33、意思の激突
勝負は付いた。それも、意外な形でだ。
魔王は去ったが、黄金竜は怒りの顔をしたまま、その場に立ち尽くしている。
だが、日美香にとって鮮烈だったのは、さっきの勝負だった。
「見える、ヒミちゃん。そして、見た? 彼らのあのデッキを」
「……うん」
おそらく会場にいたほとんどの人間が、理解しなかったろう。
そして、去っていったデュエリストたちがあれを見ていたら、驚きと焦りに満たされていたに違いない。
「あれを見てもまだ、あのデッキを使うことに、ためらいはある?」
「そう、だね」
初期手札の七枚に加え、最大で十枚のカードドローを、ほぼノーリスクで約束するアルコン能力。
彼らの手に掛かれば、デッキの約三分の一を『自分の手札』として扱えるのだ。
「多分だけど、あの能力なら、即死デッキの成功確率を、十パーセントは引き上げられる……と、思う」
おそらくこれでも控えめな表現だ。
デッキ自体に一切の影響を与えず、自在にカードを引きなおし、山札を回復できる能力なんて、どんなTGCでもあってはならないことだ。
たとえそれが一ゲームに一回だとしても、暴力的な効果には違いがない。
「ところが、あいつらはあんなデッキを組んだ。二種類の勝ち筋を用意しての"ハイランダー"……ちょっと"舐めプ"すぎない?」
「それは、違うと思う」
おそらく、対戦相手を一方的に蹂躙しないという意味もあるだろうが、彼らは知っているのだ。
カードゲームに絶対はなく、一つの勝ち筋で固めれば、意外な伏兵にあっけなく敗れ去るということを。
「初動で《Septem Sigil》があれば、さっきの"タイムロック"を狙う。そうでなければ来るまでカウンターと除去でしのぐ。そして、墓地に十分なカードが溜まったら」
「《竜血覚醒》で一気に焼く。ターン獲得カードは削りきれなかったときの時間稼ぎに早変わりと。本当に面倒くさいわね」
理想の動きとしては《Septem Sigil》の効果で相手にプレッシャーを掛け、互いの手札が尽きたところで《竜血覚醒》を使うという感じだろう。
事前に見ていなかったら、勝つ目はほぼなかったと言っていい。
「覚悟を決めなさい。あれは、あたしたちを屠るために組まれたデッキよ」
フィールドの竜神は、いまだに虚空をにらんでいた。
その怒れる姿は、物語に出てくる凶悪なドラゴンそのものに見えた。
「準備はいいわね」
「うん」
日美香はデッキを付け替え、顔をこわばらせて立ち上がる。
その口元に笑顔を咲かせて、"愛乱の君"は宣言した。
「勝ちに行くわ。今こそ、竜殺しの剣の振るい時よ!」
試合が終わり、敵がいなくなってもなお、フィーの背後には巨大な肉の壁が鎮座したままだった。
『え、えーと、とりあえず試合も終わったんで、引っ込んでもらえないですかね、主様』
グラウムの遠慮がちな声も角に響かないのか、竜神はこちらの肌に刺さるぐらいの怒りを、辺りに漂わせていた。
「お……おい、おっさん! なにやってんだ、らしくねーぞ!」
ぎろり、と強烈な視線がフィーの体をなぶる。
正確には、こちらの右手にある《デミウルゴス》に、向けたものだった。
「すまぬ。久方ぶりに、動揺という感情を、味わっておったのでな」
「色々聞きたい事はあるけど、まずは控え室に帰って落ち着こうぜ。今日はもう――」
「――おおっと! 帰るのはちょーっと待ったぁっ!」
あまりこの場で聞きたくない声が、大気に満ち渡る。
シェートたちのデュエルに乱入したときのように、"愛乱の君"はドレスをひらめかせてフィールドに降り立った。
さっきと違うのは、その傍らに勇者を伴っていることだった。
「なんだかそっちのおじさん、欲求不満でいきり立ってるみたいだし、折角なんで、デュエルをしに来ちゃいました、えへっ」
「ちょっと待てよ! 俺たちさっき戦ったばっかだぞ!? いくらなんでも」
「あー、うん。気持ちは分かるわ。でもねー、あたしは大会運営者として、最高に盛り上がるイベントを心掛けたいワケ」
