25、恐るべき目覚め
仔供というのは、大なり小なり癇癪を起こす生き物である。
それが、"乱群の織り部"と呼ばれた神としての、サドゥルの見解だ。
いかに心優しい性根の仔でも、その性質は少なからずあったし、ましてや相手は竜の仔であるから、粗暴な振る舞いは看過してしかるべきだろう。
「あのさ……サドゥル、もしかして俺、変なことやっちゃった?」
不安そうにこちらを振り返る少年。神となって数百年、初めて雇い入れた勇者である彼に向け、ゆっくりと首を振る。
「あれはお前に怒っているのではない、自分自身に怒っておるのだ。気にするな」
「んー……何か、悩みがあるのかな」
「それも、お前が気にすることではない」
なおも何事か思案する少年の肩を、そっとさすってやる。
あの竜の仔と、まったく正反対の性質を備えたのが、このカイトという少年だ。
神との契約も、カードを使って異世界にて戦うという事態も、ふにゃりと笑って承諾したものだ。もしかすると、頭がひどくゆるいのかも知れない。
「どうせなら、楽しくバトルできるといいんだけどなぁ」
「戦いは楽しいばかりではあらぬ。時として苦しみ、あるいは悲しみを負うこともある」
「でもさ、やっぱり笑っていられるほうが、いいよね」
そう告げるカイトは、別段怒っている風ではなかった。相手に対する批難とも違う、悲しみによく似た感情を匂わせた。
「お前、この遊戯は好きか」
仔竜は自分の手番を止めたまま、血走った目で札を食い入るように見つめている。
その姿を目の端に留め、カイトはそれでも笑顔で頷いた。
「うん! 俺、ウィズが好きだよ!」
そういうことか、サドゥルは得心した。
この仔の癇癪は、こういう形なのだ。みなで楽しく遊ぶこと、そうできないことに対して、憤ってしまう心。
「では、せめて我らだけでも楽しもう。そうすれば、かの仔竜も気を変えるやもしれん」
「わかった!」
その目に期待を込め、勇者は仔竜と向き合う。
伸ばした背中と、素朴な喜びに溢れた顔。生まれたばかりの仔らが、春の草萌える平原で、まろび遊ぶ姿を思い起こさせた。
これこそが、単なる権力闘争でしかないはずの遊戯に、神々が惹かる理由。
「なるほど。これはみな、熱を上げるわけよな」
獣たちの母神は、心地よく笑んだ。
余裕ぶりやがって。
少ない手札で目線を隠しながら、フィーはそう毒づいた。自分の布陣が磐石なのをいいことに、向こうは笑いながらこっちを見ている。
ターンの開始時に引いたカードは《緑》、かみ締めた歯がぎりぎりと音を立てた。
残りライフは四点。手札三枚のうち一枚はマナで、残る二枚のカードも決定打にはならない。
《不審火》ファストスペル。対象のクリーチャーに二点のダメージを与える。このカードが手札から捨てられたとき、赤赤1を支払っても良い。全てのクリーチャーにに二点のダメージを与える。
《霊智都市 キサナド》コンストラクト。このカードが場に出たときカードを一枚引き、カードを一枚捨てることでこのカードを一旦除外し、また場に戻す効果をもつ。
本来なら、もっと早い段階で《キサナド》を出し、相手の細かいクリーチャーを《不審火》で焼くというコンボを狙っていた。
しかし、思うようにマナが伸びないまま、相手の手数に押し切られ、気が付けばこのカードで除去できる敵はいなくなっていた。
「俺は、緑をセット」
あまり何もしないでいると、ペナルティーが科せられてしまう。時間稼ぎに使えるマナを合計六点に増やし、もう一度考える。
このままでは、次の一撃を耐えられない。何らかの形で相手の攻撃をしのいでターンを稼ぎ、敵を排除しないとならない。
一体どうして、ここまで追い詰められることになったんだ。フィーは必死に、過去のターンを思い出す。
墓地にはライフ獲得やマナ獲得のコンストラクト、ブロックに使ったクリーチャー、除去に使った《雷撃》が落ちている。
そうだ、相手は軽量クリーチャーに偏った殴り倒しデッキ。スローペースのこっちのデッキでは、負ける可能性が高い相手だ。
こういう状況に対抗するため、竜神のアルコンを設定していたはずだが、その協力はたった今断られた。
(おい、ちょっと待てよ)
