プロローグ
その日は、しっとりと雨の降る日だった。
土のむき出しになった街道は濡れ、わだちの跡や、くぼんだところに泥混じりの水が溜まっている。
両脇は森に挟まれ、木々が枝を差し掛けているが、道を覆うほどに生えているわけではなく、あまり雨しのぎにはなっていない。
「ったく、嫌になるな、雨って奴はよ」
荷駄を載せたロバの反対側を歩く影が、ぶちぶちと文句を言い始める。皮の鎧に長剣を下げ、その背をフード付きのマントで覆った、いかにも傭兵然としたそいつは、街道を歩く時の護衛として雇った男だ。
「天気読みの奴、いい加減なこと言いやがって。何がシリーエンの方は風の湿りも無いから大丈夫だ、だよ」
「はぁ、あいつらも、天気の全部、知ってるわけじゃないすけぇ」
この男の口数の多いことと来たら、こちらが文字通り閉口する域だった。何か思いつくと言葉にしなければ気がすまない性質らしく、こちらにもそれなりの相槌を要求する。
「だとしてもだよ? 銅貨十枚もふんだくっといて、こりゃねぇだろ。こんな天気になると分ってりゃ、あと一日は、あいつとしっぽり――」
その天気読みの料金も、男の泊まり賃もこちらが出しているのだが、さも自分の懐が痛んだかのように嘆いてみせる。
腕利きの傭兵は口数が少ないとはよく言われるが、多分それは、こんな煩い奴と一緒に居ることが耐えられなくなるから、ということなのだろう。
次の商いは別の隊商に混じって動こう、そんなことをぼんやりと考えた時、傭兵がいきなり剣を構えた。
「おい、ありゃなんだ!」
「へ? ああ、あれすけぇ、心配いらねえらす」
男の示した先に、一匹の獣が立っていた。
雨に煙る街道の真ん中、霧のように立つ、白い犬のような生き物。その額には銀に光る星のような毛が生え、首周りをたてがみが飾る。
とはいえ、その姿も今は雨にぬれ、どこか疲れたような印象を与えていた。
「こっち睨んでるぞ?」
「あらぁ、最近この辺りさ住み着いた、星狼らす」
「ほしのがみ?」
「ああ。人さくると道に出て、こっちさじぃっと見つめてくるら。ですけ、ちっとも悪さしねぇでらすけぇ、誰もとがめねえんでらす」
それどころか星狼が出て以来、この辺りには魔物や人を害する獣、盗賊の類も寄り付かないので、街道の守り神のように扱われていた。
「手さ出さねば、なんもしねえらすけ、剣さおさめてくれら」
「……でも、何かおちつかねぇなぁ」
文句を言いながらも剣を収めると、星狼は緊張を解き、そのまま道の脇に下がる。その様子を見て、懐から干し肉を取り出し、放ってやった。
「餌付けしてんのかよ」
「ほしのがみ、たいそう頭いい生き物ら。ですけ、街道守の礼、みてえなもんらす」
吼えもせず、肉を口にくわえて星狼が茂みに消えていく。
「はぁー。あんな獣が街道の守り神さんねぇ」
少なくとも、どこかの犬と違って無駄吠えしない分、相当優秀だろう。そんな内心も知らず、傭兵は冷たい雨に文句を言い、ふと思い出したように告げた。
「そういや、この辺りに勇者は出たかい?」
「ゆうしゃ……はあ、そういや、おかしなカッコさした子供、よう見るらすな」
「天から使わされた神の使徒、この大陸だけじゃなく、西のエファレアでも魔族相手に大立ち回りしてるって話だぜ」
自分も商人の端くれ、その程度のことは知っている。数十年前に現れた魔族と、その王を名乗る者を倒すべく使わされた少年少女たち。
その誰もがこの世のものとは思えない力や、奇妙ないでたちをしている。自分も何度かそんな人間を目にしたことがあった。
「さっきのほしのがみ、だっけ、見て思い出したんだよ。面白い話」
「なんら? 面白い話って」
「その勇者たちが、躍起になって狙ってる魔物の話だ、聞いたこと無いか?」
「はぁ、ゆうしゃが狙う、たら、ドラゴンとか?」
「それが傑作なんだ! そいつらが狙ってるってのがな」
こちらは大して興味も無い話を、傭兵は嬉しそうに口にした。
「一匹のコボルトなんだとさ」