34、残酷な根本原理
現れた手札を確かめ、フィーはそろそろと息を吐いた。
七枚のカード、この運用を間違えれば、おそらく勝機はない。
「おっさん、さすがにこれは、あんたの助言がいる」
「……よかろう。では、まず手札を吟味するところからはじめよう。どんな戦略も、己の現行戦力を、正確に分析するところから始まるものだ」
思いもよらないほど、丁寧な指摘が返ってくる。
言葉の重さに潰されないように、あえて軽い言葉を吐いた。
「とは言っても、これってほぼさっきのと動きで良いんじゃね?」
「そうさな。考えろと言ったが、何事にも定跡というものは存在する。そこを無視して動くというのは、奇策というより悪手だ。地固めをせぬまま勝ちを願うは、小心者か妄想狂の振る舞いと心得よ」
「それじゃ、できるところからやってくか」
まず、マナを確かめる。
《赤》に《時間鋼の欠片》、コンストラクトは《蜜酒の杯》に《錬金術の金屑》が一枚ずつだ。
「瞬間最大マナは合計で四点。最序盤で出せるとものとしちゃ、ほぼ最高値だな」
「何をするにしろ、リソースの把握と確保は最重要だ。戦場でも商売でも、ゲームにおいてもな。今回のウィズでリソースにあたるのは?」
「ライフ、マナ、手札、デッキ、てとこか?」
「三十点。ライフ、マナ、手札、恒常化した場のカード、デッキ、墓地、除外領域に置かれた死に札、そして行動可能ターンをあわせて一構成単位とし、自身と敵のものを含めた合計十五項目が、このゲームで管理すべき基本のリソースとなる。マッチではここに、互いのサイドボードを加わえて十七項目だ」
漫然と考えていた概念に、いきなり膨大な意味が与えられ、めまいのするような気分を味わう。
そんなこちらを、対戦相手は急かすでもなく、黙って見つめていた。
「墓地は良いとして、除外領域ってのは?」
「そこは『使えなくなった脅威』の置き場だからだ。同時に、その領域に手を伸ばすカードもあるからこそ、意識をそらすわけには行かぬ」
「了解。んじゃ次は、使用可能の手札のチェックな」
こちらはマナ以上に、シンプルなラインナップだ。
キーカードの《Septem Sigil》に《Magnum opus》、そしてマナの確保とデッキの圧縮に使用される《神霊の領域》。
すでに"タイムロック"の基盤は揃っていた。
「うまく引き過ぎて気味がわりいよ。こういうのって、絶対失敗フラグだぜ。番組前半でとどめ演出のBGMが流れる奴」
「だが、現実のカードゲームでは、そういう状況になったところで問題はない。『都合の押し付け合い』こそが、TCGというゲームの本質だからだ」
無数多数にあるカードを一つの山札に集め、それをデッキという単位に構成したとき、それは一つの個性を持つに至る。
それをデッキタイプといい、その性質と傾向により分類され、突出したものはキーカードの名前で呼ばれることが多い。
「魔王の使った『デミコン』、伶也殿の『エーヴィスビート』、あるいはそなたの『竜血タイムロック』や海藤殿の『ターボアルゼル』など、それぞれキーとなる能力とカードを組み合わせて調整されていたであろう?」
「これさえやれば勝てる、必勝の形。それを押し付けるわけか」
「ちなみに、シェートの場合はそういう思考から少しずれておる。あれは敵の都合をくじいて勝ちを拾うものだ。あやつの戦いそのものだな」
今回の手札は、初期としては望むべくもない形になった。
だが、相手もこのまま見過ごしてくれるわけもないだろう。
「そうだ、その葛藤こそが勝負の醍醐味よ。どれほど完璧な手札であろうとも、一人でババ抜きをするようにはいかぬ。敵は可能な限り、こちらを妨害してくるのだからな」
「そういうときは、どうすればいい?」
「伶也殿とシェートが三度目に戦った時の事を、覚えておるな。初めて罠カードを使ったときのアレだ」
あの時は、正直驚いた。
警戒するべき罠を、あえて踏み抜いていく動き。だが、結果的にそれはシェートの手札と罠を消費させ、あと一歩のところまで追い詰めていった。