聞く耳を持たないと言わんばかりに、女神は両手を広げて、観衆に向けて叫んだ。
「ねえみんな! これから私たち、竜殺しの勲をするつもりなんだけど、見てみたくなーい!?」
人々はざわめき、女神の言葉を反芻し始めた。
最初は疑問、そこから期待の感情がわきあがり、次第に騒ぎが大きくなっていく。
何か嫌な予感がする、とにかくここは逃げの一手で。
「みんなも見たでしょ、さっきの鮮やかな勝ち方。あんなすごいことされちゃったら、彼らには誰も勝てっこない、そう思わない?」
いや、少なくとも、そんなことはないはずだ。
自分のデッキは爆発力はあるが、シェートに対して致命的に相性が悪い。
おそらく竜神は、自分とシェートがどこであたっても良いように、こんな構築を考えていたのだろう。
だが、そんな些細な疑念を吹き飛ばすように、女神は世界を挑発した。
「それに、みんなはこう思ってるんじゃないのぉ? 『戦いの主催者、マクマトゥーナの勇者様って、本当に強いのかしら』って!」
さわやかに、艶やかに、自分の名前を使ってみなを煽り立てる。
観客の視線は女神に集中し、言わんとしていることを理解しつつあった。
「開催者権限で予選も通さず、シードにまでなって実力を秘め続けた。そんなずるーい女神の勇者様が本当に強いか、知りたくないかなー!?」
どこかで小さく、賛同の声が上がる。
開催挨拶の女神然としたした姿から一転、明るく楽しげな少女の言葉に、観客たちが歓声を上げていく。
「もーちろん、あたしとしては、そっちの二竜には、尻尾を巻いて敗退する権利をあげちゃうわ。さっきの戦いで精根使い果たしました、かわいくて最強の、あたしの勇者様と戦うのは不可能です、ってね」
下品すぎる挑発だ。
こんな三下の言葉には、怒るよりも呆れるしかない。普段の竜神であれば、鼻で笑ってスルーしていただろう。
だが、
「そこまでにしておけよ。儂は今、機嫌が悪い」
「分かってるわよ。思いもよらず古傷をいじられて、絶賛血管ぶち切れ中だものね」
何かがまずい。
こんな状況で、アルコン能力どころかデッキの構成すら未知の相手と戦うなんて。
「駄目だ!」
背中で燃え上がっていく、火山のような熱量を感じながら、それでも必死でフィーは否定を叫んだ。
「今は駄目だ! 絶対に駄目だ! 観客がどうとか知ったこっちゃない! お前の策略なんて乗ってたまるか! そんなデュエル、受けるつもりは――」
「不戦敗、でいいのね」
踏み込んでくる。
女神は冷たい笑顔のままで、こちらに付け込んでくる。あらゆる権力、あらゆる手練手管を使って、ここで勝負を決めるつもりなのだ。
「それが……お前のやり方かよ」
「あたしは、決して油断しない」
笑みが消えた。
あの時、宴会場でシェートに向けた、酷薄な顔がそこにあった。
「"斯界の彷徨者"の仔、"青天の霹靂"にして"蒼き薔薇"たる仔竜、フィアクゥル。我は貴様らに斟酌などせぬ」
いつの間にか、時が止まっていた。
観客たちも、勇者さえも、ピクリとも動かずに、虚空を見ていた。
ここからの会話を、恫喝を、聞かせないようにと。
「受けぬのであればそれで良い。決闘の権利をば即座に剥ぎ取り、瞬く間にその命、散らして進ぜようほどに」
「そこまでして、勝ちたいのか」
「我が請願、その成就に貴様らは不要。分けても黄金神竜とその仔、貴様らこそ、万難を排して除くべき障碍なれば」
「みんなで楽しく遊ぶんじゃ、なかったのかよ」
女神は、そこで笑った。
一秒たりとも、長く目にしたくない、最悪の笑顔で。
「子供の遊び場にね、大人はいらないのよ。だから、消えて頂戴」
フィアクゥルは悟った。
庇護するものへの深い愛情と、敵を果断に切り捨てる残酷。
この姿こそ、彼女が"愛乱の君"と呼ばれる由縁なのだと。
「おっさん」
「……聞いておるぞ」
「頭しゃっきりさせてくれ。こいつは、俺らが倒すんだ」
それまで黙っていた竜神は、呪縛が解けたように顔を下ろしてきた。
その鼻息にはかすかに怒りが臭っていたが、それでも普段に程近い精神に、戻っているようだった。
