38、悪意ある占有
物音に、一瞬で意識が覚醒する。
眠っていても、物音で目を覚ますようになったのは、熟練の狩人の仕込みのおかげだ。
ましてや、どれほど静かに動こうとも、ドラゴンの感覚はごまかせない。
「……起こしたか」
「当たり前だろ」
肺一杯に息を吸い、押し出した空気と一緒にけだるさを払うと、フィアクゥルは体を起こした。
「カードはできた。使い方は――」
「問題ありません。女神にはあの後すぐに伝えましたので」
本当にソールは仕事が速い。
これなら、竜神が抜けた穴など、気にすることもないだろう。
「ああ……そうか」
おっさんは、ここにはいない。
いずことも知れない場所で、遊戯が終わるまで封印されている。いくら作戦のためとはいえ、自分が手にかけたような、そんな気分だった。
「フィー」
「大丈夫だよ。俺のことより……」
「こっち見ろ」
シェートは握りこぶしを作って、こちらに向けていた。
それは、あの鳥の勇者がやっていた、出発前の挨拶。
「分かるか、これ?」
「……どこで覚えたんだよ、そんなもん」
「レイヤ、やってた。ちょっと、面白い」
負けた相手とやった挨拶なんて。
そんなことを思いながら、それでも軽く体を浮かせて、拳を打ち合わせた。
感じる衝撃に、笑みがこぼれる。
軽い気恥ずかしさと、あいつと同じことができたという、子供っぽい満足感が湧いた。
「行ってくる」
「気をつけてな」
言葉は要らない。後は、勝つだけだ。
振り返らずに去っていく背中を見送り、フィアクゥルはただ静かに思い描いた。
シェートが勝利を掴んで、帰ってくるビジョンを。
ゆっくりと歩いていく、暗い通路の向こうに、差し込む光が見えた。
陽光と共に洩れてくるのは、聞きなれた大観衆の歓声と、独特の節回しをつけた黒竜のがなる声だ。
『wizdom;the glorious、ディメンショナルカップ"エファレア杯"、決勝戦――』
四肢にかすかな、しびれるような緊張がある。呼吸を整え、歩調を整え、大物を狩るときの心身に、己を整えていく。
『――長いようで短かったこの戦いも、泣いても笑ってもこれで最後!』
本当に、ここにたどり着くまで、いろんなことがあった。
これまでの戦いとは、まったく違う戦場。
その一つ一つを潜り抜け、自分は今、ここに立っている。
『さあ、おまえら、いよいよ選手の入場だ。盛大に出迎えてやってくれ!』
シェートが一歩踏み出した途端、大嵐のような音の波が、世界を揺るがせた。
おそらく初日以上に、人々が詰め掛けているだろう。
あらゆる年齢、性別、身分を越えて、ここで繰り広げられる戦いを一目見ようと、集まってきているのだ。
『最初に姿を現したのは、この大会の注目株にしてダークホース、いやダークドッグか? "平和の女神"サリアーシェと、そのガナリ、コボルトのシェート!』
声援と言うよりは、やや怒号に近い声がほとんどだ。
そのひとりひとりを見ることは難しいが、おおよそ自分が魔物であることに、未だに納得していない人間なのかもしれない。
あるいは、手にした賭けの半券を、この三日間の間にすり続けた連中か。
『そして、彼らに対するは、この大会の主催者たち。"愛乱の君"マクマトゥーナと、その勇者、三条日美香!』
すでに準備万端といった顔で、歓声を浴びながらやってくる二人。
勇者の少女は帽子のつばを背中側に回している。おそらくあれが、彼女の戦化粧の代わりなのだろう。
そのまま開始線へと歩み寄り、互いに顔を合わせる。
「できたの? 秘策の一枚とやらは」
「すでに。審判殿にも申請済みです」
「それは結構。ところで、その功労者は……あそこか」
自分達がこれまで試合を見てきた貴賓席。その窓際に張り付くようにして、青い仔竜がこちらに叫んでいる姿があった。
「試合中の関与を禁じたいと仰せでしたので、フィーはあそこで観戦してもらうことにしております。知恵袋は抜きでお相手いたしますので、どうかご安心を」
「それはご親切にどーも。別にあれ、ただの冗談だったのよ? 今からでも遅くないわ、こっちに呼んできなさいよ」
華やかな女神は、薄く笑って鷹揚に片手を上げた。
「そうでもなきゃ、貴方達がヒミちゃんに勝てる道理、ないものね」