「良いか。ゲームに限らず、勝負の趨勢を決めるのは、緻密なリソース管理だ。目先の損得にこだわっている間は素人の域。計算されつくした犠牲は、勝利を引き込むためのコストであるとわきまえよ」
「……分かってるよ。圭太の時、散々思い知ったからな」
「良い答えだ。ならばこの一手、そなたならどう打つ」
ここまで言われれば、馬鹿な自分でも分かる。
自分の理想形を通して、相手の動きを吐き出させることだ。
「予定通りだよ。《Septem Sigil》を出して《Magnum opus》を唱える」
「その順列に意味はあるか?」
「え……?」
「策には必ず意味を与えよ。真に相手を倒したいなら、牽制の拳にさえ、必殺の威力を込めねばならんのだ」
本当に、このおっさんはいつも厳しい。
こちらが気づくのを待って、それとなく示唆してくるかと思えば、必要となればこちらの脳を限界まで揺さぶってくる。
今この手札に、必殺の意味を持たせるためには、どうすれば良いのか。
「《Septem Sigil》は布石だ。コンボが決まれば最高だし、出しておけば一ターンごとに勝利が近づく。何もかも駄目でも、カードを引きなおすとき、こいつを引いてがっかりしなくてすむ」
「そうだ。この状況でそれは、切っておかなければならないリスクであり、最終的な勝利への鍵となる。そういう思考を忘れるな」
うなづき、更に確かめるように言葉を継ぐ。
「そして《Magnum opus》が、相手のマストカウンター。向こうは何もできないまま、俺たちは有利になる。どんな犠牲を払っても、これは通せないはずだ」
「同時にそのカードは、我らにとっての弱点でもある。それを妨害されれば、多大なリソースを失うのだからな。利得と損失は表裏一体よ」
複雑な力関係が、フィーの思考の中で絡み合っていく。
すでにウィズは単なるカード遊びのレベルを超えて、仔竜の心を刺激していた。
「……そうか。だからリソース管理、なのか。相手は俺の有利をつぶしに来る。同時にその邪魔で、相手のリソースは削れる」
「己の利点を把握したなら、今度は相手が『いかにしてこちらを邪魔するか』という視点に立つがよい。現状で、それが可能であるかをな」
日美香の自陣には、当然ながら一枚のカードもない。マナさえ出ていないから、呪文の行使も不可能のはずだ。
「あんだけ大口叩いてんだ。マナがないぐらい、どうってことないだろうな」
「神規が不可能を可能にするように、ウィズのカードにも、無数の『原則破壊』が存在する。戦に常道あり。しかして、その裏を掻く事をこそ、まことの奇策と呼ぶのだ」
「さすがにこの手札じゃ、奇策までは持ってけないな。相手の予測の範囲だぜ」
「ならばできる限り、リソースを残せ。肉を切らせて骨を絶つ、その言葉の通りに」
竜神は顔を上げ、言葉も途絶えた。
これから何が起ころうとも、それを確かめ続ける。そう心に決めた。
「待たせたな」
「はい」
勇者はうなづき、女神は無表情にこちらを見つめ返す。
「いくぜ、俺の……ターンだ!」
仔竜が舞い上がり、カードを展開する。
背後に座る黄金の竜は、感情の昂ぶりを消して静かにたたずんでいた。
長い相談だった。それでも背後の女神は何も言わず、審判の女神もとがめなかった。
観客たちのざわめきは、ほんの少しの雑音だったけれど、彼らの真剣さにやがては沈黙していった。
「……」
いつしか、日美香は祈っていた。
どうか、一ターンでも長く、彼との戦いが続くようにと。
こんな終わり方を、望んではいなかった。誰かを倒すためだけに作られたデッキで、ただ倒すために戦うなんて。
でも、駄目だ。
『かまわないわよ。玉砕したいと言うのなら』
この試合の直前、マクマトゥーナはそう言ってくれた。
『美しく咲き、華々しく散る。あたしたちは良く戦いました、何も悔いはありませんと、そういう決闘を願うなら』
それでは、駄目なのだ。
