27、適者生存
まるで弔いの空気だ、シェートは胸の内でうめいた。
自分の時、あれほど騒いでいた観客が、小声で言葉を交わすだけになっている。うつろなしわぶきは、夜風にゆすられる梢のような音に聞こえる。
『じりじりと互いのターンを食いつぶすような展開から一転! 仮面のデュエリストが放った逆転の一手で、紫藤選手、一気に大ピンチ!』
がなり立てる黒い小竜は相変わらずだが、見えない壁に吸い込まれるように、その声も大気に溶けていってしまう。
その原因は、おそらくあの白仮面だ。
「なんなんだよ、このクソ重い空気は」
「さすがは魔王というわけか。たった一人で、この場をすべて手中にしておる」
太った男の方は涼しげな顔で、事の成り行きを眺めていた。その目の輝きが、ちらりと伶也に向けられる。
「俺は、手札から《赤》をセット! 墓地から《フェニックス》を手札に!」
見慣れた炎の鳥が手札に帰っていく。だが、彼の場には味方はおらず、自分と戦ったときの勢いはまったくない。
「なるほど。《タリスク》はゲーム外に除去され、《ディハール》は墓地か。頼みの綱の《不死鳥の呼び声》もおそらく不発。主軸が変わっておらぬなら、これはかなり手を焼いておるな」
「《おぞ気》に《絶望への拘引》と《暴露》かぁ……こりゃ、完璧にメタって来てるな……ほんと、やなヤツだぜ」
ドラゴン二匹は、墓地のカードをあらためて状況の判断を済ませたらしい。シェートの方も、おぼろげに伶也の不利を悟った。
「でも、あいつ、まだやる気」
手札を確認し、山札の上をアルコン能力でチェックする。自分と戦ったときと同じ、闘志を失わない目つきをしていた。
「俺はこれでターンエンド! さあ、どっからでもきやがれ!」
吼える勇者に対して、魔王は涼やかに立つ。
痩身の黒装束は、仮面の奥から静かに宣言した。
『俺のターンだ』
風が、心地よかった。
衆人のなぶる様な視線が、なんとも言えず魂に染みた。
本来ならば許されぬはずの、居城よりの出座。あの人間たちは、この場に魔王がいるなどと、夢にも思っていない。
そして何より、目の前の勇者が向ける視線が、たまらなく快悦だった。
『ドロー』
《記憶毟り》マグス。対戦相手一人を対象とする。プレイヤーはカードを二枚捨てる。
手にした一枚を見て、声も無く笑う。そのための白仮面、そのための隠蔽工作だ。
喜色をもらさないよう、なるべく平板に言葉を継ぐ。
『詠唱、《記憶毟り》』
「マジかよっ!」
カードの効果が、無慈悲に勇者の手札をむしって落とす。
これで相手の手札は残り一枚。防衛者もいない。
「だが、そんなものではあるまい?」
その声は、わざと自陣のみに投げられた。背後で微動だにせず立ち尽くす黒い執事が、わずかに身じろぎした。
「あからさまな誘い、俺の手を待っている形だ」
いいだろう、乗ってやるとも。
『六体のゾンビトークンで、攻撃』
普通に考えれば、これで終わりだ。合計十二点のダメージで勇者は倒れる。
「まだだ! 俺は、【埋設】効果発動! 《再起への誓い》!」
《再起への誓い》ファストスペル 罠。
埋設(このカードをプレイするとき、裏側で場に伏せた状態でゲームから取り除く)
あなたが攻撃されたとき赤赤1を払い、このカードを唱えても良い。
あなたの墓地からクリーチャーカードを一枚選び、手札に加える。
この試合、最序盤で使われた一枚のカード。シェートも使っていた罠カテゴリのそのカードが選び出す一枚は。
「俺は《灰燼を食むもの ディハール》を手札に――」
「そして」
「――そして、アルコン能力【神出鬼没】を使う!」
力強く勇者が手にした一枚、それはすべてを焼き食らう巨大な竜のカード。
「むさぼる炎よ闇を払え! 腐敗の黒を白き灰に染め上げろ!