「世話を掛けたな」
「しっかりしろよ。軍師は動揺しちゃ駄目なんだろ?」
「ふ……」
穏やかに、やさしげに、竜神は吐息を漏らした。
「負うた仔に、瀬をば習いて、渡河を成す、か」
気が付けば、音が戻っていた。
人々が歓声を上げ、顔を装った女神が、勇者と何事か打ち合わせをしている。
貴賓席を見上げれば、ガラスに顔をくっつけたシェートが、心配そうなサリアと一緒にこちらを見つめていた。
「戦う前に、ちょっといいか」
「ああ」
「こいつは、誰なんだ」
肩越しにカードを放り投げ、ごつい爪がそれを摘み取る。
竜神は少しだけためらい、端的に答えた。
「かつて、地球と呼ばれる星を統べた神。真名をバラル。古に廃れし、我が友だ」
「魔界に堕ちたとか、そういう意味じゃなく?」
「完全に、跡形もなく、消滅した。そなたの故郷では、奴の本当の伝承を、正確に伝えたものは絶無だ」
その名前を、魔王は知っていた。
おそらく天の神々の、ほとんど全てが知らない存在を。
「"愛乱の君"は、バラルのことを知ってるのか?」
「"四柱神"ほどに永らえた者なら、誰もが知ろう。ただし、我との交誼を知る者は、"愛乱の君"ぐらいのものだ。そもそも、バラルは神々より忌まれ、忘れられし者だ」
「魔王との関係は」
「不明だ。データが足りぬ。ゆえに調べ続けなくてはならぬ」
やり取りを終え、開始位置に立ちながら、フィーは笑顔を浮かべた。
「そういうの、ちゃんと話してくれるんだな」
「見通しの効かぬ状況で、意味ありげに情報を伏せるとか、思慮の足らんアホの所業ぞ。安っぽいサスペンス物なら、確実に死亡フラグではないか」
「真犯人に物陰からやられるヤツな、あるある」
会話を続けながら、少しずつ竜神の気がほぐれていくのを感じる。
まさか、こんな状況で自分よりも遥かに年上のカミサマを、ケアすることになるとは思ってもみなかった。
「……戦う前に、一つ、いいですか」
少し前、自分が言ったのと同じことを、目の前に立つ少女が口にする。
その顔には緊張と、悲壮があった。
「お好きにどうぞ。っても、そっちは悪いドラゴンを倒す正義の勇者サマだろ? 許してやるから命乞いでもしろって?」
「そうじゃありません。全力で、戦ってください」
まるで悲鳴だった。
静かな声でありながら、生々しく血が流れ出すのが、見えるような声だった。
「これは、あなた達を倒すために創ったデッキです。必ず、倒すために」
「竜殺しの武器、儂らと相対するためのか」
「一度動きだせば、止まりません。必ず、相手は敗れます」
はったりではない、引っかけでもない。
おそらく本気で言っているし、その確証がある。
その確証こそが、彼女を苦しめる毒になっているのが、手に取るように分かった。
「楽しくデュエルをするってわけには、いかない、かな」
「私には目的があります。あなたたちの目的は、なんですか?」
「……ごめん。つまらない事、聞いちゃったな」
自分も今まで忘れていた、これは一体何のための行動なのかを。
シェートを勝たせ、遊戯に勝利する。
そのためには、立ちふさがる勇者の願いを、すべて刈り取らなくてはならない。
「そのデッキ、そのアルコンでなければ、これは使わなかったかもしれません」
「そして俺は、俺の勇者を勝たせるために、この力を使うしかないんだ!」
どちらからともなく身構え、デッキに手を当てる。
中央に審判の女神が現れたとき、日美香は有無を言わせない勢いで宣言した。
「コールをお願いします。先行が取れなければ、あなたたちは確実に敗北します」
「――分かった。来い!」
角のてっぺんから尻尾の先、翼の皮膜の隅々にまで、気を充溢させる。
そして、イメージした。
相手に一挙動も許さずに、勝つための構成を。
「"愛乱の君"の勇者、三条日美香!」
「"斯界の彷徨者"の仔、"青天の霹靂"フィアクゥル!」
銀の硬貨が宙にひらめき、輝く軌跡で両者を分かつ。
裏か表か、吉か凶か、勝つか負けるか。
その結果を掴み取るために、蒼き仔竜は叫んだ。
「表だ!」