心行くまで力を競い、しのぎ、削りあいながら、最後には負けることを選ぶ。
デュエリストとしての誇りなど、美しい自己満足に過ぎない。
それでは、届かなくなってしまう。
何のために、異世界の神の手を取ったのか。
『もう、カードなんて止めなさい。あんなもの、女の子がするものじゃない』
あの残酷な、とても残酷な一言を、消し去るために。
私は、どうしても、勝ちたい。
「いくぜ、俺の……ターンだ!」
仔竜の青い手が、己のカードを信じて力を繰り出す。
「《時間鋼の欠片》、《蜜酒の杯》、《錬金術の金屑》をセット!」
「通しです!」
好きなだけマナカードは展開していい。自分の断つべきは、別のカードだ。
「《蜜酒の杯》から《Septem Sigil》!」
「通します!」
足の遅いカードなど、気にする必要はない。
彼は必ず、握り締めている。その一枚のカードにのみ、集中する。
「詠唱! 《Magnum opus》を――」
「【スタック】! そのカードに《機知の喪失》です!」
《機知の喪失》 ファストスペル
対象の呪文を一つ打ち消す。
デッキの上から三枚のカードをゲームから取り除くことで、この呪文をマナを使わずに唱えても良い。
空気が爆ぜ割れる音、砕ける呪文の衝撃が、陰々と響き渡った。
仔竜は、わずかに動じただけだった。知っていたのか、知らされていたのか、あるいは予感していたか。
『必殺のタイムロックを三条選手、マナのない状況から代替コストによる《機知の喪失》でカウンター! まさにアメイジング!』
『ですが、カードプール制限のない今大会において、これは当然の行為。自身のターンを追加することも、マナもなく相手の行動を制限することも、全てが許されているのです』
「……へっ、そうこなくっちゃな!」
仔竜は気を吐き、盤面をにらんで長考を始めた。
ここからの行動は、大きく分けて三つある。
一つ目、何もせずターンを終了する。
二つ目、【三つの秘蹟よ霊智を囁け】でカードを補充。
三つ目、【七つの技芸よ蒙を啓け】による仕切り直し。
何もしないのは論外だ。どんな状況であれ、カードゲームにおける手札とは武器、剣も盾も持たない状況で、敵と相対するのは敗北を選ぶのに等しい。
自分だけ手札を補充するという選択肢は、限りなく悪手に近い。たった三枚のドローでは、こちらの行動に対処できるカードが引ける確実性が落ちるからだ。
そして三つ目。最善手だが、それは他に比べてという意味に過ぎない。
なぜなら、あの能力はこちらの手札も回復させてしまうからだ。再度《Magnum opus》をカウンターされるリスクを負ってまで、派手な動きはできないはず。
もちろん、二つのアルコン能力を同時に使えば、選択肢は広がるだろう。その代わり、彼のデッキ速度は常識的なものに落ち着き、コンボ発動は遠のくことになる。
彼らはそんな博打はしない。
可能性を押し広げつつ、確実な反撃を考えるはずだ。
「俺は、【七つの技芸よ蒙を啓け】を発動!」
互いの手札が補充され、答えが姿を現す。
絶望的な気分で、日美香は己の手札に入った、三枚の《機知の喪失》を見た。
補充された七枚の手札をすべて使い、繰り出せる《Magnum opus》は、二回が限度。
たとえ彼の手札に《機知の喪失》があったとしても、一枚だけだ。こちらの妨害をすり抜けることは不可能。
つまり、彼にターン獲得の機会は、決して訪れない。
「俺は、《蜜酒の杯》二枚と《錬金術の金屑》をセット。ターンを、終了する」
ドラゴンの、動きが止まった。
大空を舞う翼が絡め取られ、その巨体が大地に縫いとめられる。
日美香は彼らのマナの量を確かめ、その意図を読み解こうと、あえてターンを進めずに沈黙した。
(カウンター、だね)
あのマナ量なら、こちらのカードを一枚無効にできる。おそらく《機知の喪失》も手に入れているはずだ。
つまり、彼らの意図はこうだ。