来たれ、《灰燼を食む者 ディハール》!」
流れるような口上とともに、勇者の墓地が火炎の柱を吹き上げる。
召喚に応じて現れるのは、貪婪な光をその目に宿した真紅の巨竜。
『【スタック】、起動、《墓場の尋問》、ゾンビトークン三体を《黒》に、残り三体をいけにえにして、三枚ドロー』
「それでも効果は喰らってもらう! 焼き尽くせ、ディハール!」
竜を中心に炎の波が戦場を洗う。設置しておいた二枚のカードが砕け散り、無数の破片が体に突き刺さった。
痛みを無視してカードを確かめ、そのうちの一枚を場に貼る。
『《黒》をセット。ターンエンドだ』
こちらの宣言を受けて、勇者の表情がわずかに緩む。あれを出せばまだ状況を覆せると信じているのだろう。
「俺のターンだ! ドローして《赤》をセット! そして《フェニックス》を召喚!」
巨大なドラゴンの隣に炎の鳥が舞う。必殺の布陣、確実にこちらを倒しきるつもりでいるらしい。
「行け! ディハール、フェニックス! あいつを攻撃だ!」
『【スタック】、詠唱、《冒涜者の嗤笑》、対象はフェニックス。追加コストに《常闇の皮翼》を捨てる』
《冒涜者の嗤笑》ファストスペル。追加コストとして手札からクリーチャーカードを一枚捨てる。
対象のクリーチャーかプレイヤーにX点のダメージを与える。Xは捨てたクリーチャーの攻撃力分に等しい。与えたダメージの分、あなたはライフを回復する。
不死鳥の翼が叩き落される。
死ねないがゆえに、幾度も幾度も悲鳴を上げる哀れな犠牲者。勇者の始祖たちが冒険を終えるまで、決して死なないのと同じ有様だった。
そんな感慨を、竜の凶暴なあぎとが噛み砕いた。
『……っ!』
残りライフが三点になり、痛みが体を貫く。限りなく鮮明に作り上げられたカードゲームの世界は、死から限りなく遠い死闘でもあった。
「ヴィース、【鷹の目】頼む!」
ダメ押しとばかりに勇者は己のデッキを確かめ、満足してカードを一番上に戻した。
その表情に抑えきれない確信が匂った瞬間、魔王は隠剣を、引き抜いた。
『それで、勝ったつもりか』
「まさか。アンタのライフをゼロにするまで、勝負は終わりじゃないさ」
『たとえそのドラゴンが敗れても、自分のターンになれば勝負は決まる。そういう顔だ』
子供はひどく正直だ、こんなことで手の内をさらしてしまう。
必死に顔色を戻してはいるが、その態度こそが明確な答えでしかなかった。
『永遠に届かない一ターンを、知っているか』
「……俺に、次のターンはない、そう言いたいのか」
『今なら、まだ間に合う。可能であれば、俺のライフをここで、削りきれ』
短い絶句と、神とささやきあう姿に、魔王は確信した。
連中にこの先はない。寄せ手は、完全に尽きた。
「ターンエンドだ! さあ、どっからでもかかってきやがれ!」
答えは得た。あとはただカードを繰るだけでいい。
そこにすべての答えが、示されているだろう。
『俺のターン、ドロー』
《血命の誓約》マグス。追加コストとしてあなたはライフを2点支払う。プレイヤー一人を対象とする、そのプレイヤーはカードを二枚引く。
『く……っ』
体が震えた。
『くふっ』
むずがゆい興奮が、突き走っていく。
『くは、くははははははははははは!』
落ちないように仮面を必死に押さえ、それでも笑いがこみ上げて、しょうがなかった。
『くははははははははは、ははははははははははははは』
快感だった、これほど面白い手札になるとは思っても見なかった。
生まれて初めて、魔族である自分が、神に感謝したくなった。
こんな数奇な盤面を用意してくれるとは。
「どうした、そんなに笑える手札だったのかよ」
『ああとも。これほどまでに良い一枚がくるとは、思わなかったのでな』
仮面の奥でうっとりと笑いながら、魔王は宣言した。
『詠唱、《血命の誓約》。俺はライフを二点支払う。対象は、紫藤伶也』
その宣言を、観客たちは理解しなかった。
指名を受けた勇者は意味をつかみそこね、女神とコボルトは困惑していた。
青い仔竜は、おぼろな予感にすくんでいた。
竜神は瞠目し、すべてを了解して、こちらをにらみ付けた。
