28、中休み
『熱戦が繰り広げられたDCE一回戦! 楽しんでもらえたか!? それじゃこっから、今日の試合をダイジェストでお送りするぜ!』
専用の控え室に腰を落ち着け、仮面を取った魔王は、ガラスの向こうでがなり続ける、太った黒竜の顔を笑った。
「"喪蓋"のグラウマグリュス。魔界において貪婪の化身とまで言われた暴竜も、変われば変わるものだな」
「飽く事無く呑み、満たされること無く貪る狂乱のドラゴン、でしたか」
「またの名を"世界喰らい"。魔界の実力者が住まう深淵の大魔宮を、己の寝藁代わりにしてみせた大悪童よ」
寸胴で首の無い全身と、大きく膨れた丸い腹。威勢のいい声に、よく変わる表情。愛嬌しか感じさせない、かの者の本性は、"喰らう"という概念が形を得たという異形だ。
観測される次元によっては、ドラゴンの姿さえ取らないという。
魔界に実力者たちは、その厄介な性質に手を焼き、傍観を決め込んでいたと伝わる。
「それを折伏せしめたのが……かの黄金神竜ですか」
「"底の抜けた桶に封をしただけ"、だそうだ。実に痛快ではないか」
返事の代わりとして、執事が薄橙の茶を供してくる。抑えの利いた渋みと若草のような香りを口に含み、長めの吐息を吐いた。
『一回戦第一試合、最後まで切り札を隠し通し、終わってみれば勝つのは当然とばかりに二回戦進出を決めたのは、"平和の女神"サリアーシェと、コボルトの狩人シェート!』
女神から上手に視線をそらし、己の内で脈動する憎悪を脇へ追いやる。
試合会場の巨大なモニターに映し出されるのは、すっかりカードを繰るのに慣れた、いとしい勇者の姿だ。
開きかけた口に、自らカップで蓋をする。
言うべきことはない、無粋を語る必要もない。
願わくば、この会場で再び、殺し合いたいものだ。
『第二試合は期待の新人、"八瀬の踊鹿"クーリ・スミシェと、勇者、海道俊之が二回戦進出だ!』
「かの女神は、いかなる方で?」
礼儀正しく機嫌をうかがう執事へ、魔王は鷹揚にうなづき、倣いを返した。
「辺境の世界、フブルムを治める獣神だ。ああ見えて千を越える年月を過ごしている。単純な欲得を好む性根でな。腹芸事で身代を損ない、今では"愛乱の君"の端女だ」
「聞けば、先ほど廊下にて、"平和の女神"とたいそうな言い争いをなされていたとか」
「どこに人目があるか分からぬものだ。俺たちも気をつけねばな」
「まことに然様で」
『第三試合! まさかの体たらくで俺もソールもチョーびっくり! アホの主様と、"青天の霹靂"フィアクゥルが辛くも勝ち抜けだ!』
カップを持つ手が、かすかに震えた。
次に当たるのが、あれだ。期待に背筋が痺れ、手の内に心地よい振動を伝えてゆく。
「強くなられました」
「嬉しいのか」
「口惜しくもあります。わたくしの差し出口が、魔王様の御身を損ないましたことを」
画面に映し出されるのは、たくましい姿となった青き仔竜。そのあぎとから放たれた焼灼の"竜の聲"は、あの日の痛みを思い起こさせた。
「その慙愧は無用だ。あれの弱点も、等しく貴様からもたらされたのだから」
「ご芳情、しかと賜りました」
『そして最終第四試合! 不気味に素敵に勝ち上がった、謎の仮面デュエリストD! ぶっちゃけ、後ろについてる羊はおまけだから気にすんな!』
「おやおや」
「今からでも"愛乱の君"に能力の付与を頼んでみるか? ごねる手管なら、掃いて捨てるほどあるぞ」
「ご冗談を」
羊は笑い、それから右手を胸に当てて居ずまいを正した。
「わたくしは、あくまで執事です。主人を立てること、その喜びのためにお仕えするのが本分でございます」
カップを傍らのテーブルに置き、明日の日程を語る赤い小竜のアナウンスを、聞くともなしに耳に入れる。
観客たちが去って行き、会場の照明が落とされる。控え室の明かりは残っていたが、目線で消灯を命じた。
暗がりが、静けさと一緒に部屋に侍る。
ソファーに深く腰掛けながら、魔王は時に身を浸し続けた。
「いやー、一時はどうなることかと思ったけど」
手にしたグラスをぐっと干し、マクマトゥーナは満悦を吐き出した。