お前たちがしのぎ切ったように、俺たちもお前の攻撃を見切って、無力化してやると。
だが、それは悲しいぐらい、目論見どおりだった。
その堅実な思考に基づく対応こそ、知恵ある竜を殺す、毒餌にほかならないのだから。
「私の、ターンです」
新たに引いたカードは《蜜酒の杯》。
これで彼らの敗北は、確実となった。
「私は《芳しき聖餅》を出します。カウンター、しますか?」
《芳しき聖餅》 コンストラクト
芳しき聖餅を生贄に捧げる:あなたは白を得る。
仔竜は絶句した。
黄金竜はこちらの意図を悟り、瞑目した。
アナウンサーも解説も、一言も語らなかった。
ただ観客たちが、意味も分からないまま、マナを得るために捧げられるコンストラクトに、いぶかしげな声を上げた。
「もう一回だけ、聞きます。このカードを、カウンターしますか?」
凍りついた青い仔竜の後ろで、守護の竜が、何かを囁いた。
顔を歪ませ、今にも泣き出しそうになった彼は、それでも決意を口にした。
「通しだ」
「続いて《妖精郷の辰砂》を」
「通す」
「《常闇の結晶》を」
「それもだ」
「《錬金術の金屑》を」
「安心しろ、通しだよ」
《妖精郷の辰砂》 コンストラクト
妖精郷の砂を生贄に捧げる:あなたは緑を得る。
《常闇の結晶》 コンストラクト
常闇の結晶を生贄に捧げる:あなたは黒を得る。
ただ、四枚のマナを出すカードが並んだだけ。
こちらの手札にはカウンターが三枚と《蜜酒の杯》があるだけ。普通に考えれば、こちらのターンを終了する場面だ。
「なんて顔、してんだよ」
仔竜は淡く笑い、こちらを促すように片手をあげた。
「勝つために組んだんだろ。だったら、やればいい」
「でも……私、こんなの……」
「後悔するぐらいなら、勇者なんてやるな!」
叫びには怒りはなかった。
切々と、祈るような痛みがあった。
「悪いドラゴンをやっつけて、魔王を倒して、それで世界を平和にするんだろ! 迷うなよ……それが、勇者なんだから!」
日美香は、その時初めて理解した。
この世界において、自分はカードゲーマーなどではなく、勇者なのだと。
与えられた役割を、選び取った役柄を、果たさなくてはならないのだと。
「――"愛乱の君"マクマトゥーナ、第一のアルコン能力、起動っ!」
それは生まれて初めて、心から後悔した、勝利へのラストアタック。
「【終幕無き神が饗宴】ッ!」
宣言が光となり、場の全てを照らし出す。
こちらのコンストラクトと、仔竜の《Septem Sigil》がそれぞれのデッキに吸い込まれていく。
「【終幕無き神が饗宴】の効果は、互いに場に出したカードをデッキに戻して切りなおし、同じ枚数だけ、デッキトップから、コスト、条件を無視して場に出す能力です」
『うわぁっ……なんだ、これっ!?』
その効果は、まず仔竜に現れた。
いつの間にか、その姿は巨大なドラゴンとなり、驚いた顔でこちらを見つめている。
彼のフィールドに現れた《竜血覚醒》の効果だ。
「この効果は同時に処理され、またマグスやファストスペルは対象になりません。そして私の場のカードが、あなた達を倒します」
一番上から切り出されたカードを受け取り、場に投じる。
「一枚目、《秘儀の失伝》です。対象は《竜血覚醒》」
《秘儀の失伝》 リチュアル(場)
秘儀の失伝が場に出たとき、カード名を一つ指定する。そのカードは秘訣の失伝が場にある限り唱えられない。また、攻撃することも能力を発動することもできない。
束縛の力が、青い竜の動きを封じてしまう。
ただ、これは予防的な措置だ。本命はこの次から。
「二枚目、《剽窃の秘本》です」
《剽窃の秘本》 コンストラクト
あなたの対戦相手が追加のドローをするとき、代わりにあなたがカードをドローする。
『身内がやられてめっちゃムカツクが解説だ! 追加のドローってのは、各ターンのドロー以外、つまりカードの効果やアルコン能力でカードを引くすべてが含まれるぜ!』
『主様のアルコン能力は、完全に相手の利得にしかならなくなったわけです』