嫌な予感が背筋をなぶる。
本当に、何をやっていたんだ俺は。くだらないことに気を取られて、目の前の勝負をおろそかにして。
(このままじゃ、本当に)
たかだか、仲間が自分以外の奴と、仲良くしていた程度のことで。
(俺は――)
無様に敗退するのか。
『この先、何があろうとも、そなたは動揺してはならん』
暗くなりかけた意識を、言葉が繋ぎ止める
それでも、浮かんでくるのは苦痛のまとわりついた恨み言だった。
(そんなこと、できるわけ、ないだろ)
廊下に出てきた二人が交わした、親しげな激励。その姿を見たとき、フィーの中で苦しみの炎が吹き上がっていた。
『その秘密を、サーちゃんやシェート君は、何も知らないんでしょ? そこのところ、どう思ってるのかしら』
自分は嘘で練り固めた存在だ。姿かたちも、過去も偽って、シェートにとって憎い仇であるという事実を封じ込めて。
どんなに親しげに振舞ったところで、決してあの鳥の勇者のようにはなれない。
(ああ、そうか)
その答えにたどり着いたとき、フィーは息を吐いた。
(嫉妬してたのか、俺は)
どうにもならない事を、どうにかしようとすることが愚痴なら、自分の心を悩ましているこれは、これまでで一番大きな、どうにもならないことだ。
叶うことなら、過去の何もかもを消し去って、あいつの側にいたかった。
そうであればどんなに、心安かっただろう。
「"青天の霹靂"様、そろそろ進行をお願いいたします。遅滞戦術も結構ではございますが――」
「今、やるよ」
激高していた感情が引いていき、胸の中にぽっかりと穴が開いた気分になる。
何もかも自分が悪いくせに、八つ当たりしても仕方がない。
「俺は、合計四点を支払って《霊智都市 キサナド》を場に出す」
カードが展開し、自分の背景に石造りの城塞都市が出現する。たどり着くことさえ難しく、出ていくときには、体験したすべてを忘却すると言われた伝説の都市が。
そして、定めに従って一枚のカードが手に入った。
「……!」
苦い笑みを浮かべると、フィーは告げた。
「ターン終了。そっちの番だ」
「それじゃあ、いっくぞー!」
駆斗はデッキからカードを引き抜き、その一枚を確かめる。
《輪廻転生》リチュアル。クリーチャーが破壊されたとき、そのクリーチャーをゲームから取り除き、その攻撃力以下のクリーチャーをデッキから場に出す。
このカードは、殴り合いのデッキと対戦した時の保険だ。もしくは、全体除去を使う相手へのけん制として使うつもりだった。
元々自分は、ウィズの呪文を使うのが得意じゃない。タイミングのルールを覚えるのは苦手だったし、クリーチャーで戦うほうが楽しいからだ。
このカード自体、何度か対戦をした後で、サドゥルから入れるように言われたものだったりする。
「ま、いいっか。それじゃサドゥル、【疾風変身】お願い!」
女神が頷き、輝く腕を一振りした。
光が自分の体を包み、まったく別の何かに作り変えていく。
痛くはない、むしろぞくぞくするような快感が体を突き走る。
【疾風変身】"嵐群の織り部"のアルコン能力。自ターンに一回、プレイヤーを貫通を持つ3/3の狼男トークンに変える。除去されると耐久力分のライフを失う。
「ウオオオオオオオンッ!」
一声吼えると、気持ちが前のめりになっていく。こうなると自分でも抑えがきかない、
あとは思い切り攻めるだけだ。
「俺はみんなと一緒に攻撃! そして【怒涛突撃】発動!」
【怒涛突撃】"嵐群の織り部"のアルコン能力。【疾風変身】発動時、プレイヤー以外のクリーチャー一体につき、プレイヤーの狼男トークンに+1/+1する。
狼になった自分は、思う以上に早く走れる。後からついてくる鳥や大猫たちよりも追いつけないほどに。
標的の仔竜はこっちを見つめている。
何かもめていたみたいだったけど、大丈夫なんだろうか。人間のときよりはるかに強くなった鼻が、悲しげな気持ちをかぎつけた。
「でも、ごめんっ」
事情はどうあれ、ゲームには全力で勝つ。
それが俺の――。
「【スタック】、詠唱《がけっぷち》!」
鋭い宣言にカードが起動し、駆斗の目の前に目もくらむような断崖絶壁が出現する。