「大盛況で笑いが止まらないわ! これはもう、マクマちゃん大勝利ってやつね!」
闘技場の地下に造られた大宴会場には、自分と勇者の二人きりだ。端女たちも控えの間に下がっているから、落ち着いて話をすることもできる。
「もしかして、観戦チケットとか売ってたの?」
「竜神からスタッフも借りたら、そっちの利益は微々たるものだけどね。それよりも大事なのは、新しい信仰を得られたことよ」
「布教活動、ってなにかしてたっけ?」
「この闘技場の入り口に、あたしの神像が飾ってあったの、覚えてる?」
日美香はちまちまと、イチゴのムース食べながらうなづく。そんな仕草を愛でながら、小さめの杯に注いだ蜜酒を、軽くあおる。
「あたしの名前で娯楽を立て、この闘技場……いいえ『神殿』の周りでの商売を許した。民草も商人も、娯楽とお金儲けの機会を与えた、あたしという神を称えるでしょう」
「ほんと、マーちゃんはいろんな事やってるんだね」
「利益も信仰も、取れるところから全部取れ! が、あたしの流儀だから」
信者を惹きつける原動力は、現世利益の多寡で決まる。"万緑の貴人"や"斯界の彷徨者"のような、いるだけで畏敬を集める者でもない限り、こういうチャンスを逃す手はない。
「もともと、"神々の遊戯"みたいな勇者興行は、どこでもやってたのよ。それこそ"黄金の蔵守"イヴーカスが請け請っていた、疫神退治みたいなね」
「……つまり、全部お芝居、ってこと?」
珍しく、日美香の顔はこちらを問うような表情を浮かべていた。
非難というほどではないが、失望にほど近い、そんな雰囲気で。
「気持ちは分かるわ。でも、あたしとしては『リアルを売りにした興行』って、興味無いのよ。あたしが嗜好するのは、ヒミちゃんたちの世界で言う"プロレス"ね」
さすがに例えが分かりにくかったか。首をかしげる勇者に向けて、取りまとめながら心情を解説することにした。
「真実、なんの仕掛けもなしに、勇者と魔王が争いあうとしましょうか。そうなれば真っ先に被害を受けるのは星々、そこに生きる命、そして民草よ。勇壮な物語の背後には、無残にされた、あまたの生がある」
だからこそ、"神々の遊戯"が立てられたのだ。制限のある戦い、被害を抑えた争い、納得のできる利得のやり取りが。
「あたしも別に、博愛精神の塊ってわけじゃないのよ。見目麗しい勇士が、決意を秘めた美姫が、血みどろで争いあうのを見るのも大好きだもの。たまには、天地を揺るがす大戦争を夢見ることさえある」
そういえば、そんな戦を見たのはいつ以来だろう。この前、竜神に頼んでおいた"知見者"軍と魔王軍の戦。あれなら、いくらかの慰めになるだろうか。
「でもね、真剣勝負なんて結局、行き着く先は殺し合いじゃない。やってる本人は満足かもだけど、興行主としては『無駄』の一言。貴重な才能の浪費よ」
「私、ちょっとだけ分かったかも」
紅茶を口に含みながら、日美香はどこか遠い目をして、思いを述べた。
「マーちゃんにとっては、この世界すべてが劇場なんだね。みんなで楽しむためのお芝居……無限に続くはてしない物語」
「その通り。さあ、役者たちよ、芝居を続けよう! ってなもんよ」
この世界は、誰もが演者であり、観客だ。
喜びも悲しみも、争いも楽しみも、すべては壮大なお芝居。演じ終えたものは袖に去っていき、新たな役を得たものが、スポットライトの下で華々しく舞い踊る。
ならば、最後に待つべきは、笑顔のカーテンコールだ。
ありがとう、さようなら、いつかまたお会いしましょうと、挨拶を残せる終幕を。
それが、自分の望む舞台。
「あたしは、勝ちたい」
それは素直な感情だった。
今この場にいる、小さな女の子にだけ、聞かせていい本心だった。
「これからも楽しむために。楽しい日々を、永久に続けるために」
「……うん」
少女はこちらを見ていた。
わずかに言うべきを思案して、それから告げた。
「精一杯、がんばるから」
「ありがと」
それから、二人で寄り添うように黙って座っていた。
隣の女の子が、眠ってしまうまで。
「というわけで、お疲れさんでしたー! かんぱーい!」