『どうした、せっかくの権利だ。存分に行使するがいい』
「なに……考えてるんだ、お前」
『勝つことを。完璧に、そして無慈悲に』
うながされ、ためらいながら少年がデッキに手を伸ばす。
まるで、それが自分にとっての激痛であるかのように、山札から一枚、そしてもう一枚引き抜く。
『あったのか』
「……なにがだよ」
『この瞬間、俺の命を削りきれるカードだ。それがあれば、お前は俺に勝てる』
挑発ではなかった。それはただの事実。
二枚目のカードが一点以上のダメージカードであれば、自分は死ぬ。
「見せてみろ……お前の切り札」
苦しげな勇者の返しに魔王は喉の奥で笑った。
『いいだろう。では、受けてみろ』
その虚勢を、その胆力を、その意思を称えて。
『そして、絶望して、死ね』
魔王の声が、シェートの耳をやする。
城の中で散々思い知らされた、あの恐ろしい威圧が、闘技場の中に満ちていく。
「動けレイヤ! 今、何とかしろ!」
「多分、無理なんだ。だからあいつも、分かってて動けない」
こわばったフィーの声が、苦しげに響く。口を閉ざして見つめ続けるサリアの隣で、竜神は冷たい助言を述べた。
「よく見ておけ。そして考えよ。かの勇者が暴く、魔王の力の片鱗を。それを打ち破る方法をな」
『――来たれ、異邦の祖神』
まるで伶也の流儀に応えるように、かざした右手にカードを掲げて、魔王は誦じる。
『其は万民の主にして、万軍の王』
限界までマナが搾り出され、漆黒の輝きがその手にまとわりつく。
大気は震え、風は渦巻き、闘技場の砂がさざなみを起こす。
『此をば、ひとたび幕屋と定め、忌み名に拠りて招来せん』
カードが自然と手を離れ、空を目指して飛び上がる。
その先に、ぽかりと開いた穴があった。
見るものの視線を奪うほど、見通しの効かない冥き洞。
『劫掠せよ――汝、《嫉妬せし者 デミウルゴス》!』
風が止まった。
途方もない巨大なものが、穴を抜けてくる。それにもかかわらず、空気が少しも動く気配がない。
音が遠ざかる。人々の叫びさえ奪われる。見るものの視線を釘付けにして、体を動かす自由さえ、何の遠慮もなくさらい取った。
白い、巨大な人の像だ。
その背中には無数の腕がでたらめに生え、長い衣が足元まで延びている。
顔のあるべき場所は砕かれ、削られている。本来あったはずの表情は、憎しみから生まれた傷跡によって、めちゃくちゃに害されていた。
だが、たった一箇所だけ、不気味なほどに形を保っている場所があった。
何かを求めるように、感情に歪みきった口が、残っていた。
「やはりそれか。このお膳立てであれば、それしかなかろうよ」
『その通りだ、"斯界の彷徨者"。貴様は良く分かっている』
意味を取ることのできない、不明な会話を終えると、魔王は伶也に声を掛けた。
『降参しろ、紫藤伶也』
「……嫌なこった」
『事ここに至り、貴様には万に一つの勝ち目も無くなった。苦痛を得るより、勇退を選ぶほうが、貴様の為となろう』
「俺は……決闘者だ! 最後まであきらめない!」
仮面をつけていても、その表情が見えるようだった。
他者を虐げ、そこに愉悦を見出す、あの酷薄な笑いが。
『ならば、望みどおりにしてやろう。《嫉妬せし者 デミウルゴス》の効果、発動』
巨大な白い像の腕が、矢のような素早さで伶也へと伸びる。その手に触れたカードが黒い炎を上げ、跡形も無く燃え尽きた。
「うぐああああっ!」
『《嫉妬せし者 デミウルゴス》が召喚された時、プレイヤー一人を対象とする。召喚したプレイヤーの手札が一枚も無い場合、相手の手札をすべて、ゲームから取り除く』
「レイヤ!」
いきなりすべての手札を失い、それでも少年は顔を上げた。
その姿を打ちのめすように、新たな白い腕が襲い掛かる。
『《嫉妬せし者 デミウルゴス》が召喚されたとき、自身の場にこのカード以外が存在しない場合、対象となったプレイヤーの場のカードを、すべてゲームから取り除く』
「な……なんだって!?」
無慈悲な一撃がドラゴンを貫き、絶叫と共にその体がへし折られる。あれほど巨大な威容を誇った存在が、壊れた人形のように打ち捨てられて消滅した。