気が付けば仔竜ははるか向こう岸、大猫は自分と一緒に急ブレーキで止まり、鳥は崖下から吹き上げた大風に巻き上げられて、攻撃を断念していた。
《がけっぷち》ファストスペル。このターン、あなたに与えられるダメージを0にする。あなたのライフは1になる。
「うっわー、あっぶな~!」
思いもよらない奥の手。自分の残りライフと引き換えに、こっちの総攻撃をかわしたというわけだ。
「カイト、そのカードは使っておけ。次に備えるぞ」
「うん。《輪廻転生》を使うよ!」
この場をしのいで、次のターンの引きに賭ける気だろう。こちらのクリーチャーを一掃するカードか、もう一度《がけっぷち》を引きたい場面だ。
「それじゃ、俺のターンは」
「【スタック】、手札を一枚捨てて《キサナド》起動だ」
あの仔竜は、まだあきらめていないみたいだ。落ち込んでいた顔も、今は目の前の状況をなんとかすることに集中している。
「どうやら、ようやく炉に火が入ったようだの」
「うん」
やる気になってくれたなら、こっちも嬉しい。
この先どんなカードが出てくるのか、駆斗は期待をこめて仔竜を見つめた。
相手の闘志を秘めた目を見ながら、フィーは静かにカードを一枚引いた。
そこにあったのは、この場ではあまりにも役立たずのカード。
《爆発的励起》マグス。あなたの場のマナカードを全てゲームから取り除く。あなたは取り除いたマナカードと同じ色のマナを倍にした点数を得る。
とはいえ、今この場で何を引こうが、結果は変わらない。
たとえ相手のクリーチャーをすべて除去できたとしても、その行動をトリガーに《輪廻転生》が発動してしまう。
あとは場に現れた新たな敵に、殴られて終わりだ。
そもそも、相手のライフはまだ二十点残っている。一回も攻撃を当てることさえできずに、ここまで来てしまった。
絶望的なライフ差、複数のカードを使わなければ覆せない状況。たった二枚しかない手札に、動かない竜神。
素直に負けを認めて、降参するか。
淡々と手番を終えて、相手に倒されるか。
それとも、もう一枚のカードに望みを託すか。
フィーは《キサナド》で引いておいた、そのカードに目を向けた。
《二律背反》マグス。カードタイプを選択する。あなたのライブラリの上から四枚を確認し、それがあなたの選んだタイプであるならば全て手札に加え、残りを墓地に置く。
正直、使い方のよく分からないカードだった。上から四枚に指定したカードタイプがそろっているなら、いきなり四枚の手札が手に入る。
しかし、一枚もかすらなければ、山札から墓地へカードを捨てるだけだ。普通に考えれば、単純なドロー用の呪文を使ったほうがいい。
『そう思うのは、そなたが見た目の利得に囚われておるからよ』
言葉は、過去にあった。
説明されていたはずだ、このカードが持つ意味を。策謀とは、あらゆる状況に対して行われる、無限の布石だと。
そして、この状況で勝ちにいけるカードが、一枚だけあった。
「ちょっと待ってくれ。墓地を確認すっから」
はやる気持ちを抑えて、墓地に落ちたカードの種類を確認する。
(コンストラクトが四枚の、ファストスペルが六枚……いけるかどうかは、ぎりぎりか)
うまく行く保証は無いに等しい。
そのカードが引けるかは分からないし、引けても準備不足では効果を発揮できない。
何もできず、不発に終わるかもしれない手だ。
だからといって、何もしないで負けるのはもっと嫌だった。
「後は野となれ、山となれってな! 俺はすべてのマナを取り出して、《爆発的励起》をキャスト!」
フィーを取り巻いていたマナの輝きが一斉に破裂、強く輝く星になって空に舞う。
使用された三点を除く赤六点、緑九点のリソースを確認し、続けざまにカードを使う。
「赤と緑を使って《二律背反》! 指定タイプは"マグス"!」
引かれた四枚のうち二枚が手札に、残りは墓地に落ちていく。そのカードタイプに、フィーの目が輝きを増した。
(コンストラクトが二枚落ちて、これで合計六枚)
「赤と緑二点で《力の抽出》をキャスト! 《キサナド》を破壊して、無色のマナ四点に変換!」
《力の抽出》マグス。対象のコンストラクトを生贄にする:生贄に捧げたコンストラクトのプレイヤーはマナコスト分の無色マナを得る。