「お忘れでしょうか、此度は大物食いの一番。"青天の霹靂"に打たれ、完膚無きままに翻弄されるお姿など、えんたーていめんと、とやらには程遠い一幕となりましょう」
「あーらら、煽り文句も一丁前だこと。そういえば、ゼーファレスを翻弄したのも、その立派に回る喧嘩口上だったわね」
女神達の鞘当てが終わり、わずかに沈黙が流れる。
目の前の少女は、そっと息を吐いてシェートに片手を差し出してきた。
無言でそれを握り返すと、彼女は告げた。
「いい試合を、しましょう」
「……ああ。お前も」
そして互いにゆっくりと後ずさり、静かにデッキの上に手を置く。
黒い姿の審判が進み出、その手にした異国の硬貨を構える。
「"愛乱の君"の勇者――いいえ、決闘者、三条日美香!」
「"平和の女神"の――決闘者、シェート」
少女が目を見開き、その顔に静かな喜びを咲かせた。
だが、それも一瞬のこと。
燃える闘志が、瞳に鋭い輝きを宿らせる。
「コールは、シェート様で。それでは"エファレア杯"最終試合――」
鮮やかな手指の動きが、虚空へコインを打ち放つ。
「――始め!」
その軌跡を追いながら、シェートは願った。
どうか後攻が取れるようにと。
「表!」
澄んだ音色と共に、天を向いたのは異界の花びらの模様。
『宣言むなしく、先手番を取ったのは三条選手! いきなり必殺の即死コンボの準備が整ってしまったがー!?』
『すでに観客にはお気づきの方もおられるでしょう。これは、最初の山場です。ここからは瞬きする余裕もありませんよ』
最初の運はあった。
と言うより、この場にある運と呼べるものは、全てがこちらの敵だ。己の実力を極限まで振り絞り、幸運の女神の授ける"悪運"を、すり抜けなくてはならない。
「私のターンです!」
日美香の指が必殺の武器を抜き放ち、地面へと放る。
「《錬金術の金屑》を詠唱します! 対応は!?」
「俺、何もない。ヒミカ、お前、昨日と同じ、しろ」
『シェート選手、ここで必殺コンボを出せと挑発! さすがにこの決勝まで勝ち上がった決闘者、勝負どころがきっちり分かってやがるぜ!』
『彼のアルコン能力は、設置型の能力にアドバンテージを取れます。【民衆は浴す糧と享楽】にレスポンスして、《剽窃の秘本》を破壊する構えですね』
その全てを分かっていながら、日美香は淡々と、四枚のカードをその場に出した。
「サリア……あれ」
「一筋縄でいくとは思わなかったが……やはり、もう一手あったか」
おそらく、あれを破られても第二の罠が待ち受けているだろう。だからこそ、挑発に乗ってくる構えを取った。
それでもこちらには、相手の行動に対応する以外、方法はない。
「アルコン能力、起動。【終幕無き神が饗宴】!」
宣言に従って、場に出たカードがデッキに戻る。
そして、昨日のフィーが喰らったのと同じカードが、顔を出していく。
「一枚目、《秘儀の失伝》。指定は《友なる星狼 グート》」
思わず自分の手札に目を落とす。そこには、緊張を知らない白い狼の顔が、こちらをいさめるように睨んでいた。
「二枚目、《落丁》」
そのカードはすぐに脅威にはならない。最悪、他のカードと一緒に壊せばいい。
「三枚目、《知恵の毒》、対象はシェート君に」
その宣言に、悪寒が背中を駆け上がった。
何かがおかしい。昨日のでは確か、あのカードはもう少し早めに出していたはず。
その疑念を裏付けるように、少女は最後の一枚を、ゆっくりと繰り出した。
「四枚目、私は――《The Eon tales/終わりなき物語》を場に出します!」
全身を不快な感覚がなぶる。昨日と同じく本のカード、だがその表紙は赤く、絡み合う金色の蛇が二匹、輪となって飾っていた。
だが、何も起こらない。
相手の場からは、たった一冊の本を残して、すべてのカードが消えていた。
「一体……なにが?」
「三条日美香様のカードの効果を処理。これよりサブゲームを開始します」
耳慣れない言葉に、シェートは手元を見た。
手札の内容が変わっている。さっきまでいたグートの姿が、どこにもない。
『……こいつは驚いた! いくらこのエファレア杯がなんでもありとはいえ、いざ決勝戦って場面で、そんなカードを使うとはな!』
いつの間にか七枚の手札を手にした日美香は、虚空に浮かぶ本を手に、語りだした。
