーなー。別にいいじゃん、身分なんてよ。どうせ、食っちまえばみんな同じなんだし」
「お前はそれでいいかもしれんが……っと、そろそろ行くか」
データの対照が完了し、すでにコンパイルの済んだプログラムをかみ締める。
あとは、これを転送するだけだ。
「俺はフィーのバックアップに戻る。そっちは引き続き、例の調査と監視を頼む」
「りょーかい。てきとーにやってメシ食ってっから、なんかあったら言うわ」
黒い姿が掻き消え、残されたソールは虚空からスマートフォンを取り出した。
「……ああ、フィアクゥルか。今、問題はないな? そうか。ではこれから、そちらに新しいアプリを送る。数分ほど通話のままにしておいてくれ」
言い終えると、ソールは"聲"を放つ。
脳内に構築された新しいアプリケーションが、音声の形として送信されていく。
"神去"の文明を模倣するなど、ドラゴンにとっては児戯に等しい。それを応用して、仔竜の補正プログラムをアップデートすることも同様だ。
「それは、お前の能力を制御するためのもの。寝る前に起動しておきなさい。何かあればこちらに連絡を。それでは」
簡単に指示を済ませ、連絡を切る。
おそらく明日には、『効果』が発揮されるだろう。
想定される事案を脳裏に描きながら、赤い小竜は竜洞へと帰っていく。
こちらをずっと見つめていた一人の青年、"英傑神"の視線を、あえて無視したまま。
お久しぶりです。いきなりの短編挿入ですが、実はこの続き、ここで読むことはできません。この世界のどこかに、続きに当たる物語が投稿されています。明日という日にちなんだ、ちょっとした仕掛けです。暇でしたら探してみてください。あるいは私のツイッターアドレス(@plumpdog)にてご確認ください。それでは。
4/2追記。エイプリルフールの企画でした。この話の後に当たるのは、
超楽勝、チートな勇者が異世界攻略?(ALL LIE) - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054889075095
です。
内容と続かないですか? それは今日の六時までお待ちください。そこで挿入される新たな物語で、ワンセットです。