対戦相手が驚いて声をあげる。気持ちはわかるが、今はドローソースよりも、キサナドという"コンストラクト"が墓地に落ちたことが重要なのだ。
「そして俺は……《才気煥発》をキャスト。起動に緑を二点、そして追加に無色四点でカードを四枚ドロー!」
《才気煥発》マグス。対象のプレイヤーはX枚のカードを引く。
本当なら、《才気煥発》でありったけのマナを注いでドローしたかった。それでも、逆転の一枚をこのターンに使うならマナを残す必要がある。
祈るような気持ちで、フィーは一枚目の山札を引き抜いた。
「……っ」
《緑》はお呼びじゃない、それでもこのタイミングで余剰マナはありがたい。
「二枚目……っ」
《錬金術の金屑》、これでほぼ勝利のためのマナは問題なくなった。後はあのカードを引ければ。
「三枚目!」
《蜜酒の杯》、息が詰まりそうな気持ちで手札に加える。
残り一枚、ここで引き当てられなければ、自分は確実に負ける。
(本当に、なにやってんだ、俺は)
竜神の力を使えば、こんな危ない橋を渡る必要はないはずだった。
勝手に戦い、勝手に空回って、勝手に追い詰められた。そんな自分が、バカみたいに思えた。
『困難に際して動揺し、思い惑えば、その分手が遅れる。恐怖や迷いを制し、あらゆる場面で最良を思考することだけに注力せよ』
その通りだ。
そうでなければ、シェートたちの助けになるなど夢のまた夢。
なら、この一枚に全てを問う気で引く。
「四枚目……っ!」
手にしたカードを裏返し、その表をあらためる。
そして、フィーは宣言した。
「俺は、赤と緑を三点づつ支払い《竜血覚醒》をキャスト!」
カードが閃光を放ち、視界がホワイトアウトする。
同時に、仔竜の体が猛烈な勢いで変化を始めた。
飛行しているはずの両足が大地を踏みしめ、強烈な重力が掛かる。尻尾の感触が延長され、地面をこすりながら力強くのたうつ。
薄い胸に筋肉が盛り上がり、肺を支える肋骨が、長く伸びる首が、逞しい背骨が、急激に生成されていく。
口吻はいかつく盛り上がり、ささやかな八重歯は太い槍の穂先のような牙になり、頭の角も天を貫く剣のごとく鋭く尖る。
そして、巨大な天幕のような一対の翼を大きく打ち振るい、紺碧の鱗をまとった、巨大な成竜が出現した。
「……な、なにあれ!?」
「あれもカードの力だというのか!?」
十倍以上に膨れ上がった体をもてあましながら、それでもフィーは、口元を歪めて笑いかけた。
『《竜血覚醒》は、プレイヤーをドラゴンに変えるカード。お前のやった【疾風変身】と同じだ。俺の場合は、成長した姿ってことになるのかな』
「なにそれ、すごくカッコイイ! いいなぁ、俺も使ってみたい!」
『あ……うん。ありがとな……って、そーじゃなくて!』
本当にこいつは何を考えてるんだろう。もしかすると、あの鳥の勇者と同じように、カードゲーマーは、みんなこんな感じなのかもしれない。
『喜んでくれてるとこ悪いけど、これで終わりだ。一気に勝負、つけさせてもらうぜ!』
このカードは、単にプレイヤーをドラゴンに変えるだけじゃない。もう一つの能力こそが、このデッキの勝ち筋。
『俺は《錬金術の金屑》《蜜酒の杯》をいけにえに捧げて、さらに《緑》を一点!』
手札を全て使い切り、全てのマナを搾り取る。
それでもなお、竜の貪欲にしたがって宣言を重ねる。
『《竜血覚醒》の効果、墓地にあるコンストラクトをゲームから取り除き、赤と緑を一点づつ得る! もちろん取り除くのは、墓地にある全てだ!』
大地にかざした片手が、金銀の財宝の山を出現させる。
その全てが唐突に燃え上がり、膨大なマナの本流になってフィーの翼に宿った。
『そして、もう一つの効果! 赤と緑を支払い、マグスかファストスペルをゲームから取り除き、対象に二点のダメージを与える! 十枚のカードを、ゲームから取り除く!』
宝の山が燃え尽き、灰の中から現れたのは英知を記した石版。その全てが粉々に砕け、翼に宿った炎にくべられ、燃え上がる。
いまやフィーの背中は、太陽と同じ光輝を宿していた。
それは魔王の城で生み出した星辰の炎に匹敵する、暴虐の力。