太い声がジョッキを上げ、それにならうように、席に着いた面子が酒盃をあげていく。
少し遅れて、フィーも黒い小竜のそれにカップを合わせた。
「まったく、腹へってしかたねぇよマジで! 朝からほとんどしゃべりっ放しで、カロリーダダ漏れだっつーの!」
などと言いつつ、グラウムは羊のあばら肉を瞬く間に口の中に収め、太鼓腹を波打たせながら、巨大なジョッキの中身を飲み干した。
この一瞬で、五キロの肉と、二リットルのビールを消費したが、一切のためらいも無く鳥の丸焼きと牛の腿を、両手に掴んで交互に食べ続けていた。
「そういえば、ソールはほとんど口を出さんかったが、もしかして照れておったのか?」
上座に当たるテーブルの奥に、人の姿の竜神がゆるゆるとワインをたしなんでいる。
右手に座る大食い黒竜の対面では、細身の赤い小竜がしかめっ面をしていた。
「上での仕事をすべて放り出させ、何をさせるのかと思えば、カードゲームの司会進行。あきれ果てて、まじめに取り合う気がなかっただけです」
「ひへえあ、おふえらっへ、ま……ぐんっ、まじめに仕事、し、まぐっ」
「喋るか、食べるか、どっちかにしろ」
きつい目をさらに鋭利に尖らせた赤竜ソールは、あきらめたようにため息をつき、手元の皿から、厚めに切られたチーズを口に含んだ。
「大体なんですか、サリアーシェ様とは和解なされたのでは? わざわざ私達を呼びつけて、こんな居酒屋で酒宴など開く必要もないでしょうに」
こんな居酒屋とは言うが、いわゆる町の人たちが飲みに来るようなところではない。
以前は大きな商人の屋敷であり、"知見者"が駐留していたとき、貴族や仕官が集まる料理屋として改修された店だ。今は完全に貸切状態で、"愛乱の君"の時は確実に手抜きをしたと分かる金の使い方だった。
「まあ、良いじゃないか。私たちの後輩と直に会える機会なんだ。逃す手はないさ」
白いふわふわした毛に包まれた小竜は、テラスに面した長いすに座っている。料理には手を出さず、細長い花びんのようなものから伸びる、長い管を吸いつけていた。
「君もやるかい? ジャスミンとカモマイルにニガヨモギを少々。昼はだいぶ頭を酷使しただろうからね。鎮静にはもってこいだよ」
「タバコじゃなかったのか、それ?」
「もちろんそうさ。ただ、フレーバーの方が主役だけどね」
ヴィトと名乗る小竜は花と若草の香りを楽しみながら、悠々と煙を吐く。白い帯が暗い庭に漂っていき、緑やオレンジ、薄い赤の光が、ぱちぱちとはぜた。
「フィー、体調に異常は? 記憶、身体反応に変化は?」
この面子の中では珍しく、手足の無い蛇のような竜がたずねる。尻尾に絡めたグラスの中身は、無色透明な水のような液体。
「特には。あのカードを使った直後に、めちゃめちゃ"眼職"が拡大した気がしたけど、もう収まってるし」
「なら許容範囲。眼職、覚醒反応、一番遅かった。バランス調整中」
すすすっと、におい立つようなアルコール液を飲み干す。目の前に並ぶビンはすでに十本目、そのすべてが九十度超えの蒸留酒だ。
竜神の部下の中で、一番最後に紹介されたのが青い竜蛇のメーレだった。声の感じからすれば雌なんだろうが、この集まりの中で一番の酒豪らしい。
「主様、そろそろ別のを飲みたい。スコッチ、二十年物以上を所望」
「やれやれ、なにやらえらく機嫌が良いようだな。今宵は無礼講だ、儂の蔵から好きなものを取ってよいぞ」
「それじゃ俺も! まだあるんだろ、とっときのハモン・セラーノ!」
「せっかくだ、私も秘蔵のコイーバを頂戴させていただきましょうか」
さすがの竜神も一瞬口ごもったが、それでも望みのものを、それぞれに前に取り出してやる。歓声を上げて飛びつく小竜たちの中、ソールだけは生真面目に、自分の割り当てを飲んでいた。
「そなたは何かないか?」
「一番良いところを皆に取られましたからね。私はこのままで」
「そうか。では、これで勘弁してくれ」
別の暗がりから一本のビンを取り出し、ソールのグラスに注ぐ。濃く、深い真紅の液体が、きれいな卵形の曲線で、とろりと踊った。