「《The Eon tales/終わりなき物語》は、場に出たとき、そのゲームとは別の、『もう一つのゲーム』を開始するものです。ライフは十点でスタート。このゲームに敗北したものは、本来のゲームの場のカード、手札をすべて、ゲームから取り除いてもらいます」
「え……? な、なに?」
言われている事が、良く分からない。
さっきまでやっていたゲームがいきなりなくなり、別のゲームを強制される。その上、元のゲームにも影響があるという。
『ウィズ最初期、いくつかの出版社とタイアップ企画を行っていた時に作られた、特殊なプロモーションカード"Tales"の一枚ですね。そのルールの煩雑さから、一度の再録もなく、同系のカードも創られていません。文字通り、唯一無二のカードです』
戸惑うシェートの肩を、女神が叩く。その顔は緊張していたが、それでも冷静に状況を把握してくれた。
「難しく考える必要はない。ただ目の前の敵に勝てばいいのだ。負ければ、さっきの手札に残っていたグートが、ゲームから取り除かれる」
「……わかった」
「では、再び先行を決めさせていただきます。コールはやはりシェート様で」
さっき行った先行決めを、また行わなければならない。
この場合はどちらを取ればいい。再び後攻か、それとも一気に先行を狙うか。
「どちらでも問題ない。この場合は、一手ごとに相手の力を把握する必要がある」
「ああ。相手の見分け、任せた!」
そしてコインが再び宙を舞う。
吼えるように、シェートは宣言した。
「裏だ!」
今度は、運命がはっきりと裏切りを見せた。
先手番は、三条日美香だ。
こちらの動きに合わせるように、コボルトが構えを取る。ここから先は、きわめて高度な読み合いになるだろう。
日美香は己の手札をチェックすると、なすべきことを思い描く。
「私は《白》をセット。次に、《錬金術の金屑》をセット」
「……それ《北風の狼》、捨てて壊す」
ガラスの割れるような音を立て、カードが砕け散る。
「《芳しき聖餅》をセット」
「《群れ成す狼》で、壊す」
まるで同じ動作を繰り返すように、シェートが淡々とカードを切る。
「《妖精境の辰砂》を」
「《盲目的な大鹿》で壊す」
「《常闇の結晶》を」
「《渡り隼》だ」
立て続けに砕かれるコンストラクトが、塵になって消えていく。こちらの動きを完全に読みきり、何かに変換される前に、砕くつもりなのだ。
それでも、シェートの顔は緊張したままこちらを睨む。
『シェート選手、あえてカウンターではなく破壊を選んで三条選手のカードを除外! ソールさん、こいつはどう見る?』
『最初の一手で、手札に何があるかを確かめるつもりだったのでしょう。破壊にレスポンスしてマナを出すようであれば、マナが必要なカードがあると判断できますから』
『とはいえ、三条選手もそこは読んでいるはずだ。あえてマナを出さないのは、判断を狂わせるブラフか、それともゆるぎない勝利への確信があるからか!』
そんな確信、あるはずもない。
勝負は何が起こるかわからないからこそ、試行錯誤の余地があるのだから。
「それにしても、小面憎いほどのカードの切り方ね。あれが、ルールの把握もおぼつかなかった子とは、思えないほどだわ」
「……そうだね」
だが、それは彼だけの功績ではないだろう。
後ろの女神が、適切にカード運用のための知識を授けている。でなければ、始めてから一月にも満たない初心者が、ここまでの読みあいをできるはずはなかった。
しかし、カードパワーの差というものは、小手先の読み合いを消し飛ばす威力を持つ。
「アルコン能力、【終幕無き神が饗宴】、起動」
『なんとなんと! 今回二度目のアルコン能力起動! 一応反則じゃないぜ! 何しろこれは別のゲーム、サブゲームは一つ目のゲームに換算されないからな!』
あかがね色の本がデッキに納まり、再びシャッフルされる。
思い描くのは、この場にあるべき切り札の一つ。
「絡み合う双蛇の門より、断章は零れ落ちぬ。果てなき物語よ、今こそ語れ――《Guardian of the Day/真昼の守護者》!」
あやまたず、それは来た。
決闘者の立つ地面が、複雑な色糸で織られたような色砂によって敷き詰められていく。
それはじわじわと文様を描き、油膜のように日差しを照り返し、七色に輝いた。