「いくらなんでも無茶苦茶だ! なんだよおっさん、あのカードは!」
「"デミコン"」
竜神の顔は、厳しく引き締まっていた。
魔王の行動を見つめ、それを正確に評価しようとするように。
「デミウルゴス・コントロール。それが、奴のデッキの名だ。《嫉妬せし者 デミウルゴス》に搭載された"場に出たときの効果"を使いまわし、相手の手札、場のカード、山札を削って勝つ。通常は、墓地に落ちた《デミウルゴス》を、"釣って"機能させるのだがな」
「山札って……まさか!」
白い手が、無慈悲に伶也のデッキへと殺到する。ごっそりと紙の束を掴んだ手の中で、カードが燃えていく。
『こちらのデッキより、相手のデッキのカードが多い時、上から二十枚のカードをゲームから取り除く』
白い腕の暴虐が、波のように引いていく。
後に残されたのは、何もかもを失った少年だけだった。
それでも、その目は前を見据えている。
「どうした、それで終わりか!」
『……ほう』
「お前がやったのは、俺のカードを取り除いただけだ。まだ勝負は付いちゃいない!」
巨大な白い像は、確かにぴくりとも動かない。
魔王もそれを承知で呼んだのか、そっと肩をすくめると、宣言した。
『ターンエンド』
その瞬間、おぞましい絶叫が、世界を満たした。
音ではない、声でもない、それでも明確に伝わる意味ある波だ。
顔の削り取られた巨大な像、その口が大きく開かれ、喚き散らすその感情は。
『スベテヲ、ヨコセ』
持てる者への、限りない嫉妬心だった。
『《嫉妬せし者 デミウルゴス》、最後の能力。三つの効果がすべて発動した時、プレイヤーは追加の一ターンを得る』
それまで、ただの石像でしかなかった姿が色を変えていく。あふれ出す漆黒の顔料で塗りたくられたそいつは、叫びもだえながら、どす黒い肉の塊に変わっていく。
腕であったはずの触手を、でたらめに振り回しながら。
「そういう……ことか」
悔しげに伶也がうめき、その体を守るように大鳥が立ちふさがる。
巨大な化け物を前に、それはあまりにも儚い守りだった。
「そいつの能力を発動させるために、俺にカードを引かせたのか」
『理解したか。この世には、永遠に届かない物があるということを』
それでも伶也は前を向いている。そこに敗北しかないとしても。
『もう一度言ってやる。降参しろ、紫藤伶也。貴様の闘志は、賛嘆に値する』
「何度でも言ってやる。俺は決闘者だ!」
『良かろう』
魔王の手が振り下ろされた。
闇色をした、大木のような触手が降り注ぎ、少年と大鳥を飲み込んでいく。
そして命運は、速やかに決された。
「ごめんな、ヴィース。わがままにつき合わせて」
真っ先に口をついたのが、それだった。
ぼろぼろになった翼を、おどけたように差し上げ、相棒は目を細めた。
「レイヤ、正しく勇者でした。私、誇り思います。ありがとう、わが英雄」
「うん。俺こそ、ありがとう」
「レイヤ!」
すでに魔王の姿は消えていた。入れ替わりに走ってくるのは、犬のような顔をした、自分のライバル。
「お前! 降参、どうしてしない!」
「言ったろ、デュエルに背を向けるのは、俺の流儀じゃないんだよ」
多分、自分もヴィースと同じぐらい、ぼろぼろなんだなろう。それでも、きっと向こうに帰れば、何もかも元通りのはずだ。
「あとは……あれだ。ライバルに後を託すなら、敵のデッキぐらい、暴いとかないとな」
「分かった! 俺、ちゃんと、あいつ倒す!」
「ああ。それなら……これも持っていってくれ、俺の代わりに」
カードを手渡す手の輪郭が、次第に失われていく。
入れ替わるように、思いがこみ上げてくる。
この世界に来て、いろんなことがあった。その中で一番、うれしかったこと。
「お前に会えて、良かったよ」
こんな言葉、シェートには告げるべきではないのだろう。
自分の身内を殺した原因を、楽しもうとする自分の存在は、決して許せるものではないはずだ。
それでも、楽しいと言ってくれたから。
「じゃあな。俺の――」
電源でも切るように、つながりが打ち切られる。
聞こえただろうか。届いただろうか。
かすかな心残りを覚えながら、紫藤伶也は風に消えた。