決してたどり着かないはずの未来、フィアクゥルという仔竜が、成長の果てに手に入れる神の竜としての一撃。
開いた口の中で、無数の紫電が帯を引き、まばゆい光の玉が膨れ上がる。
『これで……終わりだぁっ!』
そして破滅が、叫びと共にほとばしった。
光が、熱が、音が、あらゆるものを飲み込み、喰らい、滅ぼしていく。
大気と大地が、意義と意味を引き剥がされ、消失し――。
「そこまでだ」
まるで落ちかかった崖から体を引き戻されるように、フィーの意識が現実に還った。
目も角も、しばらくは意味を伝えなかった。
「あ……?」
ようやく認識が体と連動した時、仔竜の中の魂は震えた。
黒々と焦げた、深くいびつなクレーターが目の前に広がっている。その中心には、今にも崩れ落ちそうな状態で残った島が一つ。
足元で気絶している少年をかばうように、片手を上げてこちらを睨む半獣の女神。
気が付けば、実況席に座っていた小竜たちも、席の上で両足を踏ん張り、両手で何かを支えるように構えていた。
「集中しすぎだ。もう少し加減せよ、馬鹿者」
とぐろを解いた竜神が、器用に指を鳴らす。途端に目の前の深い穴が埋まり、何もかも元通りになった。
「さて、少しばかり荒れた試合ではあったが、"審判"殿よ、判定はいかに?」
今までどこに隠れていたのか、涼しげな表情を崩しもせずに現れた"刻の女神"は、高らかに宣言した。
「ただいまの決闘、"青天の霹靂"フィアクゥル殿の勝利です」
全身に安堵が溢れ、拡充していた体が急激にしぼんでいく。
元の仔竜になったフィーは地面に背を預け、見下ろす竜神に向けて言った。
「勝ったぞ、おっさん」
「ひどく無様ではあったがな」
「悪かったよ」
体は芯から疲れ、頭の中もいまだに煮えたぎっている。
その全てが、心地よかった。
「そういえば……これが初めてか」
ほのかな喜びと自嘲を込め、仔竜はつぶやいた。
「"遊戯"で勝つのは」
遠くで結果をがなるアナウンサーの声と、遅れて騒ぐ観客たちの喧騒にのまれ、述懐は誰に聞かれることもなく、溶けて消えた。
駆斗が片手を差し出すと、仔竜は少しためらいながら、それでも握り返してきた。
青い手は意外にあったかくて、少しごつごつしている。
嬉しくなって思わず笑ってしまうと、相手は目を伏せて謝ってきた。
「悪かったな。こっちの都合に付き合わせて」
「別に気にしてないよ! 最後はすごいもの見れたし! いいよなー、あのカード」
あのカードは、自分がウィズをはじめるよりも前に出たものだそうだ。昔のカードはそれなりにプレミアがつくから、手に入れるのは難しいかもしれない。
「ならば非礼の詫びに、儂から一枚贈らせてもらおうか」
「え!? でも、すごく高いんじゃない?」
「遠慮せずもらっておくが良いぞ。優勝できなかった残念賞というところだ。それと」
背中に立ったサドゥルが、少し怖い感じで言葉を続けた。
「私の勇者を危うい目にあわせたのだ。そのぐらいの手当て、あってしかるべきよな」
「そういうわけだ、遠慮せずに受け取るが良い」
竜神から差し出されたカードを取り、自分のデッキケースにしまう。それと一緒に、自分の手足が光の粒と一緒に消え始めていた。
「もう少しここにいたかったけど、負けちゃったらしょうがないよね……えっと、また一緒にデュエル! ……も、ダメかぁ」
本当に、何もかももったいない。負けたのは悔しいが、それ以上にこんな経験をここで終わらせるのは、残念でたまらなかった。
「折角だ。私もカイトと共に、暇乞いを告げようぞ」
「サドゥル……」
振り返ると女神は笑っていた。ふわふわした毛の生えた手を、こっちの肩に乗せて。
「ごめんね。俺……負けちゃって」
「後悔はない。お前と共に駆けた日々は、我が宝だ」
そこでサドゥルは、青い仔竜に声を掛けた。
「奇しき竜の仔、"青天の霹靂"殿よ。その猛る力に、飲まれることなきよう」
「分かった。それと、ごめん」
「良い仔だ」
景色が、次第に遠ざかって行く。
見知らぬ世界の人々が、生まれて初めて見たドラゴンたちが、自分をここに連れてきてくれた神様が消えていく。
天羽駆斗の冒険は、そうして終わりを告げた。