律儀な解説者たちに、少しだけ救われた気持ちになりながら、それでも完全な拘束のために言葉を続ける。
「三枚目、《落丁》です」
《落丁》 リチュアル(場)
各プレイヤーは管理フェイズに手札を一枚捨てる。
他のカードに比べ、はるかに地味な一枚。これは檻の錠前をかけるようなものだ。
そして最後の一枚を、日美香は宣言した。
「四枚目、《知恵の毒》です。対象はフィアクゥル君に」
《知恵の毒》 リチュアル(場)
プレイヤー一人を対象とする。そのプレイヤーがカードを唱えるか、手札から捨てた時、二点のダメージを与える。
すべてのカードが出現し、場の様相が一転していた。
無害だったはずのカードが、すべて有害な猛毒に変わり、対戦相手を拘束していた。
『何度目になる感想かわからねーけど、あえて言わせてもらうぜ。なんてインチキ!』
『しかも、このコンボのいやらしいところは、最低必要なキーカードが《剽窃の秘本》一枚だけという点です。デッキ構成の問題で、フィーのカウンター可能枚数は二枚から三枚まで。それでは《剽窃の秘本》は確実に出るでしょう』
解説の赤い竜は、こちらのアルコンをすべて知っている。
だから、この後に訪れる結末も、予想しているだろう。
ごめんなさい、その一言の代わりに、日美香は宣言した。
「"愛乱の君"マクマトゥーナ、第二のアルコン能力、【民衆は浴す糧と享楽】、起動します」
次の瞬間、青い竜の手にしていた四枚のカードが、むしりとられた。
青紫の雷がほとばしり、《知恵の毒》が、その体を強烈に焼いていく。
『うがあああああああっ!』
そして日美香の手に、十四枚ものカードが現れていた。
「【民衆は浴す糧と享楽】は、自分と相手プレイヤーの手札を捨てさせ、新たに七枚のカードを引かせるアルコン能力です。普通なら、そちらもカードを手に入れられます。でも」
『《剽窃の秘本》があるから……俺の権利は、そっちに奪われる、わけか』
「カウンターもできず、妨害も不能。儂らのアルコン能力と同じ扱いか」
無造作に、手に入れたマナコンストラクトを並べ、いらないカードを整理する。
それから審判の女神に、宣言した。
「プレイヤー権限で、自身の手札を公開情報にします。いいですか?」
「問題ありません」
相手に見やすいように、カードを高く掲げる。
合計七枚、すべて必ず発動できるように整えられた、対抗呪文たちを。
「これから私は、あなたの出すカードを一枚も場に出させません。そして、そちらは《落丁》の効果で、毎ターン手札を一枚ずつ捨てることになる」
相手は通常のドロー以外の、カード入手手段がない。次のターンに手札を持ち越せば、その一枚は《落丁》で廃棄させられる。
同時に《知恵の毒》が彼のライフを削っていくため、何もしなければ敗北は必至だ。
そして何一つ、できないまま終わるだろう。
『本当に、完璧なロックだな。手も足も出ねえよ』
「はい。そのために組みましたから」
『分からないことが、ひとつだけある。なんでこんなロックが「成立」したんだ? あのアルコン能力じゃ、場に出すカードはランダムのはずなのに』
抵抗する力も、勝利さえも奪い去られながら、それでもフィアクゥルは欲していた。
自分の敗北する理由を。
「結果で十分じゃない? それとも、現象には証明を欲しがっちゃうタイプ?」
『計算式を書かなきゃ、テストじゃ零点なんだよ。特に、おっさんの採点は厳しくてね』
「そっか。じゃあ、最後に絶望をあげるね」
女神は笑い、観客たちに向けて語りだす。
風にドレスが舞い、冷たい笑顔が光に彩られた。
「あたしね、俗に言う"幸運の女神"なの」
発言に、会場のすべての人々が沈黙した。
だが、その意味が染み渡っていくにつれて、騒ぎが大きくなってく。
「あたしの祝福を受けると、最悪にどん底惨めな人でも、その瞬間からあらゆる幸運に見舞われちゃう、スーパーハイパーラッキーメンになれるの! すごくない?」