大地の変化と同じくして、巨大な石造りの神殿がそそり立ち、奥の暗がりから光がゆっくりと、歩み出た。
それは炎のたてがみを持つ、燃え立つような一頭の獅子だった。
《Guardian of the Day/真昼の守護者》 クリーチャー 英雄 猫 Tales
白赤3
5/5
先攻 保護
Guardian of the Dayが場にあるとき、対戦相手はクリーチャーを一体しか防御に参加させられない。このカードが場にある間、全てのクリーチャーは飛行を失う。
あなたのターン終了時に、対戦相手は場のカードを一つ生贄に捧げる。
Guardian of Dayとの戦闘によってクリーチャーが破壊されたとき、墓地に落ちる代わりにゲームから取り除く。
あなたのターン終了時に、このカードを変身させる。
『これを呼ぶのは確定事項とでも言いたげな召喚口上! そして現れたのは再びのTalesカードだ!』
『Talesセットの中でも、実際のトーナメントでの使用実績があるカードですね。あの獅子の制圧能力は、それだけの性能を秘めているということです』
「私はこれで、ターンを終了します。そして、ターン終了時に、《Guardian of the Day/真昼の守護者》の効果を解決」
終了の宣言と共に、炎の獅子が幻のように掻き消える。
その変化を待っていたかのように、周囲の光が変化を始めた。
太陽が姿を消して闇が訪れ、一面の砂が、命あるものように動いてゆく。
「昼守るもの眠りしとき、揺籃たる宵闇は来たれり。繁茂せよ《Cradle of the night/夜に育む者》」
それは無数の色に輝く、幾本もの大樹だった。
音もなく空へと伸びゆき、シェートと自分を別つように、輝く密林が姿を現した。
《Cradle of the night/夜に育む者》
(このカードは変身のみによって使用できる)
リチュアル(場) 神話 Tales
このカードは呪文と効果の対象にならない。
Cradle of the nightが場に出たとき、あなたが出すことができるマナの色の種類と同数のfeeding treeトークンを場に出す。このトークンは0/1であり、迎撃と"生贄に捧げる:ライフを1点回復する"の能力を持つ。
あなたのターン開始時にfeeding treeトークンを全てゲームから取り除き、このカードを変身させる。
「このカードは二つで一つ。自分のターンには絶対の攻撃を、相手のターンには癒しと守りの力を与えてくれます」
「しかも、さっきのライオンちゃんの攻撃力は五。何もしなければ、二回殴って貴方達の敗北ってこと」
マクマトゥーナの注釈で、ようやく彼らは事態を理解したようだった。
自分達の手札と、こちらの場を眺め、緊張と焦りをにじませる。
「つまり、日美香殿。貴方のデッキの勝ち筋とは」
「メインのゲームとサブゲームを使い分け、貴方達の抵抗力を、すべてそぎ落とします」
『なんつーえげつない発言! 昨日のインチキコンボに勝るとも劣らない、めんどくさいことこの上ないデッキだ!』
『それだけではありません。あの動きは、女神の幸運によってシェートの手札に来ているであろうキーカードを消し去る算段です』
『とはいえ、ちょーっと時期尚早だったかもな。あれじゃせいぜい相手の手札を消すのが関の山だぜ』
その通りだ。
本来なら《The Eon tales/終わりなき物語》はゲーム中盤、両者のカードが程よく出尽くしたところで使うべきものだ。
博打要素はあるものの、相手の手札と場のカードを、すべて消し去ることができる。
だが、それでは遅すぎる。
なぜならシェートは、例の切り札を『罠』として設定しているはずだからだ。
罠カードはその性質上、場に残らないカードだ。特殊な呪文を除き、普通の方法での干渉はできない。
だからこそ、手札かデッキにあるうちに、使わせないまま消す。
「処理終了です。シェート君、そちらの番です」
手番を回しながら、日美香はひそかに自嘲していた。
結局自分も、勝つために死力を尽くすものでしかなく、本当の意味での競り勝ちなどは望んでいないのかもしれない。
それでも、今は何も考えずに、戦うだけだ。
対戦相手のコボルトは、ひるむことなく、自分のターンを開始した。
「俺の、ターンだ!」