「さて、儂もちょっと一服するか。表に出ておるから、何かあったら呼ぶがいい。そこな三匹、ちと付き合え」
騒ぎながら竜神たちがテラスへ出て行き、部屋の中には自分とソールだけが残される。
時々声だけは聞いていたが、こうして顔を合わせるのは初めてだ。
「その……なんだ」
「ん?」
「辛くはないのですか」
「ああ。いきなり体がでかくなるのはきつかったけど、今は別に」
赤い竜はなぜか眉根をよせ、いらだったようにグラスを軽くあおった。
「別に、我ら竜洞は、"平和の女神"の行く末に、なんら責を負うところはありません。勝とうが負けようが、どうでもいいのです」
「でも、おっさんが肩入れしてるじゃんか」
「こんなもの、あの方の酔狂に過ぎない。まじめに取り合う方が、馬鹿なのです」
吐き捨てられた言葉に、フィーは苦笑した。
彼らにとってみれば、自分の主がわがままを言って、見ず知らずの人間に振り回されている状況だ。不満が無いわけがないだろう。
「ごめんな。俺のせいで、余計な仕事増やしちゃって」
「お前も、ある意味で被害者だ。そこを責める気は、もうありません」
「ついだから言うけど。俺、リタイアする気、ないから」
今度ははっきりと、あからさまなため息。その息吹に一瞬、赤い炎が揺らめいた。
「主様から、よからぬことを吹き込まれましたか」
「同意の上だよ。このゲーム、最後まで降りないって契約だ」
「……そう、ですか」
それまでの不機嫌が消えて、小竜はこちらをまじまじと見つめた。
確かめるような瞳に、外のかがり火がまたたいた。
「ならば、これ以上の諫言は不要ですね」
手にしたグラスをきれいに干すと、手近な料理を引き寄せて言った。
「食べておきなさい。あの方のわがままに振り回されるつもりなら、体力は必要です」
「ああ」
今日は色々ありすぎたが、明日も負けないぐらいに色々あるだろう。
それでも、自分はやれることをやるだけだ。
思い定めると、フィーは自分の体ぐらいありそうな、大きな肉にかぶりついた。
寝床に横たわりながら、シェートは部屋の隅に座る女神を見ていた。
か細い手燭の明かりの下で、小さな紙片を一枚づつ確かめている。
姿かたちもまったく違うのに、サリアの仕草は不思議と母親のそれと重なって見えた。
「すまぬな。眠るのに邪魔なら、場所を移そうか」
「いい。そのまま、居てくれ」
あれは自分の狩りの道具だ。しかし、自分でそれを整えることはできない。
誰かに狩りの道具を任せるのは、子供のとき以来だ。
「レイヤ殿のことは、残念だったな」
何気ない調子で、サリアは意外な言葉を告げた。
その手が、一枚のカードをデッキに差し込む。少年が去り際に、手渡してきたものだ。
「……あいつ、最後まで、戦った」
「我らの勝利を、願ってくれたな」
全ての敵に勝つと誓った以上、いつかは別れると分かっていた者だ。
自分たちが思いもよらない形で、眼を覚まさせてくれた恩人。
そして、生まれて初めての――。
「サリア」
「なんだ」
「今、楽しいか」
手にしたカードをそのままに、ほのかな明かりに照らされたサリアは、告げた。
「ああ。まんざらでもない、というやつだ」
女神の仕草はとても落ち着いていた。これまで付き合ってきた中で、一番充実しているだろうという気がした。
そして、これが多分、本来の"遊戯"のあり方なのだ。
勇者は神の力を得て戦う。
神は勇者を補佐して戦う。
荷車の車輪が一本の軸でつながって、二つながらに同じ動きをするように。
「デッキの構成を少し変えるぞ。内容は試合前に教える。心得ておいてくれ」
「ああ」
「アルコン能力は、今日ですべて開示してしまったからな。使うタイミングはそちらに任せる。ただ、判断に困る状況になったら」
「だいじょぶだ……ちゃんと話……聞く」
疲れが、体をゆすぶった。
まぶたと一緒に、疲れが体を寝床に沈めていく。
「俺……もう寝る」
「そうだな。こちらもそうしよう」
一息に灯が消されて、部屋の中が暗がりに満ちる。
そのほんの一瞬前、シェートは紫藤伶也の姿を見た気がした。
「ありがとな、レイヤ」
そしてコボルトの狩人は、夢を見ることもなく、静かな眠りに落ちた。