マクマトゥーナにこのデッキを創れと言われたとき、打ち明けられた恐るべき真実。
それが彼女の存在に備わった、根源的な力だ。
『じゃあ、日美香が思い通りのカードを出したのは……』
「"神去"のアニメじゃ良くあることでしょ? 最強デュエリストのデュエルは、すべてが必然ってね」
『つまりお前は、最初っから自分の力で、イカサマして勝つつもりだったのかよ!』
「あらら? その恩恵に自分も乗っかっておいて、その態度はないんじゃない?」
フィアクゥルはぎょっとしたように自分の体を確かめ、それから驚愕に目を見開いた。
「あなたがそうしてカードの力を使っていられるのは、あたしの加護のおかげでしょ? つまり、あたしの祝福も、受けているということなのよ」
「フィアクゥル君だけじゃありません、今まで戦っていた全てのデュエリストが、"愛乱の君"の幸運を、受けていたんです」
「つまり、あの見事にドラマティックな名勝負の数々は、この女神の演出によるものだった、というわけさ」
「あー、もう。どうしてあなたたちってば、そういう悪意的な解釈をしちゃうかなぁ!」
あきれ果てたと言うように、大きく腕を振る女神。
そのままフィールドの中心に立つと、全員の視線が集中するのを見計らって、堂々と台詞を述べ立て始めた。
「あたしの権能は、祝福を受けた者に等しく、幸運を約束するわ。その結果、望むカードを自由に引くことができる。でも、それは対戦相手も同じこと。あなたたちの戦いは、あなたたちが望む最高のパフォーマンスをぶつけ合ったから、そうなったってだけ」
『……そうか。俺たちは無意識に、積み込みをやってたんだな』
「ジャッジが合法と判断してるんだもの、その批判は無意味よ。だって、人は誰しも、よりよい明日を望むものじゃない」
種明かしを聞き終えて、青いドラゴンはため息をついた。
その目に、かすかな哀れみのようなものをにじませて、日美香に向き直った。
『あんたは俺のデュエルを見てた。だから、どういう風に対抗すればいいかを、思い描くだけでよかったんだな』
「さすがに、デッキのカードを書き換えるようなことはできないから、【七つの技芸よ蒙を啓け】も利用させて貰いました」
『最初は全力でカウンターの布陣、その後はコンストラクトと、必要なだけのカウンターを握る。本当に、正真正銘の必殺デッキだったんだな』
このデッキを創るときは、彼の実力もアルコン能力も分からなかった。
だからこそ、ここまで無慈悲な構築をしなくてはならなかったのだ。
「ついでに言わせてもらうとね、この大会にドラゴンの参加を認める気、なかったのよ」
『種族差別かよ! そういうのを無くすために企画したんじゃないのか!?』
「だって、あなたたちにあたしの幸運なんて、授けられるわけないじゃない。最高の計算能力に裏づけされた、きわめて精緻な未来予測を持つ種族よ? コインの裏表だけじゃなく、勝利まで確定させられたら、たまらないわ」
それが、竜神とその仔竜を排除しようとした、本当の理由。
カードゲームというフィールドで、彼らの能力は女神の加護と噛み合いすぎる。
一歩間違えば、負けるのはこっちだった。
「さて、そろそろ解説はおしまいにしましょ。会場の皆さんも、物語の結末を待ちわびていることだし。ヒミちゃん、悪いけど勧告お願い」
「すみませんが、選んでください」
苦々しい思いを隠すこともできず、日美香は対戦相手に告げた。
「降参するか、このまま終わりまで勝負を続けるか」
『なら、俺は!』
「言っておきます。私が《落丁》で捨てるのは、通常のマナカードだけです。使うのも、あなたたちに見せたカードのみ。私の勝利が確定するまで、それは変わりません」
少しの抵抗も認めない。
こちらのデッキの偵察さえ、許す気はない。
敵をただの敗北者として始末する。
それがこのデュエルの、残酷な根本原理だった。
『分かったよ』
思うよりも穏やかな声で、青い竜は宣言した。
『俺の、負けだ』